風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

自分勝手

2007年09月28日 | 雑感
再び雑誌「致知」の記事からの話題ですが、ある老歌人のインタビューが載ってます。
インタビューの最後に歌人を目指す若い人に向けてのメッセージを乞われて曰く「勝手にやれ、この一言しかないね」

ぼく好みの答えです。
歌というのは眼前の光景に対する感度と言葉のセンスの問題ですから、
なかなか「教える」というのはできない世界でしょう。

「教える」ことのできるのは、やはり読み・書き・算盤くらいなのかもしれません。
万事、基礎と型を教えることはできますが、その基礎と型に生命を吹き込むのはやはり一人一人の意志と努力にかかっています。
ましてや「生き方」を教えることなどできるはずもありません。
近頃ですと、何かにつけ個性と自由尊重の風潮で、生き方の基礎と型を示すことさえ憚られますから、尚更です。

そもそも大抵の人は勝手にやれと言われずとも勝手にしているものです。
ただ、自分が勝手にしている自覚がない場合が多いですが。
学校や職場に行って大人しくしているから勝手にしていないわけではありません。
勝手に学校や職場に行って大人しくしているだけです。

何が言いたいのかというと、「勝手にする」という自覚と覚悟を持って勝手にしたほうがいろいろな意味で実りが多そうです。
勝手にするのだから、全ての責任は自分にあります。
学校なり職場なりで、どう考え、どう振る舞い、どういう結果を経験するのかは本来全て自分で決めています。
それをだれそれがこう言うからだとか、そうするものと決まっているからだとか、受身で仕方なく時間を費やしますと、
大抵はつまらない日常になりますし、そのつまらなさはだれそれや規則のせいに転嫁することになります。

どんな生きかたをしようと、その生き方の責任を他人が取れるわけがありません。
どうせ自分が責任を取るのなら、取りたい責任を取ればいいわけです。
それを一言で言えば「勝手にする」ということなんだろうと思います。

ただ、責任を取るわけですから、勝手にするを放縦にすると取り違えるとお決まりの悲惨なことになります。
勝手に色々な生き方の基礎と型を学び、勝手に人と関わり、勝手に反省し、勝手に成長する。
勝手を逆手にとって、どんどん吸収するという方が賢明でしょう。

勝手にする達人になれば、自分の人生が自分のものとなるのでしょう。
だから「勝手にやれ」と言われて不貞腐れるようでは、自分からまだまだ依存心がありますと告白するようなものです。
依存心は自らの自由を手放すことにほかなりません。
大いに勝手に生きましょう。
でも、責任は全て自分にあることは忘れずに、ですね。

ランボー

2007年09月22日 | 雑感

 見つかったぞ!
 何がだ? 永遠。
 太陽にとろけた
   海。   

これは有名な「永遠」というランボーの詩の一部です。

10代で詩を書きなぐるように書いて、その後は文学をきっぱり捨て、中東、アフリカを放浪します。
最後は武器商人になり、37歳で骨肉種であっけなく死にます。
若いころの写真はある種の魅惑的な風貌をしていますが、死に際の写真ではやせこけた貧相な男です。

中原中也が強烈に憧れを持った詩人です。
強情でセンチメンタルな中原中也と違って、ランボーは感傷をぶちきるしたたかさがありました。

10代で「永遠」を感じるような魂は、どこへ行っても満ち足りることなく、自分の存在に違和感を感じていたでしょう。
魂はどこまでも自由で、陶酔を求めますが、現実はどこまでも重くて湿っぽいです。
こういう魂には現実的なものがことごとく嘘っぽく見えます。
張りぼての茶番に見えます。

なぜランボーのことなんか書いているのかというと、昨日書いた「一体感」を考えていたからです。
おそらくランボーの生まれ持った自由自在の魂は、見る風景と瞬時に一体となり、陶酔することができたのだと思います。
その陶酔から覚めて改めて見渡す現実の世界が退屈でたまらなかっただろうと思います。

退屈な世界を耐え忍んで、心を自由自在に開いていく求道者ではありませんでしたから、
若くして生活破綻者にならざるをえませんでした。
現実というのは、彼の味わう瞬間の陶酔の前では、無意味でした。

日常の辛酸を嘗めながら、年を経るごとに日常のありがたさに気が付いていくというのは、
ある意味大変恵まれた人生のコースなのかもしれません。
最初から花が開いて見えるというのは、ある意味残酷なことなのかもしれません。
あとはしぼんでいくのを見ているしかないのですから。

