風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

茄子味噌

2006年09月30日 | 雑感
今日、無事満行しましたが、明朝お礼参りの滝行を済ませて、晴れていろいろ解禁です。
明日はちょうどお宮参りの日でもあり、滝行の後、神社巡りをします。
その後、肺の手術をしたAちゃんのお見舞いに行きます。

今回の行はなかなか奥が深かったです。
簡単に説明できないことが数多くありました。
不思議だという気持ちはあんまりなく、ありがたいという気持ちが日ごとに強くなりました。
何がおきてもありがたいと思えることが、またありがたい。
そんな感じでした。
毎朝、滝を出た後、心からありがとうございましたと滝に向って頭を下げることができました。

出発予定日まで1週間を切ってどうやらヨーロッパ行きのチケットが取れたようです。
何事もなるようになればいいというメンバーばかりで行く旅行なので、こういう感じです。
詳細なスケジュールやら、価格やらの情報はありませんが、まぁ、なるようになればいいんです。
たぶん、現地に行ってからもこんな感じが続くはずです。
几帳面な人や責任感の強い人は身が持ちません。

ということで、いよいよ秋めいてきました。
ここ数年、9月一杯くらいは暑い日が多かったような記憶がありますが、今年はお彼岸前くらいから涼しい日が多かったです。
行明けに何を食べるか決めていません。
別にあれが食べたい、これが食べたいというのはないんですが、う~ん、どうかな。
でも、食べたいものをなんでも食べれるのは、ま、気が楽ではあります。

茄子が食べたいですね。
ナスのミソ炒め。

ということで、また来週。



サイクル

2006年09月29日 | 雑感
明日で満行です。
行は、する度に味わいというか経験の質が違います。
今回は、なんというか、いろいろなことを整え直す行だったのかなと思います。
まだ明日がありますから、今語ることではありませんね。

でも、行中はホントいろいろなことが思いもかけぬ形でダイナミックに動きます。
いいことばかりが起こるという意味ではありません。
いいことも悪いことも含めて、流れが動きます。
悪いものは吐き出さなければならないし、いいことなら磨き上げなければいけません。

3週間というのは短いようで長いし、長いようで短いです。
人の活動にサイクルというようなものがあるのだとすれば、ちょうど初めと終わりが完結する1サイクルなのかもしれません。
ま、とにかく明日、いつもと変わらぬ心持ちでありがたく滝に入ります。





自在

2006年09月27日 | スピリチュアル
いつの間にかあと数日で行があけます。
煙草はようやく意識から外れました。

水はちょうどいい感じで冷たいです。
しばらく入っているとふっと冷たさが抜けます。
ぬるくても、冷たすぎてもなかなかこうはなりません。

先日の気功のグループの人たちと滝に入った時の写真を、先ほどネネさんが持ってきました。
一枚の写真の真ん中に巨大なオーブがボアンと浮かんでいます。
滝の水と同系色の、ブルーがかった感じのいいオーブです。
荒れた滝場などで良く写るような、禍々しい感じやおどろおどろした感じがまったくしません。
なんか神様系統のオーブのような気がします。

毎朝、起きてまず滝に行って、それから店に出ます。
行に入るにあたって、酒も煙草も同時にやめましたから、最初のうちはたまらなく窮屈に感じます。
滝に行くのも往復で2時間はかかります。
でも、10日もすると、朝起きて滝に行くのも、禁酒禁煙も当たり前になります。
肉を食べないのもなんの苦痛でもなくなります。
そういうものです。
そういうものだと知っておくと、大抵のことは苦痛ではなくなり、怖いものがなくなります。
人は大概のことに慣れることができます。
坐禅を組むとあれほど痛かった足も、今では30分やそこらは平気になりました。

これでなければいけない、ああじゃなければ駄目だ、なんていうのはほとんどが幻想です。
幻想を幻想として楽しむ分にはいいのですが、幻想に縛られて、支配されたら不自由です。
お金があって有効に使って楽しむのはいいのですが、お金がないと不自由だ、不幸だなんぞと思い込むから不自由、不幸になります。

お金がなくても心は自由に動かすことができます。
坐禅だって組めます。
味噌汁とご飯を食べていれば健康だって大丈夫です。
草むしりだってできます。
散歩もできます。
歌だって歌えます。
友達と話もできます。
ほんの少しのお金があれば、人は楽しく暮らせます。

