風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

よい年を

2006年12月31日 | 雑感
今日は大晦日。
店の神棚に餅を供えに店に出てきました。
注連飾りも買ってきました。
いろいろなことがあった一年でした。
いいことばかりではありません。
悲しいことや残念なことだって起こって行きます。
自力ではどうしようもないこともあります。
その反対に、やはり自力ではどうしようもないのに、天からの贈り物としか思えないようなことも起こります。
あとで振り返れば、そのすべてがありがたいのでしょう。

今年一年、読んでいただいてありがとうございました。
来年も皆様にとっても心豊かで楽しい年でありますように。

蕎麦屋さん

2006年12月28日 | 雑感
連日、江原啓之さんの番組であれなんですが、昨夜の「オーラの泉」を観ました。
とりあえず、大切だと思った言葉を。

「生きるということは、魂が自ら選んでスポーツジムに行くようなもの。心の筋力トレーニング。
 自ら進んでジムに行っているのに、痛いだの、苦しいだのという人が多い」 by 江原

「人のために何かをできるということは、自分の能力を発揮するチャンスをくれているということ。
 それに感謝するという視点を持てるといい」 by 江原

「昔は生きるために必要な学びの場所がそこらじゅうにあった。木の柱、畳、祖父母、親戚、隣近所。
 今は、コンクリートとプラスティックに囲まれ、逃げる場所がない」 by 美輪

その他、いいことをたくさん言っていたような気がしますが、思い出せません。
少しお酒が入ってしまいました。

今日、出がけに雹みたいな雪がばらばらと降ってきました。
関東でも、日本海沿岸でも、数日前まで大荒れだったみたいです。
竜神様が動いているのだと思いますが、あれな話なんでまぁいいです。

ぼくの店のあるビルの地下に蕎麦屋さんが入っています。
この辺りでは珍しく東北のお蕎麦を食べさせてくれます。
ぼくも何回か食べに行きましたが、おいしい蕎麦屋さんです。
ところが1Fに大手のうどん・蕎麦屋のチェーン店が入りました。
そこで地下の蕎麦屋さんは、大きな看板をビルの入り口に設置しました。
電源はテナント共有のビルから取っています。
それが問題になりました。

かつてテナントがめいめい勝手に看板を出しました。
通行の邪魔になるということで、すべての看板は撤去することになりました。
で、蕎麦屋さんだけが看板を出すということは認められないということらしいのです。
筋としては、その通りです。

で、今日、その蕎麦屋さんの奥さんが看板を出してもいいという承諾書の判子を貰いに当店にも来ました。
ぼくは判子を押しました。
判子を押さないようにという大家さんからも、他のテナントの人からも話がありました。
押さない人は押さないでいいだろうし、押す人は押す人でいいだろうという話をぼくはしました。

筋道から言えば、お蕎麦屋さんに分はないです。
誰にも相談せず、高飛車で、勝手にことを進めていました。
でも、この期に及んで、お蕎麦屋さんにとっては死活問題なのです。
当然ながら、お客さんの数が激減しています。

あるテナントのオーナーがぼくのところに来ました。
さっき蕎麦屋さんから頼まれて、手土産を貰って判子を押したけど、大家さんから言われたので、
今から手土産を返しに行くというのです。
それならそれでいいけど、そんなことしてどうなるの、回りの意見ではなく自分なりに考えて行動すればいいとぼくは答えました。
「わかった」と彼女は言って店を出かけました。
ぼくは呼び止めてどうするのかを聞きましたら、手土産は貰っておくとの答えでした。

ぼくはそれを聞いてうれしいというよりも、なんだか寂しい時代に生きているなぁという気持ちになりました。





無明

2006年12月27日 | スピリチュアル
昨日は江原啓之の「天国からの手紙」を見ました。
こういう内容をゴールデンタイムに放送するようになったんですね。
事故で死んだにせよ、殺されたにせよ、肉体を離れた魂はこの世に残された身内のことを心配し続けるんですね。
魂だから、生者の取り繕った言葉などは通用せず、家族のあり方そのままがダイレクトに分かってしまうみたいだし。

