風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

薄暗がり

2011年07月27日 | 雑感

なんかぼんやりとした薄暗がりが世の中を覆っている感じです。
せめて素敵な夢の世界にどうぞ。

ヘミングウェイ編

http://www.youtube.com/watch?v=zezu1lK2ARA&feature

スタインベック編

http://www.youtube.com/watch?v=iZfDpiw7fII&feature=autoplay&list=FL4OJKZMrZRWY&index=2&playnext=1

 

 http://www.youtube.com/watch?v=wbU-a99giUg&feature

 

http://www.youtube.com/watch?v=LQw5hi_Fq54&feature=mh_lolz&list=FL4OJKZMrZRWY

 


売国

2011年07月24日 | 雑感

今日は夏らしい強烈な日差しが、終日街をじりじりと焼いていました。
それでも案外と湿気は少なく、日陰に入るとそれほどでもありませんでした。
つい思わず昼食にビールを追加しました。

このくらいの暑さならクーラーなしでもいけます。
夜など涼しいくらいです。
でも、このくらいですむはずもありません。
あの、じっとしていても汗がだらだらしたたる熱帯夜がやってくるのでしょう。
まぁ、それでもぼくは扇風機で耐えられますが。

ネットで折りたたみ式のリクライニングチェアを買いました。
一応オットマンまで付属しています。
でも、写真で見ただけでも、いかにも中国辺りで作った安物です。
100円で落札しましたが、送料が2000円近くしますので、なんだかなぁという感じです。
あと二三回は娘を海に連れて行きたいのと、その後は秋以降の畑で使おうかと思っています。
畑で作業を終え、ボーっと群れ飛ぶモンシロチョウを見て、のんびり流れる雲を見て、もいだトマトを食べようかと思っています。

それから、仏像も2体買いました。
これはもうなんというか、怖ろしいほどの本物です。
何でこんなものか市井にあるのかというほどのものです。
でも、それを店に置いたら、あちらこちらから苦情が来そうですが。

それから、相変わらずのグタグタの政治とマスコミです。
先日国会で、菅総理及び民主党が、北朝鮮の拉致問題の実行犯に関わる団体への多額の献金をしている問題が、
かなり厳しく本格的に追求されていましたが、案の定どのテレビでも報道しません。
要するにその団体は日本という国体を解体したいと思っている政治団体です。
そういう団体に、我が国の首相及び与党が多額の献金をしているということです。
これが大問題ではなくて、何が大問題なのかさっぱり分かりませんが、とにもかくにもマスコミは口をつぐんでいます。
まぁ、こういう事実が積み重なっていくのも、日本人がいずれ覚醒するためにも必要な証拠となっていくことでしょう。

とりあえず、つい数日前の国会の映像です。
Part1~5までありますが、是非1~5まで見てみるといいと思います。
国会で何が起きているのか、管という人がどういう人なのか、マスコミが何を報じて、何を報じていないのか。
よ~く分かります。
以下はPart2です。

http://ime.nu/www.youtube.com/watch?v=gD9k5dSKnac&feature=related

これを全く報じないということが何を意味するのか皆で考えましょう。
それでいいのならぼくは敢えてなにも言いませんが、ぼくは嫌なので自衛の手段を考えます。

 

 


ウンコ

2011年07月23日 | 雑感
禅の道友が宮古島から帰ってきて、ぼくの店に立ち寄りました。
宮古島のあれやこれやのディープな話も聞けたのですが、ポイントはそこではありません。
ここ数ヶ月、彼は呼ばれるようにしてあちこちの神域を訪れています。
霊感は全くない男です。
で、その彼に新しい彼女が出来ました。
会ったことはありませんが、すこぶる評判のいい女性です。
彼女のことを話す度に彼はニヤニヤします。
ポイントはそこでもありません。
ポイントは、彼はここ数ヶ月一度も飲み屋に出なくなった、酒が不味くて不味くてたまらなくなったということです。

ほんの数ヶ月前まで、彼は週に3度くらいぼくの店にただ酒を飲みに来ていました。
飲みたいだけ飲んで、自分の話したいだけ話し、人の話は聞こうともせず、ふらふらと帰って行くのが常でした。
その彼が、どうやらお酒を卒業しかかっているみたいなのです。

