風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

神話

2005年03月31日 | スピリチュアル
去年の暮れ、仕事でローマに行ってきました。
巨大石造物の上層に、生活に忙しい人々が雑多な町を作り上げ、覆うように被せたというような街です。

で、ローマから川一つ隔ててヴァチカン市国があるわけですが、そこにシスティーナ礼拝堂があります。
天井には有名な「最後の審判」が、ミケランジェロの手によって描かれています。
写真では分かりづらいでしょうが、とんでもないスケールです。
見ているだけでも疲れるのですが、あれを上を向いて描き続けたミケランジェロの「熱」に深く感動します。

で、写真で分かるかどうか、まさに審判を下そうとする中央のキリストの上部に、
どうやら天国に行く一群が描かれています。
左手の人々は十字架を担いでいます。
右手の人々はギリシア式の柱を抱えています。

僕が驚いたのは、ミケランジェロが、キリストの信仰者のみならず、
ギリシア(あるいはローマ)の神々を信仰するものもまた天国に行けるとしていることです。

ルネッサンスの当時、ローマ市民の信仰形態がどのようなものだったのかは知る由もありませんが、
システィーナ礼拝堂の天井画は、明らかにキリスト教徒向けに描かれたフレスコ画です。
そこにキリスト教徒から見れば、異端のギリシア(あるいはローマ)の神々への信仰を肯定的に描いているわけです。

古事記などに描かれる神話世界と、ギリシア神話に描かれた神々の世界とは、多くの共通項があります。
まだ、人間が地上で暮らす前、地・風・火・水などの万物生成のエネルギーやその構成要素を擬人化して描いたものが、
世界共通の神話世界といえるのではないかと思っています。
国々や風土による神話の登場人物やプロットの性質の違いは、その土地土地の神々(エネルギーおよび生成物質の構成要素)
の違いに由来するのではないかと思います。

例えば、日本は海に囲まれた海洋国であり、火山の国であり、湿潤温暖な風土を持ちます。
一方、ギリシアはからりとした地中海性気候であり、植生もオリーブやぶどう酒といったものが豊穣の象徴となります。
自ずから、そこに生まれでる神々の性格にも、その風土独自の性質の反映があるでしょう。

唯一神を説くキリスト教布教の中心地のヴァチカンに、そういうドグマ発生以前の神話の世界への信仰が、
肯定的に描かれていたことは、驚きでもあり、楽しいことでもありました。

神話は文献学的に分析しても実り多きものであるとは思えません。
その神話の世界に、心がなじめなければ、神話は何の意味もない荒唐無稽なお話でしょう。
その土地土地に大いなる自然が様々な気を発し、ものを生成させ、破壊し、再生する永遠のサイクル。
その中で人間は生きています。
その大いなるサイクルを何らかの形で伝承しようとすれば、分かりやすい擬人化を使った神話という形を
取らざるをえなかったと思います。

人間に「火」を与えたためにゼウスに罰せられ、永遠に鷲に肝臓を食い破られるプロメテウスの話を聞いて、
プロメテウスが実在したかどうかなんていうのは、質問にもなりません。
その話を聞いたときの自分の心の動きを注意深く受け止めてみるときに、
何かが分かるのかもしれないというのが神話なのではないでしょうか。


焼き鳥屋

2005年03月30日 | いい加減
一人暮らしだから、居酒屋はよく行きます。
どういうわけか、僕の住んでいる街には定食屋みたいなのが少ないのです。
あっても、おそろしく芸のない定食屋が、寂しい通りにぽつんぽつんとあるばかりです。
で、居酒屋です。

昨日も初めての焼き鳥屋に入りました。
カウンターに男女4人のグループが、若い亭主(20代後半)と話していました。
亭主は僕をちらりと見ましたが、いらっしゃいはありません。
そのまま奥のカウンターに座りました。
お絞りもメニューも出てきません。
困りました。

そのうち奥の厨房から暖簾を分けて、料理片手に若い女の人がでてきました。
すみませんと僕は声をかけました。
はぁ、と言ったきり、彼女は皿を4人組のほうに持って行きました。
それで、そのまままた厨房に引っ込んでしまいました。
困りました。

しばらくすると、若い亭主がお絞りを持って僕の目の前に来ました。
飲み物は?と聞くので瓶ビールと頼みました。
そのまま注文をしようとすると、注文は少し待ってくださいといいます。
僕はビールをついで、飲みました。
中瓶なので、2杯も飲むと瓶の半分が減っています。
今度は奥から、中年のくたびれた顔をした女性が出てきました。
僕の前に立って、初めて、いらっしゃいませという言葉を聴きました。
僕は、皮と軟骨とレバーとしし唐と、チーズオムレツを注文しました。

