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私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 人間的権力による一切の強制からの免除?

2007年07月11日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

■ 宗教上の問題におけるすべての人間的権力による一切の強制からの免除?

『信教の自由に関する宣言』 2
「この自由は、すべての人間が、個人あるいは社会的団体、その他すべての人間的権力による一切の強制を免れることに存する。」

【疑問点 32】
 超自然的であるとはいえ、人間的な権威である使徒たちの権威が、宗教上の事柄において愛の法にふさわしい説得という手段の他に、強制力を用いたことを新約聖書は示している。すなわち、使徒たちが、まず第一に霊的および現世的罰の脅威による精神的拘束、さらには物理的拘束さえも用いたという事実に鑑みてみると、先述の『信教の自由に関する宣言』第二項の文章は(「一切の強制」および「すべての人間的権力」という言葉遣いの例外を許さない一般的な性格をよく考慮に入れた上で)、新約聖書に含まれた聖書の教えと合致するのか。

【疑問点 33】
 「一切の強制」および「全ての人間的権力」という表現は、その一般的性格のゆえに教会のヒエラルキーが教会の成員に対して有する権力を含み、なおかつあらゆる種類の強制を排除するものである。したがって、先に引いた『信教の自由に関する宣言』の引用文において説かれている第二バチカン公会議の教えがピオ6世によるピストイア公会議の不可謬の排斥と、はたして相容れるかと問うことができる。
「『教会の権威を教義と道徳の範囲を越えて外的な事柄にまでおし広げ、本来説得によるべきことを強制力をもって要求することは、教会権威の濫用である』および『自らの発布する教例への従順を強要するのは、およそ教会のやり方ではない』という命題は、「外的な事柄にまでおし広げ」という不特定な表現が、天主から教会が譲り受け、他ならぬ使徒らが外的規律を制定ないしは許可をとおして用いた権威の行使を教会権威の濫用として排斥するかぎりにおいて、異端的命題である。」
(『アウクトーレム・フィデイ』DS 2604)

【疑問点 34】
 宗教に関する事柄において、人間の人格 が「本質的に」天主へと関係付けられ、天主からの強制力を被り得ると同時に、人的権力による一切の強制から免除されねばならない、と主張することは、信仰を少なくとも間接的に損なう根本的な誤謬を唱道することにならないか。事実、信教の自由を説く教説は、19世紀のそれにせよ、20世紀のそれにせよ、自主独立、行動の自由、とりわけ宗教上の問題における、すべての人間的権力による一切の強制からの免除を要求した。かかる要求は、徹頭徹尾のリベラリズム(自由主義)が流行した19世紀にはつじつまの合うものだったが、「天主に本質的に関係付けられた」個人の、天主の至高権への従属を説き、それと同時にすべての人間的権力、とりわけ強制力からの独立を唱道する20世紀においては、甚だしい矛盾を呈することになる。なぜなら、第一原因である天主が種々の二次的原因、特にすべての人的権威をとおして自らの権能を行使されるということは、信仰上の真理だからである。実に、これこそ天主の万物統治の計画の原理たるものだ。(聖トマス・アクィナス『神学大全』第一部第一03問題第三項)他方、一切の権威(両親、国家および教会の権威)が天主の権威への参与であるということも、信仰上の真理である。(ヨハネ19章11節;ローマ人への手紙13章1節;エフェゾ人への手紙3章15節参照)したがって、もし先に見たように、天主の権威および天主による強制が存在し、宗教上の事柄において人間に対して行使されるのだとすれば、天主の権威に参与し、宗教上の事柄において行使される人的権威および強制もまた存在することが絶対に必要である。それゆえ教会による強制、両親による強制、国家による強制が存在することになる。

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