死んだ人たちの供養というよりも、残された家族のギクシャクした関係が改善されていく様が印象的でした。
というか、残された家族が生きがいを持って前向きに生きることこそが、死んだ者にとっての一番の供養になるというか。

これ数千万人の人が見たのでしょうか。
だとすれば、すごい影響力です。
自分の家族のあり方を反省した人もいるでしょうし、生きる意味を問い直した人もいるでしょう。
インチキだとかやらせだとか思った人もいるのかもしれませんが、最近そういう声はトンと聞こえなくなりました。
自分がどう感じるか、そこに素直になればいいのだと思います。

その話に関係あるかどうか分かりませんが、雑誌「致知」でちょっと斜め読みしたんですが、
進行性のガン患者で治る人というのはガンと闘うことをしない人なんだそうです。
ガンと闘うことを忘れて、如何に生きるかということに集中する人がガンから治るのだそうです。
余命いくらと宣告されれば、誰だって不安になります。
不安に駆られて、ガンに意識を集中してしまうと、ガンは勢力を増すみたいなんです。

で、如何に生きると自分の人生に集中できるのかといういますと、やっぱり「人のため」に動くことみたいです。
自分自身もガン患者なのですが、同室のガン患者にできるだけの手助けをしているうちにガンが消えていたり、
何度も何度もガンに侵され、摘出手術を受けながらも、生きる希望を捨てず、少しでも人のお役に立てばと、
ガンに関する講演活動を続けるうちに、ガンの進行が止まったりするらしいです。

あらゆるお陰で人は生きていると口で言うのは簡単ですが、何かというと慢心するのが得意であるところの人間は、
自力で立っている気になってしまいます。
あらゆるお陰で人は生きているのが摂理ならば、あらゆるお陰に感謝して生きるのが人の摂理なのでしょう。
その感謝を実行に移すのが「人のため」に動くということなのでしょう。

滅多に病気もせず、その上、酒も煙草も止めず、自分の健康な身体に感謝することもないぼくのような人間は、
なかなか人のために動くことができません。
口だけ評論家で終わることが多いです。
あらゆるお陰で生きているということを知っていながら、感謝するということをなおざりにします。
痛い目に会わないと気づかないのを、無明、又の名を間抜けといいます。
痛い目に会わないうちに、感謝できる人間になれることを、賢明といいます。

これだけの出会いがあり、これだけの素敵な言葉に取り囲まれながら、それでも無明でい続けるというのも、無明の底が深いです。

ということで、年の瀬です。
手帳を買いました。
今度は3年間使えるやつです。
3年間、また活用することなく打ち捨てられるのか、それとも素敵な出会いや出来事が書き記されていくのか。
それは、ぼくの思い次第です。
結局は、ぼくに起こることというのは、ぼくが思ったこと以上でも以下でもないんですね。
願わくば、光溢れるぼくがぼくの心の中にあらんことを。





雑草

2006年12月26日 | 雑感
今、高千穂神社の後藤宮司のインタヴューを書き起こしているのですが、
聞いていたとき時感じていたよりも、一言一言がより深く、適切で、詳細です。
人の聞く力って、意外と大したことないのかもしれないなぁ~と思うことしきりです。
自分の興味がそれほどでもない分野に関しては、集中力やら理解度が恐ろしく低下しているのかもしれません。

ぼくは、よく人から「人の話を聞いていない」だの「聞き流している」だのと言われます。
え、何のこと、ちゃんと漏らさず聞いているよと思っていたもんですが、どうやら怪しいものです。

いまさらな話ですが、五感はやはり当てになりません。
日頃の自分の興味の範囲などは、恐ろしく狭いものです。
興味のないところに、五感は働きません。
仏教では、五感に「意識」を加えて、六識と言いますが、意識のあり方も相当わがままで、偏狭です。
そういう偏狭な人間が、「おれは誰々でござい」「私はこう思うのよ」といって威張っているわけですから、相当物騒なわけです。

