風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

畑の風景

2010年09月28日 | 雑感
前日までの土砂降りが嘘のように今朝は快晴、畑に行きました。
みんな健気に芽を出し、葉を伸ばし、根を張っています。
一仕事終え、タバコをふかしながらしばらく畑の周囲に広がるのんびりした風景を眺めていました。
モンシロチョウやモンキチョウがはしゃぎ回るようにあたりを飛んでいます。
あちらこちらの畦道には彼岸花が鮮やかに咲き誇っています。
空にはイチョウの葉っぱの形をした薄い雲が何片も浮かんでいます。
ここの畑にはカエルがたくさんいます。
野菜に寄ってくる虫を食べてくれているのだと思います。
それでもハクサイは素人が無農薬で育てるのは無理みたいです。
根っこあたりには小さな黒い甲虫がわいていますし、葉には毛虫が住み着いています。

片道一時間掛けて畑にやって来るのですが、少しも苦にならないのが不思議です。
畑の風景を眺めているだけで飽きません。
春には雲雀がさえずり、夏には果実が実り、秋には稲穂が黄金色に輝き、冬には土が凍てつくのでしょう。
なんだか何の不足も感じません。
植えた二本のうちの一本のブルーベリーの木が弱っていますが、枯れた葉を剪定するだけです。
カモミールの種を撒きましたが芽が出ず、そこにはミツバを植えました。
いろいろなことが畑に訪れるのでしょうが、いろいろなことが訪れるままに、畑にいることを楽しみます。

今日は何種類かの作物の間引きをしました。
それを持って帰って、ドレッシングをかけて食べました。
土からばかりですから引き抜いたばかりですから、洗っても洗っても泥土が出ましたが、美味しかったです。
間引いた野菜というのはとても栄養価が高く、柔らかくて美味しいものです。
これは野菜を作っている人しか味わえないものらしいです。
てんぷらにすると一番美味しいような気がします。

日曜日には味噌作りにも挑戦してきました。
これも楽しかったです。
熟成が一段楽する二ヵ月後が楽しみです。

本業のほうも10月はひと勝負の月です。
思いのほかにたくさん仕入れることができたので、嬉しい反面、資金繰り面の厳しい局面を迎えるわけです。
そんな時期に、禅の接心も始まります。
なかなか修業の道は果てがありません。

どうやら中国は確信犯ですね。
話し合いでも、強硬路線でも、日本は太刀打ちできる気配がまったくありません。
腹を括ることが大切ですが、どう腹を括るかです。
もとより戦争する必要はありませんし、中国の顔色を必要以上に伺う必要もありません。
さて、どう腹を括るかです。
防備をびしっと固め上で押し黙る、これですかね。
余計なことは一切言わない。
中国と対話を、とかも言わない。
びしっと防衛線を固めて、粛々とやることをやり、一切おろおろした態度を見せない。
当然中国は恫喝に近い声明を次々と発表しては日本を追い込もうとするでしょう。
食料や資源の輸出もストップさせるでしょう。
それでも日本は黙秘する。
態度を表明しない。
すでに世界の論調は中国の横暴を糾弾する方向に傾いている。
そこで、日本はあえていろいろなことを言わない。
ひたすら耐える。
それができれば、ある限度を超えた時に中国は矛先を収めざるを得なくなると、ぼくは思っています。
矛先を収めなければ収めないで、その時は中国は世界を敵に回すでしょう。

運動会

2010年09月21日 | 雑感
一昨日くらいから暑さがぶり返しました。
今年の暑さはどうも粘ります。
日曜日には娘の運動会で、始まる頃は曇り空だったのですが、日が照ると見物人が日陰を求めて大移動です。
何度も何度もグラウンドに出ては練習どおりの踊りやらかけっこやらをする園児たちもかわいそうでしたが、
それを見ている爺様婆様もかわいそうでした。

昼食時に娘の顔を見ますと真っ赤に上気して、最初は冷たいお茶だけを飲んで食欲もなさそうでした。
少し落ち着いたらおにぎりを3個食べましたが。
今年の夏は危険な夏です。

ところで、ぼくも障害物競走に娘と一緒に出ました。

集合場所に並んでいる娘の横に行き、昔の日本兵がかぶっていたような首を覆う形をした水色の帽子をかぶった娘の頭を、ポンと叩きました。
びっくりした顔を見上げた娘の顔に満面の笑みが広がります。
初めての運動会で、しかも炎天下で、いろいろな緊張やら集中で疲れ果てて顔は上気しています。
しゃがんでいた彼女はピョンと立ち上がり、ぼくの手を握ります。
ぼくは彼女を抱っこして「頑張って走るんだぞ」と言いますと、彼女は照れたのかぼくの頬をグーで叩きます。
彼女なりに緊張と心細さと闘っていたのでしょう、それからは娘はベタベタに甘えてきます。

