風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

一粒の実

2007年11月30日 | 雑感
では、人に貢献するということはどういうことなのでしょう。
何かを直接してあげるということも大事なのかもしれませんが、その場合は「してあげる=してもらう」の関係が成り立つような、
気軽な関係性でお互いが結ばれている必要がありますから、意外と狭い人間関係でしか成り立たないものかもしれません。
ましてや見ず知らずの人に対して、直接何かをしてあげるということは、ほとんど不可能になります。
してあげるほうも、してもらうほうも、どうしても遠慮や余計なお世話だという意識が働きます。

で、雑誌「致知」の表紙を見ましたら、特集のタイトルが「喜びの種をまく」でした。
これだと思いました。

われわれはともすれば先人や誰か他の人が植えたものが育って実ったものをタダ取りしようとします。
会社で働くのだって、誰かが苦労して築き上げた会社なのであって、その経営的地盤、客層、信頼を利用して働かせてもらうわけです。
それなのに、働いてやっているという感じで、上司、同僚の不平を言っては酒を食らいます。
社会基盤もそうです。
理念と信念を持って、民主主義を根付かせ、各種インフラを整え、日々食べるには事欠かない社会を作ったのは、
自分たちではなく、誰か他の人たちです。
当たり前に生活しているこの生活環境を作ったのは、誰か他の人です。
それを当たり前の顔して利用するだけしておきながら、あの制度は駄目だ、この政治はけしからんと床屋談義をやっています。

ケネディじゃありませんが、自分が社会になにができるかという視点が甚だしく希薄です。
自分が社会に何が出来るかということを考えることが出来る人を社会人と呼ぶのかもしれません。
政治に関心を持ち、政治の在り方を監視するのは民主主義が正しく機能するためにはもちろん大切なのですが、
身の回りの人に何が出来るのかという視点を持たないと、空理空論に振り回されてしまいます。

そこで、喜びの種をまく、です。
家族の間で喜びの種をまくというのは、それほど難しいことではありませんし、誰から指図されることもなくせっせと種をまくでしょう。
時にはまいた種がとんでもないものに育つということもあるようですが、それはまた別の話です。
社会に喜びの種をまくということはどういうことでしょうか。
決して大袈裟なことではないでしょう。
職場で、学校で、近所で、人は意外とたくさんの人と出会っているはずなんですね。
でも、笑顔で挨拶する、ほんの少しの会話を楽しむ、といったことがどんどん人々の心から省かれてきています。
そういう笑顔の挨拶や会話や心遣いは立派な喜びの種ですね。
種を植えないから、どこの町内でも人間関係がどんどん殺伐としていきます。
隣人が何をして、どんな子供がいて、家庭は仲いいのか不和なのか、知ったことではないとなっていきます。

職場や家庭や地域社会に明るい挨拶が飛び交い、心が通い合えば少々の不況やなんかが来ても乗り越えられます。
反対に、そういう明るいコミュニケーションが失われると、社会が動揺すると孤立した個人は無力感と不安に襲われます。
明るく挨拶するというちっぽけな種でさえ、このように社会の雰囲気を変える力があります。

挨拶する間柄になれば、相談ごとも持ち上がるかもしれません。
それを上手く解決するアドヴァイスをすることができれば、さらにその間柄は大きな実りを産む土壌になるでしょう。
地域が大きな実りを産めるような土壌になれば、その地域から立候補し、当選するような政治家はより大きな理念をもてるでしょう。
そうやって、足下から変えていけるのが、民主主義の長所だと思います。
それが足下がこうも不毛な時代になりますと、民主主義というのは衆愚政治に堕します。

誰か偉い人が「みんなで明るく挨拶しましょう」と言われてするようでは、やはり駄目です。
今時、そんなことを言われてするような素直な人がいるとも思えませんが。
自らいいと思うことは、素直にするという社会でないと、不平不満を隠しながらギスギス生きる暗い世の中になります。
自らいいと思うことを素直にする。
それこそが、喜びの種をまく、ということじゃないかと思います。
一つの実がなりますと、その実の中にはたくさんの種が宿ります。
たった一個の実がなるだけで、将来的には無限の種がまかれる可能性が生まれます。

説教臭い話ですが、自分で自分に言い聞かせるために書いているようなものですから、ご勘弁を。

お金

2007年11月29日 | 雑感
実は今大変に困っています。
あるまとまったお金が入ってくることになっていて、段取りは済んでいるのですぐにでも入ってきてもよさそうなものですが入ってきません。
そういう状態が数ヶ月続いています。
今まで事業をして来て、資金繰りのために商売して来たようなものですが、初めて前向きに使えるまとまったお金です。
何かの理由があれば心を落ち着かせることが出来るのですが、理由らしき理由がありません。
送金するのが面倒だ以外の理由がないのです。

もちろん電話でも手紙でも一刻も早く送金してくれるように頼みました。
しかし、サラリーマンである彼は何の同情も示しません。
うるさい奴だ、黙って待ってろという感じです。

何事も必然で、何らかの学びの機会なのだと必死に自分に言い聞かせます。
棚からボタ餅的なお金を期待するなと言われればそれまでなのですが、自分で事業をしている人なら分かっていただけると思いますが、
事業をしていて資金に余裕が出来る状態というのは極めて稀なことです。
資金に余裕が出来て初めて前向きな事業戦略というのが組み立てられるようになります。
ぼくの場合、資金に余裕があったためしがありませんから、やはりそのお金は欲しいのです。