一体感

2007年09月21日 | 雑感
相変わらず真夏の暑さが衰えません。
こんなんじゃ、張り切って空に飛び出した赤とんぼもあまりの暑さにへたれてしまいますね。

昨日は娘の満一歳の誕生日だったので、ケーキを買って早めに帰宅しました。
そしたら買い物に行っているのか、誰もいませんでした。
仕方がないので、ベランダに出て焼酎を飲みました。
それにしても見事な夕焼け空でした。
オレンジ色の雲が町の上空を覆って棚引いています。

画家やカメラマンという視覚が発達した人ならその光景をそのまま記憶にとどめることが出来るのでしょうが、
残念ながらそういう能力のないぼくは、きれいだなぁ~と口を開けて見ているだけです。

神々しい、そんな感じの夕焼け空でした。

例によって、心の中に細々とした雑念やら心配事やらが詰まっていますから、
そんな光景をそのまま心に入れることができないもどかしさがあります。
心が空っぽなら、見ている風景と一体になれるのにと思うと、なんだかもったいない気がしました。

今の世の中、心を空っぽに生きるのはなかなか難しいですね。
計算高いのは嫌ですし、疲れますが、ある程度計算ができなければ無能になります。
無能でいる覚悟さえ持てないで、宙ぶらりんです。

「無」というのは心に一片の事物の影も宿さない代わりに、その時々の「全て」を心の風景として受
け入れることができるという意味で、「無限」でもあります。
無心の心には瞬時に移り変わる風景が流れているだけですが、その風景はどこまでも豊潤です。
心が雑多な想念で埋め尽くされていますと、目は風景を追いますが、心にはなにも入ってきません。
「夕焼け空」だという記号の認識があるだけです。

心を一杯に拡げて、五感が捉えた対象と一体になることができると、至福を感じるそうです。
我彼の壁がなくなり、世界との一体感に包まれるそうです。

よたよたと歩き回る娘は今のところは世界との一体感に包まれているのでしょうか。

出雲Ⅱ

2007年09月19日 | スピリチュアル
連休は出雲に行ってきました。
日本のそばをかすめて行った台風の影響か、空模様がくるくる変わり、そんな雨と雨の間を縫うようにして参拝してきました。

一日目

日御碕神社: ご祭神 日沈宮 アマテラスオオミカミ、神の宮 神スサノオノミコト

       日沈宮でネネさんの舞の奉納。
       いつにもまして、大きな暖かいエネルギーを感じる舞だ。
       その後、近くの海岸で夕日を眺めながらの禊。
       ワイナリーでワインの試飲。
       夜は例によって宴会。

二日目

出雲大社:  ご祭神 大国主命

       本殿の横手に回ると、苔むした茅葺の屋根の美しさにしばし立ち止まる。
       本殿の裏手にあるスサノオノミコトの社は峻厳な神気に満ちている。

須佐神社:  ご祭神 スサノオノミコト、イナダヒメノミコト、他

       拝殿で手を合わせると頭の中がグラグラするような感じ。
       本殿裏の杉の巨木は半端じゃない。
       誰かがずっとそこにいたくなるといっていたが、同感。  
       道を挟んで、小ぶりのアマテラスオオミカミを祀ったお社があったが、そこもいい感じ。
       江原さんが本で紹介したせいで、駐車場は混み合っていた。

そんな感じでした。

スサノオノミコトを祀る神社は初めて参拝しましたが、波動が独特で強い感じを受けました。
なんでもスサノオノミコトを祀る神社でお願い事をすると、いいことよりも厳しい試練を与えるそうです。
御魂磨きを厳しく迫る神様のようです。

帰路、食事のために立ち寄ったドライブインで見た日本海は、荒々しくザ・山陰という感じでした。

色々エピソードもありましたが、知らない人が知らない人のエピソードを聞いても面白くないでしょうから割愛です。

今後はあれこれ色んな神社を回りたいというよりも、相性のいい神社にたびたび感謝の誠を捧げに行きたいと
思うようになりました。
でも、どこが相性のいい神社なんだろうかと考えてみると、ちょっとまだ分かりませんが。

まぁ、カンナガラです。


 

       


出雲

2007年09月15日 | スピリチュアル
明日から一泊で出雲に行きます。
日御碕神社でネネさんの奉納舞をして、出雲大社、須佐神社に行きます。
個人的には佐太神社に行ってみたかったのですが、今回の行程には含まれていませんでした。

日御碕神社は、去年か一昨年に滝の仲間と行ったはずなのですがまったく記憶にありません。
あるいは岬までは行ったが、神社には参拝しなかったのかもしれません。
う~ん、でもそんなことはありえないと思いますけど。
岬から数十メートル離れた岩礁に鳥居と小さな社があり、それが天照大神の社だと知って驚いた記憶はあります。