ま、お金に限らず、一事が万事です。
自分の周囲、つまりお金や環境や状況・条件をあーして欲しい、こーして欲しいというのは、エゴイズムです。
自分の都合次第、つまりはわがままです。
わがままをかなえてくれる神仏というのはなかなかいません。
いるとしても、後で大きな代償を要求されてしまうような神仏です。
自由にできるのは、唯一、自分の心です。
自分の思い方、感じ方、考え方を変えることができます。
自分の重い方、感じ方、考え方を変えることができるということは、世界の見え方を自分で好きなようにコントロールできるということです。
自分の幸せだと思う世界を自分で演出し、自分の心のスクリーンに映し出すことができるということです。

基本はそういうことですが、ま、なかなかそう簡単にはいかないのが世の中の常ですが。



闇の広がり

2006年09月26日 | 雑感

なんだかわけの分からない事件が続いています。
公園に散歩に行く幼稚園児の列に車が突っ込んだり、子供たちがいわれもなく殺されています。
ごく最近の事件だけでもこれだけあります。

90 :☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ :2006/09/25(月) 12:27:21 ID:???0
※関連スレ
・【社会】「高校生好きで隠蔽」 男児虐待死で、母親&彼氏の高校生逮捕…名古屋★2
 http://news5.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1066811850/
・【社会】 "また母親の彼氏" 「おしおきのつもり」 子供にタバコの火押しつけ、28歳男逮捕…埼玉
 http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1153718951/
・【社会】 "また母親の彼氏" 「夕食の食べ方汚い」 虐待で4歳男児重体、同居男(24)逮捕…神奈川
 http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1133831280/
・【社会】"また母親の彼氏" 小1女児、虐待され死亡…静岡
 http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1112666298/
・【社会】"また母親の彼氏"子供の虐待情報受け、30歳無職男逮捕…神戸
 http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1078370821/
・【社会】「階段から転落」とウソ、3歳女児暴行で母親の彼氏逮捕…岡山
 http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1076393666/
・【社会】"またもや母親とその彼氏" 女児虐待で、22歳母と25歳彼氏起訴…札幌
 http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1099564463/
・【社会】母親とその彼氏、5歳長女虐待で逮捕。3歳長男にも虐待の跡…千葉
 http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1129770916/
・【社会】 "また母親と彼氏" 乳児虐待で、21歳母に加え24歳彼氏も逮捕…愛知
 http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1151657673/
・【社会】「言う事きかない」 4歳児を、タバコや全身殴打で虐待→母と彼氏逮捕…兵庫
 http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1123237731/
・【社会】"通行人、見るに見かねて通報" 路上で母とその彼氏が3歳長女を暴行→逮捕…北海道
 http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1120784799/
・【社会】「強く抱きしめたら骨折れた」 車中生活の母親&その彼氏、乳児暴行で逮捕…兵庫
 http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1119949022/
・【社会】"一時意識不明に" 21歳母&34歳彼氏、3歳長女虐待で逮捕…大阪
 http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1119105587/

これでも氷山の一角です。
つい最近、ぼくの住んでいる町でも、何かの保障費を貰うために暴力団員が自分の子に熱湯をかけて
火傷させるという事件がありました。
これらの事件は、母親が傍にいるのにかかわらず、子供が虐待され、殺されています。
子供を命がけで母親が守らないというのは、犬畜生の世界でもありえません。
犬畜生にも劣る生き物が、人間の顔して生きているということなのでしょう。

ちょっと不愉快な話なんですが、これが今の現実の世の中です。
もう小手先でどうにかなるレベルではありません。
修羅と餓鬼の世界が実際に急速に広がっています。

なんというか、世界の裏側で闇が広がっているのかもしれません。
光の勢力を大きくすればいいと、呑気に構えているうちに、着実に闇が広がっているのかもしれません。
手をつないだ幼稚園児の列に、スピードも落とさず車で突っ込んでいってひき殺すって、ありえますかね?
ありえないようなことが毎日起こって、あまり驚かなくなってしまっているっていう状況が、闇の広がる温床なのは間違いありません。

う~ん。
何か手を打たないと、とは思います。


 


