アヴェ・マリア!
【質問】 第二バチカン公会議の全ての文書を捨て去らなければならないのか?
【答え】
第二バチカン公会議の文書は、3つのカテゴリーに分類できます。
* 一部の文書は受け入れることができます。何故なら、カトリックの教義と一致しているからです。例えば「司祭の養成について」の教令がそうです。
* その他の文書は曖昧です。つまり、正しい意味において理解することができますが、同時に間違った意味にもとれます。
* 一部の文書は、正統な意味において理解されることができません。今のままでの言い回しでは受け入れることができません。例えば『信教の自由に関する宣言』がこれに当たります。
もしも聖伝の光に照らして解釈されるなら(ルフェーブル大司教の表現)、曖昧な表現は受け入れられることが可能です。
第3のカテゴリーの文書は、その表現が改められない限り受け入れることができません。
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ルフェーブル大司教著
『DUBIA 信教の自由に関する私の疑い』
第一章 ■ 自由についての一般的考察 「自由」の3つの意味
■ 法とは何か? 法は自由にとって敵なのか?
■ 良心とは何か。行為の実効的規範とは客観的真実のみ。
■ 良心および強制に関する一般的考察:良心を侵すことになるか。法律上の強制についてどう考えるべきか
■ 基本的諸権利とは何か。その限界は?誤謬または道徳的悪に対する権利は存在するか
■ 誤謬または悪に対する消極的権利は存在するか?また、寛容に対する権利は?
第二章 ■ 本来の意味での「信教の自由」:人間人格の尊厳は、真理を考慮に入れない自由には存しない。
■ 19世紀の教皇たちはこぞって、いわゆる「良心と諸信教の自由」を排斥した
■ 諸教皇は、何故「良心ならびに信教の自由」を排斥したのか、理由は?
■ 信教の自由とその新たな「根拠」:およびそれへの反駁
■ 真理探求の自由は宗教的自由の根拠となり得るか
■ 宗教無差別主義について確認しておくべき点
■ 信教の自由は人間人格の基本的権利なのか、歴代の教皇様は何と言っているか?
■ 聖書の歴史に見られる、宗教的事柄においての強制
■ 「宗教的事柄における一切の拘束からの免除」としての宗教的自由の是非
■ 「宗教的事柄における一切の拘束からの免除」としての宗教的自由の是非 (つづき)
■ 世俗の共通善、カトリック宗教とその他の諸宗教
■ 真の宗教に対して国家が取るべき奉仕の役割
■ 教会と国家との関係
■ 宗教的寛容
■ 宗教的寛容についての結論
第三章 第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 人間人格の尊厳?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 存在論的尊厳、行動の自由?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 主観的権利、それとも客観的権利?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 拘束を伴わない探求?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 対話、それとも説教?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 真理の宗教? それとも偽りの宗教?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 誤った諸宗教の有する権利?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 権利、それとも認容?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 真の信仰にとって有利となる国家の不介入?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 自由な国家における自由な教会?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 真の宗教の原則が認知されないことこそ「正常な」状態?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: すべての信教の自由が最良の制度?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 宗教の真理から独立した法的秩序?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 信教の自由: どこまでが「正しい範囲」か?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 宗教上の問題におけるすべての人間的権力による一切の強制からの免除?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 教導権に反する『信教の自由に関する宣言』?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 『信教の自由に関する宣言』かクァンタ・クラか?
【質問】 第二バチカン公会議の全ての文書を捨て去らなければならないのか?
【答え】
第二バチカン公会議の文書は、3つのカテゴリーに分類できます。
* 一部の文書は受け入れることができます。何故なら、カトリックの教義と一致しているからです。例えば「司祭の養成について」の教令がそうです。
* その他の文書は曖昧です。つまり、正しい意味において理解することができますが、同時に間違った意味にもとれます。
* 一部の文書は、正統な意味において理解されることができません。今のままでの言い回しでは受け入れることができません。例えば『信教の自由に関する宣言』がこれに当たります。
もしも聖伝の光に照らして解釈されるなら(ルフェーブル大司教の表現)、曖昧な表現は受け入れられることが可能です。
第3のカテゴリーの文書は、その表現が改められない限り受け入れることができません。
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ルフェーブル大司教著
『DUBIA 信教の自由に関する私の疑い』
■ 法とは何か? 法は自由にとって敵なのか?
■ 良心とは何か。行為の実効的規範とは客観的真実のみ。
■ 良心および強制に関する一般的考察:良心を侵すことになるか。法律上の強制についてどう考えるべきか
■ 基本的諸権利とは何か。その限界は?誤謬または道徳的悪に対する権利は存在するか
■ 誤謬または悪に対する消極的権利は存在するか?また、寛容に対する権利は?
■ 19世紀の教皇たちはこぞって、いわゆる「良心と諸信教の自由」を排斥した
■ 諸教皇は、何故「良心ならびに信教の自由」を排斥したのか、理由は?
■ 信教の自由とその新たな「根拠」:およびそれへの反駁
■ 真理探求の自由は宗教的自由の根拠となり得るか
■ 宗教無差別主義について確認しておくべき点
■ 信教の自由は人間人格の基本的権利なのか、歴代の教皇様は何と言っているか?
■ 聖書の歴史に見られる、宗教的事柄においての強制
■ 「宗教的事柄における一切の拘束からの免除」としての宗教的自由の是非
■ 「宗教的事柄における一切の拘束からの免除」としての宗教的自由の是非 (つづき)
■ 世俗の共通善、カトリック宗教とその他の諸宗教
■ 真の宗教に対して国家が取るべき奉仕の役割
■ 教会と国家との関係
■ 宗教的寛容
■ 宗教的寛容についての結論
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 存在論的尊厳、行動の自由?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 主観的権利、それとも客観的権利?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 拘束を伴わない探求?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 対話、それとも説教?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 真理の宗教? それとも偽りの宗教?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 誤った諸宗教の有する権利?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 権利、それとも認容?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 真の信仰にとって有利となる国家の不介入?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 自由な国家における自由な教会?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 真の宗教の原則が認知されないことこそ「正常な」状態?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: すべての信教の自由が最良の制度?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 宗教の真理から独立した法的秩序?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 信教の自由: どこまでが「正しい範囲」か?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 宗教上の問題におけるすべての人間的権力による一切の強制からの免除?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 教導権に反する『信教の自由に関する宣言』?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 『信教の自由に関する宣言』かクァンタ・クラか?