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古い曲が気になる

パーカー大佐は、ルイジアナ州軍の大佐

2009-11-02 | 日記・エッセイ・コラム

株式市場は正直だ。臨時国会がはじまり、きょう予算委員会がテレビ中継されると、とたんに株価は急落している。きょうの日経平均株価、終値は、9802円。またまた一万円を割った。対ドル円相場は、89.91円(午後8時)。

「鳩山不況」、もう言葉ではない。現実に、まさに鳩山不況そのものに突入している。国会中継で鳩山首相以下、あの内閣の答弁を見ると、日本はもうダメかもな、と良識ある人ならだれもが思う。

せまりくる年末を間近にして、不況はとまらない。いったい日本は、どうなってしまうのだろう? 年末をまえに、政府は、なんの具体的な景気対策もしめさない。皇帝・小沢一郎は、日本をどうしたいのだ?

株価が一万円を割ったのに、テレビのニュースは、まったく問題にしない。これが自民党政府のときなら、テレビニュースのキャスターは、ヒステリックに大騒ぎして、政府の経済政策を非難しただろうに。ひどい国になってしまったものだ。ほとんどの報道機関はもう、政府に不都合な情報を国民に伝えない。

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エルビス・プレスリーは、軍隊に入隊することで、保守層もとりこんで国民的なスターになれた、と書いた。これは、パーカー大佐というやり手マネージャーの仕掛けだ。

大佐を自称するトム・パーカーは、たしかに「大佐 colonel」だが、アメリカ軍の大佐ではない。ルイジアナ州軍の大佐なのだ。それも、知事の選挙を手伝って、勝った知事から送られた名誉職なのだ。それを肩書きにして芸能マネージャーをやっていた。Colonel Tom Parker と。

大佐Colonelといわれると、陸軍、海軍、空軍、アメリカ三軍どれかの大佐までのぼった人だ、と思う。たいへんな軍人だったのだ、と。だれも田舎の州兵だと思わない。実際は、その州兵にさえなってない。そういうはったりを臆面もなくやる人物が、芸能マネージャーをやっていた。その男が、メンフィスの人気者の若者に目を付けた。

その若者は、サン・レコードというインディーズ・レーベルの社長、サム・フィリップスが発見して育てた若者、エルビス・プレスリーだ。大佐トム・パーカーは、エルビスの両親と契約して、サム・フィリップスからマネージメント権を奪う。エルビスは、両親べったりの純朴な青年だった。とくに母親を愛していた。母親のいうことは絶対だった。

大佐トム・パーカーは、最初は10%をとる契約をしたが、やがて、なんと50%もの手数料をとっていた。つまり1000万円のギャラで契約すると、マネージャーのトム・パーカーは、500万円をぬいてからプレスリーに支払うわけだ。

しかし、トム・パーカーの手腕なくしてエルビス・プレスリーの世界的な成功はない。サン・レコードにいたままなら、メンフィスの田舎の人気者で終わったろう。エルビスが50%ものマネージメント料を支払う価値はじゅうぶんにある。メジャー・レーベルRCAビクターとの契約をとり、ハリウッド映画の契約をとった。みんなトム・パーカーの力だ。軍に入隊したことを最大限の利用する戦略も、パーカー大佐の知恵だ。

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   エルビス・プレスリー Love Me Tender http://www.youtube.com/watch?v=HZBUb0ElnNY

プレスリーのハリウッド映画のデビュー作は、ひじょうにシリアスな映画だ。南北戦争に出征して、生き延びて敗戦で田舎に帰ってきた兄と、兄の恋人と結婚して畑を耕していた弟の、南部の貧しい農夫兄弟の悲劇だ。兄のガールフレンドと結婚していた弟が、プレスリーだ。

あとでちゃらちゃらした歌入り青春ドラマを量産するが、デビュー作は、ロックンロール・スターの映画としては、ひじょうに地味だ。これも、パーカー大佐の戦略の一環だろう。みごとだ。これでプレスリーは、演技ができる、と評価されたのだ。そして、テーマソングがすごい。「ラブ・ミー・テンダー」だ。

日本でもヒットした。しかし、日本人は、プレスリーのヒット曲という認識しかないだろう。この曲は、アメリカ南北戦争のときに作られ、ヒットして、その後も学校のグリークラブやアマチュアのコーラス・グループに好んで歌われつづけていた曲なのだ。とくにウエストポイントのような軍人を養成する学校で学生たちに好かれた曲だ。学校のマーチング・バンドも好んでレパートリーにした。1950年代のアメリカ人ならだれもが一度は口にしたメロディーだったのだ。オリジナルは、「オーラ・リー Aura Lee 」というタイトルだ。

それが、南北戦争のとき、戦場の兵士が故郷の恋人を思って歌った、とだれもが知っていた曲なのだ。そのメロディーをつかって、歌詞をベタベタのラブ・ソングに変えてエルビス・プレスリーが歌ったのだ。

アメリカ人なら、だれも知ってるこの曲をみつけて、歌詞を変え、プレスリーに歌わせたのは、ケン・ダルビー Ken Darbyだろう。この映画の音楽監督で、作曲家、アレンジャーだ。これも、みごとな作戦だ。

ケン・ダルビーは、若いときからじぶんのコーラス・グループをもっていてレコードや映画のバックで活躍していた。クリスマス・ソングで世界で最も売れたビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」のアレンジは、ケン・ダルビーで、バック・コーラスは、ザ・ケン・ダルビー・シンガーズだ。

エルビスの「ラブ・ミー・テンダー」の、ギターとコーラスだけのシンプルなバックは、いかにもケン・ダルビーらしいアレンジで、みごとだ。詞を書き直しているのも彼自身だが、クレジットは、妻の名にしている。

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ケン・ダルビーは、「ポギーとベス」(1959年)、「キャメロット」(1967年)の音楽でアカデミー賞を二回受賞している。ノミネートは何度もある。プロだ。職人だ。

     アマチュアのコーラス・グループが歌う「Aura Lee (ラブ・ミー・テンダー)」 http://www.youtube.com/watch?v=ATHHFqwGdOM&feature=related

こういう四人編成のコーラス・グループは、バーバー・ショップ・コーラス・グループとか、バーバー・ショップ・ハーモニーといって、協会まである。http://www.barbershop.org/ 何で床屋のコーラス・グループという名称なのかはともかく、19世紀からアメリカでは、素人の男たちが趣味でコーラスを楽しんでいたわけだ。