夕暮れ

2006年09月25日 | 雑感
今日はお経を上げていても、作法をしていてもどういうわけか気合が乗らず、そのまま気合が乗らないまま滝に入りました。
で、ここ数日急に冷たくなった水に打たれているうちに、気合が乗ってきて、いい感じで滝から出ました。
滝の場合、あんまり気合とか何とかは関係ないかもしれません。
とにかく、その時々によって違う水の感触を、そのまま受け止めることが大事かもしれません。
冷たいなら冷たいとそのまま受け止めます。
冷たいから嫌だとか、冷たく感じるのが早く終わらないかだとか(実際、数十秒で冷たく感じなくなりますから)、色々考えません。
いい意味で、どうにでもなれと思って入ります。

実際、半跏趺坐などを組んで滝に打たれますと、下は石ですから座りどころが悪いと、足が痛い場合などがあります。
そんな時は、足などどうにでもなれと思うと、痛みが飛びます。
真冬の水など痛いほどに冷たいです。
寒すぎて死ぬなら死ねばいいと思うと、冷たさが飛びます。
もっともそういう痛みや寒さが飛んでしまうこともあるということで、必ず飛ぶということでもありません。
最初から最後まで冷たくて寒くてたまらなかったということもありますし、痛くて我慢できないということもあります。
ま、そういう時は修行がまだまだ足りないということなんだと思います。

昨日、あんまり気持ちのよさそうな夕暮れだったので、車で港まで出てみました。
車で5分くらいで人気のない港があります。
久しぶりに見る真っ青な空に、ピンクがかった千切れ雲が流れています。
傾きかけた太陽が海に照りつけ、波に反射します。
千切れ雲の雲消しを何度か試みましたが、何度か背後を車が通るので、恥ずかしくなってやめました。

目の前は海峡ですから、何隻もの船が行きかいます。
コンテナ船、フェリー、タンカー、色々ですが、休日のせいか漁船は見当たりません。
鉄工場の紅白の横縞模様で塗装された巨大な煙突から、白い煙が風にたなびいています。
海峡の入り口の向こうには、島影がいくつか見えます。
ある島には石油のコンビナートがあり、ある島は採石場で大きく抉り取られています。
それぞれにそれぞれの人々の暮らしの営みがあります。

なにかこの風景に名を付けたいのですが、付けるべき言葉が浮かびません。
数十分後にはその姿を、色を、明暗を、温度を変える、ある日の夕暮れの景色があるだけです。

ここにカフェテラスがあったらなぁと心から思いました。
ワインは行中だから飲めませんが、コーヒーでもいいです。
でも、そんなものはもちろんありません。
辺りには、釣り人が捨てていったオキアミの腐った匂いが漂っています。
おそらく釣り人が捨てる雑魚目当ての野良猫の姿も目に付きます。

カフェテラスは諦めて、帰り道、スーパーに寄って紅茶を買いました。
紅茶を自分で買うというのは何年ぶりなのでしょう。
それから、モスバーガーに寄って、アップパイとチーズケーキを買いました。
で、借り置きのCDを見ました。
「マッチスティック・マン」「バスキア」






引き算

2006年09月22日 | スピリチュアル
さて、今朝も滝に行ってきたわけなんですが、千日行をしている若者と滝場でバッティングして、
更には写真をとってもいいですかという老カメラマンも加わり、なかなか落ち着かない滝行でした。
そんなわけで、水の中で観音経を称えていたのですが、ふと集中していないことに気が付きました。
ぼんやりとお経を読んでいたのですが、心がどこかに飛んでいました。
おっと危ないと思い、お経に集中しました。
普段も気を張っているわけではないのですが、変な感じで気が抜けると、なんかろくでもないところに落ちる感じです。
余計なことを感じず、考えず、堂々と水に打たれていればいいのですが、隙があるもんですね、いつだって。

境内はきれいさっぱりに片付けられていました。
うずたかく盛り上げられた枝や木の葉の山が、バケツ一杯ほどの真っ白な灰になっていました。
わずか数日前の台風の痕跡はもう何処にもありません。
自衛隊やら役所から誰かが派遣されたわけでもなく、誰かが自分の意思だけでさっさと片付けてしまいました。
こういうのを見ると、災害やらなんやらが来たって、日本人なら何とかすると思えます。