不思議なもので、お金がないならないで平気でやりくりしてきたのですが、目の前にお金がぶら下がるとやはり手が出ます。
そして、不思議なことに、今までは本当にお金がなくなると、ひょいと何かが売れてほっと一安心だったのですが、
今回はピタリと商売の動きが止まってしまっています。
頭にそのお金のことがあるから、どうも流れがギクシャクと不純になる感じです。
お金があるために、お金の流れが止まる、そんな感じです。

ぼくはお金のことを考えるのが好きではありません。
お金というのはこちらが嫌えば向こうも嫌うらしいのですが、どうも健全にお金のことを考えられないかもしれません。
お金というものに対してそんな疚しさみたいなのがあるのは事実です。

食べるのには困らない程度にお金が入ってきていましたが、それ以上には決して入ろうとしなかったのは、
そんなぼくのお金に対する態度が原因だったのかもしれません。

お金というのは人間間のエネルギーの流れを表象したものというのは頭では理解しています。
自分が他者に貢献した分だけ、その代価としてお金が入ってくるわけです。
でも、どうもお金というものを軽視したがる癖があるものですから、代価が発生する他者へ貢献ということに対しても、
腰が引けています。
代価が発生しなければ、かなりずうずうしいのですが。
こういう貧乏臭い癖が貧乏を招くのでしょう。
お金に対するコンプレックスなのでしょう、きっと。

でも、あれですよ、以前かなり高給を貰っていた時もあるのですが、別段嬉しいとも思わなかったのも本当なんですよ。
もちろん嫌だとも思いませんでしたけど。
たぶん、貢献ということに対して代価が発生する・させるという仕組みが気に食わないんだろうなと思います。
貢献しあえばそのまま天国じゃないかという、原始共産主義みたいな考えが巣食っているのかもしれません。

うん、今ひらめきました。
お金を大事にするということではなく、「貢献」を大事にすればいいことなんです。
順序が逆でしたね。
お金に囚われて、ろくに貢献することさえ出来なくなっていたのが現実です。
誰にどう貢献できるかを考え、実行すれば済むことなんです。
あとは、お金がついてくるかどうかは、お金の仕組みに任せればいいことです。

こうやって、ちゃんと結論めいたものに辿り着く自分というのが少し好きになりました(笑)

ワークショップ

2007年11月28日 | 雑感

ぼくの身辺でも色々起こります。
なんというか、ぼくが言うようなことではないのですが、きちんとした知識を持っていれば防げるようなことにも、
人はよく転びますね。
言うまでもなく、ぼくもよく転ぶんですが。

そこでふと思ったのですが、「人が生きる」ということについて、ワークショップ形式で勉強会を開こうかと思いました。

人の徳目の理想形として「真・善・美」がよく説かれます。
その真・善・美から派生する様々なことをテーマとして、ともに考えていくというスタイルです。

真(正しさ、正確さ、また欺かないこと)⇔ 偽  
善(道理、道徳にかなうこと)⇔ 悪       
美(心地よいこと、感動を与えること)⇔ 醜   

真とは仏教やキリスト教などの宗教や哲学が追求してきた真実の理(ことわり)
善とはその理にしたがって行動すること
美とはその理にしたがって行動した結果生まれた形や表現

真→善→美  理→行動→形(結果)

大まかに言うと、そういう分類が可能かと思います。
したがって、真善美のそれぞれが対応する現実社会の様相、分野としては、以下のような区分けが可能かと思います。

真 宗教・哲学
善 道徳・社会学(政治・教育学)
美 あらゆる分野の芸術 

テーマは無限です。提示される世界の意味も無限です。その無限の世界に好奇心一つで飛び込むという冒険を楽しむというのが、趣旨です。

例えば、「芸術」を取り上げるとします。
芸術とは何か。
五感を通して受け取るヴァイブレーションだと定義してみるとします。

五感を挙げてみて下さい。
その五感にそれぞれに対応する芸術はなんでしょうか?

視 色・形・姿
聴 音・リズム・旋律
触 陶器・着物
味 料理
香 アロマ・お香
*味と香は芸術だとしても、瞬間に消えてしまう。跡が残らぬために伝達が難しく、芸術としての認知度は低い。

その五感の刺激フィールドをミックスさせた「総合芸術」というのもあります。
演劇、ダンス、映画、和食・・・

ここで、ワークショップですから、少人数に別れて討論を交わしてもらいます。
一方的に講義を受けるのではなく、自分で考え、自分で発表することで、理解が深まります。

ワーク:芸術を鑑賞するにおいて、なにを心地よいと思うか?

ワーク:それでは、「心地よさ」とは何か?

芸術というのは、「真→善→美 理→行動→形(結果)」という流れの中で「美」=「形」として生み出されるものとしてきましたが、
それでは最初の理である「真」を「偽」に置き換えるとどんな流れが生まれるでしょうか。
偽→悪→醜という流れになることになります。

ワーク:偽、悪、醜、とはなんでしょか?

ワーク:その「悪い」流れの具体例を知っていますか?

例:今の俗悪テレビ番組

ワーク:芸術の理想というのはありえるか?ありえるとしたなら、どんなものか?