滝行の導師の言葉なら、神様に「酒を取り上げられる」という状態です。
こういうことを、酒を飲みながら書いているぼくとしては少しうろたえます。
彼の言によると、道場長も最近は飲んでいないのだそうです。
総裁も小倉に来ればのんだくれですが、普段はあんまり飲まないのだそうです。
そうすると、毎日毎日飲んだくれているのは、ぼく一人です。
これがポイントです。

どうすればいいのでしょうか。
東北弁で言えば、「なじょすんべ?」です。
英語で言えば、"What can I do for it?"です。

今朝、久しぶりに小倉城庭園に行ってきました。
夏休みの子供のための座禅会があったからです。
小学校低学年の子供たちが保護者(どちらも祖母でした)とともに坐禅を組みます。
幼いながらも、真剣に取り組む姿を見ていると、どうしてもニコニコしてしまいます。

人の役に立ちたいのなら、度の過ぎた酒はなんの役にも立ちません。
それだけのことそれだけのことなんだと思い知りました。
少なくとも、子供たちにウンコみたいな大人の姿を見せたくはありませんし、見せてはいけません。

ということで、ウンコからの卒業をそろそろ本気で目指さなければ行けません。


なでしこ

2011年07月19日 | 雑感
日本女子サッカー優勝しましたね(なでしこジャパンという呼称はどうも・・・)。
たまたま起きたら見ようくらいに思っていたのですが、どういうわけか試合直前にきっちり目が覚め、最後まできっちり見ました。
アメリカチームの方が数段地力が勝り、終始押しに押していましたが、日本チームは全くひるみませんでした。
その心の強さとスタミナはたいしたものです。
土壇場で追いついた澤選手の得点なんか、二度と再現不可能な神業でした。
神業は座して待っていても訪れるものではありません。
死にものぐるいで奮闘努力する人にのみ訪れる一瞬の痕跡を残さぬ恩寵なのでしょう。

ドイツの会場の雰囲気も抜群に良かったですし、アメリカ人の選手たちも潔く悔しがっていました。
どういうわけか民放では表彰式の模様がカットされていましたが、後で動画で見たら、とてもいい感じの表彰式でした。
なんでも、朝6時に起きた天皇陛下ご夫妻が、まだ試合が続いていることを知って、その後の試合を最後までご覧になったのだそうです。
神風が吹きまっくったような闘いではありました。

ものすごくいい気分で焼酎を3杯くらい飲んで寝ました。
すでに空は白んでいましたが、それもまた日本チームが優勝したのにふさわしい感じです。
あっという間に意識をなくして、目覚めれば娘が足でぼくの腹を踏みつけています。
起きなさい、と娘は4才に似合わぬハスキーな声でぼくに命令します。
そういえば、海に行く約束をしていました。
はいはい、と言ってぼくは渾身の力を振り絞ってのそのそ起き上がります。
近頃足の関節から急速に柔軟性が失われつつあり、膝をがくがくしながら立ち上がります。

台風が南海上に近づいているせいか、海には灰色の雲が覆い、波も幾分かうねっています。
娘は浮き袋を操ることを覚え、得意満面で遊び回ります。
最初はぼくの手を握って決してそれを離すことを許しませんでしたが、一度無理矢理離してこっちおいでと誘導し、
なんとか足をバタバタさせてそれに成功するやいなや、今度は自分一人でどこまでできるのかを試そうとします。
子供のそういう無茶なチャレンジ精神というものを大人も持てば世の中はもっと刺激的になるでしょう。
ともあれ、娘は唇が紫色になり、歯がガチガチ鳴るまで海を堪能して、食事に行きました。

食事は、何度か行った海鮮物や肉などをその場で炭火で焼いて食べられるところに行きました。
行く度に後悔するのですが、今度こそはと思っていきました。
ものすごく新鮮そうにエビやらホタテやらイカやらサザエなどが氷の上にディスプレイされています。
適当に、見るからに旨そうなそれらを選んで、自分たちの炭火のところへ持って帰ります。
でも、焼いて一口入れると食べられたものではありません。
なんなんでしょうか、おそらく入念に特殊メイクを施されているのでしょう。
不味い魚を旨そうに見せる特殊メイクの世界では、とんでもなく技術革新が進んでいるのでしょう。
腐敗しているとかそういうのではもちろんありません。
とにかく口に入れると不快感が口いっぱいに広がります。
サザエも焼き上がったものを食べようと中身を出してみると、どうも自然なものを自然な火で焼いたものとは違うのです。
何がどう違うのかを説明することはできませんが、口に入れる気にどうしてもなれませんでした。
海がすぐそばの海鮮物を売り物にした商業施設で、どうしてこういうものを平気で出すのだろうと本気で不思議になります。
エビを一匹なんとか食べましたが、あとはどうしても口に入れる気にはなりませんでした。
娘は海鮮物は一切受け付けず、ウインナーを5本食べ、メロンソーダをおかわりしました。
メロンソーダも毒物に近いでしょうが、分かりやすいだけに罪が軽い気がしました。

