風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

混乱

2006年07月31日 | 雑感
今日は月末、入金予定のお金が明後日にずれ込み、支払いできなくなり、あちゃーです。
こういうのは商売ではあってはいけないことなんですが、しょうがありません。

あーあ、と思っていてても仕方がないので、心機一転、新プロジェクトの企画書を書きました。
すると2時間ほどで書きあがってしまいました。
今の商売とはまったく違う分野です。
発足すれば、面白いものになると思います。
でも、資金が集まるかどうかです。
動いてみないと分かりません。

今まで、資金を集めるなどという大それたことをしたことはありませんが、このプロジェクトには資金が必要です。
多くの人を巻き込まなければなりません。
そういうヴァイタリティに著しく欠けるぼくなんですが、まぁ、動くだけ動いてみます。

それにして、もう8月です。
滝に打たれようが、坐禅を組もうが、月日の経つ速度は変わりません。
ぼやぼやしててももう8月、せかせかしててももう8月です。

話は変わりますが、「カストロとチェ・ゲバラ」という映画を見たのですが、独裁者というのは必ず最後はひどい孤独になります。
どんなに理想的な理念を立てて旧政権を打ち倒し、民衆のための政権と称するものを打ち立てても、
時と共に、理念は束縛になり、自由は不満へと転化して行きます。
いろいろな矛盾が噴出し、人々は期待が裏切られたと感じ、独裁者は政権を維持するために、反対者の粛清に向かいます。

映画で見る限り、革命初期の若きカストロは陽気な正義感という感じで、誰にも好かれています。
それが今ではカストロの下から逃げ出したい一心で、人々が続々とキューバからマイアミへと逃げ出しています。
理念では人を縛れません。
人々の欲望も果てがありません。
民主主義のアメリカは腐敗と堕落がはびこり、独裁のキューバは貧困と圧政が支配します。
何が人類のこの混乱を決着させるのか、それはいまだ誰にも分からないままです。

中東もなんだかきな臭くなってきました。
混乱が繰り返されつつあります。



文化生活

2006年07月28日 | 雑感
今朝はまだ薄暗い中を滝に向かいました。
山では、夜が明けていないのにもかかわらず、セミがわんわん鳴いています。
梅雨明けを今か今かと待っていたのでしょうね。
短い一生を完全燃焼するつもりです。

滝場のお堂の線香立に、大きなメスのカブトムシが仰向けに灰まみれになってもがいていました。
助け出してやりましたが、羽も破れ、足もよろよろです。
多分、一晩中付いているお堂の電灯に何度も何度も激突したのでしょう。
虫にとっては光の持つ魅惑力は絶大なものがあるのでしょう。
この時期になりますと、電灯の下には蛾やらなんやらの死骸がいつも転がっています。

薄暗いままの滝に入ります。
どういうわけか、今日は一切の気配みたいなのは感じず、淡々と入りました。

ここ最近、寝る時間が早くなりました。
テレビが面白いのがまったくないからです。
10時頃には寝てしまいます。
出勤時間が昼近いので、早起きすると時間がたくさんあります。
滝に行って、坐禅をして、本を読んで、その上うたた寝も出来ます。
なかなかいい感じです。

テレビが面白くない代わりに、面白いDVDを借りました。
アンディ・ガルシア主演、「エゴイスト」です。
主人公は小説家です。
一冊出版しましたが、全然売れずワゴンに積まれて投売りされています。
当然、お金に困ります。
嫁さんと子供の暮らしぶりが窮状してきます。
何とかしなければなりません。
あちこちに職を探し、金策を図りますが、上手くいきません。

そんな時、ある得体の知れない男から声をかけられます。
高級エスコートサービスのオーナーです(なんとミック・ジャガーが演じています)。
エスコートサービスというのは、要するに出張売春婦・売春夫のサービスで、アメリカで盛んなサービスです。
なんやかんやがありまして、止むに止まれず、その仕事を引き受けます。

最初の客は、もの凄く美貌の金持ち婦人です。
ちょっと毛色の変わった主人公を、その婦人は気に入り、指名するようになります。
その金持ち婦人は、有名な小説家の奥さんでした。
有名な小説家は、持病(糖尿病?)が悪化しており、書く才能も枯渇しており、奥さんの浮気も公認しています。
で、その小説家宅に出入りするようになった主人公は、その小説家が書き上げた凡作に手を入れる事となります。
共同執筆という形で。
主人公は大喜びで、凡作を名作にすべく奮闘します。
あとは、見てのお楽しみです。