あっという間にビール一本が空いてしまいました。
通りかかった若い女性に追加を頼みました。
厨房の奥から、子供が騒ぐ声がします。
若い女はジュースを開けて、奥に引っ込みました。
僕の推察したところ、若い男女が夫婦で、年増の女性が男の母親、奥で騒いでいるのが夫婦の子供です。
二本目のビールがなくなるころ、レバーが第一弾として焼きあがってきました。
もう一本ビールを頼むしかありません。

僕の経験では、店で幼い子供を遊ばせているような飲食店は、間違いなく消えてなくなっています。
まぁ、二度と来ることもないからと、いらぬことを思わぬようにして、ビールを飲みます。
3本目も空くころに、皮と軟骨がやってきました。
焼き鳥でも、一番早く焼けるのが皮と軟骨なのですが、不思議です。
ビールをもう一本頼む気にもなれず、むしゃくしゃ食べて、店を出ました。

この店はつい最近までおでん屋でした。
そこには何度か行ったことがあります。
若い夫婦が、経営不振で営業を辞めた店をそのまま引きついたのでしょう。
家族一丸で焼き鳥屋をするのは別に悪いことではありません。
でも、彼らは「何」をしたいのでしょう。

焼き鳥自体は思いもかけず、大変にうまいものでした。
焼き方も文句のつけようがありません。
でも、いらっしゃいもなく、子供の世話をする片手間に料理を作り、
ビール二本目が空くころに最初のレバーを持ってくるような焼き鳥屋で、
いったい何を提供したいのでしょう。

よく分かりません。
べたべたしたサービスも苦手ですが、普通にサービスを提供してくれれば文句はないのですが。
コンビニ世代が考えるサービス業って、こんなものなんだろうなとは思いますが。

普通のレベルが下がっているのですね。
下げるのは簡単ですが、上げるのは、創意工夫と長い積み重ねがいります。
焼き鳥がおいしかっただけ、もったいないことだと思いました。

今日は早く帰ってサッカーを見ます。


天使たち

2005年03月29日 | スピリチュアル
友人の子供が小学生になった。
昔から正義感の強い子で、一歳違いの妹を虐めるどころか、ことあるごとに庇っていた。
いたずらをして、母親に叱られると、その妹は兄のせいにした。
兄は否定もせず、母親から黙って叱られていた。

その子は3~4歳のころ、天界にいたときのことをよく話したという。
母親の子になるために、地上に降りてきたのだと言う。

その子と話していると、いわゆる子供と話しているという気がしない。
何でも話すと、染み透るように伝わっていくのが分かる。
いらぬ自己主張もないし、いらぬ疑いもない。
媚びるわけでもないし、冷たく距離を置くわけでもない。
ただ、共に、人と一緒にいれる。

近頃、こういう子供が増えてきているのではないかと思っている。
天使たちが舞い降りてきている、と思うのだ。
近い将来の破壊のときに備えて、彼や彼女たちは舞い降りてきているのだ。

僕が子供の時と比べると、あまりも伸びやかで、すがすがしい。
毒々しいものに興味を示さず、物事に真っ直ぐな興味を向ける。
今は絵を描くこととプラモデルを作ることに夢中になっている。
興味の対象が、どこまでも真っ直ぐに伸びていって欲しい。

今の社会は、制度的、年代的に更生の過渡期で、粗野で荒々しくなる一方だ。
社会の中堅層は何を指針とし、何を守り、何を改革するかのヴィジョンをとっくに失っている。
ただいたずらに無為の日々を積み重ねていく。
誰が悪いというのではない。
歴史は摂理に従って動いていくのだ。

そんな世の中で、彼や彼女たちのナイーブさが保てるのかどうかは分からない。
彼らの多数が、ぼろぼろに擦り切れ、押し潰されていくのかもしれない。
それでも彼らは、自らの意志で、この世に舞い降りてきた。
透き通った、好奇心に溢れた輝く目を持って。







睡眠

2005年03月28日 | いい加減
馬鹿な話ですが、僕はずっと睡眠というのは無欲の表れだと思っていました。
ひたすら寝るのは、何もしたくない=何も欲しくない、だと思っていました。
だから、安心して眠りまくっていました。

