tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

実質賃金上昇の必要性の検討

2024年07月11日 15時49分03秒 | 経済

昨日は改めてこれまで25か月続いてきた実質賃金水準の対前年マイナスという状態からの脱出が、日本経済の回復・正常化に必要と指摘し、そのためには、今春闘での賃上げは、33年ぶりの高水準だったとはいえ、必ずしも十分なものではなかったのではないかと指摘しました。

賃金決定というのは労使の専決事項ですから、望ましいのは労使の組織がいかなる賃金決定が今の日本に望ましいのかを検討し議論を重ね、傘下の、企業に周知し、個々の企業はそうしたマクロの情報をベースに自社の経営状況の中で最適な決定をしていくという努力でしょう。

戦後日本の労使は、それぞれに労働側は力ずくの賃上げ闘争、大幅賃上げ要求、経営側は、適正な生活水準、国際競争力維持可能な賃金コスト管理など激突、衝突を繰り返しながら、経営側の生産性基準原理、労働側の経済整合性理論と合理的な賃金決定理論に到達してきました。

しかし、1985年の「プラザ合意」で欧米から「円切り上げ」要求を受けて、そうした賃金決定基準の労使の理論は成立しなくなり、「春闘の終焉」と言われ、その後の賃金決定は,今に至る、漂流状態です。

理由は、経営側の生産性基準原理も労働側の経済整合性理論も、基本的に、固定相場制ないし為替レートの安定を前提にしたものだったからです。

結局、日本は1985年の「プラザ合意」、2008年のリーマンショックという海外発の政策的円高にさらされ、その後、日本初の円安政策である黒田バズーカによる円安、そして今回のアメリカの金利引き上げによる円安という2回の政策的円安を経験しています。

プラザ合意による円高については日本の労使は徹底した賃金水準の引き下げで対応しましたが、それにはバブル期を含め2020年まで15年を要し、その手段が賃金の低い非正規労働者の多用という形だったため、雇用構造や社会情勢に大きな歪みを残しました。

リーマンショックの円高に対しては労使打つ手も失い、結局黒田日銀の異次元金融緩和での解決を待つだけでした。

日銀の金融政策の転換で日本経済は円安(円レートの正常化)を迎えましたが、為替レートが正常状態になったにも拘わらず、日本経済は消費が伸びない消費不況に悩まされ、今に至るデフレ状態(需要不足)で殆んどゼロ成長近傍にとどまっています。

円レートが正常化して($1=120円)、「春闘の復活」は言われましたが、それは政府が賃上げを主唱する「官製春闘」で、労使は殆んど賃上げの正常化についての意見は持ちませんでした。(連合は「定昇+経済成長率」、経団連は企業の賃金支払い能力など)

今回の欧米の金利引き上げによる円安についても、「実質賃金の長期にわたる低下」という異常状態への対応のために賃上げが必要という意見はあっても、永続的な円安の中では、欧米インフレの範囲内、乃至円安による賃金コストの低下の範囲程度の賃上げが必要というような意見は労使からも、残念ながら、アカデミアや担当官庁からも聞かれませんでした。

つまり、円高については人件費抑制→コスト削減という政策目標は明確でしたが、円安になったとき、賃金引上げ→消費需要喚起という逆のサイクルが必要という現実には、労使とも、学会も関係官庁も気づかなかったという事なのでしょう。

前置きが長くなってしまいましたが、こうした立論のもとに、今年の賃上げはもう少し高くてもよかったのではないか。賃上げが足りなければ、労使は秋闘で賃上げ交渉をし、早期に日本経済の活性化に取り組んだろうかという前回の主張につながるのです。

次回は現実の統計を見ながらそのあたりを論じてみたいと思います。