風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

政権交代

2006年03月31日 | 雑感
民主党執行部が退陣することになりました。
おまけに、今頃になって永田議員も辞職です。
後手後手、ぐずぐずで、考えられる限りの最悪の結果だと思います。
この期に及んでのこの事態が、仮に西澤某の証人喚問回避のための対策だとしたら、
最悪を凌駕して銀河系に飛び出してしまいます。

政権交代というのは、健全な形でならもちろんあったほうがいいです。
でも、政権交代のための交代というのは、いろいろな意味で政策手法に歪みを生じさせます。
対案を出さない反対だとか、相手の失点狙いのためだけの追求とか、揚げ足取りに終始するようになります。
堂々と政策を掲げ、国民に選択させるという正攻法でないと、これからはなかなか広範な支持は得られないでしょう。
一昔前と違い、今はメディアの情報印象操作に無自覚に乗る人は少なくなり、
ネットでいろいろな情報が吟味されますので、その政治手法や発する言動が旧態依然のそれだと敬遠されます。

世論というのは概ねメディアの影響下にあります。
故に、あらゆる政治的勢力はメディアに取り入ろうとし、自分たちの勢力に有利な状況を造ろうとします。
ある人間の隠れた行為をリークして、スキャンダルを煽って、誰かを失墜させるなどはその分かりやすい例です。
つい最近まで、北朝鮮による拉致事件というのは、まともに大手メディアが取り上げることはありませんでした。
まぁ、黙殺に等しい状況でした。
中国のチベット問題などは、今現在も黙殺状態です。

それに加えて、メディアで発言力が強い人というのが、世論の支持でそうなったとは限らないことも多いです。
メディアへの露出度が高いから、次第に発言力があるように見えるようになったことが多いです。
このメディアへの露出度を高めるか、低めるかを決められる立場にいる人々、つまり新聞社、テレビ局、プロモーター、
プロダクションなどにも、もちろんウンカのごとく発言力を高めようと画策する勢力が寄ってくる訳です。

つまりは、世論というのは、一般の人たちが思っているより以上に、ものすごく胡散臭い過程で形成されていきます。
ある人気スターを作ろうと思ったら、その人間の実力があるかどうかよりも、テレビなどへの露出を高めれば、
即製のスターが出来上がります。
世論は出来上がるというよりも作られる側面の方がテレビ時代になって大きくなりました。
言論の場は正論を戦わせる場ではなくなり、聴衆の無責任な感覚に取り入ろうとするアジテーターとなりました。

で、第4の権力と呼ばれたメディアの力は膨れ上がりました。
でも、その影響力が甚大なものであるにもかかわらず、権論の自由を盾に、その力をチェックすることが
出来ないままに何十年かが過ぎました。
そこで登場したのがインターネットです。
情報が個々人の好き勝手に受発信される空間では、どのような勢力も受発信される情報を統制できません。
そこでは、立場も、身分も、金持ちか貧乏人かも、知識人かどうかもまったく問われません。
ようするに、いかなる利権も発生しない場で、交信される情報です。
利権がないからこそ、好き勝手な統制不能な言論の場が出来ます。
まぁ、それこそピンキリの言葉が乱れ飛んでいます。
ただ、偽りのある言葉、つまらない言葉、下劣な言葉、傲慢な言葉というのは一般社会と同じで淘汰されます。
誰も相手にしなくなるからです。
そこが一方的に情報を垂れ流せるメディアとの大きな違いです。

こういう言論環境になりますと、旧来型のメディア操作を狙った政治家の言動というのは底を見透かされ、
容赦なく嘲笑されます。
だからこそ、これからの政治家は正攻法で政策論争すべきなのです。
与党がいい、野党が好きだなどという次元ではお話にならなくなりました。
それぞれの政策について是々非々の意見が活発に戦わしてこそ、政権交代の道が開けていくでしょう。










弛緩

2006年03月30日 | 雑感
なんか荒れた空模様です。
数日前には近くで雪も降ったそうです。
桜もいつ咲こうか、息を潜めている感じです。

ブログを書き始めて、気が付いたら一年を越していました。
何の成長も感じません(笑)
いろいろあったようでもなかったようでもあり、こうして月日が経っていくのでしょう。
何かを経験し、学び、消化しても、更に何かを経験し、学び、消化していきます。
そこに終わりはありません。
これでいいという成長の段階というのは、決して来ないものなのでしょう。

成長の上昇ラインというのは、決して直線を描きません。
よく言われることですが、螺旋状を描きます。
進展があり、停滞があり、後退(と見える)の状態がぐるぐると円を描いて、緩やかに上昇します。
このような上昇ラインは、歩むのに疲れを感じるようになると、しんどくなります。
時として、同じことを何度も繰り返しているような錯覚が生まれるからです。

そこで無理して直線を描いた上昇を図ると、墜落したり、エネルギーがぷつりと途絶えたりします。
なかなか忍耐が要ります。

仏教では、迷いの道を歩まぬために、六波羅蜜といって、六つの徳目を掲げました。

布施(与える)
持戒(自ら戒めを守る)
忍辱(耐え忍ぶ)
精進(一生懸命打ち込む)
禅定(心を落ち着かせる)
智慧(以上の五つの修養を積むと生まれる智慧)