永平寺の官長さんの本をお借りして読んでいるのですが、さすがにいいことばかりを書いておられます。
人間は煩悩にまみれている。
それを土地に例えてみると、栄養分豊かな、大きな作物の実る土壌だからだ。
栄養分豊かだから、すぐに雑草が生える。
雑草イコール煩悩だ。
大きな作物(=悟り)を得るためには、一生懸命雑草(=煩悩)を抜かなきゃならん。
そんなことを書いていました。

五感を無造作に使うと、たちまち心の中に雑草が生えます。
欲しい、飲みたい、食べたい、抱きたい、エトセトラ、エトセトラ。
雑草を一生懸命に抜いて、心を鏡のように磨き上げて行きますと、すべてがありのままで仏性である「ありのまま」が心に映る。
それを悟りということであるらしいです。

そうは言っても、それでも五感で感じ、意識で判断するわけですが、恐ろしく頼りなくいい加減なものであることを自覚してないと、
なかなか危険だということですね。




神父さん

2006年12月25日 | 雑感
土曜日の晩は友人に誘われてカトリック教会のミサに出席しました。
神父さんが「今日も寒空の下で震えている人たちにも神の祝福を・・・」とか、いろいろ恵まれない人たちを列挙して、
祝福を願っていく姿に感動しました。
神父さんは言葉だけで祝福しているわけではなく、前の晩にもホームレスの人々を訪れて、手を差し伸べています。

大きな橋の下に打ち捨てられている廃車の中で暮らす老ホームレスと話したそうです。
神父さんと福祉施設の職員さんが、自立支援所への入居を勧めました。
ところが、その老ホームレスは犬を飼っていました。
「あんたら、この犬の面倒までみてくれんやろ」と言って、その申し出を断りました。

ホームレスは二重の意味があると神父さんは言います。
ハウスレス(住む家がない)とホームレス(家族がない)の二つの意味が。
老人にとっては、その犬はかけがえのない家族でした。
それを捨てて、自分だけが屋根のある家に入ることはできないと言うのです。

その話の後での「今日も寒空の下で震えている人たちにも神の祝福を・・・」でした。

神父さんは、もちろん独身です。
その一生をイエス・キリストの福音を説き続けることに捧げます。
幼稚園の園長もしています。
いつも子供たちに囲まれています。
ぼくと同じくらいの年だったはずです。

その後、友人と居酒屋に行っていろいろ話しました。
友人の話によると、協会も組織ですから内部でいろいろあるみたいです。
それでも、神父さんは愚痴を言ったことがありません。
来る日も来る日も、朝から晩まで、信者さんの話を聞き、慈善事業の企画実行をし、子供たちの面倒を見ています。
神父さんの一生を考えると涙が出てきて、止まりませんでした。




2006年12月22日 | 雑感
昨日はお客さんを家に招いて、スパゲティ・パーティーをしました。
乾燥ポルチーニ茸をいただいていたので、それを使ったスパゲティを作りました。
ニンニクの利いた生クリームソースです。
初めて作ったんですが、なかなか上手にできました。
こうなれば、あれこれいろんなスパゲッティを作ってみようかと思っています。
とりあえず、今は牡蠣が旬なので、牡蠣を使ったスパゲティにチャレンジして見ようかと思っています。

今日、ぼくも来年の方向性を願ってエンゼル・カードを引いてみましたら「拡張」が出ました。
「どこまでも高く広く深く視野と意識を拡張しましょう。悩みや苦しみは小さくなっていくでしょう」
素直に、頑張りますと呟きました。

次に、家族を思ってカードを引きました。
「恩恵」と出ました。
「感謝して受け入れ、喜々として関われば見事な計らいとなって現れ続けるでしょう」
これも、ありがとうございますと呟きました。

前にも書いたように、このカードには一枚もネガティブな言葉のカードはありません。
どんなカードが出ても、何かしら前向きに考えることができます。

すべての人に、すべての人にふさわしい人生があらんことを。




エンゼル・カード

2006年12月20日 | スピリチュアル
うわ~、昨日出席すると答えていた忘年会、すっかり忘れていました。
たった今、机の上の案内状を見て思い出しました。
料理やら席やら取ってくれていたでしょうから、大変迷惑をかけてしまいました。
ある用事があったものですから、他のところへ飲みに行ってしまってました。
こういうのって、すごくよくないですね。
なんか心がざらつきます。
もうちょっと丁寧に生きなきゃいけません。