最近になり、睡眠というものが人間の3大欲の一つであることを知りました。
要するに、惰眠を貪っていたわけです。
軽いショックでした。
あれが欲しい、これが欲しいと、欲は煩わしいとばかりに、眠りまくっていたのですが、
睡眠欲という欲にどっぷり浸かっていたわけです。
食欲や性欲に振り回されている人を見ては、みっともないなと余裕の笑みを浮かべていたわけですが、
何のことはない、誰よりも強烈に欲に飲み込まれていたわけです。

なんという無駄な欲の使い方。
どうせなら、あれが欲しい、これが欲しいと頑張ってきたほうが、どれほど
建設的な人生であったことか、と思わないでもありません。
いまさら遅いんですが。
長年寝たいだけ寝てきたせいで、身体が思ったようには目覚めません。
寝たいだけ寝てすっきりしないと一日中不機嫌です。
なんという不毛な人生なんでしょう。

いくら不毛でも、ぬくい布団に入って眠ってしまえば、人生夢心地ですから、
ある意味、無敵な習癖です。
起きているときは酒を飲んでうつらうつらして、眠くなったら寝る。
欲のホームランバッターです。
無敵です。

知り合いに、どうにもこうにもじっとしていられない人がいます。
テレビだって、じっとして見ているのが、苦痛そうです。
本を読むなど、滝行に匹敵する苦行でしょう。
現実に身体を動かして、空間と時間を消費していかないと、罪悪感が残るみたいに、動き回ります。
身体というリアリティと時空のリアリティをマッチングさせ続けます。
僕から見ると、うまくマッチングしているようには思えないのですが、余計なお世話でしょう。
いくらすることがないからといって、滅多に乗らない自転車の色をわざわざ塗り替える必要があるのか、
僕には分かりません。
彼なりの世界を彼は歩き続けるのです。

彼に12時間寝ろと言ったら、激しく怒るに違いありません。
彼にとっては、世界にはしなければならないことが山のようにあるのです。
もし僕の睡眠欲のエッセンスを粉末にして、彼に飲ませることができたら、彼は発狂します。
逆に、彼の行動意欲エッセンスを僕が飲んだら、僕もまた発狂します。

寝てばかりいる人生も無駄なら、無駄な行動ばかりなのもまた無駄でしょう。
無駄じゃないものばかりを追うのも、欲張りすぎて疲れそうです。
バランスよく生きるのは難しいですね。
なんだか阿呆な話です。



月夜に吼える

2005年03月26日 | 

帰り道、フロントガラスの向こうに大きな月が見えた。
太陽は前へ前へと背中を押すが、
月はいつも含み笑いをしている。

月はまるで猫だ。
無視すれば、見ろと主張するし、見れば見たで、黄色いあばた面をそむける。

あまり、そういう駆け引きは好きではない。
駆け引きが面白い時期は過ぎ去った。
駆け引きは、勝ち負け、敗れた者が傷つく。
傷つく姿を見て面白いわけがない。
他人を勝ち負けの駒にして面白がれるのは、そいつが何かの駒のうちだけ。

月夜に吠える狼は滅びようとしている。
狼は、月に向かって何を叫んでいたのか。
アラスカで、シベリアで、僅かに生き残った狼が今夜も吼える。
この世の嘘が我慢できないのだ。

嘘は狼の足下までひたひたと押し寄せる。
月を見上げ、腹の底から吠えてみる。

月は何も語らない。
すべてが凍りついていく。
凍るなら凍ってしまえ、と狼は思う。




山陰

2005年03月25日 | 
旦那は今夜も帰りが遅い。
お天とさんが晴れたり曇ったりしているからだ。
わたしの身体はぬめぬめしている。
あんまり寂しいものだから、鼻歌を歌いなが庭の枯葉を掻き集めた。

夢はめっきり見なくなり、それでも秋の夜長は湯冷めする。
旦那は湯豆腐よりも冷奴が好き。
どうにもならない東尋坊。
桜が舞ってた城崎温泉。

わたしは誰なの、お母さん。
これでもいいの、お父さん。
今日も夕焼け海に落ち、
銀色の夜がやってきた。

わたしは紅葉の柄の着物着て、
鏡の前で紅さします。
わたしはわたし、音も立てず、
今宵わたしは夢の中。



武士道

2005年03月24日 | スピリチュアル
なぜ武士道か。
実はここ数日、夜中に酒を飲みながら、なんとなく司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読み返していたからです(笑)

