風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

大晦日イブ

2005年12月30日 | 雑感
残すところあと一日ですが、明日は大掃除です。
なにをどうすればいいんだと逆切れしそうになる心を抑え、大掃除をするわけです。
松飾なんかも買ってこようと思っています。

今日はするべきことはしました。
有言実行の道を少しは歩き始められたかもしれません。
お客さんに18年度の運命暦を貰いまして、それによると来年度はなかなかいい具合です。
いい気は禁物ですが。

明日の夜、身内の忘年会があり、その後、教会の年越しのミサに行くことになりました。
付き合いでミサに行くというのも変な話なんですが、まあ、ミサというものに興味があるのと、
AIKAさんのコンサート会場になるかもしれないので、顔繋ぎになればという目論見もあります。

朝は朝で今年最後の滝行があります。
これは体調を見ながら考えます。
滝に入らずとも、お参りだけはしようと思っていますが。

これから、東京から来た懐かしいお客さんとフグを食べに行きます。
明日も今年最後のブログを書ければ、と思っています。

で、年賀状はいつ書くんだ?>おれ




後二日

2005年12月29日 | 雑感
昨日病院で貰った薬を飲んで寝たらあら不思議、咳がぴたりと止まってぐっすり眠れました。
昨日、中途半端に悪口言ってごめんなさい。>お医者さん

さて、今日は挨拶回りで10軒の家を回りました。
途中何度か帰ろうかなと思いましたが、最後の10軒目まで回りきりました。
明日も何軒か回ります。

ただ回るわけではありません。
留守のお宅を除いて、一軒一軒上がりこんで、あーでもないこーでもないと話をするわけです。
お世辞を言わなければならないようなお宅には行かないのであれですが、なかなか濃いお話が多いので、気力体力を使います。
久しぶりに仕事をした感じです。

明日は支払日です。
ちょっとまとまった入金があったので、本当に久しぶりに余裕で支払いができます。
金銭的にこういう感じで年末を迎えるのは、独立以来初めてかもしれません。

金策に追われているのは年がら年中ですので、慣れっこになって、緊迫感はないです。
どうにかなるさと思いながら、辛うじてどうにかなってきました。
緊迫感を持って事に当たるということがどうも苦手みたいです。
これからも、ノーガード戦法で行くしかありません。
決して打たれ強くはないのですが、打たれていないフリは得意かもしれません(笑)

それにしても、後二日です。
なんかまだまだ年内にしなければならないことがたくさんあります。
しなければいけないことは、四の五の言う前に、ただすればいいだけです。
働く時には働く。
なんて渋いのでしょう。←バカ

さて、今日も薬を飲んで、ぐっすり寝ます。
来年のことは大晦日の晩にでも考えます。
何か実行したいことが浮かんだら、紙に書くなんてこともするかもしれません。
誰にも見せませんが(笑)

そういえば、手帳を買ったのでした。
来年はぼくの手帳は大活躍するのかもしれません。
ページをめくるごとに、「~するべし」「~を直せ」なんて言葉で埋め尽くされているかもしれません。

ちょっと、今想像したんですが、やっぱりそういうのは嫌です。

やっぱり、手帳の後半のフリースペースに、宮沢賢治張りの詩なんかを、くねくね書くというのがいいかもしれません。

ま、どうでもいい話なんですが。


病院

2005年12月28日 | 雑感
回りから顰蹙買いまくりだったので、医者に行きました。
空いているだろうと、場末の汚い病院へ行きました。
待ち時間0で、すぐ診察室に入りました。

先生「熱は?」
ぼく「ありませんが、咳が出ます」
先生「痰は?」
ぼく「あまり出ません」
先生「あ、そう。はい、口あけて」

口をあけますと、喉の奥にスプレーみたいなのを掛けられました。
それから、看護婦さんに促されて、別の席に坐ると呼吸器みたいなものを渡され、なんか冷たい感じの蒸気を吸いました。
はいもういいですと看護婦さんに言われ、席を立ち上がると、奥から先生が出てきました。
これから本格的な診察が始まるのかなと思ったら、黙ってぼくの顔を見ています。