中森じゅあんさんが監修した「エンゼル・カード」というのがあります。
五十二の天使のキレイな絵の描かれているカードで、一枚一枚に「希望」とか「愛」とかの言葉と解説がついています。
ネガティブな言葉の書かれているカードは一枚もありません。
最近、店に来た人に今年一年の総括と、来年の指針を思って、それぞれ一枚ずつのカードを引いてもらっているのですが、
なんというか、ホントその人その人にぴったりのカードとメッセージが出てくるので、面白いです。

昨日もある人に引いてもらいました。
今年の総括を示すカードでは、「やさしさ」というカードが出ました。
解説は「あなた自身にやさしくしてください。人々に万物にやさしくしてください。やさしさはあなたに戻りあなたを包みます」
その方は、ここ数年、次から次へと病や痴呆で一人で暮らせなくなった親族を引き取っては、面倒を見続けています。
息子さんのこじれた結婚問題でも大いに心を悩ませました。
それでも彼女はヒマワリが咲いたような笑顔を絶やすことなく、明るく振舞っていました。
何人かの親族は大往生を迎えることができ、息子さんの問題もきれいさっぱり片付きました。
今では、アルツハイマーの症状が進む実の母親を引き取り、やはり笑顔でお世話をしています。
さすがに、最近では肩こりがひどくなってきたそうなのですが。
この方には「やさしさ」のカードはぴったりだと思いました。
来年の指針を示すカードを引いてもらう時、ぼくはまた「やさしさ」が出るのではないかと思いました。
そして、やっぱりその方の引いたカードは「やさしさ」でした。

52枚のカードのうち、二枚同じカードを引く確立は2704分の一だと思うんですが、まぁ確率論はどうでもいいです。
その方にぴったりのカードが出てくれたほうが嬉しいです。

そんなこんなで、このカードを店での話の種などにしています。
当たるとか当たらないとかいう話にするとつまりません。
どのカードも慈愛溢れる絵と言葉が書かれていますから、そういうものかと自分に当てはめて見ると、なかなかポジティブになれます。
なんでもヒントだと捉えれば、立派なヒントになります。

ちなみに、来年ネネさんの主催でじゅあんさんの講演が当地で開催される予定です。
ご興味のある方は、ぜひ参加してみてください。
じゅあんさんの「鬼谷算命学」のお話は、ぼくも興味があります。

ところで、いま2chで話題沸騰なのが次の事件。

★神社本庁役員会 予算大綱など協議 業務検討委の報告も

・神社本庁の役員会が十二月七日に開かれ、平成十九年度一般会計予算大綱などが協議
 されたほか、本庁業務検討委員会が提出した第一号報告書、京都府内の神社に関して公正
 証書原本不実記載罪で刑事告発したことが報告された。
 (中略)

★本庁が刑事告発
・報告事項では、京都舞鶴市内の神社において、宮司を強迫の上、代表役員変更登記が
 行われた事件が発生したことから、神社本庁が刑事告発したことの説明があった。
 府神社庁の調査によれば、被告発人は「同神社の土地を買い取ったので、神社を潰す」
 などと言って宮司を強迫。被告発人らが総代会を開き、韓国人三人を新役人に選任している。

 脱税を目的とした神社乗っ取りと見られ、十一月二十二日には、同神社の社務所・石鳥居が
 撤去されたことが確認されている。
 ※神社新報より。

2chの有志が、壊された鳥居を撮った写真をアップしたものを見たが、さすがに許しがたいものです。
何でもこの稲荷神社は、舞鶴の海上自衛隊の敷地や長浜原発のすぐ傍にあり、その使用目的も含めて憶測が飛び交っています。
それにしても、お稲荷さんの眷属のお狐さんは、怒らせると怖いと聞いているんですが・・・



