風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

情報戦

2011年08月31日 | 雑感

ここ一週間以上畑に行ってません。
あれやこれや気になります。
そろそろ秋冬野菜を植える時期です。
一番大切な土作りをしなければなりません。

昨日は最後のFMの仕事でした。
若い画家の方でした。
とても感じの良い30代の女の子で、話していて面白かったです。
放送後ぼくの店でコーヒーを出して、その後も話をしました。
在日の人でしたが、色々と普段聞けないような在日の人たちの特有な問題などを聞けて楽しかったです。
ぼくは聞くとなると、納得するまで突っ込んで聞く方なんですが、すべてに率直に答えてくれました。
この世は、それぞれの国々の政治的な思惑と、扇動と、誘導に充ち満ちています。
それに引っかかってしまうと、死ぬまで洗脳が溶けないで終わってしまうことが珍しくありません。
一人一人が気をつけるしかないのですが、毎日忙しく働いて、テレビのニュースや新聞だけを情報現とする人に、
どう気をつけろと言っていいのか、言葉に詰まってしまいます。

新しい首相が決まりましたが、早速重要な問題がネット上では浮上しています。
どれもこれも半島がらみです。
下らない誤解をしたりされたりするのはもうやめにしないと、もううんざりです。
情報というのは、堂々と白日の下に晒すというのが基本でなければなりません。
白日の下に情報が晒されるからこそ、民主主義の多数決が有効になります。
操作・捏造された情報や、必要な情報が遮断された状態では、人々が正確な決断を下すことが出来ないのは言うまでもありません。

というわけで、現在も進行中の放射能の問題です。
ドイツのテレビの報道です。
いかに日本の報道機関が何もしていないのかが如実に分かります。

http://www.youtube.com/watch?v=yk3lIFxxaxo

 

 


本当のこと

2011年08月28日 | 雑感

今朝は久しぶりに滝に行きました。
駐車場が車で溢れていて、何事かと思いましたが、近辺の住民の方々が合同で草刈りをしていたみたいです。
そんな中で、久しぶりの滝です。
もう、なんというか、久しぶりの滝です。
何百回と唱えてきたはずの観音経が口から出なくなっていましたが、それでも十分に堪能しました。

やはり滝はとてつもなく爽快です。
ただ、坐禅に、滝に、畑にとなりますと、流石にしんどくなります。
FMはそろそろ飽きてきましたので、今月で辞めることにしました。
いっぺん、週間スケジュールを根本的に見直す必要があります。
膨大な無駄な時間が多いです。
そのほとんどが酒がらみです。
そろそろ人生の最終段階と心得て、いつまでもふらふらするのはやめませう。

さて、最終段階に来たからには、どうしても「本当のこと」というものを知るに至りたいわけです。
その答えは誰かしらない人の書いた書物や、言動にあるわけではありません。
空や森の中にあるのでもありません。
ぼくの中というような、せせこましいところにあるわけでもありません。
どこにでも、いつでも、今ここにあるのですが、目が曇っていれば見えません。
どこにあるかではありません。
いつだって、どこにでもあるわけです。
その、あるものが見えない、その心の目の曇りをこそ拭い去らなければなりません。

おそらく「本当のこと」というのは、知る対象ではありません。
「本当のこと」のど真ん中に生きるしかないのが、「本当のこと」なんだと思います。
「本当のこと」かどうかも忘れ果てて、「本当のこと」を生きる。
野に咲く一株の草花になる。
空を漂う一片の雲になる。
流れの下で転がるちっぽけな石くれになる。
どこにも嘘がなくなることなんだと思います。

そういう意味では、人間はとかく、たやすく嘘にまみれます。
人にも嘘をつき、自分にも嘘をつきます。
そのうち嘘をついていることさえも気がつかなくなるほどに、嘘にまみれます。
だから、やることなすことが厄介になっていきます。

まぁ、あせることはありません。
どんどん手放すことは手放して、なにか小さな光が自分の心に宿っていれば、それでいいです。
もう誰の企みにも騙されません。
誰をも騙そうとも思いません。
ぼくはぼくです。
あなたはあなたです。
それぞれが、ちっぽけながらも、この大宇宙の主人公です。
騙したり、騙されたりする世界には金輪際興味はありません。