翻ってみると、ぼくの場合はどれも習得以前の問題です。
徳目を守る気概さえ怪しいものです。
ということで、理の当然、何の成長も感じないような時を漫然と過ごすような羽目になるわけです。

因果応報、自分がした以上のことも、しなかったことも手に入れることはありません。
怠ければその結果がでますし、方向性を間違えてもその結果がでますし、頑張ればまたその結果が出るでしょう。
それだけのことなんですが、それだけの摂理さえも決心して守れないところが、凡俗です。

自らの凡俗を、凡俗と知りつつ精進するというところに人の尊さがあるんでしょうが、なかなか謙虚じゃありません。
厄介なことです。

気持ちが弛緩するとろくなことがありません。
ゆったりと羽を伸ばすのとは違って、いろいろなものが崩れていきます。
気が病んだ状態、病気になります。
いい意味での緊張感は、ぐうたら男には必要です。
なんだかものすごい低いレベルの話で、恐縮でした。

そんなわけで、今日は久しぶりに映画館にでも行ってこようと思っています。
映画館の暗がりというのは、ぼくには非常に心地よい空間です。
こういうときには、無理しても前に進めないので、心地よさを求めます。
心を健全に保つというのは、時と場合によってはなかなか工夫がいることです。




2006年03月25日 | 
黒い街の上にレモン色の月が音もなく昇り、欅の木立が風に揺れた。
遠ざかるサイレンに、遠くの犬が吠え立てている。
何かを言おうとした者も、口ごもって黙り込む。
そんな夜。

足音を潜めて路地をうろつく野良猫は、胸騒ぎを感じて耳を立てて辺りを見回す。
うなだれた勤め人たちは、コートの襟を立て、帰り道の先を急ぐ。
生まれたての赤ん坊さえ、虚空の中に何かを感じて泣き始める。
冬が終わったというのに、春はまだ来ていないのだ。

こんな夜には夢を見ることさえできはしない。
もぐりこんだ布団が徐々に温まるのを待つだけだ。
生きている実感もないくせに、孤独を感じる情もない。
先刻ふと見上げた月の色だけが、妙に冴え冴えと頭の中に残るだけ。

月はのっぺり地上を照らす。
ありとあらゆる精霊たちが息を潜める。
黒い街はますます黒ずみ、時折吹く風に木立も無表情に揺れる。
我慢しきれなくなった誰かの叫びも、喉から出る前に掻き消える。

何時間が経てば、月は沈んで日が昇る。
精霊たちも息を吹き返す。
赤ん坊も機嫌を直し、おっぱいを欲しがりぐずりだす。
でも、今はまだレモン色の月が天空にぽっかり浮かんでいる。






正直さ

2006年03月24日 | 雑感
今日は麗らかな空の下、法務局へ行ったり、社会保険事務所に行ったり、税務署に行ったりしました。
社会保険事務所などは1、2階に分かれていた部署が一階にまとめられ、簡素化が図られていました。
あれほどその無駄遣いを世間で指弾されれば、当然ですが。
法務局、税務署などでも、「ご苦労様でした」などと言葉を掛けてくれるようになりました。
昨今、公務員に対する風当たりが激しいですからね。
でも、公的機関で働く側も、利用者と言葉を交わしたほうが精神衛生上いいです。
狭い身内同士で出世を巡ってあくせくして、天下り先を確保して、税金を如何に盗むかを考えるよりは、
日々楽しく働いて、利用者に感謝される方がストレスも少ないし、病気にもなりません。

永田議員の懲罰委員会の様子の一部を見ましたが、あれですね。
正直に答えようとする姿勢は見受けられました。
事実、正直に話したのでしょう。
でも、正直であるからこそ、その脇の甘さというか、認識力というか、洞察力のなさにちょっと驚きました。
その筋の人には悪評がすでに立っていたフリージャーナリストを、裏も取らず信頼しきったということです。
あまりにも虚言が多く、有名人に訴えられて敗訴もし、週刊誌からも相手にされなくなっていた人物を、
やすやすと信じきってしまう無防備さというのは、政治家としてはあまりにもという感じが否めません。
国策にはいろいろな利害を背負った人たちが、いろいろな策略をめぐらして群がり寄って来ます。
ある策略を持った人物が永田議員みたいなお人良しを狙い撃ちにする可能性は十分にあるわけです。
ある策略を持った人物が、どこかの国のスパイであることだってありえます。
で、裏づけも取らずにたやすく人の情報を信じてしまうというのは、政治家としては危険すぎます。
信じていただけではなく、つい最近まではその人物を擁護し、自分を騙すわけはないと思い込んでいたようです。

やたら疑り深いのは考え物ですが、世の中にはいろいろな人間がいるという経験則を欠いている政治家は危ういです。
自分は絶対に騙されないと思い込んでいる人間ほど、詐欺師に引っかかる率が高いのだそうです。
要するに、自分の判断というものに高い価値を置く人ほど騙されやすいということなのでしょう。

それから思うことは、民主党という政党の情報力の無さです。
ネットなどではとうにそのフリージャーナリストは、そのいかがわしさと同時に噂されていました。
民主党幹部は、永田議員から当初からその人物を特定して知らされていたはずです。
それでも、皆口をそろえて信憑性があると言い張っていました。
ちょっと調べれば、ちょっと待てよとなりそうなものなのですが、調べることが出来なかった。
この情報収集能力の低さには驚きます。
これで撹乱情報に満ち溢れる外交の舞台でどうやって太刀打ちできるのでしょうか。

