風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

虫たち

2008年04月30日 | 雑感
一番気持ちのいい季節のはずですが、もう暑いです。
日本の植生もそろそろ変化し始めているのではないでしょうか。

このごろどういうわけか虫に目が行きます。
自転車に乗ろうとしたら、マイマイ系の茶色い虫が日差しに照らされたアスファルトの上でじっとしています。
「どうした、元気出せ」と声をかけてもピクリとも動きません。
死んでいるかもしれんなと思いながらも、もう一度声をかけると触角を動かしてのそのそ歩き始めました。
こんなことは覚えておくほどの光景ではないのですが、妙に頭に残りました。

今朝も家のベランダでダンゴ虫がもそもそ歩いています。
ちょうど抱っこしていた娘に教えれば、喜んでおもちゃにしたでしょうが、止めました。
わざわざ八階の我が家のベランダまで這い登ってきたダンゴ虫です。
気の済むまで歩き回ればいいです。

店でも入り口のところにゴキブリがいたので、お客さんがぼくに殺してと言います。
ぼくはゴキブリも生き物だからほっておいてというと、お客さんは呆れていました。

なにもぼくの心根が優しいのだということを言いたいのではありません。
虫がじっとこちらを見ているような感じがするということを言いたいのです。

カラスの生態などにも興味を持ったことはありませんが、朝方になると山からカラスが街に向けて、
続々と飛んできます。
ゴミを漁りに来ているのでしょう。
その中で、逆に街から山へ向けて飛んでいくカラスもいます。
巣で待つ雛鳥に獲得した餌をやりに帰るんだ!と思いました。

小学生みたいなことを書いていますね(笑)
でも、ここ数日の光景はあえて見せられている気もします。

ついでに言いますと、植物もなんかものを言い始めたような気がします(笑)


グローバリゼィション

2008年04月29日 | 雑感
一昔前までは「香港」という町の響きは魅惑的な力を持っていました。
中国に返還されてからも一度行きましたがかつての中国でも英国でもない妖しさがかなり減じていました。
「妖しさ」というのは理路整然とした健全回路からは出てこない色彩でしょう。

ぼくが最初に香港に行ったのは20年ほど前です。
はじめて就職した会社の社長と水産物の買い付けに行きました。
夜景も見に連れて行ってもらいましたし、水槽から好きな魚を選んでその場で料理してもらえる食事も食べました。
その頃は、屋台もまだ通りにたくさん立ち並んでいて、茹でたエビをサカナにビールもたくさん飲みました。
人々も快活で、とても好感を覚えました。

それから、何度か香港を訪れました。
また行きたいという何かが香港にはありました。

数年前、中国に返還された後の香港に行きました。
かつて感じた「妖しさ」が街から消えていました。
屋台も取締りが厳しくなって、通りから消えていました。
活力だけは相変わらずでしたが、東京と同じような感じになっていました。

日本の各都市も、海外の訪れたことがある人から見れば、同じような状況でしょう。
世界中をグローバル資金が駆け巡り、都市から「妖しさ」やら「陽気さ」やら「ヘンテコさ」を奪っています。
それでも、どの国でも辺鄙な田舎にそういう魅惑的な場所を必ず残しています。
それを発見するのが、これからの旅行の醍醐味かもしれません。

その点、日本の辺鄙な田舎というのは、ただただ荒廃しているところが少なくないです。
荒廃の仕方に情緒がありません。
例えば、アメリカのゴースト・タウンなんかには、容赦のない荒廃の「美」があります。
日本の荒廃は、ただの無念の荒廃という感じがします。

ぼくの生まれた東北の田舎の近くに、ある鉱山がありました。
鉱山があるところには、人々が集まり、飲み食いどころができ、映画館ができ、学校ができました。
そういうシンプルな図式が今はありません。

グローバル資金は世界中がグローバル様式で染まることを望みます。
ここらで、日本人はグローバル資金を要らないと断る勇気を持つ必要があるのかもしれません。




テクノセンター

2008年04月28日 | 雑感
ぼくの住んでいる町にもなんとかセンターという内容のよく分からない立派なビルがあちこちに建っています。
女性の自立支援のためとか、産業育成のためとか、アジアに向けての情報発信のためとか、
もっともらしい設立理由はパンフレットを読むまでもなく分かってしまいますが。

その中のひとつに「テクノセンター」というのがあります。
おそらくIT関連の情報集約と、工学技術向上のためのセンターなのでしょう。
ぼくは一度だけ行ったことがあります。
中小企業向けの融資相談会でした(笑)
融資を受けるのもそりゃテクニックの一つには違いありませんが、「テクノ」ではないでしょう。
空いている会場を、使用しているという実績を作りたかっただけの場所の選定だった気がしてます。