実際、阪神大震災の5日後に神戸に入りましたが、あの惨状から復活するスピードには、ちょっと驚きました。
やっと三宮に電気が通じた頃、バラック立ての居酒屋が早速営業を開始していました。
周囲はばらばらに崩壊した姿を寒空の下に晒したままだったのですが、その居酒屋の灯りがとてもとても尊いものに思えました。
それからの復活は早かったです。
行くたびに瓦礫の山が消え、店という店が営業を始めました。

神道は引き算の宗教であると何かに書いてありました。
余計なものを引いて引いて、最後に残ったありがたいものだけをありがたいと奉る。
その象徴が伊勢神宮のお宮である、と。

人もそうです。
世の中がけしからん、あいつが気に食わんなどという感情を徹底的に引いて行きますと、
最後には、このかけがえのない世の中に、かけがえのない命=自分が存在しているだけなのに気が付きます。
徹底して引いた後に残るのは、ただただ「あるがたい」という一言です。
「ありがたい」を自分の生命の出発点にすると、そりゃもう不平不満はなくなります。
すべてがありがたいんですから。

で、あるいがたい教みたいなのもありましたが、なんかそこの信奉者に共通なのは、引き算が甘いんじゃないかと感じていました。
自分というものさえ引いてしまわないと、ありがたいが出てこないと思うんです。
自分さえ引いてしまうと、そこからありがたいという思いと同時に自分がはじめて復活するというか。
自分を残しつつ称える「ありがたい」は、なんか胡散臭いです。
ちょっと難しいところなんですが、重要なポイントのような気がしてます。

西欧流の考え方というのは引き算というのは苦手です。
というか、引いていく思考法という発想がない気がします。
引き算の考え方というのは、損得でいえば、これ以上損するものがないところに行けば、損しないじゃないかというような考えです。
西欧流というのは、損しないことを考えるのではなく、如何に得するかという足し算の発想がベースです。
足し算の弱点は、いくら足そうが、上には上があって足したりなくなるということです。

今の日本はまったくの西欧流の考えですから、足し足りなくて不平不満をいう人ばかりです。
そういう不平不満こそ、スパリと引いてドブに捨ててしまえばいいんですが。





角度

2006年09月21日 | スピリチュアル
10数年前、突然インドに行くことになりました。
当時勤めていた会社の社長が行くはずだったのですが、急に行けなくなったのでしょう(行きたくなくなった?)。
お前が行けということになりました。

わけも分からず、飛行機に乗りました。
旅行の目的は、巡礼の旅でした。
ある方がインドで修行を続け、悟りを得、本を出しました。
その方とその方の家族とその方の信奉者と、そしてぼく(唯一の部外者)というメンバーです(総勢20数名くらいでした)。
そのメンバーで、その方が若かりし頃、修行して回った地を一緒に巡るわけです。

メンバーの中では、サイババがどうだの、Oリングがこうだの、ヴィブーチ(灰)がそうだのという話がされてました。
当時のぼくは、うわー、胡散臭ーと思っていました。

で、その方(つまりは教祖、です)が飛行機の中やレストランでぼくに言うには、「角度を上げろ」ということでした。
生き方の角度を上げろというのです。
意味が分かりませんでした。
もっと頑張れという意味なんだろうなーくらいに思って、はぁはぁと生返事をしておりました。

でも、今にして思うに、「生き方の角度を上げろ」というのは、当時のぼくにとってはもの凄く的確な
アドバイスであったことが分かります。
その頃のぼくは「志」とか「熱意」とか「生きがい」とかいうものとは無縁の人生を送っていました。
一言で言うと、虚無の中から抜け出せないでいました。
虚無にいる人間にとっては、生き方の角度を上げることも下げることも、偶然の支配する世界で等価でした。

メンバーの後をのろのろついて回りました。
みんな感じがいいのですが、ぼくからは距離を保って様子を眺めていました。
なにせわけの分からない宗教の教祖様ご一行だったのです。

皮膚病で全身の毛が抜けた犬だの、普通の庭先の木の枝に止まっている孔雀だの、
アスファルトの路上にごろごろ寝ている浮浪者だの、いかにもインドという景色はさすがに心に響きました。