内容は全然知りませんでしたが、アンディ・ガルシア主演ということで借りたDVDです。
この人の出た映画ではずれたことないので、期待に違わず面白かったです。

本も5-6冊買い込みました。

文化人みたいな生活をしています(笑)



犬と猫

2006年07月27日 | 雑感
子犬と子猫がどちらがかわいいかというのは、難しい問題です。
姿がかわいいのは子犬でしょうが、子猫はなんといってもいたずらぶりが、あれです。

こっちが寝ていて足でも動かそうものなら、ばっと飛び掛ってきます。
動くものにはなんでも飛び掛るからです。
で、こちらとしては重いので、足を動かすとまたばっと飛び掛ってくるわけです。
それを繰り返していると、眠いこちらはだんだん腹が立ってきます。
いくら腹を立てようが子猫は頓着しません。
ついには、足に子猫の重みを感じたまま寝ることになります。

で、起きてみると、身体を丸めて足もとに無防備な寝顔で寝ていたりするわけです。
これで皆イチコロになるんですね。

子犬のかわいさは、こちらが何か言ったりすると首をかしげて聞こうとするところ。
しかも、眼がいつだって真剣です。
人の500倍くらい真剣です。
そこで、皆イチコロになります。

イチコロになった人は、幸せです。

すみません、今日はお酒を飲みながら書きました。



シャワーキャップ

2006年07月26日 | 雑感
ようやく梅雨が明けました。
これから暑い日が続きます。
近頃の夏は覚悟がいる暑さです。

今朝も滝に行きました。
途中に貯水池があるのですが、満々と湛えられた湖面から靄が立ち上っていて、なかなか幻想的でした。

滝場にはぼくより少し遅れて一組の夫婦がやってきました。
一年中夫婦で滝行をしています。
ぼくが通常行く時間よりも早い時間に来ているので、何度かしか顔を合わせたことはありません。
それはいいのですが、奥さんのほうがシャワーキャップを被って滝に入ります。
実際に入っている姿をまともに見たことはないのであれなんですが、滝着を着てますから滝には入るのでしょう。
今頃の水量の滝の圧力ですと、まともに入ったらシャワーキャップなど一瞬で吹き飛ばされると思います。
まともに入らないのなら、もとよりシャワーキャップなど要らないと思うんですが。
もとより余計なお世話なんですが、お不動様が立ち並ぶ滝場で、シャワーキャップというのはとにかく目立ちます。

そういえば、前に100日行をしていた時、般若心経を20巻称えるので40分くらい滝に入っていたわけですが、
滝から出てふと見上げると5-6人のシャワーキャップを被ったおばさんたちがずらりと薄暗い滝場を取り囲んでいて、
おそろしく冷たい眼でぼくを睨んでいたことがありました。
挨拶しても、無言でこちらを睨んでいます。
滝場で経験した一番怖かった出来事かもしれません。

まぁ、いろいろあります。

ちなみに、今日の写真はネットから手に入れた龍神様の写真です。
躍動感溢れるいい写真ですね。





2006年07月25日 | スピリチュアル
今しがた急に土砂降りの雨が降り出しました。
アーケードの屋根に雨の叩きつける音がここまで聞こえてきます。

ちょっと本の紹介を。

「禅僧になったアメリカ人」トーマス・カーシュナー著

19歳の時に交換留学生として早稲田に来て以来、禅の世界にのめりこんでいき、ついには出家して禅僧になった
アメリカ人のドキュメンタリーです。
彼は団塊の世代の生まれで、彼の青年の頃のアメリカはヒッピー文化花盛りで、東洋精神文化にも興味がもたれていました。
そんな時にある講演会で柴山全慶老師の雰囲気に魅せられ、禅に興味を持つきっかけとなりました。
老師の日本語も内容も分かるはずもなく、ただその雰囲気に惹かれたというのが、禅らしいです。