五感の対象から強いて外したものに「言語」があります。
言語を用いた芸術というのは、詩、小説等々たくいさあります。
この「言語」を用いた芸術をどう捉えたらいいでしょうか。

これはいささか難しい話になります。
簡単に言ってしまえば、言語芸術は言語を用いて「真・善・美」にゆすぶりをかけ、
「真・善・美」の再構築を目指す行為とでもいえましょうか。
単に五感に訴えかける芸術の枠組みを越えた芸術行為といえましょう。
「美」を追求すると言うよりも、「真・善」を追求する芸術と言ってもいいかもしれません。

という感じで、ワークを進めたいかな、と思っています。
もうやりたいテーマは一杯あります。
特に急務だと思っているのが、多くの人たちが抱えている宗教関係の知識の混乱ですね。
それから教育問題。
もちろんぼくは講師をする知識も頭脳もありませんから、ともに考えていくコーディネーターという感じです。

年が明けたら、一度やってみようかと思っています。

あ、それから友人のネネさんの2008年版カレンダーが出来ましたので、欲しい方は連絡下さいね。

怪しい話や楽しい話が満載です(笑) 一部500円です(10部以上送料無料)  angelnene@excite.co.jp  迄


友達

2007年11月21日 | 
古い友達をふと思い出し、手紙を書いていた。
とどこからか赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
火がついたように泣いている。
赤ん坊の泣き声には親でなくても胸騒ぎすることを、親になって初めて知った。

古い友達は女の子ばかりを4人授かった。
何年前にか故郷で飲んだとき、農家の長男であった彼は寂しい笑みを浮かべてそう言った。
おれは彼の年上の快活な嫁さんの顔を思い浮かべた。
彼の家に下宿していた彼女と、彼はあれよという間に結婚した。

毎日彼と一緒に下校した。
川を渡り、公園を抜け、繁華街をぶらぶらした後、入場券を買って彼の乗る下りの列車に一緒に乗り込んだりもした。
途中で下車して、タイミングよく来る上りの列車で元の駅まで戻った。
受験が近づいてきて、周囲は独特の雰囲気に飲み込まれていたが、おれは彼といるのが好きだった。

彼は足が速く誰からも好かれる優しい男だった。
嫌がる彼を無理やり連れて東京や秋田や青森まで無賃旅行をしたことがある。
もう少し東京で遊んでいくとおれは東京に残り、彼は上野から列車に乗った。
入場券しか持たない彼は、隠れていた列車のトイレから出てくるところを車掌に捕まり、親に叱られた。

春が近づくにつれ、おれの心は東京に行くことで頭が一杯になっていった。
とにかく家から逃げ出すことで心が躍った。
彼は大学を受験せず、故郷のコンピューターの専門学校に行った。
彼が大学に行かなかったことを悔やんでいるのを知ったのは、ずっと後のことだった。

東京で荒れた生活をしていたおれはいつしか彼の存在を忘れかけ始めていた。
そのまま行き場を失い、路上で途方にくれていた。
何年ぶりかで故郷に墓参りに帰り、彼と会って飲んだ。
以前のままの訛と冗談と笑顔であった。

今では彼からは遠いところにおれはいる。
電話をかけることもない。
今年も、来年も、再来年も会うことはないかもしれない。
でもおれはいつまでも変わらない彼の顔を知っているから、寂しくも悲しくもない。






現在

2007年11月20日 | 雑感
寒い上に、暗い空からしとしと雨が落ちてくる一日でした。

「今この瞬間において、気づくことなくして神や真実を探そうとしても無駄である。それなら、まだしも寺に駆け込んだほうが楽だろう。しかし、それは頭でものを考えるだけの世界に逃げ込むことである。真実在を理解するには、それを直接知らねばならない。しかし、
真実在が時空の中には存在しないことははっきりしている。それは現在に存在し、その現在とは、我々自身の考えと行為である。」

                                                by クリシュナムルティ

難しい言い方をしていますが、要は実在するものというのは、観念や概念の中にあるものではなく、
「自分の」行為や考えそのものこそが唯一の「実在」だということです。

デパートの地価の食品売り場での退屈なパートを終えた若い女性が、夕暮れのバス停でバスが来るのを待っています。
襟元が寒いので、マフラーをしてくれば良かったなと思います。
そう言えば、中学3年生のとき、クリスマスプレゼントにと、好きだった同級生に毛糸のマフラーを編んであげたことを思い出します。
あの頃は将来への夢で胸が一杯だったなぁと懐かしくなります。
そこへバスが来ます。
乗り込むと、今日の夕食は何にしようかと、冷蔵庫にあるはずの食材をあれこれ思い出します。
野菜炒めとナスと油揚げの味噌汁にしようと思います。
それから、今日のテレビ番組は何があったっけと考え、あれとあれを観ようと思います。
それにしても、今日来たあの客のおばさん、変だったなぁ~。
うちは京風料理専門店なのに、シュウマイはないかと何回も聞いてきた・・・。

昼過ぎに中年の男はハローワークに行き、職を探しましたがどれも余りにも賃金が安すぎます。
家賃を払って、妻と中学生の男の子を養うのにぎりぎりの金額です。
その3~4倍の給料を貰っていた男としては、どうしても乗り気になりません。
下らないプライドだなぁと自分でも思います。
そのまま家に帰る気にもなれません。
妻とのギスギスした会話が予想が出来てしまい、帰りたくありません。
ポケットには2千円入っています。
パチンコをするには全然足りませんが、角打ちで焼酎を2~3杯飲むには不足がありません。
角打ちに入り、焼酎のお湯割を頼んで、おでんを2個皿に取ります。
一口、二口飲むごとに、アルコールの心地よい熱が身体を巡ります。
どうしても胸に浮かんでくるのは最近の息子の様子です。
ここ数ヶ月、男は息子と口を聞いていません。
妻は息子のことでかなり神経質になっていて、どうにかしてくれと男を責めます。
あなたの失業が息子が変になった原因だと言い始めます。
今まで働いたことがない妻にパートに出てみてはどうだと言った日から、妻の顔から笑顔が消えました・・・。

