tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

改めて国連の役割を問う

2022年06月28日 12時04分30秒 | 国際政治
改めて国連の役割を問う
ロシアのウクライナ侵攻という戦争は、長期化の様相を濃厚にすると同時に、ますますおかしな形のものになって来ました。

ロシアの侵攻の様相は、占領したいウクライナの地域の都市の完全破壊が目的という状態です。

常識的に考えれば、こんなに破壊してしまって、自分の領土にしても、人間が住み、働く場所として再建するのには膨大な時間とカネがかかる事は明らかなのに、無理を重ねて野蛮な破壊行為をすることに何の意味があるのかと思ってしまいます。

考えられるのは、恐らくプーチンが自分のメンツにかけて、「勝った」と言える戦争にしたいという事でしょうか。プーチン以外の人にそれが何の意味を持つのでしょう。

ロシアは、ウクライナの首都キーウでも、どこの都市でも勝手に爆撃やミサイル攻撃が出来るのに、ウクライナでは、モスクワはおろか、ロシアの領土にはミサイルも撃ち込めない(撃ち込まない)と言う戦争になっているようです。

国境線での戦闘のウクライナの不利は明らかで、こんな状態を見れば、日本でも、いざと馴れが「敵基地攻撃能力」が必要だなどという意見が強まるようです。

ロシアは民間施設、民間人も無差別に攻撃しているように報道されていますが、ウクライナはそのあたりは自重しているように思われます。

戦争犯罪についても、ロシア兵については国連の担当機関の調査が行われているようですが、ロシアについては、捕虜(民間人も含む?)はシベリアやサハリンにまで移送して何らかの労働に従事という事のようです。(昔、日本人のシベリア抑留を彷彿)

こんな異常な形の戦争(戦争は皆異常なものですが)長期化している中で、自由と平和を掲げて世界人類のガバナンスを担う立場になる国連は何が出来るのでしょうか。

国連のグテーレス事務総長はプーチン大統領と会談しました。グテーレス総長は、ロシアのウクライナ侵攻は国連憲章に違反していると指摘しました。プーチンは持論の正当性を勝手に主張しました。結果はマリウポリの民間人避難問題に矮小化していました。

世界では国連の権威に期待する人は多いでしょう。しかし現実は、国連の権威は、それを無視する相手にとってはほとんど無力なのです。

ウクライナの頼みは、アメリカ、NATOをはじめ世界の良識ある人達の支援です。しかし世界の良識を以てその権威を支えるべき国連は,「国連憲章を無視する人」にとっては無力なのです。

滅多に出てこないかもしれませんが、地球人類の中に国連憲章を無視する人が一国のリーダーになる事も有り得るのです。

地球人類の平和と持続的発展を目指して、そのためのガバナンスを目指す国連は、その権威を支えるための権力も併せ持たなければならない事を、今回のロシアの暴挙は、はしなくも明らかにしてしまったのではないでしょうか。

ウクライナで被災した方は「21世紀にこんなことが現実に起きるなんて・・・」と天を仰いでいました。
しかし、21世紀にもプーチンは存在したのです。

ところで、世界を見渡せば、21世紀の今も、国の権威を維持するために警察力を持たない国はないようです。
国連にも、やっぱりそれが必要だという事になるのかどうか、国連の権威維持のために、如何なる権力が必要なのか、世界の国々が、国連総会と言う意思決定機構の中で模索すべき当面する最重要な課題になりうるのではないでしょうか。

核兵器禁止条約と日本

2022年06月23日 22時51分36秒 | 国際政治
核兵器を持たない国の思いを集めた核兵器禁止条約第1回締約国会議が昨日終わりました。

批准国50か国で第1回会合という目標が達成され(批准国65か国、署名86か国)、オブザーバー国も含めて開かれた第1回の会合です。

核兵器を保有しない国が描く、核兵器のない人類社会への具体的な道を検討するという意味で、今後ますます重要な意味を持つものになるのではないでしょうか。

日本は核兵器を持たない国です。非核3原則も持っています。しかし、残念ながら、今回の会議にはオブザーバー参加もしない国になり、世界中から広島、長崎の経験を持つのに参加しないのは残念という声があったようです。

しかし同時に、核兵器禁止踏み切れないという意味で、残念という声と共に、一抹の不信感を持たれる立場になったような気がします。

今、世界では、核兵器を持つ国と核兵器は持たないが核兵器を持つ国の傘に入っている国と、核兵器を持たない国の大きく3種の国があるのではないでしょうか。

こうした状況の中で、いわゆる核の抑止力という観点から、現実に核兵器が使用されることはないだろうという考え方が、如何なる役割を果たしているかという問題は極めて微妙なものになってきています。

核保有国が、核兵器は持っているが、他に先んじて使う事はないだろうというのが核の抑止力という考え方の根底にあるものでしょうが、ロシアが今回のウクライナ侵攻の中で、率先使用をも感じさせるような発言をするという現実が出てきました。

これが、単なる脅しなのか、それともプーチンが土壇場になれば現実になるのか、それは今のプーチン自身にすら解らない問題なのかもしれません。
本当は、プーチンに、核兵器は絶対に使うべきでないと考えさせることが必要なのでしょう。(もしプーチンがロシア正教を信じるのであれば「神との契約において」です)

現実の国際情勢が、こうした予測不能な状態にあるのであれば、今人類社会がしなければならないことは何なのでしょうか。

冷静に考えてみれば、かもしれないという事が現実になる可能性を計算に入れつつも、人類社会全体が、そういう事は起きないという信念に向けて行動する以外にはないのではないでしょうか。

幸なことに、世界で唯一の核戦争被爆国の日本は、恨みつらみをいつまでも残す国ではなく、より良い将来に向かう未来志向の考え方に切り替える事のできる国民の国です。
アメリカの原爆投下に関しては、世紀の和解が成立している国なのです(これは稀有の事かもしれません)。

