離縁パイプも、マイルドセブン・ワンにしてから、ついに31番パイプに届きました。
もう、空気ばっかり吸っているな~という感じです。
本数も徐々に減ってきています。単に口さみしいから、習慣で咥えているというとこでしょうか。
あとは、宣伝文句どおり、スパッとやめるだけですね。あとタバコ1箱あるので、それ吸って様子みます。
離縁パイプも、マイルドセブン・ワンにしてから、ついに31番パイプに届きました。
もう、空気ばっかり吸っているな~という感じです。
本数も徐々に減ってきています。単に口さみしいから、習慣で咥えているというとこでしょうか。
あとは、宣伝文句どおり、スパッとやめるだけですね。あとタバコ1箱あるので、それ吸って様子みます。
宇宙の起源としてビッグバン理論があります。でしろうと考えを少し。
ビッグバン理論で生まれてくる物質は、陽子、中性子、電子あたりであり、これから生じる原子は、水素原子とヘリウム原子のようです。通常の水素原子に中性子はなく、ヘリウムは中性子2個のが大部分を占めていますから、中性子はヘリウムを構成したということでしょうか・・・・・ビッグバン理論は、この辺りには答えていないような気がします。
さて、水素以外の元素がどうやってつくられたかという問題には、恒星による核融合で鉄までの元素が作成され、超新星爆発の時に鉄より重い元素が作られたというのがひとつの答えのようです。(ここで水素からヘリウムを作る過程で必要な中性子は、どっから調達したのかという答えはないようで。追記:恒星の核融合で、説明されているのを見ると、ある程度進むと中性子は不要のようですね http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E6%A0%B8%E8%9E%8D%E5%90%88 )
これによれば、太陽系は少なくとも原始太陽系ではなく2代目以上を経過したものと言えます。現太陽の8倍以上の質量がないと超新星爆発を起こさないそうなので、前代からは少なくとも7/8以上の質量を失ったことになります。残っている太陽系の質量を足しても、6/8以上は失ったということでしょう。失った分は、エネルギーに転化したということになります(どっかに計算した人いないかな?)。
さて、ビッグバン理論では宇宙の年齢は137億年といっています。恒星で、137億年を越える寿命が尽きたものは見つかっていないそうですから、理論の反証は、いまだ見つかっていません。でも、他銀河は、それに属する恒星自体は、あまり認識できていないので、将来しだいでしょう。
太陽系の太陽、惑星、小惑星、彗星他の成分は、元恒星からの位置に依存するよう?ですが、このあたりの理論は、あったような? 水素がほとんどなくなって超新星爆発をおこしたはずの恒星系にあらたな恒星を生む出すほどの水素は、どっから来たのという問いの答えは、まだないようです?現太陽でさえ、あと50億年?は、もつそうですから、すごい水素量・・・・核融合で、陽子1個(つまり後の水素)がはじき出されるのがあったかもだけど、これだけじゃ不足だろう?(核分裂には、あったな・・・)
さて、ビッグバンは、ブラックホールの爆発で起こり得るらしい。単純に1つのビックバンで宇宙が直線的に膨張しているのに、なんで銀河系の衝突がいくつも起きているのだろうかというのが疑問のひとつ。で、ビッグバンの中心がいまだ特定できていなさそうなのが疑問の2。現在、ほとんど?の銀河系の核にはブラックホールらしきものがあるとか。これから考えるに、昔今より大質量の銀河系があって、その中心にあったブラックホールが爆発したのが、今いうビックバンであると考えたほうが自然かも。で、飛び散る新しい銀河系集団が以前より残っている銀河系集団(多分今の銀河系とは異なる方向にぶっとんでいる)にぶつかっていると。(疑問2は答えられないんですが、このビッグバンは、137億年より前にいくつもあったとするのは無茶?)
で、銀河中心にあるブラックホールが爆発したとすれば、ブラックホールに吸収されていなかった恒星や惑星などが、爆発と膨張に巻き込まれてさらに爆発あるいは、分解しますね。超新星爆発ってことになれば、いっぱい元素作るし、水素もいっぱい残るわけだし、都合いいかも。
私の住んでいる家には、4つのスズメの巣があります。
なぜか、残してあるボロ家やボロ小屋のほうには住み着きません。ネズミだけでなくヘビや猫も自由に出入りするせいでしょうか?
さて、2階の屋根の雨どいの2つの巣は、手が届かないので、放水攻撃するんですが、まったく効果がありません。木の葉除けに雨どいにネットを被せてあるのが、どうもスズメには最適の居住性だったようです・・・・そのネットも、全体に被せておいたんですが、邪魔になる1本はスズメに除去されてしまいました。スズメも意外と利口です。元に戻したくてもハシゴが届きません・・・・
駐車場の屋根とその上に乗せた太陽光発電パネルとの隙間にも2箇所巣作りされているんですが、出入り口になりそうなところを塞ぐのですが、片っ端から抜き取られてしまいます。接着剤など使って固めるしかないのかな?