今回はスサノオノミコト様ゆかりの神社ツアーです。
天界から幽界まで自由自在に動ける唯一の神様だということです。
どんな気が神社に満ちているのか、楽しみです。

初めての和歌であるとされるスサノオノミコトが詠んだされる歌も奉唱するそうです。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」

その八重垣をどうするという歌なのかよく分かりませんが、朗々と奉唱する予定です。

政治と個人

2007年09月13日 | 雑感
さて、安倍首相の辞任です。

メディアの取り乱した報道を見ると、今後の政治がまったく期待できなくなりました。
誰がどうとかこうとかの話ではありません。
この人たちは日本という国をどうしたいのだろうかというのが見えてきません。
それを取り巻くメディアがなんというか、国民を差し置いて勝手に火をつけまくっている感じがします。

官僚制度に手を入れようとした矢先に、相次ぐ大臣の不祥事のリーク。
こんな政治手法を是としたら、各方面にくまなく手を回すような、旧態依然とした政治家しか生き残れません。
もちろん違法は違法で処分したらいいのですが、大臣になってから待ってましたとばかりにその違法性をリークして、
政権を揺るがすという三流の政治が延々と続くのだろうかと思うと、うんざりします。

今は天下国家を論じて、その正義感や正当性を判断してもらって、票を集められるような時代ではありません。
正義感などは胡散臭い目で見られるのがオチですし、選挙制度自体がそうなっていません。
メディアへの露出度、組織票、バックにある利権、そんなところで選ばれているわけです。
新聞をいくら読んでも、候補者の考え方や具体的な政策方針を知ることはできない選挙です。

今後、誰が首相になってもこういうスキャンダルで足を引っ張り続けるのでしょう。
清廉潔白を政治に求めるのなら求めればいいです。
でも、政権が崩れるたびに日本の政治的決断が不在になって行きます。

無責任だ、無責任だと大声で騒ぐ人。
「和をもって尊し」の精神がこの国から消えてしまったのでしょう。
自分がどういう貢献をするのか、できるのかをまず考えるのが政治家の資質と思っていました。
無責任だと罵れば、政治の低迷は収まるのでしょうか。

国民はいろいろな意味での国民の暮らし向きの向上に興味があるのであって、政局の変化自体は二の次三の次です。
自民党でも民主党でも、国民の福祉により多くかなえる政策を持つ政党に投票するだけです。
でも、メディアの報ずる情報というのは政局がらみになる政策ばかりです。
国民は野次馬ではありません。
日本という国に生を受けた生活者です。
あまりにも小馬鹿にした政治と報道のあり方だとぼくは思っています。

もとより、政治というもので個人の幸福が左右されるものだとも思っていませんし、左右されるべきでもありません。
あまりにも馬鹿げている時は馬鹿げていると一人一人が確認する必要があるのかもしれません。

宗教組織

2007年09月11日 | 雑感
宗教は地上の苦に満ちた生活からの解放を目指したものと言えるでしょうが、
人間を苦に縛り付けたのもまた宗教だったのかもしれません。
正確に言えば、宗教そのものではなく、宗教組織が作り上げた教義が、ですが。

仏陀もキリストも平明で聞く者の心に染み入るような話をしていたのではないかと思います。
それをかくも小難しく、身に付きがたい教えとなったのは、仏教教団、キリスト教会そのもののせいなのではないかと思います。
宗教に限らず、「組織」というものになると必ず派生する信者のコントロール術が生まれます。
「組織」が拡大すればするほど、教えそのものよりも、信者コントロールのための規則だの戒律だのが発達します。
規則だの戒律だのが発達すれば、それを破った時の「罰」に対する恐れが生まれます。
「恐れ」を持ちながら、「利他行」だの「隣人への奉仕」だのをしようとすれば、心は純一性を保てません。

もちろん、そんな反省からか、宗教組織ないから純一性への回帰を求める運動もありました。
例えば「禅」などは徹底的に心の本来の透明性を確認しようとします。
しかし、「禅」でも教団になれば、その求道の徹底性が薄れていくのは避けられないのでしょう。
おそらく、キリスト教でもプロテスタントなどは原点回帰の運動であったという側面を持つのでしょうが、
教団経営となるとやはり「組織」の弊害というのが、教えの鮮烈さを失わせていくんだと思います。

