風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

小物

2006年02月28日 | 雑感
今日は少し寒さがより戻しました。
今の季節は太平洋側からと、大陸から交互に高気圧がやってくるんですね。
どちらか片方の高気圧が張り出しっ放しになって、冬になったり、夏になったりします。
そうやって日本の風土に四季折々を刻み込んでいくわけです。

四季と言えば、ここ10数年来、春と秋の期間が急速に短くなっているような気がします。
春が来たなと思っているとすぐ蒸し暑い日がやってきて、長い夏がずるずる続いてやっと秋だなぁと一息つくともう冬です。
要するに、夏が長くなっています。

夏というのは、夏休みがあるわけじゃないので、ぜんぜん好きではありません。
暑いのも好きじゃありませんが、冷房というのも嫌いです。
というか、暑いのはまだいいのですが、蒸しますから。
昨今の夏の時期、都会のビルの中で働くというのは、なんか苦痛でしかありません。
そりゃビルの中は涼しくて快適ですが、その分熱気をコンクリートジャングルの中に撒き散らしているわけですから。
毛皮を着込んだ野良犬や野良猫はたまったものではないでしょう。

で、夏の悪口を言ったところで何にもならないので、次の話題です。

お客さんにロンドンで文房具を買ってきてと頼まれました。
ヨーロッパって、こういう日常品にセンスがいいものが多いですよね。
ドイツの調理器具だとか、うわぁこれ欲しいというようなものがたくさんあります。
傘だとか鞄だとかもセンスがいいものが多いです。
日本の場合、長らく女子供対象のマーケティングばかりでしたが、そろそろ男にも目を向けて欲しいものです。
特に中年男。
やっと金銭的に余裕が出来始めた中年男は、けっこうマーケティングの対象になると思います。
そういう中年男向けのファッション雑誌なども店頭で見かけ始めましたが。
ぼくはそういう雑誌特有の、なんというか、ステレオタイプのかっこいい親父像というものがどうもなじめないので、
手にとって見たことはないのですが。
なんかアデランスで増毛した親父のかっこつけポーズを思い起こしてしまうのは、ぼくだけ?

もともと男は小物というのが好きですよね。
金がなければ百円ショップのものでも平気なんですが。
一昔前は、その興味の対象がライターとか時計だったわけです。
あとはゴルフのクラブとか、釣竿とか、趣味の世界の小物ですか。
もっと昔は、武具にしても、服地にしても、煙草道具にしても、男の小物に対するこだわりは半端じゃありませんでした。
それが戦後しばらく百円ライターでかまわないという感じが続いたわけですが、
少子化の流れでもありますし、小物に目を向け始める時代になってきたように思います。

と、言いつつも、ぼく自身はおしゃれな小物を持ちたいという願望は余りありません。
出来ればスーツも着たくないし、革靴も嫌です。
ジャージで店に出ることが出来ないというだけです。
でも、世の中の男性がおしゃれになるのは大賛成です。
誰でも彼でもアルマーニのスーツを着るというようなおしゃれの方向だけは勘弁ですが。

着流しに雪駄というのが流行ることがあれば、ぼくも流行に乗るかもしれませんが(笑)





金メダル

2006年02月25日 | 雑感
昨日はネネさんと一緒に、アイカさんのコンサート会場になった教会の神父さんにご挨拶に行きました。
あいかわらず物静かで、丁寧な応対でした。
ルルドの泉の聖女ベルナデットのお話には熱がこもりました。
尊敬すべき神父さんです。
でも、ネネさんとの約束は、25日、今日でした。
ネネさんが自分でメールで指定してきたのです。
なのに、昨日突然電話してきて、「駐車場で待ってるんだけど」と言います。
慌てて店を出たのですが、それがネネさんです(笑)

その後、ネネさんと食事に行ったので、ブログは書けませんでした。
ネネさんの不思議な話を聞くのはいつもながら面白いです。
ぼくは例によって飲みすぎたのかどうか、あまり記憶がありません。
今朝気づいたのですが、肘が痛く、スーツのズボンも少し破けています。
多分どこかでこっぴどく転んだようです。
焼酎二本がビニール袋に入ったまま玄関の外に置きっ放しでした。
酔っ払っていても、焼酎を買うことは忘れなかったみたいです。

