快晴の午後、中城ふみ子さんの第二歌碑まで歩いた。帰郷して、ずっと行ってみたいと思っていたのだが、いままで機会がなかった。親の家から歌碑のある、緑が丘公園まで、ちょうど1時間だった。
北国の日暮れは早い。たどり着くと、もう公園の樹木は西日に輝いていた。
この公園は、かっての十勝監獄の敷地跡なのだ。ここには、囚人たちがレンガを作った窯があったのか。北海道全域でいえるが、明治期の北海道開拓を担ったのは、全国から集められた囚人たちの労働と命なのだ。
母を軸に子の駆けめぐる原の昼
木の芽は近き林より匂ふ
この歌碑に刻まれた歌の、母と小さい子供が遊ぶ、木の芽匂う明るい情景と、初冬の林の、寂寥の風景とはあまりにかけ離れているが、なんだが去り難く、しばらくたたずんだ。命を歌い、恋をはげしく歌った中城ふみ子さんだが、子を思う母性の歌人でもあった。雪の、夕暮れの歌碑の前に立ち、3人の幼い子を残して死んでいく若い母の無念に、わたしは心おだやかでいられない。
昭和29年(1954年)8月3日、中城ふみ子さんは、札幌医大付属病院の病室で、「死にたくない!」を最期の言葉に、息を引き取った。まだ31歳の若さだ。
遺産なき母が唯一のものとして残しゆく「死」を子らは受け取れ