Ommo's

古い曲が気になる

マリーザ  Ó Gente da Minha Terra

2012-11-26 | 日記・エッセイ・コラム

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 雪が雨に変わって、そのなか、傘をさしてゴム長靴で長い散歩にでた。28日が満月だが、ここのところ、満月が近づくと天候が乱れる。あさっては晴れるのだろうか?

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      マリーザ  Ó Gente da Minha Terra  http://www.youtube.com/watch?v=r7UDQDl1tcw&feature=g-vrec

 

 マリーザのコンサートの映像に、この曲を歌っている途中で、感極まって歌えず、涙を流すシーンがある。この、アマリア・ロドリゲスの詩の、なにが、マリーザをああも激しく動揺させるのか、その涙の意味を知りたい!

 ネットで検索する日本語訳では、いまいち、あの涙のわけが納得できない。(自動翻訳は、まったくダメだ。英語以外、ポルトガル語もスペイン語も、ロシア語も、ネットの自動翻訳は、 ハチャメチャだ。ましてや詩など問題外だ。日本語にしないで、英語に訳した方がまだ読める)。

 それで彩流社のアマリア・ロドリゲス詩集『歌いながら人生を』を買った。カウド・ヴェルデの訳詩で、やっとマリーザの涙の意味がわかった。(カウド・ヴェルデ Caldo Verde とは、ファドを翻訳するグループの名前という。女性4人だ。メンバーは、堀切眞木子さん、加登屋三奈子さん、柳瀬良子さん、清水茂美さん)。

 

   故郷(ふるさと)の人々よ

ああ 私の故郷の人々よ
今だからこそ わかります
私の抱いている この悲しみは
あなた方から 受け継いだものなのですね

私とあなた方のこの運命は
私たちを繋ぐ縁(えにし)なのです
どんなに否定されようと
同じギターラに張られた弦なのです

奏でられるギターラの
うめくような音を聞くたびに
我を忘れて
泣き出したい気持ちになるのです

そして 静かに身をゆだねていますと
やさしさに包まれるようです
苦悩が深ければ深いほど
私は歌って悲しみを和らげるのです

   『歌いながら人生を  アマリア・ロドリゲス詩集』(訳者 カウド・ヴェルデ 彩流社 2006年)

 ここでの故郷は、「ふるさと・北海道」というような軽い感じではない。故国、わが祖国、わが民族、わがポルトガルの人々、というような、熱烈な愛国の心情をあらわしている。そして、その“わたしの国”の人々が歌い継いできた伝統音楽、ファドへの愛だ。

(私とあなた方は)「どんなに否定されようと 同じギターラに張られた弦なのです」と歌うのは、ポルトガルの民衆は長い独裁政権に苦しんだ。その政権が1974年(昭和49年)に崩壊して(リスボンの春)、アマリア・ロドリゲスは独裁政権時代のスターだ、と一時国民から疎まれたことがある。“どんなに否定されようと“は、そのことを差しているのではないだろうか?

 

 マリーザは、幼いときからアマリア・ロドリゲスを聴いて育ったから、この詩にこめられたアマリア・ロドリゲスの祖国愛と、悲しい状況、苦しい心境をよくわかるのだろう。そして、マリーザ自身も愛国者で、ファドに人生を捧げる人だ。

 

 マリーザは、1973年にアフリカのモザンビークに生まれた。父親がポルトガルの人で、幼いときにリスボンに移り住み、両親が経営するレストラン(taverna)でファドを聴いて育った。ファドのレッスンを受けたのは、5歳のときからとCNNのインタビューに答えている。

 この、アマリア・ロドリゲスの詩を読み返してから、もう一度、マリーザが感極まるシーンをみてほしい(ボリュームはできるだけ大きくして・・・・・・)。

    マリーザ  Ó Gente da Minha Terra http://www.youtube.com/watch?v=G4cyNK3BW7Q 

Mariza_blackwhite

 Ó Gente da Minha Terra のÓ は、感嘆・間投詞、『おお』とか『ああ』とか。Gente は、『人々』『民衆』『国民』『人間』『家族』。da は、前置詞 de と、冠詞 a の短縮形、この場合『~の』の意。Minha は、『私の』(ポルトガル語は、h を発音しないから、ミーナと発音する)。Terra は、『祖国』『故国』『国土』、そして、『地球』。

 

 つまり、Ó Gente da Minha Terra とは、『おお! 私の祖国の人々よ』という強い祖国愛を意味するフレーズではないだろうか。この詩句を歌った直後、マリーザは感極まって涙を流した。


石附教授のお兄さん

2012-11-26 | 日記・エッセイ・コラム

 すこし前、東京のゴロンタさんから、石附教授のお兄さんの消息を問われた。返事が遅くなって申し訳ない。

 

 石附教授のお兄さんは、東横学園を退職されて札幌にもどり、ご実家でひとり暮らしをされている、とのこと。石附教授の直弟子・羽賀くんから昨夜きいた。

(石附教授の札幌・大通りの実家には、先生が独身のころ、何度か泊めていただいた)。