風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

海外流

2010年10月25日 | 雑感
今日は終日冷たい雨が降っていました。
このまま永遠に降り続けるかもしれないと思わせるような陰鬱な雨です。

2ヶ月前に手配したロンドンからの商品が届きません。
確認のメールを出したら、ある商品に添付する輸出許可証みたいなのが必要らしいです。
こちらが問い合わせて、はじめてそんなことを言います。
まぁ、そんなものです。
すべて先方の言いなりに合わせて、よしなにしてくださいとメールで言います。

実はもう、こちらとしてはかなりの余裕を持って新着商品の案内のDMを印刷して、郵便ポストに入れるだけになっていました。
その印刷した展示会の期日に間に合わなくなります。

なぜ文句を言わないのかとよく言われますが、文句を言ってどうにかなる相手ではありません。
とにかく、それでは許可証か必要ないものに関しては先に送るわけにはいかないのかとか、
そういった実務的なことを淡々と詰めていくしかありません。
で、木曜日にじゃあ許可証が必要でないものは先に送るがそれでいいかと聞いてきたので、それでいいから早く送ってくれとメールしたら、
次の日から休日をとりやがっていました。
今日になっても返事はありません。

まぁ、こんな感じです。

日本と違って、むこうはもう担当者次第です。
この担当者も別段悪意があるわけではありません。
こちらの事情やなんやらを鑑みようとする意図や心がいささか欠如しているというだけのことです。

こういう経験は何度かしていますが、やはり慣れません。
慣れようがありません。
DMも一枚一枚日付のところを書きな直さなければなりそうです。
負けるもんかぁ~、です。



2010年10月22日 | スピリチュアル

昨日は自分の畑と道場の畑であれやこれやをし、今朝は朝早くから城跡の庭園での坐禅写経会。
このところずっと禅関係の行事が続いており、これからも道場の新参者の集まり。
明日も泊り込みで道場での打ち合わせの予定。
今のところ年中不定休で店を開けていますので、ちょっときつい感じになってきました。

ま、きついこと自体は嫌ではないんです。
きつくてふらふらになって、でも、それを通り越すといい感じに冴え渡ってくるということもあるものです。
でも、このきつさがスケジュールどおりに続いていくとなれば、ちょっと嫌かもしれません。
大体においてスケジュールどおりに動くというのが苦手です。
行き当たりばったりで歩むことに比すれば、大方70%くらい面白みが減少します。

予期せぬ人や事象に出会えるからこそ人生は面白いとぼくは思っています。
誰か特定の偉い人や有名な人に会いたいとか、重大な事件に遭遇したいとか思ったことは一度もありません。
山奥を走るバスの中でであった幼稚園児とか、イギリスの何の変哲もないパブの中での人間模様とか、
そんなのが面白いです。
そういうぼくが面白いと思う人の有様や事象にはスケジュール化された流れの中ではなかなか出会えません。

ようするに、わがままなんですね。
ある程度の「枠」という存在価値は十二分に認めますが、その「枠」を逸脱する自由はいつだって確保していないと気がすみません。
自由だからこそ、あくまでも自由自在の意志が「枠」を尊ぶというやり方です。

他人に通用する話ではありません。
だから、こういうことは誰にも話して納得してもらおうというような話でもありません。
ただひたすら、「枠」を尊重はするけれども、「枠」に閉じ込められるようなことはできない体質なのです。
そういうときは、何も言わずに「枠」からするりと抜け出します。

禅の「枠」というのは広大深遠で抜け出すもくそもないのですが、ちょっと自分の居る「枠」の中身を検討してみたいです。

 


情報規制

2010年10月18日 | 雑感

禅の接心も無事に終わりました。
道場で寝泊りしてましたから、ダニに少し食われました。
作務で道場にも畑の畝を作り、ジャガイモを植えました。
あとはダイコンとカブとネギを植えようと思っています。

今朝は早起きして自分の畑に行ってきました。
ハクサイやブロッコリーなどのアブラナ科の作物を育てるのは諦めました。
もう見る影もなく虫に食い荒らされており、葉の筋(葉脈)しか残っていません。
そのかわり、ニンニクやネギやジャガイモやハーブ類は順調にすくすくと育っています。

さて、去る土曜日に再度大規模のデモが都心であったにもかかわらず、メディアの報道はほとんどありませんね。
なんでも報道する価値がないのだそうです(笑)
↓はイランが報じたデモの様子です。

http://www.youtube.com/watch?v=22INVJcLjzE

遠く離れたイランの報道局がその報道価値を認めたデモを、国内各局がほぼ完全に無視する異様な状況です。
臭いものに蓋をし続ければ毒素がたまっていきます。
尖閣のビデオも公開せず、情報も規制をしようとする。
非常に危険なことをしていますね。
隠せば隠すほど状況は危険になっていきます。