ぼく「あの・・・」
先生「咳止めの薬を一週間分出しておきますから。強力なやつです」
ぼく「・・・」
先生「一週間経って治らなかったら、また来てください」

それで終わりでした。
その間、5分かかったかどうかです。
二種類の薬を貰って、すごすご帰りました。

ぼくが肺病や結核や香港A型インフルエンザや鳥インフルエンザでないと、どうしてあの医者は分かったのでしょうか。
聴診器を当ててもらおうと、上着を脱いで診察室に入ったのですが、その必要すらありませんでした。
顔を見ただけで、病気の中身が分かる超能力先生だったのでしょうか。

ぼくとしては、めったに来ない病院に意を決して来たわけです。
尋常じゃない咳の出方に、ことの重大さを感じていたのです。
「末期の結核です。なぜこんなになるまでほっといたんだ!」というような言葉を期待していたのです。
で、スプレーシュッと一吹きと、気休めみたいな呼吸器と、咳止めの薬です。
体温さえ計ってくれませんでした。

こんなものなのでしょうか。
これじゃあ、コスプレ付きの薬局じゃないですか。
やっぱりこれからも病院の悪口を言い続けようと思いも新たにしたことでした。

というわけで、病院からの帰り道、ついに手帳を買いました。
正月明けに四国に行く予定を早速書き付けました。
フェリーを予約し、その予約番号も書き記しました。
完璧です。

一応明日で仕事納めにしようかと思っています。
なんだかしなければならない事務処理がぐちゃぐちゃ溜まって、どうしようかと考えるのも嫌なんですが。




オーブ

2005年12月27日 | スピリチュアル
ある人から病院で貰うLPという風邪薬を譲り受けて飲んだら、たちまち咳が止まりました。
あはははは。
ただし、これは症状を抑えているのであって、風邪が治ったわけではないとのこと。
それでも、ぐっすり眠れるので、楽チンです。

さて、取り立てて話題もありません。
税理士さんから年末調整の書類を用意しろという指示がありました。
しなければならない書類整理や事務が山積し過ぎて、かえって手がつきません。
未開封の封筒の類を、半年分開封して、整理するところからはじめます。
こういう仕事はほんとに嫌いです。
じゃあ、どういう仕事なら好きなんだと聞かれると絶句あるのみなんですが。

来年は年初から忙しくなりそうです。
5日には四国に出張する予定です。
そろそろヨーロッパにも仕入れに行かなければとも思っています。
思ったら、すぐさま商品がショーケースに並んでいるという具合にはいかないものなのでしょうか、いきません。←反語

そうそう、今日は早く帰って手帳を買いませう。
家に帰って、早速予定を書き込みませう。
頭の中はぼくの都合どおりに物事が進む、バラ色の世界が展開することでせう。
束の間の至福を味わいませう。
貧乏を脱却したぼくを想像しませう。
笑いと賞賛に包まれたぼくを想像しませう。

ところで、あるところで撮ったぼくの写真に、奇妙な光が映っていました。
一枚はよく見るオーブが三体映っているのですが、もう一枚は強烈です。
形は、オバQを想像してみてください。
頭部が半円形で、胴体が長方形ですね。
その半円形の部分はオーブと同じく灰色の半透明です。
半円形と長方形の繋ぎ目が三色の虹みたいな光の帯で区切られています。
長方形の部分が、その全体が強烈な光です。
そのオバQ状の光体がぼくの左半身を覆っているわけです。

何かの警告なんでしょうか。
見た限りでは、あまり嫌な感じはしないんですがね。
う~ん。
ダラダラするな、この野郎!という感じで叱られたのか知らん。
う~ん。

なにはともあれ、年末です。←こればっかり
これから手帳をば、買いに行くわけです。
3日坊主はだめです。
毎日きちっと書き記します。

そういえば、有名な宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」は、手帳に書きなぐったものが死後に発見されたんでしたよね。
ぼくの手帳からも、なにか世紀の詩が書き残されているかもしれませんよ(笑)






