風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

2014年07月25日 | 雑感
ここ数回のブログを読み返してみたら、ヒドイですね。
いつも酔っぱらって書いているからですが、なんというか・・・。
そろそろ、この酔っぱらうというのはもういらないんじゃないかと思うんですが、どうなんでしょう。

とーほぐでは、何かあると一升瓶を持ち出して来ては、あれやこれやでした。
その感覚がぼくの中に濃厚に残っています。
親戚連中が集まれば、子供にもビールを飲め飲めと囃し立てる雰囲気が普通でした。
ですから、酒を飲むというのは大人になったら率先して踏むべき段取りだったわけです。

でも、年を取ると、年々酒に飲まれるようになります。
そうはならないといくら思っていても、無慈悲にそうなります(笑)。
そうなればなったで、酒から少し距離を置く段階に入ったのかなと改めて思う次第です。
今頃か!という無数の叱責の声が聞こえます。
そんな声は聞きたくありません(笑)。

また、とーほぐの食べ物というのが、日本酒にどんぴしゃりと合います。
ホヤを食べてごらんなさい。
シソ巻き味噌を食べてごらんなさい。
まったくご飯のおかずではありません。

まぁ、あれです。
それでもこのまま飲み続けるなら、ジャージでも履いて、駅前の立ち飲み屋に行くしか仕方がないでしょう。
飲みたいときに、さらっとすっきり飲む。
なかなか難しいです。

こうして今も飲みながら書いているわけです。
嘘を書いているわけではありませんが、どうでもいいことを訳あり気味に描いている自覚はあります。

さて、どうしましょうか。
禁酒とか何とかというストイックな方向は好きではありません。
何を条件に飲めばいいのでしょうか。
条件を付けること自体がナンセンスなのですが、何かの歯止めは必要です。
なんせ酒に飲まれますから。

で、今、6杯目の焼酎を注いで思いました。
酒を飲むかどうかはどうでもいいことです。
それよりも、東からお天道様が登ってきたら、さて何をするかを考え、行動に移したら、酒を飲む気力体力が残っていません。
それしか答えがありません。
酒など飲みたきゃ飲めばいいのですが、その暇もなく創造的な行為に身を投じること。

答えが出たようです(笑)



故郷へ

2014年07月24日 | 雑感
先週末、急遽宮城県に帰郷しました。
仕事がメインでしたが、短時間ながらも被災地の現状を目の当たりにしました。
問題が山積です。
災害を生き延びて、さて、これからどうやって生活を立てていくのか、
集落やら村や町をどうやって存続させていけるのか。
答えなどなく、その地に留まる人たちが愚痴も言わずに黙々とできることを積み重ねています。

ある浜を訪れました。
集落は消失しています。
古い時代から網元だった旧家の方を仮設住宅に尋ねました。
その方は、流された自宅後に海産物の加工場を建設中でした。
その方は前しか向いていませんでした。
どこそこで商談会があると聞けば、躊躇なく出向いているようでした。
ものすごい勢いで、新たな海産物の加工品を開発していました。
サンプルを頂いて食べてみましたが、ちょっと驚くクオリティです。

一方、行政の施工方針を聞いて愕然としました。
何もかもが机上の空論です。
初めから紐付きの予算ありきで、誰の役にも立たないコンクリート事業が開始されようとしています。
これは全国津々浦々お馴染みの光景です。
そういう硬直したシステムを変えるチャンスだったのがこの大震災だったと思うのですが。

でも、現地の人たちは愚痴を言いません。
やれることをとことんやろうとしているだけです。
全国から受けた支援に対して、心から恩返ししようと思っているばかりです。

ぼくも愚痴は言いますまい。
やれることをとことんやるだけです。

それにしても、切ないです。
かつて集落や村や町があったであろうところが、しんと静まり返った無人の荒れ地になっています。
無人になった故に、生活排水が絶たれ、海が今まで見たこともないような綺麗さです。

これだけは言えます。
現地の人々は生き延びるのに精いっぱいです。
それをいいことに行政はコンクリート行政をなし崩しに始めています。
支援が必要なのはこれからです。
働き者が豊かな海で暮らし、豊かになれないような社会システムはもう必要ありません。
その警鐘としての大災害であったのだろうと思うのです。

被災者支援という限定された話ではありません。
被災地の問題から浮かび上がる今の日本の傲慢なシステムへのNOを突きつける段階だと思うのです。

で、やれることは政治運動ではありません。
個々人の力というものを信じて、個々人がやれることをやれば、システムは変わります。
ぼくは改めてやれることをやろうと思っています。