この人の人柄なんでしょうが、かなり厳しい修行もあったはずですし、心の苦悩もあったはずなのですが、
全編に渡って飄々とした語り口で通されています。
何よりもいいのが、数枚差し込まれたこの人の手による禅僧生活を描いた挿絵です。
ユーモアがあって、もっともっと見たくなります。
導かれるように、高名な老師たちとも出会って行きますが、彼の眼を通して高名な老師たちというものの人柄に触れることが出来るようで、
読んでて楽しくなります。

寺の跡継ぎになるために一定期間本山に上って修行する僧侶は日本にもまだまだたくさんいますが、
彼のように純粋に禅を極めたくて修行を続ける僧侶は、今では外国人のほうが多いのかもしれません。
外国人専門の修行道場もあちこちに出来始めていると聞きます。

ぼくよりちょうど10歳年上です。
まだまだ禅僧としてはこれからです。
これからの活躍が楽しみです。

ちょっと面白いと思ったのは、禅僧になると作務というのが付物です。
米や野菜を作ったり、薪を割ったり、大工仕事をしたりと。
何年も禅僧をしていると、小さな小屋くらいは自分で作れてしまうみたいです。
野良仕事はもちろん、肥料なんかも自分で工夫して作れてしまうみたいです。
何もする当てもないけど、一念奮起したいニートの人なんかは、数年間でも禅寺に入ってみるのもいいかもしれません。
半端な気持ちが通用するところではありませんが、なんか大きな生きるきっかけにはなりそうです。

ぼくもちょこっとある寺で真似事みたいなことをしたことがありますが、足の痛さは半端ではありません。
最初の数日はそれでも我慢できるんです。
その数日が過ぎると、足をちょっと組んだだけでたちまち関節が万力で締め上げられているような状態になります。
ぼくは自分の関節が普通の人とちょっと構造が違っていて、特別痛いものだと思っていましたが、
彼もやっぱりそうだった見たいです。
その時期を潜り抜けないと、修行の入り口にも立てません。

大変は大変です。
修行はやっぱり修行です。
でも、その修行を通り抜けると、爽やかな風が吹いている境地がありそうなのが禅ではないかと思っています。







天地創造Ⅱ

2006年07月24日 | スピリチュアル
九州は大雨です。
龍神様の話、真実味を帯びてしまいました。

ところで、今日の写真を見てください。
先日の高千穂巡礼の折、高千穂方面の日の出を、同行した友人が携帯カメラで撮ったものです。
「縦に」くっきりと太い光が画面を貫いています。
中央に赤い火の玉みたいなものもあります。
驚くことに、別の人がやはり携帯カメラで同じ時、同じ光景を撮ったのですが、
その画像にはくっきリと同じような光が、「真横に」画面を貫いています。
それにしても、強力な光ですよね。

今日は前回の話の続きを書こうと思っていたのですが、一日置いたらなんだか気が進まなくなってしまいました(笑)
とにかくあれです。
神のエネルギーが「愛と調和」なら、悪というかルシファーの生み出すエネルギーは「疑いと分離」です。
「疑い」を推し進めて行きますと、他者を疑うことから、自分の存在さえも信じられなくなっていきます。
全存在の存在意義さへ分からなくなっていきます。
そうして光の不在の中で孤立します。
現代人は多かれ少なかれ、そういう「存在する」ということに対する疑惑に囚われてしまう時期を潜ります。
「我思う、ゆえに我あり」ということで、己の存在を「思念」に求めます。
そういう形で思念を太らせることが今の哲学であり、精神活動であり、学問体系なんですね。

でも、「思念」こそ悪の入り込む余地です。
なぜなら、悪の温床は「不信」であり、不信は人間の「思念」が作り出すものだからです。

ですから、禅では人間の思念という思念を徹底的に頭の中から掃き出すことを、その修行の根本におきます。
思念をすっかり吐き出すと、ぽかんと空が広がり、世界との一体感が如実に悟られると言われています。

なかなか厄介です。
考えるという行為を放棄して生きるには、今の世の中は危険すぎます。
あらゆる罠、策略、迷路が張り巡らされています。
しかし、一度考える方向を間違えますと、疑念、不信、絶望がたやすく生み出されます。

悟ることも、不毛な思念から逃れることも出来ないで、人々は世の中に放り出されています。

「愛と調和」
これほど口に出すことも、理解することも簡単極まりないことから、かけ離れたところに人々は来てしまいました。

急速に変わりつつあるなという気はしていますが、速度を上げなければいけません。
そんな感じがしています。
焦ることではなく、見るべきものをきちんと見、感じるべきものをきちんと感じる。
それに尽きるような気がしてます。


