tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

公的な立場と本人の判断基準

2022年10月25日 13時32分08秒 | 政治
最近、マスコミを賑わす困った問題が沢山あります。

多くの人が、新聞やテレビを見たり聞いたり読んだりしていて、違和感を持ったり、不愉快になったり、不安や困惑を感じたりすることが、何か、だんだん多くなって来ているように感じる世の中になって来ているのではないでしょうか。

大はプーチンのウクライナ侵攻問題や、ごく最近の習近平の3期目政権就任とか、小は昨日報道された山際経済再生相の辞任までの紆余曲折とか、例を挙げれば随分いろいろあるように思われます。

こうした問題がなぜ起きるのかを考えてみますと、事の起こりは極めて単純で、問題発生の当事者である本人の判断基準と、より多くの人の判断基準が違ったものになっているという事なのでしょう。

民主主義というのは、「より多くの人の判断に従うのがいいのだろう」というのが基本になっているのでしょうが、人間が組織を作ったりそれを運営する政治という手法を考え出したりする中で、長い年月を経て、「やっぱりそれが良いのだとう」という事になったのでしょう。

ですから、ある人がより多くの人と違った考え方や行動をすると、社会的な違和感が生まれ、そのある人が公的な立場にある場合には、その社会全体の問題になるのでしょう。

本来であれば、公的な人になるのには選挙があって、より多くの人によって選ばれたのですから、公的な人の判断基準は多くの人のそれとあまり違わないというのが前提でしょうが。現実は往々そう巧くはいきません。

結果、公的な人がとんでもない間違いを犯すことも起こりうるわけで、プーチンはそれをやってしまいましたし、習近平は今後の行動が心配されるのです。

そうした現実が起きてしまった時、多くの人の考え方の方に引き戻す手段というのが、これは大変難しい事で、任期制とか弾劾とかでは不十分なようです。

現実には、世論調査や署名運動もあり、更にデモから革命、内戦までいろいろな手段が出て来るのですが、世論調査や署名運動、デモで解決する事はあまりないようです。

これは公的な立場で得られる権力や経済的利得が大きいので、その地位を手放さない事のメリットが、大きい事によるというのが多くの場合その原因のように思われます。
時にはその権力によって、世論を操作する事も可能になるというのが現状でしょう。

こう考えてきますと、この問題に対応する効果的な手段というのは公的な立場によって得られる権力や経済的利得をもっと小さくしていくことが、かなり大きな効果をもたらすのではないかと考えられます。

そんなことをしたら、公的な立場に立とうなどと考える人が居なくなっていまう、という心配もありそうですが、それこそが問題の根源という事でしょう。

世のなかには立派な人も大勢いるのです。損得などは眼中になくて他人のため、社会のために尽くそうという人は沢山います。
そういう人の中に、世界情勢から、国の内外の問題、より身近な人々の生活の問題まで、的確に判断できる人も大勢おられるでしょう。

公的な立場に立つことの本当の意味が、権力や経済的利得によって邪魔されることがない程度のバランスになった時、本人の判断基準は多分、大きく変わることになるのではないでしょうか。

その結果、民主主義の意味が、現状よりも、かなりの程度実効性を増すような社会になる可能性が大きくなるのではないでしょうか。

民主主義のポピュリズム化という問題についても、直接ではないにしても、国費による利益誘導で、票の獲得につなげるといったことが少なくなるという意味で、効果が期待できるかもしれません。

民主主義のトリセツ」にも、こんな視点も加えていかなければならないのかもしれないといった気もしてくるところです。