で、例のごとく夜中に目が覚め、フィギュアのエグジビションを見ました。
緊張から解放された一流の選手たちが、楽しくのびのび華麗に演技するのは見ているほうも幸せになりますね。

どうやら日本のメダルは荒川選手の金一個になりそうです。
堂々とした価値のある一個でした。
今回の選手団の中には一部勘違いした少年少女もいたみたいですが、まぁ、ご愛嬌です。
無責任に煽り立てるマスコミによるいつもながらの風景です。
それにしても、荒川選手が控え室で最後のロシアの選手が滑り終わるのを待っている時、
周囲にごちゃごちゃといた中年の日本人男女の群れはなんなのでしょうか。
もちろんコーチやなんかもいたのでしょうが、一人の選手に10名を超える取り巻きが付くものなのでしょうか。
ああいう環境が、選手に、特に若い選手にいい影響を与えるものなのでしょうか。
図らずも、あまり麗しくない光景がテレビ画面に流れていました。
でも、表彰台に立った荒川選手も、品格高くキレイでしたね。
君が代もちゃんと歌っていましたし。

二月はあっというまに月末が来ます。
油断できません。
といいながら、何も手に付かない感じでここ数日を過ごしてしまいました。
こういう流れはずるずる長引きます。
流れをスパッと切り替えておかないと危険です。
明日の日曜日、どう過ごすのかをちょっと考えてみます。





向上心

2006年02月23日 | 雑感
今日はネネさんのカレンダーにぼくの店のことが出ていたのでということで若い女性が訪ねてこられました。
ある人と待ち合わせしているということで、いったん店を出たあと、ある女性を連れて戻ってこられました。

連れてこられたほうの女性は、店に入ってくるなり入り口の棚に飾ってある銅製の観音様に釘付けになりました。
「向上心、菩薩、と言ってます」と突然言います。
よくよく話を伺うと、その方は人のオーラが見え、かなり霊感の発達している方で、
その観音様を通じてぼくの守護霊がぼくにそう言っていると言うのです。
趣味も仕事も修行も中途半端で、自分が行きたいところまで行けないでいる。
今年は向上心を持って奮起しろ、ということらしいです。

その方とはもちろん初対面ですが、その通りだなぁとしか返せません。
「菩薩」ってなんですかと聞いたら、よく分からないとのこと。
ぼくはたぶん菩薩心(菩提心)を持って、向上を図れという意味だと勝手に解釈しました。

そのあと、いろいろ観音様の言葉としてぼくに対しての苦情をいろいろ言われたのですが、同席していた古株のお客さんが、
その通りだその通りだと言ってけらけら笑います。
ぼくもその通りだと素直に思いましたし。
気が乗ったら仕事もするが、気が乗らない時のほうが多すぎるとか(笑)
現世から逃げるなだとか(笑)

コーヒーを飲みながらだんだん話をしていきますと、その方もかなり深くスピリチュアルな活動をしているみたいです。
マリア様と観音様に特に縁が深いのだそうです。

その後はさらに話は浮世を離れていくので略しますが、なかなか面白かったです。
今年が変わり目だと言うのは、ぼく自身が強く感じていたことですし。

こうしてこういう世界の人たちのご縁が広がっていくわけですが、
何よりも今は仕事で足もとを固める時期です。

以前、いつか日本美術を世界に紹介したいと言ったことを覚えてくれていたロンドンのディーラーが、
今度ロンドンに行ったときに大手の美術商を紹介してくれるという話になりました。
こちらの準備が貧弱なので、すぐにビジネスにはなりませんが、顔はつないでおこうと思っています。

なんにせよ、いろいろ広がるご縁を大切にしながら、一歩一歩積み重ねていきます。

でも、ぼく自身の調子は今一です。
昨夜も深夜に目が覚め、ビールを飲む羽目になりました。
うーん。
ま、調整します。

それから昨日の雲は今朝の新聞にデカデカと紹介されていました。
なんでも、昨日打ち上げたロケットのジェット雲(?)らしいです。



感じ

2006年02月22日 | 雑感
今朝、目が覚めてしまったので、久しぶりに滝に行きました。
ちょっと緊張感がありました。
体がすっかり戻っていて、そりゃもう冷たかったです。
滝の真下になかなか入りきれません。
般若心経を一巻上げ終えたあと、エイッと入りました。
なかなか厳しい滝でした。
出た後は、寒さもそれほど感じず、爽快でしたが。