いよいよ彼女の組の障害競走です。
それでも娘はぼくの膝に乗ったり、両手を掴んで踊ってみたり、彼女はよその状況には一切関心を失っています。
なんて至福のときなんだろうとぼくは思います。
そして順番が来て、スタートラインに立ちます。

ホイッスルが鳴って、ぼくらは手をつないで駆け出します。
玉を二人でコースの中間のラインまで転がします。
順調に一位です。
次は障害物です。
走りながら「ジャンプ!」と言いますと、娘は見事にジャンプします。
次の障害物も、足を緩めることなくぼくらはジャンプします。
後はあるものをあるところに運んで一位で終了でした。

あっという間に終了してしまいましたが、ぼくにとってはいろいろな意味で濃密な時間でした。

後で聞いたところ、娘はその朝には何も食べていなかったそうです。
体力的にも暑さ的にも厳しかっただろうと思うのですが、そういう生理的な苦痛を超えて彼女はとにかく懸命でした。
二人で走っている間は、まったく時間を感じることができず、だたただ瞬間がありました。
そのあたりは上手く言えません。

娘は年少組です。
年中組、年長組となるにつれて、走るフォームも様になってきます。
なんにせよ、幼稚園児の運動会のすばらしさは、その底なしの無邪気さです。
誰かとの勝ち負けにこだわるわけでもありません。
観客に媚を売るわけでもありません。
目の前にあるやるべきことを全身でやるだけという尊い運動会です。

ま、他にもいろいろ感じたことはあるのですが、このくらいで。


心構え

2010年09月15日 | スピリチュアル
どうやら異常な猛暑は収束した感じです。
いよいよ秋風が吹いてくる季節でしょう。
あまり気温が高いと蚊も生きられないそうです。
道理で今年は蚊が少ないと思っていました。
蚊が少なければ、当然トンボの数も減ります。
自然の法則は如実です。

どうやら、みんなで「なんとなく」楽しく生きていくというのが難しくなってきたような気がします。
もちろん、楽しく、仲良く生きていくというのは局面局面で可能なのですが、個々の目指す方向性や、
積み重ねてきた心的傾向性やらが、そのまま如実に現象界に顕れてきているような気がします。

この今、目の前に顕れる現象は、そのまま自分が意図的にせよ、無意識にせよ蓄積した心的世界の結実である、ということでしょうか。
どんな現象が目の前に展開しようとも、それの是非の問題ではありません。
目前に展開する現象をそのままを受け止めて、さぁ何ができるか、が大切なポイントなのでしょう。

今の世相は、見る人の観点からすれば、それこそ各人各様の見え方で映っているでしょう。
今までどおりに見る人、危機感を持って見る人、関心がない人、様々でしょう。
その様々な心のあり方が、その人の心的世界が構築してきた世界の見え方を方向付けているということです。
どういう心構えがよいか悪いかということを議論する時期は過ぎたような気がします。
今までの心構えの思惑通りに展開する現象界との正面対決です。

今ままでのんびり生きてきた人は、のんびりの世界が展開するのでしょうし、焦っていた人には、
せわしない世界が展開するのでしょう。
お金が一番と思えばお金に苦しみ、異性しか眼中になければ異性に苦しみ、楽をしようとすれば楽に苦しむ。
何が苦しみの道かはその人しだいなのですし、何が解脱の道なのかもその人しだいになってきているようです。
誰かの教えにすがることも、教条的な生き方も、どんどん無効になってきている感じです。

「で、本当のところあなたはどう生きたくて、実際のところはどう生きてきて、これからはどう生きたいのですか?」

その問いがすべての人に問いかけられていると思います。
その問いから逃げる場所がなくなってきていると思います。

こういう時節を恩恵とみるのか、はたまた責め苦としてみるのか。
それも自分自身が積み重ねてきた心的傾向性によって判断が分かれるのでしょう。
厳しい時代であるというのは間違いがありません、



バスに乗って

2010年09月14日 | 雑感
今日も朝方は涼しく畑日和でした。
ホームセンターで種や苗を買い、植えたのはニンニク、ホウレンソウ、チンゲンサイ、シュンギク、
ネギ、カブ、ダイコン、カモミール、イタリアンパセリ、ルッコラ、ブロッコリー、でした。
3時間弱かかりました。
先日ちょこっと植えたバジル、キャベツ、ミズナの苗は健気にまだ弱々しい葉を精一杯に広げておりました。