武士道の起源を特定することはなかなか難しいです。
儒教が元だとか、戦国時代に生まれた暗黙の武士団のルールだとか、江戸時代の朱子学が美化された武士道の元だとか。
日本独特の倫理観ではあるでしょう。

西洋の騎士道との違いもなかなか論ずるは難しいです。
忠義だとか、命を賭するだとか、卑怯を嫌うだとか、共通項はたくさんあります。
日露戦争辺りまでは、東西互いの兵士が互いの勇敢さに感心したみたいな話が残ってます。
なんにせよ、その勇敢さは、勇敢ではない僕から見れば尊敬のいたりであることは動かしがたいです。

日本の武士道は、聖徳太子の「和」と、儒教の「忠孝」と、禅の「命を捨ててこそ」が練りこんでいるような気がしてます。
なかなか今風の個人主義がしゃしゃり出てくる隙がありませんね。

個人主義なんていう主義主張で、個人の個性が伸びるなんていうのは完全な幻想だと思います。
個人主義的思想が抑圧された戦前にこそ、強烈な個性を持った人がごろごろいたのではないでしょうか。
なんというか、個性というのは天然自然に花が開くように発展するのではなく、
熱したり、冷やしたり、叩上げたりして仕上げていく、刀剣のようなものだと思います。
今みたいに、幼いうちから個性的に育てようなんてすると、育つものも育つ機会を失っていくような気がしてなりません。
個性的であるためには、ある程度、他人や社会から受ける抑圧と闘う強さが必要です。
さらには、その自分を抑圧する他人や社会の平安を願う、寛容さという強さも必要になります。

誰でも個性はあります。
ただ、その個性を生かすためには、その個性を人から認められるという過程がないと、宝の持ち腐れです。
自分の個性を生かしてくれるのは、それぞれ個性的である他人様だということですね。
他人などどうでもいいと言った瞬間に、その人の個性は生かされる場所を失います。

とかくこの世は住みにくい、人の世が住みにくければ鬼の世界にでも行くしかなかろう、鬼の世はもっと住みにくかろう。

こんなことを夏目漱石は言ってました。←うろ覚え

どうなんでしょう、女の人も男が余計なことは言わず、やることはやり、勇気がある男ってかっこいいとは思わないでしょうか。
理解があり、料理も掃除も手伝い、一緒にテレビを見て笑う旦那さんの方がいいのでしょうか。
そりゃあ、便利でいいでしょうが、なんというか、ときめきがなくはないですか?

というわけで、僕にときめきを感じなかった元妻は、僕にすっかり愛想を尽かしてしまいました。
そこで奮起して、刀を取って、京に上って、幕末の混乱をぼろぼろになりながら駆け抜けて・・・

書いてて虚しくなったので、今日はこの辺で。

放浪

2005年03月23日 | 旅行
最初に一人旅をしたのは、中学三年の夏休みでした。
三年生になり野球の部活も引退になり、思い切ってテントを担いで北海道一周の旅に出ました。
言いにくいところを頼んでみると、親父が一万円くれました。

国鉄の周遊券で回るわけですが、駅に着いたらまずテントを張れる場所を探します。
そんな場所が見つからないこともあります。
駅のベンチで寝たり、襟裳岬では屋根がついていると言うだけの理由で、岬の見晴台で寝ました。
夏とはいえ、寒さで一晩中寝れませんでした。
キャンプ場でお兄さんに食事を分けてもらったり、連絡船の中で、なけなしのお金で熱い石狩汁を
買って食べたりしました。
見るもの、感じるものすべてが楽しくてたまりません。

それからというもの、一人旅が癖になりました。
高校に入っても、夜行列車を乗り継いであちこち行きました。
入場券で駅の構内に入り、目当ての列車に乗り込みます。
何度か乗り換え、どこかの田舎の無人駅で降ります。
そうすると、改札もないので数十円(入場券分)で旅ができるわけです。
そういうのんびりとしたシステムがまだ残っていました。

何がそんなに楽しかったのか。
夜行列車の独特の匂い、未知の街の佇まい、車窓を流れる風景。
いろいろありますが、何よりも一人っきりになり、何かを感じ続けること。
それが、一番好きだったように思います。

何を感じていたのか。
親のこと、将来のこと、友達のこと、付き合っている女の子のこと。
頭の中を流れるとりとめもないイメージのどれもが、どこか哀しい影を引いていました。
そのころ感傷的な演歌やフォークソングが好きだったのはそんな性格だったからでしょう。
単純ですね。