でも、不思議です。
久しぶりに入ると、いろいろな感覚が知らず知らずのうちに麻痺していくものなんだなぁーと痛感します。
前にしょっちゅう入っていたころは身体で覚えていたはずの感覚が、時と共に見事に体から抜け落ちていることに気が付きます。
あー、こうだったよなぁ、ああだったよなぁと、いろいろな感覚が久しぶりによみがえります。
おもしろいです。
宗教的感覚って長続きしないものだと思います。
その刹那刹那に感じるだけなんですね。
それを記憶にとどめるというのは難しいです。
言語化できない「感じ」を記憶にとどめるというのは出来ないことなのかもしれません。
ふたたび経験した時に、はじめてその感覚を思い出すというか。

滝場では滝仲間のOさんと会いました。
70を超えたおばあちゃんですが、ほぼ毎日滝に通っています。
日数も1000日を越えました。
一日の初め、滝に入らないとどうも一日中調子が悪いそうです。
顔色がちょっと悪いので、どうしたのかと聞くと、時々血痰が出るのだそうです。
タチの悪いものではないとのことですが。
へらへら世間話をして別れました。
11月に滝の仲間とインドに行くと張り切っていました。

近頃、車の運転がちょっと変かなーと思います。
前を見てはいるのですが、意識が連動してないような気がします。
車が近づいて来ている→体が無意識に反応して対処するという流れの中で、
「→」の間の時間が微妙に長くなっている気がします。
長くなっているのに気づいて、あわてて反応させているというか。
今まで、車の運転に意識を向けたことなど長い間なかったのですが。

そういえば、朝、滝に出掛けに窓を開けたら、奇妙な雲が移っていました。
空にとぐろを巻いてます。
携帯で取ったので、画質が悪く、多分何がなにやら分からないでしょうが、一応張っておきます。




目利き

2006年02月21日 | 雑感
今日はあんまり気持ちのいい夕暮れなので、ビールとつまみを店に持ち込んでいます。
とっとと店のシャッターを閉めて、ビールを開けました。
つまみは鳥皮の酢の物と、白菜の漬物です。
昼ごはんを抜いたので、いろいろとたまりません(笑)

昨日も深夜に目が覚め、朝方まで眠れませんでした。
ぼんやりとオリンピックを見て、朝刊を読んで、またテレビをつけました。
元総理大臣の細川護照氏が、白州正子さんを紹介する番組でした。

白州正子さんは、なんというか、本物の目利きです。
その価値を、希少性であるとか、評判とか、価格に全く置きません。
作り手の精神性と、表現力と、完成度と、調和に価値をおきます。
無名有名はまったく問いません。
絶体音感を持っている人と同じで、絶対美観を持っていますから、他人の評価に左右されることがありません。

当然、仏像とか能面とかにその研ぎ澄まされた目は向けられます。
仏像とか能面というのは、美の中でもその幽玄さ、精神性、完成度、奥深さ、
そのどれをとっても美の世界の頂点に立つものです。
白州正子さんが評価したという無銘の能面を見ましたが、ぞくぞくするものがありました。

こういう人は、おのずから、生活スタイルそのものも無駄のない美的なものになります。
雑多を避け、シンプルながら奥深く、静かながら情熱的になっていきます。
若い時は思い切り奔放に生き、年老いて日本の美の玄妙さに一人入り込んでいく。
生き方そのもが美しいですね。

ところで、あまり知られていないのでしょうが、細川護照氏の焼き物は素人の域を遥かに超えています。
武人の作る焼き物みたいに、シンプルかつ繊細で力強いです。
展示販売会などではあっというまに売切れてしまうそうです。
ぼくも実物を見たことがありますが、欲しくなりました。
美術品の評価は、欲しくなるかどうかにかかっています。
なかなか興味深いです。
それに比べて、亀井某氏(元自民党政調会長?)の油絵は・・・・

二本目のビールが空きました。
とっとと家に帰って焼酎を飲みたいので、帰ります。

ところで、例のメール、ガセであったことが証明されそうですね。
ぼくは17日には、ほぼそう確信していました。
インターネットの情報網というのは、使いようによっては凄いんですよ、みなさん。

でも、目利きにならなければなりません。
まず、人物に対する目利き、情報に対する目利き、時代の流れに対する目利き。
いろいろありますが、お互いに精進していきましょう。




