アメリカのドラマを見ていると、特に男は基本的に励まされたり、同情されたりといったことが嫌いなのが分かります。
どんなに親密になっても、別れるときは素っ気ないほどかっこいいという美学があるようです。
そして、励ましたり、同情する方も、それを受け取る受け取り方には一切頓着しないふりをするのが美学のようです。
この辺りは日本人顔負けの腹芸です。
乱暴に言ってしまえば、優しさを通じ合わせようとする日本人に対して、
やせ我慢を含んだかっこよさを追求するアメリカ人といったところかも知れません。
まぁ、アメリカはハードボイルドが定番の国です。
でも、ハードボイルドが流行るということは、その正反対の繊細な優しさが人々の心の中にあるということです。
ハードボイルドを地で行動する人々の間で、ハードボイルドは流行りません(キッパリ)。
無表情で人の情念を無視する人々の間で、無表情は受けません、受ける要素がありません。
やせ我慢というのは日本文化にもあります。
でも、それは大抵義理を欠いたらいかんとか、誰かの面目を失わせたらいかんとか、
おれはいいからおまえだけは幸せになって欲しい、とかだったりします。
いきなりぷいと顔を背けてどこかに行ったりはしません。
要するに自分のかっこうよさも含まれてはいますが、それだけではありません。
直接的にせよ婉曲的にせよ心情をお互いに伝え合って別れます。
ところが、アメリカのドラマを見ている限り、その心情を伝えるというのがどうも苦手のようです。
愛しているだの、昇進したいだの、真理は何かといったプラス思考の論理展開は得意なのですが、
マイナス思考を絡んだ微妙な心情吐露というのは苦手なのでしょう。
やせ我慢の方向性が微妙に違っているのでしょう。
アメリカ人は自分のかっこうよさのために我慢し、日本人は他人のためという大義名分が少しだけ多めに含まれる。
そんな感じでしょうか。
なんか酔っ払ってものすごく下らない文章を書いているような気になってきました。