で、わけも分からないまま、一週間だか10日間だかの旅程を終えました。

要するに、的確この上ないアドバイスも、聞く者に準備ができていないと、なんというか暖簾に腕押し、
豚に真珠、猫に小判、サメに襟巻き、なんですよね。
こちらに準備があれば、素直な心で聞く耳持っていれば、いろんな貴重な話を聞けただろうに、と思うわけです。

ま、そんなもんなんでしょうが。





気づき

2006年09月20日 | スピリチュアル
日に日に水が冷たくなって来ました。
前にも書いたかもしれませんが、滝は不思議で、毎日行っていても毎回印象が違います。
その表情を変え、感触を変え、波動を変えます。
だから気を抜けませんし、心地よい緊張感があります。

今日は素晴らしい秋晴れでした。
空は晴れてはいるのですが、まだ台風の名残で水量が多いので、その水量の感触を今日は味わいました。
大量の水に打たれますと、冷たいという感触は吹き飛びます。
ドカドカと落ちてくる水に身を任せていますと、体の感触が薄れ、心身の静寂が訪れます。
あー、ありがたいと思う瞬間です。

それから、台風で参道や境内に散乱していた倒木やらなんやらがきれいに片付けられていました。
台風が去って2日後には何もかもがきれいさっぱりに片付けられています。
すごいなーと思うと同時に、そういうありがたい人々がまだたくさんいるということです。
陽光輝く空の下、ありがたいことだとしみじみ思いました。

ありがたい、ありがたいとちょっとうるさく感じるかもしれませんが、本当にそう思うんだから仕方がありません。
なかなか、ありがたいとは素直に思えないもんですが、思えるときは思えます。
なんでも素直が一番です。←強引

今日、ネネさんの紹介で霊感のあるという若い女性の方に会いました。
どこかで修行したとか、霊感を求めて何千里という旅をしたとかいう方では全然ありません。
スキッと生まれつき霊感があるのでしょう。
お狐さんや、おミイさん(蛇)が憑いているような方とは全然波動が違います。
本当にすっきりとした巫女さん顔をしています。
このブログで何度か紹介したことのある前世の見える方と波動が似ています。
どちらも既婚の若い女性です。

霊感をなにか特別な能力みたいに敢えて求めて身に付けた人たちとは波動が違います。
その能力を売り込みもせず、口コミだけで頼ってきた人たちを淡々と導こうとしているように思えます。
自分の家族を、居場所を大切にし、騒がず、臆せず、人々にすっと手を差し出しているように思えます。

ここ1年ほど、ネネさんやアイカさん周辺に起こることなどを様々見聞してきましたが、
ものすごい勢いで神様ごとが進展している、といわざるを得ません。
こういうことは説明すればするほどウソ臭くなるので、あれなんですが。
だって、ネネさんの話などを聞いていると、次から次へとウソ臭いことが実際に起こり続けますから、
もうなんというか検証とか証明とか、もうどうでもいい速度でいろいろなことが繋がり続けます。

で、ぼくは決して特別な人に特別なことが起こっているとは全然思っていません。
すべての人に特別なことが起こっているのですが、それに気が付いているかどうかだけのような気がしています。
気が付くとあらゆることが加速し始める。
そういうふうに思っています。











台風一過

2006年09月19日 | スピリチュアル
今日は台風一過、爽やかな青空が久しぶりに広がりました。
今度の台風は風が強烈で、あちこちに爪あとを残していきました。

昨日は道路が通行止めになっていましたが、道路警備員に事情を話して滝場の下まで車で入りました。
滝場に続く細い参道は折れた枝やら千切れた葉っぱで埋め尽くされています。
滝場のお堂の境内の大きな銀杏の木も、根元付近からバキリと折られていました。
高さ2~30mはある倒れたその木は、日頃特別心を込めて拝んでいる観音様の顔からほんの10cmのところで止まっています。
麓とお堂を結ぶ数本の電線が、辛うじてその木を受け止め(何百キロ?)、観音様を守っていました。

参道を下りきったところに、川魚料理屋さんがあります。
そこの若主人がお堂まで様子を見に上がってきたので、いろいろと話をしました。
こういった台風やらなんやらがあると、料理屋さんの老主人が掃除やら後片付けをしているのだそうです。
いつもありがとうございますと言うと、「いや別にいいんですが、親父も年だから・・・」と若主人が言います。