覚醒とは、自分自身を取り戻すこと。
はっきりくっきりした自分自身を取り戻せたら、すべては「本当のこと」です。

 


夏の終わり

2011年08月26日 | 雑感

夏の終わりの雨が全国的に降っています。
娘と何回か海に行ったのがぼくの今年の夏の思い出です。
そのこと自体は半日足らずのほんとにちっぽけな行動なんですが、ぼくの中では大きな宝です。
娘の記憶の中にもちっぽけな宝として残ってくれれば言うことはありません。

先週もこれで最後と娘と海に行きました。
少しクラゲが出始めていて、ぞれでもめげずに散々泳いで帰ろうとしました。
で、二人でシャワーも浴びて、いざ帰ろうとしたら車の鍵がありません。
というか、すべての鍵をまとめた束がありません。

鍵の束をぼくの水泳パンツのポケットに入れてそのまま泳いでしまったのでしょう。
炎天下の駐車場、どうしたものかと途方に暮れます。
幸いなことに、車の窓を少し開けていたので、そこから腕を差し込んでドアのロックを外します。
とたんに防犯のためのクラクションがひととき鳴り響きます。
とりあえず、娘を着替えさせます。
あいにく、かき氷や焼きそばを売っている売店がどういうわけか閉まっています。
もちろん娘はことの重大さを知りません。

とりあえず、嫁に電話をして娘を迎えに来るように伝えます。
それから、JAFに電話して状況を伝えます。
とにかく自分の駐車場か、懇意の自動車整備工場までレッカー移動してくれと頼みました。
風が通るようにドアを開けっ放しにして、娘に車の中で待機するように何度も念を押します。
それから、荷物を置いていた砂浜に戻って辺りを入念に探しますが、鍵の束は見当たりません。
これは腹を括るしかないと諦めて車に戻ろうとすると、娘が案の定言いつけを守らず、海辺をこちらに向かって走ってきます。
その姿を見て、泣きそうになりました。
こんなクソ親でも、一心不乱に信じてくれている娘。
両手を拡げて抱き上げ、駐車場に向かいます。
こんな時でも幸いなことはあります。
先ほどまで閉まっていた売店がちょうど店を開く準備をしていました。

かき氷がすぐ作れるかと聞くとすぐ作れるとのことなので、娘にイチゴ氷を注文しました。
娘がかき氷を食べている間に、あれこれ頭を巡らします。
ぼくの車は面倒くさい車で、簡単に合鍵を作れるような車ではありません。
JAFの人も、簡単にレッカー移動できるわけではないようなことを言っていました。
この頃までは、車のことよりも、海に泳いだ後に娘を温泉に連れて行くという約束の方がぼくの頭の重要なファクターでした。

JAFのレッカー車が来ました、
駐車場ですから、前後に車が詰まっています。
とてもレッカー車で牽引できる状況ではありませんでした。
牽引するとしたら、駐車場が閉まった夕方以降しかないということで、レッカー車は帰りました。
ぼくは平静を装って、売店で娘に焼きそばを注文し、ぼくはビールを頼みました。
どうせ鍵がありませんから、運転することはないからです。
駐車場の管理人の人が来て、いろいろ心配してくれます。
水中メガネがあると聞くと、あるというのでそれを借りて娘と二人、海辺に戻ります。
30分ほどぼくは水中メガネをかけて娘と遊んだ辺りを探索しましたが、波が高くとても発見できる感じはしませんでした。
娘は言うこと聞いて、海には入らず波打つ際を行ったり来たりしていました。

流石に二人とも疲れて、売店に座り、ぼくはビールを飲み、彼女はフライドポテトを食べました。
そのうちに嫁が迎えに来て、とりあえず娘を帰すことが出来るという一安心でした。
ぼくも一緒に帰り、さてどうするかということであれこれ手を打ちました。
色々ありましたが、面倒くさいので以後の状況は割愛します。

