風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

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阿佐ヶ谷

2018年05月12日 | 雑感

東京の各町を紹介する番組で、今週は阿佐ヶ谷でした。
40年前ほどに住んでいた街です。
嫌な思い出がひとつもありません。
安い定食屋があり、飲み屋街がありました。
商店街や飲み屋街を一歩外れると閑静な住宅街が広がっていました。

隣町の高円寺や荻窪とはそこはかとなく雰囲気が違いました。
高円寺はミュージシャンが好みそうな尖り具合があり、荻窪はぼくにはピンと来ない町でした。
かぐや姫の「荻窪二丁目」という歌は好きでしたが。

朝方までやっている飲み屋がけっこうありました。
新宿で朝方まで飲んで、始電で帰って、へべれけの状態でそういった店で潰れるまで飲みました。
文句を言われたことは記憶にありません。
そういう店だったのです。

隣の隣の西荻の骨董屋で谷川俊太郎を見かけたことがあります。
そのころ彼は阿佐ヶ谷に住んでいたはずです。
詩集でそのご尊顔は拝見したことがあります。
ぼくが店でなにかを物色していると、背後のドアのベルが鳴り、振り返ると彼が居ました。
その独特な雰囲気で、彼だとわかりました。
小柄で、鋼鉄のようなオーラを身にまとっていました。
言葉というものを毎日毎日研ぎ澄まし続けていくと、こういうオーラを纏うようになるのだなと感心した覚えがあります。

その後、当時付き合っていた彼女が高円寺に住んでいたこともあり、高円寺に引っ越したこともあります。
学生にとっては、高円寺は気楽で住みやすい街でした。
でも、彼女と別れてからは、また阿佐ヶ谷に引っ越しました。

引っ越したアパートは、ヴィオロンという喫茶店のまん前でした。
大型の真空管のアンプでクラッシックを流すおしゃれな店でした。
マスターは、小柄な無口な30代くらいの男の人でした。
苦いコーヒーを出す店でした。
その当時のぼくは、クラシックを聞くという趣味はありませんでした。
でも、コーヒーを飲みたくなれば、その店に入るわけです。
文庫本を持ち込んで読もうとしますが、何せ店内が薄暗すぎて読んでいると目が拒否反応を示し始めます。
仕方がないので、タバコを何本か吸って、なんだかわからないクラシック音楽を聴き捨てて店を出る羽目になります。

その店の隣にはかなりのお年を召したご婦人がスナックをしていました。
何度か足を運びました。
何せ、自分の住むアパートの真向かえです。
いろいろ話を伺いました。
大陸からの引揚者だったみたいです。
その大陸に沈む夕陽の大きさが忘れられないと話していました。
若造のぼくは、なんと返答していいか分からず、水割りをひたすらお代わりしていました。

その後、何年ぶりかにそのアパートを懐かしさのあまり訪れたことがあります。
アパートは取り壊され、新しいコーポになっていました。
ヴィオロンは健在で、その隣がタイ料理屋になっていました。
さすがにスナックはなくなっていました。
そのタイ料理屋に入ってみますと、タイ人の感じのいい女性が切り盛りしている傍らに、
あの小柄で無口な男性が水を出したり、皿を下げたりしていました。

 

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文学

2017年12月11日 | 雑感

芥川は芥川でいるかぎり死に至る。
太宰は太宰でいるかぎり死に至る。
三島は三島でいるかぎり死に至る。
そしてヘミングウェイもヘミングウェイであるかぎり死に至る。

漱石は漱石でいるかぎり胃を壊す。
鴎外は鴎外であるかぎり孤に陥る。
村上は村上であるかぎり脱に拘る。
そしてドストエフスキーはドストエフスキーであるかぎり現実と空想の間を逡巡する。

そしてタカハシトオルはタカハシトオルであるかぎり全てを逸脱する。
かぎりのない虚無に向かって。
タカハシトオルとは虚無の海に浮かんだ虚無の船。
どんなに実のある荷を積んだとしても、虚無の海の底に沈める虚無の船。

虚無は虚無、なにもかもが無意味な地獄のマグマ。
無とは無だからこそ全ての可能性が開ける、全てがそこから産まれいずる豊穣の海。
それでも、豊穣の海は地獄のマグマの熱量を吸収する。
そうして、ありとあらゆる熱帯魚が南の海で乱舞する。