別にここの滝場を管理している寺から頼まれているわけではないのだそうです。
あくまでも善意で、滝場の掃除やらなんやをしていてくれているのでした。
それから、台風でこんなふうに木々がへし折られたりなんかするようになったのは、ここ10年くらいなのだそうです。
「子供のころは、こんなことはまったくなかったんですが・・・」と言います。

本堂の周りのゴミをざっと集めた後、滝に入りました。

今朝も滝場に行きますと、滝の仲間の老夫婦が滝行を終えて、境内の掃除をしていました。
木切れ、葉っぱの大きな山がいくつもできています。
ぼくも何個かの葉っぱの山を作った後、滝に入りました。
昨日よりも若干水量が多く、少し冷たくなっている感じでした。
石の上に半跏趺坐で座って、気持ちよく滝と一体です。
最後は立ち上がって、水量の一番多いところに立ってみましたが、水量で手がガクブルしてまともに印が組めませんでした。

帰り道、街の背後に三つ山稜が並んでいるのですが、その上にどデカイ龍神様がその山稜に覆いかぶさっていました。
カメラを持っていなかったし、運転中なので写真はありませんが、迫力満点の龍神様でした。
台風後の澄んだ青い空をバックに、真っ白な雲がもくもくと湧いた龍神様でした。















宇宙となかよし

2006年09月16日 | 雑感

ここ数日、このブログへの来訪者の数が多いなと思っていたら、Qちゃんのブログで紹介されていました。

「宇宙となかよし」
http://katamich.exblog.jp/5681243/

飲みに行って、ほったらかしにして帰ったことを根に持っています。
ぼくならかえって放っておいて欲しいだろうから、ちょうどいいのに。
と、思いましたが、考えてみると、一緒に飲みに行って、友人を路上に置き去りにするような人間は、
ぼくの周囲にはぼく以外にいないことに気づきます。
ぼくもまったく意識を失っていたとはいえ、まぁ、ありえない話ではあります。
そいいえば、Qちゃんどうしたんだっけ、ぼくのところに泊まるって言っていなかったっけと思い出したのは、
次の日の夕方くらいでした(笑)

ぼくも先日気が付いたら路上に寝ていて、財布が無くなっていました。
まぁ、そんなもんです。

そんなQちゃんも今日から行に入りました。
雷がゴロゴロいうなか、みなで滝に入ってきました。

で、数ヶ月に一度くらいの割合で、ある霊能者の方がふらっと店に見えます。
今日もふらっと店に入ってこられました。
観音様からのお告げというものを持って来てくれます。
前回もそうでしたが、今回もまた強烈なお告げでした。
嬉しいというか、なんというか、奇跡みたいな話です。
ちょっと話せませんが、生きててよかったと思える話でした。
もったいぶるわけじゃないんですが、一冊の本でも書かないと説明できません。

こういう持って回った話というのは聞きたくないでしょうね。
う~ん。
いつか話せる日が来ると思います。

で、色々考え合わせて見るに、ベストのタイミングで「行」に入ったんだろうなということです。
ぼくだって「宇宙となかよし」だもんねと言ってしまいます。>Qちゃん

独りよがりに喜んでいても、皆さんは面白くもなんともないでしょうから、今日はこの辺で。

 


お酒のモヤ

2006年09月15日 | 雑感
今しがた、友達がわざわざ四国から送ってくれた日本酒の一升瓶を落として粉々に割ってしまいました。
まず手で拾えるガラスのかけらを拾って、残った細かいガラス屑を掃除機で吸い取ります。
すると、ガラス屑と一緒に掃除機に吸い込まれた日本酒が霧状になって店内に排出され、
店内が白いモヤがかかった状態になりました。
もちろん、日本酒の甘い香りがぷんぷんします。
目がチカチカするのはアルコールのせいでしょう。

で、なぜこうなったか。

1)店の神棚の神様がお酒を欲しがったから
2)店内にいたお客さんの背後の龍神様がお酒を欲しがったから

そのどちらかとは思うのですが、多分2)だと思います。
なんでも、そのお客さんが家の龍神様を拝む時に、最近上手く言葉が出なくなったそうです。
そのお客さんの家では日本酒を飲む習慣がないので、龍神様に日本酒ではなくお水しか上げていないのが
気にかかっていたみたいなのです。
で、早速今日からお酒を買って、差し上げるということで帰って行きました。