だからなんだ、という話しではありません。
ぼくの目には、言いつけを守らず、浜辺を走ってくる娘の姿が焼き付いたという話しです。

夏の終わりにふさわしい永ちゃん2連発です。


ひき潮
http://www.youtube.com/watch?v=ecDiCXwUVsk


A DAY
http://www.youtube.com/watch?v=VoX2k3bS8AY&feature


潮目

2011年08月22日 | 雑感

風邪を引いてしまいました。
先週畑で作業をしていましたら、突然大雨が降ってきまして、そのままずぶ濡れのまま、
クーラーのがんがん効かせた車を長時間運転したからでしょう。
水のようにサラサラとした鼻水が出ます。
移すと不味いので、家族は家族の実家に泊って貰っています。
夏に風邪を引いたのはこの人生で初めてのような気がします。
夏の風は、布団をかぶってびっしょり汗をかいて、ということも出来ませんので、すっきり治りませんね。

畑はちょうど夏野菜から秋冬野菜への移り変わりの時期です。
トマトやキュウリ、カボチャは終わりです。
ナスは秋なす収穫までに一休みです。
終わった野菜の枯れた株を取り除き、空いた畝は掘り起こして、堆肥と肥料を混ぜ込みます。
収穫の終わった土は流石に少し枯れたようにボソボソになります。
先日は秋に採れるキャベツの苗を少し植えてきました。
無農薬、有機肥料のキャベツというのは、それはおいしいです。
おいしいだけに、虫が寄ってたかって食い荒らしますから、その猛攻撃を耐え忍んだものだけが丸く結球します。

この9月で、畑を借り、農作業をやり始めて、ちょうど一年になります。
一通り、秋冬野菜から、春夏野菜までの栽培を経験しました。
すべて自己流でしてきましたから、分からないこともたくさんあります。
トウモロコシはすべて虫にやられましたし、枝豆はひょろひょろと痩せたものを収穫しました。
キュウリは病気に弱いし、ナスはまっすぐな形に育つ方が珍しいことも知りました。
また、ジャガイモは驚くほど丈夫で、手間もかからず、沢山の実みを付けます。
トマトは生命力が強く、折取った枝を土に植えると、根を生やし、枝に実を付けます。
ダイコンはああ見えて意外とデリケートです。
イチゴは栽培の方法や場所の条件を整えれば、案外と量産できるかも知れないと思いました。
シソは丈夫です。無敵です。
ハーブ類は土地が肥えすぎていると、すぐに花や実を付けすぎてしまい、かえって短命になるかなとも思いました。
それから、雑草も放っておくと幅数十センチの大株になるものがあります。
そうなると、鎌ですぱりと切ることも出来ませんし、スコップで根こそぎ掘り出すしかなくなります。

まぁ、畑をするにも、色々あるわけです。
色々あるからこそ、大変でもあり、楽しいわけです。

さて、昨日、フジテレビに対して韓流をはじめとする偏向報道に対する抗議デモがあったわけです。
発表元によって違いますが、8000人から2万人を超えた人が参加したデモです。
その辺りはユーチューブに沢山動画がありますから、ご自分の目で確認してください。
フジテレビを取り囲んで、いかなる政治団体に所属しているわけでもない一般市民の抗議デモです。
案の定、どこのメディアも全く取り上げませんでした。
このようなメディアの「都合の悪いことは報じない姿勢」を知らしめることこそが、
このデモの趣旨だったと言っても過言ではありませんから、その意味でもこのデモが大変有効になりました。

自局に対して、数千人から数万人に及ぶ人々の抗議デモがあったというのに、全く報じない報道メディアというのはなんなのか?
報道の自由、人々の知る権利を謳いながら、自局に不利だと見なした情報は遮断する報道メディアとはなんなのか?
しかも、フジテレビに限らず、他局も一律に足並みを揃えて、これほど大規模なデモを一切報じない不気味さはなんなのか?
そしてこれが一種の報道規制であるのなら、いったい、誰による誰のための報道規制なのか?

