風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

初イベント

2012年02月28日 | 雑感

あるイベントに牛タン屋を出店しました。
初めてということもあり、50食を用意しましたが、昼には完売しました。
あとは4時まで撤収できませんので、焼酎やウイスキーのお湯割りを売って、テールスープの残りを売りました。
なんか、牛タンの突破力ってすごいなと思いました。
来週4日にもイベントに参加します。
200食用意していこうと思っています。
開店前の予行演習としてはとても有り難いです。

開店は、震災の日の3.11に決めています。
場所は繁華街から大きく外れてはいます。
でも、なんか不安はありません。
楽しく、来て良かったなと思われる店にします。
今のところ、国産の生の牛タンと牛テールを使います。
それがベストなのかどうかはまだ分かりません。
コストは高く付きます。
でも、肉の品質は感動するほどです。

開店まであと二週間弱です。
徹底的にベストの味とサービスを追求していきます。

本業のアンティークの店も動き出してはいます。
初めてヨーロッパの「蚤の市」をイメージしたフェアをしてみました。
お買い得な商品を主体にし、新しいお客さんが沢山来てくれました。
当分はこの路線を大事にします。

二兎を追う者は一兎をも得ずとか、資金もないのに無謀だとか、さんざん言われています。
無謀なのは分かっています。
でも、お金ができるのを待つとか、本業の業績を急激に上げるとか、そちらの方が無謀です。
引くに引けられないのなら、思い切って前に進むだけです。
転べば起き上がればいいし、傷を負ったら包帯を巻きます。
そんな感じで、とにかくやれる限りのことはやって行きます。


 


新規事業

2012年02月18日 | 雑感

100坪の畑のほうも、有機石灰を入れ、堆肥を混ぜ込み、一昨日は肥料も入れました。
あとは春の訪れと共に、いろいろな野菜を植え込んでいくだけです。
まずは来週か再来週辺りにジャガイモです。
畝が20本くらいありますから、かなりいろいろなものを植えられます。
この畑は、去年自分が畑と係わってきた経験を、基本的にはそういうことに興味のある人たちに、
その体験をシェアしていきたい場所として作っています。
ご興味のある方はメールください。
一緒に収穫祭を楽しみましょう。

以前から言っていた新しい事業というのは飲食店です。

昨年二度ほど東北に帰郷した折、被災地の現況を間近に見ました。
もう無力感です。
何でもしてあげたいのですが、何にもできません。
東北の人たちが、これから何年もかかって復興に向けて一つ一つを積み上げていくだろうということは、
まったく疑いを持ちません。
でも、自分が故郷東北に何をしてあげられるのか。

正直、いくら考えても、具体的な答えが出ませんでした。
即今に必要な金銭的な援助はできません。
ボランティアに行く余裕もありません。
何もできません。
そこで二度目に帰郷して、被災地を見て回り、ふと思い立ったのが「牛タン」の店でした。

ぼくは仙台で育ち、18の年まで仙台にいましたが、「牛タン」の名前を聞いたことはありませんでした。
その頃までは、一部の飲み助の間でのみ有名だったのが「太助」という牛タン屋だったのだと思います。
今でこそ仙台の「牛タン」は有名ですが、ぼくが仙台にいた頃はホントにマイナーでした。

その牛タン炭焼きを世に広めた発祥の店「太助」は今でも仙台の国分町にあります。

行列のできる店です
ぼくも震災後、そこに初めて行きました。
カウンターの板が黒光りしているような、そんな古い店です。
今では牛タン専門のチェーン店が博多にまで進出していますが、ぼくはぼくなりにその「太助」の
雰囲気なり、味なりを九州の地で再現してやろうと無謀にも思いました。
その思いは、夢というような甘いものではありません。
「再現する」という決意です。

それから、いろいろ仙台の牛タン炭火焼きを研究しました。
素材を取り寄せ、作ってみました。
正直なところ、まだまだです。
それでも、店はオープンします。
2012年3月11日、震災のあった日です。
屋号は「仙臺屋」です。
仙台の旧字体です。

いろいろな思いはあります。
思いの押しつけをするつもりは毛頭ありません。
ただ、ひたすら感動的に旨い牛タンの店を作ろうと思っています。


突破

2012年02月13日 | 雑感

もう戻れません。
いつだって古き良き時代というのがあったのでしょうが、もうどこにも戻れる場所はないように思います。
どこへ行きたいかというのが、とても大切な時代になったような気がします。

ということは、どこかの時代に、これから生きるということに関してのモデルケースはないということです。
生きるモデルは、それぞれの個々人が自分の責任に於いて作れるかどうかの話になりそうです。

なんか大変です。
あらゆる規範が失われ、規律が失われ、方向性が混沌としてきました。
さて、どうするか。

ぼくの思うことはぼくなりに提案してきました。
あとは一人一人が何を選択するかです。
選択というのはいつだって力と勇気が必要です。
選択せずにやり過ごせる時代ではなくなりました。

選択。
何かを選び、何かを切り捨てること。
何かを選ぶに当たっては直感に従えばいいでしょうが、何かを切り捨てるには慎重の方がいいような気がします。
いや、そうでもありません。
理屈でガードし、直感で進む?
そんな単純な話しではありませんね。

自分という存在にダイレクトに向き合うしか答えはありません。
そうならば、真正面から自分という人間に向き合って、語り尽くすしかありません。

何かを突破してしまいましょう。