ま、市井の普通のありふれた風景というのは、こんな感じなのかと思います。
「真実在」とか「神」とか「真理」とかの出る幕はありません。
しかし、だからこそ、作り上げられた観念やら概念は、作り物でしかないということです。
不満と不安と都合の良い思い出といい加減さが入り混じったのが、リアルな人間の胸のうちでしょう。
そのリアルな胸のうちを見つめ続けることこそが、本当の気づきなのだと、クリシュナムルティは言いたいのでしょう。

う~ん、でもそれって無理ですね。
無尽蔵に流れ出てくる雑念がいくらリアルであろうとも、雑念の奥には煩悩しかありませんから。
どうもクリシュナムルティは不親切な気がします。

病院

2007年11月19日 | 雑感
寒波ですね。
秋を吹っ飛ばして、いきなり冬が来たような感じです。
最近の季節は春と秋を吹っ飛ばします。

今日は耳の後ろのホチキスを取ってもらおうと病院に行きましたが、ちょっと早いかなということで木曜日にまた行きます。
要は、ムダ足でした。
それはいいんですが、30秒間の診察のために1時間以上待たされました。
話には聞いていましたが、大変ですね。
仕事が忙しい人は、病気にもかかれません。

病院の待合椅子には大勢の人が暗い顔をして無言で腰掛けています。
どこかしら具合が悪いから病院に来ているのでしょうから、笑顔でいれるわけもないでしょうし、
なにより毎回こう待たされたんでは、具合の悪いのもあいまって心底うんざりしてしまうでしょう。
そこの病院はそこそこ大きい私立病院ですが、こう言ってはなんですが、スタッフにテキパキ感がありません。
どんよりした雰囲気が漂っています。
テキパキ感のある病院がどこかにあるのかどうかは知りませんが。

診察室の外のベンチで、自分の名前を呼ばれるのをぼんやり待っていました。
横を向くと、車椅子に乗った老婆に、娘かボランティアしりませんが、中年の女性が弁当を食べさせていました。
老婆は上を向いて、口を開いて、中年の女性が箸で食べ物を入れると、眼を瞑ってもぐもぐとおいしそうに噛んでいます。
「これは何?」
「栗よ。おししい?」
「うん、おいしい」
という会話が聞こえてきます。

なんで患者や看護婦でごった返す廊下で食事しているのかは見当がつきません。
入院患者なら病室で食べたらよさそうなものだし、外来患者ならなにも病院の廊下で食べることもないでしょう。
ただ、上を向いて、眼を瞑って、もぐもぐと噛んでいる老婆の顔が頭に焼きつきました。

「もういい?たくさん食べた?」
「うん、たくさん食べた」
「もう一口だけど、食べられる?」
「うん。(モグモグモグモグ)」
「ぜ~んぶ食べたね。おししかった?」
「うん、おししかった」
「よかったね~」

そういう会話が続きました。

切ないような、嬉しいような、悲しいような、妙な感覚になりました。
ぼくなどよりも余程おいしそうにものを食べることのできる老婆は、ぼくなんかよりも余程「今」を生きているのかもしれません。

幼児番組

2007年11月17日 | 雑感
今日は見ていると吸い込まれそうな青空です。
空が地球色をしています。

朝方、起きだした娘がNHK教育の幼児向け番組を毎朝観ています。
毛布を被ったぼくの耳にも聞こえてきます。
「嬉しくなっちゃうなぁ~ グルグルグルグル グルグルグルグル
 楽しくなっちゃうなぁ~ グルグルグルグル グルグルグルグル」

とか

「大きな声で パワーパワー!」

とか、ポジティブな言葉のオンパレードです。

幼児向け番組というのは、大人が見ていても飽きません。

「デロリンデロリンデロリン リン ナントかカントか 4字熟語~」
と奴の格好をした子供たちが歌い踊りながら4字熟語を紹介するコーナーもあります。

ぼくも幼児期のテレビの思い出があります。
母親から離れたくないので、グズりにグズって、保育所をずる休みしました。
仕方なしに母親が膝の上に乗せてくれて、幼児向けの番組を観ていました。
すると、番組進行のお兄さんが「お母さんの膝の上で甘ったれている君!」と画面からぼくを見つめて言うではありませんか。
ぼくはテレビって向こうからこっちが見えるんだと思って、たいそう驚いた記憶があります。

母親の思い出といえば、そういうずる休みをした日なんかに、牛乳と卵を使ってシャカシャカとカスタードクリームを作ってくれました。
ド田舎に住んでいましたから、それはもう夢のような食べ物でした。
数回しか食べたことがなかったと思うのですが、強烈な思い出です。

小学校一年の時には母親と離別しましたから、そんな思い出を何度も何度も頭の中で反芻していたと思います。
祖母が代わりにいろいろ面倒を見てくれたわけですが、わけもなく反抗していましたね。