ところで、話は変わるのですが、ちょっと気になることを。
普段は自転車通勤ですが、雨が降ったりするとバスに乗ります。
女性のテープの声で次に止まる停留所や、一日乗車券の案内や、行き先やらの案内が流れるわけですが、
それに加えて運転手さんまでもがマイクを通したくぐもった肉声で、停留所の案内はまだしも、いちいち信号待ちやら
発車するたびに車内に注意を呼びかけます。
それに加えて、赤信号で停車するたびにエンジンを切り、その度に車内の冷房も止まり、車内が不快な沈黙に落ちます。
さらに最近では、左折するたびにどんなに見晴らしがよくて安全が確認できたとしても、いったん停車します。

全部、安全運行のために決められたバス会社のマニュアルどおりではあるのだと思います。
ただ、信号で止まるたびに、左折するたびに、エンジンを切ったり、注意を呼びかけられたり、不要な一時停車をしたりされますと、
こちらの注意は強引にバスの運行に奪われてしまいます。
ぼんやり考え事をしたり、窓の外の風景を眺めたりということが出来なくなります。
数秒単位で、女性のアナウンスか、運転手のだみ声か、一時停車か、冷房が止まるかがあるわけです。

ヨーロッパの例を持ち出すのもなんですが、列車の発着に際しても、一切のアナウンスがないことも珍しくありません。
テープで案内をしているのなら、それに加えて肉声の案内もいらないに決まっています。
高いバスの運転席から見て、明らかに走行に安全な交差点で、「必ず」一時停車するというマニュアルは不快すぎます。

要するに、すべての対応が責任逃れのためとしか思えないところに不快を感じる元があるのかもしれません。
マニュアルを遵守することが責任の取り方だとするならば、臨機応変の対応をする応用力とか機敏な判断力というのは、
不必要どころか組織的には迷惑な能力となっていくしかありません。
誰も責任を取らなくて済ませるためのマニュアルです。
もちろん、そこまでマニュアルを徹底すれば、事故も起き難いでしょうし、何かがあったとしても責任問題にはなりづらいでしょう。

でも、不快です。
いつから幼児のごとき未熟な人間が構成する社会が前提になってしまったんだと。
いい大人が、いちいちバスが停車するたびに危険だと注意され、次のバス停を何度も連呼され、数秒の停止時間にも
エンジンを切る偽善に付き合わされるような、そんな幼稚な社会になったのでしょう。

馬鹿にするなと苦情を言ってみたところで、いえ、馬鹿にしているのでは決してありません、万が一のためのお客様の安全を考慮して云々、
とこれまた底の浅い不快な弁明が返ってくるのは明らかです。
こういう風潮は、何もこのバス会社だけではありません。
バス会社としては真面目に安全に取り組んだ結果がこういうマニュアルに結実したということはよく分かります。

でも、不快です。
立派な大人が構成する社会の現象ではありません。
言ってみれば、愚民を前提としたマニュアルです。
昨今のテレビ番組を一瞥すれば、その視聴者をなめきった制作態度と同じ流れです。

ただバスに乗っていて不快になるような時代を経験するとは夢にも思っていませんでした。



天国

2010年09月13日 | 雑感
ようやく朝晩は涼しくなってきましたね。
明朝も畑に行くつもりです。
ホームセンターが7時半から開いておりますので、あれこれ種やら苗を買い込んで植えつけてきます。
先日植えつけたハーブ類の状態も気になります。
植え付け予定の植物は、タマネギ、ワケギ、ニンニク、ホウレンソウ、シュンギク、ミツバ、コマツナ、
ブロッコリー、メキャベツ、ハクサイ、ダイコン、カブ、ジャガイモ、ラディッシュ、各種ハーブです。
欲張って多品目を植えようとしているわけではありません。
せっかくの機会ですから、できるだけ経験を積んで、勉強したいという思いからです。
ちゃんと品種ごとに植え方やら育て方をノートに付けています。
本業でこれほど真面目ならどれほど(略)

なんだか酒を飲んでいても、寝床についても、いろいろと夢が広がります。
こんなことは小学生のころ以来かもしれません。
ロケーションのよい田舎の民家を借りて、納屋で味噌作りや漬物作りをする傍ら、本格的な
イタリアン料理の店を土日限定で開こうかとかなんとか、楽しい思いが勝手気ままに頭の中を巡ります。
庭をハーブや花々で埋め、古材でウッドデッキを作り、アンティークの調度品で店内を飾りつけ、
一日中いても飽きないような店を作る。
ワインはなかなか入手できない上質の冷えたドイツワインにし、すぐ近くの海で取れたアサリやワタリガニで美味しい
パスタを作り、自家製のドレッシングであえたたっぷりのサラダを添えてだし、食後にはカモミールティーを出す。