刑事

2006年12月18日 | 雑感
昨日はお店のお客さんやお世話になった人たちとを呼んでのX’masパーティでした。
以前も使ったことのあるイタリアレストランでのパーティでしたが、なんというか料理がう~んという感じでした。
以前のそこの店のスタッフとはとても仲がよく、いろいろな点で満足していたのですが、残念です。
こんなことでケチつけるのもあれなんですが、雨の中わざわざ来てくれた方々のことを思うと、です。
打ち合わせの段階で、対応がなんというか鈍いというか、察しが悪いというか、その段階でちょっと不安ではあったのですが、
まぁ、終わったことですから仕方がありません。
以前のスタッフが一気に皆辞めた理由も分かった気がします。

そのあと、4次会まで行ったようです。
2次会の後半辺りから記憶がないのですが、記憶がはっきりしだしたのは警察署の中です。
何人かと帰る道すがら、若い二人組みの男とトラブルになり、パトカーで連行されました。
3~4時間の取調べです。
相手はどうやら金銭が欲しいみたいで、なんやらかんやら口実を考えては、取調べの刑事さんを口説き続けているらしいのです。
訴えるなら訴えればいい、弁護士さんの名前を警察に連絡するから、弁護士に言ってと一貫して突っぱねましたら、最後にはどうやら折れました。
最後はお互いに謝罪して、握手しましたが。

ぼく自身の取調べは3-40分で済んだのですが、若い男が何とか金にしたくて粘ったものですから、残りの数時間は刑事さんたちと雑談です。
二人の若い男性刑事と一人の若い女性刑事です。
いろいろ質問すると、皆率直に答えてくれます。
毎日毎日夜遅くまで、酔っ払いやらチンピラ相手に嘘やら言い訳やら罵詈雑言やらを聞き続け、丁寧に調書を作っています。
思わず、刑事になった動機は正義感か?と聞くと、しばらく考えたあと、「そうです」と言い切りました。
昼夜を問わない過酷な労働で、感謝されることも滅多になく、給料も安いです。
以前に知り合った刑事さんは、公衆電話を使うのも、ちょっと臨時駐車するときの駐車場料金も、ポケットマネーで払うって言ってました。
死体発見現場などによく置いてある花束や線香なんかも刑事さんのポケットマネーじゃないかとぼくは見ています。
よほどの強い使命感がないと、本当にやっていられない職業だと思います。
ぼく自身が捕まっておいて言うのもなんなんですが、本当にありがたい人たちだなぁと心から思いました。

で、その三人の若い刑事さんたちがあまりにも魅力的に思えたので、インタビューをしたいんだがと申し込むと、意外にもOKでした。
警察内部の組織的な問題やらなんやらは言いづらいでしょうから、刑事という仕事についていろいろ聞いてみたいと思いました。
酒を一緒に飲んで話を聞くというのは問題ないかと聞くと、プライベートなら問題ないとのことでした。
う~ん、実現すればとても楽しみです。

警察署を出るとき、デスクには数人の刑事さんが座っていました。
皆夜勤でくたびれた顔をしています。
ありがとうございましたと頭を下げて所を出ました。
帰りは、男性と女性の刑事さんがわざわざ車で家まで送り届けてくれました。
いろいろお手間を掛け、申し訳ありませんでした。

その他、いろいろあった日でしたが、最後がこれでした(笑)





千手観音

2006年12月16日 | 雑感
何ヶ月か前に、どっかの寺で演じているのをテレビで偶然見ましたが、スゲーと思いました。
演じている人たちが全員耳が聞こえない人たちだと知って、さらに驚きました。

どうしたらあんな一糸乱れぬ動きを全員で取れるのか、ただ事ではありませんでした。
耳が聞こえないからこそ、全員の呼吸を一つにできるのだということはいえるのかもしれませんが、見事というしかありません。
動きの調和もさることながら、手の動きやなんやらが純粋に美しいのも特徴です。

