風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

故郷

2011年02月23日 | 雑感

今日も暖かでした。
まで啓蟄ではないでしょうが、そろそろ畑の虫たちも動き出す感じです。
その前に寒気がもう一山くるのが例年だとは思うのですが。

月が明けると、また一週間の接心が始まります。
一週間道場に泊まり込んで、まずは酒を抜こうかと思っています。
心身の毒気を抜いて、春から忙しくなるであろう畑仕事に備えたいと思っています。

先日、仙台の高校時代の親友が出張に来るというので、博多で飲みました。
5年か、7年か、とにかく会うのは久しぶりです。
もう何年ぶりに会おうが、会った瞬間から高校時代そのままの関係です。
要するに、人は体力、容貌は衰え、無駄な知識を積み重ねていきますが、心の素の部分はなにも変わらないということです。
心の素で繋がったことのある人間とはいつでも素の繋がりに戻れますが、
仕事上だとか、なにか儀礼的にだとか、組織内での上下関係でとか、そんな感じでいくらつきあいを重ねても、
なかなか素の繋がりは持てないものです。
どうしてもその時々の利害関係だとか、義理とか、礼儀とか、そういった状況次第がその関係を支配します。

おそらくぼくにとって親友と呼べるのはその男ただ一人です。
そしてぼくにとってはそれで十分です。
彼に対しては、毒舌や皮肉や批判はナリを潜めます。
仙台に帰ってこいと何度も言ってくれます。
そう言われると、帰るのも決して嫌ではないし、帰った自分を想像すればするほどなんだか楽しいような気がします。
それはそうです。
慣れ親しんだ風景と、人と、味と、季節の匂いがあります。
でも、帰るなら今の自分がしているところの発展した形で帰るしかないと思います。
例えば、彼に今農業に興味を持っているといえば、今では空き家になっている彼の実家を山・畑付きでただで貸してくれるといいます。
そういう話にほいほい乗ってしまえば、ぼくはおそらく惨めな人生になる予感が強くします。

まずは今の自分の足下を固め、なにかしらの発展的な流れの中での仙台との関わりというのが、健全な姿でしょう。
で、そういう意味での発展なら、ぼくは意外と真面目に取り組めそうな気はします。
お金のためとか、出世のためとかで真面目に取り組むのは一生できなさそうですが、故郷と関わりを持つためならば、
がんばれそうな気がうんとします。

お互いに馬鹿同然だった高校時代の同級生たちもいろんな分野で中堅どころを担っているようです。
帰るなら、ぼくもなにか彼らの力になれるなにかを持って帰りたいものです。

ところで前のブログで今の政権を無能よばわりしましたが、まぁ、構造的に無能になるしかないという感じなのだとは思います。
誰かの志とか理想とかを実現するのが今の政治の場所ではないということなのでしょう。
じゃあ政治とはなにをするところなのか。
有象無象を含めた果てしのない権益者の利害調整をするところなのでしょう。

忙しくて国会中継を見ている人は少ないでしょうから、今現在の国会の現実のサンプルです。

野党の新人議員の質問にしどろもどろの現内閣
      ↓
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13526594

今朝も出勤前に国会中継をちらりと見てきましたが、同じようなものです。
今の政治家が国の行く末に夢を描かないのなら、有権者も今の政治家に安易に夢を託さない方がいいです。
シビアに自分の生活を自衛していきましょう。

 

 


沈黙

2011年02月22日 | 雑感

今朝久しぶりに畑に行きました。
朝は気温も3度でしたが、太陽が上がるにつれて車内も畑もポカポカでした。
半袖の下着一枚で土を耕してきました。
来月になればいよいよ植え付けのシーズンです。
ホームセンターに寄ってあれこれなにを植え付けようかと、種や苗やらを見てきました。