永田議員というのは、民主党の中でもなんというか、目立つ存在であったわけです。
メディアへの露出も高いし、各種委員会などでも役員をしていたみたいです。
それで、この思春期並みのナイーブさと信じ込みやすさです。
なんだかな~という以外に言葉が見つかりません。
それを諌める人もいないという事実が追い討ちをかけます。

ま、こんなものなのかもしれませんが。

久しぶりに日めくりです。

「心の田畑さへ開墾が出来れば 世間の荒地を開くこと難からず」 二宮尊徳

「美はいたるところにある しかし美は美を愛する心にしか姿を見せないのだ」 エミール・マール



礼儀

2006年03月22日 | 雑感
雨が降っていますが、それでもなんかお彼岸の雨という感じです。
昨日の春分の日、知っている方の何人かはお墓参りに行ってくると言っていました。
いいことですね。
ぼくも近くにお墓があれば行くのですが、多分1000キロ以上離れています。

そう言えば、今年度末です。
ここに来て銀行が金を貸すだの言ってきます。
ありがたく借りておこうかと思っています。
この段階で無借金経営というわけには行きませんから。

机の上がゴミの山状態です。
どこかに仕舞い込めばいいわけではなく、しかるべく片付けられるのを待っている状態です。
なんか気合が入りません。
でも、片付けようと思います。

WBC、日本は堂々と世界一になりました。
一球一球が目が離せない、いい試合をしましたね。
初回の4点がなければどうなっていたか分かりません。
キューバは点を取る時は本当に簡単にパンパン取ってきますし。
9回の表の駄目押しも、選手みんなに気合が入っていて、観ている者には一点一点が入るたびにドーパミンが脳に放出されました。

欲を言えば、試合後の選手たちですね。
別に大人しくしてろとは思いませんが、不必要に欧米人のやるようなはしゃぎ方はいらんだろと思いました。
メダルを貰う時は、ビシッと貰う。
日本人ってへらへらすると、なんというか、軽く見えすぎます。
日本人の男の笑顔って、なんか慣れていない感じがするんですね。
普段から顔を見合わせればにこっと笑いあう習慣など日本にはないのですから、ビシッとしていてくれると株があがるのになー、
と思ったしだいです。
シャンパンの掛け合いは、あれは文句ありません。

柔道の試合なんかでもいつも思うのですが、日本の選手でも礼の仕方がどんどん粗雑になってきました。
勝っても負けてもビシッと礼を決めると、世界の人たちがさすがだなーと思うと思うんですが。
ガッツポーズは礼を終えてからすればいい。
剣道では試合中ガッツポーズをすると失格になるらしいですが。
それと、礼の仕方が美しいのは北朝鮮の柔道の選手たちです。
文化鎖国状態で、昔日本人から習った礼の仕方が今に至るまで残された結果だと思います。

強ければいい、勝てればいいという風潮はどうしたって拡大していくのが競技です。
そんな中で、日本人は礼儀正しいと思わせることが出来たら、目に見えないところで大いに日本をアピールできるのですが。
礼儀正しさは世界中に通用する第一言語だと思います。

今は家庭でも学校でも礼儀作法を教えるという雰囲気はなくなりました。
ぼくの場合は祖母が割合食事作法やなんかにはうるさかったです。
もちろん当時はうるさいーなーと思って聞いていたんですけど、今も当時の教えを破ることはちょっと出来ないんですね、これが。
その人の文化度というのは、その人の持つ知識や教養もそうなのでしょうが、その人の振る舞いというか身のこなしも
顕れるものだと思うんです。
人々の生き方の総合的なベースが文化というものだとすれば、知識、体力、経済力などの優劣だけに拘るのは、
文化の持つ意味合いを狭めていくでしょう。
その文化共有の土壌の中で、世界の人々と関わることから、お互いの文化の土壌を更に深めていくことが出来るのだと思います。







コメンテーター

2006年03月20日 | 雑感
今日出勤途中で空き地を見たら、タンポポが咲いていました。
確実に春がやってきてますね。
空も麗らかに晴れています。
風も爽やかで気持ちがいいです。

WBC、日本、勝ちました。
序盤、息詰まる投手戦、イチローは二打席連続で出塁し、すかさず盗塁を決めていました。
得点には繋がりませんでしたけれども、野球というのは流れというのが非常に大事で、
その流れを引き寄せるのには大いに貢献していました。
5点目のタイムリーを決め、ファーストベースに立つイチローの顔は、それまでの気迫に溢れた顔から、
とても静かな静かな顔をしていました。
安堵の顔というのとも違います。
なんというか、心の深い所から来る、真剣勝負を勝ち抜いたものだけが入れる境地のように思えました。