エクセル

2006年02月20日 | 雑感
年度末が近づいて来ているので、エクセルで在庫管理をすることにしました。
エクセルというのはどうも性に合わない気がしていたので、ちょっと触って見たことがあるきりです。
で、記入項目を考え、数字を入力してみました。
便利です。
修正も思いのまま、何よりぼくの手書きの汚い文字を見ないですみます。
在庫管理をすると、仕入、売上の管理も同時にすることになります。
なんというぼくの成長ブリでしょう。
今日一日で前年度までの在庫の整理が出来てしまいました。
ぼくはもしかしてエクセルの達人かもしれません。

昔買っていた成功哲学みたいな本には、よく目標を紙に書くということが必ずのように書いていました。
ぼくは何だか気恥ずかしくて、書いたことがありませんでした。
でも、昨日の日曜日のけだるい昼下がり、本棚にあった本をぺらぺらめくって読んでいたら、
その気になったのでした。

ま、いろいろ目標を書き出してみたのですが、なかなか障害が見えてくるんですね、これが。
そのほとんどが、ぼくの性格というか、ルーズさに起因しているわけです。
で、「業務管理システムの簡潔化・徹底化」という大目標を立てたわけです。
そのためには今までのように「思いついたら手作業」方式では埒が明きません。
早速エクセルの解説書を買って読んだわけです。
基本の仕組みを抑えたら、あとは実践です。
するとはかどるんですね、作業が。
目は少し疲れますけど、毎年度末に七転八倒していたのに比べれば、ハエを払うようなものです。←言いすぎ
簡潔かつ的確な事務作業をこなすぼくの姿など誰も想像したことがないのに違いありません。
でも、その姿をまもなく目にするはずです。
あははははは←バカ

ということで、決算までまだ二ヶ月以上もあるというのに、すでに準備を始めた有言実行のぼくです。
有言実行となると、来期は売上を今期の倍にしなければなりません。
壮大な目標です。
その壮大さにたじろいではなりません。
予定通りですと、ぼくは3年後には金持ちになっています。
あははははは。

そんなこんなで、生まれてはじめて、目標を立てて生きるということを始めたわけです。
大事なことは、現実の目標を達成することにより、どんな精神生活が手に入るかということですね。
今まではそこが上手くリンクしないので、どうも本気で目標を立てるということが出来ませんでした。
なぜそうしたいのかという心の底が明快でないと、なかなか本気にはなれません。
お金でいえばあったらあったでいいし、なければないでもいいという感じですから。

で、皆さんがぼくの財務状態をそのまま知ったら驚きますよ。
何を能天気なことを言いやがってんだ、この阿呆はってなもんです。
中小零細企業の起業時などはそりゃ絶対に楽は出来ないようになっています。
それが3-5年続きます。
で、ひとふん張りしないと、企業としては社会から退場を余儀なくされます。
ひとふん張りしてもなかなか大丈夫というわけには行きません。
正しいひとふん張りをしなければなりません。

なかなか大変ですが、ま、乗り越え甲斐があると思える限りはどうってことないです。
今まで目標もなくよくここまで何とかながらも持続してきたものだと、我ながら驚いてしまうくらいです(笑)














機転

2006年02月18日 | 雑感
ロンドン行きを予約しました。
なんだか、旅行代金がひところより高くなっています。
どうも近頃、為替レートの単純比較では顕れない、円の力が弱まっているのではないかという気がします。

それから、一昔前は格安航空券といえば大韓航空だったのですが、
近頃は日本の旅行社への割り当てが少なくなったのだそうです。
韓国人の海外渡航者が急増しているのでしょう。

で、使う航空会社が日本航空になりかけたのですが、旅行会社の人の機転で、英国航空になりました。
一安心です。
ここ数回の日本航空を使った経験からは、なんかおかしな風になっているなとほんとに感じていましたから。
テーブルを出し、座席を倒したままの人がいるのにそのまま着陸したり、
離陸間際になって燃料ポンプがどうたらこうたらと、要領の得ない待機があったりと。
でも、別にぼくが日本航空は嫌だとか何だとか言ったわけではないんですよ、なるがままに任せるタイプだし。
英国航空を使ったほうが、安く上がるからとわざわざ電話をくれたというわけです。