毎朝スズメの合唱で目が覚めてしまいます。朝寝坊が好きな私としては困ったものです。
毎年庭の木に住み着いていたウグイスも今年は来ていないようです。スズメに追い払われたんでしょうか?
ツバメの巣も2つあったのですが、スズメの攻撃で巣が壊されたり、ヒナも殺されたりで、ついに昨年からは、帰ってきていません。
ゲゲゲの女房を見ていて、ガリ板が出てきての感想。
時代なんですね~わら半紙は、消えちゃったんだな~と。昭和40年代は、まだガリ板が全盛で、インクの吸収を考えるとわら半紙しかありませんでした。白い紙(半紙と呼ばれていたかな)は、インクの吸収が悪く、摺った後重ねるとすぐ写ったり、こすれて汚くなってしまうので使い勝手が非常に悪かったのでした。また、値段はわら半紙の倍はしていましたね。40年代中頃には、ガリ切りを複写みたいにしてできる機械とガリ摺りを機械でもできるようになっていましたが、一般的ではないようでした。アルバイト仲間の通っていた学校にあったので、紛れ込んで借用したりしましたけど。
昭和40年代末期から50年前半は、会社のコピーと言えば、白写真でしたね~。アンモニアの臭いを思い出します。
大学の同輩は、水木先生見かけたよと言ってましたが、私はマンガと御名前は存じていましたが、興味なかったので、あっそうで終わりました・・・・
小脳失調症の弟がトラベルミンを処方されています。眩暈の症状を抑えるためなんだそうな。
なんと息の長い薬なんだな~と感心しまくり。
思い起こせば、私が小学校の修学旅行のバス旅行(今から50年以上前ですね)。車酔いしませんかの問いに、ありませんと答えたんですね~。実際最後にバスに乗った最後の記憶は、小学校入学前だったんですが・・・
複線はありました。小学校に入学したすぐ5月には、町へは徒歩しかなく道なりなら9Kmってとんでもないド田舎に引越しました(引っ越す前の所だって今では国立公園内の土地で十分ど田舎なんですけど:引越し先も国定j公園に十分近い・・・・)。そこは分校があって、4年生までは分校、5年生から本校に通うってシステムでした。朝6時起きで、山道を駆け下りて8時の始業時間に間に合わせるってものでした。当時同学年には360人以上いて、6クラス、分校は男4人、女4人で、女子は2人ずつ、男は1人ずつ振り分けられました。(冬は冬季分校として、5,6年生で1クラス、中1-3で1クラスが分校に置かれました)
さて、通い始めて2か月、5、6年生も分校に通うことになったのでした。私らはラッキーです。9Km(一番遠い子が10Kmでした)通うかわりに最短片道3Kmを通うだけで済むようになったのですから。2学年ずつの複式学級というものでした(それまでは、1~4年までを地元在住の先生が一人で見ていました:年にもよりますが20~30人を見ていたのですから、大変だったでしょうね~。先生はご存命なら、既に90代、お元気でしょうか・・・)。担任として来たのが大学出たての、遊びたい盛りで、例えば冬はスキー三昧で、授業はさっぱりやらないという子供にとっては有り難い先生でした(分校は山の裾、1Kmも離れれば、そこは天然の山岳スキー場:なんというとんでもないとこに住んでいたんでしょうか~:そうそう、私の両親は、引揚者で、開拓として入りましたが、私が中3の時に全戸離農して開拓は胡散霧消しました。国立公園の方は、家が建つこともない林と化しました。後者の国定公園に近いほうは、町が畑あるいは、牧草地を目指しているようですが、8年ほど前に訪れたときは、雑草さえまともに育たない赤土の土地が広がっているばかりでした)。
さて、修学旅行は元のクラスで実施されました。2か月の顔合わせでは、覚えきれてませんよねー60人なんて、せいぜい顔と名前が一致する程度だったかと(今とは大違いでしたね~やはり年のせい?)。仲間はずれもなく、いじめもありませんでしたけど、話ははずみません。ほぼ初対面みたいなもんですから、話題は、すぐ尽きちゃうわけです・・・
で、バスは大丈夫ですって言ったもんだから、私らのグループは、最後尾に並んで座ることになりました。話がはずまないからか、なんとゲロしちゃいました。で、薬のお世話になることに。名前が面白いから憶えてました。(薬は、もう少しあとなのかもですけど)
それ以後中3まで、バス旅行では、車酔いしますからと、私の属するグループは、バスの最前部を占めることになり、トラベルミンも毎回、予め飲むことになったのでした。おかげで、以後ゲロすることはなくなり、バス旅行を楽しめたのでした。ありがとうトラベルミン!