ろくに寝てない上に、波の高い海で疲れ、食事にうんざりし、少しはゆっくりしたいぼくの気持ちをことごとく踏みにじる女房に絶望し、
わざわざ店に出てソファーに寝て、王将で餃子とニラレバを食って、ちっとも心豊かではないけれども、貧しい心持ちになることはないと
いつものように自分に言い聞かせて布団に入りました、とさ(苦笑)


お気楽

2011年07月13日 | 雑感
誰がなにを言おうと、何をしようと、ぼくみたいにお気楽に生きていればどうってことはないのですが、
ある人にとっては他人の言動がその人の心情を左右し、人生を左右することもあるようです。

でも、ぼくが言えることは、そういうのは不健康ですよ、というくらいでしょうか。
他人の言動に左右されるということは、他人の言動に自分の人生の基盤を置くということです。
人の人生の基盤を負わされた他人はどうしたらいいのでしょうか。

お気楽というのは覚悟が要ります。
何がどうあれ、他人のせいにはしないという覚悟です。
すべては自分のせいですから、お気楽でいられます。
うまくいくも行かないも、すべては自分のせいです。
それをそのまま受け止めるだけです。

自分の思い通りにならないことや、思いが伝わらないことや、なんやらかんやらを他人のせいにし始めたら、きりがありません。
いつだって、思い通りにならないだけですし、思いが伝わらないだけです。
他人のせいではなく、自分のパフォーマンスが貧弱なだけなんだと思います。
もともと、パフォーマンスが豊かな人という方が希です。
自分の貧弱なパフォーマンスを自覚しつつ、尚且つ果敢に伝える努力をし、相手を喜ばそうとする道を探るのだと思います。
自分の貧弱さを思い知って、なおそれではいけないと精進する人だけが豊かなパフォーマンスを身につけるのだと思います。

豊かな人というのはいないのかもしれません。
豊かであろうとする人がいるだけなのかも知れません。

他人にどう思われるかよりも、他人をどう思いやれるかを大事にする人になれたらいいと思います。
我が道を行きながら、人の道行きを気にする人であればいいと思います。
人の評判よりも、お天道様の望むことを気にする人でありたいと思います。

理念

2011年07月11日 | 雑感
今朝は6時前に愚図る娘の声に起こされて、畑に行きました。
快晴で、風は暖かいながらも爽やかです。
畑につきますと、流石にこの季節、雑草が恐ろしい速度ではびこっています。
支柱からずり落ちたり、ひん曲がったりしているトマトやナスの苗を手入れしながら、片っ端から雑草を抜いていきます。
のどが渇けば赤く熟したトマトをもいで食べます。
甘すぎず酸っぱすぎず、いい感じです。
そうこうしているうちにあっという間に2~3時間経っています。
今日の収穫はダイコン数本、ナス10本くらい、トマト2~30個、といったところです。
リーフレタスと大葉も盛んに茂っていましたが、収穫はしませんでした。

トウモロコシが虫に食われて収穫できそうもありません。
キュウリもベト病というのにやられて、先日引き抜いて廃棄処分にしました。
周囲の他の人の畑でもトウモロコシとキュウリは同じような状況です。
枝豆と落花生が花を付け始めました。
カボチャの実は10cmほどに膨らんできました。
トウガラシも実をたくさん付け始めています。
持って帰ったトマトはドライトマトにしようと、半分に切りザルに並べました。

それにしても、キュウリにしてもナスにしても、スーパーで売っているような形が揃ったきれいなのはなかなかできません。
しかも安いです。
畑道畏るべしです。

さて、今週末は祇園祭です。
太鼓の練習の音があちらこちらから聞こえてきます。
町内ごとに太鼓の山車を出すわけですが、聞くところによりますと、町内それぞれの雰囲気がかなり違うのだそうです。
排他的で、ヨソ者を受け付けない(無視する)ところ。
どの地域からも喜んで受け入れる開放的なところ。
それぞれの町内の指導者によって、雰囲気が違うのでしょう。
いつまでも年寄り連中が幅をきかせているところもあれば、主婦が中心になって頑張っているところもあるそうです。