こういう機転の利いた対応というのは、本当に気持ちがいいです。
キャンセルしたり、予約しなおしたりと手間がかかるでしょうに。
で、次回の旅行の手配も同じ子に頼もうと固く決意するわけです。

機転の利く子と利かない子の差が、日毎に大きくなっていくなと感じる今日この頃です。










三寒四温

2006年02月17日 | 雑感
絵に描いたような三寒四温で、今日は冷え込んできました。
ぼくは今夜も湯豆腐で乗り切ります。

と、普段はこういう前フリを書いていると、書きたいことがでてくるのですが、今日は出てきません(笑)
最後の手段、今日の日めくりの言葉も、いまいちピンと来ません。

ちなみに書いてみます。

「人間こそ 自然が創造した最高の傑作である」  カザルス

ね、ピンと来ないでしょ?
人間も傑作かもしれませんが、猫だってタンポポだってカブトムシだって、海や空や川や山だって傑作ですよね。
何も人間だけを祭り上げることはないのではないかと、ぼくなんかは思います。
人間も自然の一部だという健全な謙虚さというものが感じられません。
八百万の神々を感じません。

ま、どうでもいいんですけど。

そういえば、昨夜はお客さんとスッポンを食べに行きました。
後ろ足の唐揚げというのが旨かったです。
鶏肉を味わい深く、噛み応えを良くしたような感じです。
生き血はお客さんの分も合わせて二杯飲みました。
調子がよくなったのかどうかはよく分かりません。
でも、旨かったです。
今度は、アンコウを食べに行こうということになりました。

毎晩のように湯豆腐ばかりを食べているので、たまには贅沢します。
お客さんのおごりだし(笑)

もちろんぼくだっておごることはあります。
タンメンとかスパゲティとか(笑)

どうでもいいことばかりを書いています。

話は変わりますが、路上でタバコのポイ捨てをする人がめっきり減りました。
いいことです。
昔は、刑事者のドラマなんかでは、刑事も犯人もやたらタバコをふかしては、ポイポイ捨てていました。
それから、痰を吐き散らす人もめっきり減りました。
昔は、そこらじゅうでジーさん連中が大きな音でカーッペッとやっていました。
いいことです。

民主党の議員が大見得を切って政府を攻撃したところ、大ポカで終わりそうです。
コピーのコピーくらいしか証拠はなさそうです。
なんという脇の甘さなのか、ちょっと想像を絶します。
売りつけようとするぼくと、買うまいとするお客さんとの、両者一歩も引かない脇ががちがちに締まった、
息詰まる攻防を見てみるがいいと思います。

なんか、無理やり話をつなげても、うんざりされそうなので、今日はこの辺で。




オリンピック

2006年02月15日 | 雑感
ここ何日か夜中に目が覚めるようになりました。
焼酎飲みながら盛り下がっているオリンピック中継をだらだら見る羽目になります。
しかし、どうしてアナウンサーも解説者もこう日本人選手に甘いんでしょう。
競技のおもしろさよりも、日本人が勝つかどうかばかりをくどくど大袈裟に言ってばかりいます。
新聞もテレビも報道のプロなんですから、日本人の話ばかりではなく、
外国人選手のエピソードも事前に仕入れて提供してもよさそうなものです。
競技がよりドラマティックにおもしろくなろうというものなんですが。
ま、マスコミのダメダメ振りは今に始まったことではありませんが。

夜中に目が覚めるわけは簡単です。
体が疲れていないのです。
四国では毎朝こんぴら様にお参りしたり、帰ってきてからも何やかやと忙しくしていたものですから、
疲れてよく眠れたのですが、ここのところだらりだらりと暮らしているからです。
こんぴら様は階段が400段くらいあったと思います。
結構足腰が鍛えられました。
せっかく鍛えた足腰も、このままでは萎えます。
ただの散歩は退屈でする気が起きませんから、なんか運動でも始めるかもしれません。
もうちょっと暖かくなったら、滝にも行きますし。

滝は運動かと聞かれると、運動以上かもしれません。
滝場に行くまでには山道を登りますし、水の中ではおそらく体の調節機関がフル回転するはずです。
その後、猛烈に眠くなりますから、実際に相当の体力を消耗するのだと思います。

