tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

変動相場制と固定相場制の間で

2016年08月26日 21時20分22秒 | 経済
変動相場制と固定相場制の間で
先日、8月10日に「変動相場師は怠惰を正当化?」と書きました。8月23日には「実体経済を反映した為替相場が合理的だが」とか書きました。
 
 前者は、一生懸命国民経済生産性を上げても、その分為替レートを切り上げられたら、競争力は改善せず、頑張った成果は消えてしまうので、生産性を上げるインセンティブがなくなるという趣旨です。

 後者は、生産性はせいぜい年に1~2パーセントぐらいの変化ですが、為替レートは1割も2割も変化するのだから、全く経済合理性がないという趣旨です。

 かといって、固定相場制にすれば、かつての日本とアメリカのように、どんどん生産性を上げる日本と、あんまり上がらないアメリカで、貿易摩擦ばかり起き、ついにはプラザ合意のような行き過ぎた為替調整が起きて、世界経済は混乱するわけです。

 結局は、その間を取って、一定期間固定相場制にし、何年かに一度多角的な為替レートの総合調整をするといった方法しか、現実的な選択肢はないのでしょう。
 そうすれば固定相場の何年かの間は、生産性を上げた国にはメリットがありますから、生産性向上のインセンティブは働きます。
 
 生産性のあまり上がらない国は、一生懸命生産性を上げようと努力しますが、力が及ばなければ、何年かに一度の為替レートの調整で救済される、という形です。
 ゴルフで実力をつけても、直ちにハンディが上がってしまえば優勝のチャンスはありませんが、ハンディが上がるまでに多少の期間があれば、その間は勝てるチャンスがあるというようなものでしょう。

 人間、なんでも頑張ったらメリットがなければなりません。個人の給料でもボーナスでもそうです。
 しかし、頑張ったのが100%本人に帰属し続けると、格差社会になってしまいます。成果を上げた人、生産性を上げた国は、それなりに寛大になって、頑張っても残念だった人や国に、自分の成果を分けてあげることが、社内の融和や世界の平和に必要なのです。

 多くの場合、物事には両端 (ここでは固定相場制と現状の変動相場制) があります。そして、通常、「真理」は、どちらかの端にではなく、その中間のどこかにあるのです。
 今のアメリカ主導の金融、為替の世界では、そのために知恵を出そうという雰囲気はなさそうです。

 中国は自己都合中心で現状に抗っていますが、日本のように、それで損ばかりしている国は、少し積極的に、世界経済の安定のために、為替問題の論議の本格化を国際的な関連組織や会合(G7からIMF迄)で主張した方がいいのではないでしょうか。