前の記事からずいぶん日がたってしまった。
今週の月曜日9月9日は亡き母の誕生日だった。
生きていれば92歳になったところでしたね。
それに合わせて実家に行ってお墓参りでもしようかと向かった。
今回の帰省にはもう一つ目的があり、以前ちょこっと書いたが、これから両親の相続手続きやら実家の片付けやらで帰省する際に、自分の快適な居場所を確保したい、その場所はオットはもちろん、ムスコかムスメの1家族くらいは泊まれるように整備しておきたい そのためのリフォーム計画をすすめるためである。
今年になってから度重なる地震だの ゲリラ豪雨だのに襲われる日本列島。
どこに行けば安全という保障なんてないことはないのだが、東京にだけ拠点をおいている ワタシ夫婦とムスコとムスメのそれぞれの家族のいざとなった時のシェルターとして準備しておくのもいいんじゃないか?
孫たちも長い休みの時、狭い都会のウチを離れて地方の古民家で合宿めいたこともできたら楽しいかもしれない。 なんて夢も広がるんである。
あと一つは独身に出戻ったここで暮らす弟のこと。
無駄に広い家の部屋を3つ書類と本とで占拠して暮らしているが、こいつ(呼ばわりしたいのよ ムカつくので)が、まるで家の片付けやら維持やら やる気がないのである。
離〇して戻ってきた時の荷物さえそのまま ワタシが指摘した場所塞ぎの段ボールのゴミも捨てなよ と言っても生返事してはや半年。
いつも過ごしているリヴィングキッチンのエアコンはナショナル製(何十年たってるんだ?) 仏間に続く客間のエアコンは2年ほど壊れていて、やいやい催促して(両親の新盆でお客様が来ることが目に見えていたので)やっと新しいのをいれた。
とにかく日本一の暑さを誇る?我が実家地方、エアコンがないと話にならないのであります。
で、ワタシの弟の話。この環境でワタシが泊れる所は客間だけになっている。そこに布団を敷いたりあげたりして過ごすって 落ち着かないわけですね。
そしていつの将来かわからぬが、弟も必ず老いるわけでしょ? その過程で手術だの入院だのもこの先おこるやもしれぬ。 そこでそれを手伝ったり必要な手続きをするのは ワタシかオットか子供たちじゃないかいな? 他に家族が居ないんだからさ~
ワタシがリフォームしてちゃんとした居場所を作るのは彼のためにもなるんだよ。
ムスコなどは「家の子たちを可愛がってくれるんだからさ ちゃんとした場所があれば あいつらも行くだろうから オジの寂しい老後の楽しみにもなるのにな~」ww ムスコ一家がワタシの実家に行く時は近くのビジホに泊まっているのである。
「オカン 俺もいざとなったら少しはカンパするからな」と頼もしいのに・・・
その辺 弟はまるでわかってない。
なので
「今忙しいから家の中をいじられるのは困る」
「いつヒマになるか? ってわかんないな~」
「とにかく オレは何もしないよ。金も出さないし」
「俺は困らないから これでいいから」
なんですと。
家をいじられるのは困ると言っても ワタシがリフォームしようと思っているのは父母の部屋、母屋から廊下続きの離れなんですよ。弟は「ここ何年も踏み込んでない」空間なので そこがリフォームされようがなんの影響もないはず。
「とにかく今年はやめてくれる? オヤジの手続きがまだ終わってないのに」
って 「オヤジの手続き」は関係ないと思うんですが。とにかく何するのも仕事以外のことはめんどくさいらしいよ。
ワタシの友達はみんなセッカチ。思い立ったらすぐやる人たちなので、事情を知ってる建築士のNちゃんなんかも
「局ちゃん すぐにとっかかりなよ。こういうことは思い立ったらじゃないと、せっかく手間と金かけても その恩恵にあずかる時間はどんどん短くなるんだからね!」
「それに資源も年々高騰してるからね。早いほうがいいよ」
まったくである。
なので、今回リフォーム会社の社長と会ってだいたいの要望はお話しした。
そして今月中にもう一度、今度は職人さんとサッシ関係の会社の人に来てもらって、大体の見積もりと行程を出してもらうことにした。
それは良いんですけどね。
問題はまず片付け。
ベッドルームだったのでオオモノはベッド 母の鏡台 箪笥が一つ 書棚が一つ 壁一面 天井までの作り付けのクローゼット(中身満杯)
ワタシはリフォーム会社に頼めるかな~と思ったら、
「それはできないんで、お部屋片づけはしておいてくださいね~」とあっさり却下。
実家地方は粗大ごみは町内で回収する日は年一度(いくつでも出せる)でも8月に今年分は終わった。
その他は市の粗大ごみ回収は無料だが一度に3つずつ。
自分で廃棄施設に運ぶこともできるが平日のみ。だいたいワタシ一人じゃとても無理。
そこに住んでる弟は一切やる気なく、オットやムスコは平日は超多忙。
ワタシ一人でベッドと箪笥をどうやって運べというのだ!
と絶望感に襲われたが、思い出したのはいわゆる終活のNPO法人を主宰している故郷の同窓生。
「これこれこういうんだけどさ~ 部屋の片づけってできる?」と電話したらあっさり
「いいよ~ そのくらいの部屋だったら〇万円くらいはもらうけど 安くしとくよ」
と びっくりするような値段でやってくれそうな気配である。
やはり神は我を見捨てなかった。 普段故郷の友人との飲み会も大事だな~(そこか)
そうとなると 少しは細々したものを片づけなければならない。
ワタシはリフォーム会社の人に会ったあとにさっそく両親の部屋を片付け始めたんですね。
父のクリーニング済のワイシャツが30枚ほど出て来た。
あとは推して知るべし。
すべての空間にモノがある・・・
クリーニングしてあるものは こちらに持ってきて区の古着回収に出した方が有効活用できそうなので自分の車に積む。
クリーニング屋の袋から出したり、襟に挟まれた紙を取ったりして、また袋に戻すのも結構な手間であった。
下着やもう絶対誰もいらなそうな布地類はゴミ袋に突っ込んで市の回収が月に二度あるらしいので 日付をマジックで書いて並べて置いた。
せめて このくらい出せよな 弟・・・
そしてこの部屋のエアコン やはりナショナル製
そして使用不可能なのである。朝も早くからとりかかった片付けだが、10時過ぎたら汗だくで継続不可能・・・
この夏 一番ありがたいな~ と思ったのはエアコンって存在ですよ。
しかし、自分のお誕生日に会いに来て、孤軍奮闘で片づけしているムスメを憐れんだのか・・・・
もうほとんど引き上げたと思った母のアクセサリー類だったが、ベッドわきの棚に無造作に袋に入れてあったのである(あぶねー 捨てるところだった)
こんなの↓
それぞれ鑑定書まであった。でもゴージャスだけど昭和の金満マダムっぽいな~
ムスメに見せたら
「これはこれで合わせようによっちゃ面白いかも でもDubaiでばらして作ってもらいたかったね」
確かにDubaiのゴールド&ダイアモンドモールに持ってって今風のものに作り替えたかった・・・(バチアタリでゴメン 母よ)
あとは 母の作ったエコバッグも綺麗なままで出て来た。
几帳面に差したステッチが母らしい
持ち手部分は布をほぐして編んで紐状にしてある。どんな細工?
これは大事に使おうかな・・・
あとワタシが見たこともなかった時計類や父のカフスボタンなども出て来た。
こうなると やはり無下に全部廃棄! とはいかない両親のモノ。
そんなこんなで夏の終わりはいつもなんとなく調子が悪いのに 今年は残暑にもダメ押しされつつ へとへとです。