無の豊穣は豊穣であるがゆえに、秩序とともに混沌も同時に産み出す。
秩序と混沌のせめぎあいこそ豊穣なのだ。
是非が螺旋状に渦巻くのが地表での出来事だ。
タカハシトオルは声を失う。

おれは何に参加したいいのだとタカハシトオルは言う。
したいようにどうぞと風は答える。
タカハシトオルはうなだれる。
騙されるものかと思う。

でも、誰も騙してはいない。
優しかろうが、ズルかろうが、われ関せずであろうが、人はそれぞれの縁起にしたがってあるようにある。
それだけのことだ。
ただ、タカハシトオルには、それだけの縁起の自覚がない。

「いま、ここ、じぶん」の自覚が薄い。
厄介だ。
答えをわかりつつも、そう生きられないどこまでも小賢しい阿呆。
そうして本来尊い時間というシステムを空費していく。

面倒くさいです。もうすべてと直結したいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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青い鳥

2017年12月02日 | 雑感

メーテルリンクの有名な童話「幸せの青い鳥」は、ぼくも読んだことがあります。
おそらく小学校低学年のころだったと思います。
今考えると、すごい話です。
それにすべてが尽きているというような話です。

「いま、ここ」の外に幸せの答えを探しても、決して見つからない。
外の世界は常になにかありそうなそぶりを見せ続けるけれども、夢の如くこの手に掴めるものは何もない。
「いま、ここ」から逸脱すれば、過去・未来に、あるいはここではない架空の場所に答えを捜し求めることになる。
まさに禅が厳しく戒める逸脱です。
そして、今でも多くの人が逸脱し続けているありようでもあります。

「いま、ここ」が掴めれば、人は安心します。
逆に言えば、それが掴めなければ、どんな境遇にいようとも、人の心は安んじることができません。
「いま、ここ」を掴むためにはどうしたらいいのか。
その、どうしたらいいのかという「計らい」を捨てきることなんだと思います。

「計らい」は自らの計らい通りになるように、自分と周囲の行動を自らの想定通りに流動することを「期待」します。
誰が期待するのかといえば、期待するすなわち計らう当人「だけ」です。
周囲の人や環境が、一個人のきわめて恣意的な計らいに一々考慮しながら流動するはずもないのです。
ところが、「計らう」人は、自分の計らい通りになった、ならないと一喜一憂して日々を過ごします。

「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候 是はこれ 災難をのがるゝ妙法にて候」
これまた有名な良寛さんの残した一切の「計らい」を捨てきった尊い言葉です。
一見、常識的な見方からすれば、この言葉は非情で無責任な言葉に思えるのかもしれません。
昨今の震災で亡くなった人たちに、この言葉を誰かが紹介したらその誰かは間違いなく袋叩きに遭います。

「妙法」という言葉の重厚さを分かれというほうが無理があるのかもしれません。
「計らい」を捨てるという意味も、おそらくすこぶる分かりづらいです。
「計らい」ばかりで現実の経済活動も、婚姻生活も、教育システムも、なにもかもが成り立っているわけですから。

「計らう」前から、幸福はそこにあった。
それに気がつくというのがメーテルリンクのお話でした。
お話としては誰もが分かります。
でも、自分自身のリアリティとして、この世の幾人かがそれを実感して生きているでしょうか?
それは自分自身が生きるという唯一無二の物語の中で、各々が感得していくしかないでしょう。

こうなればいいなぁ、ああなれたらいいなぁという夢想に「いま、ここ」はありません。
ああすればよかった、こうすればよかったという後悔にも「いま、ここ」はありません。

「いま、ここ」はどこにあるのか?
その質問自体が砕け散る必要があるのでしょう。

 

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ネズミの話

2017年11月30日 | 

「あのね」と少女が言う
「なんだい?」と訊くと少女はくすくす笑う
ぼくもつられてくすくす笑う
彼女の目はぼんやりと天井に向けられている
「あのね」と少女が今度は真顔で言う
「なんだい?」とぼくも真顔で答える

「ネズミのお話」
「ネズミのお話?」
少女はまたくすくす笑いながら頷く
「ネズミがどうしたの?」
「コロンでけがしたの」
彼女の目はまた天井に向けられる

「どうしてネズミは転んだの?」
「あなたが悪いの」
ぼくが悪い
「どうして?」
「あなたがきらったから」
ぼくが嫌った?