具体的にどのように「教え」が変化していくかというと、「救いと解放」がメインであったはずの教えが、
「戒律と脅かし」に変わって行きます。
自分の心のあり方でこの世が浄土(天国)になるという教えから、「~すると地獄に落ちる」という教えに変容して行きます。
喜びと安心であった教えが、不安と恐れを与える教えに変容して行きます。
心が喜びと自由で充たされるはずが、教えを守れない信者としての自分への自責と不安の念に駆られていきます。
信仰心が足りないからだ、と更に教団にすがり付いて行きます。
自分と天との直接の会話が大切であったはずが、いつの間にか教祖や仏像やマリア像を拝むようになります。
自分の心の点検と浄化が必要であったのに、いつの間にか信じれば救われるという依頼心が強くなっていきます。
そんな感じでしょうか。

その辺りを気づいた人間(例えばルター、ニーチェ)は教会を激しく攻撃しました。
道元禅師は中央から遠ざかり、良寛さんは山に篭りました。
そして今では宗教そのものに不信感を抱く者が大方である時代となりました。
仏陀やキリストは間違っていることを言っているとは思えませんが、教会や寺を信頼する人がいなくなったのかもしれません。
教会や寺を信頼しないからといって、神仏の世界を信頼しなくなるというのは、本来は話は別なのですが、
宗教的なもの自体にアレルギーを持つ人が増えました。
これが教団という組織が作り出した大きな罪ではないかとぼくは思います。

神仏、天の摂理、宇宙の法則、言葉は何でもいいのですが、そういう人知を超えた仕組みがあるのではないかという
想像を巡らすことのない人間は、自分の「欲」の歯止めを持ちようがありません。
法律に触れそうだとか、人目が悪いとか、そういう自分を中心にした理屈で「欲」に歯止めをかけるくらいでしょうか。
言うまでもなく、自分の「欲」に振り回される状態が苦しみであり、心の陰りです。
宗教の本来の教えはその目先の「欲」からの解放を目指したものとぼくは思っています。
その時々の自分勝手な都合で歯止めをかけたところで、「欲」の作り出す不足感、妬み、怒りが消えることはありません。

「欲」を消すことはできませんが、「欲」に従わなくても楽しく明るく生きる方法を宗教は説いたのだと思います。
その方法を知らないばかりに、取り付かれたように「欲」に振り回されていたのが、今までの時代だったかもしれません。
「心が喜びと自由で充たされる生き方がある」
そういう教えを、その教えを教えるべき教団組織というのが結果的に台無しにしたとするなら、その罪は深いです。





無宿人

2007年09月10日 | スピリチュアル
前回のブログで書いた台風時に中州に取り残される人々は、そのほとんどがホームレスの人たちだったようですね。
情報が遮断された中、みるみる水嵩が増し、濁流の中に取り残されたみたいです。
不謹慎なものの言い方をしまして、すみませんでした。

ホームレスの人たちを昔流で言ったら、無宿人なんでしょうね。
前にも書いたかもしれませんが、昔だったら山や森の所有者が一々決まっていないところもたくさんあったでしょうから、
木の実を食べ、渓流の水を飲んで、飢えを凌いで生きていくこともできたでしょうが、
今は森や山でも迂闊に入れば不法侵入で逮捕されてしまいますから、ホームレスの人たちも必然的に都会の公園や中州に
集まってこざるを得ないのでしょう。

一時ぼくも果てはホームレスにでもなるしかないかなぁ~、などと思っていたこともありますから、
今の世の中でどうしたら無宿人になることが可能なのかを真剣に考えたこともありました。
都会でダンボールの家に住む以外に、どうも方法はなさそうです。
無宿人のロマンティシズムの妙味が著しく損なわれます。
いつ死んでもかまわないが、人の目に触れず、人の世話にもならず、ひっそり死んで行きたいという願いは無理です。
今時そこらで野垂れ死にすると、大いに人に迷惑をかけそうです。

なんやらかんやら窮屈な規則や法律でがんじがらめの世の中です。
そういう規則や法律からはみ出た人間にとっては、甚だ生き辛い世の中ではあります。
だからと言って、規則や法律を緩めたら、なおさら世の中の混沌と腐敗は加速するであろう今日この頃です。

かつてのネイティブ・アメリカンを手放しで美化するつもりはありませんが、
彼らは文明の便利さよりも自由であることを選んだのは確かに言えることだと思います。
馬で風を切って草原を走り回る自由を手放そうとはしませんでした。
勇敢な戦士たちを大勢殺し、決して肥沃とはいえない居留地に彼らを押し込めた結果、
彼らの大部のものが無気力にアルコール中毒や薬物中毒に陥りました。
その後遺症は今でも継続しています。
ある種の人間にとっては、「誇り」を奪うことが致命的になりうるのです。