迷い

2010年10月10日 | スピリチュアル
さて、昨日から一週間の禅の接心が始まりました。
泊り込みです。
道場でみんな並んで寝ますから、耳栓は必需品ですが、昨日持っていくのを忘れました。
何人かが爆音並みのいびきをかきます。
寝不足でふらふらします。

ちょうどいい機会ですから、酒を一週間抜いてみます。
タバコも値上げ前に買いだめした3カートンがなくなったら、禁煙しようかとも思っています。

禅とは究極的なことを言えば、ありもしない過去や未来という幻想を追い掛け回すことを止め、
今のこの瞬間に溶け合うことです。
そこには過不足やら、損得やら、善悪やら、優劣やらといった相対的な思弁の世界が入り込む余地はありません。
寒ければ寒い、暑ければ暑い、その当たり前の尊い世界が眼前するだけです。

過不足やら、損得やら、善悪やら、優劣やらといった相対的な価値観に渦巻く現世の真っ只中に生きながら、
花が咲いて散るように、当たり前に生きるという絶対的な視座をも持ち続けることができるようになることです。
当たり前に生きることに迷いがなければ、迷おうにも迷うことができません。
それだけのことなんですが、それだけのことを大切にできない自分勝手な自我に振り回されてしまうのが、
この世に生きる人の習いであるわけです。
自我に振り回されることを迷いというのでしょう。

迷いが深ければ深いほど、悟りの度合いも深いとも言われます。
迷っている人に迷うなと言ったところで迷いがなくなるはずもありません。
迷っていると思っているその自分の当体を、自分で見極めるところしか始まりません。
迷っている人は、自分が勝手に原因もないのに迷っているだけだとは決して思わないものです。
誰かのせいや、何かのせいで迷っていると思いたがるものです。
そこから抜け出す道が、禅です。

まぁ、ともかくもあと一週間、薄暗い道場で坐ってきます。



デモ

2010年10月03日 | 雑感

秋雨が降っています。
それでも少しムシムシします。
昨日飲み過ぎて、今日は起きるのが辛かったです。
起きてからも、終日しんどい感じでした。

さて、昨日渋谷であった尖閣問題に対するデモの様子。
何が問題かって、これだけ大規模なデモもマスコミ各社が完璧に総スルーなこと。
因みに海外のメディアではこのデモの様子が大きく取り上げられています。

http://ime.nu/www.youtube.com/watch?v=N-JUoA8CMgc

これを一切報道しない報道機関って何なのでしょう。
政府の弱腰やら不祥事を槍玉に挙げるのは得意ですが、自らの弱腰やら隠蔽体質には頬かむりです。
どこかの媒体が報道してもよさそうなものですが、今のところ一社も報道しないと言うところがミソですね(笑)

バカの一つ覚えみたいに「ナショナリズムを煽るから報道しない」と言う声が聞こえそうですが、
だれもナショナリズムなんか希求していないと思います。
自国の領土を自国の領土として利用することも、表明することも許されないような不健康な状態がおかしいと思っているだけでしょう。

中国の船が海上保安庁の船に体当たりしてきたビデオもいまだに公開されません。
これまた、公開すれば中国に対する反発の世論が沸きあがるからという理由みたいですが、
じゃあ、そのビデオをなかったことにすれば日中の関係がよくなるとでも言うのでしょうか。
なんだか国民がなめられ過ぎているとしか思えません。

それともう一つ不思議なことがあります。
外務省OBの人たちが口を揃えて言うには、尖閣諸島の問題は棚上げにしておくのが一番いいと主張することです。
明らかに日本の領土である事実を、棚上げにすればするほど問題を複雑化させ、付け入る隙を作っていくということだとしか思えないのですが、
どういう理屈なんでしょうか。
付け入る隙を作れば、それが問題発生の要因となるわけですから、国際世論に対して堂々と歴史的な事実を公開すればいいだけのように思います。
後は国際世論が判断してくれるでしょう。
なぜ、ぐずぐずと棚上げにするのがいいのか、彼らの説明を聞いてもさっぱり分かりません。

尖閣諸島にしても、北方領土にしても、竹島にしても、日本の領海だと思って操業すれば、漁民が拿捕されたりします。
何を棚上げにしているのでしょうか。