風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

火傷

2008年08月19日 | 雑感
今朝方未明の雷は凄かったです。
戦艦大和の46cm砲が炸裂したかのような音で、一発で目が覚めました。
近づいては遠ざかり、遠ざかっては近づいてきました。
半分夢うつつの中で、大気に電気エネルギーがピリピリと満ちていくのが分かります。
そろそろだなと思うと、ドゴォ~ンと爆発します。

雨脚も強くなり、親戚から預かっているリスをベランダに置いているのを思い出し、慌てて取り込みます。
目が覚めてしまって、焼酎の水割りを作って、土砂降りの雨に煙る黒い街を眺めます。
そのうち娘までふらふらと起き出してきて、ひとしきり遊ぶ羽目になります。
リスは小屋にこもって出てきません。
ぐっすり寝ているのでしょう。
娘はすっかり目がさえて、次々と遊びの要求値が高くなります。
高い高いを何度もさせられ、肩と腕が悲鳴を上げます。

水割りを3杯空ける頃、ようやく雷は遠ざかりました。
残るは娘です。
汗をびっしょりかいて、ニコニコ笑っています。
全部の部屋の電気を消して、抵抗する娘を寝ている嫁さんの腕の中に押し込みます。
しばらくグズグズ言っていましたが、程なくして大人しくなりました。

やっと寝静まった娘の左足先には包帯が巻かれていました。
その日の朝、ぼくが味噌汁を温めて食べようとしたらいつものように娘が膝の上に乗ってきました。
注意する間もなく、娘は味噌汁に手を出してひっくり返し、こぼれた熱い味噌汁を左足にたっぷりとかけてしまったのです。
ぎゃーと泣く娘と、キャーと悲鳴を上げる嫁さん。
すぐに冷水をかけてやらなきゃと思っていると、横で嫁さんががみがみとぼくを罵ります。
オマケに煙草を吸うなだとか、ご飯をやるなだとか、余計なことまでクドクド言い始めます。

ぼくのようにぎりぎりの商売をしていますと、起きてしまったことやしてしまった不始末にあれこれ拘るということがありません。
誰かを責めたり、自分を責めたりというのは、ひたすら時間と精神力の無駄です。
起きてしまったことに対して、どう対処すればいいかということだけを考えます。
ですから、そういう嫁さんの態度に対しては腹ただしさを覚え、口論となりました。
娘は氷を当てたら泣き止み、患部を見ても少し赤くなっているくらいで、水ぶくれなどはできていませんでした。

ぼくが仕事に家を出た後、嫁さんの実家でアロエの果肉を患部に巻いてもらっており、帰宅した時はすやすやと寝ていました。

この火傷というのは、本来はぼくが蒙っていたのではないだろうかという気が何故かしました。
店に出てからも、胸騒ぎが消えませんでした。
それで雷に起こされ、起きだしてきた娘の飛び切りの笑顔に大いに救われました。

なんだか情けない父親です。



夕立

2008年08月12日 | 雑感
今しがたスコールみたいな夕立が降りました。
雨音があまりにも凄いので、わざわざ表に出て雨の降り方を見てきました。
裸になってシャンプーで頭を洗えそうな雨です。

これからは毎日のように夕立があり、お盆を過ぎた辺りから朝夕には時折涼しい風が吹くようになり、
空が高くなって、秋の気配がそろそろと忍び寄ってくるのでしょう。

冷房をつけないで寝るようになってから、大分暑さに強くなったように思います。
季節の移り変わりも肌で感じます。
冷暖房の効いた部屋の中にいては俳句は書けないだろうなとふと思いました。
ほんのささやかな大気に漂う季節の匂いみたいなのに敏感でいないと、天然の味わいを持つ俳句を書くのは難しいだろうと。

四国の方では水不足だという新聞記事を読みました。
四国でも雨が降ったのでしょうか。

明日からお盆ですね。
親戚一堂集まって、ご先祖様の思い出話などできればいいですね。
ぼくはちょっと今年は帰れそうもありません。
気持ちだけでも故郷に馳せる時間を取ろうかと思っています。

お役目

2008年08月11日 | 雑感
人は死を恐れる必要はありません。
ちゃんと次の世代が続々と産まれてきます。
それよりも、自分の人生をちゃんと生きないほうが恐ろしいというか、重大事なんだと思います。

ちゃんと生きるとはどういうことか。
いろいろな言い方ができましょうが、要するに「この世に生を受けてよかった」と思えるかどうかです。
昔風の言い方をすれば、「お役目」をまっとうできたかどうかです。

その「お役目」を使命だとか、天命だとか、生きる目標だとか言います。
なんでもいいです。
自分の使命でも、天命でも、生きる目的でも、それを感じたらまっとうすればいいです。
次から次へと来る障害は、当然の道筋です。
ゲームを思い浮かべれば簡単です。
複雑怪奇なゲームをクリアすることこそ、えもいわれぬ達成感をもたらします。