まぁ、その手の施設にはよくある話だと思っています。
どう施設を活用するかではなく、建ててしまって、活動しているアリバイさえあればあとは知った事ではない、
という感じがプンプンします。
そういう感じの施設が日本全国に膨大にあるのでしょう。

今後の食料自給率を上げるための研修センターだとか、これからの林業を考えるセミナーだとか、
川をきれいする実例を紹介する講演会だとか、そういうためになるイベントならぼくも行きたいのですが、
普段どういうイベントをしているのかよく分かりません。

女性の自立支援を謳うセンターからどれほど多くの女性たちが自立して行ったのか、それもぼくは知りません。
アジアに向けてどれほど内容の充実した情報が発信されているのか、ぼくは知りません。
テクノセンターからどれほど素晴らしい革新的技術が生まれているのかも、ぼくは知りません。
知らないところで、知らない人たちが、知らないことをしているのでしょう。

まぁ、今の行政というのは一事が万事なような気がしています。
末端の現場の人たちが無用の苦労をしているのは知っているのですが。

行政だけを責めるのは酷かもしれません。
そういう施設を作るに当たっても、議会がチェックしているはずです。
運用に当たってもチェックすべきなのが議会なはずです。
議会と行政が馴れ合ってしまっていれば、そりゃ一般市民の声などどこにも届きようがありません。

まぁ、日本全国各地、そんな感じの「まつりごと」に染まってしまった感があります。
退廃的な空気の中でこそ、自主独立の気風が高まる、かな?
なんとか染まらず、心動ぜず、明るく楽しく自分の道を切り開けたらいいです。



神田川

2008年04月26日 | 雑感
ぼくの高校受験のときにはどのラジオをかけても流れていたのが「神田川」でした。
それが脳に強力にインプリントされたせいか、高校卒業後家出同然で上京したときに借りたアパートが、
神田川から徒歩5分くらいの三畳一間のアパートでした(笑)
現役で大学に入学した友達が、余った寮の食事を持ってきてくれました。
とりあえず、張り紙を見てアパートから近くのトンカツ屋でバイトを始めました。

そういう感じで東京での暮らしが始まりました。
「前略おふくろ様」のフリークでしたので、休日には門前仲町をあてもなくうろうろ歩いたりしてました。
その頃ではもうすっかり倉本聡が描こうとしたその面影はなくなっていたのですが。

そのうち、トンカツ屋の昼間のアルバイトだけではどうにもこうにも仕様がないことが分かりましたので、
新宿の某有名ビアホールで夜も働き始めました。
そのころはディスコ(←死語)ブームでした。
周りは若い女の子で溢れています。
楽しくも苦しい日々でした(笑)

そのうちどうにかこうにか大学に紛れ込んで、目的も希望もない日々を長い間送りました。

30近くになってはじめて会社というものに就職しました。
なんというグロテスクな世界だろうと、正直思いました。
そんな時、折に触れては神田川を見に行きました。
実際は、薄汚くコンクリートにガチガチに固められた情緒のない川です。

でも、ぼくの心の中にはあの「神田川」が依然として流れていました。



アメリカ人

2008年04月25日 | 雑感

春が暮れて行く中季節違いでなんですが、ちょっと感動したので。

http://jp.youtube.com/watch?v=iOic7t1kZog

アメリカ人というのは、陽気で軽率で素直で元気で騙されやすくて大バカヤロウですね。


野外生活

2008年04月24日 | 雑感
ここ数日カラスの姿が目立ちます。
朝早くからカラスの大群が騒ぐ音で目が覚め、何事かと思って外を見てみると指定日以外に出されたゴミ袋を、
道路いっぱいにぶちまけています。
カラスが悪いのではなく、ゴミを指定日以外に出す人が悪いのですが。

さて、雨で思い出しましたが、野宿をしたことのある人なら経験があるでしょうが、
野外で寝るというのはロンマンチックなものなどではなく、案外苦痛を伴います。
自然状態の地面というのは石ころがぼこぼこ頭を出しているもので、そのうえ微妙な傾斜があるものです。
昼間は柔らかそうに見える草も、夜露に濡れぐっしょりと湿っています。
それから、蚊がひっきりなしにやってきます。

昔、家のない人は、床と屋根のある家があったらさぞかし幸せだろうと思ったはずです。

さて、床と屋根のある家を手に入れました。
木の床があり、風を防げるだけで、はるかに快適に眠ることが出来ます。
それでも、直に床に寝ると寝返りも打つことが出来ず、体重が間接間接にじかに掛かるので、
起きると節々が痛みます。
畳が欲しくなります。