今人類にとって必要なことは、先ず、核兵器は、例え持っても、人間はそれを使う事はないという原則、信念を、すべての人間が確りと持つことではないでしょうか。
全てはそこから始まるように思う所です。もちろん終着駅は核廃絶です。

核兵器が人類に与える、人類社会にあるまじき現実を体験し、そこから再出発している日本の果たすべき役割は大変大きいような気がします。

日本は国連を大事にしよう

2022年05月30日 15時00分42秒 | 国際政治
この何年かリーダーが独裁的な傾向を帯びる国が増えてきました。

そのことは大変気になっており、触れて取り上げ折にてきました。こうした傾向の国が増えることが、世界の雰囲気としては何か伝染病のように広がる恐れがあるような気すらします。

第二次世界大戦の前も、ドイツ、イタリア、日本といった国が次第に独裁制を強め、そうした動きが互いに影響し合って枢軸国を形成し、更に互いに刺激し合って開戦に至るというという伝染性が見られるような気がします。

第二次大戦後は、その世界的な大惨禍の経験から、もうこんな馬鹿げたことはしないと枢軸国ドイツ、イタリア。日本は、多分もう戦争を仕掛けかけるようなことはしないだろうと誰もが考える国になり、中でも日本は国際紛争を解決する手段としては、永久にこれ(戦争)を放棄すると憲法に書く国となりました。

そうしてことを予見し、世界が平和になることを実現しようという趣旨で国連が作られ、第二次世界大戦で勝って、世界平和を実現するという大役を果たした第二次大戦の戦勝国、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連(今はロシア)、中国、の5か国で国連を運営する常任理事国になったという事でしょう。

ところがその後70年以上たってみましたら、この5か国のうち、世界を平和にしようと考えていた国はアメリカ、イギリス、フランスの3国で、ロシアと中国は、国連の常任理事国になったことを足掛かりに、自国の領土や権力のの拡大を考えていたことが解ってきてしまいました。

それも、この両国の国民がそう考えているというのではなく、偶々この時点でその国のリーダーになった人がそういう傾向を持っていて、リーダーをやっているうち、次第に独裁的になり、かつて、第二次世界大戦で戦勝国になり世界のリーダーの地位に輝いた先輩の遺志を継いで、自分ももう一度、この国を率いて、さらに強力な戦勝国になって世界に君臨したという野望を持つようになったという事でしょう。

そういう可能性のある国を、戦勝国だったという理由で、国連の常任理事国にし、選挙による交替もなく、放置しておいたことが、今日の国連の機能停止状態の要因になってしまったという事でしょう。

常任理事国5か国は拒否権を持っていますから、常任理事会では、世界の平和にとって大事なことも(今回の北朝鮮の核問題のように)ロシア、中国の反対で全く決めらえません。
 
世界の平和と安定のために役立つ国連にするためには、自国の権力の拡大を、世界の平和の上に置くような国は、選挙で、常任理事国になれないという、民主主義の常識を具体的に機能させる以外にないでしょう。

今の状態の国連をそのまま存続させることは世界人類にとって、巨大な損失でしょう。手段が目的を阻害するようになった時は、手段をより合理的なものに変更する以外に方法はないのではないでしょうか。

その意味では、今こそ遅れに遅れた国連(地球人類のための組織)自体を民主主義の貫徹する組織へと改革する事が必要なのでしょう。

ロシアにしても中国にしても、独裁者個人、その意向を忖度する一派はいざ知らず、多くの国民は戦争より平和を望んでいる事は明らかです。

こうした中で、日本は、アメリカの意向を忖度して、なし崩しに戦争をする国になるのではないかと世界から思われ始めているようです。
これは歴史を20世紀初頭に引き戻すお手伝いをする国に堕すことではないでしょうか。

折角世界人類の歴史を先取りして、民主主義を戴し、平和憲法を掲げた日本です。ここは徹底的に踏ん張って、国連組織を民主主義の組織とすることで、世界人類の平和を守るために、全ての努力を傾注するときではないでしょうか。

日本は国連の活動を本来のあるべきものに作る上げることで、世界人類の平和な生活の確保に貢献する以外に選択する道はないと観念し、余計な邪心は持たないで、誠心誠意、世界人類のために役立つ国であってほしいと思っています。

憲法記念日と戦争

2022年05月03日 13時34分51秒 | 国際政治
日本は世界でも平和憲法を掲げる数少ない国の一つです。

憲法記念日ですから、マスコミも平和憲法の是非についていろいろな立場からの意見を取り上げ、それぞれに主張や解説、論評など特集しています。

特に今年の場合はウクライナ問題があるので、平和憲法を掲げる日本でも、改憲についての議論が盛んです。

改憲の議論が出るたびに、特に賛成、反対の世論調査などの場合に、何時もはっきりしないのは改憲の中身が平和憲法をやめて戦争する国になろうという意見なのか、平和憲法については変えることは考えず、それ以外の点で、改正した方がいいという事なのか、必ずしもはっきりしない事でしょう。

平和憲法は、今は日本の立国の基本と考え、ついでにそれ以外の点も絶対に現状維持と言うのもおかしな話ですし、直接に戦争の出来る国にしようとは言わないけれども、そこに持っていくために、差し当たって外堀を埋めるような改正をしようという意見もあるわけで、改憲の中身はいつももやもやのようです。

やっぱり憲法論議の基本は、国政上の手続きや、利便性、国民の日常生活の合理性確保といった問題はともかく、日本が再び戦争をする国に逆戻りすることを選ぶかどうかという一点について議論を絞って、その他の問題とは別にした方が解り易いでしょう。

確かに、戦争をしないと言っても、正当防衛のための戦争は国際的に認められているわけですし、世界に独裁者がいる限り、狂気は常識では判断できませんから、不条理な侵略をうける可能性がゼロとはいかないでしょう。