どんなに複雑怪奇に見えようとも、人生というゲームはある種の法則があります。
ゲームをクリアするためのマスターキーとなる先人たちの言葉が、いやというほど書店の本棚に並んでいます。

幸福な家庭を築く、仕事で成功する、国政を動かす、宗教的修行に身を投じる、革命家になる、花を愛でる、なんでもいいです。
それが自分の「お役目」だと思ったら、命をかければいいです。
他者からの評価というのは、その場合まったく不要です。
「お役目」なんていうのは、当人にしか分からないものです。
当人にしか分からないからこそ、当人が大切にするしかないのです。

ぼくのささやかな「お役目」というのも、ぼんやりとながら分かりかけてはいます。
人から期待された、期待されているものとは、違うかもしれません。

ものすご~く傲慢に、滑稽に聞こえるかもしれません。
でも、「ぼくがぼく自身でいること」
これがぼくの使命だとこのごろ思います。

いつだってぼくはぼくなのですが、その場その場での役割を考えてしまう自分がいます。
誰もそんな役割を期待してもいないのに、勝手に役割を考えてしまう卑屈さがあります。
そういう自分が嫌で、意味もなく他人に皮肉をいったり、毒づいたり、意地悪をしてしまいます。
こういうのを馬鹿と言います。

不特定多数の中で、自分の役割を考えて上手く行ったためしがありません。
もうどうでもいいやと分投げてしまうと、上手く行ったりします。
なんか、誰の参考にもならないような行き方が、ぼくの場合は上手く行ったりします。

それがぼくの「お役目」だと納得すれば、それだけの話です。
それぞれの人が、それぞれの溶かしがたい個性と「お役目」を持っていると思うのです。
人の評価を参考にし過ぎると、見えなくなります。
「お役目」を自覚した時から、その人の本当の人生が始まるのかもしれません。


知らぬ他国

2008年08月09日 | 雑感
「どこで~ 果てようと~ 誰が泣く~ 知らぬ他国の 蝉が 蝉が鳴く~」
という勝新太郎の「新・座頭市」シリーズのテーマソングが頭から離れないでいます。

ぼくは思いのほか人の助けを受けて生きてきました。
今でもそうです。
合掌です。

座頭市のように悪人を叩き殺す必要はありません。
悪というのは影です。
影を相手にどうすることもできません。

影があるなら、自ら光って照らせばいいのです。
でも、自らが光になるという発想には大いにテレがあります。
飲んだくれというのは、そういう人種です。
ヤッカイなことです。

飲んだくれが死んだら、どういう霊界に行くのでしょうか。
飲んでも飲んでも酔えない世界に行って、なにをしようというのでしょうか。
霊界の沈まぬ太陽をいつまでもじっと見ているのでしょうか。

何かの決まった状態にいるというのが、地獄というのでしょう。
魂なら成長をこそ願います。
成長とは、舞台の上での踊りの質と喜びを進化発展させることです。
舞台から何かというと降りたがるこの習性は、ある種の洗脳にかかっているのかも知れません。

誰もが舞台の上に建つヒーロー、ヒロインなのだという考えに、共感する人と尻込みする人に分かれるのかもしれません。
共感しようが、尻込みしようが、それがあなたの舞台で演じていることです。
尻込みするという人の役割も必要な舞台なのかも知れません。
尻込みするなら、蛮勇を奮って大袈裟な身振りで尻込みしてやりましょう。

表に立つことが喜びと感じる人、裏で何かを支えることが喜びと感じる人。
様々です。

ぼくはといえば、表も裏もなく知らぬ他国に行きたくなります(笑)
困ったものです。

青春

2008年08月08日 | 雑感
今日は夏の盛りが過ぎたことを知らせるがごとく、朝と夕方に通り雨です。

二十歳の頃はパチンコ屋に行っては負け、競馬を生半可にかじっては負けていました。
そんな頃にパチンコ屋で流れていたのが浜田省吾の「路地裏の少年」です。

 アルバイト電車で横浜まで帰るころは午前0時
 古ぼけたフォークギター窓にもたれ 覚えたての「風にふかれて」
 狭い部屋で仲間と夢描いた いつかはこの国目を覚ますと
 Ah-裏切りの意味さえも知らないで Ah-わけもなく砕けては手のひらから落ちた
 あれは俺18肩すぼめて待ち続けた 路地裏で

時は流れて、東京の水産物専門の商社で勤めている頃です。
ぼくの性格には合わない仕事でした。
キログラム単価で数円単位のお金の交渉に明け暮れます。
渋谷のスナックで働いている女性と知り合いました。
ヤクザまがいの不動産屋の彼とのすったもんだで悩んでいました。
ある年の暮れ、ぼくは仙台へ、彼女は北海道へ帰省ということで同じ新幹線に乗りました。
結局、そのままぼくは青函トンネルをくぐって北海道まで行きました。
彼女は実家に泊まり、ぼくは薄汚いラブホテルに一人で泊まりました。
冬の北海道、しかも大晦日にラブホテルで一人で過ごす気持ちというのを想像してみてください(笑)