年末

2005年12月26日 | 雑感
気がつくと、今年もあと一週間を切りました。
今年のまとめも反省もできないままに、ぐずぐず正月を迎えるいつものパターンは避けたいです。
そのためには、手帳を買おうかと思っています。
今までも何度か手帳というものを買ったことがあるのですが、最初の15日くらい使うと飽きてしまいました。
そこそこ記憶力があったものですから、手帳に頼らずともなんとかなってきました。

でも、このところ記憶力の低下が著しいです。
誰にいつ何を売ったのか、すぐに忘れてしまうようになりました。
こういう状態ですと、年度末の決算は丸々捏造しなければならない羽目になります。
その憂鬱とうざったさを避けるには、手帳に毎日の出来事を記していかなければならないと痛感するしだいです。←イマサラジロー

風邪が治りません。
一日中寝腐れば治るかと思っていたのですが、しぶといです。
明日はさすがに病院に行って来ようかと思っています。
抗生物質を下さい>お医者さん
とっとと直したいです。
悪口言ってゴメンナサイ>お医者さん
言うこと聞きますから。

ということで、グズグズの年末です。
挨拶回りもしなければいけません。
年賀状も書かなければなりません。
餅も買わなければなりません。

少し落ち着いたら、仙台の田舎にも帰ろうかと思っています。
ボケた親父のニコニコ笑顔を見に帰らなければなりません。

今年の冬は雪をたくさん見ることになりそうです。
子供のころ、口を大きく開けて、空から降ってくる雪を食べました。
長靴の中に雪が入って、靴下がびしょびしょになりました。
冷え切った手をあわててコタツに入れると、指先がぎゅーんと痛くなりました。
知らない間に練炭炬燵で寝てしまって、目覚めると頭がずきずきと痛み、吐き気がしました。
みかんを食べ過ぎて、指先の爪の色が黄色くなりました。

後数日の今年ですが、きちんと締めくくりたいと思ってはいるのですが。




ハンドパワー

2005年12月22日 | 雑感
昨日は山口県のある都市に講習会を聞きに行きました。
何の講習会かも確かめもせず行ったところ、以前聞いたことのある講師の公演でした。

要は、数十万のお金で講習を受け、ハンドパワーを使えるようになれということです。
手をかざすと、コーヒーの味が変わったり、お酒の味が変わったり、雲が消えたりすると、
たいていの人は自分がすごい力を授かったように思います。
でも、その程度のことは、その気になれば、誰でもできることです。

その気にならない人が多いなかで、その気にさせるという意味ではこういう講習を受けるのも意味があるのかもしれません。
でも、数十万円は高すぎるのではないかと思わないでもありません。

ぼくの古いお客さんに誘われていったのですが、そのお客さんはそのいわゆるハンドパワーを凄いものだと感動しており、
これはすごい人助けになると興奮しております。
その方のご主人はお医者様で、なんというか、今まで未知な分野であっただけに、講師=先生をすっかり信じきっています。
そのお客さんは、言っておきますが、きわめて理知的で聡明で親切な方です。
手かざしなどは、ぼくでも不断にしていることですから、珍しくもなんともないのですが、その方にとっては奇跡と映ります。
そういう力を得るということは、その方にとっては、数十万円でも安いのです。

もちろん、せっかくその気になっているその方にケチをつけるつもりはさらさらないので、そのまま黙って帰りましたが。

で、講習会が終わると、外は吹雪状態で、駐車場にも2~3センチの雪が積もっています。
こういうことのアナウンスは会場ではなにもありませんでした。
「人助け」を連呼する割には、事故に繋がりかねないこういうことには無頓着なのでしょう。

事実、帰り道は降りしきる雪の中、外気温はマイナス1度で、路面凍結まで後一歩でした。
途中でスリップして立ち往生している車もありました。

それよりも気になるのが、往復、そのお客さんを含め、おばさん4人がぼくの車に同乗していたのですが、
ぼくの風邪が移るに違いないと思いながらも、雪の中をのろのろ車を走らせる苦痛たるや。
どういうわけか、風邪を手かざしで直すという話は聞いたことがありません。

