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ファンタジーなど

基本的に、いろいろなことの変なとこに突っ込みます。

たこの吸い出しのこと

2020-09-17 23:51:06 | 日記
東京にいた時に買ったもので、試用期限が
2020.05と、切れています。

農作業のせいもあるのか、皮膚に細かい棘状の
ものが刺さったせいで、山とか丘状態の
できものが、ここ十数年内にできていました。
痛みも何もないのですが、見た目は良くない
ものでした。

塗ってホワイトテープで押さえてみました。

すごいです。山状態のものは阿蘇山状に後が
残りましたが丘状態の方は、完全に消えました。
一週間間に満たない期間の結果です。


アシナガバチが痛い

2020-08-29 00:18:34 | 日記
アシナガバチの巣のサナギは全部成虫になったようです。
一つの素の笠の直系が8~11センチの楕円形か円形で、
数十匹の集団になるようです。もう数日経てば巣立ち
して分散する感じです。

植木に乗り育ちすぎたヤブガラシを撤去してたら、
巣があったようです。
一瞬で右腕4カ所が長袖の上から刺されました。
作業着ほどの厚さだったら被害はゼロにできたかも。
一箇所、だいたい10センチ以上の広さで腫れます。
痛くて痒い・・・

親指、人差し指で握り切れている手首が、1センチの
隙間が空くほどに腫れました。刺されて10時間
越えましたが、明日朝には直っているはずです。
 (ついでに、ニホンミツバチだと蕁麻疹状態に
  なって体に少し広がります。
  これも翌日朝には直ります。育てていたときに
  刺されたというもの。)

 (スズメバチ?は、刺されると激痛。ただし、意外と
  短時間でした。2回目以降は、非情にヤバイはず。
  ~実は刺したハチが確認できていません。
  棘のある毛虫の可能性はないです。毎年刺されて
  いますが、その時、結構痛いだけです。痛さに
  懲りない程度の痛さというところ。
  キイロスズメバチやオオキイロスズメバチは、
  ペットボトルの仕掛けで毎年、3~5匹取れます。
  近所での巣の発見情報は、ここ10年以上あり
  ません。ツボ状の初期の巣が見つかっていたのも
  10数年前までです。)
  

我が家のお社から出てきたもの

2020-08-12 18:10:48 | 日記
我が家は神社なので、先祖の位牌は白木のお社と一緒に
飾っています。(もちろん神棚にも別のお社があります。)
結構な年代物で、物心ついた時には、既にあり、その時
でも古びていました。

この度、母の初盆ということもあり、まじめに掃除して
みました。
なんと、昭和27年に他界した祖父の自筆の、多分位牌
代わりの真茶に変色した書き付けかでてきました。

祖父(婿入り)の義父も婿入りでしたが、義父の実家が
絶えたらしく、その義父の父母と実家を継いでいた夫妻
らしい名前と、「故xx 神社霊」(xxは名字)も書いて
ありました。
 (曾祖父とその一族のお墓は、高知県池川町にあります。
  曾祖母の先祖も同じ町です。
  母と妹が一度訪問したようです。
  曾祖母の先祖の位牌などは残っていません。お寺に
  預けたんでしょう。
  昔は神社だったけど、お寺に替えた後、不幸が続
  いたため、神社に戻したという話は聞いた。不幸は
  曾祖父の夭逝が続いた子供5人のことかも。)

また、曾祖母と、祖父の夭逝した子供達5人の名前と享年が
列記されていました。
 (子供の一人は高知県で死去、他の4人は樺太です。
  大正8年に、樺太に移住しています。
  曾祖母は、元納元年生まれで昭和15年に他界してい
  ます。
  父は大正4年高知県生まれ、母は大正8年暮れの
  樺太生まれです。)
  (樺太は、以前のブログに書いたように、山も丘も
  道路も墓も家も何もかも一緒くたに平地に均されて
  畑にされていたようですから、墓がどこかなんて
  もちろんわかりません。
  小川すら流れが変わっていたようです。
  我が家の墓に納められている小さい壺の中の土が
  樺太・北見・八幡平のお墓の土です。全員一貫した
  遺言は「墓の土を持って行ってくれたらそれに就い
  ていくよ」だそうです。高知県のお墓の土も入って
  いるかもです。)

父は、当地にお墓を作りましたが、祖父と祖母の記入から
始めました。もちろん夭逝した私の姉2人・兄1人は記載
されています。位牌の記載が正しいなら、樺太引き上げは
次姉の死亡日昭和24年2月17日前後です。次兄、長姉は
樺太で引き上げ直前の1月に病死、次姉は引き揚げ船に
乗る直前に死んだのを隠して乗ったと聞いています。
 (ただ、これだと、その後が結構忙しいんです。
  引き上げ後、北見の紅葉山に住んでいたといい、
  昭和25年3月2日には、私が秋田県の八幡平で生
  まれていて住める家というかカヤ囲いの家をとり
  あえず建てていますから。6才の時に、この家もど
  きは、家畜小屋になっていました。)