「誇り」などはかなぐり捨て、自分のために何かを得ること=自利に奔走する姿が当たり前の世の中になりました。
何千年も説かれ続けてきた「利他」とが「隣人への奉仕」とかはあいも変わらず風前の灯です。
居留地にうずくまって、ウイスキーをたらふく飲んだ目で、青い空をぼんやり眺めている人たちの気持ちが
少しはわかるような気がします。

終わりのない競争を必要とし、法律や規則で人の意志をがんじがらめに縛り付け、勝者は傲慢になり、敗者は不安に脅える。
そんな修羅の社会が当然として今の人たちは生きています。
しかし、地球は本来天国として作られたのではなかったのか。
それを訴えたのが、ブッタでありキリストであったのではないでしょうか。
そんな現状はどうであれ、天国は心の中に作れます。
でも、本来は、現実のこの地球も天国であったような気がしてなりません。
火や、水や、風や、大地を見ていると、それらはまさしく天国の構成要素足りえます。
それを汚しまくった人間の想念の元はなんだったのかを突き止める必要がありそうです。

お役目

2007年09月07日 | 雑感
台風は関東直撃でしたね。
台風の進路コースを見ていると、お~富士山直撃だ~、などと思っていました。
でも、いつも不思議に思うのは、川の中州に取り残されてヘリコプターで救助される人。
台風が接近しているのに、川の中州でなにをしていたのでしょうか。
それから、ニュースで必ず流される駅や空港で乗り物に乗れなくてうんざりしている人々の姿。
どうしろというのでしょうか。

さて、人はおそらく自分の「役目」というのを知りえたときに、大きな喜びと生きがいを感じることができると思います。
逆に言いますと、自分の「役目」を勘違いすると悲劇が生まれるというか。
身近でよく聞く話では、医者の息子が医学部を目指し、入学前にあるいは入学後に挫折し、すっかり自信を失う。
大学までは順調に進んだが、せっかく就職した大手企業の就職後職場になじめず引きこもる。

こういう例は、医者とか大手企業のエリートサラリーマンとか、肩書きとやりたいことが一致しなかった例ですね。
医者とかエリートサラリーマンになりたかった人がそうなれば、正に意気軒昂と人生の歩みを進んでいけるでしょうが、
そうでなかった場合の精神的苦痛は当人しか分かりません。

進路の自由度は高まったように思えますが、そうでもない気がします。
時代の花形ではない職業、例えば農業、林業、漁業、職人などの業種への社会のまなざしは決して温かいものではありません。
篭って本を読むのは苦手でも、手の器用な人や、土いじりが好きな人や、黙々と何かを生産するのが好きな人は、
なかなかその方面の長所を生かせるような職業選択の自由度が高いとは決して思えません。
そこで、なんとなく時間稼ぎのために大学に行き、漠然と就職をしてしまい、これでいいのだろうかと思いながらも、
生活のため、両親に心配をかけない為、などの理由で社会人生活を送ることになるのがほとんどかもしれません。
どうしてもその社会生活になじめない人は、いわゆるニートとして社会の片隅でひっそりと自分と社会の在り方を見つめています。

「役目」というのは自分のしたいこととイコールかと言えばそうとは限りません。
だいたい自分のしたいことということを野放しにすれば、ほとんどはタダのわがままでしかありません。
世界中を旅行したい、色々な人と関わりたい、自分の個性を伸ばしたい。
どれもが本来は自分の職を通して実現できることです。
職を放棄したところで「したいこと」というのはその人の勝手な願望です。
そこのレベルでは「役目」というのは意識に現われてこないです。

おそらく「役目」というのは、与えられた職を遂行する能力を前段階とし、その段階をクリアした人間に、
社会的な役割としての「役目」というのが意識に上ってくるものだという風に思います。
どんな職業に就いたとしても、その職業上の任務をきちんと遂行できないうちは、愚痴、悩み、不満の渦に翻弄されます。
社会的な役割を担える強さ、責任感、喜びのエネルギーというものに欠けます。
そういう段階では、「目の前に与えられた状況」こそがクリアするべき状況であるということを学ぶ必要があります。
目の前に与えられた情況から逃げ出そうと考えるうちは、状況は悪化し、泥沼化するばかりです。