明日からちょっと出かけます。
風邪を治さないといけません。
ので、今日は早く帰ります。








体力

2005年12月20日 | 雑感
夜中に咳が出て止まらなくなり、目を覚ましてしまいました。
白湯を沸かして、薬を飲んだら治まりました。
こんなのはひさしぶりです。

ぼくは極力、薬を飲みません。
得体の知れない化学合成物を身体に入れたくないからです。
頭痛薬というのは飲んだことがありません。
漢方の胃薬はちょくちょく飲みますが。

人によっては、ちょっと具合が悪くなると、すぐ医者にいって薬を貰ってきます。
ある人は胃が弱りきっているのに、新聞で聞きかじったピロリ菌退治の薬を医者に頼みこんで貰い、さらに胃炎を悪化させました。
大真面目にそんなことをしているのだから驚きます。
その人もその人なんですが、胃の調子が悪いというだけで、5種類もの薬を与え、さらにピロリ菌の薬まで与えて、
ただででさえ弱りきった胃をぼろぼろにして恥じない医者というのはなんなんですかね。

最近では、医者によって言うことが違うというのは当たり前になってきました。
専門家が進み、体全体の健康の管理ということからはますます遠ざかり、薬物による対処療法の専門家みたいになっています。
自分の健康管理は自分でできるようになっていないと、病院でどんな薬を飲まされるか分かりません。

話は変わりますが、胃炎とか、炎症にはどうも手かざしがよく効くようです。
その胃がぼろぼろになった人も半信半疑だったのですが、毎週通ってくるようになりました。

さて、今夜は忘年会です。
酒席の日々は連続中です。
治る風邪も治る暇がありませんが、まぁ、これが年末ですから仕方がありません。

近いうちにタバコが値が上がることになりましたから、そのときにはタバコはやめます。
値上がりしたらタバコをやめると滝の導師も言ってましたし、ね。>導師(笑)
A氏はかなり以前にタバコはやめてますし、休肝日も週二日、きっちり守っています。
そろそろ、そういう風に自己管理をしないと、行き倒れジジイになってしまいそうな予感がします。

それに、我らが農漁村再生プロジェクトは、何をするにも体力が入用です。
雑草を刈るのも、土を耕すのも、果実をもぎ取るのも、やってみると恐ろしく体力を使います。
体力は使うのですが、ストレスがないし、空気は旨いしで、食欲が沸くんですが。
体力を使う以前の体力、農作業に取り掛かる以前に疲れてしまうような身体では、プロジェクトは頓挫します。
なんというか、そういう情けない体力状況に堕ちかけているのではないか、と自分で思うわけです。

来年は英彦山にも登ってみたいし、仕事も充実させたいし、とにもかくにも、
やりたいと思ったことはやれるだけの体力は維持したいものです。












風邪

2005年12月19日 | 雑感
昨日は雪も降らず、パーティーも無事終了しました。
1時間半の予定だったのですが、3時間を越えていました。
レストランの皆さん、ごめんなさいでした。
みんな自分勝手で、うるさいのもごめんなさいでした(笑)

パーティの余興のオークションに出品した品物が店内に乱雑に積まれています。
整理する気にもなりません。
風邪が抜けません。
グスグス。

明日もある会の忘年会です。
なんだかな~。
風邪のウイルスって、酒びたりにするとますます威力を増すのか知らん。

今日は早く帰ります。








パーティ

2005年12月17日 | 雑感
風邪の調子が不安なので、今朝は滝に行きませんでした。
鼻水がたれます。

明日は当店のお客さんを呼んでのクリスマスパーティです。
せこい企画で盛りだくさんです(笑)

ま、和やかに楽しんでもらえればいいなと思っております。
雪も降りそうですし。
どうせならうんと降って欲しいです。
多少の交通の不便は我慢してもらっても、思い出深いクリスマスになって欲しいです。

昨日までばたばたしていて、今日一日でパーティ(オークション)の準備をして、クリスマスカードも書いて、
レストランとも打ち合わせをして、風邪薬も飲んで、来年の仕事の打ち合わせもこなしました。
ものすごい怠け者ですが、集中力はあるんです。←自慢