母親も祖母ももうこの世にはいません。
迷惑をかけ、心配をかけ、たくさんたくさん面倒をかけっぱなしで、ぼくは生きてきたのでしょう。

言葉がありません。

合掌

2007年11月16日 | 雑感
昨夜は気が付いたら病院のベットの上でした。
しばらくどこにいるか分からず、周囲の見慣れぬ風景をぼんやり眺めていました。
点滴が手の甲に繋がっています。
病院にいることはどうにか分かりましたが、なぜいるのかが分かりません。
ベットに腰掛け、暇そうな看護婦さんが来るのを待ちます。
メガネがないので、周囲が蜃気楼みたいです。

その後はよく憶えていません。
救急車で運び込まれたということは分かりました。
誰かに、明日、健康保険証とお金を持ってきてくれと言われ、病院を出ました。
頭がぼうーっとしてます。
視界が利かないので、夢の中にいるような気がします。
歩いて家に帰りました。

帰り着いたのは12時くらいです。
家内にいろいろ聞かれますが、何がなんだかわりません。
耳の後ろが傷むので、触ってみるとなんだかあります。
家内に聞くと、傷口をホチキスで留めているのだそうです。
右足の腿の外側に鈍痛があります。
倒れていたのがパチンコ屋の前で、歩道に面して車の出入り口があります。
なんどか車が飛び出してきてひやりとしたことがありますが、たぶんあそこでぶつけられたのだろうと、ぼんやり思います。

昨夜はお客さんと居酒屋でご飯を食べて、そのあとボジョレーヌーボーの解禁だということで呼ばれていた知り合いの店に行きました。
そこまでは覚えています。
その後がぷっつり記憶が途絶えています。

朝になると、腿の鈍痛が昨夜よりはっきり感じられます。
頭も少し痛むようです。

なんだかなぁ~です。
今日から3日間禁酒します。
今日から一週間禁煙します。
今日来たお客さんと約束しました。

これは警告だと思います。
警告は警告としてきちんと受け止めれば、災い転じて福となる、ハズです。

こうやって、一歩間違えば人は簡単に死んでしまうんですね。
こんな生きかたをしていたら、さぞかし悔いが残るだろうと、心から反省しました。

合掌

それから、傷はホント大したことなく、後遺症とかもないのでどなたも心配しないで下さいね。
馬鹿が馬鹿な目に会ったという、恥の公開です。

二宮尊徳

2007年11月14日 | 雑感
そう言えば、先日の日曜日、久しぶりに山に登ってきました。
晩秋のというか、初冬のというか、淡い木漏れ日を浴びながら、気持ちが良かったです。
ただ、足腰の衰えを痛感しました。
踏ん張る筋力がない、足首やら膝の関節の柔軟性がない、というのが明らかになりました。
やたら足がもつれます。
幼稚園の運動会で父兄が張り切って走り出して、勢いよく転倒するパターンですね。

今日も「致知」からの抜粋です。
二宮尊徳の記事が載っていました。

「大事をなさんと欲せば、小さな事を、怠らず勤しむべし。小積もりて大なればなり。
 およそ小人の常、大なる事を欲して、小なることを怠り、出来難き事を憂ひて、出来易き事を勤めず、
 それゆえ、終に大なる事あたわず、それ大は小の積んで大となる事を知らぬ故なり。」                              
小人の典型みたいなぼくの耳には痛い言葉です。
小さな事をおろそかにして成功した人というのを知りません。

「分を越ゆる事勿れ」

小人に限って、自分の分を弁えません。
あちこちに口を出しますが、責任も役割も負いません。
逆に「分を弁えろ」と人に言うことは、差別用語と捉えられる今日この頃です。

「音もなく香もなく常に天地(あめつち)は
              かかざる経をくりかえしつつ」

常に経験と実感が伴う言葉しか言わなかった尊徳のこの歌は尊いです。
そのように実感して天地の間に生を送った尊徳はまさに唯我独尊です。
唯我独尊というのは、傲慢とは正反対です、念のため。
傲慢とは他者との比較において勘違いをして発生する卑しい心理ですが、唯我独尊は他者と比較するという発想を断じた境地です。
得道徹底すると、この世界そのものが仏のささやきに満ちてしまう、ということでしょう。
雨だれの音を聞いても心満たされ、木枯らしを聞いても心満たされる。

昔の小学校には必ずあった二宮尊徳の像。
そういう尊い道徳を説こうとすると、道徳の押し付けだの、懐古趣味だの、昔の日本に帰る気かだの、もう無茶苦茶です。

ま、ぼくも偉そうなことは言えるわけもないんですが。
二宮金次郎が二宮尊徳であったことを知ったのはそう昔のことではありませんし。
特に若いころというのは、道徳というのは破るためにあった様なものですから、どの口で道徳を説くんだという話です。
でも、やはり中年にもなると、回り道は回り道でしかないことを知りますし、闇は闇であることも知ります。
だから、どうしても偉い先人が言うとおりだったなぁと思いなおすわけです。

若いうちは本能的に敷かれたレールを外れようとしますし、その経験も大いに必要です。
ただ、いい年をした大人が、道徳を説くどころか、世故世故と公金を盗んだりちょろまかしたりという世情は、まぁレベル低いですね。

煩悩

2007年11月13日 | スピリチュアル
人から聞いた話ですが、コメディアンの劇団一人が自分の性根を鍛えようと寺に行ったのだそうです。
三日坊主どころか、一日半で逃げ出したそうです。
朝から晩まで掃除をさせられたのだそうです。