宇宙創造

2006年07月22日 | スピリチュアル
どうも時の経つのが恐ろしいくらいに速いです。
先週の連休には色々な人たちと高千穂巡礼の旅に行って、帰ってきたと思ったらもう週末です。
いろいろなことが整理されないまま、次へ次へと動いて行っている感じです。

高千穂の帰り、バスの中でネネさんと龍神様が動いているような気がするというような話をしていたら、
その二日後には天竜川が決壊しました。
インドネシアでも高波が襲いました。
地震、洪水、大雨などはみな龍神様の受け持ちです。
そこで生活する人間にとっては災難ですが、龍神様から見れば浄化のために動かれているらしいです。
この浄化の流れはしばらく続くのかもしれません。

先日、アマゾンであるCD(「アヴェマリア集」)を探していたら、偶然ある本を見つけなんとなく購入しました。
その本の語るところは恐ろしく悠久の昔からの宇宙の成り立ちと、人間の魂の遍歴です。
この3次元の肉体をまとう以前の人間は(レムリア、アトランティス時代)思うだけで瞬間移動できたり、
現世で言うところの動植物を遺伝子工学を駆使して創造できたり、神々の意思と結ばれていたりと、
文明的にも精神的にも今よりははるかに進んでいました。
その頃の人間の魂の名残が僅かにピラミッドやマヤ・アスカ文明に残っているというのです。

こういう話は、あれこれの本で読んではきていました。
日本でも偽書とされて学会からは見捨てられた「竹内文書」のワールドワイド版みたいなものです。
興味深いのは、神は自らの意を顕現するものたちとして天使たちを創造するわけですが、
ルシファー、今で言うところの悪魔の大親分ですが、これも大天使の一員として誕生しました。
「善と悪がある」という知識、観念、二分論は人間の魂が扱うべきものではなかったのですが(旧約聖書で言う禁断の果実)、
ルシファーの策略で長い時間をかけての人間の魂はその善悪二元論に犯され、波動が重くなっていき、
今のように3次元の肉体を持つようになりました。

それからというもの、人々の魂は「ああでなければいけない、こうでなければいけない」「悪を許すな」
「悪いことをすれば罰を受ける」「あの神はニセモノでこの神はホンモノだ」などと、
ひたすら己の正義、真実を正当化することにより、他者を否定するという歴史を繰り返すようになりました。
自分の正義を主張すれば、他者の不義を攻め立てずにはいられなくなるのは当然です。
そうして、人は人と殺しあう時代が長く続きました。

そういう愚かしい人間たちのカルマを一切に引き受けようと自ら磔になったのがキリストです。
そういうカルマから抜け出すことを一心に説いたのがブッタです。

そらからまた、2千年以上が経ちました。
いまだに人々は他者を責め、戦いに飢えているかのようです。
今必要なのはブッタやキリストのような救世主ではありません。
一人一人の心の中にいる、というか、ずっとい続けた神の声を聞くことだ、とその本は言います。

こういう言説は、考古学的、天文学的、歴史学的、心理学的、医学的、物理学的、どのような学問の検証にも
耐えうるものではもちろんありません。

でも、ぼくなんかはそうなんだろうな、そういうふうになっていたんだろうなと素直に受け止めます。
心がなんか変だ、嫌だ、不快だと思わない限り、ぼくはなんでも素直に受け止めるタチなんです。

まだ書きたいことがあるのですが、次回にします。

ハートとマインドについて。←何を書くのか忘れてしまうので、亡備録です(笑)




祭り

2006年07月14日 | 雑感
会う人会う人が暑い暑いを口にする今日この頃です。
空の感じからすると、梅雨が明けていそうですが、どうなんでしょう。

今日から祇園祭が始まりました。
子供たちの黄色い声が太鼓の音に混じって聞こえてきます。

ビールが飲みたくなりました。
ちょっと買ってきます。

ビールと一緒に焼き鳥も買ってきました。
街には浴衣を着た女の子が目立ちます。
着物を着た女の人というのは、それだけでしつけも性格も良くなったように見えるから、あれです。