しかし世界の多くの国に先駆けて、歴史を100年ほど先取りし、平和憲法を掲げ、80年近い年月を平和に過ごしてきた国が、ここにきて以前の戦争をする国に戻るというのは、あまりに情けない話ではないでしょうか。

この場合、戦争をしない国として自国の意地を通す論拠、戦争をする国に逆戻りして、戦争に巻きこまれる危険、この戦争に協力せよというお誘い、せっかく戦争をする国になったのだから何か少し動いてみようという誘惑など、いろいろな可能性が出て来ることになるのでしょう。

「毛を吹いて傷を求める」という言葉もありますが、余計なものを持つと、余計なことをしてみたくなる日本人もいないとは限りません。

それなら、筋を通して、戦争(国と国との争い)には関係しません、世界人類の意思決定による、国連の治安維持活動や警察活動には、国連のそうした組織の一員として適切な形で協力しますということではないでしょうか。

そうした世界人類のガバナンスを可能にする国連の体制の整備について、日本は積極的に動くといったことで、国連中心主義を旗印に、世界の平和、安定に協力するという道が、戦争をしない国日本としての進むべき方向なのではないでしょうか。

地球人類社会の意思決定機関は「国連総会」でしょう

2022年04月28日 20時31分34秒 | 国際政治
ロシアのウクライナ侵攻は、ロシア、中国のこれからの態度次第で、第三次世界大戦につながる可能性もあるといわれています。
 そんなことを地球人類は許していいのでしょうか。

ごく自然に考えれば、地球人類の大部分がそんな事は望んでいないといと解っていながら、人類社会の中の数えるほどの人間でしかない独裁者と、そうした人たちを信仰する極く少数の取り巻き、そして独裁者の恣意的な誤情報に騙されている人々、煎じ詰めれば、数えるほどの独裁者のために、人類のほとんどが望んでいない世界戦争という野蛮な行為に曝されるということが「起きるかもしれない」と言われているのです。

こんな事、人間が戦争をしなければならないといった事は、国際関係がどうとか思想や主義の違いとかいった難しい事を持ち出さなくても、「人間の自然な心情として」、おかしな事、あるべきでない事、人類社会は、そんなことはなくて当たり前と考えるのではないでしょか。

もともと、民主主義という考え方は。そういった「みんなが、より多くの人々が、良いと思う事が良いのだ」という人間本来の考え方から来ているのでしょう。ですから、これが人類社会の自然の在り方でしょう。

こうした人類の基本からきている民主主義ですから、正面切って、これに反対して、「みんなが嫌だと言っても、俺の考えに従え」と言う事は、出来ないし、時に出来ても長続きしないのが歴史の経験です。

今地球上に独裁国と言われる国はありますが、そういう国でさえ、その多くは、形は国民によって独裁者が選ばれているのです。
その意味では、民主主義という考え方が、基本的に人類社会のとって望ましい物であるという事は、独裁者においてすらも、頭のどこかには入っているはずです。

であってみれば、地球上から独裁者をなくすことは決して不可能ではないのではないでしょうか。
そして、そのために必要なことは、人類社会の行動についての絶対的な権威は、ほかならぬ人類社会の総意の多数決ということではないでしょうか。

一国の政権のリーダーであろうとも、地球人類の多数意見には従わなければなんらいという「地球人類民主主義」こそが最高の権威ということであれば、地球上で、独裁者による戦争といったものは、恐らく消滅するのではないでしょうか。

考えてみれば、既に人類は、それだけの知恵を持っており、そのためのシステムも作ろうと努力して来ているのです。
具体的には、国連機構がそれでしょう。国連総会は、世界人類のための「地球人類民主主義」実現の舞台です。

この、「地球人類民主主義」の舞台を、いかに生かしていくかが、当面する課題ということではないでしょうか。

今回国連総会で決まった「常任理事会」で拒否権を行使した場合には「理由を説明すること」は、その第一歩になるのかもしれません。

民主主義国は多数の意見を合理性の根拠にして「力による解決」は否定します。一方、独裁国は、政権に反対する世論を抑えるために「力がもっとも重要」です。
従って、戦争という「力の勝負」になれば、独裁国の方が強いのは、いわば当り前です。

そこで、意見は2つに分かれます。1つは民主主義国も力を強くする必要があるという意見、もう1つは、地球人類の最高権威である「国連総会」の決定を執行する統一地球行政機関である国連組織が「人類多数決の権威に裏付けされた力」を持つべきという意見があるでしょう。

今は、民主主義国も力を強くという意見が一般的なようです。然しそれは人類の生活を破壊する兵器の山を、人類のより良い生活を犠牲にして築くことでしかありません。

いつの日か最高権威である国連総会、国連組織が、世界人類の平和と繁栄のために必要な「力」を保持するという事になるのが理想でしょう。
そしてその時は、「国連軍」ではなく『国連警察』ということになるのが、あるべき姿ではないでしょうか。

人類社会と独裁者の存在:SDGsの視点から

2022年03月14日 16時39分08秒 | 国際政治
今、地球人類は1人の独裁者に振り回されています。
過日「独裁者の傾向ある人を見分ける方法」書きました。しかし、油断すると独裁者は生まれてくるようです。

王朝制が続いている場合は独裁政治は王朝の継続とともに続くこともありますが、民主主義国家では独裁者は個人ですから本人の寿命以上には続かない様です。

ですから、その独裁者が君臨する期間は国の命運が痛ましいことになりますが、独裁者が死亡すれば、後継者がその経験から学び、良い国造りをして、再び国は発展するという事になるよう、国民は考え努力しなければならないのでしょう。

ところで、今、地球人類にとって大事な問題になっているSDGs(持続可能な開発目標)の立場から見ますと、独裁者の存在は、その国という単位で、SDGsの阻害要因になるのが一般的で、例えば、中国の文化大革命、カンボディアのポルポト政権などは、それぞれぞれの国の発展を大幅に遅らせたことは明らかですし、今回のミャンマーの軍事政権でも、ミャンマーの発展は大幅に遅れるでしょう。