ぼくも寺に3週間ほど行かされたことがありますから、その気持ちはよ~く分かります。
そのあいだず~っと「なんでおれはこんなことをしているんだろう」で、頭と心が埋め尽くされます。

寺の和尚さんは慈悲深いですから、「なんで?」を捨てろと教えてくれているのですが、
「自分」で頭一杯の凡夫には意味が分かりません。
凡夫はあれの役に立つから、これの役に立つから、つまり自分のためになること以外のことが出来ないし、
自分のためになることしか興味を持つことが出来ません。

掃除に没頭して、無我夢中になれたら幸せだろうとは思いますが、それってまるきり馬鹿みたいじゃないかと凡夫は思います。
掃除なんかよりも、もっと有意義なあれやこれやで世の中は満ちているじゃないかと思うわけです。
それで、寺を逃げ出して、お金やら名声やら異性やらを再び追いかけ始めます。

煩悩に引きずり回されるのが嫌なら、その反対のこと、つまりは「自分のため」を離れるしかありません。
ところが、和尚さんに一日中掃除をしてろと言われると、たちまち煩悩の塊がむくむく起き出し、
「なんでこんなことをしていなくてはいけないんだ」と煩悩の誘惑にぐいぐい引っ張られるわけです。

人は案外というか、相当煩悩に引っ張られるのが好きです。
ただ、煩悩に引っ張られた結果が嫌なのです。
酒をしこたま飲んでも健康でいたいとか、好きなだけ浮気をしても子供と奥さんに大事にされたいとか、
しこたまお金を荒稼ぎをしても、心は平安でいたいとか、まぁ上げればキリがありません。

煩悩を煩悩と正面から眼を反らさずに見据えられるか。
そういったところから凡夫は始める必要がありそうです。

こればっかりは、本人がその気にならないとなかなか腹を据えて立ち向かえません。
ぼくはと言えば、酒と煙草の毎日が続いています。

登山

2007年11月12日 | 雑感
人生は山登りに喩えられることはよくあることです。
生まれて間もなくは母親の信じるとおりの道を抱っこされながら登ります。
小学生に上がり中学生くらいまでは、先生に導かれながら、同級生と手を繋いで、更に登ります。
高校生くらいになりますと、皆と同じ道を登っているのが物足りなくなります。
人と違う道に進んで、いろいろな冒険をしたくなります。
それから、先は人によって歩み勧める道が違って行きます。

青年になる頃には、自分なりの山登りのイメージも作り上げていますから、
地図を調べ、あるいは地図を見もせずメクラ滅法、それぞれのイメージで山を登り続けます。
言うまでもなく、山登りではいろいろな場所を通過します。
見通しの悪い樹林帯、谷川や滝、湿地帯、お花畑、それらを抜けますと見晴らしのいいハイマツが地面を這う稜線へ、
さらにはとりあえず目指してきた頂上が雲の切れ間にのぞいたりもします。

地図と磁石を持たぬがために、樹林帯でうろうろと道に迷う者も続出します。
スリルと冒険を求め、近道をしようと、沢に立ちはだかる滝を直登して、滑落する者もあります。
お花畑がすっかり気に入って、そこでテントを張っていつまでもそこに住み続けようとする者もいます。
更に登った者は、稜線に出たときの見晴らしの素晴らしさに息をのみます。
雲の切れ間にちらりと見た頂上の頂の神々しさに勇気を奮い立たせてさらに登ります。

頂上に立った者は、一時の大興奮と喜びが過ぎ去ると、愕然とします。
頂上からは、見渡す限りもっと雄大で、神々しく、魅力的な山々が前方に果てしなく脈々と連なっているのを見るからです。
体力的にも気力的にももう限界かと思われたその時に、遥か彼方まで山々は挑戦的に天に聳えているのです。

高い山に登れば登るほど人は少なくなり、地図にも未調査のために空白の部分が多くなります。
遥か彼方の山にまで登りきった僅かな先人の大雑把な地図と道筋の口伝は残されていますが、
道の踏み跡さえ消えかけていて、避難小屋があるのかどうさえ分かりません。
それでも、前に進むのか、それともふもとに帰るべきなのか。

そんな感じでしょうか。

登り始めるや否や、何のために登るのかと自問するものは、その答えが見つからずに気力を失い、
樹林帯辺りでうろうろ迷う可能性が高いです。
地図と磁石を持たぬものは、迷った時に迷路から脱出するすべを知りません。
お花畑でテントを張ったものは、冬には花は枯れ果て、すべてが雪に埋もれてしまうことを思い知ります。
頂上に立って引き返すかさらに進むかを迷うものは、夜になると氷のような風に吹きさらされます。

思い切って先に進んだものは、思いもがけないところに避難小屋があるのを見つけられるかもしれません。
水場さえあるかもしれません。

こう見てくると、一瞬一瞬がまさに命がけですね。
そういう意識で人は人生を送ってはいないでしょうが。
高山を目指せば目指すほど、命がけなんでしょう。
道を踏み外したら終わりというほどの高山を目指すのも人間です。
山の頂上というのは、登った人しか分からない何かがあるというのは分かるんですが。




自立

2007年11月10日 | 雑感
もう昔の話ですが、アメリカ大陸をグレイハウンド・バスで回っているときです。
カナダのユースホステルだったと思いますが、雑記帳みたいなのが置いてありました。
旅の感想だとかなんだとかを自由に書き付けるノートですね。
そこに日本人旅行客が長々と日本の悪口を書いていました。
欧米に比べて、自由がないだとか文化度が低いだとか、もうなんだかな~でした。

それを読んだヨーロッパからの旅行者のたった一言の書き付けは見事でした。
"So what?(だから何?)"