というわけで、ぼくも自然呼吸で多少のアルコールは摂取したかもしれませんが、まぁこれも神様ごとですから、
禁を犯したことにはならないと思います。

でも、店内がお酒のモヤで白くなるというのは、これは見ものでした。
なかなか見れるものではありません。
酔っ払いの吐く息は臭いですが、人体を経由していないお酒のモヤは、なんと言うか甘くて、芳醇です。

こうしてなんでも強引に神様ごとにしていくのが、こういう道にちょっとなじみ始めた人の通る道です(笑)

ただ貰った酒をビンごと落として、割った。
それだけの話なんですが、話を膨らませずにはおられません(笑)

煙草の禁断症状は大分落ち着いてきました。
まだちょっとイライラ感はありますが、なにも考えられないというほどではなくなりました。

昨日の映画(「ディセント」)はただのグロ映画でした。
行中に見るような映画ではありませんでした。

サンマは食べました。
大根おろしもすりました。
でも、ちょっとあれです、お酒が欲しくなったのは、分かる人にはわかるでしょう。
もちろん、飲みませんでしたが。
ぼくは大抵のルールやなんやらというのは、あんまり気にかけないのですが、「行」のルールは守ります。
「行」は、守るとか守らないとかという以前のものですね。
やるかやらないかだけですから。







サンマ

2006年09月14日 | 雑感
毎日、禁煙のことを書くというのもあれなんですが、まだキツイです。
注意力散漫で、なにも集中できません。

お客さんで、一年半かけて5キロだか10キロだかの減量に成功した人がいます。
それに比べれば何てことないのでしょうが、なにせ我慢とか辛抱とかいうのが苦手です。
苦手が押し寄せてくるのが「行」というものなのかもしれません。
う~。

今、店の前で若い女性が煙草を吸っています。
エレベーター前で、灰皿があるからです。
腕を組んで、片足を横に出し、余裕のポーズで煙草を吸いやがっています。
で、ぼくは決して吸いたいと思うわけではないんです。
吸うという選択肢はありえないからいいんですが、なんかイライラするんです。

飴を舐めろだの、禁煙シールを貼れだの人は色々言いますが、そういうのはなんか嫌です。
ひたすら、ただ吸わない。
まるで禅の境地です。←デタラメ

とにかく、この症状は早く越えたいです。
もうすぐのような気がしますが、意外と長引くのかもしれません。

食事は楽しんでいます。
ご飯を3日分くらい炊いて、味噌汁は朝晩二食分を作って、後は納豆を切らさず、漬物と野菜を揃えておけばOKです。
ぼくは料理を作るのはとても手早いです。
3手先の段取りを考えながら料理します。
出来上がる頃には、使った道具類はすべて洗われています。

意外と女性の人は知らないんですが、料理は手早く作った方が上手いです。
野菜炒めやなんかは、だらだら炒めたら台無しです。
野菜のしゃきっとしたところを残しつつ、程よく炒める火加減が必要です。
焼き魚なんかも、焼き具合というものが大切なんですが、どうもそのあたりのことがおろそかにしている人が多いです。
表面と裏面とでは焼き具合を微妙に違えないと、美味しい焼き魚はできません。
最初に裏面をしっかり焼きます。
表面は、こんがり美味しそうな焼き色をつける位でいいんです。

ところで、サンマの季節なんですが、普通のガスコンロのグリルに丸々一匹は入りませんよね。
半分に切らないと入りません。
半分に切ったら、せっかくの油が流れ出てしまうはずです。

なんかサンマが食べたくなりました。
今日はメンズデー、映画を見た後スーパーに寄って、サンマと大根を買いませう。
でも、スーパーのサンマって、大抵3本入りパックなんですよね。
3回連続サンマを食べる覚悟がいるんで、なかなかあれです。











ニコチン中毒

2006年09月13日 | 雑感
お気軽に禁酒・禁煙の行に入ったのですが、禁煙はなかなか思った以上にきついです。
禁酒の方は最初の一口さえ飲まなければどうってことないのですが、
三十数年に渡るニコチン中毒は、甘くはありませんでした。

昨日、業者の人がふらりと店に来たのですが、釣りで日に焼けただの、京都で倒産が多いだの、
どうでもいい世間話をだらだらするものですから、思わずイライラしてしまいました。
トバッチリ、ゴメンナサイ>佐々木さん
もう少し禁断症状は続きそうです。