歴史に鑑みれば、独裁政治は一般的に、あるいは必然的に結果としてはSDGsに反したものになっていると言えそうですが、それが一国のレベルにとどまらず、地球的な問題になる可能性が大きいのが今日の人類社会の深刻な問題なのではないでしょうか。

それは、すでに皆様お気づきのように、「核兵器」の存在と深く関わる問題です。

すでに今現在、ロシアに君臨する独裁者プーチンは、ロシアが核超大国であることを世界に喧伝し世界人類を人質にとって、自らの意思を押し通ろうとしています。

常人であれば、冗談で言うのも憚られるようなことを、真面目に、世界人類を脅そうとして発言するという異常な人間が核超大国の独裁者として君臨しているというのが現実なのです。

この発言は今は脅しなのかもしれません。しかし今後のロシア対地球人類社会というウクライナ侵攻に発する問題の展開如何によっては、これが単なる脅しではなく、恐るべき現実になる可能性を完全に否定することは誰にも出来ないでしょう。

SDGsの視点から言えば、これまでの多くの独裁政権による統治、そこから発する内戦や社会の混乱は、国内問題として、その国の持続的な発展を阻害し、その国の国民の、家族の生活の持続的発展を破壊するものという事だったのでしょう。

しかし、ロシアの、というよりプーチンの今回の行動は、現実に国際間の戦争に発展し、その抑止のために世界の経済社会の持続的発展に深刻な混乱をきたすという地球的な問題に拡大し、さらに、もし「核」の問題に発展すれば、世界人類社会トータルの持続的発展に、場合によっては「終止符を打つ」ような超危険な事態を将来しないとも限らないものになりつつあるのではないでしょうか。

「核」の時代の核大国が独裁国になるという事は独裁国という事は独裁者の思考過程に異常が発生した場合には、地球人類社会のSDGsといった目標、それを掲げる人類社会を、まさに烏有に帰す可能性を持つものになっているのです。

科学技術の開発は、独裁者の権能を、ここまで大きくする可能性を開いたのです。
あらゆる科学技術の可能性は、人類社会がそれをコントロールできる範囲を超えているのではないかといったことが、今回、はしなくも見えてしまったのではないでしょうか。

果たして、人類社会はその修復に間に合うのでしょうか、それとも間に合わないのでしょうか。

「時間がない」、プーチンは焦っているのでは?

2022年02月27日 14時18分11秒 | 国際政治
プーチンさんは69歳、今年70歳になるのです。
古稀という言葉がロシアにあるかどうかしりませんが(多分無いでしょう),ロシアの平均寿命はかなり短く、2020年の数字ですが、女性は78.2歳、男性は特に短く68.2歳という事のようです。

プーチンさんは2000年に大統領になって、途中再選制限の規定のために大統領をメドベージェフさんに譲って総理大臣になりましたが、それは一期4年間で2012年には改めて大統領に当選という事で大統領就任、その後ルールを変えて2036年まで大統領をやれることになっているようです。

2036年にはプーチンさんは84歳になる計算ですが、平均寿命の短いのが気になったのでしょうか、統計上の予測を随分先取りして2024年に。ロシアの平均寿命を78歳(男女平均?)にするという目標(?)を大統領令で決めていたようです。

それでも、更に平均寿命から平均余命を算出するとしても2036年という大統領の就任可能な年とはかなり差があるようで、やはり(多分)念願として考えているロシアの旧ソ連圏への拡大の達成には時間が足りない、時間が惜しいという事なのでしょうか。

先ずクリミヤそして今回はウクライナ全土を目指すという事を21世紀には誰も「ない」と思っていた「戦争」という形で始めてしまったのです。

プーチンさん自身が大統領であるロシアの国民の多くが見ても、21世紀の今にあるまじき戦車と飛行機それにミサイルで地上戦を展開するといった常識外の暴挙に出てしまったというのは、やはり「時間がない」という「焦り」なのでしょうか。

日本にお住まいるロシアの方がたも「戦争はダメ」と言っていますし、世界中のいろいろなところに居るロシアの人達も同じようにデモや集会で訴えています。

プーチンさんの生まれ故郷の旧レニングラードの方がたも、モスクワその他どこの都市でも「戦争は要らない」とデモをしているのが今のロシアです。

これもプーチンさんの焦りの結果でしょう、ウクライナの軍部に「クーデターをやれ」と言ってみてもそう巧くは行かないでしょうし、ミャンマーでクーデターをやって政権を握ったフラインさんをロシアに呼んでみても、事態が進展することはないでしょう。

ウクライナでの進撃は、ボクシングでいえば顔面ストレートかもしれませんが、自由世界からの各種の制裁はボディブローでこれから効いてくるのでしょう。ルーブルの価値は下落の一途のようです。

中國を頼れば、結局中国に頭の上がらないロシアになるという結果が待っているでしょうし、焦ってやることは、なかなか巧くはいかない事が多いようです。

世界にとって「起きなければよかった」という事になっていまいました。世界も(日本も)種々不自由、不具合なことは出てくるでしょう、しかし、地球市民のほとんどは、世界人類が絶滅危惧種にならないために、知恵と努力でこの困った問題に対処する意思を固めているのではないでしょうか。

起きてしまったことは事実なので、後はいかに破壊と犠牲が少なく、出来るだけ早期に終わることを願うばかりです。

情報化時代と戦争の開始

2022年02月19日 18時06分15秒 | 国際政治
ミサイルと核弾頭で戦争を仕掛ける様な事は、破壊が大きすぎると解っているので人類はしないと思っていますが、やっぱり戦争をしたい国(人間)が今でもいるようです、