「ネズミはね」
彼女の顔を見た
「なかよくしようとしてたの」
「誰と?」
ぼくは訊いてみた
「あなたのしらない世界と」

ぼくの知らない世界
「そうなんだ」
彼女は頷いた
「あなたなんか知らないところよ」
「なんかネズミにぼくは悪いことしたのかな?」
「そうよ」と彼女はぼくを正面から見た

ぼくは戸惑って彼女の目線をそらした
「あなたはいつもそう」
いつもそう
「そうなのかな?」
「そうよ」
少女はぼくから目をそらさない

「で、ネズミはどうしたかったの?」
ぼくは訊いてみた
「あなたに動いてほしかったの、いっしょに」
動いてほしかった
「何を、どんな風に?」
彼女はまたくすくす笑った

「あなたにはわからないの」
ぼくには分からない
「ネズミの気持ちが?」
彼女は心底さめたような目つきでぼくを見た
「ネズミはコロンでけがしてる」
ぼくはうな垂れてぼくの知らない世界のことを考えた

 

 

 

 

 

 

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カラスがなく

2017年11月17日 | 

苦しいときには苦しさを考え
哀しいときには哀しいことを考え
怒りに震えるときには怒りについて考えた

そうして思った
喜びにみちあふれるときはなにも考えることがないことを
喜びは喜びで踊っていた

人は腑に落ちないときには考える
腑に落ちたときは考える隙がない
なにもかもが地平線

喜ぶまもなく波は押し寄せる
たゆたうのもよろしかろ
押しのけ飛びあがるのもよろしかろ

ゆあーんゆあーーんと押し寄せる
その時に、なにを見る?
見せかけだけの波が押し寄せる
波にのまれてしまえばいい
沈んでしまえばいい
その時に思う
おれはなんだったのか
波に巻き込まれながら息もできなくなりながらそう思う
おれはなんだったのか

答えなどない
なにかに巻き込まれ、なにかを巻き込んでいく
そうやって、人はそれぞれの思いで夕日を見つめる
その上を、感傷のまもなくカラスが巣に帰る
すべてはでたらめだ
だからこそ
この世はとうといのだ、とカラスがないている

 

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カエルの歌

2017年11月16日 | 

いつだって耳を凝らしていた
なにひとつ聞き漏らしてはいけないと思っていた
だけどその音はいつもひどく、くぐもっていた
ぼころぼころと、その音はなっていた
泥の中でカエルが歌っているのだろう

ときおり、そうやって耳を凝らしているのが馬鹿らしくなった
カエルの歌などどうでもいい
耳を凝らすのをやめた
恋人と、カレーライスの辛さついて語った
友人と、村落からの人口の流出について語った

それでも、だれとも喋らず沈黙が訪れる時がくる
カエルが鳴きはじめる
耳をふさいでもカエルの声は脳の奥までリズムを刻む
すっかり降参して、カエルの声に耳を澄ます
ぼころぼころとカエルは歌い続ける

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あるアル中の一日

2017年08月11日 | 雑感

なにもかもが嫌になったら、嫌になることさえ嫌になる
時は止まり、目前に灰色の風景が広がり、誰かのくぐもった声が断続的に周囲に沸き起こる
それでも二度か三度の食べ物を食らい、排泄もする
それを虚しいとも思わない
虚しいとすら思わない自分がゾンビのようにノロノロギクシャクと動き回る

これはひとつのパターンなんだとは自覚する
虚無主義のパターン
ダサい
ひとつのパターンに沿って生きるほど安易なものはない
しかもきわめて精度の低い、性格の悪い頭脳が作り出すパターンだ

そう思いながらも、昼から酒を飲み始める
飲めば飲むほど、灰色の風景は闇の中に沈んでいき、周囲の声も聞き取れなくなっていく
酩酊にずぶりと沈む自分を感じながら、なにかを思い起こそうとする
なにか強烈な、なにかを思い起こそうとする
それを思い起こしさえすれば、すべてが救われるかのように