今回、すべてのメディアの足並みを揃えた完全無視ぶりは、かえってことの大きさを人々に知らしめることになるでしょう。

http://www.youtube.com/watch?v=Q0rLIflnaG4

↑この動画でも現れていますが、こういう運動になると色々な微妙な勢力が動き出します。
その辺りの間隙を突いてくるプロフェッショナルな運動家というのもいます。
一般市民も活動に熱中していけば、限りなくプロ市民化していきます。
この辺りの運動というのは、ほんと色々な危険と誘惑に満ちてきます。
今のところ、あくまでも有志の主催したデモだと思いますが。

ところで、ミニストップの「ベルギーチョコソフトクリーム」はお勧めです。
期間限定品です。
前回食べたとき、感動しました。
滅多にそんなものを食べないのですが、全くこびへつらいがなくて、いい感じでした。


暗澹

2011年08月12日 | 雑感

まぁ、あまりブログで煽るようなことは言いたくないのですが、メディアが完全に開き直ってきているようなので、書きます。
もちろん、こんなことは知っている人は知っているのですが、知らない人となるとほんとに全く知りません。
知らない人が大多数なのを知っているから、メディアは国民を舐めきって、開き直っているのでしょう。

つい、先日、サッカーの日韓戦(フジテレビによると韓日戦だそうです)がありました。
日本は見事な勝ちっぷりで、韓国を下しました。
次の日の朝、ワイドショー(「とくダネ」)を見ていて、当然話題に上がるかと思っていましたら、完全にスルーでした。
日本代表チームが、永遠のライバル(笑)である韓国に見事に勝ったのですから、当然話題性十分です。
しかもその試合の視聴率は三〇パーセントを超えたそうです。
さらにいえば、「とくダネ」はサッカーネタが大好きだった番組のはずです。
もうここまで露骨に情報統制を始めたんだと思いました。

日本のメディアも政治もどういうわけか対韓国、対北朝鮮の話題になると腫れ物に触るような扱いになります。
強烈な反日教育をしているその両国との友好をやたらに唱えます。
特段の反日感情を持っていないタイやベトナムや台湾やインドや中東と友好を深めようというような話しは
聞いたことがありませんが。

それに加えて、近頃見たことも聞いたこともない韓国のアイドルグループが突然番組の中で、
日本で大人気だという触れ込みで紹介されることが多くなりました。
フジの人気番組の「笑っていいとも」のコーナーで、日本人に一番人気の鍋に「キムチ鍋」が、
エントリーしたというのもありました。
挙げればきりがないのですが、至る所に韓国、韓国です。
書店でも、レンタルビデオ屋でも、その状況です。
何も知らない人が見たら、へー、今韓国がブームなんだと思うでしょう。

韓国は国策として、巨額の国家予算を割いて、自国の文化コンテンツの輸出をしようとしています。
それはなんら否定すべきものではありません。
でも、そのやり方です。
見たこともないアイドルグループが日本で大ブレークだとか、鍋物でキムチ鍋が一番人気だとか、
そういう捏造された情報を垂れ流す姿勢が、国民を舐めきっていると言われる所以です。
一部の人間がそのいかがわしさを嗅ぎつけたところで、大多数の日本人を騙すことが出来れば大勢に影響はないというわけです。

韓国と仲良くすることに反対なのではありません。
ただ、韓国は決して親日の国ではなく、先日我が国の国会議員が訪れてもヒステリックに入国拒否する国です。
何かというと平気で日の丸を燃やし、日本国の自治体がどの教科書を採用するかに口を挟んでくる国です。

なぜ、このような不健康な状況が日本においてずーっと続いているのでしょうか。
その一端が以下の動画に出ています。
昨日の国会で行われた質疑です。
楽しい動画ではありませんが、今日本で何が起きつつあるのかを押えておいてください。
どんな人が首相で、どんな政党が政権与党で、どんな勢力がメデァアを押えているのか。
そして、これを全く報じないメデァってなんなのかを考えてみてください。

自民党時代は、ホテルのバーで飲んだことがやり玉に挙がり、漢字の読み間違えで糾弾されました。
それに比べて、昨日の国会でのやりとりは比べものにならないほどの大事です。
でも、どのメディアも「ダンマリ」ということが何よりも大きな闇です。