今日現在も、世界はウクライナを挟んでの欧米とロシアの緊張状態を大変心配しながら注目しているというのが現実です。

しかし、通常兵器での戦争という事になりますと、陸上なら戦車、海上なら軍艦を集結させ、兵力を動員して戦う準備をしなければなりません。

第二次世界大戦のころはまだ、隠密行動、奇襲攻撃が可能だったのでしょうが、今は無数の人工衛星が常時地球を回り、地上の動静が1人ひとりの人間の動きも解るような解像度で見守っている世の中です。

ロシアとウクライナの国境に集結するロシアの兵力の様子は実際には丸見えなのでしょう。撤退するといって、実際に撤退しているのか、いないのか、逆に増強しているのかも、衛星はまさにライブで伝えているのでしょう。

バイデン大統領はそうした情報を刻々受け取りながら、「ロシアの侵攻はいつ始まってもおかしくない、今日かもしれない」といった情報を発信し、それは瞬時に世界中を駆け巡って、世界何十億の人々が、情勢の緊迫度を理解するのです。

既に、2014年、ウクライナのクリミヤ半島を力ずくで占領し、ロシアの領土と言い張っているロシアのプーチン大統領は、さらなウクライナの部分的占領を狙っていると見られているわけですが、もし本心からそれを狙っているとしても、こういう情報化時代の中では戦争を始めるタイミングをどう計るか、大変難しいのではないでしょうか。 

プーチン大統領自身も、ラブロフ外相との会談の模様をビデオで流し、ラブロフ外相の外交交渉の余地ありという提言を承認していることを世界に見せつけていますし、ドイツのショルツ首相の「戦争をしたいのか」という単刀直入の質問に対し「戦争を望んではいない」と述べたことも世界に報道されています。

しかし、戦争をしないと明言しえいるのではありませんから、世界の多くの人は疑心暗鬼で行く先を気遣っているのでしょう。

そういう中で、バイデン大統領の「今週の可能性も十分ありうる」などという発言が聞こえますと、例えその気でいても、「ハイ、その通りです」と言ってウクライナ侵攻を始めるというのはどうもまずいと感じるのではないでしょうか。相手の準備の情況も考えますから。

矢張り戦争を始めるというのは、何かきっかけがあって、偶発的に始まってしまったといった事にしたいという心理は働くのではないでしょうか。

そういう意味で、ウクライナの東部の州で、停戦協定がウクライナ側から破られたというニュースを流しましたが、これは即座に否定されるニュースが流れ、大事には至っていません。

こうして見てきますと、映像、ニュースの発信・受信が、世界中に即座に伝わり、世界中の人々がそれによって、それぞれに判断できる今の情報化社会というのは、使い方によっては紛争勃発の抑止に役立ち得る有効な手段になるのではないかといった気がします。

ウクライナ問題は、こうした情報発信戦略がどこまで紛争開始抑止の力を持ちうるかを考える第一歩になるのではないでしょうか。

ウクライナ情勢が緊迫しています

2022年02月15日 15時59分19秒 | 国際政治
〇曜日にロシアがウクライナに侵攻してもおかしくないなどという、我々にはウソかホントか全く解らない情報がマスコミに登場したりして、不安感が煽られるばかりです。

プーチン大統領も、そんな状況を気にしたのか、ラブロフ外相との話し合いの映像を公開して、ラブロフ外相が「欧米との対話継続は可能」と外交路線継続を進言する様子などを世界に明らかにしています。
またプーチン大統領自身ドイツのショルツ首相の「戦争をしたいのか」という質問に対し「戦争を望んではいない」と答えているそうで、すぐに戦争をする気はないようです。

いま、NHKニュースで報道していましたが、ロシアは、国境線に配備した戦車などの撤収を始めたという事です。

その通り受け取れば大変結構なことですが、それなら何で、世界中が戦争を懸念するようなことをしたかが問題で、それは、何とかしてウクライナを自分の配下に置きたいという願望があるからだという事はクリミヤ半島併合の時から世界中に解っていることです。

ウクライナはもともとソ連の領分だったのですが、ソ連解体で独立国家となったのは皆様ご承知の通りですが、だからと言って、今から力づくで自分ものにしようというのは、世界中どこへ行っても通用しない考え方でしょう。

それが、プーチン大統領の頭の中では、ウクライナをあらためてロシアの配下に置くことがいいのだという形で存在していて、独裁者がそういう考えを持っていると国がそれに従って動くというのが独裁国の困ったところです。

恐らくウクライナが豊かな国ですから、それを併合すれば得になるという理解なのでしょうが、それですとウクライナが損をする事になるので、ウクライナは反対というでしょう。

ウクライナが順調に発展し、ロシアも発展して友好国として経済交流をした方が、ずっと成果が大きいという「少し長い目」の展望がなく、今あるものを分捕ればその分得だというのは、あまりにも構想が小さい近視眼という事になるのでしょう。

その点日本は、アジアを傘下に収めればいいかと思って戦争をしたのですが、それが大失敗で、4つの島の狭い日本になってからの方がずっと経済発展して、発展したアジアの国々と友好関係を結んで、密接なビジネス関係で、相互に裨益して来ていますから、何が大事かはよく解っています。

ところで、外交余いうのは、昔から騙し合いなどと言われまあすから、今回のロシアの行動も、相手を油断させるためだなどという見方も当然あるでしょう。

しかし、国連の常任理事国の大国同士が絡むような戦争が起きれば、本気でやればばどこまで地球を破壊するか解らないと思われます。

破壊の大きさと得るものの小ささを比べてみた上で、民主主義で独立する国はそれぞれ独立国として共存発展し、ロシアも資源大国として民主主義の国になって発展していけば、NATOも要らなくなって、みんな経済発展と地球環境問題に専心出来て、この話はハッピー・エンドになるでしょう。