それから、大学に入り、社会人になっても、旅行好きは止まらず、
山歩きは八ヶ岳から南北アルプス、旅行はアジアからヨーロッパまでと行動半径が広がっていきました。
未知の人々や風景に対する興味は尽きませんでした。

今でも興味はありますが、昔みたいな情熱はありません。
行けたら行ってもいいという感じになりました。
どこへ行っても、その風景に溶け込むことができなくなりました。
どこに比べてどうだとか、ああだとか、そんな分別臭い雑念がシンプルに感じることを妨げてしまいます。
宇宙空間に飛び出して地球を眺めたら、宇宙飛行士たちが感じたような強烈な感動を
今の僕でも感じるのかもしれませんが。

思えば、子供のころからあちこちをうろうろするのが好きでした。
学校の裏山に分け入って、どこまでも森が続くと思って不安になったころに、
森が突然途切れて見知らぬ集落が現れて驚いたり、
古い寺が立ち並んでいる山の裏手を、墓石の間を縫うようにして徘徊するのがやけに楽しかったり、
自分の周りの世界に対する好奇心がいつも駆り立てられました。

アラスカやシベリアなど、人のいないところをうろついてみたかったです。
人のいるところにいると却って人から気持ちが遠ざかり、人のいないところに行くと逆にあれやこれやの
人々の顔が浮かんできます。
たった一人で狼の遠吠えを聞きながら焚き火でもたいたら、気分はヘミングウェイです。←クサイですね

結局のところ、対人関係に安心感を抱くのが下手糞なのでしょう。
それよりも、めんどくさいほうが先にたつのかな?
どっちもどっちです。

先日、歌人の山頭火が気に入ったという温泉に偶然行き当たりました。
乞食坊主の癖に、悟りを求めるどころか、酒を飲んでは感傷にどっぷり浸った困ったオヤジでした。
その気持ちは痛いほど分かります(笑)
分かりますが、全然偉くない人でした(笑)

僕の場合も、このまま世俗の中をしっかりと渡っていけるかどうかの瀬戸際です。
瀬戸際から転がり落ちたら、乞食坊主にでもなろうと思うのですが、今の時代、乞食坊主って成り立つのでしょうか。
一夜の雨をしのぐ寺先の軒下もありそうもありませんしね。
今のお寺やなんかは、ほら、普通の家族が住んでますから、警察に通報されちゃいます。
山だって何だって誰かの所有物になっているんだろうし、勝手気ままにうろついたらいろいろ問題がありそうですし。
放浪する場所もないっていうのは、かなりきつい状況です。
真っ直ぐまともにしっかりと歩いていける人ばかりじゃありません。
ふらふらと横道に逸れるのも、また、なんというか、人生の妙味だと僕なんかは思うのですが。




お金

2005年03月22日 | 世相
先週の木曜日からバーチャル株式投資をしています。
1000万円の資金を投資して、資産の増減をバーチャルで楽しむインターネット上のゲームです。
株価は実際の株価とリアルに連動しています。
まだ実質3日間の取引ですが、現在の資産総額は10,078,265円です。
つまり、78,265円儲けています。
1万6千人ほどの参加者の中で、8千番位のランクに入りました。
わずか数万円の資産の増加で上位50%の中に入ってしまうのですから、殆どの人が損しているのでしょう。

世界的に資金の流れが滞っているようです。
健全な生産活動に健全な資金が流れていません。
もちろん市井の人々の話ではありません。
資本主義が1980年代ころからアメリカを尖兵として新たな段階に入ったようです。
金が金を生む仕組みがインターネットをツールとして容易になってきました。
ライブドアがその典型ですね。

嫌な世の中ですが、この流れは何らかの大きな破綻があるまでは続くでしょう。
世の中に不公平感が広がっていくでしょう。
お金のあるなしだけの話ではなく、教育的不均衡、地域的不均衡、機会的不均衡が拡大していきそうです。

お金というものに対しては常に距離感を感じていました。
どううまく受け入れていいものか、分かった試しがありません。
必要だから、稼ぐ。
こういうお金に対してポジティヴでない人間はお金持ちにはなれません。

じゃあ、お金持ちになりたいのか。
なかなか難しい問題です。
お金で苦労はしたくはないが、お金で振り回されるのはもっと嫌だ。
そんなところです。
頭が悪く、スケールが小さいですね。
先回りして、とっととお金を作ってしまえば、こんな愚痴をたらたら言う必要はないわけです。

お金の難しさは、立派に生きればお金がついてくるわけでもなく、
追いかければ追いつくわけでもなく、逃げたら悲惨になるだけです。
どうしろというのか?
ここで僕はお手上げです。