そんな奇跡は起きはしない
思いは混濁していく
ふと外を見てみると残酷なまでに照り輝く西日
混濁は渦を巻いて黒さを増していく
奇跡を待ち望む気持ちも消えかける

アル中はしつこい
消えかけると急にそれが惜しくなる
奇跡を待ち望むべく明日から酒を断ちますなんぞと虚空に向かって嘘を吐く
なんぼ嘘を吐こうがしだいに目の前は暗くなっていく
かすかに明日こそはという思いをちら入りと思いながらも、赤黒の闇に飲み込まれていく

 

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信仰心

2017年04月27日 | 雑感

なにかを思うということは、想念というエネルギーをなにかに集中させることです。
その集中先は、恋人であったり、お金であったり、冒険であったり、あるいは憎しみであったり、怒りであったり、人様々です。

一方、禅では極力、想念というエネルギーを使うことを排していきます。
これがなにを意味するかというと、なりたい状態や欲しい物や人に執着するなということなのだと思います。
執着という強力なエネルギーを手放すとなにが起きるのか。

おそらく、ただ無条件の祝福があります。
自分が存在すること。
ありとあらゆるものが存在すること。
「在る」ということが祝福であること。
それを思い知るのだと思います。

赤ん坊は泣きます。
おそらく、身体的に未成熟なゆえの不快感がひっきりなしに赤ん坊を襲っています。
それでも、雲の切れ間に陽が射すように、赤ん坊は時折顔一杯の笑顔を浮かべます。
「在る」という瞬間を実感している笑顔です。

この世は想念の強靭さを求められ、思考の中断を馬鹿にされる仕組みになっています。
宮沢賢治はデクノボーと呼ばれることを望みました。
残念なことに、ぼくにその覚悟はまだありません。
まだまだ信仰心が足りません。

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ノスタルジー

2017年04月26日 | 雑感

晩年の父親は童謡大全集みたいなLPを大音量で聴いていました。
「赤とんぼ」とか「雨降りお月さん」とか「ずいずいずっころばし」とか。
戦前からある歌なので、おそらく自分の幼少期に思いをはせていたのだと思います。
ぼくも童謡は好きなので苦にはならなかったが、近所の人たちは苦痛に感じていたのかもしれません。

タルコフスキーの「ノスタルジア」という映画がありました。
きわめて個人的なそしてヨーロッパ的な、もの哀しい映画でした。
そのもの哀しさ具合が、日本とは違いました。
日本的なもの哀しさはカラスの七つの子に対する哀れみであり、赤い靴を履いた女の子に対する哀れみでした。
それに対して、ヨーロッパの人たちの哀れみというのは、没落していく貴族階級の哀れみだあったり、
自分のルーツが消えていく運命の哀しみでした。

ぼくは辛うじて父おそらく父親が持っていただろうノスタルジーを共有できると思っています。
裏山でむやみに歩き回るとか、川で手づかみでオイカワを捕るとか、夏の夕暮れ時に意味もなく哀しくなるとか。

「菊の香や 明治は遠く なりにけり」

という句がありました。
名句です。
昭和を懐かしむにはどういう句がふさわしいのでしょうか。

ちょっと考えて見ます。

思い出と ともに舞い散る 桜かな 

失礼しました。

 

 

 

 

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夢の行くへ2

2017年04月07日 | ストーリー

マンションに帰りつき、ソファに座った。リサイクルストアで買ったいい感じに擦り切れた焦げ茶色の革張りのソファだ。
飲み足りない感じがして、九州に出張に行った旧い友人に送ってもらった薩摩の焼酎の封を切り、グラスに注いで氷を浮かべた。
電車の中でも、駅を降りてマンションに帰る道すがらでも、彼女の不可解な行動をいくら考えても答えは見つからなかった。
この世は腹が減ったら飯を食うだけではすまないのだ。たぶん。
彼女の携帯電話に電話してみようとも思ったが無駄な気がしてやめた。