ちょっとした発想の転換で、地球はいくらでも良くなるようです。
中国の問題も基本的には同じでしょう。

今日、太平洋戦争開戦の日です

2021年12月08日 16時11分45秒 | 国際政治
太平洋戦争開戦、もう80年も前の話です。
しかし、日本人である限り、その日の記憶を持っている人も、その後の戦争の最中から記憶が 始まる人も、戦後の混乱が記憶の原点という人も、さらには、戦争については記録によってしか知らない今の日本人の大多数の人たちも、12月8日という日は記憶に残し、今後の日本が、また改めて戦争という過ちを犯すことの無いようにする、いわば戒めの日と考えるべきではないでしょうか。

私自身、当時の事を振り返れば、まさに人類としての危険分子だったという記憶があります。
小学校2年生でしたが、昼食のために家に帰る途中で、上級生から、「日本はアメリカ・イギリスと戦争を始めた。知ってるか。」と言われました。

上級生は、「日本とアメリカの間には海がある。海で戦争をすることになれば日本の海軍は強い」自信たっぷりに教えてくれました。
勿論誰かに聞いたのでしょうが、子供というものは、ある意味では怖ろしいものです。
先生や大人の言う事は正しいと思うのです。

その後、先生の言う事も、マスコミが書くことも、緒戦の勝利の宣伝ばかりでした。
新聞に書いてあった戦果を、作文に書くと、「戦艦何隻撃沈、巡洋艦何隻撃沈、駆逐艦何隻撃破、敵機何機撃墜、・・・」などと1行全部漢字で書いて先生の褒められた、などといいあっていました。

ある日、夕食の時、父親に「戦争があると戦果がいっぱいあっていいね」といいました。
その時の父親の反応は、子供には予想外のものでした。
私は、父親にひどく怒られたのです。「戦争なんて無い方が良いんだ、そんな事は絶対いうな」でした。

父親は、それ以上何も言いませんでしたが、その後、身をもって体験したことから、何故あんなに怒られたかを理解することになりました。
それは、戦争に負けたからではありません。たとえ勝っても、破壊と犠牲は巨大ですし、必ずどちらかが負けるのだという事にも考えが及ぶようになりました。

田中角栄が「戦争を知らない世代が国のリーダーになった時は危うい」と言っていることはこのブログでも何回か触れましたが、経験と知識が多くなるにつれ、人間は少しずつ「より良い」判断が出来るようになるのではないでしょうか。 

英国の宰相だったアトリー氏は「戦争は人の心の中で始まるものだから、平和の砦は人の心の中に築かなければならない」と述べ、それはユネスコ憲章の前文に掲げられています。

日本が太平洋戦争に踏み込んだ時、主戦派の陸軍に対し,海軍は慎重派だったことが最近注目されています。太平洋戦争は当時の陸軍のトップの心の中で始まったのかもしれません。

戦争に突入するか避けるか、勝つにしても負けるにしても「戦争をしないことの方がベター」というのは解っていることですが、人の心は時に恐ろしいものです。

このブログではかつて「戦争か外交交渉かの間の選択肢の一覧表」というのを出しました。
現実を徹底して簡素化し、出来るだけ客観的にしたものですが、多分、戦争を始めるときは、人間は感情に駆られて「イチかバチか」の選択をして仕舞うのでしょう。
そしてリーダーは「これがわが国民の為なのだ」という言い訳に縋るのでしょう。

太平洋戦争開戦の日の丁度80年後です、その悲惨な記憶(記録)を風化させない様にとの動きも活発な中で、私なりに振り返ってみた感慨です。

国連中心主義に立ち帰れ

2021年10月07日 20時53分52秒 | 国際政治
第二次大戦後、アメリカはこんな戦争がもう起きないという世の中にしようと思ったのでしょう。国際連盟を国際連合に改組し、国連本部もスイスのジュネーブではなくニューヨークに定め、新しい平和な世界を目指したのではないでしょうか。

そして平和な世界実現には、第二次大戦を起こした日本、ドイツ、イタリーといった好戦的な国が、もう戦争をしようと思わないようにという事でしょうか、第二次世界大戦の戦勝国である、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の5か国と図って、この5か国を常任理事国に据えました。そして(アメリカだけが持つわけにはいかないと思ったからでしょうか)この5か国すべてが拒否権を持つことにしました。

しかし、世界史はどんどん動きます、好戦的とされた枢軸国は皆、軍国主義、独裁主義とは縁を切り、立派な民主主義国に生まれ変わり、世界平和を望む国になりました。

一方、戦勝国であった5か国のうち、ソ連、今はロシアと中国が実質的な独裁国として、独裁国の特徴である領土の拡張や、他国を威圧するための軍備の増強に力を入れているといった状態になって来てしまっているのです。

国連の中枢機能を持つのは常任理事会でしょうが、常任理事会を構成する5か国が、皆領土的野心などを持たず、世界平和を愛好する国であれば、国連は素晴らしい組織として、世界人類は平和で繁栄する明日を目指して安心してそれぞれの国の建設や発展にに励むことが出来、もし、それが上手くいかない場合には、国連の指導、援助が為されるといった人類社会が望む世界になっているはずです。

しかし残念ながら現状ではそれは夢物語です。ウクライナのクリミヤ半島問題でも、ミャンマーの問題でも、アフガ二スタンの新しい国づくりでも、更には、南シナ海の問題でも、香港や台湾の問題でも、未だに実質独裁国である2つの国は、他の3か国とは意見が食い違い、拒否権の応酬で、話がまとまることはないようです。

結果的に、折角の国連組織は、世界の重要な問題の解決にほとんど機能せず、世界から、国連頼むに足らずとの評価に堕して出しているのではないでしょうか。

しかし、人類社会の将来を考えれば、国連が人類社会の役に立つ組織でなければならないというのは殆ど共通の意見ではないでしょうか。

ところで、私の認識では、日本は戦後一貫して「国連中心主義」を標榜して来ていると思っています。長らく常任理事国入りを望んで、願いは叶わない 日本ですが、真に国連中心主義を目指すならば、いかに困難で無理と思われても、国連そのものを民主主義がルールとして貫徹する組織になる事を目指して休みなく努力を続けることが重要ではないでしょうか。

