tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

リオと広島:戦争も平和も人が作るもの

2016年08月06日 15時52分27秒 | 国際関係
リオと広島:戦争も平和も人が作るもの
 「世紀の和解」と書かせていただいた オバマ大統領の広島訪問から2か月余が過ぎ、今年も広島原爆の日を迎えました。

 同じ時間帯で、リオデジャネイロ五輪の開会式が行われました。現地と日本の時差は12時間、リオの現地時間の8月5日夜に始まったリオ五輪開会式と広島の平和記念式典が重なることになりました。 
 
 どちらも見たいということでチャンネルを頻繁に切り替えながらご覧になった方も多いのではないでしょうか。
 
 オバマ大統領が、核兵器のない世界を目指して改めて発言をされるという報道もありますが、原爆の碑に刻まれた「安らかに眠ってください あやまちは繰り返しませぬから」に象徴される平和記念式典の心は「人類の平和」でしょう。

 今回は奇しくも同時刻に開催されえたリオ五輪の開会式ですが、オリンピックもその発祥の原点に「武力で争わずに、人々(ギリシャ人)が競技で競う」という強い意識があったことは事実のようです。

 今回のリオ五輪では、「平和」をキーワードにしたいくつかの優れた演出が見られました。

 ・難民代表チームが参加したこと、
 ・ケニアのキプチョゲ・ケイノ氏(メキシコ五輪陸上1500でケニアに初の金メダルをもたらし、そのご青少年育成に尽力、陸上王国ケニアを実現) に新設のオリンピック栄誉賞が授与されたこと、
 ・開会式のブラジルの歴史の中で日本移民の登場を広島の黙とうに時刻に合わせたこと、
などです。

 オリンピックについてはその商業化、カネがかかりすぎるなど、心すべき点は多々ありますが「平和の祭典」としての意味を、ますます強めていくべきではないでしょうか。

 戦争も平和も「人」がつくるものです。武器で争わずに、競技で競おうという古代オリンピック精神の原点は、2000年余を経た今も、残念ながら未だ人類の課題であるようです。