彼女と知り合ったのは10数年前だ。
学生時代の友人から子供が生まれたという連絡があり、そのお祝いに彼の新居に向かった。
新居は東京の西の端のベットタウンの新築だった。玄関を入るなり、新築の建物特有の匂いがした。
誇らしげな笑みを浮かべる友人に招かれ、広めのリビングルームに招かれると、その場に彼女がいた。
友人の奥さんの手料理を手際よくテーブルに並べていた。
友人の奥さんの高校時代の親友だと友人の奥さんから紹介された。
「はじめまして、植村里美と申します」
「田中健一です、はじめまして」
ヨガの講師でもしていさそうな、浅黒く引き締まった身体をしていた。
彼女は長い髪を紺色の輪ゴムで後ろに束ね、水色の綿のTシャツとモスグリーンのインド綿らしきスカートをはいていた。
「こいつはシベリアのツンドラ地帯をテントを持って放浪したいんだと。昔からそう言っていた」とぼくの友人は言った。
里美は曖昧に笑った。おそらくなんて返答したらいいのかがわからなかったのだろう。
ぼくもなんて返したらいいのかわからなかった。

それからみんなで赤ん坊を見に行った。
日当たりのよい奥の部屋で赤ん坊は眠っていた。
両手両足を大の字に開き、リンゴみたいな小さな顔を横に向けていた。
里美はベビーベッドに駆け寄り、赤ん坊の顔に自分の顔をこすり付けんばかりに近づけ、よしよしよしと言った。
「このままうまく寝ていてくれるかしら」と友人の奥さんが言った。
「どうかな」と友人が言った。
「泣いたらわたしにまかせて」と里美が言った。
ぼくはなにも言えず、ぎこちなく笑った。

それから、里美とは電話番号の交換もし、友人夫婦の家に何度か一緒に訪れ、都心で二人きりで食事もし、映画を見にも行った。
そのころの彼女はファミリーレストランのアルバイトをしながら、日本語講師の資格を取るべく勉強をしていた。
海外の人に日本文化のよさを伝えたいと彼女は真剣だった。
彼女にさっぱりとした性格と、機転の利く頭の良さは好きだったが、どういうわけか女性としてみることができなかった。
二人で酒をしこたま飲んで、あれやこれやでぐだぐだ討論を重ねることが楽しかった。
お互いに身の上話はしなかった。大体の経歴くらいは知っていたが、それ以上は興味はなかった。
一度だけ二人とも泥酔したとき、彼女がぼくの部屋に泊まった。
さらに缶ビールを何缶か空け、あーでもないこーでもないをへらへら話した。
そのまま眠りについたのだが、朝起きたときに二人に妙にぎこちない雰囲気が漂った。
ぼくは少し寂しい気がした。
里美は無言でアルバイトに出て行った。

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夢の行くへ

2017年04月05日 | ストーリー

女は腕時計にちらりと目をやった。3度目だ。
「帰ろうか」とぼくは言った。
彼女はまっすぐ前を向いたまま小さくうなずいた。
ぼくはバーテンに声をかけ勘定を頼んだ。
バーテンは鹿のような目をした、鹿のように顔の小さな若い男だった。
「聞いてくれないのね」と彼女は言った。消え入るような声だった。
彼女の横顔を見ると、あらゆる表情が消えたような白い顔をしていた。
「聞いてたよ」とぼくは言った。
「なにを?」

ぼくはこの店に入ってからの彼女との会話を思い返した。
会うのが3年ぶりで、彼女のヘアスタイルが変わったことに驚いた。長い髪を刈り込みに近いショートヘアにしていた。
イメージがまったく変わったこと、でも似合っていることをぼくは彼女に伝えた。彼女はどうでもよさそうにありがとうと言った。
彼女の仕事のこと。
大手の税理士事務所の事務をしている。数字をきちんと管理するのは苦にならず、むしろ好きだということ。
3人いる税理士先生たちはみないい人で、顧客も余裕を持った大人ばかりだということ。
そして彼女の腕時計のこと。
古色のついた珍しい形の時計にぼくが興味を持ち聞いてみたのだ。
南京虫と呼ばれるタイプの小さな文字盤の1950年代のオメガで、2年前に肺がんでなくなった母親の形見だということ。

「わからない。ちゃんと話は聞いてたよ」
バーテンが伝票を持ってきた。彼は伝票をこちらに差し出したまま、ぼくの顔をじっと見ている。
「もう一杯飲んでもいい?」とぼくは彼女に聞いた。彼女は返事をしなかったが、ぼくはバーテンにバーボンを頼んだ。
バーテンは小さくうなずくと氷を割り始めた。このバーではみんなが小さくうなずく。

