風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

信仰心

2017年04月27日 | 雑感

なにかを思うということは、想念というエネルギーをなにかに集中させることです。
その集中先は、恋人であったり、お金であったり、冒険であったり、あるいは憎しみであったり、怒りであったり、人様々です。

一方、禅では極力、想念というエネルギーを使うことを排していきます。
これがなにを意味するかというと、なりたい状態や欲しい物や人に執着するなということなのだと思います。
執着という強力なエネルギーを手放すとなにが起きるのか。

おそらく、ただ無条件の祝福があります。
自分が存在すること。
ありとあらゆるものが存在すること。
「在る」ということが祝福であること。
それを思い知るのだと思います。

赤ん坊は泣きます。
おそらく、身体的に未成熟なゆえの不快感がひっきりなしに赤ん坊を襲っています。
それでも、雲の切れ間に陽が射すように、赤ん坊は時折顔一杯の笑顔を浮かべます。
「在る」という瞬間を実感している笑顔です。

この世は想念の強靭さを求められ、思考の中断を馬鹿にされる仕組みになっています。
宮沢賢治はデクノボーと呼ばれることを望みました。
残念なことに、ぼくにその覚悟はまだありません。
まだまだ信仰心が足りません。


ノスタルジー

2017年04月26日 | 雑感

晩年の父親は童謡大全集みたいなLPを大音量で聴いていました。
「赤とんぼ」とか「雨降りお月さん」とか「ずいずいずっころばし」とか。
戦前からある歌なので、おそらく自分の幼少期に思いをはせていたのだと思います。
ぼくも童謡は好きなので苦にはならなかったが、近所の人たちは苦痛に感じていたのかもしれません。

タルコフスキーの「ノスタルジア」という映画がありました。
きわめて個人的なそしてヨーロッパ的な、もの哀しい映画でした。
そのもの哀しさ具合が、日本とは違いました。
日本的なもの哀しさはカラスの七つの子に対する哀れみであり、赤い靴を履いた女の子に対する哀れみでした。
それに対して、ヨーロッパの人たちの哀れみというのは、没落していく貴族階級の哀れみだあったり、
自分のルーツが消えていく運命の哀しみでした。

ぼくは辛うじて父おそらく父親が持っていただろうノスタルジーを共有できると思っています。
裏山でむやみに歩き回るとか、川で手づかみでオイカワを捕るとか、夏の夕暮れ時に意味もなく哀しくなるとか。

「菊の香や 明治は遠く なりにけり」

という句がありました。
名句です。
昭和を懐かしむにはどういう句がふさわしいのでしょうか。

ちょっと考えて見ます。

思い出と ともに舞い散る 桜かな 

失礼しました。

 

 

 

 


夢の行くへ2

2017年04月07日 | ストーリー

マンションに帰りつき、ソファに座った。リサイクルストアで買ったいい感じに擦り切れた焦げ茶色の革張りのソファだ。
飲み足りない感じがして、九州に出張に行った旧い友人に送ってもらった薩摩の焼酎の封を切り、グラスに注いで氷を浮かべた。
電車の中でも、駅を降りてマンションに帰る道すがらでも、彼女の不可解な行動をいくら考えても答えは見つからなかった。
この世は腹が減ったら飯を食うだけではすまないのだ。たぶん。
彼女の携帯電話に電話してみようとも思ったが無駄な気がしてやめた。

彼女と知り合ったのは10数年前だ。
学生時代の友人から子供が生まれたという連絡があり、そのお祝いに彼の新居に向かった。
新居は東京の西の端のベットタウンの新築だった。玄関を入るなり、新築の建物特有の匂いがした。
誇らしげな笑みを浮かべる友人に招かれ、広めのリビングルームに招かれると、その場に彼女がいた。
友人の奥さんの手料理を手際よくテーブルに並べていた。
友人の奥さんの高校時代の親友だと友人の奥さんから紹介された。
「はじめまして、植村里美と申します」
「田中健一です、はじめまして」
ヨガの講師でもしていさそうな、浅黒く引き締まった身体をしていた。
彼女は長い髪を紺色の輪ゴムで後ろに束ね、水色の綿のTシャツとモスグリーンのインド綿らしきスカートをはいていた。
「こいつはシベリアのツンドラ地帯をテントを持って放浪したいんだと。昔からそう言っていた」とぼくの友人は言った。
里美は曖昧に笑った。おそらくなんて返答したらいいのかがわからなかったのだろう。
ぼくもなんて返したらいいのかわからなかった。