まぁ、妄想にはキリがないわけです。
こういうのを都会でしようと思えば恐ろしくコストがかかり、面倒なわけですが、田舎では手作業で案外としようと思えばできます。
場所の選定やら、ロケーションの波及効果などをきちんと視野に入れることができるかどうかが鍵なんだと思います。
それから、地域住民との円滑なコミュニケーションは田舎で何かしようとする場合は基本でしょう。

今後、この日本経済の閉塞状態を打開する流れは当分生まれてこないと思っていましたので、海外でのビジネス展開というのも
ひとしきり考えていました。
もう少し若ければ迷わず海外に飛び出す選択をしていたと思います。
いまでも十分に海外、特にヨーロッパの市場には未練を持っています。
「日本」というブランドは結構底堅いものがあります。
自動車や家電や寿司だけが日本ではありません。
紹介しようによっては、まだまだ面白いものがたくさんあります。

でも、畑に係わってからというもの、わざわざヨーロッパに出て「お金」を稼ぐというスタイルをとることの意味が急速に色褪せました。
事業を拡大するためのお金など稼がなくても、食べていけるだけの流通があれば幸せだと思えるライフスタイルが可能ならば、
それに越したことはありません。

お金がなくても、食べるものと、美味しい水と、森を渡る風と、青い空があれば、人は十二分以上に幸せだと思います。
それに加えて、人々の喜ぶ顔が加われば、この世は天国です。
どうも本気でこの世の天国を目指したくなってきました。



立国

2010年09月11日 | 雑感
どうも太陽光線の威力が尋常じゃないです。
朝晩は普段並にというか、きちんと涼風が吹くのですが、太陽が空に出るととたんにぐんぐんと暑くなります。
先日も畑を耕していたら、一時間も立っていられません。
なんか電子レンジの中にいるような感じなのです。
太陽フレアがどうだとか何とか言われていますが、CO2が原因の温暖化ではすまない感じが強くします。
一昔前にはフォトンベルトがどうだこうだといわれていましたが、なんにせよ尋常ではありません。

そんな状況ではありますが、明日はまた畑に行って畝作りの最終段階です。
まず第一段階としてハーブの苗もたくさん買いましたので、畑の周囲に植えてこようと思っています。
ハーブというのはいろいろ効能があります。
まずはもともと野草ですから丈夫で繁殖力も旺盛で育てやすいです。
それに殺菌作用や防虫効果などもあり、干してハーブ茶にすれば健康飲料にもなる万能選手です。

せっかくハーブを植えるとなると、普段和食では使わない種類ですから、イタリアン料理の研究などもしたくなります。
イタリアン料理といえば、オリーブオイルとトマトソースです。
オリーブを植えてオイルを採取する気にはなれませんが、トマトは家庭菜園での定番です。
ニンニクも植えようと思っています。

畑を作ってみて思うことは、一家庭に2~30坪の畑があれば、米や麦や大豆などの大規模でなければ効率が悪い作物を除いて、
大体のものは自給できるだろうということです。
畑に囲いを作って、空いたスペースに鶏でも放し飼いにすれば、卵も時々は食べられるでしょう。
何のことはない、二昔前くらいの日本の田舎の普通の暮らしがそうだったのでしょう。

3Dテレビの売れ行きが芳しくないそうです。
わざわざ面倒なメガネを掛けてまで見たいソフトがまだまだ少ないということもあるのでしょうが、
テレビを見るという娯楽から徐々に人々の心が離れている気もします。
地上波はもうとっくに自滅していますし。
もう何を作っても、輸出で日本全体を潤すほどに売れるものというのは出てこないと思います。
電化製品にしても、自動車にしても、韓国、中国、インドと次々と競争相手が出てきて、日本に有利な条件というのはどんどんなくなりつつあります。
そうならそうで、そういう流れを見極めればいいです。
勝ち目がない戦いをすればひたすら消耗するだけです。
精神も荒廃します。
そのうえ、食物を輸入に頼れば、この国は病人の状態から、衰弱し状態になってしまいますでしょう。

まさか鎖国状態に戻すわけには行きません。
でも、農業立国に徐々に戻していくことはできそうです。
輸入にも輸出にも頼らない。
国際的な力関係から言えば、弱小国になるという選択ではあります。
その場合、最低限度の交戦能力のある自衛力が必要となりますが。

