コールドケースIII を見て思い出しました・・・
私、結構、火事を起こしそうになっていたなと
1:最初の記憶は、小学校3~4年あたりだったかと
昔なので、薪ストーブの燃え残りの炭火を入れたコタツでした。
で、そのコタツを、祖母と2方向から足を入れて
暖房として寝ていたのでした。
で、ある晩やっちゃいました、掛け布団を蹴り込んでしまって
掛け布団がいぶりだしたところで祖母が気付き、事なきを得ました。
~父と弟、母と妹は、ユタンポを使っていました。
~何年に1回のトラブル。あって当たり前のトラブルかもで?
コタツの使用は続きました。祖母が亡くなった後は、私一人で
使い続けました。中学で借家住まいの間の、私分は、
土日の夜しか、無くなったのですけど。
2:中学1年冬、中学校の近くの民家の二階に間借りして
三食自炊していました。
~中学2年が東京オリンピックです。
~その当時の中学校の給食は、牛乳ビン1本の配給で
最後まで牛乳だけでした。
朝、3食分のご飯を炊くのが最初の仕事です。
たまたま、目覚まし時計のネジ巻きを忘れたかなにかで、狂いが
生じ、朝6時のはずが、実際は4時頃だったようです。
火を付けた後、眠すぎて、寝落ちしてしまったようです。
気付いたら部屋は煙で真っ黒。ご飯も完全に真っ黒な炭になっていました。
あと少しで発火したかもです。
当時の鍋は鉄鍋しか無かったのが幸いでした。アルミ鍋ならとっくに
溶けて炭のご飯に火が付いていたはずです。
~家主一家は全員寝ていたようで気付かれずに済みました。
炭の固まりは、焦げた臭いすらしないので、誰も気付かないのでした。
3:3回目は自分には責任は無いです。
今から、45年くらいの昔になります。
お盆で田舎に帰って、元の自分の部屋があった小屋を覗いたら
プラスティックが焦げた臭いが。
原因を探したら、小屋の後付け配線=平行ビニールチューブ配線が
全体にわたって煙を出していました。でも、この配線に繋がっている
電気機器は無いのでした。(法令無視で)全配線を除去しました。
~その小屋は、第二次大戦後に樺太引き上げで最初に作られた家でした。
当時で、すでに築25年近く経過。
~最初の電気配線の被覆は、紙でした。
追加の配線は、初期のビニール?で問題があったようです。
~この件もあって、古い電気配線には地域の皆に注意をし続けています。
公民館の電気配線の内、電気コタツのケーブルが過熱しだしたため、
入れ替えました。
~従兄弟の嫁の従兄弟の家=店は、漏電らしき理由で発火し消失しました。
第二次大戦より前にあった家のコンセント辺りが火元のようです。
注意事項:家の電気配線は、とりあえず、触って温度が上がっていないか
確認ください。この際、金属部分は肌直接に触るのは避けるように。
ゴムなどの絶縁手袋をすればより結構です。
おまけ:中2の時、近くに住む同級生から蛍光灯卓上スタンドを貰いました。
同級生の兄のお下がりでした。
弟が使うのを止めたのは、電源を入れようとスイッチに触れる動作で
筐体に触れちゃうとビリビリと来ちゃうせいでした。
塗装し直しましたが、完璧ではなく、高1ではビリビリが再現。
基本的にはトランスの絶縁がまずいからのようです。
私、結構、火事を起こしそうになっていたなと
1:最初の記憶は、小学校3~4年あたりだったかと
昔なので、薪ストーブの燃え残りの炭火を入れたコタツでした。
で、そのコタツを、祖母と2方向から足を入れて
暖房として寝ていたのでした。
で、ある晩やっちゃいました、掛け布団を蹴り込んでしまって
掛け布団がいぶりだしたところで祖母が気付き、事なきを得ました。
~父と弟、母と妹は、ユタンポを使っていました。
~何年に1回のトラブル。あって当たり前のトラブルかもで?
コタツの使用は続きました。祖母が亡くなった後は、私一人で
使い続けました。中学で借家住まいの間の、私分は、
土日の夜しか、無くなったのですけど。
2:中学1年冬、中学校の近くの民家の二階に間借りして
三食自炊していました。
~中学2年が東京オリンピックです。
~その当時の中学校の給食は、牛乳ビン1本の配給で
最後まで牛乳だけでした。
朝、3食分のご飯を炊くのが最初の仕事です。
たまたま、目覚まし時計のネジ巻きを忘れたかなにかで、狂いが
生じ、朝6時のはずが、実際は4時頃だったようです。
火を付けた後、眠すぎて、寝落ちしてしまったようです。
気付いたら部屋は煙で真っ黒。ご飯も完全に真っ黒な炭になっていました。
あと少しで発火したかもです。
当時の鍋は鉄鍋しか無かったのが幸いでした。アルミ鍋ならとっくに
溶けて炭のご飯に火が付いていたはずです。
~家主一家は全員寝ていたようで気付かれずに済みました。
炭の固まりは、焦げた臭いすらしないので、誰も気付かないのでした。
3:3回目は自分には責任は無いです。
今から、45年くらいの昔になります。
お盆で田舎に帰って、元の自分の部屋があった小屋を覗いたら
プラスティックが焦げた臭いが。
原因を探したら、小屋の後付け配線=平行ビニールチューブ配線が
全体にわたって煙を出していました。でも、この配線に繋がっている
電気機器は無いのでした。(法令無視で)全配線を除去しました。
~その小屋は、第二次大戦後に樺太引き上げで最初に作られた家でした。
当時で、すでに築25年近く経過。
~最初の電気配線の被覆は、紙でした。
追加の配線は、初期のビニール?で問題があったようです。
~この件もあって、古い電気配線には地域の皆に注意をし続けています。
公民館の電気配線の内、電気コタツのケーブルが過熱しだしたため、
入れ替えました。
~従兄弟の嫁の従兄弟の家=店は、漏電らしき理由で発火し消失しました。
第二次大戦より前にあった家のコンセント辺りが火元のようです。
注意事項:家の電気配線は、とりあえず、触って温度が上がっていないか
確認ください。この際、金属部分は肌直接に触るのは避けるように。
ゴムなどの絶縁手袋をすればより結構です。
おまけ:中2の時、近くに住む同級生から蛍光灯卓上スタンドを貰いました。
同級生の兄のお下がりでした。
弟が使うのを止めたのは、電源を入れようとスイッチに触れる動作で
筐体に触れちゃうとビリビリと来ちゃうせいでした。
塗装し直しましたが、完璧ではなく、高1ではビリビリが再現。
基本的にはトランスの絶縁がまずいからのようです。