PBRというのは、Price Book-value Ratio(株価純資産比率)、つまりPrice(株価)をBook-value(=1株当たり純資産)で割ったものです。
これは1株あたりにした比較ですが、純資産というのは自己資本の事で、資産総額から負債を引いたもの、「解散価値」(今解散すれば借金を払っていくら資産が残るか)です。
一方株価の総額(株価×発行済み株式数)は「時価総額」です。
つまり、「時価総額」を「解散価値」で割っても同じです。
解散価値の方が、時価総額より大きければ、解散すれば株主は株価より多い分け前をもらえます。時価総額が足りなければその分は株主の損になります。
つまり、PBRが1より小さければ、倒産しても安心、1より大きければ倒産したら損になります。株価が資産価値より上がり過ぎているという事です。
さて、ところがです、今問題になっているのは、日本の主要企業のPBRは、1を割っているところも多くて、株価が低すぎる、もっとPBRが高くなるような経営をすべきだという指摘が最近多くなっているのです。
考えてみれば、日本企業はプラザ合意とバブル崩壊以降2012年までは円高というコストアップに対応すための苦労を重ね、身を縮めてコストカットに邁進。リーマンショック以降は、更に瀕死の円高に耐えて、さらなるコストカットの努力をしてきました。
そして2013~4年の異次元禁輸緩和で突如コストカットの必要のない経済環境(円レート120円)になり、何もしなくてもそれまでのコストカットの成果が円安差益で入ってくるといったことになったわけです。
正に円レートの80円から120円への転換は輸出産業を中心に予想外に収益好転を齎し一挙に縮小均衡路線を脱しました。
しかし25年以上にわたるコストかったに疲れ果てた日本企業は、円安による円建て利益の増加でホッとし、当面そこに安住してしまったようです。
円安で収益は好転し、内部留保で自己資本(純資産)は増え、経営は安定しましたが、些かゆっくりし過ぎたようです。コロナもそれに追い打ちをかけました。
そうした10年を経て、漸くこのところ「さて、もうひと頑張り」という気持ちになったのでしょうか、技術革新の波に乗った積極的な企業行動が見え始めたように思います。
そういう経済活動のムードの変化が、最近のPBR議論になり、蓄積資本を今後の企業発展に使うべきで、資産内容より、企業の将来性への期待から株価が上るような経営をすべきではないか、といった積極経営への注目が生まれたのではないでしょうか。
かつての日本の高度成長期は、それぞれの企業が成長するので、結果的に、その合計である経済成長が急速に進んでいるというのが実感でした。
そしてそういう時は、成長を牽引する経営、経済理論が盛んになるのです。
もしこの仮説が正しければ、政府の政策がどうあろうと、日本経済は経済成長期に入ることになります。今年はその気配が感じられる年になりそうな気配です。
そうであれば、そこで政府のなすべき役割は何でしょうか。
多分それは、そうした折角の日本経済・社会の新たな変化を、戦争に巻きこまれることで潰してしまわないようにするという事になるのではないでしょうか。
これは1株あたりにした比較ですが、純資産というのは自己資本の事で、資産総額から負債を引いたもの、「解散価値」(今解散すれば借金を払っていくら資産が残るか)です。
一方株価の総額(株価×発行済み株式数)は「時価総額」です。
つまり、「時価総額」を「解散価値」で割っても同じです。
解散価値の方が、時価総額より大きければ、解散すれば株主は株価より多い分け前をもらえます。時価総額が足りなければその分は株主の損になります。
つまり、PBRが1より小さければ、倒産しても安心、1より大きければ倒産したら損になります。株価が資産価値より上がり過ぎているという事です。
さて、ところがです、今問題になっているのは、日本の主要企業のPBRは、1を割っているところも多くて、株価が低すぎる、もっとPBRが高くなるような経営をすべきだという指摘が最近多くなっているのです。
考えてみれば、日本企業はプラザ合意とバブル崩壊以降2012年までは円高というコストアップに対応すための苦労を重ね、身を縮めてコストカットに邁進。リーマンショック以降は、更に瀕死の円高に耐えて、さらなるコストカットの努力をしてきました。
そして2013~4年の異次元禁輸緩和で突如コストカットの必要のない経済環境(円レート120円)になり、何もしなくてもそれまでのコストカットの成果が円安差益で入ってくるといったことになったわけです。
正に円レートの80円から120円への転換は輸出産業を中心に予想外に収益好転を齎し一挙に縮小均衡路線を脱しました。
しかし25年以上にわたるコストかったに疲れ果てた日本企業は、円安による円建て利益の増加でホッとし、当面そこに安住してしまったようです。
円安で収益は好転し、内部留保で自己資本(純資産)は増え、経営は安定しましたが、些かゆっくりし過ぎたようです。コロナもそれに追い打ちをかけました。
そうした10年を経て、漸くこのところ「さて、もうひと頑張り」という気持ちになったのでしょうか、技術革新の波に乗った積極的な企業行動が見え始めたように思います。
そういう経済活動のムードの変化が、最近のPBR議論になり、蓄積資本を今後の企業発展に使うべきで、資産内容より、企業の将来性への期待から株価が上るような経営をすべきではないか、といった積極経営への注目が生まれたのではないでしょうか。
かつての日本の高度成長期は、それぞれの企業が成長するので、結果的に、その合計である経済成長が急速に進んでいるというのが実感でした。
そしてそういう時は、成長を牽引する経営、経済理論が盛んになるのです。
もしこの仮説が正しければ、政府の政策がどうあろうと、日本経済は経済成長期に入ることになります。今年はその気配が感じられる年になりそうな気配です。
そうであれば、そこで政府のなすべき役割は何でしょうか。
多分それは、そうした折角の日本経済・社会の新たな変化を、戦争に巻きこまれることで潰してしまわないようにするという事になるのではないでしょうか。