それとも、さらにさらに技術革新を目指して、国際競争を勝ち抜き、輸出大国として生きぬくという戦略もありえるのでしょうが、
これ以上の技術のイノベーションというのは本当に求められているのでしょうか。
リニアカーなどの一部の技術を除けば、ほとんど基本的なインフラは飽和状態のように思えるのですが。

農業立国を目指し、自然と向き合うためのインフラ整備ならまだまだ可能性はあると思います。
これほど森林と水に恵まれた国なのに、どこへ行ってもコンクリートと電線と看板だらけの国になってしまいました。
都市には水路を張り巡らし、いたるところに雑木林の公園があり、川は生物と親和性のある護岸が施される。
いくらでも考えられます。
日本の国土を荒廃させてまで、背伸びした強国である必要などありません。
と、ぼくは思います。

初めての畑

2010年09月06日 | 雑感
今朝、6時に起きて畑に行きました。
久しぶりに小雨模様で、畑の土も柔らかくなっているだろうと張り切っていきました。
酸性に傾きがちな畑の土を弱酸性にするために苦土石灰というのを撒きます。
畑一面に粉砂糖のように石灰を撒いたら、土と混ぜるように耕します。
この状態で石灰を土になじませるために一週間ほど置きます。

来週にはさらに肥料を撒いて、耕し、畝を作ります。
肥料を土となじませるためさらに一週間置いて、いよいよ苗やら種やらを植えます。
種を撒きさえすれば勝手に育つかのように安直に考えていましたが、いやどうしてなかなか繊細で緻密な工程です。
さらには、野菜にはアブラナ科とかユリ科とかシソ科とかナス科とかいろいろありまして、同じ科目同士の連作を野菜は嫌い、
その年毎に栽培する場所を変えなければならないといったこともあります。
つまり、今年ナスを植えたところに、次の年はナスはもとより同じナス科であるトマトやピーマンも植えてはいけないということです。
きちんと二年目以降のことも視野に入れて栽培計画を立てなければいけません。

さらには害虫の問題やら病気の問題もあります。
それに加えて、近頃異変模様の天候の問題もあります。
農業というのは思った以上にデリケートで、手間がかかり、リスキーです。

ぼくはナスや白菜の一夜漬けというのが大好きなのですが、スーパーのものはどうも保存料やら甘味料が入っていて好きでないのですが、
自分で野菜を作ったら思う存分漬物を作ってみようと思っています。
野菜作りの本などを読んでおりますと、その野菜を利用した美味しい料理方法なども書いてあるものですから、
どうしても料理を作ってみたい欲求が芽生えてきます。
味噌も作ってみたいし、トマトソースも作ってみたいし、猪の肉の味噌漬けけなんていうものも作ってみたくなります。
そのうちに、パンも焼いてみたくなるかもしれませんし、蕎麦も打ちたくなるかもしれません。

今日は厚い雲が空を覆っていて、30度を切る気温でしたがそれでも汗びっしょりになりました。
徐々に体力もついていくことでしょう。




市民農園

2010年09月02日 | 雑感
ついに農園を借りました。
農園といっても市民農園で、車で片道40分くらいの国道沿いの辺鄙なところにあるしょぼい農園です。
田園地帯の真っ只中にありますから、わざわざ借りようとするものもないらしく、あっさりと二区画借りられました。
知人と見に行ったのですが、その帰りに知人のしている有機農法の農園を見に行ったり、川の源流の湧き水を飲みに行ったりしました。
知人と別れてからは、早速ホームセンターに行きまして、鍬やら鋤やらシャベルやら鋏やらを買い込みました。
普段どうしようもない怠け者のクセに、なんだかとても嬉しいです。
お金のためにする労働でないからかもしれません。

土作りからはじめ、作物のお世話や生育状況の観察やら害虫、病気の対策やらを一通り学ぶのが第一義ですが、
できた作物で加工食品を作るのがまた楽しみです。
味噌やら、漬物やら、トマトソースやら、なんやらかんやらアイデアが頭を巡ります。
そうなると、そういうものを加工する場所が必要となります。
そうなれば、ある程度作物作りに習熟したら、田舎に畑付の一軒家を借りたほうがいいかもしれません。
2~3万で借りられるそうですから、畑兼別荘兼加工場という感じで、もう少し交通の便のいいところに借りられたら、言うことなしです。

別に今の仕事が嫌になったわけでは全然ないのですが、店を存続させるだけで最低7~80万のコストを掛けていられる時代が存続可能がどうか、
甚だ心もとありません。
無理だと判断したら、さっさと田舎に引っ込む前段階くらいは準備しておこうかと思っています。

明後日くらいには畑の土をアルカリ性にするために石灰度を撒いて耕してこようと思っています。
その次には、いよいよ畝を作って種まきです。
わくわくです。