中東の民衆蜂起が連鎖していますね。
どこまで広がりを見せるのでしょうか。
周辺国やら利害が絡まり合う勢力やらのいろいろな思惑が入り交じり、すんなり収まるとも思えません。
あの辺りのどこの国でも少数派のスンニ派が、多数派のシーア派を支配しているという構造的な問題が根底にあります。
石油利権が絡みますから、ことは大事です。
イスラエルが黙って傍観しているとも思えません。
周辺国が次々とイスラム教をこれまで以上に中心とした反米的な国家になれば、イスラエルの立場が危うくなります。
ロシアも中国も周辺諸国に飛び火するのを恐れているでしょうし、米英仏なども利権が脅かされるのを嫌うでしょう。
今の無能とも言えるような日本政府が下手に口出しできるような状況ではありません。

ぼくはある意味今の日本の政治の無能ぶりというのは、逆に日本の救いになるのかも知れないと思っています。
有能なら世界の状況にあれこれ口を出し、行動し、責任を負うからです。
ここまで世界の状況が流動化し、自然災害が頻発し、不穏な状況下では、あれこれ口を出し、行動し、責任を負わない方が賢明です。
信念も軍事的後ろ盾も持たない国家は、世界の状況に対してはものを言えませし、言うべきでもありません。
言ったとしても、誰も耳を傾けないといった方がいいかもしれません。

こういう時に、じっと動かず黙っているというのが、最良の戦術のような気がします。

 


お金の仕組み

2011年02月11日 | 雑感

太平洋側が雪のところが多く、この時期にありがちな冬型が崩れた雪模様ですね。
ここ北部九州でも厚く暗い雲が覆っています。

今の時期の畑は収穫を終えて、がらんとしています。
現時点でぼくの畑の畝に残っているのは、タマネギ、ニンニク、そしてたった一株だけのイチゴです。
イチゴの苗は冬の初め頃に植え、冬を越させて春に収穫します。
空いた畝は深く掘り起こしてマイナスの寒気に晒します。
有害な菌や、虫の卵やサナギをそうして減らします。
また何度も掘り返すことによって、土中の養分を均一にならすという意味もありそうです。

天候が回復したら、今度は堆肥を土に混ぜ込もうと思っています。
堆肥は直接的な養分となるわけではありませんが、土中の細菌やミミズの活動を活発にし、土がふかふかになり、
植物が根を張りやすくなります。
そうして、春の日差しが戻ってきたら、いよいよ種や苗を植えていきます。
今度は初めての夏を迎えますから、気持ちだけは張り切っています。
あれもこれもと植えたくなりますが、ちゃんと計画を練って、限られた面積を有効に活用したいものです。
トウモロコシも植えたかったのですが、あんな大きな株に育つのに、肝心の実は一株に一本だけを育てるのが通常みたいです。
道理で最近トウモロコシの値段が高いわけです。
それだけの面積があれば、数種類の何度も採れる野菜を育てられますので、トウモロコシは諦めます。

昨日、経営コンサルタントのお客さんと話をしたのですが、景況は悪化の一途ですね。
お金が実体経済の方にちっとも流れていないのを前から感じていましたが、どうやらその感触は確かだったようです。
興味のある方は以下の本を読んでみてください。

「あなたはお金のしくみにこうして騙されている」  天野統康
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AF%E3%81%8A%E9%87%91%E3%81%AE%E3%81%97%E3%81%8F%E3%81%BF%E3%81%AB%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%97%E3%81%A6%E9%A8%99%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B-%EF%BC%95%E6%AC%A1%E5%85%83%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A4%A9%E9%87%8E%E7%B5%B1%E5%BA%B7/dp/4199061053/ref=sr_1_7?s=books&ie=UTF8&qid=1297413026&sr=1-7

陰謀論関係の本を読んでいる人にはとうに知れ渡っていることではあるのですが、陰謀論の切り口ではなく、
フィナンシャルプランナーとしての経験から、実際のお金の流れを突き詰めていって書かれた本ですから、
誰でも抵抗なく読める本です。

この日本のデフレスパイラルは意図的であるとしか思えません。
アメリカにとっても中国にとっても、日本が経済大国である必要はもうありません。
ただし日本が急に破綻したら、世界中に与える影響が大きすぎるので、じわじわと兵糧攻めで弱体化を図っているのでしょう。

