風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

舞台

2005年12月07日 | スピリチュアル
毎日のように湯豆腐を食べています。
湯豆腐があれば、なんか満足してしまいます。
肉は本当に食べたくなくなりました。

湯豆腐はポン酢なんかで食べてはいけません。
豆腐の味がなくなります。
だし汁と、刻んだネギと、たっぷりのショウガで食べます。

だからなんなんだと聞くのはご法度です。

ところで、「ありがとうおじさん」という知る人ぞ知るおじさんが、滋賀県か岐阜県にいます。
そのおじさんの下で18年間師事していたというSさんに、今日ネネさんと一緒に会いました。
たまたまインドの半年間飲まず食わずで瞑想を続ける少年の話をしたら、Sさんの知人も半年間なにも食べていない人がいるのだそうです。
水は飲んでいるとのこと。
一時体重が減ったそうですが、また元に戻ったそうです。

それから、これはネネさんの話なのですが、チャクラが全部開くと、足が宙に浮いている感じになるそうです。
足は地面についているのですが、空中に浮いている感じがするそうです。

要は、物理現象からの離脱と言うか、超越と言うか、そんなことが実際に起こる人には起こるということです。
まぁ、誰も信じないでしょうし、信じる必要もないんですが。
半年間断食する必要は普通はありません。
必要を感じた人が半年でも一年でも断食を続けるのでしょう。
日常生活を日常的に送りたい人が、チャクラを開くなんてことをする必要もありません。

それでは、どんな人がそういう超体験をする必要があるのかと言えば、分かりません(笑)
必要でそういう体験をするのだとも思えませんし。
そうなるべきようにそうなっているとしか、ぼくには思えません。

高千穂から帰ってきてから見たヴィジョンで、大きなエネルギーと繋がるという意味がぼんやりと分かりかけてきたような気がします。
天界が「慈しみ」のエネルギーで満ちているのなら、地上の人間は何の恐れも不安もなく己の果たすべきことを果たせばいいだけです。

こういうことを言い出すと、どうも言い方が大袈裟になってしまうのが困り者です。
天界という言い方も違っているかもしれません。
なんにせよ、多くの方の導きや、後押しで、ぼくも前に進んで行けそうではあります。

こういう話で気をつけなければいけないのは、存在価値の優劣という意味で、特別な人というのはいないということです。
すべての人、一人一人が例外なくそれぞれの特別意味を持つということは、絶対に忘れてはいけません。
ただ、特別な役割をになった人というのは、いるのでしょう。
すべての役柄がそれぞれ欠くべからざる大切な役割をになってるのですが、やはりそのなかでも特別な役割を担う人もいるのでしょう。
でも、一番大切なのは、一人一人が自分の役割を演じきることには違いがありません。
それでこそ、舞台が豊かに奥深いものになるからです。
脚本家、演出家、主役、脇役、エキストラ、照明さん、大道具さんなど、誰一人欠けてもいけません。
逆に言うと、演出家や主役といった人に頼りすぎた舞台は、嫌味になります。
そういうことだと思うのです。

だれかが大きなエネルギーと繋がっているのではありません。
すべての人が、あなたもぼくも、大きなエネルギーと繋がっています。
それに気づくか気づかないかの差があるだけです。

それに気づく人が多ければ多くなった時に、舞台は俄然活気づき、一人一人が輝く奥深い演技が繰り広げられるのでしょう。