明日が無事に終了すれば、イベントごとは一段落です。
今年の年末は忙しいです。
嫌な忙しさでないから、ありがたいです。

パーティの前、明日の昼にはネネさんとある教会に行きます。
知人の紹介なのですが、そこの神父さんと会うのが楽しみです。
知人からいろいろ聞いたところによりますと、かなり面白そうな神父さんです。
神父さんも人の子、いろいろ悩みがあるみたいです。

ちょっと、相談事があるという電話が入りましたので、今日はこの辺で。








2005年12月16日 | 雑感
昨日は前に勤めていた会社のクリスマスパーティーでした。
会社設立20周年ということで、贅沢なパーティーでした。
懐かしい人にも何人かと会いました。

この会社はアンティーク・ジュエリーの世界では、日本ではダントツで並ぶ会社ががありません。
世界でも3本の指には確実に入るでしょう。
そこまでなれる秘訣は、ぼくは社長のすぐ傍にいましたから知っています。
資金力とか、企画力とか、審美眼とか、無論どれもが必要な能力ですが、そんな月並みなものではありません。
「おのれを信じ、正直で、夢を真っ直ぐに見て、諦めない」
それだけです。
うそだと思われるでしょうが、それだけです。

魔法にかかったように周囲の人々が社長に力を貸し、天が助けるのを、間近で見ていました。
もちろん、現実は常に資金繰りに追われ、人事に悩み、来る日も来る日も難題続きです。
悩みがないわけがありません。
若くして社長の頭の毛は真っ白になりました。
それでも社長の夢は揺るぐことがありませんでした。

見る見るうちに会社の戦うフィールドは世界に広がって行きました。
社長の「美」に対する思い入れは、仏教世界と重ね合わせたもので、万人にその奥深さを伝えることができました。
人々は驚嘆し、共感し、自分もその情熱的な方向性に加わりたいと思うのでした。

ぼくが辞めた後は、社長の活動フィールドはぼくの視界を遥かに超え、さらに高み高みへと上っていっています。

すごいなあと心の底から感動します。

うらやましいかと聞かれれば、うらやましくないのです、これが。
これは社長だからできたことなのです。
天命の違いとしか言いようがありません。

まず、ぼくはおのれを信じるということが来ませんでした(今は若干そうでもありませんが)。
おのれを信じないものは、正直さが揺らぎます。
どうにでも言えてしまう自分が常にいるからです。
どうにでも言えてしまう自分が持つ夢などというのは、どうにでも変更可能な夢です。
本物の夢をもてなければ、初めから諦めているのと同じことです。

「おのれを信じ、正直で、夢を真っ直ぐに見て、諦めない」
という、社長の秘訣をぼくは誰よりもよく理解し、誰よりも実行できなかった人間だと思います。

社長はぼくよりもぼくのことを信じてくれようとしました。
それが苦しくて、ぼくは逃げるように会社を辞めました。

まぁ、でもぼくは今のぼくのあり方がぜんぜん嫌いではありません。
信じられる自分の姿がおぼろげにも見えてきましたし。

これから先も社長は人々を驚かし続けるに違いありません。
すでに誰もがまねできず、到達できないところまで来ているのですが、まだまだ先を見ています。
楽しみです。

ところで、なんか風邪気味です。
連日の飲みごとが祟っているのでしょう。
滝に入るようになってから一度も風邪を引いたことがないのですが、どうも危ないです。
週末には大きな寒波がやってくるそうです。
お気をつけ下さい。







AIKAさん

2005年12月13日 | スピリチュアル
毎日寒い寒いというのもなんですが、本格的に寒いです。
風邪を引いている人もたくさんいます。
ぼくは滝に入っているので、風邪は引きません。

昨夜はお客さん親子とイタリア料理店へ。
3000円でコース、ワインでもビールでもウイスキーでも何でも飲み放題付です。
よく行く店なので、グラスが空になると、なにも言わずお代わりを注いでくれます。
おかげで、何杯飲んだのか分からなくなりました。
それにしても、安くなりました。
前菜、サラダ、パスタ、ピッッア、メイン、デザート、コーヒーつきでこの値段です。
それでも50名くらい入る店内に、ぼくらを含めて3組のお客しか入りませんでした。
お店の人もこれ以上どうしろというんだという感じでしょう。