で、成功した人の話に耳を傾けるわけです。
斉藤一人さんは「仕事は成功するための舞台」と言ってます。
納税額日本一の人なんですが、そういう人もお金を追っているのではなく、「仕事」を追っているのですね。
八木宏之さんという人は「円はすなわち縁。お金は縁をつなぐ道具だ」と言ってます。
結局は、自分とかかわる人間関係を豊かにした人に、お金がついて来るということなんだろうと思います。

お金だけに目を向けている人は、もっとも肝要な人間関係をすっ飛ばして、果実だけに目を向けているのですね。
水をやって、肥料を根元にあげて、枯れた葉を刈ってやってという面倒くさいことだけれども欠かせない作業を
すっ飛ばしてしまっているわけです。
作物を好んで育てている人になぜと聞ききますと、「楽しいから」と言いますね。
その一見めんどくさい作業の一つ一つが、「そのまま成長に現れるから、楽しい」と言います。

難しい教訓では決してないのですが、なんだか実行が難しい教訓になってしまってます。
それほど、現代人の意識は手間を省くことに集中しています。
とくに人間関係の煩わしさから目を背けがちです。

考えてみると、仕事にせよ、人間関係にせよ細々とした手間そのものが人生の一瞬一瞬なわけですね。
一つ一つの些細な手間をかけなければ、人間は何をし、何を考えるというのか。
ブロイラーのごとく、温度調節されたゲージに押し込められて、何もせずとも、餌を貰って死にたいと言うのか。
お金だけに執着すると言うのは、そんなブロイラー化の道を自ら歩き始めていると言ったら、言い過ぎですか?
言いすぎですね(笑)

最後に、斉藤一人さんの詩です。

 花があり
 水があり
 歌がある
 私はまた
 天国に生まれた

枯葉

2005年03月21日 | 雑感
今日は久しぶりに気持ちのいい天気でした。
冬はきっぱり去りました。
田舎道を車の窓を全開にして走っていました。
空には雲ひとつなく、鳥の声も耳に心地よいです。

で、ところどころの杉林が赤茶色に枯れていました。
枯れているところは集団でごっそり枯れているので、何かの病気なのでしょうか。
森に入って下生えを刈ったり、無駄な枝を払ったりする人がいなくなったとは聞いてます。
森が衰弱しているのを見て悲しむのはいいのですが、田舎に住む老人の方々に何でもかんでも
押し付けても、今の状態は改善されないでしょう。
国に押し付けたって、利権のないところで政治家は動きませんし。
地元の小学生や高校生に森に入らせて、手入れをさせたいと都会に住む僕は思いました。
こういう無責任な評論家的態度が一番いやらしいですね(笑)

知人の一人が地球再生運動というのをしています(内容はぜんぜん知りませんが)。
自分の住む一区画を住民こぞって緑化なり、歩道や窓辺を花で飾るなり、自然溢れる水路を作るなり、
何らかの運動を自発的にするようになるのが理想なのでしょう。
その場合、自治体の地域作りの古臭い概念と戦わなければならないでしょうが、
まぁ、それは何とかなるでしょう。
要は、自分の住む地域を自分たちが大切にしようと立ち上がらなければ、誰も大切にはしてくれませんよね。
当たり前の話ですが。

前に一戸建てに住んでいた時に、隣の家の人から苦情を言われたことがあります。
うちの庭には大きな欅の木があったのですが、その枯葉が塀越しに庭に落ちてくるから
どうにかしてくれという苦情でした。
秋に枯葉が舞うのは当然です。
庭に枯葉が散り重なるのは風情というもので、苦情の対象になるものとは信じられない思いでした。
風情がいらないのなら庭付きの一戸建てに済むなと言いたいですよね?
うーん、そうでもないのかなぁ。
人の嗜好に文句をつけると、後が怖いからなぁ。

でも言いたいですね。
枯葉が舞い落ちるくらいで文句を言っていては、絶対に自然と共生はできません。
自然と共に住むというのは、夏は虫や暑さを我慢し、冬は寒さとイチゴが食べられないのを我慢することです。
その代わりに、夏はスイカがあり、冬には鍋があるのです。
無茶苦茶な理屈ですが、まぁ、そういうことです。
夏にはビール、冬には熱燗と言ってもいいかもしれません。

わざわざ好んでサウナに行く人が多いのに、夏が暑いと文句を言う人が多いのは筋違いです。
だらだら汗をかくのを楽しんだらいいのです。身体に優しい無料のサウナです。
コタツにもぐりこんでだらだらテレビを見ている醍醐味は冬であればこそです。

