風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

問いかけ

2013年01月26日 | 雑感

今日で無事一週間の滝行も終わりました。
ぼくは付き添いでしたから軽く水に当たる程度でしたが、それでも久しぶりの冬の滝は強烈でした。
今日は滝場にも雪が乱れ舞い、なかなかの光景でした。
滝行を負えたMちゃんは毎日毎日濃い体験をしていたようでした。
その体験が近いうちに油絵に昇華するようです。
楽しみです。
昔の滝行仲間にも会えて嬉しかったです。
焚き火で焼いた餅とスルメも旨かったです。

そんなこんなで、あと数日で一月も終わりです。
二月四日には立春です。
なにかが終わってなにかが始まっていきます。
ぼんやり見てたら毎日が同じように過ぎていきますが、同じ日は二度とありません。
二度とない一日一日を無駄に流してしてはいないかと思うと、なんだか心が痛みます。
滝も一週間入ろうが、100日間入ろうが、水が同じ感触だったことがありません。
毎回滝に入る度に新鮮な驚きと発見があります。
そんなふうに新鮮な驚きと発見に満ちた日々を送れるようにしたいものです。

問いかけがあるところに、答えは見いだされる。
問いかけのないところに、感動も発見もない。
そういうことなんだろうと思います。
自分にどんどん問いかけをして、答えを発見する度に自分の心の扉を少しずつ開いていけば、
いつか心は大きく開かれた状態になる。
そんなふうに思います。

Mちゃんは3月には坐禅の修業もする予定です。
どんな経験になるでしょうか。
ものすごく受け取る力がある子なので、ものすごく楽しみです。

滝行の模様です。

http://www.youtube.com/watch?v=ScsZ5m-DsMM

 

 


冬の滝

2013年01月21日 | 雑感

先週の土曜日から滝に行ってます。
友人の娘さんに連れて行って欲しいと頼まれたからです。
初心者が冬の滝行に単独で挑むことはできませんので、ぼくが付き添うわけです。
冬の滝行は卒業したとあれほど言ってきたのに・・・(笑)。

でも、やはり滝は入る度に新鮮です。
インパクトが半端じゃありませんから、なんというか、原点に引きずり戻されます。
なんの原点かというと、生物としての人間の原点です。
まず、裸足で境内の氷のようなコンクリートを踏んだときから、身体は猛烈な拒否反応を示します。
そんなものは無視して、水の中に足を踏み入れますと、さらに重ねて身体は拒否反応を叫びます。
そんなものは無視して、滝の中に身を入れますと、全身全霊が嫌だと絶叫します。
それでも、無視を重ねて、滝に身を晒します。
そんなのが冬の滝行です。

今回は、滝行をテーマにしたDVDも作ろうと思っています。
今日も友人がカメラを回しました。
一昨日でしたら雪もかなり残っていたのでいい絵が取れたと思うのですが、今日は雪は消えていました。

一週間の行ですが、冬の滝行は想像以上に濃い一週間となります。
数分間、真冬の水に晒されますと、なんというか身体の中の細胞という細胞が必死になります(笑)。
必死にならないと文字通り死んでしまうからです。
フルパワーで活動して、体温がそれ以上下がらないようにあくせくするわけです。
ですから、冬の滝を経験しますと、大体風邪は引きません。
フルパワーで活動する細胞に、風邪ウィルスなどは到底敵わないのです。

もう一週間はその娘さんに付き合うことに決まっています。
ならば、もう覚悟は決まってます。
冬の滝を思う存分楽しみます。

 

 

 

 


その後

2013年01月07日 | 雑感

神社を後にして、せっかく買った水割りだからどこかで飲もうかと、公園に立ち寄りました。
公園の周りには桜並木でぐるっと囲われていて、おあつらえのベンチもあります。
ベンチに腰掛けて、リュックから水割りを取りだし、飲み始めます。
ついさっきまでほてっていた身体が急速に冷えていきます。
休日のせいでしょうか、公園の周辺にはペットの犬を連れた人々が頻繁に通ります。
ジャンパーのフードを頭からすっぽりかぶって、水割りを飲んでいるぼくは、どう見ても危険人物にしか見えないでしょう。
すっかり灰色になった西の空には厚い雲がぐんぐん流れています。

なぜか頭が働きません。
その理由を考えます。
目的やら行程やら選択やらを考えるのには頭は大いに有効です。
でも、なにをしたいのか、どうなりたいのか、といった大元のことを考えるのには頭は向いていません。
なにをするか、どうなるかといったヴィジョンを把握するのは、頭以前の洞察とか直感が必用です。
でも、山の中を歩いていると、一歩一歩踏みしめていく行為がすべてであり、頭を動かす隙も、
洞察やら直感が生まれる隙もありません。
ただひたすら一歩一歩を踏みしめていくことだけが、全身全霊を充たしています。