韓国チームのプレイもはじめてみましたが、強いチームでした。
いい試合でした。

今日、昼のテレビで、コメンテーターがイチローの韓国を刺激するような言動を批判し、
アメリカに行ってから愛国者になったなどと批判していましたが、
なんという愚劣なコメンテーターかと思いました。
これで何か気の利いたことを言っているつもりなのだから呆れます。
日本チームに所属し、日本チームを絶対に世界一にしてやると思う気持ちが、イチローの気迫だったわけですが、
それを「愛国者」と皮肉ることで、何を皮肉っているつもりなのでしょうか。
愛国心は下らないとか何とか、例によってメディアに掃いて捨てるほど跋扈している主義主張なんでしょうが、
世界の人々が感動するのは、イチローの気迫とプレーなのであって、こういう輩の主義主張などはどうでもいいのです。
野球選手のひたむきな頑張りにも、己の主義主張を混ぜ込んで批判せずにはいられない、己の偏狭さを見てみろといいたくなります。

ネットなどでイチローのインタヴュー記事などを読むと、彼は本気です。
野球が本当に好きで、このスポーツの普及を本気で願っています。
だからこそ、不勉強なマスコミのレポーターの不勉強な下らない質問には辛らつだし、
勝つということにあれほどまで拘った言動を敢えて取っています。
「強いチームばかりだから、できるだけ頑張って、プレーそのものを楽しんできます」などといえば、
そりゃ波風は立ちませんが、そいいう気持ちでは勝ち抜いていけないことをイチロー自身が知っているからです。

ま、マスコミっていつもそうですから、どうでもいいですが。
不勉強で、身の程知らずで、傲慢で、恥知らずです。
勉強していて、身の程を知っていて、謙虚で、恥を知っている人は、そもそもテレビなんかのコメンテーターにはなりません。
漫画家が政治家を罵り、作曲家がスポーツ選手を訳知り顔に批判します。
誰が誰を罵り、批判してもいいんですが、見ている人は鵜呑みにしてはいけません。

テレビというのは、ありのままの情報を出来るだけ正確に伝える媒体ではありません。
テレビ番組を提供する側の周囲には、スポンサーを始め、様々な力関係が渦巻いています。
その力関係は、視聴者には伏せられています、当然ながら。
一つのニュースが、どのような印象で視聴者に受け取られるかを巡って、その力関係はいろいろ画策します。
印象操作というやつです。
どんなBGMを使うのか、どの場面を切り取り、どの場面を強調するのか。
そういうことで、視聴者のあるニュースを見るときの印象に大きく影響しています。
更に言えば、どれをニュースとして取り上げ、どれをニュースとして取り上げないかということもあります。
公平正大とはとても思えないことを、マスコミはしょっちゅうしています。
ネットが発達したお陰で、既存のメディアが報じない情報にもたくさん接することが出来るようになってから、
マスコミの恣意的な世論操作への目論見というのが、大分透けて見えて来ました。

ま、明日はキューバ戦です。
政治的なフィルターをかけないで、一流選手同士の試合が楽しめます。
日本、全力を出し切ったプレーをして欲しいです。






神話

2006年03月18日 | 雑感
雨がしとしと降っています。
心も晴れない土曜日です。
何があったということではないのですが、すっきりしません。
たぶん、疲れているのでしょう。
お客さんに昼食をご馳走になったのですが、半分残しました。
今日はお酒を抜きます。
せっかくの休日前に酒を抜くというのも、なかなかのタイミングです。

猫も気圧が低いと家の中で寝てばかりいますが、ぼくもそんな感じです。
気圧が低いとテンションが下がります。
一刻でも早く家に帰って、布団にもぐりこみたくなります。

ま、そんなことを言っても誰も同情してくれそうもありませんので、次に進みます。

ちょっと世界の神話の入門書みたいなのを読んでいたら、北欧神話にぼくの名前と同じ神様がいました。
ちょっと脳みその足りない怪力男みたいです(笑)
北欧神話というのは独特で、神同士が壮絶な戦いを繰り広げ、みんないなくなっていくんですね。
ひとりの偉大な栄光に包まれた神が天地を統治するという感じではありません。
神同士が騙しあったり、いがみ合ったり、殺しあったりという世界です。

ギリシア神話になると、女性の嫉妬というのが前面に出てきます。
ゼウスなんかしょっちゅう奥さんのヘラのご機嫌を伺っています。
神々の活動の動機も妙にヒューマニティに溢れています。
神々もラテン気質なのかもしれません。
隙さえあれば、電光石火で女の人に手を出しますし。

それに比べて、わが国の神話というのも、やはり独特の雰囲気を持っています。
殺し合いもありますが、収まるべきところに収まったら、あとは平和です。
北欧神話のようにお互いに滅びつくすというところまではいきません。
弟のスサノオの狼藉に心を痛めて、岩戸の中に閉じこもってしまうアマテラスというのは、なんかかわいいです。
そのアマテラスを岩戸から引き出すために、アメノウズメが裸踊りをし、回りの神々がどっと笑うというのも、平和です。
その騒ぎに興味を惹かれたアマテラスが、岩戸を開けてひょっこり顔を出すというのは、なんというか、無邪気です。
大体、スサノオの狼藉にしたって、田んぼに糞を撒き散らしたり、皮を剥いだ馬を家の中に投げ入れたりと、
昔のいたずら小僧のしそうなことです。
さすがに馬の皮は剥げませんが、昔の小僧はカエルの皮くらい剥ぐのは朝飯前でした。