そういう自国の悪口をいうこと自体が、何かに染まっているわけです。
自分で何に染まっているかも分からずに、得意げに人を不愉快にしかしない悪口を言う。
そういう風潮はちょっと前までありましたね、確かに。

悪口というのは徹底的に不毛です。
悪口で悪行を変える力などありません。
「断固粉砕する」とか「徹底的に戦う」とかいう言葉が流行った時代があります。
なにを粉砕し、何と戦うのでしょうか?
その戦いの果てに、誰が勝利するのでしょうか?
勝利することによって、生み出された敗者になにをしたいのでしょうか?
まぁ、こう書いていても不毛です。

情報を権力が独占した時代は終わりました。
もう権力と戦うことなど必要ありません。
溢れる情報の中から自分の手で自分にとって大切な情報を拾い上げて、自分の道を歩めばいいのです。

今の政治の状況を見れば、そりゃ誰だってうんざりします。
でも、その仕組みを変えるために誰かや何かと戦うなんてことは、何の実も結びません。
逆に、その仕組みから身を離して、自分の道を歩き出すことができる時代になったと捉えた方がいいでしょう。

誰からも何からも巻き込まれず、巻き込まず。
他者に無関心ということではありません。
他者との関係を抜きにして人間は存立しえませんが、干渉し合う必要はありません。
干渉ではなく、影響しあう関係になればいいだけです。
影響というのはお互いに自立した人間同士の交流です。
干渉は力関係を前提にします。

一人一人が、本当の意味で「自分」を取り戻す時代が来たと本気で思っています。


ブルース・スプリングスティーンⅡ

2007年11月09日 | 雑感

興味がない人には恐縮ですが、またブルース・スプリングスティーンです。
またYouToBeで見つけました。
新しい曲みたいで初めて聴きましたが、もう聞くなり涙が出てきました。

http://jp.youtube.com/watch?v=NXuuIu8zDOs

こんなに楽しそうなブルースは見たことがありません。
初期の彼はジャンキーみたいに痩せこけた尖った青年でした。
Eストリートバンドの面々もほんとに楽しそうです。
なんか、ぼくの最も好きな世界です。

YouToBeは画像は粗いですが、音質はいいですから、是非音質のいい環境で聞いてみてください。
鳥肌ものです。

例によって、いい加減に訳を付けましたのでご参考に。
Mustaってなんだ、固有名詞かとしばらく悩みました。
must haveの略だと気が付くのにしばらくかかりました(笑)


Waitin' On A Sunny Day

It's rainin' but there ain't a cloud in the sky
Musta been a tear from your eye
Everything'll be okay
Funny thought I felt a sweet summer breeze
Musta been you sighin' so deep
Don't worry we're gonna find a way

I'm waitin', waitin' on a sunny day
Gonna chase the clouds away
Waitin' on a sunny day

Without you I'm workin' with the rain fallin' down
Half a party in a one dog town
I need you to chase the blues away
Without you I'm a drummer girl that can't keep a beat
And ice cream truck on a deserted street
I hope that you're coming to stay

I'm waitin', waitin' on a sunny day
Gonna chase the clouds away
Waitin' on a sunny day

Hard times baby, well they come to tell us all
Sure as the tickin' of the clock on the wall
Sure as the turnin' of the night into day
Your smile girl, brings the mornin' light to my eyes
Lifts away the blues when I rise
I hope that you're coming to stay

「待ってるよ、さわやかな日に」

空には雲もないのに雨が降っている。
おまえは涙を流しているんだろう。
すべてが上手く行くさ。
おかしいだろうが、おれはやさしい夏の風を感じているんだ。
おまえは深い溜息をついているんだろう。
心配するな、おれたちは道を見つけられるさ。

おれは待っている、さわやかな日に。
雲を追い払おうぜ。
待っているぜ、このさわやかな日に。

おまえがいなければ、おれはこの惨めな町の半分の人たちに降り注ぐ、
雨の中を歩いているようなもんだ。
おまえの憂鬱を吹き飛ばして欲しいんだ。
おまえがいなければ、おれはビートを刻めないドラマーガールだ。
がらんとした寂しい道のアイスクリームの屋台だ。
ここに来て一緒にいてくれ。

辛い時期だね、でもそれはおれたちにすべてを教えるためさ。
壁の時計がチクタク鳴るように。
夜から昼へと移り変わる時のように。
おまえの笑顔は朝の光をおれの目に射しこんでくれる。
そいつは起きる時におれから憂鬱を取り払ってくれるんだ。
ここに来て一緒にいてくれ。

おれは待っている、さわやかな日に。
雲を追い払おうぜ。
待っているぜ、このさわやかな日に。

 

前回と似たようなことを言いますが、このコンサートに参加した人たちは心が元気になるでしょう。

アメリカは今なんだかおかしいですが、元気を貰った人たちが支えて欲しいです。

 

 

 

 

 

 


無財の施

2007年11月08日 | 雑感
今日、雑誌「致知」が届いていたのでうどん屋で斜め読みしました。
巻頭の言葉はイエローハット相談役の鍵山秀三郎氏です。
トイレ掃除運動を広めた方です。