畳を手に入れると、床に直に寝るよりはるかに快適です。
それでもさすがに冬には寒く、寝返りも相変わらず打てません。
布団が欲しくなります。

ということで、現代の日本人たちはほぼ例外なく布団にくるまって眠れる幸せを享受しているでしょう。
羽根布団だ、ウォーターベットだと、さらなる快適さを求める人もいるでしょうが、普通の布団があれば充分幸せです。

普段あるものを断ってみるというのは、普段あるもののありがたさを身に染みて感じるためには有効です。
水や食べ物はもちろん、住居、家族、仕事、友人、すべて当たり前と思ってしまったらもったいないものです。

住居、家族、仕事、友人などを「断つ」ということは出来ませんが、断たれた状況に近いものは経験できます。
禅寺などにこもればもっともそれに近いかもしれません。
住居や食べ物はありますが、最低限のものです。
貧乏一人旅もいいかもしれません。
半年ほど虚無僧になるのもいいかもしれません(笑)

ぼくは若い頃は本気で無人島に行きたくてたまりませんでした。
人間嫌いというわけじゃ全然ないんです。
よく分かりませんが、一人だけという状況に無性に身を晒したかっただけです。
実際に行けそうな無人島というのを探したのですが、誰かの所有だったり、交通手段がなかったりということで、
結局はうやむやになりましたが。

娘が物心ついて、アウトドアが嫌いでなければ、キャンプなどに連れて行ってあげたいのですが、
なんせその頃はジーさんになっているんですよね(笑)


雨の日

2008年04月23日 | 雑感
朝から雨が降っています。
ついこないだようやく春めいてきたと思ったら、もう初夏めいて来ています。

こんな日は部屋にこもってコーヒーを飲みながら本でも読んでいたくなります。
ぼくは基本的にはじっとひとりでいるのが得意中の得意です。
一週間、誰とも顔をあわせることがなくても平気です。
必要に迫られて外に出て行くだけです。
何の自慢にもなりませんが(笑)

子供のころも雨など降ると廊下に寝転んで何時間も雨だれの音を聞いていました。
何かを考えていたというのでもありません。
ただ雨だれの音を聴いていました。
今考えてみると禅堂での生活態度みたいなものだったかもしれません。
目の前のことにひたすら意識を集中するということですから。
う~ん、意識を集中するというのではないですね。
集中すらしません。
意識に何の手も加えず、意識を対象に向けたままにするという感じでしょうか。
傍から見るとアホの子に見えるでしょうね(笑)

雨が降る中に傘を差さずにじっと立っているというのもなかなかのものです。
髪が濡れ、顔にしずくが流れ、首から背中にかけてじっとりと冷たくなっていきます。
空を見上げると灰色の空間から水滴が次々と落下してきます。
冷たく濡れること自体はそれほど不愉快なことではないのですが、濡れた服が体温に温められると、
その中途半端な水の感覚が不愉快に感じてきます。

どうでもいい話ですね(笑)





Over the Rainbow

2008年04月21日 | 雑感

気持ちのいい空が広がる日が続いています。
今日は自転車であちこち走り回りました。
ネットショップの説明会に行ったり、郵便局に行ったり・・・

川辺の公園では幼子を連れた母親たちが芝生に坐っておしゃべりをしています。
浮浪者と思われる男性が鳩に袋菓子を蒔いています。
鳩とカラスが一緒の水溜りで行水し、トンビが上空を緩やかに旋回しています。

こんな日はこんな日です。
何事も緩やかに過ぎていきます。
店にもかなりご高齢の上品な夫婦が立ち寄ってくれます。
さすがに知識豊かで、商品を見る見方が鋭く適切です。
商品を見ているだけなのに、二人とも終始穏やかな笑みを浮かべています。
ベルリンKPMの陶板をお気に入られたようです。

嫌な時代とひとくくりにするのは簡単ですが、一日一日のあちらこちらに輝く豊かな時というのはあるものです。
心が文字通りに忙殺されていれば、そういう貴重な瞬間を見逃し続けるのでしょう。