こうみると、神話というのはその国の風土、気質を確実に反映しているとは言えましょう。
そもそも、その国の風土、気質を反映していなければ、神話として何代も語り継がれることもなかったでしょうから。

そうしますと、神話から抽出される日本人の気質というのが浮かび上がってきます。
無邪気で、ユーモアがあって、さっぱりしている。
北欧神話のロトみたいな、あまり陰険なのは出てこない。
落語なんかも聴いてみますと、やはりその日本人の特質が出ているように思います。
意地悪にしても、底が知れていて、かえってユーモラスです。

よく通俗向けの時代劇やなんかだと、悪辣非道な代官だとか侍が出てきますが、
例外は除いて、実際はああいうキャラクターはいなかったのではないかと思います。
ああいうキャラクターが平気で存在できるような風土、気質を日本人はもたなかったのではないかと思うわけです。
サムライはサムライとしての矜持を徹底的に仕込まれたわけですし。
その中でも私服を肥やそうとする者はもちろんいたでしょうが、蔑まれてお終いだったような気がします。

何も日本をことさらに持ち上げようという気はありません。
ただ、帰還するべき日本の美点があまりにも見失われているような気がするだけです。
自国の美点を認め、他国の美点をも認め、それでこそ自在に対話が生まれると思うのですが。

ま、とにかく、明日の野球は楽しみです。




花見

2006年03月17日 | 雑感
昨夜は知人と焼き鳥屋に行ったのですが、飲みすぎました。
ちょっと酒、抜こうかなぁーと思っていた矢先にこれですから、我ながらあれです。
飲める人と行くと、ほんと、きりなく飲んでしまいます。
たまにはいいんですが、ね。

今度の日曜は久しぶりにゆっくり出来ます。
野球もどういう天の采配か、準決勝に進むことが出来ましたし。
3度目の韓国戦、目が離せません。
ぼくは5-3位で日本が勝つと思います。

高知では桜の開花宣言が出たそうです。
例年より十何日か早いのだそうです。
今年の冬は長く厳しい気がしていたので、意外です。
桜の花の下で、ござを敷いて酔っ払いたちが酒臭い息を吐き散らすというのは、なかなか見ごたえのある光景です。
家族で行くもの、サークルで行くもの、会社の同僚で行くもの、様々な色合いの酔っ払いたちです。
文庫本を持って、一升瓶片手に一人で行くというのもなかなか風情があるとは思うんですが、実行したことはありません。
まぁ、絶対に楽しくはないでしょう(笑)

でもやはり花見というのは、男も女も着物姿で行くといいのでしょうね。
風情が全然違ってくるような気がします。
会社帰りのスーツ姿なんかでは、酔い乱れるとだらしがないだけですが、着物だとさまになりそうな気がします。
最近はブルーシートと散乱する発泡スチロールの皿が余計に風情を損なっています。
便利なものって、なんだか美しくないものが多いです。

花見のころは夜になると結構冷え込みます。
ということで、最近は暖を取ることも考えて、焼肉を催行する集団が増えました。
旨いですけど、肝心の花見の方がおろそかになります。
煙もうもう、焼いて食って飲む方が忙しくなります。

それから気になるのがあちこちの屋台やカラオケで電気を使うための発電機の音です。
桜が散る姿が、煙と騒音で、ちっとも風情を感じません。

ぼくのお勧めの花見は、どこかの野山に一本だけ咲いている桜の木を見つけ、少人数でその根元にござを敷いての花見です。
桜の名所には行きません。
じっくりその桜の木を、散る花びらを、空を見ることが出来ます。
七輪が一台あるといいです。
お酒の燗もつけられます。
家で作ってきたおでんも温められます。
スルメを炙ってもいいでしょう。

そういうのって、よさそうでしょ?

そういえば、知人の女性3人組が今年の花見は着物姿で、ひなびた田舎で花見をするそうです。
正しい贅沢のしかたです。
そういう流儀で、月見やなんかも盛んになれば、なんか楽しいです。
ついでに俳句を全員でひねるなんてのは、やり過ぎ?(笑)








コミュニケーション

2006年03月16日 | 雑感
野球、負けました。
ネットで実況(文字のみ)を見てました。
いい試合だったみたいけど、勝負事は勝たないと切ないです。

毎月1日と15日に花屋さんが神棚に飾る榊を持ってきてくれるのですが、昨日は持ってきてくれませんでした。
いつも虫食いの跡があるような貧相な榊ばかりですので、花屋さんを変えようと思っていた矢先でした。
ということで、今日はまだ神棚に拍手を打っていません。
今、打ちました。

言葉が通じない関係というのは疲れます。
これは何も外国語で会話するとか、鹿児島弁と津軽弁の人が会話するとか、そういうことではありません。
発せられた言葉に含まれる諸々の感情、意志、裏の意思などなどを読み取る力の有無に関わることです。
言葉の表層しか汲み取れないと、誤解ばかりします。
そしてその誤解に自ら気が付くということがありません。

言葉が通じる関係であればあるほど、言葉自体の数は減らすことが出来ます。
要するに「あうん」の呼吸になっていきます。

私見では、親とのコミュニケーションが十分なものでなかった人ほど、言葉に対する感受性が弱いです。
驚くほどその感受性が鈍い人を何人か知っています。
そういう人は、身の回りを飛び交う意義深い言葉や、面白い言葉に全然気が付きません。
表面的な常識や規則などはきちんと理解しているのですが、常識や規則といった規範をはみ出した、
ユーモアや悲しみや怒りや絶望ということを理解しません。