「ちゃんと言ってくれないとわからんよ。なに?」
彼女は黙ったままカウンターの板目を見つめている。なにか頼むかと聞いても彼女は首を横に振る。
バーテンがバーボンを持ってきて、それを受け取り、一息に飲み干した。
「帰ろうか」と聞いた。二度目だ。
彼女は黙る。
「いい加減にしろよ。言いたいことがあれば言えよ」
「言ったじゃない」

ぼくは彼女の横顔また見た。能面のままだ。
ぼくは飲みたくもなかったが、バーボンをのお代わりを頼んだ。7杯目か8杯目だ。バーテンはうなずいた。小さく。
彼女とぼくの間に沈黙の壁がどんどん厚みを増した。
バーテンがきちんと冷えたバーボンを持ってきて、それを一口すすり、ぼくは口を開いた。
「ほんとによくわからない。どうした?」彼女の横顔をきちんと見た。
彼女の顔をきちんと見るのはその日で初めてだったかもしれない。
「もういい」彼女はまっすぐ前を見据えていた。
ぼくはバーテンに再び勘定を頼み、立ち上がった。彼女にタクシーを呼ぼうかと聞いたが、無言だったので先にバーを出た。
バーの扉の前で5分ほど彼女が出てくるのを待ったが、彼女は姿を現さなかった。ぼくはエレベーターに乗り、下に降り、
飲み屋街の喧騒をすり抜けるように駅へと向かった。

 

 

 

 

 

 

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雪の夜

2017年03月09日 | ストーリー

夜中に突然父親に起こされた。
何時くらいなのか見当もつかない。
一緒に起こされた2歳年上の兄とともに眠い目をこすっていたら、早くしろと父親に急かされた。
それまで聞いたことのない父親の声だった。
姉に服を着せてもらって、家の玄関を出た。

辺りは一面の雪だった。
次から次へと真っ黒な空から雪が舞い落ちてきた。
玄関の前にはトラックが横付けされており、荷台には家財が積まれ、その上に幌がかけられていた。
幌の上にも雪が積もっていた。
ふと振り返ると祖母がぽつんと玄関先に立っていた。
暗くて表情は見えなかった。

ぼくら三人兄弟は父親に急かされ、トラックの助手席にぎゅうぎゅうと乗り込んだ。
姉を挟んでぼくと兄が座った。
姉はぼくらの肩をしっかりと抱きよせた。
父親は淡々とエンジンをかけると、トラックを発進させた。
タイヤに巻いているチェーンがチャラチャラと鳴った。
ぼくは窓の外に祖母の姿を探した。

祖母はまだ玄関先に立っていた。
その姿が降りしきる雪の中で青い影のようになっていた。

表通りに出ると、アスファルトの上に10センチほど雪が積もっていた。
街灯が人気のない街を降りしきる雪を透かしてオレンジ色に照らしていた。
消え行く夕焼けのようなオレンジ色だった。

この町を出て行くことになったのはぼんやり分かった。
ただ、なぜなのかはさっぱり分からなかった。
父親の顔を見ると、青く無表情な顔を前方に向けていた。
姉の顔を見ると、目に涙を一杯にためていた。

明日は小学校は行かなくていいのだろうかとふと思った。
エンジンの音と、チェーンの音と、ワイパーの音ばかりが狭い運転席を支配した。
再び睡魔が襲ってきた。
降りしきる雪の中に立っていた祖母の小さい姿が目に浮かんだ。

 

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東京Ⅱ

2017年02月12日 | 雑感

去年だったか一昨年だったか、正確には東京ではありませんが、田園都市線上にある街のデパートに一週間強出張しました。
もう、人生史上最悪な体験でした。
「九州の物産展」というテーマのイベントで、仙台屋という名前で仙台名物の牛タン弁当を出品です。
東北の物産展ではないのです。
九州の物産目当てに来るお客さんから見れば、完全にバッタものです。
「牛タン?はぁ~?」
ひたすら針のむしろ状態で、一週間強を耐え抜きました。