連日飲み事が続いているので、だるいことこの上ないです。
肝臓が疲れているのでしょう。
でも、今夜もネネさんととあるところで打ち合わせです。
ネネさんのなんというか、ソウルメイトというか、そういう人にAIKAさんという歌手の方がいます。
その人が近々この街を基点にコンサート・ツアーをすることになりました。
ホームページでその歌声を聴いてみたら、とんでもない透明度でした。
なんか、世俗の人間にはキレイすぎる歌声のような気さえします。

実はAIKAさんとは熊野でお会いしています。
言葉を交わすことはあまりなかったのですが、なんといいますか、あくまでも自然体なプラスエネルギーが溢れていました。
ネネさんとAIKAさんの仲良し具合は、二匹の子犬のようでした(笑)

今夜はそのコンサートをプロデュースすることになっているSさんとご一緒です。
そのSさんは、前にも書きましたが、「ありがとうおじさん」に長いこと師事していた方で、
最近この街に帰ってこられ、いろんなご縁がご縁を呼んで、今回のような段取りになりました。
Sさんは瞑想の会のようなこともやりたいのだそうです。
で、そういうのにはうってつけの、山の上にあり港の夜景が抜群な店を、ぼくが紹介するというわけです。
その店のママはKさんといいますが、これまた輪を掛けたスピリチュアルな女性です。
旦那さんは、無口で目のきれいな、服のデザイナーです。
両人とも、間違いなく変わっています。

この店のある山がまたいいです。
雑草でも何でも、よそよりも大分大きく育ちます。
よく分かりませんが、過剰なくらいにすくすく育ちます。
それで、変わった動物がよく迷い込んできては、この家に居つきます。
人懐こいニワトリだの、嫉妬深い犬だの、なんだの、なんか変ではあります。

雪が積もらないことと、検問がないことを祈るのみです。



2005年12月12日 | スピリチュアル
寒い日が続きます。

目の前の空き店舗、借りることになりました。
いよいよ骨董屋をするわけですが、骨董屋の知識はゼロに近いです。
知識があればいいってものではありませんが、知識のない骨董屋は信用されません。
大急ぎで知識を詰め込まなければなりません。

まず、伊万里やなんやらの焼き物というのがよく分かりません。
土がどうだとかこうだとか、藍色がどうだとかこうだとか、判別つきません。
ものの審美眼は、まず本物を見ることからはじめなければなりません。
二流、三流をいくら見ても、審美眼は身に付きません。
逆に、余計な色眼鏡でものを見るようになってしまいます。

あまり手を広げないで、自分がこれはいいと思うものからはじめたいと思います。
でも、なんか楽しいです。

以前、ボストン美術館かどこかで、宮本武蔵の書を見たことがあります。
ちょっとその場を動けないほど、びりびりとした緊張感と、力強さがありました。
あのレベルのものを扱おうとは思いませんが(間違いなく力負けします)、心地の良い波動を持ったものを扱って行きたいです。

ところで、今日銀行への支払いを、お金をかき集めてなんとか済ませました。
手元に残ったお金は1500円です(笑)
いつもこんなです。
それでも、なんとかなるという毎日が続きます。
ありがたいことです!!!!!!!←やけくそ

いや、ほんとにありがたいのですが。

「人に命を吹きこんだのは風だった。
 俺たちの口から出てくるのも風で、
 それは俺たちに命を与えてくれる。
 風が吹きやむと、俺たちは死ぬ。
 指先の皮膚のなかに風の小道が走っているのが見える。 
 それを見れば、俺たちの先祖が創造されたとき
 風が吹いていたことがわかる。」

           不詳(ナヴァホ族)1897年

風とは、「気」と言い換えてもいいでしょう。
雄大で、荒々しい大地に住むナヴァホの人たちには、「風」と言うほうがピッタリしたのだと思いますが。
気の流れが滞ると、人の心も弱り、身体も衰弱します。
天と人とは「気」で繋がっています。
さらに言うなら、天と万物は「気」で繋がっています。
「気」が物質化したのが、人であり、植物であり、鉱物であると言ってもいいかもしれません。
それぞれの存在は、それぞれの波動を持ちます。
同じルビーという宝石でも、二つとして同じ波動を持つものはありません。
ましてや、その波動の違いの複雑さ、奥深さは人間において顕著です。