国連の機能不全の原因である常任理事会の機能不全、これを直すのは常任理事会自体の問題か、国連そのもの、国連全体の問題か、認識は多様でしょう、しかし、いつの日かそれを克服して国連が世界人類の役に立つ組織になることを目指して、「愚公山を移す」ような明確な目的を持った、たゆみない努力の継続が日本の役割と考えてもいいのではないでしょうか。






バイデン大統領、民主主義国サミット開催へ

2021年08月12日 20時43分36秒 | 国際政治
ホワイトハウスからのホットニュースでしょうか、バイデン大統領が今年12月にオンラインで「民主主義国サミット」を開催すると呼びかけたとのことです。

バイデン大統領は、ここまで半年の大統領在任期間を通じて、国民生活の改善や、広く世界の重要な課題について「民主主義こそが」大きな役割を果たすことが出来るとの確信を強めこの構想を打ち出したようです。

米国国務省の発表には、バイデン大統領の言葉として、次のような言葉を掲げえいます。

「民主主義は、偶々うまく出来上がったといったものではない。我々は、それを擁護し、そのために戦い、それをより力強くし、常にそれを進化させていかなければならない」

この言葉は大変良く出来ているように思います。民主主義は時に極めて脆い面を持ち、権威主義や独裁政治に乗っ取られる可能性を持つことは、このブログでも種々の形で論じてきています。

このバイデン構想は、従来のいわゆるG7やG20のサミットとは違って、かなり広範かつ包括的なものを考えているようです。

今年12月に予定する各国首脳中心の会議に引き続いて、約1年間、それぞれの参加国が検討を重ね、1年後に状況が許せば、オンラインでない集会を開くという事のようです。

オンライン会議での主要な論点は3つあり、
1 権威主義に対する民主主義の防衛
2 汚職、腐敗の撲滅の呼びかけ
3 人権尊重の更なる促進
これらの論点への討議を重ね、それを1年後の会合に持ち寄ろうという企画でしょう。

更に特徴的なのは、このサミットへの参加者は、政治のリーダーだけではなく、民間団体、人権組織など民間人の参加を求めていることです。
これは国家間、官民間その他、国際間の民民・官民といった多様なコンタクトから相互理解の醸成という成果を狙ったという事でしょう。(感想を言えば、政治版WEF(World Economic Forum/ダボス会議ですね)

まさに、本来のアメリカ的構想ですが、アメリカが世界のためになることをやろうとする国に帰って来た事を、まずは喜びたいと思います。

その上で、共産主義圏などの独裁・専制国家の反応がどんなものになるか、確りと注目しなければならないと思うところです。

米中問題、願うのは平和的解決だが

2021年04月20日 22時37分48秒 | 国際政治
米中問題、願うのは平和的解決だが
 アメリカにとって、日本の総理を先ず対面会談お相手に選んだというのは、恐らく当面の問題として台湾海峡が厳しさを増し、その時に最も依存しなければならない可能性のある日本という意味が大きかったのではないでしょうか。

 何となく朝鮮戦争の時を思い出してしまいますが、これは多分に地理的問題でしょう。

 共同声明では、台湾海峡問題は平和的解決を目指すという文書になっていますが、それだけであれば、日本の従来の主張と何ら変わらないということになり、菅総理は、「日本の従来の主張がそのまま日米間で確認された」と胸を張りました。

 今後6年のうちに中国が台湾に侵攻するという風評があったりする中で、今までと同じことを確認し合って済ましているだけで良かったのでしょうかといった疑問も当然湧いてくるというところでしょか。

 その疑問を刺激したのが、岸防衛大臣の発言です。
 岸防衛相は
「日本は同盟及び地域の安全保障を一層強化するために自らの防衛力を強化することを決意した。米国は、核を含むあらゆる種類の米国の能力を用いた日米安全保障条約の下での日本の防衛に対する揺るぎない支持を改めて表明した。」
 という、開かれたアジア太平洋の記述の後にさらっと書かれている共同声明の中の文章を引き合いに出して、次のように述べています。

(NHK NEWS WEBから引用)
『これについて岸防衛大臣は閣議のあと、記者団に対し「宇宙、サイバー、電磁波を含む、すべての領域で能力を有機的に融合し、みずからを守る体制を抜本的に強化していく」と述べました。
そのうえで、抑止力と対処力を一層強化するため、日米同盟での日本の役割を拡大していく考えを示しました。』(引用ここまで)

 菅首相が帰国されて、すぐあとの閣議ですから、日米会談につての議論が主要なものだったと思われますが、菅総理の発言は最も心配される台湾海峡問題の平和的解決で一致という説明ですし、岸防衛相は防衛装備の充実に力点を置いた発言になっているわけです。

 総理が理想を説き、担当大臣が実務を話すというのは大変良い組合わせという事かもしれませんが防衛力の強化や、在日米軍への「思いやり予算」(重い槍予算)はバイデン政権の下でも次第に重くなるでしょうし、習近平が、専制意識を強めれば強めるほど大変なことになるのでしょう。

 日本としては、ハードパワーもさることながら、これからも一層 ソフトパワー に磨きをかけることがますます大事になってくるよな気がします。

日米会談の様子が見えてきました

2021年04月18日 13時17分31秒 | 国際政治
日米会談の様子が見えてきました
 日米会談の結果が詳細な報告も含めて出てきました。種々の評論も出てきました。

 アメリカ主導の影に隠れてしまって、日本の態度表明はかなり影の薄い物になってしまったようですが、アメリカがバイデンさんになって、トランプさんと違ってまともな道を進むことが鮮明に出されことは大変良かったなと思うところです。