いかなる状況でも、その状況は自分次第で変えうるということを充分に学び終えると、
今度は単なる職場から社会における自分の役割という視野が開けてきます。
職場での試行錯誤は、社会での何かを役割を担うに当たっての試行錯誤をクリアしていく過程に大いに役立つことを知ります。
ここまで来ますと、家庭も職場も社会も世界も一繋がりであることを自覚します。
あとは、自分がどういうあり方で生きていくか、というのが最も大きな課題になります。
もはや状況は自分が作るもので、状況に左右されませんから、あとは「自分がどう生きるか」を決定するだけになります。

「自分がどういきるか」を決定した後は、あとはその自分の下した決定に沿って誠実に生きるだけです。
この段階で、やりたいこととすべきことがほぼ重なっていくことでしょう。
そしてその生き様の積み重ねが、人に有益であったり、魅力的であったりすると、人から評価されますから、
次第にどうやらこれが自分の「役目」らしいと思ってきます。
つまり、「役目」というのは自分でこうだと思い込むことではなく、人の評価によって定まっていくものなのでしょう。

上記は、ぼくが成功者と呼ばれる人たちの生きかたを学んだところの素描です。
ぼく自身は、職を遂行する能力で躓いていますから、偉そうなことは言えません。

ただ、偉い人というのは、本当にどんな状況でも自ら切り開き、実り豊かなフィールドに変えて行きます。
主婦だって、創意工夫で、家庭を実り豊かなフィールドにできます。
なんていったって、子供は最高の心の配りようがある「製品」ですから。
手を加えすぎてもいけないし、手抜きもいけないし、一流の職人のような研ぎ澄まされた感覚が必要です。
そんな偉い主婦は、自分が主婦であることに誇りと心からの満足を覚えるのでしょう。

そういう人たちに「お役目」が社会から、あるいは天から降りてくるのだと思います。
偉い人と書きましたが、本来はこの世に生を受けた全ての人たちに尊い「お役目」があると、ぼくは思っていますが。 








最悪

2007年09月06日 | 雑感
仕事で総額2千万円くらいの商品を知り合いの業者に貸していたのですが、
約束の期日が来て数日がたっても何の連絡もありません。
さすがに心配になりまして、昨日携帯にも事務所にも電話しましたが誰も応答しません。

これはやられたかなと最悪の事態を覚悟しました。
手を打つべき段取りをあれこれ考え、あとは流れに任せ、背負った借金を返す方策まで考えました。
なぜこの時期なのかとも考えました。
なかなか結論が出ないままに、スッキリしない心のまま神棚に感謝の拍手を打ち、店に出ました。
すると、昼過ぎに貸していた商品がそっくり全部届きました。

はぁ~。
一言連絡してくれればいいのにと思っていると、業者から電話があり実はああだったこうだったと言います。
はぁ~。
例え業者が何らかの事情で(よろしくない噂はぼくの耳にも入ってきていました)持ち逃げしようとも、
恨んだり憎んだりしても何の益もないので、そういう感情だけは持つまいと決めていましたから、平静に話ができましたが。

これも何かの学びではあります。

1.最悪の事態を想定して受け入れてしまうと善後策を冷静に考えることができる。
2.感情的に相手を断罪するのは意味がないし、できるだけの手段を着実に手を打つ。
3.いかなることがあろうとも、天の采配に感謝を捧げる。
4.どんな人間でも天の子であることを信じ、待つ。

そんなところでしょうか。
この時期2千万円という金額を背負うというのは、そりゃなんというか、重すぎるという話どころではないのですが、
終始冷静でいられたのは最悪の場合を覚悟してしまったからだと思います。
最悪を覚悟すると、あとから出てくる状況は最悪以下ではありえません。
それを最善を期待してしまいますと、そりゃもうハラハラドキドキで、ちょっと期待値以下の結果が出るとパニクるでしょう。

業者との信頼感は確かに薄れました。
こういう時に連絡をしないというのはありえないからです。
でも、こういうときに怒ったり、嫌味を言うのは得策ではないとぼくは思っています。
誰でも苦しい時はあります。
特にこの業界は今苦しい人だらけです。
ぼくもその業者から商品を買ったときに支払いを延ばしてもらったこともあります(事前に連絡はしましたが)。
苦しい時に怒られたり、嫌味を言われると、それが当然であるとはいえ、心に何かが苦いものとして残ります。
その苦いものは尾を引きます。

またその業者と商売が出来るかどうかは分かりません。
彼も苦しいなりに頑張るはずです。
また商売する時があったら、彼の心の中に苦いものを残していて欲しくないと、ぼくは思います。