さらには、今後の世の中の流れが、一個人の思考やら思いのレベルに沿って動いていくようには思えません。
なんと表現したらいいのか難しいのですが、今までのパターンの自分の行動・思考システムを一旦放り投げてしまう
覚悟が必用な気がしてなりません。
じゃあ、なにに沿って考え、行動していくのか。
どんどん暗くなる公園のベンチで考えます。
寒さはいよいよつのり、リュックにしまってあったフリースを取りだして着ます。
もう一缶の水割りの栓も開けます。
二羽のカラスがなにかに怒っているかのようにギャーギャー鳴きながら山の方へと飛んでいきます。

おそらくは、今までの自意識を超えたレベルでの自意識というものに繋がらないと、
今後は歩いて行くのが難しくなるだろうなという予感は強くします。
それがなんだというと、説明しがたくなります。
万人に共有できる概念ではないような気がします。
今まで「自分」や「世界」という概念を構成していたパラダイムを抜け出し、
新たな「自分」や「世界」というヴィジョンを創るというよりも、
まっさらな「自分」がまっさらな「世界」に生きていくという感じでしょうか。

こう書いてみても、なにも伝わるものがあるとは思いません。
タワゴトです。
でも、そういうふうにしか感じられません。

すっかり辺りも暗くなったので、自転車を停めてあるところまで戻り、家に帰りました。
家族で夕食を食べ、寝床に入ったらたちまちのうちに眠りに入り、夢も見ずに仕事始めの4日を迎えました。


謹賀新年

2013年01月05日 | 雑感

明けましておめでとうございます。
よりよい年でありますように。

数日の休みを取るのは去年の正月以来でしたから、なにをしていいか分からないまま数日が過ぎました。
そんな休みの最終日、このままではいけないと意を決して近所の山に登ってきました。
実はその前日家族で初詣に神社に参ったところ、どうしてもその山の中腹にある奧の宮に参りたいという衝動がわき起こりました。
で、その衝動に素直に従って、エイヤとばかりに登山を決行しました。

水割り二缶とウーロン茶とパンを買ってリュックに詰め込み、自転車を漕いで山麓に向かいます。
風は冷たく、空には灰色の雲が流れています。
山に登るのは2年ぶりくらいだと思います。
ずんずん登ります。
なんだか心臓の辺りが苦しくなります。
もう帰りたいという甘い囁きと、そんな声をまったく無視してワクワクしている自分と、両方が自分の中にいます。
何度も登った山ですが、最初の休憩ポイントにはあっけなく到着しました。
思ったよりも汗をかいて、中に着ていたフリースを一枚脱いでリュックにしまいます。
数分ベンチで休憩して、立ち上がって頂上を目指します。
寒いせいかどんどん登れます。
途中、ちょっと道を逸れて、古代のイワクラみたいな石のある小高い頂上に寄ります。
以前囲ってあったしめ縄がなくなっていて、タバコの吸い殻がその岩の上にもみ消されていました。
さらに頂上を目指します。
露出した岩肌に、鎖を渡してある鎖場なんかも越して、思った以上に簡単に1番目の頂上です。
眼下に北九州の全景が広がります。
さらにその先に下関海峡と玄海が続いています。
街全体を雲の隙間から放射状に光が射しています。
上の画像にあるような光です。
カメラを持ってきていないことを激しく後悔しました。

休憩もそこそこに次の頂上を目指します。
ここからは快適な尾根歩きです。
尾根にはうっすらと雪が残っています。
それをサクサク踏みしめて、どんどん歩きます。
何度かアップダウンを繰り返したら、2番目の頂上です。
頂上といっても、名のある山の頂上ではありません。
尾根状の突起とでも言うのでしょうか。
そこからは行橋方面が見えます。
国東半島も見えています。
その左側に浮かんでいる島は姫島でしょうか。
ここでも休憩せずに先に進みます。

その先からは木々の中を縫うように続く長いのぼり道です。
それを登り切れば、目指す神社の裏手に出ます。
木々が尾根道に覆い被さるようにして、長いトンネルをくぐり抜けているような感じです。
どんどん登ります。
時折なんかの鳥が鳴いたり、飛び立ったりする音以外の音はまったくしません。
自分の息づかいが聞こえるだけです。
なにかを考えようとするのですが、なんの言葉も浮かんできません。
はぁはぁはぁと歩き続けます。

奧の宮の裏手に出ました。
表に回り込んで、心を込めて参拝をします。
物音一つしません。
コンクリートでできた小さなお社は冷たそうにシ~ンとしています。
なんだか立ち去り難い感じがして、お社の前に立てられた参拝小屋のベンチにしばらく坐っていました。
予定ではこの辺りで水割りを飲もうと思っていたのですが、そういう気になりません。

小屋を出ると辺りは大分暗くなっています。
あと数十分で日が暮れてしまう感じです。
どんどん下って、下の本殿に着きました。
ちょうど日が没しようとしているくらいでしょうか。
本殿にも前の日と同様に参拝して、神社を後にします。

続く