2011.08.11 参議院 予算委員会 西田昌司 1/3 「外国人献金、領収書出せ」
http://www.youtube.com/watch?v=OCRdhKuvU_c

2011.08.11 参議院 予算委員会 西田昌司 2/3 「北朝鮮・日本革命村十の誓い」
http://www.youtube.com/watch?v=ukmWBzaTXoc

2011.08.11 参議院 予算委員会 西田昌司 3/3 「あなたがた全てがダメだ」
http://www.youtube.com/watch?v=0GXJIWYgkac&feature=related

西田議員が↑のような質疑をする背景。

【民主党は韓国・北朝鮮のスパイ政党だ】西田昌司
http://www.youtube.com/watch?v=eLwcX7M8PQQ&sns=em


ついでに。
分かりやすいアニメ。

人権侵害救済法案
http://www.youtube.com/watch?v=23UifZOyf3s&feature=player_embedded

韓流
http://www.youtube.com/watch?v=xal56oA8uT4&feature=related

 


頑張れ、日本

2011年08月10日 | 雑感

なんというか、政治も企業も人々の意識も末期症状を呈してきたような気がして仕方がありません。
末期とは何か。
次に進むべきステップを完全に見失った状態です。
見失ってしまっていることにさえ気がつかない状態です。

このブログを読んでいる方はほとんどの方が昼間は働いているでしょうから、国会中継を見る暇などないでしょう。
首相をはじめ、閣僚の誰一人として質問にまともに応えるということがなく、あーでもない、こーでもない、でも、そーでもない。
これが延々と続く国会での審議です。
こんなのを子供に見せて、なにをどう説明できるというのでしょうか。

何かの指針が示されれば、「前向きに検討します」「頑張ります」です。
これが政治家の言葉でしょうか。
何かをし遂げるためには、お金と人手と行程が必要です。
そこに踏み込んだ答弁は皆無です。

現役の総理の北朝鮮の拉致に関わりの深い政治団体への巨額な献金問題も、国会では厳しく追及されていますが、
メデイアはいつものごとく黙殺しています。
そのほかにメディアが黙殺している重要問題が、ありすぎて困るくらいにあります。
「人権擁護法案」というような極めて曖昧で危険な法案を、現政権は懲りずに国会に提出するようです。
なんでもあらゆる行政組織から独立して、独断的に誰やら彼やらの発言並びに行動を監視・規制・弾圧できる法律らしいです。
しかも誰がそれを管轄するのかというと、必ずしも日本国籍を有した国民ではなくてもいいそうです。
令状も取る必要がなく、委員会が「人権侵害」と判断した個人宅に侵入し、調べ上げ、メディアに吊し上げることが出来ます。
わけが分かりません。

前法務大臣の岡崎さん、そして現法務大臣の江田さん、この二人は、
北朝鮮による日本人拉致実行犯の犯人が韓国で捕まって死刑判決を受けた際に、
菅首相と共に、その犯人の助命嘆願書に署名捺印した仲間です。
そしてその犯人は、そのおかげもあってか、放免になったら、韓国内では英雄扱いになったそうです。
韓国併合を反対した伊藤博文を暗殺したテロリストが今の韓国では英雄に祭り上げられているのと同じ現象でしょう。
そういう人たちが、「人権擁護法案」みたいな、誰のためになるのかさっぱりわけの分からない法案を推進します。

そして、メディアは全くそういう流れを報道しません。
メディアの上層部には、日本国体解体を夢見るような心情左翼の残党が、わんさか残っているのでしょう。
自分たちは高給を貰いながら、国体解体を是とする政治団体にシンパシーを感じ、
実際に進退窮まっている震災被災者に対する具体的な提言に対する無知と無理解。
下らなさすぎます。
どんな言葉もでません。
下らなすぎます。

日曜日に花火大会に行きました。
花火も終盤になって、被災地に向けて「がんばろう日本」の文字をそのまま空に浮かび上がらせる花火が上がりました。
「が」の文字がひっくり返っていたり、「う」の文字が逆さまになっていたりしました。
それでも、見ている人たちは声を揃えて、「が」「ん」「ば」「ろ」「う」「に」「ほん」と叫んでいました。
バックで大音響で流れていた音楽はサッカーWCの放映時に流されていた曲です。