甘いと言われればそれまでなんですが、苦いものを撒き散らして生き抜くバイタリティはぼくにはありません。
とにもかくにも、商品は無事戻りました。

感謝、合掌、です。



歴史

2007年09月05日 | 雑感
卑弥呼とは当時の中国が付けた当て字ですが、意味に即して漢字を付け直すとすれば「日巫女」が近いようです。
要するに、太陽神(アマテラスオオミカミ)に仕える巫女(ミコ)さんです。
固有名詞というよりも、当時の邪馬台国を治める長が巫女であり、ヒミコという役職をも表す尊称で
呼ばれていたのかもしれません。
邪馬台国というのも当て字ですね。
「卑」とか「邪」とか蔑む字を当て字に含まさせずにはおかない当時の中国のお国柄が表れています。
「邪馬台国」の「邪馬台」を「ヤマト」と読んでいたのではないかという説もあります。
この辺りのことは最近の歴史書を見れば書いてありますから、知っている方もおいでしょう。

で、ヒミコの死後、弟が継いだが騒乱が収まらず、トヨという娘が継いで国が安定したとされています。
トヨもまた巫女であったらしいです。

で、この辺りの北部九州は豊前・豊後合わせて「豊(トヨ)の国」と言ったわけです。
そのトヨの国の中央には宇佐神宮が鎮座しています。
宇佐神宮の祭神は三体ありますが、その真ん中には謎の姫神、「比売(ヒメ)大神」です。
この比売大神がトヨのことではないかという説もあります。

宇佐のすぐ近くには「中津」という市があります。
葦原の「中つ国」の「中津」ではという説もあります。

どうも神話というのはそのまま史実として取るのも、おとぎ話として片付けてしまうのもいけないみたいです。
何度かあちこちで繰り返された史実を、どこか特定の地域の物語として説いてみたり、
神の名を特定の人物になぞらえたりしたりしている可能性もありそうです。

例えば、アマテラスオオミカミという太陽神を古代から信仰していたとして、
人徳優れた巫女が現れたとときに、アマテラスオオミカミの化身だとして崇拝することもありえたようです。
太陽神としてのアマテラスオオミカミと人格神としてのアマテラスオオミカミとの混用ですね。

ヒミコ(ヒミコ)がアマテラスオオミカミを崇拝していて、アマテラスオオミカミの化身とされるほど崇敬を集めていたとすれば、
神話ではアマテラスオオミカミとして記されることになったのかもしれません。
ま、そういうこともありえたのかなと言うことです。

で、記紀神話は大和朝廷の時代に編纂されたものです。
国の実権は、九州にも出雲にももはやないころに記されたものです。
高千穂→出雲と話が流れ、そのあと急に九州から大和への東征の話になります。
もともと混乱がたくさんあった話を無理やり一本の流れに作り替えたかのような話の印象があります。
史実をまったく無視したというわけではなく、大幅な省略と創りかえと脚色があったのではないか。
皇祖をアマテラスオオミカミとするための神話的脚色とか。
スサノオとかオオクニヌシはかなりドラマティックな話を持ちながら、ふっとかき消すように姿を消します。

今のところぼく思っているぼんやりとした仮設を書きます。

縄文以前の時代から日本各地にある程度の文明力を持った部族が隆盛衰退を繰り返していた。
が、それは歴史書に記されることはなかったので、考古学的な裏づけ(ストーンサークルや三内森遺跡など)を辿るしかない。
そんな中、2-3世紀に大陸から稲作文化とともに異民族が移動してきた。
先住民との戦い、異民族同士の戦いなどを繰り返し、日本列島は戦乱の時代に入った。
その中でも幣立神社や白山神社など古来からの神の聖地は各地には残っていた。
縄文時代の終わりに、有力な異民族が大陸から別ルートで九州の高千穂と出雲に入ってきて勢力を定着させた。
高千穂の勢力は力を蓄え、トヨの国にも足場を築き、大陸との交流も深めた。
出雲もスサノオ→オオクニヌシと呼ばれる男王のラインで安定した国づくりを終えていた。

そのころ大和にはアシナガスネヒコと呼ばれる先住民族がいた。
領土的野心に燃える九州の勢力(いわゆる天孫族)は、大和を狙い始めた。
アシナガスネヒコは出雲と手を結んで天孫族から身を守ろうとした。
しかし、天孫族は強く、アシナガスネヒコを撃退し、出雲にも服従を迫った。

そして天孫族は大和朝廷を打ち立てた。
大和朝廷の草創期に深く関与したのは、やはり大陸からの移民である秦氏であった。
宇佐神宮の八幡神も秦氏の信奉する神であるという説がある。
聖徳太子を強力にサポートしたのも秦氏である。
歴史の裏側で、混乱期から建国まで秦氏が深く関与していた。

