12年前の3月11日はあの東日本大震災でした。
12年後の3月11日の前後、マスコミは、今年もそれぞれに、巨大な災害とその経験と記憶の中に生きる人々との間をつなぐ沢山の多角的な報道を企画し、我々はそれを見、想いを新たにして自然災害と日本人の関わり方を考えさせられました。
日本列島は、豊かな自然の恵みを、そこに住む人々にもたらしてくれるのと同時に、巨大な自然災害が、時に、そこに住む人々を襲うところでもあるという事を日本人は縄文時代からの実体験の中で理解しつつ自然と共存する知恵と文化を育んで来たのでしょう。
その中でも巨大地震と津波は最も恐ろしい自然災害として記憶や記録に残されているものでしょう。
今も、南海トラフ大地震については、専門家もマスコミも、国民に最大限の注意喚起を行っているところです。
こうした自然災害について、日本人の感覚は諦観にも似た一種独特のものかもしれません。
マスコミの報道の中にも家族や友人を亡くされた方は大勢登場します。
ある方は、夫の写真を前に、「12年たって、私は年を取り取りましたが、夫はあの時のままです」と話され、またある人は、12年前津波にのまれた未だ子供だった娘さんが、立派に成人して家族と共に笑いあう絵を著名な画家に依頼して描いてもらい、若し生きていれば家族はこんな様子なのでしょう」と感慨を述べておられました。
そうした方々の気持ちをお伺いして感じるのは、癒されることのない喪失感と同時に、その現実を運命的なものとして受け入れ、その思いを自然の摂理の中に純粋に昇華させているような極めて素直な美しいとさえいえるような心の在り方です。
このブログも、こうした話で終われればいいのですが、東日本大震災についての報道は、必ず福島第1原発の事故につながるのです。
勿論直接の原因は、東日本大震災ですが、つくづく思うのは、あの原発事故がなければ、日本人は毎年の3月11日を、もっとずっと平静な気持で迎えられたのではないかという感慨です。
津波による全電源喪失、それに発するあらゆる災害は、どう考えても「人災」です。
「原発は日本の中で最も安全な場所です。地震の時は原発にいれば大丈夫」などという言葉を何度聞いたでしょうか。
「咽喉に刺さった魚の骨」というより、「大脳に刺さった金属針」とでもいうべきでしょうか。「原発は絶対に安全です」との神話を作り国民のすべてを、総理大臣まで含めて騙したのは一体誰なのでしょう。
日本人は、自然災害なら、いかに大きなものであっても、最終的には、受け入れることが出来るように思いますが、「人災」については、これは全く違うのではないでしょうか。
ここで最近の原発問題については、敢えて書くことはしませんが、国民全体を騙す嘘を言い、その責任の所在も明らかにせず、改めて安全だと言い張るような事にどうしてなってしまうのか、矢張り日本人皆で考えなければならない問題ではないでしょうか。
12年後の3月11日の前後、マスコミは、今年もそれぞれに、巨大な災害とその経験と記憶の中に生きる人々との間をつなぐ沢山の多角的な報道を企画し、我々はそれを見、想いを新たにして自然災害と日本人の関わり方を考えさせられました。
日本列島は、豊かな自然の恵みを、そこに住む人々にもたらしてくれるのと同時に、巨大な自然災害が、時に、そこに住む人々を襲うところでもあるという事を日本人は縄文時代からの実体験の中で理解しつつ自然と共存する知恵と文化を育んで来たのでしょう。
その中でも巨大地震と津波は最も恐ろしい自然災害として記憶や記録に残されているものでしょう。
今も、南海トラフ大地震については、専門家もマスコミも、国民に最大限の注意喚起を行っているところです。
こうした自然災害について、日本人の感覚は諦観にも似た一種独特のものかもしれません。
マスコミの報道の中にも家族や友人を亡くされた方は大勢登場します。
ある方は、夫の写真を前に、「12年たって、私は年を取り取りましたが、夫はあの時のままです」と話され、またある人は、12年前津波にのまれた未だ子供だった娘さんが、立派に成人して家族と共に笑いあう絵を著名な画家に依頼して描いてもらい、若し生きていれば家族はこんな様子なのでしょう」と感慨を述べておられました。
そうした方々の気持ちをお伺いして感じるのは、癒されることのない喪失感と同時に、その現実を運命的なものとして受け入れ、その思いを自然の摂理の中に純粋に昇華させているような極めて素直な美しいとさえいえるような心の在り方です。
このブログも、こうした話で終われればいいのですが、東日本大震災についての報道は、必ず福島第1原発の事故につながるのです。
勿論直接の原因は、東日本大震災ですが、つくづく思うのは、あの原発事故がなければ、日本人は毎年の3月11日を、もっとずっと平静な気持で迎えられたのではないかという感慨です。
津波による全電源喪失、それに発するあらゆる災害は、どう考えても「人災」です。
「原発は日本の中で最も安全な場所です。地震の時は原発にいれば大丈夫」などという言葉を何度聞いたでしょうか。
「咽喉に刺さった魚の骨」というより、「大脳に刺さった金属針」とでもいうべきでしょうか。「原発は絶対に安全です」との神話を作り国民のすべてを、総理大臣まで含めて騙したのは一体誰なのでしょう。
日本人は、自然災害なら、いかに大きなものであっても、最終的には、受け入れることが出来るように思いますが、「人災」については、これは全く違うのではないでしょうか。
ここで最近の原発問題については、敢えて書くことはしませんが、国民全体を騙す嘘を言い、その責任の所在も明らかにせず、改めて安全だと言い張るような事にどうしてなってしまうのか、矢張り日本人皆で考えなければならない問題ではないでしょうか。