太鼓がドドンドドンと聞こえてきます。
幸せな気分です。

取り立てて書くこともないので、今日はこの辺で。

祇園太鼓

2006年07月13日 | 雑感
本格的に暑さがやってきました。
ビルの中は冷房が効いているからいいものの、野外で働く人は体力の消耗激しいでしょうね。
水分を一杯補給して、乗り切りましょう。

昨日1時ころ目が覚め、眠れなくなったので5時には滝に向かいました。
滝場につくころには東の空が茜色に染まり、西の空には青白い月が浮かんでいました。
いつまでも入っていたいほど気持ちのいい滝でした。
でも、着替えている時なんか、蚊がわんわんと寄って来るのには閉口しました。

昨日和骨董が売れないと書いたのですが、今日根付5個と小仏像一体が売れました。
大変有難い流れだと合掌です。

それから、お客さんから現在の永平寺の管主である栴崖奕保老師の直筆の般若心経を頂きました。
近頃、禅関係の本ばかり読んでいたので、大変有難い感じがしました。
一字一字きちんと丁寧に書かれていて、心がすとんと落ち着くような字です。

財布を失くしたので裸でお金をポケットに入れていたのですが、ふとニセモノのルイヴィトンの財布を
中国旅行のお土産にと貰っていたことを思い出しました。
ちらっと見ただけでニセモノだと強烈に自己主張するような代物です。
触ると、もう不愉快なくらいにビニールビニールしています。
それを棚の奥から探し出し、ポケットのお金を入れていたら、それを見ていたお客さんが5円玉をくれました。
ご縁があるようにというおまじないです。
さっそくビニールルイヴィトンの財布にその5円玉をしまいこみました。

この時間になると、あちこちから祇園太鼓の音が聞こえてきます。
少子化のせいで練習する子供の数がどんどん減っているような感じがします。
大体太鼓というのは魔を払うという意味があったと思います。
どんどん魔を払って欲しいものです。

そういえば、一昨日ネネさんと飲んだときの話題は「魔」でした。
変幻自在に姿を変えて、人の弱みに付け込んでくる「魔」。
侮るべからず、恐れるべからず、油断するべからず、ですね。




気を読む

2006年07月12日 | 雑感
じりじりと真夏の日差しが照りつける一日でした。
中学の時は野球部で、炎天下でも平気で練習していましたが、今あんなことやったら間違いなく死んでしまいます。
2-3分太陽の下にいるだけでも、くらくらします。

財布は出てこないので、警察に届け出ました。
クレジットカードも3枚入っていたし、免許証も何枚かのお守りも消えてなくなりました。
後始末が面倒です。

和骨董が続々集まり始めているのですが、全然売れません(笑)
ひたすら店が狭苦しくなっていくばかりです。
西洋骨董の場合は売り惜しみということは全然無いのですが、和骨董の場合はなんか掘り出し物を見つけ出したという感じがして、
売れないなら売れなくてもいいやという気持ちになります。
一つ一つを愛でたくなります。
道楽化していきます。
これ以上道楽おやじ化したら危険なので、気をつけたいと思います。

でも、もしかしてこれは大変な値打ち物かもしれないという、道楽おやじ特有の欲深な幻想が芽生え始めています。
幻想に引きずられてずるずる深みにはまる心理がようやく分かり始めた今日この頃です。
なんでも鑑定団に出てくる勘違いおやじどもを笑えなくなる日も来るのかもしれません。

昨夜はネネさんと炭火であぶった魚を食べながら、ビールを飲みました。
ネネさんは年がら年中ボ~ッとしている人だと思っていたら、見ているところはビシッと見ているので少し驚きました。
そりゃ、気の流れを読む達人なのですから、人の気の揺れや動きを見逃すはずもないのでしょう。
へらへらしながら人の気を読む。
達人です。

そんなこんなで、慌しく今日も暮れていきました。








能天気

2006年07月11日 | 雑感
昨日はお客さんとスッポンを食べに行って、その後2軒行って、目が覚めたら道路の上で寝ていました。
夜が明けていて、しばらく自分がどこにいるのか分かりませんでした。
財布がなくなっていて、落としたのか取られたのかどこかに忘れてきたのか、分かりません。
まぁ、いろいろあります。