その秦氏のルーツはユダヤ民族であるという説がある。


書いていて疲れてきましたので今日はこの辺で。
まとまりのない文章失礼しました。



2007年09月03日 | スピリチュアル
猛暑のピークも過ぎたと思ったら、大雨が降ります。
昨夜も映画館を出たら大砲のような雷が鳴り、ずぶ濡れで帰りました。
街中が滝を浴びているんだなと、一人で納得しました。

「魔が差す」とか「魔境」とかいう言葉があります。
「魔」とは何でしょうか。
これは、経験上、考えれば考えるほど取り込まれていくような性質を持っています。
魔について考えることが、「魔」であるかもしれません。

巷に人知を超えた殺人が頻繁に起こります。
その事件を考えて、筋の通った解決方法が生まれるでしょうか。
否、です。
その事件を考えれば考えるほど、得体の知れないドス黒いものが心の中に渦を巻き始めます。

聞くところによりますと、神界のものは人の「喜び」「感謝」等プラスのエネルギーを吸収し、
冥界のものは「憎悪」「悲しみ」「怒り」等のマイナスのエネルギー食らうと言います。
ドス黒いものはいうまでもなくマイナスの感情です。
冥界のもののエネルギー源になるみたいです。

どちらもエネルギーとして取られてしまうならどっちも同じじゃないかと思うかもしれません。
そこが多分一番論証の難しいポイントです。
でも、シンプンルです。
「喜び」「感謝」を感じて生きる人生と、「憎悪」「悲しみ」「怒り」を感じて生きる人生と、
どちらを選びたいですか、ということです。
あとは、一人一人の選択です。
一人一人が「選択することができる」というのがポイントです。
こうでなければならない、ああしなきゃいけないとうことから、まったくフリーの状態で選択します。

感情のエネルギーを「取られる」という視点で見れば、神界でも冥界でも、どちらも同じかもしれません。
でも、エネルギーを「使うことができる」という視点で見れば、プラスの方向で使ったほうが楽しいです。

この辺りは、ホント人それぞれですので、人様のありように言葉を挟むことはできません。
ただ、どんなん状況でも人は「選択できる」ということを言いたいわけです。

ぼくも魔が差したような状況というのは、よくあります。
振り返ると必ず心の隙があったときです。
心の隙というのは、そりゃもうちょっと油断したら隙だらけなのが人の心でもあります。
怠惰、傲慢、無知、エトセトラ。
で、その魔が差した状況というのを状況のせいにせず、「自分の選択」で魔を取り込んだんだと思うと、
魔から逃れることができるように思います。

この辺りの話というのは、ケースバイケースのことの方が多いですから、話半分に聞いてくださいね。

2007年09月01日 | 雑感
今朝は滝に行ってから、お宮参りでした。
滝に入るのも、お宮に参るのも、月日を重ねればそれなりに心境の変化というのはあります。
自分で言うのもなんですが、雑なものがどんどん取れていく気がします。

例えば滝ですが、最初のころは通常と違う体験(神秘体験?)みたいなものを期待したり、
誰彼の視線を気にしたりしますが、今はそういうことは全然なくなりました。
その日、その時の尊い「滝」があるだけです。

お宮参りにしても、心の底では「御かげ」を期待したりしていましたが、今はそういうことはありません。
無事にその日、その月、その年を迎えられた感謝を捧げるだけです。

シンプルが好みのぼくにとって、物事がシンプルになっていくのは心地がいいです。
複雑さというのは「我欲」の回路だ、というのがぼくの持論です。
あればありがたく、なければないなりに、で充分幸せに生きていけるとぼくは思っています。
あれがないから、これさえあれば、こうしてくれれば、という複雑系思考はぼくは卒業したいです。

「~であれば」という仮定を持ち出すと、思考は自分を中心にキリなく回りだします。
そういう仮定が現実になって欲しければ、その仮定を実現するのみです。
考えている余地は本来ないものです。
考えるという行為は、時として現実の流れを裁断し、虚無の世界に放り込まれます。
もうぼくは虚無の世界は飽き飽きしてきました。

仮定を必要としない世界が「今」ということです。
「今」なにをするかです。
ぼくは今コンビニで買ったビールを飲んでいます。
それでも、充分に「今」です。
もっと充実した「今」もありえるのはよく分かりますが、そういう仮定の話には与しません。

もっと充実した「今」を作るときは、その時の自分にとっての「今」です。
それだけのことだと思います。