とにかく、枯葉に文句を言う人は、イブ・モンタンの「枯葉」かギルバート・オサリバンの
「落ち葉のコンチェルト」を100回聞いてから文句を言って欲しい。
デュークエイセスの「小さい秋見つけた」やトアエモアの「今はもう秋」では駄目かと
聞かれれば、少し個人的情緒が強すぎるので駄目ですと答えざるを得ません。

今日は親父臭く締めました。
出てくる固有名詞が月並みです。
この臭みが嫌だという人は勘弁してください。

修行

2005年03月19日 | スピリチュアル
一昔前、ニューエイジ関係の本を読み漁りました。
エドガー・ケイシーとか、バシャールとか、シルバー・バーチとかetc.
最近では「神との対話」シリーズも読みました。

そのままの自分でいい、すべては完全だ、大いなる意図に身を委ねろ。
その通りなのだと思います。その通りだと思った瞬間は救われますね、確かに。
その通りなのですが、いつの間にかその通りに生きる勇気を失っています。
ついつい、小賢しい計算と意図を持って世の中をうろついてしまいます。
一言で言うと業が深いのですね。

業とまともに戦っても勝てません。
僕の場合、早起きをしようと意識でいくら誓ったところで、早起きできたためしがありません。
酒を飲むまいと決めたところで、翌日には浴びるほど飲んでいます。
業に飲み込まれて、惨めな一生を送るしかないのか?
と、ずるずる自虐の罠にはまります。

業を退治しようとすればするほど、業の罠にはまります。
どうすればいいのか。
僕の場合、意志は全く当てになりません。
自分で自分の意志を騙すのは朝飯前です。

今のところ唯一有効だったのは「修行」でした。
自分を騙す隙間がありません。
ひたすら心身を「修行」に投げ入れます。
また、古来からの「修行」は心身を任せきらないと、苦痛が大きすぎて続けられないシステムになっています。

苦痛とは自分の思い通りにならないときに感じる痛み。
物事が自分の思い通りになるわけもないし、天から見れば一個人の思い通りになろうがなるまいが
知ったことではないのでしょう。
逆に、一人一人の勝手な思いの通りに世の中がなっていたら、阿修羅の世界になってしまうことでしょう。
人より金持ちになりたい、もてたい、うまいものを食いたい、楽したい、あいつは気に食わない、
人のことなどどうでもいい。
自分の思いというものが常に高尚なわけではありませんからね。

自分の思いの勝手気ままさは嫌というほど「修行」を通じて知りました。
それでも、自分の思いは相変わらず勝手気ままなままですが。

自分の思い通りにしようとしないこと。
じゃあ、自分の意志というものを何に向ければいいのか?
他人の喜びに、安心に役に立とうと思うことと古くからの教えでは言います。
ここの転換が難しいですね。
転換に成功しないと、また自分の我欲に呑み込まれてしまうわけで、本当に難しいポイントです。
ここから先は思弁で到達できる境地ではなさそうです。
そう生きるかどうかの覚悟と勇気の問題のような気がしてます。

自分であきれるほど、意気地がないものです。

木になる

2005年03月18日 | スピリチュアル
20年くらい前の話になります。
大学を卒業して、やりたいことも見つからず、肉体労働一か月分の金で、アメリカ一週の旅にでました。
グレイハウンドバスで西海岸をカナダまで北上し、中西部を南下し、東海岸をまた北上し、
最後にニューヨークからロスアンゼルスま大陸横断しました。

南部のサバンナという小さな町に立ち寄ったときのことです。
川べりの遊歩道のベンチで、きらきら光る川面をぼんやりと眺めていました。
すると、隣に南米系の褐色の肌をした女の子が座り、話しかけてきました。
何を話したのかほとんど覚えていませんが、生まれ変わるとしたら何になりたいかという話になりました。
「木になりたい」と答えたら、彼女はけらけら笑いました。

そのころの僕は本当にそう思っていました。
欲と感情と計算を人間の意志というなら、意志なんかいらない。
他人の目を気にして、他人を利用して、うまく立ち回るのが人間生活なら、そんな生活はいらない。
そういうどろどろした欲得づくの自分というものからの逃れるすべがないのなら、自分もいらない。

健全な我欲というものはありえません。
我欲はむき出しに欲しがるだけです。
そして人間の自我はその我欲に振り回されます。
悲しいほどに振り回され、疲れ果て、死んで行きます。
そういうサイクルから抜け出す方法を僕は知りませんでした。