リーダーの役割というのはいつの時代でも問われるわけですが、時代・状況によっても望まれるリーダーの姿もまた変わります。
平時のリーダーと緊急時のリーダーに望まれる役割は自ずと違ってきます。
どんな状況でも緩急自在にリーダーの役割を果たすというのは口に言うほど易しいことではないでしょう。
ぼくはどういうわけか徳川家康という人物に興味を持ったことはないのですが、戦乱を終わらせるために参勤交代という
過酷な消耗制度を諸大名に強要することによって、諸大名に天下取りの野望を持たせないようにしたというのは、
幼い頃から権力の座を巡っての動乱を見続けてきた家康のリアリスティックな解決方法だったのでしょう。

理念を実現するには、理念をひたすら追うリーダーではだめなような気がします。
理念を実現するためには、極めてリアリスティックなバランス感覚が必要でしょう。
理念を現実世界に実現するためには、複雑で多様な人材を的確に活用し、複雑怪奇な現実の壁を打ち破っていく必要があります。
理念を追うためには、目の前の現実に的確に対処していく能力がどうしても必要になります。
金が必要なら金を用意する。
人材が必要なら必要な人材を揃える。
何らかの勢力との交渉が必要なら、硬軟交えた折衝を完遂する。
そういう能力を備えてこそ、目標たる理念を実現できるのでしょう。

まぁ、あれです。
理念と呼ぶようなものが欠落しているようなぼくが言うようなことでもありませんが。



京都

2011年07月09日 | 雑感
昨日急遽所用で京都に行ってきました。
赴いた先が京都の北部だったので、どうせならと前から行きたかった下鴨神社に立ち寄りました。
空には夏の雲が流れ、日差しは強烈です。
やはり近畿地方に梅雨明け宣言が出たことを後で知りましたが。

できるだけ公共の乗物と徒歩を活用しようと思い、京都に着いて早速、地下鉄・バス乗り放題の一日乗車券というのを買いました。
目的に地に近い地下鉄の駅を地図で探します。
駅を出てからどの方向に歩いて行けばいいのかを見当を付けます。
でも、地図で見るとわずか数センチに満たない距離ですが、実際は数キロになり、見知らぬ土地の炎天下を歩くと
流石にへろへろになります。
ただ、適当な方向に歩いていますと、思わぬところに思わぬ発見があったりします。
名前の聞いたことのある相国寺の境内に出たり、本能寺で殺された織田信長の墓があるというひっそりした寺(確か阿弥陀寺)があったり、
鴨川の土手で読書をする外人の女の子がいたり、パントマイムの練習をしている真っ黒に日に焼けた青年がいたりします。

ようやく下鴨神社の参道に辿り着きます。
もう汗でぐっしょりです。
境内の森の中に入ると流石に風も涼やかです。

下賀茂神社のWikipediaです。

 賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、京都市左京区にある神社である。下鴨神社(しもがもじんじゃ)の通称で知られる。
 式内社、山城国一宮、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。

 賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称され、
 両社をもって一社のような扱いをされてきた。賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(通称葵祭)で有名である。

 上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命の母の玉依姫命と玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀ることから「賀茂御祖神社」と呼ばれる。
 八咫烏は賀茂建角身命の化身である。

 付属施設に糺の森(ただすのもり)、みたらし池がある。平成6年(1994年)12月25日に世界文化遺産としてユネスコに登録された。

という神社です。
神社に行ってお参りするときにぼくが感じる指針は「風」です。
まったく周囲の空気がピクリともしないこともあれば、サワサワといった風が吹くこともあり、一陣の風がスーッと通ることもあります。
下鴨神社で感じたのは、サワサワでした。

それから所用先のある陶芸家の先生のお宅に伺いました。
そこで我が禅教団の総裁と合流です。
作品の写真撮影をし、今後のことを打ち合わせて、お宅を辞します。
総裁にせっかくだから大徳寺に寄って帰りますと言いますと、総裁も一緒に行くということになりまして、大徳寺へ。
以下、Wikipedia。

大徳寺(だいとくじ)は、京都府京都市北区紫野大徳寺町にある寺で、臨済宗大徳寺派大本山である。
山号を龍寶山(りゅうほうざん)と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は大燈国師宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)で、
正中2年(1325年)に正式に創立されている。