このままだと国内の物作りも、流通も、なにもかもが衰退していくしかありません。
デフレというのは経済成長、市場拡大の反対ですから、雇用も賃金も間違いなく減少していきます。
ただ、デフレの怖いところは、物価が安くなるので、なんとなく得したいいような気がするところで人々の関心を呼び起こしにくいです。

こういう時には、普通なら中央銀行はバンバンと札を刷って市場に流します。
現に欧米をはじめ、日本以外の先進国はバンバンと札を刷りまくりました。
札が市場に出回るということは、市場のパイが膨らむということです。
市場のパイが膨らまない限り、経済の成長というのはありえません。

札を刷りすぎたせいかどうか知りませんが、イギリスではインフレ懸念が出てきたと今朝の新聞で読みました。
ある程度のインフレは、少なくともこの日本のデフレスパイラルよりはマシに思えます。
インフレの場合は、ものをエイヤと安くすれば売れる可能性がありますが、デフレ下ではなにを作っても、どう安くしても、
売れなくなる下降線を辿ります。
つまり、国内の製造業者や流通業者の打つ手がなくなります。
経営者にとって、打つ手のない戦いを長期にわたって強いられるのは、それこそ拷問です。

メディアの論調からはそれほどの不況の深刻さを感じないかもしれませんが、だまされないでください。
上記の本にも書いてありますが、今のメディアというのは真実を伝えるのがその役割ではありません。
大手企業に勤めている人や役所勤めの方にはピンとこないかもしれませんが、今一番貧血状態なのは中小企業です。
軒並み瀕死の状態だと思います。
中小企業というのは、日本経済の根っこみたいなもので、目立ちませんがここが弱れば本体が枯れます。
本体が枯れ始めれば、それから慌てて肥料をあげようが水をあげようが、吸い上げる根っこがなくなる訳ですから、急速に枯れます。

だからどうすればいいのか。
もうこのままいって早く潰れてしまえばいいという思いもあります。
早く潰れれば、早くやり直しがきくからです。
このままじわじわとお金の流れを遮断されるのが一番きついでしょう。

新たな生き方を模索しなければいけません。
おそらくある種の勢力にとっては、日本という国が存続しまいが存続しようがどうでもいいことなのです。
それを承知した上で、日本に住む人がこれからの生き方を自覚して選択しないと、大変なことになります。
日本人として生きている恩恵を知らない人が多すぎる気がします。

 

 

 

 


脱出

2011年02月02日 | 雑感
立春を明後日にひかえ、幾分日差しが春めいてきたようにも感じられます。
そろそろ春からの畑のスケジュールを考えなくてはなりません。
多くの野菜は連作(同じ場所に同じ科目の作物を植え育てること)を嫌いますから、
どの場所に、どの作物を植えていくかをあらかじめちゃんと考えておく必要があるのです。

今回の東京の禅道場での講演会というかワークショップのテーマは「就活キャリアデザインと禅」というものでした。
大学で学生のための就活に対する心構えや方向付けの仕方を教えている先生をゲストパネリストとして招き、
学生や経営者の話を聞いて議論を深めていくというやり方でした。

経営側の言い分は、採用してもすぐに辞める、ハングリー精神がない、頑張りが足りない、などでした。
経営側からすれば、弱肉強食の競争世界の中で、雇おうにも雇っても使い物にならないと感じているようでした。
一方、若者からは、そういう厳しい情勢を百も承知ながら、とにかく自分の道をこつこつ探していくというような姿勢でした。
経営側はそうした若者のマイペースな、大人しい態度に煮え切らない感じを持つのも無理がないように思いました。

要は、もう時代は動いてしまっているのを経営者側が、社会が気づいていないのです。

資本主義が世界中の隅々にまで張り巡らされてしまっている現在、その資本主義のシステムから離脱しようとすることは、
たちまちの貧窮を意味します。
それを承知しながら、若者の間には、そのシステムに絡め取られるよりも、自分のしたいことをしていこうとする動きが大きくなっています。

もう若者は本能的に知ってしまったのです。
大人たちがそういう資本主義経済の中で、上昇志向や競争心をテコにして頑張って作り上げた世界第二位の経済大国の現実の有様を。
こんな現状が誰もが歯を食いしばってまで追求実現しなければならない社会なのでしょうか。
どこにもゆとりも豊かさもありません。
生産力が飛躍的に増大したおかげで、物が余り、デフレになり、お金の循環が滞り、失業者が増えていきます。
こんな社会をそのまま維持するために誰が頑張れるというのでしょうか。