話は変わりますが、清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀の末裔の方と縁の深い人がお客様にいます。
半端な縁の深さではないので、いろいろな興味深いお話が聴けます。
現在、中国は共産党独裁の政体ですが、その政体が崩れた時、どうなんでしょう、愛新覚羅家の末裔が、
中国の革新勢力に担ぎ出されるなんてことはないのでしょうか。
ちょっと物騒ですが、興味深い話です。
満州国建国あたりの歴史を勉強してみようかと思っています。

今日も雨が降っています。
雨が降ると、滝の水量を予想するのが癖になってしまっています。
ぼくの予想では、なかなか豪快な水量になっているはずです。

啓蟄の辺りから水がぬるみ始めます。
そのころから行き始めようかと思っています。

しかし、つくづく、運動選手、特にオリンピックに行くような選手は全員滝行したらいいのにと思います。
精神面の強化には抜群だと思うんですが。
成績がぜんぜん違ってくると思います。
言うだけ虚しいですかね。






天使の時計

2006年02月14日 | 雑感
今日は昨日とは打って変わって雨が降り出しました。
でも確実に寒さは遠のいているようです。

今日も2ctのダイヤのペンダントが売れました。
どうなっているのでしょう。
日頃お世話になっている神社と、金刀比羅宮に御礼に行かなければならない気持ちです。
ともかくも、油断や慢心でこの流れを中断させないように、さらに堅実・明朗な仕事を心がけます。

店にアンティークの振り子時計があります。
それが、時間が来るとちんちんとなります。
たいていの人がビクッと驚き、何の音かと聞きます。
その時計は、合わせてもあわせても数日中には10分以上は狂います。
時間を合わせるのも無駄なので、狂いっぱなしにしています。
時間を狂いっぱなしにするというのは、なかなか爽快なことです。
現代人に許された数少ない贅沢のうちの一つだと、ぼくは思います。
そのうちぼくは、腕時計をしなくなりました。
どうせするなら、時間の狂う機械式手巻き時計をいつか買おうと思っています。

その時計の上には天使が膝まづいて、弓を引いています。
その弓で、何を狙っているのでしょうか。
時計本体にも手描きで、天使たちが宙を舞っています。
なんだか、とても楽しそうです。

生活の苦労というのは天界の存在には無縁のはずです。
生活の苦労に追われる人間を手助けしようと、そこらじゅうの宙を舞っているのかも知れません。
時々弓を射っては、ほっぺたの赤い少女やら、にきび顔の少年の心をてんてこ舞いさせたりするのでしょう。

と、時計がちんちんと鳴ったので、思いつきで書き散らしました。

今日は、この辺で。












春の空

2006年02月13日 | 雑感
ずいぶんと陽射しが明るくなってきました。
みなさん、布団を干しましたか?

さて、土曜日のアイカさんのコンサートは無事終了しました。
ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。
ああいうふうに、目を真っ赤にして帰るお客さんが多いのも、CDを買うお客さんの比率が高いのも、初めてでした。
次の機会は、もっと早めに準備をしたいものです。

打ち上げも盛り上げかけたら、ある重要な電話が入り、それが延々一時間も続いたものですから、
誰とも挨拶することもできないまま、ひとり居酒屋を後にしました。
ま、しょうがないです。

で、日曜日、遠方のお客さんが来るというので店を開けました。
何も期待せず、コーヒーでも呑んでいただこうと思っていたのですが、予想を遥かに超えた金額を買ってもらいました。
その他のお客さんにもダイヤモンドブローチを即決で買ってもらいました。
今日も若いお客さんが来て、2点取り置きになりました。
なんというか、嘘のように売れました。

で、このごろつくづく思うのですが、商売的にはあまり旨みのなかった四国出張なのですが、
その実、金刀比羅宮へお参りしに行ったのではないかという気が密かにしています。
で、こういう流れは、今後も続くような予感がしています。
くれぐれも慢心せず、世のため人のためを心がけて、流れに乗っていこうと思っています。

ということで、店頭の商品がなくなってしまいました。
久しぶりに買い付けに行かなければなりません。
と思っていたら、ポストにロンドンのオークションカタログが届いていました。
3月中旬ころにロンドンに行くかもしれません。

こういう調子のイイ話というのは、とっても危険を感じます、ぼくの場合。
幸運の流れというものに、身も心もなじんでいないのでしょう。
ま、夢想に陥らず、淡々とすべきことをするのが吉ですね。