シンクルナイズド・スイミングの金メダルチームより、芸術度やら完成度は上だと思うんですが。

今日はちょっと用事がありますので、この辺で。

硫黄島からの手紙

2006年12月15日 | 雑感
昨日張り切って映画館に向かい、映画館の下にあるスーパーで水割りと柿ピーを持ってレジまで行き、
財布を見たら130円しか入っていませんでした。
キャッシュカードもクレジットカードも持っていなかったので、やむなくまた自転車をこいで店に戻って、しばし呆然。
どうしようかと思いましたが、ここで挫けてはならじと、お金を用意してコンビニで水割りと柿ピー買って、最終の回を見ました。

日本軍の立てこもった洞窟の中での話が主体のため、重苦しい主題がいよいよ重苦しくなっていました。
その重苦しさ事態が主題なんだけども。

でも、先の大戦の日本軍のことをここまでリアルに描いた映画って初めてです。
特に日本映画の場合、やたら感傷的になるか、活劇になるか、イデオロギッシュになるかでしたから。
いろいろ資料を読むと、史実の方が映画よりドラマチックあるらしいんですが。

http://ime.nu/diablo.web.infoseek.co.jp/movie/aoyamanaku061213.wmv


は評論家の青山氏が、硫黄島に現地取材をして感じたことをレポートした映像です。
ご興味のある方はどうぞ。

硫黄島は硫黄ガスが噴出しているだけあって、火山島で地熱が凄いみたいです。
そんなところの穴倉にこもって、水も食料もないまま日本軍は圧倒的物量を誇る米軍と戦いました。
硫黄島が奪取されると、米軍の日本本土空襲の爆撃機の拠点となるから、必死に防衛する必要があったのです。
防衛している間に、日米の和平が結ばれて、日本本土に災禍が及ばないことを願って、必死に戦いました。
そういう願いも虚しく、軍司令部は和平工作もせず、無謀な本土決戦を叫んで、その結果広島・長崎の原爆投下という最悪の結果を招きました。

青山氏が珍しく感情的になって主張することに、ぼくは同意します。
大切なのは、数多くの人間が殺し殺された戦争の教訓を生かして、「今」我々がなにを考え、なにをするべきかということです。
どこの国の兵士たちも、もともとは大工であったり、教師であったり、パン屋であったりしたわけです。
軍国主義が悪いだの、天皇制がうんたらかんたらなどという大上段の話で括ることこそ非常に危険です。
まずは当時の兵隊たちがなにを考え、どういう行動を取ったかを淡々と描こうとするこういう映画こそ、
二度と戦争を起こさぬ気持ちにさせます。
淡々と人が殺し殺され死んでいくシーンというのは、それ以上の非人道的なシーンというのはないわけです。
余計なイデオロギーや感傷やプロパガンダはいりません。

一人一人の人間が背負った生きるという価値は、彼らが淡々と殺されれば殺されるほど、無言のうちに浮き上がってきます。
見ているほうが辛くなるほど、一人一人の生きている価値が胸に迫ってきます。

この映画、アメリカでもいろいろ賞をもらっているみたいですが、ひょっとするとアカデミー賞取るのかもしれません。
見た人はすべからくリアリティのある嫌戦家になるでしょう。
感傷的な、平和愛好者みたいな人たちって、ぼくから見るととても好戦的な人たちのように思えてなりませんでした。
平和を希求し、作り上げていくためにはとても根気強いリアリストでいる必要があります。
リアリティのない平和主義は独善性と排他性を帯びます。
独善性と排他性こそが戦争の源でもあります。

戦争映画において、この硫黄島二部作ほど独善的でない映画はいまだかつて作られてこなかったように思います。
「プライベート・オブ・ライアン」もリアリティを追求してはいましたが、まだヒロイックなところがありました。

それにしても、渡辺嫌です。
なんでも、クリント・イーストウッドは「父親たちの星条旗」一本だけを作ろうと思っていたそうなんです。
その話を聞きつけた渡辺謙がどうしても自分も出演させてくれと頼み込んだのだそうです。
イーストウッドは「日本人が出る映画ではないから」と一反は断りました。
その後イーストウッドは考え、どうせなら日本人側から見た硫黄島の映画も作ろうと思いつきました。
そんなこんなで、「硫黄島からの手紙」を作ることとなったのだそうです。
渡辺謙は大いに喜び、英文の資料も含めて読み漁り、栗林中将の親族にも会って話を聞いたりして、
映画作りのアイデアを次々と進言したらしいです。
そのアイデアをイーストウッドはほとんど取り上げたらしいです。

