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古い曲が気になる

立原累「北の大地」は、1974年の発売

2012-07-07 | 日記・エッセイ・コラム

 

 ここに、中島みゆきの実家、中島産婦人科病院があった。

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 いまは帯広厚生病院の駐車場になっている。ここに中島産婦人科があった。高架の鉄道は、根室本線、右が札幌、左が釧路の方向だ。以前は高架ではなく、中島病院の横に踏切があった。この映像の、クロネコヤマトのトラックのところに遮断機が下りた。

 札幌の大学を卒業した中島美雪さんは、帯広の実家にもどって、家業の病院の事務を手伝っていた。

 「中島美雪さんはいらしゃいますか?」 1974年(昭和49年)冬のこと、わたしは、立原累コンサートの前座に出演してもらうために、中島産婦人科に電話をいれた。

 「北の大地」という曲で東芝EMIからデビューする、立原累のコンサートを、帯広市勤労者福祉センターのホールで開くのだが、中島さんも出演していただけないだろうか? と。これが中島美雪さんとの最初の会話だった。

 それ以前から、北海道大学フォークソング・クラブのコンサートに、藤女子大学の学生が出演して評判だった、と東芝EMI札幌支店の宣伝マン、高橋さんに聞いていた。その女子大生は、帯広出身だ、と。

やはり札幌で歌っていた住吉徹くんが、わたしのレコード店に勤めていて、北大生たちと歌っていた中島さんが実家の病院にもどってますよ、と教えてくれたのだ。そんなわけで、立原累「北の大地」コンサートへの出演依頼の電話をかけたのだ。遠いむかしのことだ。