問題は、このままで地球が崩壊するなどと言いつつも、経済的成長拡大を唱え続けるしかない企業、メディアを含めた社会体制そのものです。
こういう次のステップへの潮流に無理解な世相に対して、若者たちは怒るわけでもなく、諦めているわけでもありません。
今までの日本の状況が経済拡大への道をひた走った経緯を、またその状況下ではそうすべきであったことを理解はしているのです。
ただ、これから先人たちとこれまでと同じような競争に明け暮れる同じ道を歩むことはできないし、歩みたくもないのです。

ただし問題は深くて、巨大です。
例えば、自然との共生を考えて農林水産業に身を投じても、そのほとんどが食べることができずに挫折します。
手に職をと思っても、旧態依然の職人の世界は、余りにも狭い世界です。
木材を使った大工さんなんかは、これから可能性があるのではないかと思うのですが、
なにせそういう世界に参入しようとする若者がいたとしても、社会的なバックアップシステムがほとんどありません。

過渡期というのは、こういう混乱とシステムの崩壊を経るものなのでしょう。
でも、今生きている若者には辛いものがあります。
何せ先が見えず、なにもかもが不安になってしまっても仕方がないような状況です。
もはや国政にはなにも期待できない状況ですし。

若者の状況がさらに悪化し、社会不安が増大すれば、日本の社会全体が不安の連鎖に巻き込まれます。
時代の潮流が変わってしまっていることにそろそろ社会全体が気がつかなければ、ことは深刻です。

暴力的な巨大金融資本の網の目から日本は脱出すること。
ぼくにはそれしか道はないように思えます。
もちろん経済的には2流、3流の国に陥落するでしょう。
でも、世界からひっそり身を引いて、大方失いかけている日本の美質を取り戻した方が、将来的には安泰だとぼくは強く思います。
明治頃まで日本人の8割は農民でした。
今の農民の割合は1割もあるのでしょうか。
とにかく最低限食べられるようにはする、ということを確保するのが急務だと思っています。
石油、軍事、金融と押えられ、さらに今後は食料までコントロール下に入っていくでしょう。

時代錯誤のタワゴトに聞こえるでしょうが、このままグローバル経済に巻き込まれて行ったら、
日本は骨の髄までしゃぶられて終わる感じがします。


東京

2011年02月01日 | 雑感
先週末から忙しかったです。
木曜日には一日ぶっ続けの古神道講座。
これはおもしろかったです。
出し惜しみなく、神道の神髄を教えてもらいました。
その夜は坐禅と会議。

金曜日は早朝に写経会に出たあといったん出社してから、夕方から飛行機で東京へ。
浅草に直行して、ホッピーと煮込みを頼んだのは言うまでもありません。

土曜日は昼前に上野のガード下でホッピーと煮込みとタタミイワシと茄子漬け。
昼からは日暮里にある立派な道場で講演会です。
夜はみっちり坐禅で、そのあとに懇親会。
そのあと総裁肝入りの二次会。

日曜日も早朝から坐禅で、昼前に谷中、千駄木辺りを散策して、寿司と酒を飲みながらの俳句会です。
途中で抜け出して、羽田から直行便で九州に帰ってきました。

というわけで、合間合間にお酒を挟みながらの充実したスケジュールでした。

久しぶりの東京でした。
用事がない限り行きたいとは思いませんが、谷中、千駄木辺りというのは訪れたことがなかったので、おもしろかったです。
道すがらにあった昔ながらのラーメン屋さんに入りたかったのですが、団体行動中だったので入るのには、はばかれました。
「春木屋」という屋号で、「昔懐かしい東京ラーメン」という張り紙が貼ってありました。
猛烈に食べたかったです。
ナルトが載っているラーメンだったずです。

そんなこんなで、あっという間に1月が終わってしまいました。
ふわふわと時間だけが過ぎていきます。
性根を据えなければなりません。