風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

冷たい雨の降る日に

2019年03月06日 | 雑感

一日中冷たい雨が音もなく降っていました。
空は暗く、春が近づいてきているという感じはしません。
どこかに行くあても、誰かに会う予定もありません。
本を読む気にもなれず、布団に寝転び天井を眺めます。

ぼくが中学生のころです。
父親が倒産して、家でゴロゴロしている時期がありました。
学校から帰ると、父親がコタツに入って庭をボーっと眺めていました。
ただいま、お帰りの会話もありません。
そんな父親の姿を見るのがたまらなく嫌でした。
そのころから父親と会話することがめっきりなくなりました。

今のぼくはそのころの父親より遥かに年上になりました。
布団に寝転び天井を眺めています。
幸いなことに、今年中学生になる娘にはこの姿を見られていません。
無為、無気力になった親の姿を見るというのは、子供にとってはとてもショックなことです。
がんばろうとする気力が根こそぎ虚無の闇に吸い取られるような感覚です。
なにか見てはいけないものを見てしまったというような、トラウマめいたものが心にずっと残ります。

梅はその盛りを過ぎ、数週間もすれば桜が咲きます。
そして新緑が萌え、梅雨に入り、蝉が鳴きます。
若いときは無限に続くかと思われたその繰り返しも、年をとればあと何回の繰り返しなのかと感慨深くなるものです。
明治や大正時代辺りまでは、年をとったら、とっただけの感じ方や考え方というものがあったように思うのですが、
平成の時代に無駄に年をとったぼくはそういう考え方や感じ方というのをとうとう学び損ねました。
感じ方や考え方など、中学のころから何一つ変わっていませんし、成長していません。
感じたこと考えたことを、そのまま出さない小狡さは覚えましたが。

いくらこちらが小ずるくなろうとも、自然は正直に移ろいます。
せめて季節をふと感じた折くらいには、こずるさを捨てて、自然の移ろいに身を任せたいものです。
このところ、隠居さんというのに憧れます。
昔なら隠居さんになってもいい年です。
そうはいかないので、なにやらかにやらウロウロします。

 

 

 

 

 


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