特別なことを外側に探して見つからないと嘆くよりは、日々の凡事なかに輝く豊かな時を探し当てることに
上手になったほうがいいのでしょう。

と書いてきて「Over the Rainbow」の歌詞をここにコピーしようと思ったら、面白い動画を見つけましたので紹介します。

6歳の少女が歌う「Over the Rainbow」です。
http://www.hiroburo.com/archives/50347765.html


食糧危機

2008年04月19日 | 世相
食糧危機が現実化してきましたね。
穀物をエタノール燃料として転用するという馬鹿げたことが進展しています。
金になる穀物を植えるためにアマゾンの森林が大規模に伐採され、温暖化が加速されます。
穀物が値上がりすれば、それを飼料とする家畜の値段も上がるでしょう。
どう考えても馬鹿げたことが進行しています。
あるコングロマリットが増えすぎた地球上の人口を10億人程度まで削減するために、
意図的に食糧危機を起こしているという噂も、あながち荒唐無稽ではないように思います。

環境問題というのも、環境問題という名目の利権がすでに派生しているみたいです。
環境を守るためにという名目で、どの国も国家予算を使わざるを得ない状況になっています。

こういう状況に対して、国連とか各国政府とかが口裏を合わせているかのように無策です。
やれやれです。
国連や政府が無策であろうとも、一人一人の人間は無策でいるわけには行きません。
環境が破壊され、食料の収奪争いが起きるであろうことを、黙って見ているわけには行きません。

どうすればよいでしょうか。
地域の食糧自給力を上げることと、質素な食事に慣れることでしょう。
ご存知の通りに長年放置されてきたせいで日本の森林は荒れ放題です。
森の健全な植生を復活させることで、食料も水もより豊かになるはずです。
森が活力を取り戻し、川に豊かな養分を含んだ水が流れるようになると、海も豊かな漁場となるみたいです。

それから、質素な食事ということです。
人間が必要とする栄養分というのは、対外から取り入れることに慣れてしまうと、
体内でその栄養素を合成する能力が衰えてしまうそうです。
肉食に慣れてしまうと、野菜だけでは肉体の活力を維持するのは困難になるでしょうが、
しばらく野菜だけの生活をしていると必要な筋力も持久力も充分に身に備わります。
特に牛肉というのは牛を育てるために大量の穀物と森林を切り開いた草原が必要になりますから、
ただでさえ狭い日本に普及させるのはこれからは無理になると思います。
どうしても食べたい人のための特別なご馳走という感じになればいいかと思います。

ぼくの百日間の肉断ち経験から言いますと、肉を食べなくてもそれこそ何の問題も起こりません。
久しぶりに肉を食べると、毒素が身体に溜まる感覚があるほどです。

温かいご飯と、具沢山の味噌汁と、納豆か何か一品あればおそらく健康な生活が送れるとぼくは思っています。
ただし、調味料なんかはできるだけ添加物のないものでないとだめでしょう。
最近は手作りのミソなんかも簡単に手に入るようになりましたから、いい傾向だと思います。

そう考えれば、国連や国が無策であろうがなんであろうが、ある程度は自衛できるかと思います。

グローバル化の名の下に、怪物化した資本は地球の資源を次々とターゲットにして食い荒らすでしょう。
誰がなにを言おうが、しようが太刀打ちできる相手ではありません。
日本の国もそんな流れにいったん飲み込まれるでしょうが、見事に国土を復活させてやりましょう。


生きる

2008年04月14日 | スピリチュアル
季節の変わり目、皆様いかがお過ごしでしょう。
滝行とか特別な日を除いては30年以上毎日アルコールを飲み続けてきました。
飲みたいとか飲みたくないとかいうのはありません。
仕事が終わればとりあえず飲み始める感じです。
身体が丈夫だということは誇るべきことでしょうが、身体を大事にしないものは必ずしっぺ返しを食うでしょうね。
そろそろ本気で軌道修正をしないとまずい気がしています。

さて、人は過去・現在・未来という時間を辿ります。
時間の経過とともに、肉体の老いを覚え、記憶が色あせていくのを感じます。
でもこれは肉体を持った人間特有の現象であるみたいです。
物質(=肉体)を持つということは自ずから物理学的制約を受けます。
つまりは、空間(=位置)の制約、変化(=時間)の制約です。
肉体を持たないということは、空間、つまりは距離と時間の制約から解き放たれるということらしいです。
肉体がないのだから、「思い」がすべての世界です。

地獄の世界を思い描けば、地獄の様相が身の周りに現出します。
平安を思い描けば、極楽浄土がそこにそのままあります。
ただ、地獄的想念を自分の中に積み上げてきた人が、肉体から解放されれば極楽浄土の想念に生きられるかといえば、
それは難しいようです。
地獄とか天国とかもともとあるものではありません。
「ある」と思ったその人の想念があったばかりです。
ですから、その人の今の想念が、肉体を去った後も天国なり地獄なりを作り出してしまいます。