頑張りましょう、日本。

 


妙子

2011年08月04日 | 雑感

なんか久しぶりに夏らしい夏のような気がします。
冷夏だとか、猛暑だとか、極端な季節の変遷ですが、今年の夏は夏らしい感じがします。
ちゃんと蝉が鳴き、ちゃんと入道雲が空に湧いてます。

高校生の頃、ロッテリアでアルバイトをしました。
遊ぶお金が必要だったからです。
ロッテリアでアルバイトすること自体が遊びでしたが。
男子校でしたから、若い同年代の女の子がすぐそばで働いているわけです。
まぁ、いろいろありました。

入れ替わり立ち替わりシフト交換で、職場の女の子が替わるわけですが、
日曜日の昼間だけに来る子に妙子という子がいました。
その頃のぼくは、なんといっても男子校の柔道部で、好みの女の子に対しては声をかけることさえ出来ませんでした。
その頃のぼくの好みの女性というのは、育ちの良さそうな、おとなしい女の子でした。

妙子さんは市内のどこかの短大に通っているということでした。
強いていえば、美保純を湧き水で洗って、アーカンソーの草原の日の下で干し上げたような人でした。
ぼくは厨房にいて、フライドポテトをつまみ食いしながら、てきぱきと接客する彼女の姿を、背後から眺めていました。
その他の女の子とはひっきりなしに食べに行ったり飲みに行ったりしていましたが、彼女とは一回もそういう機会がありませんでした。
そういう機会がなければないほど、彼女に対するぼくの視線は熱くなっていました。

そのうち、あっという間にぼくも高校の卒業の時を迎え、ロッテリアも卒業することになりました。
そんなある日の何かの機会に、アルバイトのみんなで飲み会をしました。
妙子さんは参加しませんでした。
東北で一番の進学校である女子校を卒業する子が、進学せず看護婦になると皆の前で宣言しました。
その子はとてもきれいな子で、よく気がつき、大人びていました。
強いていえば、安達祐実をうんと上品にし、縦に伸ばした感じです。
皆が酔っていて、その中で彼女と言葉を交わしたのですが、なんだか彼女はぼくに好意を寄せていたらしいということでした。
彼女とはまともに言葉を交わしたこともありません。
ぼくはといえば、厨房の中では冗談ばかりを言って、ヒマさえあれば余り物をもぐもぐと食べ、
どす黒い顔の色をした店長に叱られてばかりいました。
それでも、冷えたものは売り物にならないから、余ったものは食うというのがぼくのルールでした。
まぁ、それは置いといて、ぼくはその安達祐実に似た子に特別な興味を持って視線を送ったことはありませんでした。
興味がないというよりは、ぼくなどがお相手できるヒトではないとはじめから想定外に彼女の存在を追いやっていました。
ぼくと彼女の高校は、広瀬川を挟んで、ほぼ対岸のところにありました。
でも、もう、彼女と言葉を交わすチャンスは、その飲み会が最後であり、二度と訪れる可能性はありませんでした。
その春、ぼくは東京行きの電車に乗りました。

で、そういうこともありながら、ぼくの胸を去来するのは、美保純似の妙子さんの笑顔でした。
看護婦になりたい安達祐実似のその子ではありませんでした。

まぁ、そんなものです。
なんでこんな話をしているのかというと、youtobeで拓郎の動画を漁っているうちに、
「たえこ My Love」という懐かしい曲に行き当たったからです。

http://www.youtube.com/watch?v=6H4tUvICdgc&feature=feedf

それだけの話しです。

それだけの話しを積み上げるのが人生です。
それだけの話しではあるのですが、それだけでは収まらないのも人生です。
話しを無理矢理まとめました。


跡形

2011年08月02日 | 
ある日の夕暮れ、五〇〇羽以上の雀が一本のケヤキの木に寄り集い、
その日一日の出来事をピーチク喋っているその下を、
年老いた雌の野良犬が険しい顔してトットと通り過ぎた。
3匹産んだその最後の仔が前日に死んだのだ。
それでも雀たちはピーチクを止めはしない。