昔、1700万円のダイヤモンドリングを落としたことがあります。
それ一点だけを持ってお客さんのところに商談に行き、なかなかの感触をつかんで帰ろうとしました。
車に乗り込む時、ドアを開けるために手に持っていたリングケースを車の屋根に置き、そのまま乗り込んで発車させてしまいました。
車の屋根に置かれたリングケースがどこで落ちたか分かるはずも無く、諦めました。
警察にも一応届けましたが、出てくるとは思えませんでした。
そのとき勤めていた会社に、一生奉公しなければならないと覚悟を決めました。
で、一週間くらいたって、警察から電話があり、ダイヤモンドが見つかったと連絡がありました。
道路沿いの自転車屋さんが届け出てくれたのです。

ちょうど自転車屋さんの前にリングケースが落ちたのでしょう。
開けてみて、1700万円の値札がついたダイヤを見て、さぞかし驚いたことと思います。
本物かどうかを訝ったでしょうし、届けるかどうかも迷ったでしょう。
とどけるまでに一週間程経っていたのが、自転車屋さんの迷いを物語っていました。
ぼくはもちろん感謝して、自腹で数十万の謝礼をさせてもらいました。

関西やら東京やらに商談に行く時は、バックの中に億を越える商品が入っているわけです。
そりゃ、心配しだしたらキリがありません。
引ったくり、置き引き、置き忘れ、ホテルの中だって心配し始めればキリがなくなります。
お客さんや取引先の人と酒だって飲むわけだし、心配性の人は勤まらないかもしれない仕事でした。
ぼくはどういうわけか心配するということがあまり無いタチでしたが。

疑ったり心配しすぎると、疑わしいことや心配していたことが実際に起きてくるというのがぼくの持論です。
能天気が一番です。←無理やりな結論

そんなこんなで、今日も暮れようとしています。



因縁

2006年07月08日 | スピリチュアル
台風が接近中です。
地盤が緩みっぱなしのこのあたりの山間部は要注意です。

先日、二人の知り合いの方から、前世を見る人を紹介してくれと言われたので紹介しました。
一人は首が急に痛くなったとのことで、なんか因縁めいたものを感じていました。
もう一人は、今のご主人とのご縁を知りたいとのことでした。

首の痛くなった方は、お父さんの具合が悪いために、以前ある霊能者の所に祈祷に行ったらしいのです。
その時に、なにか霊みたいなものがその方に「封じ込められた」らしいです。
それで首が痛くなっているそうです。
その方は霊能者の所に行ったこと自体もすっかり忘れていたらしいですが、そう指摘されて得心がいったそうです。
「封じ込められた」というのが、どういうわけで、どういう事情でそうなったのかは分かりませんが。

ご主人とのご縁を知りたかった人も、前世での関係を知らされて、心から納得したそうです。
その後主人がつい先日急に亡くなりました。
前世での関係を知ったからこそ、ご主人の亡くなったという事態をも、受け入れることが出来たみたいです。

なんか嘘みたいな話ですが、ここ数週間のうちに実際に起きたことです。

他人とのごちゃごちゃした関係、いわゆる腐れ縁みたいなものや、人の好ましくない習性や傾向というのは、
前世の因縁が持ち越されることが多いようです。
言ってみれば、今生の課題として持ち越されるみたいな感じです。

前世が虚無僧だったらしいぼくが、こうやって曲がりなりにも仕事をしているというのは、
課題にチャレンジしているということかもしれません。
虚無僧というのは、言わば世捨て人です。
世を捨て、世から捨てられた人です。
現実生活を「虚仮」と見た人です。
ですから、なかなか仕事やなんかに打ち込むという情熱が乏しいわけです。
それでも、どうにかこうにか仕事を仕上げて行こうとは思っています。

美輪さんや井原さんの活躍のお陰で、こういう話もブログで書いてもあまり抵抗を感じなくなりました。
一昔前までは、絶対に書かなかったでしょうが。

今まで、とてもよい資質を持った人たちが些細なことで躓いたり、転んだり、
場合によってはそのまま起き上がれなくなった様を見てきました。
ぼくだって、そりゃもう何度もド壷にはまりそうになりました。
何とか今やっているのだって、決して自力ではありません。
常に人や何かのご縁に助けられてきた自覚があります。
理屈で片付く問題で、人は躓いたり転んだりはしません。
理屈で説明のつかない情動や衝動や気まぐれで人は躓いたり、転んだりします。
それが前世からの因縁のもたらすものなら、それをそれと知っておくと、ずいぶんと道行きが明るくなります。