その後、彼女から近所にオフィスがあるから来ないかと(何のオフィスだ?)誘われましたが、
バスの時間があるからと断りました。

それから20年、我欲(特に睡眠欲と酒)に振りまわされ続けて来ました。
多くの人に応援され、励まされてきたのですが、感謝の念は薄いでしょう。
いやな奴です。

座禅にも行きました。
滝にも打たれました。
閉ざされたトンネルの向こうに光が見えてきたようには思います。
それが本物の光なのか、幻想なのか、それは僕しだいです。
信じるということが、自分さえ信じることができないということがどれほど傲慢で罪深いことか。

こんな自分のままで仮に木になることができたとしたら、おそらく不平不満で発狂するのが落ちです。
馬鹿ですね。阿呆です。

さて、トンネルの先にあるかのように思えた光に向かって本気で歩き出すかどうかです。
答えは自分自身の中にあります。

空の色

2005年03月17日 | スピリチュアル
中学、高校のときに学校をサボっては自転車で海を見に行っていました。
町を抜け、田んぼを抜けると松の防砂林が見えてきて、江戸時代に掘られた
運河を渡す橋を過ぎると、太平洋が広がっていました。

夏の終わりから秋にかけての夕ぐれの海は言葉になりません。
空の色がピンクから紫に、そしてグレーから紺色へと刻々と変わっていきます。
その風景が消えてなくなるのが惜しくてたまらなくなり、記憶にとどめようとするのですが
うまくいきません。
これほどの光景が記憶の中で再現できないというのはもどかしくて溜まりません。

画家や作家というのはこういう感動を記憶に刻印できる能力があるのでしょう。
日も暮れて、家に帰り着くころには綺麗だったという感動の余韻はあるのですが、
風景の細部はことごとく思い出せなくなってしまってます。
分かりやすい性格設定をされたアニメやTVドラマに慣れた感性では自然のダイナミズムを
そのまま受け止めるだけの素直さがなくなってしまっているのでしょう。
悪玉善玉に色分けされない空の色彩の乱舞。

そういえば、性格的に、細部にこだわって観察するということが苦手です。
誰が何を着ていただとか、どんな言葉を言っただとか、片っ端から忘れます。
印象だけを残します。
それで今まで不便はありませんでしたが、探偵小説も書けませんし、風景画も描けません。
日記も書くことがなくなります。
今日だれだれと会った。乱暴な人だった。もうそれ以上書くことがないからです。

はかない印象だけを心に、ふらふらと歩いていくより仕方ありません。
ま、それでも楽しいといえば楽しいんですけどね。
何も残っていかない不安があるのかもしれません。
意味のない不安ですね。
意味のある不安ってあるのかと聞かれたら、返答に詰まります。
意味の不在を不安というのか。
無意味への恐怖を不安というのか。

で、空を見る。
どこにも不安がありようがなく、雲が流れていきます。




季節の変わり目

2005年03月16日 | スピリチュアル
どうやら冬も去り、春の気配が大気に充ちてきました。
年とともに季節の巡るのが早いこと、早いこと。
気持ちばかりが無駄にあわただしいくせに、何をしていたのか、何をしようとしていたのか
何も心に残らぬままに日々を送っています。

どうにかしなければいけないというのも、一つの幻想に過ぎないのかもしれません。
このままで十分幸せだということももちろんできます。
欲が深いのでしょう。
もっと心の底から感動したいという欲求が消えません。
また、その欲求がなければ生きていく張りも失われそうな気がします。

いつの時代もすべてが安定してお気楽に生きれる時代なんてありませんでしたし、
これからもないでしょう。
いろいろな壁を乗り越えながら成長を図るように人生は設計されているようです。
こちらの意図どおりに壁が表れるわけではありません。
思いもかけないときに、思いもかけない形で壁が立ちふさがります。
逃げても壁が消えるわけでもありません。
真正面から壁を乗り越えたときに予期せぬような光景が広がっています。
それでもまたいつしか新たな壁の前で立ちすくむのですが。

正直、この数年間、やる気を失いっぱなしでした。
もともと極度の怠け者でしたが、開き直ってしまっていました。
何とか生活は続けられたのですが、ただそれだけでした。
尻尾を丸めて、穴倉に入っていました。

そろそろ外に出ます。
そう思って、このブログを立ち上げてみました。
いろいろじたばたと試行錯誤してみるつもりです。