ま、それは当方の戦略、判断ミスです。
そういう失敗もありましょう(負け惜しみw)。
ただ、その一週間強の体験で思ったのは、仕事上の成功云々を離れたことです。

デパートには従業員のための食堂兼休憩室というのが必ず備わっています。
持ち場持ち場、あるいは店舗店舗で交代で食事を取ったり、休憩したり、タバコを吸ったりします。
従業員の90パーセントくらいの人たちが、一人で淡々と食べた後、テーブルに突っ伏して寝ているか、スマホをいじっています。
持ち場が違ったり、あるいは店舗や業種や業態が違ったりすれば、お互いに話すこともないのもわかりますが、
挨拶どころか、目も合わせなければ、相手の存在すら眼中にないかのようです。
うわ~すごい職場だな、とその職場に入った当初に思いました。
表向きは、一流ブランドの店員であったり、老舗の味を提供するスタッフであったりするわけです。
裏では、冷め切って、くたびれきったさびしい人たちでした。
家に帰れば、暖かい家族が待っているのかもしれません。
それが普通だと割り切っているのかもしれません。
でも、ぼくにとってはひたすら異様でした。

ぼくの宿泊しているホテルは、そのデパートから3、4駅離れているところにありました。
そのわずかな期間ながら、電車内でもまったく同じ状況が繰り広げられていることに気がつきました。
ほとんどがスマホです。
だれも無礼なことはしませんが、誰もが誰にも関心を持っていません。
関心を持たないというよりも、自分を他人からブロックしています。
人の多すぎる首都圏にいて、見知らぬ他者に関心を持つなどというのは無理難題だということは分かります。

その物産展に参加しないかと誘ってくれたある組織の方が言うには、そのデパートはとても客層がよいので評判とのことでした。
確かに、身なりはこざっぱりしていて、お金に不自由している感じはありませんでした。
とくに、悪口を言うようなところはありません。
でも、九州の客層に慣れてしまったぼくからすると、話していてクソ面白くないのです(悪口やんw)。
なんというか、自分の殻から一歩も出ず、余計なことはしゃべらず、相手や商品の点検のための質問はする、といった感じです。

デパートの食堂兼休憩室で感じたことが、電車でも、デパート内でも同じように繰り広げられていました。
見た目は皆さん小奇麗で、整っていました。
感じたことは、この人たちはなにを産み出しているのだろうか、ということです。
とてもとても失礼な物言いですが、そう感じたのだからしょうがありません。
小金を持って、中途半端な知識を持って、ブランド品もって・・・。

ものを産み出すためには、どうしても軋轢が必要です。
自分が生きる道筋と他者が生きる道筋の相克の上に創造が成り立ちます。
軋轢がないものは、創造ではなく模倣です。
東京は、模倣することが自己防衛のための主流となってしまっていると強く感じました。
ただ単に「個性」を売り物にすることさえ、模倣です。
個性なんぞは鉢の中の金魚にだってあります。

おそらく、TVの影響が一番強いのが東京です。
TVの呪縛からどんどん自由になり始めている人が増えているのに、東京を東京とならしめているある種のエネルギーはあります。
その正体は明かされつつありますが、語ろうとすると面倒くさすぎるので割愛します。

なんにせよ、今東京は外人に大人気です。
人気の理由もよ~く分かります。
焼き鳥屋なんか、この辺りの焼き鳥屋よりずっと安くて、おいしくて、感じがいい店がいっぱいあります。

なにかもどかしさが残ります。
東京もそこに住んでいる人たちも、もちろん悪いということではありません。
悪いわけがありません。

「江戸」がどうであったかを研究するとヒントがある気がします。

その手始めとして、「落語」はとても有効だと確信してます。

 

 

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東京Ⅰ

2017年02月09日 | 雑感

久しぶりに東京に出張で行きました。
時間がたっぷり空いたので、地下鉄の一日フリーパスを購入して、思い向くままあちらこちらに行きました。
学生のころ住んでいた街だとか、夜勤のアルバイトで通った市場とか、好きだったテレビドラマの舞台だったところとか。

東京は18から32までの14年間を過ごした街です。
今回あちらこちらに移動して、改めてその場所に身を置けば忘れかけていたいろいろなことが思い出されます。
たいていはロクでもない思い出ですが。