なんでもかんでも因縁話にしたらいけませんが、まぁ、大きな壁にぶち当たった時は解決の糸口があるかもしれません。



潮時

2006年07月07日 | 雑感
雨が降ったり、ミサイルが降ったり、大変です。

ところで、7月から煙草が値上がりしたので、買い置きした1カートンを最後に禁煙するつもりです。
あくまでも、つもりです。
今日最後の一箱になりました。
以前、寺に2週間こもったときが最長の禁煙記録です。
吸わなくても死にはしないのですが、禁煙後数日間が一番キツイです。
でも、そろそろ潮時でしょう。

何で人は煙草だの酒で身体機能を麻痺させて喜ぶんですかね。
十全に世の中に関わって、生き生きと生きていたら、身体を駄目にしようなんてことは考えも付かないんでしょうが。
まぁ、いろいろな意味で潮時です。

潮時といえば、Wカップもいよいよ大詰めです。
大好きなフィーゴのポルトガルも負けてしまいました。
ウィンブルドンのテニスも大詰めです。
ベストエイトを狙う戦いで、杉山愛が勝てるチャンスがさんざんあったにもかかわらず、勝利を逃しました。
まるでサッカーWカップでの日本チームのような負け方でした。
勝ち負けは仕方がありませんが、やっぱり悔いを残したらいけないのでしょう。
悔いが残ると、それまでの人知れない練習やら努力やらが報われません。

アジア外交も潮時でしょう。
歴史の捏造に基づいた反日教育やら、プロパガンダやらは、まぁこちらからとやかく言うことは難しい面がありますが、
明らかに威嚇的にミサイルを打っておいて、日本のせいだと開き直る姿勢を受け入れるわけにはいきません。
日本の姿勢を明確に内外に示しておかないと、ますます問題をこじらすことになります。
姿勢を明確に示すことによって、はじめて交渉が始まります。
スポーツの世界ならやり直しも出来ましょうが、この時点で外交姿勢に悔いを残すようなことがあると、禍根を残しかねません。
今まで、日本の外交ではわけの分からない妥協が多すぎましたが、意味不明の妥協はこの時点では非常に危険なものになりえます。
相手国の目測を見誤らせては、問題を拡大深化させてしまいます。

ぼくの周囲の人もいろいろな意味で潮時を迎えている人が多いです。
もちろん、ぼくも潮時なんでしょうが、今ひとつピンとこないでいます。
まぁ、禁煙から始めましょうかね。





流れ

2006年07月01日 | 雑感
今朝も月初めの恒例のお宮参りに行ってきました。
最初の神社で祝詞を上げていたところ、速攻で3箇所蚊に食われました。
なんだかなぁーと思いましたが、めげずに次ぎの神社へと向かいました。

近頃、知識もないのに和骨董を買い集めています。
骨董や美術品というのは不思議なもので、自分のお金で買い集めてみないと知識が身に付きません。
本をいくら読んでもだめです。
特に日本美術というのは雰囲気や味わいがその魅力を左右しますから、実物を見ないと違いが分かる人にはなれません。

で、その中のひとつに、なんだかこれはとんでもないものではないかと思わせられる壷があります。
涼しげな白地に驚くほど細かい花唐草紋が上品な藍色でびっしりと描きこまれていて、その上を白い龍が巻きついています。
色々資料を当たってみたのですが、今のところ類例がない感じです。

5-60cmはある大皿も3枚買いました。
狭い店の中に置き場所がなく、床にじかに置いています。

今まで和骨董にはどうも興味が持てなかったというか、扱う気がしなかったのですが、なんかそういう流れになりました。
流れを作るのは苦手ですが、流れに乗るのは得意です。
売れる見込みは全然ありませんが、流れというのはそういうものです←意味不明

と、アサヒの「プライムタイム」というビールを飲みながら書いています。
あまり美味しくありません。
紺地に金文字という如何にも高級そうだったのですが、少し期待はずれでした。

小泉首相がアメリカで大歓迎されましたね。
なにかというと羽目を外す小泉首相を見守るブッシュ大統領の目が心からうれしいというか、楽しげなのであれです。