氏によりますと、人の生き方には二通りある。
「もっと、もっと、もっと」と際限なく求めて欲しがる「請求書の人生」。
求めるばかりでなく、今与えられているものごとに感謝の心を持つ「領収書の人生」。
もっとくれと請求書を差し出していきるのか、ありがとうございますという領収書を出して生きるのか。

「日本には領収書の生きかたをしている方が大勢おられますが、そういう方は世間から注目されることはありません。
 請求書の生きかたをする人が派手で目立つのに比べて、領収書の生きかたをする人は地味で人目につかないところが
 共通しているからです。」

なるほどなぁと納得します。
どちらがいい悪いということではなく、そういう二通りの選択があるということは、頭に入れておくと行き詰ったときに役に立つでしょう。
どちらの生き方が心安らかであるかは、言うまでもないですが。

それから、ページを捲りますと、編集長の言葉がありました。
仏法の「無財の七施」を紹介しています。
「無財の七施」とは、財産が無くても誰でもできる七つの施しです。
「眼施(優しいまなざし)」「和顔悦色施(笑顔)」「言辞施(あたたかい言葉)」「身施(身体を使った奉仕)」
「心施(思いやりの心)」「「床坐施(席を譲る)」「房舎施(宿を貸す)」

「『無財の施』の教えで思い出すことがある。生涯を小中学生の教育に捧げた東井義雄先生からうかがった話である。
 ある学校で夏休みに水泳大会が開かれた。種目にクラス対抗リレーがあり、各クラスから選ばれた代表が出場した。
 その中に小児マヒで足が不自由なA子さんの姿があった。からかい半分で選ばれたのである。だが、A子さんは
 クラスの代表の役を降りず、水泳大会に出場し、懸命に自分のコースを泳いだ。その泳ぎ方がぎこちないと、
 プールサイドの生徒たちは笑い、野次った。その時、背広姿のままプールに飛び込んだ人がいた。
 校長先生である。
  校長先生は懸命に泳ぐA子さんのそばで、「頑張れ」「頑張れ」と声援を送った。その姿にいつしか、
 生徒たちも粛然となった。」

思わず、うどん屋で涙が止まらなくなりました。


我執

2007年11月07日 | スピリチュアル
我執(がしゅう)は自分に対する執着で、仏教ではその克服が重要な課題とされる。

意識ある生きものを有情(うじょう)といい衆生(しゅじょう)というが、その主体として、恒常・不変の自我(人我 aatman)が実在すると考えて執着することを言う。すべての存在に実体(法我)があると考える「法執」(dharma-graaha)と対をなしている。この二つはそれぞれ「人我見(我見)」・「法我見」ともいう。後述の「人無我」「法無我」に対している。

人我見・法我見
個人の主体としての自我(我 pudgala、aatman)が存在する、という誤った見解を「人我見」「我見」というのに対して、個人の構成要素および外界のあらゆるものに実体(自性 svabhaava、自相 svalakSaNa)を認める誤った見解を「法我見」という。

以上、ウィキぺディアからの抜粋です。

禅でも、クリシュナムルティでも、神道でも、人の心の鏡、心鏡は本来清浄無垢であり、あるがままをあるがままに写すことができるが、
「我執」「我見」が心境をとことん曇らせ、歪ませるということなんだと思います。

「我執」「我見」とは、簡単に言えば、ないもの(幻想)を有ると思い、そのないものによって心を悩ませ、目を曇らせることです。
人の意識とか思念というのは強力で、あると思えば、あると思う現実を作ってしまいます。
「自分」という実体があると思い、「世間」があると思い、その中で自らが作り出したその「自分」「世間」という幻想に
がんじがらめになって、もがくのが人間だということです。

それでは、「我執」「我見」をなくしてしまえばいいかというと、そこが難しいところです。
肉体を持つということは、自己と外界があるという幻想の上に成り立つ部分があるからです。
幻想があるから、人は外に食物を捜し求め、お金を求め、配偶者を求め続けてきたわけです。

おそらく古代の神政時代には、人は魂としての人間と、肉体としての人間の区別をバランスよくとっていたのではないかと思います。
行き過ぎた肉体の欲を戒め、魂としての人間の喜びを、神との結びつきに中に見出していけたのではないかと思います。

ところが、近代以降は顕著に「魂としての人間」という概念を排斥し、肉体の物理的欲求を肥大させることをしてきました。
肉体の欲求は「科学的」というお墨付きを与えられ、「魂としての人間」は発言権を奪われました。
肉体の欲求のみに組するということは、「我執」「我見」の野放し状態になるということです。
肉体は目の前の幻を「有る」と思い込み、その思い込みから離れるすべを持ってはいないからです。

肉体は、この地球上で生きると選択した魂の道具ですが、その道具である肉体がが考え行動するという状態を
人間は選んできてしまったわけです。
本来の主人公である魂がなにを叫んでも、もはや誰も耳を傾けない状況になってしまいました。

道具である肉体ももちろん尊いものではあります。
肉体を持ってしか味わえない無数の体験が地球上には充ちています。
しかし、本来の主人公である魂を置き忘れて、肉体のしたいがままに任せてきた結果が今という時代です。

魂の声を再び聞くにはどうすればいいのか。
思考には幾重もの層があります(仏教の唯識論を参照してください)。
その一番奥底の思考に耳を傾けなければなりません。
その一番奥底の層こそが、神と呼ばれるエネルギーに繋がっている層ではないかと思っています。

その方法を説いたのが、禅であり、クリシュナムルティであったのではないかと愚考する次第です。