今この場所でどのような想念を持って生きられるか。
それだけが大切なことです。

例えば、過去のトラウマということがあります。
過去というのは、今の心の在り方を変えると、その意味も色合いも味わいも変わってきます。
変えられるのは今の自分の心だけです。
今の自分の心が過去を色づけ、未来を作ります。

取り留めのない「今」というものに生きることができたら、過去も未来も無色透明の恩恵になります。

今に生きるためにはどうすればいいのか?
今に生きればどうすればいいのかという計らいごとを一切やめることです(笑)

簡単なくせにやたらと難しい「生きること」です。


春の嵐

2008年04月09日 | 雑感
春の嵐なのでしょうか、突風が吹いて横殴りの雨の中人々が立ち往生しています。
昼食に少し足を伸ばして、古くからの市場の中にあるうどん屋に行っておでん定職を食べました。
市場で働く人々も時折吹き抜ける強い風に驚いていました。

この雨で桜も散るのでしょうか。
ほんと桜というのは人々に春の到来を告げるためだけに咲いて散るような花ですね。
その伝でいえば、梅はそろそろ冬が終わるぞ告げるために咲くのかもしれません。
椿はいつまでも冬が続くわけではないぞと教えてくれているのかもしれません。

そんなわけで、今日は早仕舞いをします。
明日はからりと晴れるでしょう。←何の根拠もありません


春到来

2008年04月05日 | 雑感
今日は通りを歩く人が少ないです。
花見に出かけた人が多いのだろうと思います。

昨日見かけた花見の宴席風景は一昔前とは明らかに変わっていました。
おっさんだけのグループが圧倒的に多いのです(笑)
おそらく女性グループからは宴席への出席を断られたのでしょう。
中年男性だけのグループが顔をつき合わせてボソボソのんでいる様は明らかに色彩に欠けます。

今時、職場の酔っ払いの中年男性に付き合う女性というのはいないのでしょう。
ま、でもそのせいで妙に舞い上がった大声やら嬌声やらが聞こえず、落ち着いた宴席となっていました。

花見の習慣はいつ頃から始まったのでしょうか。
貴族などの階級では平安の昔からあったのかもしれませんが、一般庶民にまで広まったのは元禄の頃じゃないかと勝手に思っています。
昔の茶器などで、野外用の(野点用)茶器セットなどありますから、優雅に花見の席を設けたのでしょう。

そういえば、今年はまだウグイスの声を聞いていません。
滝場に行ってれば、今頃聞こえているはずだと思うんですが。

とにもかくにも春到来です。



2008年04月03日 | 雑感
今日は青空の下近くの小学校の校庭の桜が満開でした。
今年も新入生たちが黄色い帽子を被って校庭の桜の花の下で黄色い歓声を上げるのでしょう。

ぼくが子供のころは花見というのはゴザを敷いて弁当を食べるものでした。
いつの頃からか、カラオケを歌うようになり、焼肉を焼いて食べるようになり、ゴミ箱が溢れるようになりました。

と、ここまで書いて思い立って城跡に桜を見に行ってきました。
まだひとひらも散っていないまさに盛りの桜でした。

桜というのは、長い冬が終わったことを知らせる喜びの木なのでしょう。
最近の花見の仕方の文句を言っている場合ではありません(笑)

まだまだ肌寒いです。
炭火を起こして焼肉を食べたくもなります。
物言わぬ花を見ているよりは、大声で歌いたくもなります。

そんなこんなを思っているうちににも、後数日で桜は散ります。
僅かな数日のひと時、桜が咲く姿を目に焼き付けて、心を躍らせるが勝ちです。

せっかく巡り来たこの春を思い切り感じきろうと思います。


これ以上なにもいらない

2008年04月02日 | 
これ以上なにもいらない。

苦しむ材料に溢れている。
悲しむ材料に溢れている。
欲しい材料に溢れている。
楽しむ材料に溢れている。

愛し愛され、憎み憎まれ、倦怠と興奮を味わい、すべてが大調和のうちの戯れなのだと気がつく。

なんにせよ、これ以上なにもいらない。
手を伸ばせば「それ」はそこにある。

学ばなければいけないことはただ一つ、「勇気」を持つということ。
「勇気」を持つには、どん底に落ちるような失敗を恐れぬこと。
失敗を正面から見れば、それは「生きる」という顔。

そして、誰もが「生きて」いる。
すでに勇気を持って生まれたことに気がつけばよいこと。

これ以上なにもいらない。
すべてがあり、すべてが準備万端に待ち受けているということ。
死ぬことも災難にあうことも、完璧なタイミングで待ち受けているということ。

これ以上なにもいらない。
溢れる材料を使い切っていないことを惜しむばかりだ。