いってみれば、渡辺謙がいなければ、「硫黄島からの手紙」は製作されていなかったんですね。
「ラスト・サムライ」といい、これといい、どんな反日プロパガンダも吹き飛ばすような功績を渡辺謙はしているわけです。
もちろん、渡辺謙にそんな政治的意図があるとは到底思われませんが。
政治的意図で動く人物というのは、ぼくは信用しません。
ま、なにはともあれ、ある意味での快挙です。



クリスマス

2006年12月14日 | 雑感
重く垂れ込めた空です。
なんだかクリスマスという気がしません。
年々季節感がなくなって行きます。
年のせいでもあるのでしょうが、暖房の効いたところで毎日じっとしていれば、そりゃあ季節を感じることもできないでしょう。

今日は、木曜日、メンズデーです。
「硫黄島からの手紙」を観に行きます。
「ラストサムライ」といい、今回の硫黄島二作品といい、本来は日本人の手で作られてもいいような映画が、ハリウッドで作られています。
ま、どこの国によって作られてもいいのですが、敵味方に分かれた日米両国で共に評価されるような映画であるなら、
それはいい映画だということはできましょう。

先日、クリント・イーストウッド監督作品の「ミリオンダラーベイビー」をテレビで見ましたが、とてもいい作品でした。
ああいう切ない映画って好きなんです。
切な過ぎるほど切ないのに、諦めずに歩みを進め続ける人々。
アメリカ人って「恥」という文化はないといわれますが、確かに大上段に構えた「恥」という観念はないですが、
愚痴とか泣き言を言うのを良しとしない文化ではあります。
意外と我慢強いです。
だから、同情されるのも、同情するのも嫌います。
ハードボイルドなんていうのは、いわば我慢比べ大会の勝者の話みたいなものです。←言いすぎ

アメリカという風土は、素直に勝者を褒め称えると同時に、敗者には厳しい状況があります。
ホームレスや犯罪者の数も多いです。
国の予算も限りがありますから、そういう敗者に対するケアは、ボランティア活動が盛んです。
キリスト教会の影響が大きいです。
殺伐としたアメリカでも、ボランティア活動が盛んだということで、社会共同体が辛うじて生き残っています。
例えば、海外から来た留学生の世話なんかも、基本的には学内のボランティアが担います。

で、日本です。
残念ながら、ボランティア精神というのは、まだまだ根付いていません。
偽善的だとか、気恥ずかしいだとか、めんどくさいだとか、いろいろネガティブな考えの方が強いです。
ボランティア精神が弱いと、結局その能力もない行政がまかり出てきて、予算をばら撒くだけになります。
そこのところ、日本の宗教界も頑張らなければいけないと思うのですが、どうもその動きは見えません。

クリスマスというのは、古代西洋にあった古い宗教の太陽の復活祭の名残だ、とは高千穂神社の宮司のお話でした。
サンタクロース(太陽)が、恵み(プレゼント)を持ってやってくることを祝福した祭りだと。
日本の正月も基本的には自然の恵みを祝福する行事です。
恵みを受け取るだけではなく、自分という人間がどういう恵みを人に分かち合えるのかを考えるのも、
クリスマスにふさわしいのかもしれません。
世に生きるすべての人々が年に一度サンタクロースになって誰かにプレゼントをあげる。
ポイントは、何が欲しい、あれが欲しいではなくて、何かを「あげる」こと。
そういうクリスマスになればいいですね。







高千穂

2006年12月13日 | スピリチュアル
どうもご無沙汰してしまいました。
なんやかやと慌しかったもので、何かを書こうという余裕がありませんでした。

先週の金・土と、ネネさんたちと高千穂の神社巡りをしてきました。
高千穂神社、荒立神社、幣立神社と回りました。
その神社の宮司さんたちにインタヴューをしてきました。
どの宮司さんも個性豊かで、笑顔が素敵で、親切で、言葉が深かったです。
年明けには、そのインタヴューを記事に起こして、読める形に持って行こうと思っています。