茶色の書き付けと、生年月日を追加した新しいリストを、
納めておくことにしました。
(お寺さんだと、お寺に納めておけるのでいいですね。)

死んだ親父は、話し好きで、一度しゃべり始めると、口を
挟む隙が無かった・・・一方的に、延々と、お茶だけを飲
みながら何時間でもしゃべり続けることができるので
ありました。
話が終わるのは本人が眠くなった時でした・・・
へたに何か聞こうモノなら、その後の数時間にわたる
おしゃべりに付き合わされる・・・
今思えば、あれもこれも聞いておくべきだったという
ことばかり。
 (戦中、親父は千島のどこかに配属されていたという
  のがあり、その所属時期と部隊名を書けば、銀杯を
  もらえるというのがありました。親父の死後でもあり
  親父のすごく長い話の中での一言だったので、母も
  子供3人や親父の弟2人も近くに住む甥の誰も覚え
  ていなかった・・・)

未だに夢見る東海道線飛び込み

2020-05-26 21:48:44 | 日記
なぜか忘れまてくれません。

受注仕事に毎朝六時起きで、東小金井から、
戸塚まで通っていた昔のこと。
(40年昔のことです。)

東海道線で、飛び込み自殺されたのでした。
突然電車が停止し、少し経ってからバケツを
持った車掌が前方に走って行ったので、
あ、誰か飛び込んだんだと理解しました。
(人程度では、衝撃を感じません。急ブレーキ
 だけはわかります。)

処理に数十分かかり、走り出しましたが、
学校の掃除で使っていたような大きさのバケツ
2つに入り来ちゃったんだというのが感想でした。
運転手と合わせて2つのバケツだろうからです。

当然客先には遅刻です。遅くなって済みませんの
言葉に、帰れときました。理由を述べる暇をくれま
せんでした。
同僚が取りなして、とりあえず済みましたが、
お相手は最後まで遅れた理由を聞こうとしません
でした。
(翌日の朝刊には、飛び込みの記事がありました。
 もちろん、担当が謝ることはありませんでした。)

仕事は、電電公社の電子交換機のプログラムの
仕様書をプログラミングソースから作ることでした。
電子交換機のプログラムはCHILL(チル)言語という
独自の言語でした。仕様書も独特で、プログラミング
と一対一で作れるものでした。
 (でも、電子交換機のソースプログラムは、NEC、
  東芝、日立、富士通などの持ち回りのメンテナ
  ンスになっていました。で、各社が、対策を入れ
  るのですが、絶対完璧にはできないのがある
  のです。多分今でも指定席の、二重発行を避
  けることができません。~これと同様に解消でき
  ない問題がいくつでもあるわけで、各社の各自
  がトラブルが起きた時に、前任者よりましと思う
  対策とコメントを追加するわけです。もちろん、
  他社の担当者のコメントとコーディングはコメン
  トで全部残しています。いずれ、彼らに渡るソース
  ですから消す度胸は・・・

使うコンピュータはIBM370互換機。使う、コンパ
イラはPL-I。プログラムソースから仕様書
(PADという文書)を作るのが目的でした。
開発環境はTSSです。PLIによるコンパイルと実行を
スケジュールして帰る。翌日コンパイルと正常にコン
パイルされた結果のオブジェクトの実行結果=正常
ならパラメタに指定したソースプログラムのPADの
プリントアウトのはずでしたが、得たのは、プログラム
異常終了を意味するメモリダンプ。

PL-Iコンパイラのどこかがおかしいという判断を
しました。それから、どこまで実行したかのログ機能を
メモリダンプで調べるられるように細工を続け、
ついに、リカーシブコールのオブジェクトにバグが
あることを突き止めました。PL-Iのバグを直したいん
ですけどと報告したら、いいですよ、どうぞの、ほぼ
フリーパス。バグ部分は、PL-Iでもアセンブラの記述
部分。見たらコメントは英語というより日本語・・・とり
あえずはコピーしたかもだけど、盗んでいないのねと安心。
問題箇所は1つのビット判定命令の間違いだったかと。

とりあえず修正しましたが、これがどこまで共有されて
いるかは、全く不明です。修正内容の報告も求めませ
んでした。いいのか、こんな日立みたいな。

契約期間内に、仕様書は印刷可能になり契約完了と
なりました。
客が求めた設計書のPAD。我々は、PAD以外にも
作っていましたが、全員PAD以外の提供を拒否した。
(要求を、どうやったら実現できるかなどの、いわば
 ノウハウの書類を一切渡さなかったのです。)

外注を虐待した恨みは怖いよ~

黒羽福寿草のこと

2020-04-10 22:44:26 | 日記
栃木県鹿沼市に花木センターという施設があります。
鹿沼市の農家の方々が、花苗から樹木苗まで、年中販売しています。