なんか、いろいろ書きたいことがあるのですが、もう帰りたいので、今日はこの辺で。






思い出

2006年02月10日 | 雑感
今日も寒々しい一日です。
春を感じるまで後一月ほどでしょうか。
若い時は春というものにそれほど思い入れはなかったのですが、この年になるとなんか違いますね、やっぱり。
陽射しが柔らかく明るくなり、木々が芽吹き、吹く風に黒土の匂いが含まれます。
地球の滋味というか、なんというか、そんなものが感じられます。

大体若い時というのは自分の欲望でパンパンになっているものですから、
地球という生命体や自然の摂理の恩恵といったものを考慮に入れる余裕がありません。
春であろうが、冬であろうが、春夏秋冬、一時も休まず我欲に振り回されているような状態です。
そういう青春時代を経て、はじめて縁側でお茶をすすりながら庭を眺める喜びといったものが分かるのでしょう。
なんというジジくさいことを書いているのでしょう(笑)

で、どういうわけか青春時代(←なんか恥ずかしい言葉)の思い出というのは、冬が多いです、ぼくは。
安物の革ジャンを着て飲み屋街をうろついているシーンだとか、おでん屋で友人とへらへらしているシーンだとか、
夜汽車の窓ガラスにびっちり付いた霜とか、そんな貧乏臭いシーンばかりが思い出されます。
夏の思い出というのが少ないです。
思い出そうとすれば思い出せるのですが、なぜか印象的ではありません。
日本の夏というのが舞台装置としては蒸し暑すぎて、ドラマチックではないのでしょう。
汗をだらだらかきながらビールを飲むなんてのは陳腐すぎて思い出と呼ぶのにはふさわしくありません。

印象的といえば、最近妙にリアルな夢を見ます。
夢の最中にふと目が覚め、また眠りに入って夢の続きを見たりします。
なかなかおもしろいです。
目覚めた後しばらくは鮮明に覚えているのですが、起きだしてソファに坐るころにはすっかり忘れているんですが。

さて、明日は建国記念日です。
アイカさんのコンサート当日です。
当日直接会場に行くという人が多く、どのくらいの人が集まるのかちょっと分かりません。
なんにせよ、楽しみです。

これから、ネネさん、アイカさんと最後の打ち合わせです。
それでは、明日、会場で。



参加

2006年02月09日 | 雑感
後から後からモラルの欠如した不祥事が起き続けます。
巨悪はまだその姿を現していませんが、やがてその醜悪な姿をさらけ出し始めるでしょう。
まだ前哨戦です。
今までのように、人々の目を欺き続けることは出来なくなるでしょう。
人々の行動基準を善悪よりも美醜で捉えた方が分かりやすい時代が来るような予感がしてます。

目の前の出来事や流れに惑わされて盲目になってしまいがちです。
例え盲目になろうとも、見えなかったからと、自らの倫理の欠如を弁明することは出来ません。
盲目であろうとなかろうと、自らの行動には責任を自動的に負います。
それが、因果応報の法則なのだから仕方がありません。

何を考えても、何をしても自由に振舞えるのが人間なのですが、その動機が大切みたいです。
同じ思考の仕方、行為の仕方でも、その動機が違うということが往々にしてあります。
「働く」という行為一つとっても、その動機は人によって様々です。
金のため、生活のため、家族のため、名誉心のため、社会のため、自己実現のため。
何が自分の思考、行動を促す動機なのかを注意深く観察してみると、なかなか一筋縄ではいかないでしょう。
一筋縄ではいかないもつれにもつれた動機の糸を、丁寧に解きほぐして、明確な動機を手に入れたらしめたものです。

会社勤めなどをしていると、そういう内省の時間を持つ余裕はなかなか持てません。
だからといって、ともすれば倫理的なモラルを蹴散らそうとする経済システムの流れに無自覚に
乗っていいというものではないように思います。
無自覚であろうがなかろうが、やはりしたことの責任は発生します。
その責任さえ社会や政治や誰か他の人に転嫁する風潮に覆われていますが。

政治や社会制度というものは、よりベターを目指す改良は可能でしょうが、
個人の責任や幸福感といった内面的満足に干渉するものではないし、また干渉させてはいけないものでしょう。
何か幸福感に包まれた時に、それが政治や社会制度のお陰だとは誰も思わないでしょう。
その逆に、自分の不満足や鬱憤を安易に政治や社会制度に転嫁するのも不合理な話で、出口がなくなります。