インタヴューが実現したのも、ネネさんと宮司さん方の強い信頼関係があったからこそです。
その世界では高名な宮司さんたちですから、名前を利用されるなどのリスクもあるわけですから、
そう簡単には、ぼくのような得体の知らない者のインタヴューなどは受け付けてはくれない気がします。
いい記事になるよう、ちょっと頑張ります。

実は、第一弾として、ぼくらの滝の導師のインタヴューは大体は完成しました。
いつも会っているような関係でも、まとまった話というのは聞けるものではなく、導師の知らない歴史やら考え方なども知ることができ、
インタヴューをまとめるぼく自身も大変楽しく読めるものとなりました。
行者さんなどの話の中で「滝行」という言葉が出てくることはありますが、それはあくまでも修行の一端として出てくるだけであり、
滝行に絞ったまとまった話というのはなかなか聞くことができませんでした。
ぼくが知る限りでは、滝行に絞った本というのは、一冊だけ世の中で見たことがあるだけです。
今回の導師のインタビューは、「滝行」というものを知りたい方の格好の入門書になりえると思っています。

ネネさんは出雲にもそういう類のコネクションをたくさん持っているので、出雲にも行くことになると思います。
伊勢も可能だそうなのですが、伊勢神宮にインタヴューに行く勇気は今のぼくにはありません(笑)
もうちょっと経験を積んでからと思っています。

それにしても、ネネさんのそういった人たちとのコネクションは驚くほど多彩で、広く深く、
今回の一泊二日の高千穂でも、宮司さんたち以外にも濃い人たちと会うことになりました。

二子石さんという方は、阿蘇連山を見渡す丘になんと自力でストーンサークルを作ってしまいました。
真ん中の石はシナイ山からわざわざ持ってきたもので、その周りを取り囲む石も日本各地の聖地から持ってきたものだそうです。
その傍らには、馬門石という熊本県宇土市でしか取れない石で作ったピラミッドまで安置されています。
馬門石というのは、薄いピンク色で、古代の大和の王などもわざわざ取り寄せて石棺の材料にしていたほどの石で、
9万年前ほど阿蘇山が噴火した際の火砕流が固まったものらしいです。
そのほかなんだかすごいことを言っていたのですが、あまりにもあれなんで割愛します(笑)
二子石さんは、二児だか一児だかの母親で、笑顔がとても素敵な女性でした。

もうひと方、七谷さんという、竹を使った作品を創っている芸術家の人に昼食をご馳走になりに行きました。
昼食といっても、3時間を越えるようなフルコースで、どの料理も素材が吟味され、手の込んだ和食でした。
不思議なことに、すごい量を食べているはずなのに、次の料理がするする食べれてしまいます。
5人分の古ーコースの料理を、七谷さん一人で作るのです。
料理も超一流でしたが、食事のあとに見た作品が息を呑むようなものでした。
一ミクロンの厚さの竹を光が通過する時、その色は真っ赤な色になります。
赤い電球や赤いガラスの赤ではなく、夕焼けの太陽の赤です。
ちょっと言葉では形容できません。
いずれ紹介できる時が来ればいいと思いますが。

そんなこんなで、今年も暮れて行きます。
一日一日を大切にとは思っているのですが、惰性に任せて怠けたり、意地悪したり、無関心を装ったり、
時には人の心を意味もなく傷つけてしまったりしています。
神社にお参りすると、いつだってそのすうっとした気に癒されるのですが、同時に己の心のきりのないもやもやにうんざりもします。
それでも諦めず、「祓い給い、清め給え。守り給い、幸へ給へ」と唱え続けて行こうと思ってはいるのです。

ああ、そう言えば、高千穂神社の神楽殿で観光用の夜神楽を見ました。
この時期、高千穂峡の各社で、夜を徹した夜神楽が行われています。
寒いので、村人たちは酒を飲みながら参加するんだそうです。
その昔、アマテラスやウズメやアメノタヂカラオなどが実際に演者に降りてきていたのかもしれません。