あれこれ考えたり、悩んだりすると、「気」も乱れます。
ナヴァホの人みたいに、自分の生命と直結しているような、シンプルな「気」でありたいと思う今日この頃です。





空と銀河

2005年12月10日 | 雑感
今朝の滝も冷たかったです。
今までですと、そろそろ入る時間が短くなる頃なのですが、ツワモノが増えてみな長い時間入っています。
先行する女性たちが長く入っているもので、ぼくだけさっさと出るわけにもいきません。
でもまあ、ある程度長い間入っていないと、体から力が抜けて、冷たさを感じなくなるという所まではいけませんので、
冷たかろうがなんであろうが、これが今の時期の行です。

「ときどき俺は
 自分のあわれさを感じながら
 さまよっている
 たとえば
 風が俺を
 空を渡って運んでいるときなど」

        不詳(チッペワ族)

「あなたと私、
 空にむかって行きましょう。
 あなたと私、
 銀河に沿って歩みましょう。
 あなたと私、
 花の小道をたどりましょう。
 あなたと私、
 花を摘み摘み進みましょう。」

        不詳(ウィントゥ族)

ネイティヴ・アメリカンの古い詩です。
なんかいいですね。
愚痴っぽさが皆無なのがいいです。
スコーンと底が抜けているのがいいです。
都会であくせくしているとこういう心境にはなれません。
「銀河に沿って歩みましょう」なんてことは言えません。

「ときどき俺は
 自分のあわれさを感じながら
 さまよっている
 たとえば
 バーテンダーが俺を
 ドアを開けて外に出した時など」

        不詳(トウホグ族)

「あんたと私、
 奈落に向かって行きましょう。
 あんたと私、
 ネオンに沿って歩みましょう。
 あんたと私、
 酒の小道をたどりましょう。
 あんたと私、
 あぶく銭を追いかけます。」

        不詳(トウホグ族)

こういう悪ふざけの過ぎた詩になるのが関の山です。

ぼくとしては、チッペワ族の青年(多分)の詩が特にぐっと来ました。
男の青春ってこういうどうしようもなくセツナイ時期を経るものだと思うんです。
無限大の世界の中で「たったひとり」みたいな。
それに比べて、ウィントゥ族の詩は、若い女性の詩のような気がします。
男が「花を摘み摘み進みましょう」とは言わないと思うんです。
それでも、「空」とか「銀河」とかが出てくるところが、ネイティヴ・アメリカンの女性ですね。











ヴァイブレーション

2005年12月09日 | 雑感
お客さんから99%カカオのチョコレートを貰って食べました。
薬みたいで、あまり旨くありませんでした。
カカオそのものは本当に薬なのかもしれませんが。

今日は気がちょっと落ちています。
こういうときは人とあまり話をしたくないのですが、こういうときには、賑やかなお客さんが来ると相場が決まっています。
目まぐるしく変わる話題に、ぐずぐずついて行きます。

なんと呼ぶものだったか忘れましたが、生体のヴァイブレーションの周期を生年月日で割り出した図が昔はやりました。
そのヴァイブレーションが最低のレベルに下がっている感じです。
ヴァイブレーションというものは、下がれば上がるので、ぜんぜん気にしていませんが。

で、明日は滝です。
こう寒くなってくると、気合が入らないと、なかなか滝に入るのは厳しいものがあります。
なんせ空元気だの、空気合だのは通用しませんから。
前の人たちが入り終わるまでの数十分間、震えながら待っている間にみるみる気力が萎えていかないという保証は今のところありません。
まぁ、それでも行くんですが。

エイッ!