 何と言っても最大の問題は難しい米中関係の中で、日本に何を求めるかが菅総理にとっては最大の問題だったのでしょうが、そのあたりは、「連携して」という総論段階で終わっているようです。

 ただ、バイデンさんが就任以来明言している対中関係を「 競争 」という言葉で表現しているのは大変結構だと思っています。

 トランプの場合は関税戦争、相手が降参するまでという事でしたが、競争でしたら、相手も伸びる、こちらも伸びる、どちらがより伸びるかという事になります。 これは「争いと競い」の基本的な違いで「競い」の方が決定的に優れていることは明らかです。もちろん、台湾問題も平和的解決を明確に主張っしています.。

 アメリカが競争という態度に出れば、これは子供の喧嘩ではなく大人の関係になります。残る心配は中国の考え方です。

 実は中国の方はかなり心配だと思っています。といのは、習近平さんが、終身主席になるという選択をし、巨大な中国をまとめるためには、専制主義が最も適していることを信条とし、同じことを世界を治めることにも必要だと考えているという悪夢の様な情報が多く聞かれるからです。

 こうした情報とともに、香港問題や新疆ウイグル自治区の問題が報道され、今、台湾問題の深刻化も予見される様相という事になりますと、中国問題の深刻さが、(わが国では尖閣問題とともに)伝わってくるところです。

 マスコミでは、今回の日米会談について、日本に求められる役割は何か、日本はよくそれを果たしうるのか、といった指摘も多いようですが、本当の日本の役割は何でしょうか。

 多分、本当の日本の役割はバイデンさんの「競争」の主張、台湾問題の平和的解決といった主張に合わせて、習近平さんに、歴史によれば、専制主義の末路は哀れであること、専制主義は短期的に国をまとめられてもSDGsにはなりえないこと、中国4000年の歴史を振り返って見て欲しい事などを、心を込めて語り、少しでも理解してもらう努力をすることでしょう。


 今の日本の政治家にそれだけの力量を持った人がいるかを考えてみますと、日本がそんな役割をはたすことは夢物語で、バイデンさんの「競争」の識見にのって、その役割の中の幾何かをはたせれば程度のところを期待するのがベスト、といった感じがしてしまうのですが、困難な時にこそ 「大人出でよ」 と願いたいところです。


SNS時代の国連の役割を問う

2021年02月23日 20時23分16秒 | 国際政治
SNS時代の国連の役割を問う
 ミャンマーの問題は、誰がどう考えても軍の理不尽だと思われます。
 あれだけの国民が、あれだけ一生懸命に、軍のクーデタ、民主主義を破壊して国民の意思を抑圧しようとする政府に抗議の態度を示している実情が、あらゆるメディアを通じて世界中に報道されている中で、今の人類社会は、何ら効果的な行動をとれないという事で済ませていていいのでしょうか。

 昔は、国内で起きている事が何なのか、外からは解らないことも多かったと思います。しか今は違います。世界の公共放送の電波は勿論、SNSは世界中の出来事を、それが起きている現場から、瞬時に世界中に伝えることが出来ます。人類社会の情報化はここまで進んできました。

 情報は行き渡っています。正確に分析すれば、何が起きているかは明らかになります。当然それについての客観的な判断も可能になります。

 現在のミャンマーの問題も、既に実態は世界に明らかで、軍の理不尽な横暴と独裁は多くの人にとって目に余るものでしょう。多くの国で、その国に住むミャンマーの人たちがそれぞれの国や国連事務所にミャンマーのために世界の世論を作ってくれるようにデモなどをして一生懸命に働きかけています。

 国連事務総長も深い懸念の意を表明し、国連人権理事会も動き始め、それは世界の国々で報道されています。世界の多くの人達は心を痛めています。

 しかし、残念ながら、この現状に対する国連の行動はまだ見えてきません。
 具体的に行動をとっているのはアメリカが、ミャンマーの軍の要人に対してアメリカの銀行口座の封鎖や取引の停止といった経済的制裁措置を取り、イギリス、カナダやEUも同様な経済政策措置を取っているという事までです。
 
 これがどの程度の効果を持つのか知りませんが、一方で、国連の常任理事国である中国やロシアは、ミャンマー軍に対して、同じ独裁政権という事でしょうか、友好を維持しようという事のようです。中国は国連の意見に反対を表明しています。

 これでは子供の喧嘩と一緒で、いじめっ子に対して反対という子もいれば、もっとやれという子もいるようなもので、問題の解決には程遠いという事でしょう。

 こうしたトラブルに関しては、同じ「独立国」という立場で制裁をする側と援助をする側が対立し、双方が本気なえば、トラブルが拡大するだけです。

 本当の解決につながるのは、「国レベル」ではなく、世界の国の組織体である国連がその機能を発揮して、世界民主主義や世界人権宣言の立場で、理非曲直を判断し、世界人類を代表して世界の世論として「どうあるべきか」を確りと示すという役割をしなければならないのでしょう。

 勿論これは理想論で、現実は、米英仏ロ中国という国連常任理事会の5か国がそれぞれに拒否権を持ち、ロシア、中国という独裁国は民主主義的な判断には必ずしも同調せず、ミャンマーの問題でも、国連常任理事会がまともに機能しないとぃうことになるのでしょう。

 さらに言えば、第二次世界大戦の戦勝国の五か国が、その後世界情勢が全く変わったにも関わらずいつまでも常任理事国でいるというアナクロニズムが国連の機能不全を齎しているという事にほかなりません。

 出来れば、今回のような機会を何とか、こうした問題を民主主義に則って解決出来るような国連に造り替えていく契機として、世界世論の集約にSNSなどの最大限の活用も含め、今日のコミュニケーション技術の発展の力を活用し、より良い地球社会にするような運動を起こすべきではないのでしょうか。

国連中心主義を常に標榜してきている日本としては、非力ながら本気でそうした発言、行動の発信地を目指したら如何でしょうか。