言葉に対する感受性が弱いと、自ずから自分の発する言葉も不正確で、曖昧なものとなります。
内省するとは、自らの内面に渦巻く言葉を一つ一つより正確に点検することにほかなりませんから、内省力にも劣ってきます。

言葉というのは重要です。
一つの言葉にどれだけの思いを込め、そして相手に受け入れられるように言葉を適切な文脈で、適切なタイミングで発せられるかで、コミュニケーションの質が全然違ってきます。
自分の言葉に神経を使わない人は、相手の言葉を聞くにも神経を使いようがありません。
神経を使わないと、ヴォキャブラリーも増えません。

で、性格の良さとコミュニケーション能力というのはあまり連動していません。
ただ、コミュニケーション能力が低いがために、せっかく持っている良い性格が発展開花しません。
言葉の能力が低いと、どうしても自分を客観的に分析する能力が欠けてしまうからです。
要するに、「空気を読めない」ということは、言葉を読み取る力の不足です。
社会生活で円滑に快適な位置に入っていくには、どうしてもその場その場の空気を読んでいく必要があります。
その場に入るにも、去るにも、その場を読めなければどうしようもありませんから。

更に更に言葉=コミュニケーション能力が飛躍的に発達すると、言葉が要らなくなります。
無と有の境涯を自在に往復するからです。
禅の世界ですね。

ま、何を言いたいのかというと、最近コミュニケーションの上で疲れることが多かったものですから、要するに愚痴です(笑)
ぼくはと言えば、空気を中途半端に読んで笑ってごまかすというのが得意なだけです。








イチロー

2006年03月15日 | 雑感
今書いたばかりの文章が、PCの操作を誤って消してしまいました。
もう帰ってしまおうかと思ったのですが、気を取り直してまた何か書きます。

実は今日午前中一杯、WBGの試合を見てしまいました。
イチローがものすごく大きく成長しました。
声を上げ、行動で皆を引っ張り、勝つことに誰よりも執念を燃やします。
その凄みのある真剣味が、他の選手にも伝染していたように感じました。

一流とはどんなに高みに上っても、更なる高みを目指す人たちのことなのでしょう。
なんの衒いもなく、己の限界に挑戦していきます。
真剣味というものに欠けるきらいのあるぼくは、試合から目が離せなくなってしまいました。

イチローにしても、荒川静香にしても、一流と呼んでいい選手たちがぼちぼち出てきました。
今まで、能力も練習量も決して誰にも引けを取らない選手たちが、あと一歩の精神力が崩れて、
勝負の場からうなだれて退場していくのを何度も見てきました。
緊張張り詰める勝負の場で、自分の能力の守りに入るのか、更なる向上を目指すのか。
更なる向上を目指せる人間が、おそらく、自分の能力以上のものを発揮するのかもしれません。
心のあり方、気の持ちよう一つで、勝敗が分かれる勝負の場にいる人間を、外野からとやかく言うのは片腹痛いのですが。

明日は韓国戦です。
準決勝、決勝と駒を進めて、ぜひその勇姿を世界の野球少年たちの目に焼き付けて欲しいものです。

で、今話題の「国家の品格」を読みました。
空港の待ち合わせ時間に買ったものです。
書いてあることは、その通りだと思います。
ただ、その通りのことをなぜ今まで僅かな人たちしか言ってこなかったのか、言えなかったのかが問題なのですが。

論理のプロである数学教授が論理の限界を説き、
数学者が武士道と日本的情緒を語る。
イデオロギー臭さがないのが爽快です。

武士道とか日本的情緒というのはきわめて曖昧な概念になりがちなのですが、
論理的概念に収めようとすればするほど、武士道や日本的情緒というのは香気を失い、抜け殻となっていきます。
語れば語るほど野暮になっていきます。

さぁ、どうすればいいのか。
日本の田舎や森や山を自分の足で歩いてみることから始めればいいと思います。
渓流のせせらぎの音を聞き、森の匂いを嗅ぎ、水田の上を渡る風を感じたらいいと思います。
鎮守の森の上に湧く入道雲を見上げ、夕暮れの寺の梵鐘の音を聞いたらいいと思います。
論理に還元できるような日本的なものは何一つ見つからないかもしれませんが、
間違いなく日本を体験します。
その体験を抜きに、今まで日本を語りすぎていたのかもしれません。

でも、あれですね。
今もものすごい勢いで、ぶらぶら歩いて快適な空間というのは日本全土から消えつつあります。
この風土という空間がなくなったら、日本という波動もなくなるのでしょう。
なくなっても困らないと言うかもしれませんが、つまらないでしょうね、間違いなく。




なごり雪

2006年03月14日 | 雑感
昨日は雪なんかが舞ったりして、なごり雪状態でした。
3月ですから、学生も進路がそれぞれ違ってきます。
進学するもの、働きに出るもの、都会に行くもの、地元に残るもの。
それぞれが思いを一杯胸に秘めて、ひとり、それぞれの道の入り口に立ちます。

