風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

何に勝つ?

2015年09月03日 | 雑感
またまたブログ更新の日にちが空いてしまいました。
なんというか、言い訳に言葉に詰まります。
忙しいのは忙しいのですが、どこに向かっているのかを説明する指針を時折見失います。
なる様になればいいと思うのが本意ですので、行く先を見失うから困るというのでもありません。
誰に向かって、何を言うのかという動機を時折見失います。
自分に対して?
自分の身近な人に対して?
そういう人たちには、何を語ろうが、自分の行動が圧倒的に説明責任を果たしています。
あいかわらずの、ただの飲んだくれ、です。

まぁ、それは仕方がありません。
そのとおりですから。
でも、どうやら禁煙に成功しそうです。
もう止めてからひと月以上は立ちます。
今でも吸いたいと言えば吸いたいです。
でも、吸いません。
吸わないことを選択できます。

酒も、どうやら、距離を置かざるを得ない感じです。
説明が難しいのですが、美味しくないのです。
美味しいかどうかは問題外のアルコールなのですが、美味しくないというのが前面に立ちます。
こんなことは初めてです。
禁酒までするかどうかは分かりませんが、まぁ、酒に溺れる日々からは離れる予感はあります。

簡単に言うと、無茶をしても何やらかにやらが可能な年齢ではなくなったということです。
したい放題すれば、ひたすら心身が疲弊してそれで終いです。
青春時代なら、エネルギーの過剰は、ロマンティックな物語に昇華しえます。
老年になってからのエネルギー過剰の癖としての性向は、見苦しい悪あがきしか生み出しません。
悪あがきを物語としてきちんと成立させるだけのエネルギーに欠けるがために、見苦しい痴話となります。

老年になれば、それなりの生き方があるはずです。
ひとつは、対象との距離感の持ち方です。
冷めてもおらず、かといって、夢中にもならず。
対象そのものと素で向き合うこと。

どうしても自分を語りたくなるでしょうが、あえて黙して、相手が何を感じ何を考えているのかに
注意を集中すること。
自分より若い人間と共に生きようとするなら、自分をわからせることよりも相手を知ろうとすること。
その時初めて、若い人はあなたに耳を傾ける時が来ます。

なんてことを、またつらつら書くわけです。
酔いながら。
これ以上のことがあるとも思いませんし、これでいいとも思いません。
これでも、いろいろ考えてはいるのです。
考えていることを形にしていくのは、そう簡単なことではありません。
でも、考えることをやめたら、永遠にそれが形になることもありません。

一人一人が考えることなんて無駄だと思ったら負けです。
子供に、お前が夢想し考えることが無駄だといったら負けです。
負けるのは簡単ですが、勝つのは難しいです。
でも、勝ちましょう(笑)。