彼女との付き合いはとことん切ないものでした。
彼女は彼が用意したライオンズマンションに住んでいました。
そんなときに彼女が好きだから聴いてみてといったのが、浜田省吾の「もう一つの土曜日」です。

 君を想う時 喜びと悲しみ ふたつの思いに揺れ動いている
 君を裁こうとするその心が 時に俺を傷つけてしまう
 今夜町に出よう 友達に借りたオンボロ車で海まで走ろう
 この週末の夜は俺にくれないか たとえ最初で最後の夜でも

彼女はぼくの汚い部屋を掃除によく来てくれました。
隅々まできれいしにないと気がすまないようでした。
結局、彼女は彼の元に戻りました。
自社ビルを持っていることが凄いし、何よりも男らしいというのです。
彼女は妊娠し、私生児を産みました。

ぼくはといえば、商社を辞め、肉体労働をして貯めたお金でアメリカに行こうと思いました。
さんざんバイト代を飲み代に使った挙句、2年後、アメリカ放浪旅行を実現しました。

なんというか、今考えてみると、男女の縁すら人生の節目になっているんだなぁ、という感じです。
今となれば、すべては愛しい経験です。


中村中

2008年08月07日 | 雑感
風がほんの少し涼しくなってきたとはいえ、風がピタリと止むときがあります。
そういうときには目が覚め、冷蔵庫に冷えた麦茶をごくごくと飲みます。
当然寝つけませんから、枕もとのスタンドを付け、本を読みます。
そのうちにまたそよそよと風が吹き込んできます。
湿った布団に寝返り打って、再び夢の世界に旅立ちます。
なんかそんなこんなも楽しいと思おうと思えば思える今日この頃です。

ところで、中村中(アタル)という歌手を最近知りました。
性同一障害だそうです。
そんなことはどうでもいいくらいに、歌がいいです。

http://jp.youtube.com/watch?v=cp_H6yZttUM

歌にも表情にも引き込まれます。
生々しくも愛しい歌です。

歌手や演技者だけではなく、すべての生きとし生けるものが、その魂を表現しています。
それぞれの魂が表現しているものが悲しみや憎しみではなく、喜びや慈しみであれば幸いです。



ささやかな幸せ

2008年08月06日 | 雑感
法務局に行ったり、警察署に行ったり、区役所に行ったり、銀行に行ったりと、行ったり行ったりしています。
それぞれの場所に、それぞれの風が吹いています。
いろいろな風があるものだと改めて感心します。

思いは実現する。
それはその通りです。
でも、実際問題となると自分がどんな思いを持っているのか分からなくなります。
分からないといいつつも、心の底でしがみついているものがあります。
それは実現します。
間違いなく。

あれやこれやの道筋は、あれやこれやの思い出作りです。
生きているということは、如何に楽しい思い出を作るかということでもあります。
どんな道筋にも、空模様があり、人間模様があり、心模様があります。

好きなCMがありました。
ダスキンのCMです。
婆さんが爺さんと自分のお茶を入れます。
爺さんは自分のお茶に茶柱が立っているのに気がつきます。
爺さんは婆さんに気がつかれないよう、自分のお茶と婆さんのお茶を入れ替えます。
婆さんが「あ、茶柱!」と喜ぶ傍らで、爺さんは知らん顔をしています。

こういう生き方が尊いです。
知らん顔というのが尊いです。
茶柱が立ったと喜ぶ笑顔も尊いです。

尊い気遣いの連鎖は、尊いささやかな至福を産みます。

ささやかな幸せを、ささやかに味わい尽くせれば、人は至福です。

何でもかんでも貪ろうとする心はもうとっくにその吸引力を失いました。
ぼくが年を取っただけかもしれませんが。


2008年08月05日 | 雑感
ご無沙汰してしまいました。
空白の数週間です(笑)
やたらとバタバタしていました。
身体はそうでもないのですが、頭の中がバタバタしていました。

訳あって、クーラーのない部屋で寝ています。
流石に夜中に何度か覚めます。
知らない間にパンツまで脱いでいます。
そんな真夏の夜の夢、ここ数日風が涼しく感じられるようになってきました。
この分で行きますと、9月頃には風の心地よさが一段と深く味わえることだろうと思っています。

風を感じるというのは人工的建造物の中に暮らしているとなかなか味わえないことになって行きます。
扇風機やクーラーや温風器の風や台風や突風などの特殊な風しか知らなくなるのはもったいないことです。

水もそうですが、おそらく風というのも人の意識を読んでいます。
寝苦しい夜を悶々と過ごしたことのない人には分からない境地です(笑)

それから、最近の雲の形というのは昔見ていた見慣れた雲の形ではありませんね。
夜中や朝方にふと見た雲の形が、なんというか、とてもダイナミックです。
これも、寝苦しさのあまりとんでもない時間に起きて空を眺めることのない人には無縁の世界です(笑)

クーラーのない生活推進委員会からの広報でした。