ガールフレンドやボーイフレンドとも別れなければならない人も大量発生します。
大体は、経験不足ですし、口下手ですし、素直じゃないしで、不器用な別れ方をします。
昔のように蒸気機関車を、雪の降るプラットホームに送り迎えするというような情緒もありません。
新幹線が僅か数分停車する間の、恐ろしく無粋な別れの場面となります。
「じゃあ」と言って、片手を上げたとたん、ドアがしゅうっと締まってしまいます。
それどころか、ドア付近で別れを惜しもうとすれば、他の乗客から押しのけられ、罵られ、白い目を浴びせかけられます。
というわけで、情緒を押し殺して、彼や彼女は曖昧な笑みを不器用に浮かべたまま、離れ離れになります。

プラットホームを走り去る列車を腕が折れんばかりに振りながら追いかけるということも出来ません。
追いかけるには新幹線はあまりにも加速が早すぎます。
彼や彼女はあまりにも想像を超えた無味乾燥な別れの場面に唖然とします。
前夜までの想像では、延々と未練の言葉や相手の幸福を祈る言葉や涙を拭いてやる仕草ななどにたっぷりと彩られていたはずなのです。
こういう時代には、「なごり雪」みたいな歌は作られることが出来なくなりました。

で、歌のない時代に、歌のないまま、空に舞う雪を、歌にならない思いで、呆然と見上げるのです。

話は変わって、今日目が覚めたらお昼を過ぎていました。
15時間くらい眠りこけていた計算になります。
あはははは。
気分は爽快です。

店に出ると、机の上のあまりにもな汚さにうんざりします。
書類やら手紙やら商品やらがてんこ盛りにされて、それがだらしなく四方八方に崩れています。
一念発起して、てきぱきと片付けます。
やり始めたら早いんです、ぼくは。←O型的自慢

あっという間にきれいになった机の前で大きく満足の吐息をつきます。
煙草さえ吹かします。
明日から取り掛からなければいけないことをリストアップします。

ということで、今日は早めに帰ります。





疲れました

2006年03月13日 | 雑感
なかなか中身が濃くて、身体はしんどいけれども、手ごたえのあるロンドン出張でした。
でもみなさん、ロンドンの地下鉄に乗ってヒースロー空港→成田→羽田→福岡→小倉という乗り物攻撃は半端じゃありませんよ。
それぞれの間に数時間の待ち時間があるし。
全行程20時間くらいにはなると思います。
疲れましたが、仕事がいっぱい溜まっています。

何やかやが次々と起こります。
試されているような感じです。
試されているのなら、パスするべく全力を尽くしていくだけです。
今のところひるんではいませんので、大丈夫かと思います。
ロンドンでビールをしこたま飲んだせいで、胃の調子がちょっと不安ですが。

なんにせよ、今年は「動く」ということに焦点をあわせました。
そのとおり、動いてはいます。
動けば動くほど課題が見えてきます。
課題を見つけられれば、しめたものです。
動かないと、解決するべき課題さえ見えてきません。
課題というのは、見えた時点で解決したも同然です。

で、どうやらしばらくはのんびり出来そうもありませんし、今年のテーマが「動く」である以上、
のんびりする必要もないのですが、長年ののんびり癖が無駄に抵抗します。
ま、抵抗するだけすればいいんですが。

ちょっと信じられないくらいの大きな商談もあるのですが、これは0.01パーセントくらいの確率です。
大きい商談というのはそういうものですし。
これも、やるだけいろいろなことが勉強にはなることです。

こう考えてみると、幸せですね、ぼくは。
馬の骨が草原を闊歩しているようなものです。
なかなか渋い光景だなーと我ながら思います。

でも、ぜんぜん浮いてませんよ、言っときますけど。
そういうタイプでは全然ないのです、ぼくは。

いろいろ後片付けやら、新企画やらの整理整頓やらの仕事が待っています。
バリバリこなしていきましょう。




ご免なさい

2006年03月04日 | 雑感
明日の展示会を控え、商品だのなんだのが続々届きます。
なかなか煩雑です。

これから什器の展示会会場への搬入があります。

なにか言う余裕もありません。

何だか気候が目まぐるしく変わっています。

皆さん風邪を引いたりしませんように。






微妙さ

2006年03月03日 | 雑感
なんか今日はやけに寒いですね。
ぼくがそう感じているだけなんでしょうか。
今風邪を引くわけにはいかないんで、今日は早く帰ろうと思っていますが。

あさって、あるところで展示会があり、その翌日早朝にはロンドンへ出発します。
ちょっとスケジュールに無理があるんですが、そういう流れなので仕方がありません。
展示会というのはその前後にあれやこれやとやることがたくさんあるわけです。
商品を始め、什器、人員、ローン会社の手配や、様々なものの受け取りや送り出し、鑑定書を取ったり、
指輪のサイズを直したり、売り上げを集計し、メーカーに送金したりとなかなか気を抜けません。
ですから、展示会の翌日からいなくなるというのは、いろいろな意味で冒険です。
じつのところ、あんまり心配していないんですが。

それから昨日も夜更けに目が覚めたので、PCに向かってロンドンの古物商に持っていく資料を作成しました。
われながら、なかなかいいものが出来たなぁーと感心しました。
ここのところやむなく働き者です。