京都でも有数の規模を有する禅宗寺院で、境内には仏殿、法堂(はっとう)をはじめとする中心伽藍のほか、
20か寺を超える塔頭(たっちゅう、本山寺院の境内周辺にある関連寺院)が立ち並び、近世の雰囲気を残している。
大徳寺は歴代多くの名僧を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、日本の文化に多大な影響を与え続けてきた寺院である。
本坊および塔頭寺院には、建造物、庭園、障壁画、茶道具、中国伝来の書画など、多くの文化財を伝えている。

総裁と門前の蕎麦屋で蕎麦を食べ、境内を散策し、塔頭の一つの龍源院の枯山水の前でしばし休憩。
庭からは檜皮葺きの屋根が連なり、青い空に入道雲がわき上がり、松の間を風が吹き渡って、総裁も大いに喜んでいました。
それから総裁をホテルに送り、どうしても心が引かれたので、上鴨神社へ。
地下鉄で行ったのはいいが、電車を降りてからかなり歩きました。
汗だくで辿り着きました。
以下、Wikipedia。

 賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、京都市北区にある神社である。上賀茂神社(かみがもじんじゃ)の通称で知られる。
 式内社、山城国一宮、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。

 賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称される。
 賀茂神社両社の祭事である葵祭で有名である。

 賀茂氏の祖神である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を祀る。
 「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味である。

ということで、同じ鴨神社でも、上と下とではまったく雰囲気の違う神社でした。
円錐形に盛られた砂が二つ並んでいます。
何かのエネルギーの場を象徴しているのでしょう。
境内を豊富な水量の水路が流れています。
なにか強く気持ちが惹かれるのですが、なぜなのかはさっぱり分かりません。
社務所の気持ちのいい青年といろいろ話をしました。
特別参拝をしていましたから、参加したかったのですが、次の予定を思いついて後ろ髪引かれて後にしました。
上賀茂神社前のバス停から、来たバスに適当に乗りました。
どうせ南方面に行くはずですから。
地図で調べますと変なルートをとるバスで、細い道をクネクネ南下します。
二条で降りて、地下鉄に乗り換え太秦に向かいます。

太秦に着く頃は3時過ぎでした。
予定では蚕ノ社を先に行くつもりでしたが、たいていの寺社は4時くらいまでしか開いていないので、先に広隆寺に行きました。
有名な弥勒菩薩半跏思惟像をどうしても見たくなっていました。
なんとか間に合い、対面しました。
今までかなりの仏閣を訪れ、たくさんの仏様の像に接してきましたが、ダントツに一番でした。
薄暗い堂内に、それほど大きくないその像は周囲にほのかな豊かなエネルギーを発散しつつ、座していました。
末法の世にあって、菩薩はさて衆生をどう救おうかと思惟しています。
そのお顔にはかすかなかすかな笑みが浮かんでいます。
なんというか、その笑みに同調することができたような気がして、嬉しくなりました。
広隆寺の仏像はそのどれもがレベルが高く、数十分の滞在がもったいない気がしました。

その帰途に蚕ノ社に寄りました。
以下、Wikipedia。


 木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)は京都市右京区太秦にある神社である。
 式内社で、旧社格は郷社。祈雨の神として信仰を集めている。

 通称木嶋神社(このしまじんじゃ)。また、本殿東側に織物の始祖を祀る蚕養(こかい)神社があることから蚕の社(かいこのやしろ)
 の通称が広く知られている。

ここは古い神社です。
三本鳥居で有名です。
行ってみて分かったのですが、三本鳥居はもともと池(今は枯れていました)の中にあり、その池の脇に禊ぎ場がありました。
普通日本の禊ぎ場は一切の人工物はありませんが、ここは石組みに囲われた禊ぎ場でした。
いろいろな書物で言われていたとおり、ユダヤ形式の禊ぎ場のような気が強くしました。
本殿では特段に感じるものはありませんでしたが、その禊ぎ場当たりからは何か重いものを感じました。

それからまた地下鉄に乗って京都駅で降りました。
京都駅の南側は開けていないので、なんか場末の雰囲気のただよう焼き肉屋を探しましたが、それほど寂れているわけでもなく、
なんだかどうでもいいというような感じでのれんを下げている居酒屋に入りました。
適当に飲んで、適当に食べました。

帰りの新幹線で、湯豆腐を食べていないことが一つだけ残念でした。