相変わらず眠りが浅いのですが、妙な昂揚感があります。
滝は水量が多く、ドカドカという感じで打たれます。
水の中では特になにも考えません。
無心というほどキレイなものではありませんが、雑念も湧かず、ひたすら打たれます。

滝の仲間で、1000回以上滝に入っている70を越えたおばあちゃん(失礼)がいるのですが、
今日、その方のご主人が滝に入っていました。
おばあちゃんが滝の横で真言を称え、おじいちゃんが水量の多い滝の中でぶるぶると手を合わせていました。
おばあちゃんがいくら言っても、おじいちゃんは滝に入らなかったはずなんですが。
70を過ぎた老夫婦で滝を楽しむというのは、なんかとてもいいです。
修行というより、なんか同じ道を手をつないで歩いているという感じでした。
滝から出てきたご主人に笑いかけたら、照れくさそうにご主人が笑いました。

ま、いろいろあります。
眠りが浅いものですから、目が覚めるたびにテレビをつけてみるんですが、当然面白いものはありません。
仕方がなく本を読むんですが、じっくり読むという感じにはなりません。
こういう時にこその酒も、煙草も禁止です。
ため息をついて、窓の外の夜景なんぞを見てみますが、あまりぱっとしたものでもありませんし。

まだ5日目です。
今までで、一番なんというか、自分にとってはハードな行かもしれません。
でも、今あれこれ言っても、行というのは終わる時まで色々あるものですから。
行が行として完結するというのは、多分、その爽快感はした人じゃないと味わえないかもしれません。
まだ5日目でこんなことを言っているのは、あれですからやめます。

それでは、また明日。








難行

2006年09月11日 | 雑感
なんかぼくが行に入ったのと合わせるように急に涼しくなりました。

行に入ってから、上手く睡眠が取れません。
神経が妙に高ぶっているのでしょうか、眠りが極端に浅いまま朝を迎えます。
まぁ、今はそうだというだけで、別段どうしたということでもないのですが。
とにかく毎朝滝に打たれるだけです。

さすがに、禁煙はなかなかあれです、体が無意識に欲しがりますから。
でも、吸うという選択肢はないので、放っておくだけなんですが。
今日明日が一番の山場のような気がしてます。

酒も煙草も抜いていますと、食欲が湧きます。
今朝は米を炊いて、納豆をかけて食べました。
うもーござります。

夜の時間の使い方が、まだ下手くそです。
なんとなくどうでもいいテレビを見てしまいます。

まだ三日酒と煙草を抜いているだけなのに、自分がとてつもない難行をしているような気になっているのは、
やっぱり中毒だったのでしょうか?














健康な生活

2006年09月09日 | 雑感
滝行初日、一時間半ほど遅刻しました。
やれやれです。
単独ではちょくちょく滝に入っていましたが、滝の仲間と滝場で会うのは久しぶりでした。
みな、少ない人でも冬を一回以上は越しています。
今の滝はひたすら爽快でしょう。
ぼくも爽快でした。

とにかく、禁酒・禁煙初日です。
禁煙は最初の2-3日が肝心です。
自動的にふと吸いたくなりますが、無視するしかありません。

あと食べ物です。
インスタントラーメンなども食べられませんから、ちょっと買出しに行かないといけません。
玉ねぎ、ジャガイモなど日持ちのする野菜を買って、それを日毎味噌汁にして、あとはご飯を炊けばいいのです。
副食は海苔と納豆があればいうことありません。

う~ん、これからの生活を思っただけで健康になりそうです。
酒を飲まないと、なんといっても、夜の時間がたっぷり使えるわけです。
絵も描けるし、本も読めるし、あれこれなんか書いてみることもできます。
ギターだって、ピアノだって弾けます。←ウソ

なんと充実した毎日なのでしょう。
というか、フツーにしようと思えばできることばかりなんですが、なんせ飲酒の欠かさず毎日というのが厄介でした。

まぁ、初日です。
今回の行は変な力みがなく、すんなり入って行けましたが、まぁそこはなんといっても「行」ですから、
何が起こるかわかりませんし、決して油断することなく、起こることをあるがままに受け入れて行こうと思っています。