で、今気が付いたのですが、もともとの働き者ってそんなにいないのかもしれないなということです。
事の流れに押されて、働き者に仕立て上げられているのかもしれません。
ということは、今までのぼくは事の流れからまったく外れていたと言えるではありませんか。
ま、そういうことなのでしょう。←アッサリ認める

百円ショップで買った柿ピーを食べながらこれを書いています。
あるドイツ人が日本に来た時食べた柿ピーにほれ込み、本国に帰っても定期的に送ってくれと言ってきていたのを思い出します。
ぼくの経験から言いますと、納豆は別として、味噌汁と海草が駄目な欧米人が多いです。
味噌汁は彼らからすれば独特の臭いがするのでしょう。
その独特な臭いで、われわれ日本人は食欲を湧かせるのですが。
海草を嫌いというのは意外ですが、それを食べる習慣のない人々にとっては、海の屑を食べているような感じなのだと思います。
別に旨みがあるわけでもないし、ぬるぬるするし。
あと、生卵も苦手です。
ロッキーが牛乳に生卵を入れて一気飲みしていましたが、あれは欧米の人には笑うシーンだったのだと思います。
刺身はたいていの人は食べますが、その旨さを理解してはいないような気がします。
日本食として外せない刺身というものを食べてみているという感じの人が多いです。

マツタケの土瓶蒸しの精妙な味が彼らに分かるとは思いません。
分かれという方が無理があります。
ガーリックだのスパイスだのバターだのをふんだんに使って、肉とソースとの濃い味同士のバランスを楽しむ民族と、
シイタケだの昆布だのといった微妙な出汁の香りを楽しむ民族の味覚が一緒であるはずかありません。

この日本文化が常に主張してやまない「微妙さ」というのが、なかなかあれです。
例えば、陶器を取ってみても、マイセンなどの西欧の陶器は美に入り細に入り技術を凝らし、華やかで明朗です。
ところが日本で評価される焼き物というのは、侘びやさびとなって、一見無骨そのものに見える楽の黒茶碗などが珍重されます。
でも、こうも両極端に違う文化だらこそ、お互いに理解を示し、尊敬できるのかもしれません。

でも、あれですよ、みなさん。
縄文土器というのはとてもパワフルでシュールで独特の世界を持っていますよ。
なんか現代文明が持っている規範を逸脱しちゃっています。
生命とダイレクトに繋がっている力強さがあります。

というわけで、今日はこの辺で。

企業

2006年03月02日 | 雑感
近くのデパートで北海道展をしているとのことで、お客さんが有名な函館近くの森のイカ飯を買ってきてくれました。
夕方にもなったことだし、早速ビールを買ってきて、一匹目を食べました。
シンプルですが上手いです。
特に中に詰まっているもち米が絶妙です。

で、今、三匹全部食べてしまいました。
九州は関東以北のものとは醤油が違います。
なんかトロリとして、甘いです。
こういうイカ飯みたいなのは、甘くないストレートな醤油で煮付けたほうが、イカの味が引き立ちます。
そういう意味で、九州は魚が新鮮でおいしいのですが、刺身醤油がとろとろしていて、残念に思っています。

ところで、買ってきたビール、サントリーの「ワールドセレクトビア」、これ旨いです。
こういうビールが飲みたいのです、ぼくは。
久々のヒットだと個人的には思います。
コマーシャル戦略だけに長けていると思っていたサントリーも頑張っているみたいです。

かつて隆盛を誇った大企業が軒並み病んでますね。
日航、松下、ソニー等々。
企業の寿命というのは意外と短いです。
財閥系などの例外は除いて、長くて4~50年でしょうか。
上手く世代交代が出来れば、寿命は伸びますが、大抵の会社が世代交代でつまずくみたいです。

そういう意味では、創業期の会社というのが一番働いていて面白いのかもしれません。
創業期の苦労は創業者が負ってくれましたし、あとは伸び盛りです。
組織内の風通しもいいし、世間の目も概ね好意的に見てくれます。
やればやるだけ結果がでる時です。

それが10年、20年と経つうちに組織が硬直化していきます。
ガン細胞みたいな人間も居座り始めます。
トップの決断も守勢に傾き、鈍くなります。
業務がマンネリ化し始めます。
やる気のある人間の足を引っ張り始めます。

分かってはいるのでしょうけれども、どうもそういう進路を大方の企業は取ります。
でも、考えようによっては、それでいいのかもしれません。
一つの企業が退場すれば、また新たな企業が進出してきます。
そういう新陳代謝があったほうが、健全な社会だということは出来ます。

人にも言えるかも知れませんが、やはりどれだけ延命を図るかよりも、どう生きるかの方が大切なのでしょう。
企業にしても、人にしてもその存在価値がなくなれば、潔く消滅するというのもまた理でしょう。
存在価値とは?
他者に、社会に与えるものがある限り存在価値はあるでしょう。
他者や社会に寄生するようになっては、その存在価値は失います。
何を与えればいいのか?
なんだっていいです。
美味しさ、嬉しさ、喜び、安心、刺激、美、勇気、などなどいくらでも挙げられます。
与える意思がある限り、存在価値があると言えるのでしょう。

ま、ぼくは創業期というよりは創業しようとしている真っ只中です。
はなはだ頼りないです。
どういう価値を自分が生み出せるか。
ひとえにそれにかかっています。