自分という主体の整合性を高めることが何よりも肝要なことだと感じています。
何をどうしたいのかを明瞭に、エネルギッシュに確立すれば、あとは行動の質量を高めるだけです。
そういう方向性に行けば、政治や社会制度といったものは、自分が活躍するべき舞台装置としての不備・
不完全さはあるものの、決して腹を立てるべき障害物ではなくなります。

ま、舞台装置はシンプルであればいいというものでもないし、複雑怪奇でも困ります。
やはり戻るところは、見る人が心地よく感じられるかどうかの美醜の問題になりかと思います。
それも個人によって違うのではありますが、淘汰という自然の摂理に任せるしかありません。

ところで、いよいよコンサートが明後日に迫りました。
今日も電話で5名の方からの申し込みがありました。
こういう閉塞した時代に、透明な風が吹き抜けるようなコンサートになるはずです。
みなさま、足を運んで、参加してください。
その昔、アンガージュマン(参加)という言葉が流行ったことがあります。
いまどきゲバ棒を持っても何にもなりませんが、役者も舞台装置も揃った「美しい」コンサートに参加することは、
おおいに意義深いことだと確信しています。

一人一人の心が豊かになることこそが、社会の改革なのだと思います。

四国

2006年02月08日 | 雑感
昨日、四国から帰りました。
四国でも雪が降り、地元の人はたいそう震えていました。
そんな中で、ぼくは毎朝、金刀比羅宮にお参りしました。

金刀比羅宮の主神は、大物主命です。
大国主命の和魂だということです。
要するに、豊穣の神様なのだと思います。

境内には、天御中主命もまるで寺院みたいな古い社に祭られていました。
天御中主命は宇宙根源の神様ですね。
朝早く行くと、その社の奥のほうは真っ暗で何も見えないのですが、それがかえって神秘的であったりしました。
宇宙の根源~!という感じがしますよね。

スサノオノ命の社は、小さいのですがなにか強烈な存在感を発していました。
事代主命の社もありました、
事代主命(恵比寿様)は、滝の導師の導きでご縁をいただいているものですから、ことさら丁寧にお参りしました。

ホテルから歩いて往復1時間半くらいかかるのですが、お参りしないのがもったいないような気がして、
毎日張り切って歩きました。
これが仕事やなんかになると、ベットの中でぐずぐずだらだらするのですが。

仕事の方は、悪天候のせいもあるのですが、まぁなんとか形になったというところです。
初日、二日目と数人のお客さんしかいらっしゃらず、一個も売れないだろうと諦めていましたが、
三日目になんとか売り上げが立ちました。

呉服屋での催事だったのですが、呉服屋独特のお客さんとの接し方、売り方など、大いに勉強にはなりました。
その催事には、呉服問屋だけではなく、バッグなど革製品の問屋、洋服の問屋、そして宝石の問屋が参加してました。
ぼくはその宝石の問屋さんへ卸す役割です。
ですから、非常に値段が厳しくなります。
しかも、その店のお客さんはアンティークジュエリーなどというものを見たこともありません。
なかなかハードな4日間でした。

これで何よりも痛感したのは、ぼくはぼくの店のお客さんがいるわけです。
そのお客さんの一人一人をもっと大切にしなければならないなぁーと、そう思いました。
なにもわざわざ四国などに出かけて、原価が切れそうな値段で売ることはないのです。
呉服屋さんの、なんというか、商売に対するいい意味での執念みたいのなものは、今回学ばさせて貰いました。

いい意味で執念をもつというのは、ちょっと難しい高度な心理的テクニックだとは思うんですが。
執念というのはちょっと無理があるかもしれません、ぼくの場合。
なんというか、カッコよく言えば、「志」を持たんといけんと思うわけです。

なにはともあれ、非常に学ぶべきことの多い経験でした。
金刀比羅宮の奥の宮には、天狗の顔のような岩がありました。
その顔は讃岐富士を真正面から見ているように思われました。
歴史の古い神社の奥の宮には大抵磐倉があります。
有史以前の日本古来の信仰の痕跡がそこにはあります。

で、帰ってきたら、今週末にはアイカさんのコンサートです。
いろいろハッスルしなければなりません。