明け方、赤ん坊が泣いたので目が覚め、焼酎のお湯割を作ってベランダでボーっと夜が明けるのを見ていました。
空は薄雲の覆われ、街にもモヤがかかっています。
そのうちに東の空が本の少しづつ白み始めます。
空が明るくなるにつれ、山並みのシルエットが青く濃く浮かび上がってきます。
夜から朝方にかけ、山や野には昼間には顔を見せない無数の神々が躍動している。
日が昇ると、夜の神々は太陽神アマテラスオホミカミから身を隠すようにどこかへ消えうせてしまう。
そう感じました。
そういえば、夜の11時ころもベランダに出て夜景を見ていたのですが、
半月が出ているにもかかわらず、すぐ左隣に明るい星が南天に輝いていました。
月の光にびくともせず輝くあの星はなんという星なのでしょうか。
そんな感じで、神々やら星々やらは悠久の舞を舞っているわけですが、
人の世は相変わらずグタグタ感が強まってきていますね。
そこまでしてコロッケの原価を下げなくてならないものかと素朴に思います。
このままでは社会保険が成り立たなくなるのは、現場の人間はとっくに分かっていたはずです。
何が起きても、誰も明確な責任を取らないのが常態となってきました。
監督官庁というのは監督権がある変わりに、責任もあるはずなのですが、そういう話は聞いたことがありません。
どうせ配転、配属、天下りで、当時の責任担当者がいなくなってから事が発覚するのが常ですし。
そんなグダグダな流れは流れるに任せて、ぼくはぼくの歩む道を考えます。
例によって、考え付くとそれで満足してしまう癖があります。
道というのは考えるものではありません。
歩むものです。
足が退化しかかっているかもしれません。
退化しかかっていても、それでも、一歩を踏み出す。
一歩を踏み出すと、二歩目、三歩目は楽に踏み出せます。
ところで、セルシオの中古を買うことになってしまいました。
昨日見ましたが、ぼくにとってはとてつもない高級車という感じがしました。
身分不相応だと思うし、欲しいとも思わなかったのですが、色々流れがありまして。
カーナビ、サンルーフはまだしも、後部座席にはマッサージ機まで付いています。
どういう顔して乗ったらいいのか、まだ分かりません。
気楽に乗るには、4000ccもありますし。
ぼくのことですから、どうせ洗車などしません。
うす汚いセルシオを見かけたら、ぼくのだと思ってください。
なんにせよ、今年ももう半分が過ぎようとしています。
恐ろしく時の流れが速いです。
考えているうちに、出来事は次から次へと後ろに流されます。
ヘタに考えず、参加して、感じて、豊かな瞬間を積み上げて行く必要があります。
昔の実存主義哲学者が、「参加」ということを大きなテーマにしました。
そのテーマは、ますます大きく今を生きる人の方に圧し掛かっているように思います。
政治運動や集団行動に参加する形ではなく、生きることに参加するということ。
個人が個人の思いや意志に参加するということ。
簡単そうで難しく、難しそうで簡単なテーマかもしれませんね。
空は薄雲の覆われ、街にもモヤがかかっています。
そのうちに東の空が本の少しづつ白み始めます。
空が明るくなるにつれ、山並みのシルエットが青く濃く浮かび上がってきます。
夜から朝方にかけ、山や野には昼間には顔を見せない無数の神々が躍動している。
日が昇ると、夜の神々は太陽神アマテラスオホミカミから身を隠すようにどこかへ消えうせてしまう。
そう感じました。
そういえば、夜の11時ころもベランダに出て夜景を見ていたのですが、
半月が出ているにもかかわらず、すぐ左隣に明るい星が南天に輝いていました。
月の光にびくともせず輝くあの星はなんという星なのでしょうか。
そんな感じで、神々やら星々やらは悠久の舞を舞っているわけですが、
人の世は相変わらずグタグタ感が強まってきていますね。
そこまでしてコロッケの原価を下げなくてならないものかと素朴に思います。
このままでは社会保険が成り立たなくなるのは、現場の人間はとっくに分かっていたはずです。
何が起きても、誰も明確な責任を取らないのが常態となってきました。
監督官庁というのは監督権がある変わりに、責任もあるはずなのですが、そういう話は聞いたことがありません。
どうせ配転、配属、天下りで、当時の責任担当者がいなくなってから事が発覚するのが常ですし。
そんなグダグダな流れは流れるに任せて、ぼくはぼくの歩む道を考えます。
例によって、考え付くとそれで満足してしまう癖があります。
道というのは考えるものではありません。
歩むものです。
足が退化しかかっているかもしれません。
退化しかかっていても、それでも、一歩を踏み出す。
一歩を踏み出すと、二歩目、三歩目は楽に踏み出せます。
ところで、セルシオの中古を買うことになってしまいました。
昨日見ましたが、ぼくにとってはとてつもない高級車という感じがしました。
身分不相応だと思うし、欲しいとも思わなかったのですが、色々流れがありまして。
カーナビ、サンルーフはまだしも、後部座席にはマッサージ機まで付いています。
どういう顔して乗ったらいいのか、まだ分かりません。
気楽に乗るには、4000ccもありますし。
ぼくのことですから、どうせ洗車などしません。
うす汚いセルシオを見かけたら、ぼくのだと思ってください。
なんにせよ、今年ももう半分が過ぎようとしています。
恐ろしく時の流れが速いです。
考えているうちに、出来事は次から次へと後ろに流されます。
ヘタに考えず、参加して、感じて、豊かな瞬間を積み上げて行く必要があります。
昔の実存主義哲学者が、「参加」ということを大きなテーマにしました。
そのテーマは、ますます大きく今を生きる人の方に圧し掛かっているように思います。
政治運動や集団行動に参加する形ではなく、生きることに参加するということ。
個人が個人の思いや意志に参加するということ。
簡単そうで難しく、難しそうで簡単なテーマかもしれませんね。