前にも書いたことがあるかもしれませんが、以前あるスピリチュアル系のイベント会場で瞑想をしたことがあります。
イメージ上の自分の部屋でリラックスした後、扉を開けるとその外には何が見えるか、という瞑想でした。
見える光景は人それぞれで、お花畑が見えたり、草原であったり、日差しの注ぐ庭であったりしました。
ぼくが見た光景は紺青の空でした。
昔「ライトスタッフ」という映画があり、宇宙空間に飛び出す前の人類がジェット飛行機で大気層の極限まで、
高度を上げていくという映画でした。
ジェット飛行機では、酸素も薄くなり、温度も低くなりますから、肉体の限度が飛べる高度の限界になります。
その限界ぎりぎりまで高度を上げた飛行士が観た地球の空の色がぼくが瞑想で観た紺青色でした。
さらに瞑想を続けていますと、その空の下方になにか動くものの気配があります。
姿は見えませんが、巨大な龍が、深海のような色をした空中を、悠然と身をくねらして飛んでいるのが分かりました。
姿が見えないのになぜ巨大な龍だと分かるんだと聞かれても困ります。
そのイメージが心にダイレクトに飛び込んできただけです。
龍の色はメタルブルーに近い色です。
おそらく身長は数百メートルから数キロメートルです。
地球を覆う大気の中を楽しげに、堂々と、気高く泳いでいます。
そして、龍はその一匹だけではなく、離れたところに何匹かが同じく悠々と泳いでいるのが感じられました。
行きたいところに行くという瞑想のワークショップでしたから、なぜぼくが行きたいのが紺青色の遙か上空であったかは分かりません。
だた、ひたすら心が震え、爽快感に満ちたのは覚えています。
もう5,6年前の話です。
なんていうこともないふとした瞬間に、その時に見た紺青の空を思い出すときがあります。
色々な鬱積した感情やらなんやらが一気に引いていきます。
なぜだか知れない平安さが一瞬にせよ訪れます。
次の瞬間現実に帰ると、たちまち一気に引いたはずの色々な感情やらなんやらが押し寄せてきます。
そうして、その感情やらなんやらに溺れ埋没していきます。
そういう感情やらなんやらを味わうのはいいのですが、溺れ引きずられてはいけないでしょう。
溺れ引きずられるのが人間の常とは言え、度を超すと文字通り感情に溺れます。
感情を過度に抑制した冷たい人間になる必要はありませんが、感情は溺れる対象でもありません。
感情は自分の立ち位置を示す敏感なコンパスみたいなもので、上手くコントロールできればよりよい方向性を示すことが出来るでしょう。
龍のごとく、楽しげに、堂々と、気高く。
そう生きたいのは山々なのですが、情けなくも悪戦苦闘してばかりいます。