新宿にしょんべん横丁(現:思い出横丁)というガードしたの小汚い飲み屋街があります。
昔そこの居酒屋の二階の座敷で仲間と飲んでいたときのことです。
バイト帰りかなんだったか忘れましたが、仲間とだらだら飲んでいたわけです。
何かの折に、隣の席の女性と目が合いました。
職場の人たちと飲みに来ていた感じでした。

ぼくは自分のはいていた靴下のつま先に開いている穴を指差して、彼女の顔を見ました。
そうしたら、その女性はクスクス笑い出しました。

数ヶ月ほどその女性と付き合いました。
とても後味の悪い別れ方をしました。
鬼畜の所業でした。

そんな感じの思い出ばかりです。
話としてはある意味で面白いことは面白いのですが、当時の感情も同時に思い起こされますから、できれば語りたくありません。
飲み屋で出会った女性との付き合いは、ほぼ100パーセント後味の悪いお別れになりました。
女性たちが悪かったわけではもちろんありません。
ぼくがひたすら鬼畜だったのです。

同じ新宿のゴールデン街とか、二丁目なんかもちょくちょく行きましたが、鬼畜話が連綿と続くばかりです。
それに比べて、浅草や京成電鉄沿線などの下町で、煮込みと焼き鳥を肴に飲む酎ハイ、ホッピーは楽しい思い出が多いです。
渋谷や六本木は寄り付きもしませんでした。
金がないこともありましたが、背伸びしている感じの雰囲気がどうしても馴染めませんでした。
飲み屋に関してのエピソードは山のようにあるわけですが、割愛します。
学生のころから毎晩のように飲み屋めぐりですから、きりがないです。

昔住んでいた街には、30年ぶりくらいに足を踏み入れました。
思いのほか変わっていませんでした。
なくなった店もありますが、何でこんなところがというところが残っていたりもしました。
どういうわけか懐かしいというようなセンチメンタルな気分はちっともおきませんでした。
ふ~ん、という感じです。
記憶は確かにあるのですが、その記憶を刻した当時の自分の気分にまったく同調できないという感じです。
ぼくが成長したのか、老化したのか、おそらくその両方なんでしょう。
また再び訪れてみたいとは思いませんでした。

それにしても、都営大江戸線。
初めて乗りましたが、とても便利な経路を持つ地下鉄でした。
昔行きたくても行くのが面倒だった場所が、スパリと連結されていました。

東京に関しては、まだ言いたいことがありますので、また次回に。

 

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猿田彦とヤタガラス

2017年01月31日 | ストーリー

猿田彦「どうだ、このありさまは?」

ヤタガラス「いつものことです」

猿田彦「うん、そうだな。おまえの言うとおりだ。なにも変わっていない、何千年前も何千年も。でもなぁ・・・」

ヤタガラス「それよりも大神様、今は変わり目でございます。本当の変わり目でございます」

猿田彦「それは知っておる。で、このありさまだぞ。民がみずから変わろうとしなければ、なにも変われない。誰も手出しができない」

ヤタガラス「大神様はあきらめなさるか?」

猿田彦「あきらめたことなどない。ただ、いつになったら機が熟するのだと・・・。永いこと待ちすぎた」

ヤタガラス「あらあら、いつから大神様は時間などを気にするようになったのですか?」

猿田彦「ハハハ。民を見すぎて、感じすぎて、このごろは民とおんなじ心持ちになってしまう」

ヤタガラス「民こそはお宝、そうですね?」

猿田彦「うん、そうだ」

ヤタガラス「民を憐れんではいけません。そうなったら、いけません。民は憐れむべきではなく・・・」

猿田彦「うん、おまえの言うとおりだ。民を導くのがわしの使命だ。尊い尊い民の幸を願うのがわしの使命だ。だが、民はなかなか導かせてはくれんからのぉ」

ヤタガラス「百も承知のことではありませんか」

猿田彦「もうよい、わかった。それでは行くぞ」

ヤタガラス「行きますか?」

猿田彦「くどい!」

ヤタガラス「あら、怒っているんですか?」

猿田彦「こやつめ。わしが悪かった。許せ。役目を忘れかけていた。支度せよ」

ヤタガラス「はい!」

 

*昨日、宮崎で撮った写真を見ながらの妄想です(笑)

 

 

 

 

 

 

 

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