雌犬は悲しさをとうに通り越していた。
暗い闇の中を、さらに深い漆黒へとトットと向かっていた。
トット、トット。
そこには一切の感情が排除された。
トット、トット。
彼女の足は虚無に向かって進み続けた。

その他にその日そのケヤキの下を通ったのは、一人息子に先立たれ、
くたびれた茶色のビニールの買い物かごを抱えた老婆と、
青黒く痩せた顔をグラグラ揺らせながら歩いているアル中と、
中途半端に欠けた月のように憂鬱な顔をした妊婦だけだった。
憂鬱な妊婦?

もちろん、ケヤキはいろいろなことを感じながらも、
何も感じないふりをして葉を風にそよがせていた。
感じれば感じるほど幹がギュッと縮み上がり、樹皮が乾燥し、
根は先端でグルリと巻き上がるのを感じていた。
そんなそぶりを見せれば、雀たちが脅える。
そんなことをするケヤキではなかった。

それから数週間もすると、雌犬の姿を見る者もなくなり、
雀の賑やかな鳴き声も消え、ケヤキも立ち枯れていた。

さらに数年も経つと、人もいなくなり、コンクリートを割る雑草ばかりになったら、
しつこいカラスたちも消えた。
街から音が消えた。
いや、音はあった。
風の音がした。
むっとするような草と土の匂いがした。
あらゆるエキスが充満した風が吹き始めた。
見たこともない虫たちが動き始めた。

コンクリートがすっかり土塊になるのには七六〇年ほどの時間を要した。
人類がいたという痕跡は、沼地の底に沈むペットボトルくらいのものだった。
かつての道路沿いにケヤキが植えられていた辺りには、亜熱帯性樹林で覆われていた。
見たこともない鳥たちが飛び交い、見たこともない猿たちが吠え合い、
見たこともない猫科の動物が獲物を探した。

雌犬の見た漆黒はどこにも跡形もなかった。
人間の恐れたあれやこれやもどこにも跡形もなかった。
ただ、あいもかわらずひたすら生命の連鎖が広がっていた。

生きる意味などを問うことを、せせら笑うように生命は豊穣に広がっていた。


本気

2011年08月01日 | 雑感

あっという間に8月になりました。
中身がスカスカの一日であり、一週間であり、一ヶ月です。
ヒマでぼーっとしているわけでもないのですが、何かを積み重ねている感触も全くありません。
その場その場を凌いでいるだけのような気がします。
こういうあり方は、禅の方面から見ますと全く持ってけしからんのですが。

ぼくはちょっと早めの思春期を70年代に過ごしました。
ビートルズも辛うじて現役でしたし、映画も退廃的なものや破壊的なもので冒険心に溢れていました。
昭和の歌謡曲も、グループサウンズも、フォークソングも、アメリカンポップスも混在してました。
なんかいろいろなものが渦を巻いていました。

考えてみると、その頃はまだ戦後20数年で、戦争の記憶を持った人たちがたくさん現役だったわけです。
何かもの哀しい雰囲気が世間に漂っていたような気がします。

日本が豊かになった80年代から文化のレベルが急速に凋落していったような気がしています。
高みに挑戦することを止めたような気がします。

今日たまたま運転中に聞いたFMで、吉田拓郎と中島みゆきの「永遠の嘘をついてくれ」というライブ演奏を聴きました。
なんか久しぶりに70年代の熱を感じました。

動画がありましたので張ります。

http://www.youtube.com/watch?v=O9Bsp72aUbM

前回ここで紹介したCMや映画も70年代でした。
あんなCMは今の日本で絶対に作れないだろうと思います。
制作する側に誇りとパッションがありました。
ただお洒落な画像を作ろうと思って、お洒落な画像を並べたところでお洒落になるわけではありません。
その底に「本気さ」があって、本当のお洒落に仕上がります。
「本気さ」は真似できません。
真似できないからこその「本気」です。
制作する側であれ、演じる側であれ、そしてそれを観る側であれ、「本気さ」が問われます。

そういう時代が懐かしく思える今日この頃です。