さて、数軒の方々が、「黒羽福寿草」の名で、毎年、育種販売しています。

最初に買ったのは平成27年春頃で性質は以下のとおりです:
 (露地植え)
 茎は、結構中空(ハサミで切ると、半分ほどの中空に見えるが、透かして
  は見通せない)。(本当の中実はハサミで切っても中実に見える)
 葉の中心に近いところは少し白みがかって見えるが、白いわけではない。
  反射光で白く見えるようです。~夕方だと、白く見えない。
 1芽に1本の茎が育つが太い幹の分岐が多い。根元から数節以上は茶色
  というか赤褐色(すぐ緑になるとか、初めから緑の別の品種もある)。
  でも、花は1芽に1つしか付かないし咲かない。
  太い幹の先に花芽が付いていいはずなのに付かないのが逆に不思議。
 タネは全部の花にできるが2倍体の大きさ。
 全部の幹は、葉がまったく重ならないように低く這う感じに葉を広げる。

令和2年春に買ったのは、次の通り
 (買った鉢植えのまま)
 茎は少し中空(ハサミで切ると、少し中空に見えるけど、透かして見ると
  見通せない)。(本当の中実はハサミで切っても中実に見える)
 葉は照り葉。
 1芽には1本の1花だけ付ける花茎(それほど太くない)と1~2本の葉
 だけの茎が根元から出る。(幹があるという感じはまったく無い)
 根元から、数センチ以上は、茶色というか赤褐色。(すぐに緑とか、
  最初から緑という品種もある)
 タネは1花に0~数粒と2倍体ほどの大きさでできる。
  ~これは、本体が3倍体で、2倍体の花から花粉をもらってタネが
   できたためと思われる。(ミチノク系の2倍体の花が去年から咲き
   出しているから、これの花粉をもらったと思われる。~白寿の名で
   買ったけど、どうも白寿ではなかったというヤツです。これすごい
   程の花の数で、花の咲く期間も長い。同じ面積で、秩父紅の倍
   以上の数が咲きますし、4/10現在も、花は終わっていません。
   (今咲き続けている他の花は三段咲きだけです。)
    おまけの訂正:50年来の福寿草は、どうも3倍体の福寿海で、
     ミチノクの性格が出たもののようです。花一杯の中にタネが
     一粒だけできています。)
 枝は普通に上に伸びている。

花は似ているものの、花以外を見れば、まったく別の品種にしか
見えないものです。
(なんか、ちょっと雰囲気が違うぞと思って買って比べてみれば、これでした)

1茎に1花というのは、キタミフクジュソウの性格です。栃木県の黒羽に
キタミフクジュソウの自生は無いはずですから、誰かが作った交配品種でしょう。

その後、造り続ける内に、4倍体のフクジュソウの花粉を貰ってしまったけど
花が同じだから、店に出してしまったということなのでしょう。
(~株分けではなく、実生で増やして販売しているということです。)

実生を否定するわけではありませんが、花だけで品種を決めている現実は
ちょっと納得しがたいです。そう、同じような花ができたからと、同じ名前で
売っているという現状です。で、福寿草は寒さや、株の充実度で花が変わる
性格の花です。今年の花が、来年も咲くという確証が無いのです。これが、
この福寿草の花であるという確証を得るには数年の観察が必要なのです。

 その花のタネからは同じ花が咲くだろうという、すごく楽観的な希望の
 上に花を確認しないまま売ってしまうと言う現実も問題です。
 現実的に、紅花と言われた花が実際に咲くまでに5年もかかる土地も
 あるのです。紅花のはずなのに咲くのは黄花というのが結構続くのです。
 寒さに当てないと紅は出ないとか芸はしないとか言われますが、十分に
 寒い土地なのにです。
 日光市の花市に出店する店は、福寿草も売るのですが、私以外にも聞く
 人がいるのですよ。秩父紅・紅撫子・秩父真紅を買って植えたはずなの
 に、当年も、次の年もさらに次の年も何の芸も無い黄花が咲くのはなぜ
 なのですかって。(買った年は既に花芽が付いているのを買うので、
 本来の色で咲くと思うんだけど、その記憶が無い。黄色で咲いてしまった
 という記憶しか無いのはなぜ・・・)

 正解は、株が充実するまでは、芸をしません。基本の黄花で咲きます
 ってことのようですが、期間が不確定です。実際に5年を越えるものも
 あるからです。

あと、花そのものだけで登録できてしまうシステムも問題でしょうね。
どういう条件で開花しましたというデータが付いていないのです。

おまけ:黒羽福寿草は1芽に1花しか咲きません。
   福寿海の1茎多数花の豪快さには絶対的に負けるのです。
   これが、黒羽福寿草が広がらない理由でしょう。

ついでのおまけ:スイセンでラッパが赤い品種がありますが、現日光市・
旧今市市の我が家では、ラッパは赤いと言うほどの赤にはなりません。
10年程前に買ってネジ込みましたが、そこは寒すぎるからとかの判定
でスルーされました。その品種、今は、市内の量販店で普通に売って
いるんですけど、買って植えてみましたが、やはり、昔と同じに赤くは
なりません。どうなのこれって?