気合を入れてみましたが、空振りでした。

ぼくの店は一応商店街の中にあるのですが、隣に蕎麦を食べに行く以外は滅多に店から出ませんので、
巷がどんな感じなのかさっぱり分かりません。
ボーナスも出て、クリスマスらしさが溢れているのか、それとも不況の風が木枯らしと共に吹いているのか。
巷の風がぼくの店には吹いてきません。

新しく来はじめたお客さんがいるのですが、その人は宝石やらなんやらの気持ちが分かるそうです。
その人が言うには、ぼくの店の品物はすべからく居眠りしているのだそうです。
挨拶をしても、ぐうたら猫が尻尾をちょっと振って応えるように、生返事で応えるのだそうです。
いろいろ解釈できましょうが、ぼくの店の品物はみんなぼくの店が心地よいから居眠りしているのだと考えます。
それ以外の解釈がありえましょうか。
大いにありえますが、まぁ、とりあえずはどうでもいいです。

でも、そういえば、うちの商品は、買い主が決まると別人のように輝きます。
張り切って自己主張します。
誰も信じないんでしょうね、こんな話。

話も低調です・・・。

では、また明日!!!!!!!!!←空元気





古いもの

2005年12月08日 | 雑感
縫い物教室をしているおばさんから、針供養のための紅白饅頭のおすそ分けがありました。
饅頭はここ数年食べたことも、食べたいと思ったこともありません。
たまたま来ていたお客さんに勧めたら食べるというので、ぼくも食べました。
思いのほか旨かったです。

ちょっと可愛らしい観音像が手に入りました。
大きく見えますが、台座も含めて高さが7センチくらいしかありません。
これも白衣観音です。
このところ白衣観音様とご縁があります。
手当てをするときに頭に浮かぶ仏様が白衣観音様なのですが、続けて4体ぼくの手元に来ました。

「オン シベイテイ シベイテイ ハンダラ バシニ ソワカ」
白衣観音様のご真言です。

今日は数百万の商いがあったのですが、利益は数万円あるかないかです。
いつもこんなですから、いいんですが。
よくやっているなぁと自分でも思います。
今の時代、お金が回っていけば、それだけでもありがたいことです。

骨董屋をやるかもしれないと前にも書きましたが、すぐ目の前の店舗が空きました。
ここの店舗はある人が借りていて、いわゆる又貸しをしているのですが、どんな業者が入っても数ヶ月もしないうちに出て行きます。
もっとも2坪ほどしかない小さな小さな店舗なのですが。
で、昨日そのある人がやってきて、中間マージンを取らないから、借りないかというような話を持ってきました。
空き店舗のままにしていると、そのある人は家賃を無駄に払い続けなければならないからです。
ぼくはどっちでもいいですよと言ってやりました(笑)
多分、ぼくが借りることになるんだろうとは思いますが。

商売は儲けようと思ってすると、大変苦しいものになりますが、
なんというか、人々と係わるチャンネルだとすると、大変楽しいものになります。
いろいろな人がやってきて、いろいろな体験やら思いやらを語り、そのうち気に入ったものを買ってもらうだけです。
ま、口で言うほど楽なものではないですけど。

アンティークや骨董を扱うということで、古いものが好きなのかというと、そんなことはぜんぜんありません。
ただ、職人制度や、階級制度があったからこその技術力というのは、現代では再現不可能だということです。
お金と時間に制限なく、とにかくいい物を作れというおしゃれさを競う貴族たちの要望があり、
その要望に答えきる職人の感受性と技が、かつては日本にも西洋にもありました。
その感覚と技をお客さんに紹介するということで、ぼくの生業が成り立つわけです。
一つの古い作品の裏には、驚異的な技術を含め、その時々の歴史の流れ、精神性、人々の思いが込められているわけです。

今日は帝政ロシア(ロマノフ王朝)末期のエナメル彩を施したリングも売れました。
ロシアでこのレベルのリングを持てた人はほんの一握りでした。
そういう商品を扱うことができ、その卓越したセンスと技を紹介できるというのは、なかなか快感ではあります。

しかし、寒いです。
こうもきっぱり寒いと、気持ちがいいです。
1メートルくらい雪が積もったらいいなと思うんですが、賛同は得られないでしょう。
雪に閉ざされ、部屋でじっとうずくまるというような経験って、ぼくは好きなんですが。