それからみんなで赤ん坊を見に行った。
日当たりのよい奥の部屋で赤ん坊は眠っていた。
両手両足を大の字に開き、リンゴみたいな小さな顔を横に向けていた。
里美はベビーベッドに駆け寄り、赤ん坊の顔に自分の顔をこすり付けんばかりに近づけ、よしよしよしと言った。
「このままうまく寝ていてくれるかしら」と友人の奥さんが言った。
「どうかな」と友人が言った。
「泣いたらわたしにまかせて」と里美が言った。
ぼくはなにも言えず、ぎこちなく笑った。

それから、里美とは電話番号の交換もし、友人夫婦の家に何度か一緒に訪れ、都心で二人きりで食事もし、映画を見にも行った。
そのころの彼女はファミリーレストランのアルバイトをしながら、日本語講師の資格を取るべく勉強をしていた。
海外の人に日本文化のよさを伝えたいと彼女は真剣だった。
彼女にさっぱりとした性格と、機転の利く頭の良さは好きだったが、どういうわけか女性としてみることができなかった。
二人で酒をしこたま飲んで、あれやこれやでぐだぐだ討論を重ねることが楽しかった。
お互いに身の上話はしなかった。大体の経歴くらいは知っていたが、それ以上は興味はなかった。
一度だけ二人とも泥酔したとき、彼女がぼくの部屋に泊まった。
さらに缶ビールを何缶か空け、あーでもないこーでもないをへらへら話した。
そのまま眠りについたのだが、朝起きたときに二人に妙にぎこちない雰囲気が漂った。
ぼくは少し寂しい気がした。
里美は無言でアルバイトに出て行った。


夢の行くへ

2017年04月05日 | ストーリー

女は腕時計にちらりと目をやった。3度目だ。
「帰ろうか」とぼくは言った。
彼女はまっすぐ前を向いたまま小さくうなずいた。
ぼくはバーテンに声をかけ勘定を頼んだ。
バーテンは鹿のような目をした、鹿のように顔の小さな若い男だった。
「聞いてくれないのね」と彼女は言った。消え入るような声だった。
彼女の横顔を見ると、あらゆる表情が消えたような白い顔をしていた。
「聞いてたよ」とぼくは言った。
「なにを?」

ぼくはこの店に入ってからの彼女との会話を思い返した。
会うのが3年ぶりで、彼女のヘアスタイルが変わったことに驚いた。長い髪を刈り込みに近いショートヘアにしていた。
イメージがまったく変わったこと、でも似合っていることをぼくは彼女に伝えた。彼女はどうでもよさそうにありがとうと言った。
彼女の仕事のこと。
大手の税理士事務所の事務をしている。数字をきちんと管理するのは苦にならず、むしろ好きだということ。
3人いる税理士先生たちはみないい人で、顧客も余裕を持った大人ばかりだということ。
そして彼女の腕時計のこと。
古色のついた珍しい形の時計にぼくが興味を持ち聞いてみたのだ。
南京虫と呼ばれるタイプの小さな文字盤の1950年代のオメガで、2年前に肺がんでなくなった母親の形見だということ。

「わからない。ちゃんと話は聞いてたよ」
バーテンが伝票を持ってきた。彼は伝票をこちらに差し出したまま、ぼくの顔をじっと見ている。
「もう一杯飲んでもいい?」とぼくは彼女に聞いた。彼女は返事をしなかったが、ぼくはバーテンにバーボンを頼んだ。
バーテンは小さくうなずくと氷を割り始めた。このバーではみんなが小さくうなずく。

「ちゃんと言ってくれないとわからんよ。なに?」
彼女は黙ったままカウンターの板目を見つめている。なにか頼むかと聞いても彼女は首を横に振る。
バーテンがバーボンを持ってきて、それを受け取り、一息に飲み干した。
「帰ろうか」と聞いた。二度目だ。
彼女は黙る。
「いい加減にしろよ。言いたいことがあれば言えよ」
「言ったじゃない」

ぼくは彼女の横顔また見た。能面のままだ。
ぼくは飲みたくもなかったが、バーボンをのお代わりを頼んだ。7杯目か8杯目だ。バーテンはうなずいた。小さく。
彼女とぼくの間に沈黙の壁がどんどん厚みを増した。
バーテンがきちんと冷えたバーボンを持ってきて、それを一口すすり、ぼくは口を開いた。
「ほんとによくわからない。どうした?」彼女の横顔をきちんと見た。
彼女の顔をきちんと見るのはその日で初めてだったかもしれない。
「もういい」彼女はまっすぐ前を見据えていた。
ぼくはバーテンに再び勘定を頼み、立ち上がった。彼女にタクシーを呼ぼうかと聞いたが、無言だったので先にバーを出た。
バーの扉の前で5分ほど彼女が出てくるのを待ったが、彼女は姿を現さなかった。ぼくはエレベーターに乗り、下に降り、
飲み屋街の喧騒をすり抜けるように駅へと向かった。