風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

阿佐ヶ谷

2018年05月12日 | 雑感

東京の各町を紹介する番組で、今週は阿佐ヶ谷でした。
40年前ほどに住んでいた街です。
嫌な思い出がひとつもありません。
安い定食屋があり、飲み屋街がありました。
商店街や飲み屋街を一歩外れると閑静な住宅街が広がっていました。

隣町の高円寺や荻窪とはそこはかとなく雰囲気が違いました。
高円寺はミュージシャンが好みそうな尖り具合があり、荻窪はぼくにはピンと来ない町でした。
かぐや姫の「荻窪二丁目」という歌は好きでしたが。

朝方までやっている飲み屋がけっこうありました。
新宿で朝方まで飲んで、始電で帰って、へべれけの状態でそういった店で潰れるまで飲みました。
文句を言われたことは記憶にありません。
そういう店だったのです。

隣の隣の西荻の骨董屋で谷川俊太郎を見かけたことがあります。
そのころ彼は阿佐ヶ谷に住んでいたはずです。
詩集でそのご尊顔は拝見したことがあります。
ぼくが店でなにかを物色していると、背後のドアのベルが鳴り、振り返ると彼が居ました。
その独特な雰囲気で、彼だとわかりました。
小柄で、鋼鉄のようなオーラを身にまとっていました。
言葉というものを毎日毎日研ぎ澄まし続けていくと、こういうオーラを纏うようになるのだなと感心した覚えがあります。

その後、当時付き合っていた彼女が高円寺に住んでいたこともあり、高円寺に引っ越したこともあります。
学生にとっては、高円寺は気楽で住みやすい街でした。
でも、彼女と別れてからは、また阿佐ヶ谷に引っ越しました。

引っ越したアパートは、ヴィオロンという喫茶店のまん前でした。
大型の真空管のアンプでクラッシックを流すおしゃれな店でした。
マスターは、小柄な無口な30代くらいの男の人でした。
苦いコーヒーを出す店でした。
その当時のぼくは、クラシックを聞くという趣味はありませんでした。
でも、コーヒーを飲みたくなれば、その店に入るわけです。
文庫本を持ち込んで読もうとしますが、何せ店内が薄暗すぎて読んでいると目が拒否反応を示し始めます。
仕方がないので、タバコを何本か吸って、なんだかわからないクラシック音楽を聴き捨てて店を出る羽目になります。

その店の隣にはかなりのお年を召したご婦人がスナックをしていました。
何度か足を運びました。
何せ、自分の住むアパートの真向かえです。
いろいろ話を伺いました。
大陸からの引揚者だったみたいです。
その大陸に沈む夕陽の大きさが忘れられないと話していました。
若造のぼくは、なんと返答していいか分からず、水割りをひたすらお代わりしていました。

その後、何年ぶりかにそのアパートを懐かしさのあまり訪れたことがあります。
アパートは取り壊され、新しいコーポになっていました。
ヴィオロンは健在で、その隣がタイ料理屋になっていました。
さすがにスナックはなくなっていました。
そのタイ料理屋に入ってみますと、タイ人の感じのいい女性が切り盛りしている傍らに、
あの小柄で無口な男性が水を出したり、皿を下げたりしていました。