15,6年前だかに、ゲーリー・ズーカフの「踊るカルマ」という本を読んだことがあります。
内容はとても示唆に富んでいて、鋭く印象に残る本でしたので、ゲーリー・ズーカフという作者の名はずっと記憶に残っていました。
で、先日たまたま書店でゲーリー・ズーカフの名前を刻した本を見つけましたので、迷わず買い求めました。
書名は「魂との対話」です。
題名は日本の出版社側がベストセラーである「神との対話」の二匹目のドジョウを狙ったのでしょうが、完全に逆効果でしょう。
原題は「The Seat Of The Soul」、「魂の座」がその素直な訳でしょう。
アメリカでは300万部以上売れたらしいですが、日本でまったく無名なのはこういう小賢しい日本の出版社の戦略ミスもある気がします。
抜粋したい箇所があまりにもたくさんある本ですが、ご興味のある方はご一読してみてください。
今日までに3分の2ほど読んだところですが、元はハーバードの物理学者だったらしく、簡明で、直裁で、曖昧さがありません。
なにかの霊的インスピレーションを受けた経験はあるのでしょうが、そんな経験には一言も触れません。
霊的な経験などどうでもいいことなのです。
その霊的な経験が指し示す「なにか」が大事なだけです。
ただひたすら自分が受けたインスピレーションに基づく、人の心と魂と「大いなるもの」との関係性を解き明かそうとします。
否、解き明かそうとすらしていません。
その人の心と魂と「大いなるもの(という言葉は著者は使っていませんが)」との関係性を大前提として、話は明快に進められていきます。
要は、生命の進化とは何か、人の個性(パーソナリティ)の持つ意味とは何か、個と全体の関係性は何か、
魂とパーソナリティの関係性とは何か、というまともな論理的な思考ではとても結論が出ないような分野の問題を、
見事な腕前でスパリスパリと一刀両断にしていきます。
文章全体に清々しさが宿っています。
ちょうど今開いたページで目に付いた文章です。
「私たちのより深い理解、内なる理解は、別の種類のパワー、すなわち、この世に存在するいかなる形の生命をも愛するパワー、
自分が出会ういかなる人間をも裁かないパワー、そして、どんなに小さな生命あるいは物事の中にも意義と目的をみいだす
パワーへと、(宇宙は)私たちを導いていく」
金銭欲、支配欲、名誉欲、キリがないそういう自分の外側向かう欲に振り回されている限り、そのようなパワーとは切り離されてしまう。
魂の意図を知り、パーソナリティの意図を知り、さらには「大いなるもの」と合流する喜びに勝るものはない。
そんな感じの話です。
そんな感じの話なのですが、恐ろしく理知的で、無駄がなく、的確です。
クリシュナムルティもそうなのですが、己の思考や心の動きを完膚なきまでに観察して、コントロールすること。
自分の心さえコントロールする力を得れば、人は完全に自由になれるということ。
そして、そういう人の心の自由への解放は、霊的世界にもあるいは神的世界にも波及し、全世界にその喜びの波動が広がるものであるということ。
すべては、一人ひとりの心のなかに答えはあります。
自分の心を際限のない葛藤の戦場とするのか。
雲が流れ、花が咲き、鳥が鳴く楽園にするのか。
一人ひとりの心がなにを「意図」するかにかかっている、とこの本は言っています。
内容はとても示唆に富んでいて、鋭く印象に残る本でしたので、ゲーリー・ズーカフという作者の名はずっと記憶に残っていました。
で、先日たまたま書店でゲーリー・ズーカフの名前を刻した本を見つけましたので、迷わず買い求めました。
書名は「魂との対話」です。
題名は日本の出版社側がベストセラーである「神との対話」の二匹目のドジョウを狙ったのでしょうが、完全に逆効果でしょう。
原題は「The Seat Of The Soul」、「魂の座」がその素直な訳でしょう。
アメリカでは300万部以上売れたらしいですが、日本でまったく無名なのはこういう小賢しい日本の出版社の戦略ミスもある気がします。
抜粋したい箇所があまりにもたくさんある本ですが、ご興味のある方はご一読してみてください。
今日までに3分の2ほど読んだところですが、元はハーバードの物理学者だったらしく、簡明で、直裁で、曖昧さがありません。
なにかの霊的インスピレーションを受けた経験はあるのでしょうが、そんな経験には一言も触れません。
霊的な経験などどうでもいいことなのです。
その霊的な経験が指し示す「なにか」が大事なだけです。
ただひたすら自分が受けたインスピレーションに基づく、人の心と魂と「大いなるもの」との関係性を解き明かそうとします。
否、解き明かそうとすらしていません。
その人の心と魂と「大いなるもの(という言葉は著者は使っていませんが)」との関係性を大前提として、話は明快に進められていきます。
要は、生命の進化とは何か、人の個性(パーソナリティ)の持つ意味とは何か、個と全体の関係性は何か、
魂とパーソナリティの関係性とは何か、というまともな論理的な思考ではとても結論が出ないような分野の問題を、
見事な腕前でスパリスパリと一刀両断にしていきます。
文章全体に清々しさが宿っています。
ちょうど今開いたページで目に付いた文章です。
「私たちのより深い理解、内なる理解は、別の種類のパワー、すなわち、この世に存在するいかなる形の生命をも愛するパワー、
自分が出会ういかなる人間をも裁かないパワー、そして、どんなに小さな生命あるいは物事の中にも意義と目的をみいだす
パワーへと、(宇宙は)私たちを導いていく」
金銭欲、支配欲、名誉欲、キリがないそういう自分の外側向かう欲に振り回されている限り、そのようなパワーとは切り離されてしまう。
魂の意図を知り、パーソナリティの意図を知り、さらには「大いなるもの」と合流する喜びに勝るものはない。
そんな感じの話です。
そんな感じの話なのですが、恐ろしく理知的で、無駄がなく、的確です。
クリシュナムルティもそうなのですが、己の思考や心の動きを完膚なきまでに観察して、コントロールすること。
自分の心さえコントロールする力を得れば、人は完全に自由になれるということ。
そして、そういう人の心の自由への解放は、霊的世界にもあるいは神的世界にも波及し、全世界にその喜びの波動が広がるものであるということ。
すべては、一人ひとりの心のなかに答えはあります。
自分の心を際限のない葛藤の戦場とするのか。
雲が流れ、花が咲き、鳥が鳴く楽園にするのか。
一人ひとりの心がなにを「意図」するかにかかっている、とこの本は言っています。