Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
2019年 8月の聖伝のミサの予定
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】


8月 聖母の被昇天を祝いましょう。
意向:聖母の汚れなき御心の凱旋のため
実践すべき徳:心の柔和と謙遜
守護の聖人:聖母の汚れ無き御心

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します

◎2019年 8月の予定
【大阪】聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂(アクセスEG新御堂4階 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 
〒532-0002 (JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分)

  8月2日(初金)教会博士証聖者司教聖アルフォンソ・デ・リグオリ(3級祝日)白
          午後5時半 ロザリオ及び告解
          午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月3日(初土) 聖母の土曜日(4級)白
          午前10時 ロザリオ及び告解
          午前10時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月11日(主)聖霊降臨後第9主日(2級)緑
          午後5時半 ロザリオ及び告解
          午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月12日(月) 童貞聖クララ(3級祝日)白
          午前10時 ロザリオ及び告解
          午前10時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月18日(主)聖霊降臨後第10主日(2級)緑
          午後5時半 ロザリオ及び告解
          午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月19日(月) 証聖者聖ヨハネ・ユード(3級祝日)白
          午前6時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

【東京】東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図)「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

  8月4日(主)聖霊降臨後第8主日(2級)緑
          午前10時  ロザリオ及び告解
          午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月5日(月)  雪の聖母の大聖堂の奉献(3級祝日)白
          午前7時 ミサ聖祭

  8月18日(主)  聖霊降臨後第10主日(2級)緑
          午前10時  ロザリオ及び告解
          午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております。

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3月は聖ヨゼフの月 聖ピオ十世会が2013年3月19日聖ヨゼフに奉献される準備のために

2013年02月28日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

  3月は聖ヨゼフの月です。昨年の聖ピオ十世会の総会で決定されたことですが、聖ピオ十世会は公式に聖ヨゼフに奉献されます。その奉献の日は3月19日です。
 フィリピンのマニラの修道院では、全司祭と修道士たちの大賛成の同意の下、今年中、毎月初水曜日には聖ヨゼフの栄光のために大小齋を捧げることになっています。
 又、毎日、朝のアンジェルスのあとに、聖ヨゼフのメモラーレを唱えています。

「童貞マリアの極めて貞潔なる浄配よ、御(おん)助けを求め、あえて御取次を願える者、一人として棄てられしこと、いにしえより今にいたるまで、世に聞えざるを思い給え。われ御身の力にまったき信頼を置きて走(は)せ来(きた)り御身の御保護を請い求め奉る。ああ贖い主の守護者よ、わが卑しき祈りを軽んじ給わず、寛大にこれを聴き給え、これを聴き容れ給え。アーメン。」

LATIN: Memorare, o purissime Sponse Virginis Mariae, o dulcis Protector mi, sancte Ioseph, non esse auditum a saeculo, quemquem ad tua implorantem auxilia, tua petentem suffragia, esse derelictum. Ego tali animatus confidentia ad te venio, tibique fervide me commendo. Noli, quaeso, o Pater putative Redemptoris, verba mea despicere, sed audi propitius. Amen

 また、毎朝九時には、教会で働いている者は、聖ヨゼフの祭壇の前に集まり、勤労者聖ヨゼフに向かう祈り(聖ピオ十世作)を皆で英語で唱えています。日本語訳は後ほどご紹介いたします。

勤労者聖ヨゼフに向かう祈り(聖ピオ十世作)英語
Saint Pius X's PRAYER TO ST JOSEPH THE WORKMAN
Glorious St. Joseph, model of all those who are devoted to labor, obtain for me the grace
to work in a spirit of penance for the expiation of my many sins;
to work conscientiously, putting the call of duty above my inclinations;
to work with gratitude and joy, considering it an honor to employ and develop, by means of labor, the gifts received from God;
to work with order, peace, moderation and patience, without ever shrinking from weariness and trials;
to work, above all, with purity of intention, and with detachment from self, having always death before my eyes and the account which I must render of time lost, of talents wasted, of good omitted, of vain complacency in success, so fatal to the work of God.
All for Jesus, all for Mary, all after your example, O Patriarch Joseph. Such shall be my watchword in life and in death. Amen.

勤労者聖ヨゼフに向かう祈り(聖ピオ十世作)イタリア語原文
Glorioso san Giuseppe, modello di tutti i lavoratori, ottenetemi la grazia di lavorare con spirito di penitenza per l'espiazione dei miei numerosi peccati; di lavorare con coscienza, mettendo il culto del dovere al di sopra delle mie inclinazioni; di lavorare con riconoscenza e gioia, considerando come un onore di impiegare e far fruttare, mediante il lavoro, i doni ricevuti da Dio; di lavorare con ordine, pace, moderazione e pazienza, senza mai retrocedere davanti alla stanchezza e alle difficoltà; di lavorare specialmente con purezza di intezione e distacco da me stesso, avendo sempre davanti agli occhi la morte e il conto che dovrò rendere del tempo perso, dei talenti inutilizzati, del bene omesso, del vano compiacimento nel successo, così funesto all'opera di Dio. Tutto per Gesù, tutto per Maria, tutto a vostra imitazione o patriarca Giuseppe! Questo sarà il mio motto per tutta la vita e al momento della morte. Così sia.
(Preghiera composta da San Pio X)

勤労者聖ヨゼフに向かう祈り(聖ピオ十世作)フランス語
Prière à St Joseph modèle des travailleurs
Glorieux saint Joseph, modèle de tous ceux qui sont voués au travail, obtenez-moi la grâce de travailler en esprit de pénitence pour l'expiation de mes nombreux péchés;
de travailler en conscience, mettant le culte du devoir au-dessus de mes inclinations;
de travailler avec reconnaissance et joie, regardant comme un honneur d'employer et de développer par le travail les dons reçus de Dieu;
de travailler avec ordre, paix, modération et patience, sans jamais reculer devant la lassitude et les difficultés;
de travailler surtout avec pureté d'intention et avec détachement de moi-même ayant sans cesse devant les yeux la mort et le compte que je devrai rendre du temps perdu, des talents inutilisés, du bien omis et des vaines complaisances dans le succès, si funestes à l'oeuvre de Dieu.
Tout pour Jésus, tout pour Marie, tout à votre imitation, patriarche saint Joseph! Telle sera ma devise à la vie à la mort. Ainsi soit-il.


 さて、聖ピオ十世会のアジア管区では、以前よりこの準備をすることになっていましたが、一昨年、また、昨年もそうしたように、アジア管区では、聖ヨゼフに三回ノベナ(九日間の祈り)をすることになっています。

 第1回は、3月1日から9日まで(これにはメンツィンゲンからの教皇選出のコンクラーベのためのノベナが付け加えられることになりました)、第2回は、3月10日から18日までです。

 3月19日には、聖ヨゼフに聖ピオ十世会を奉献する祈りを唱えます。
 第3回目のノベナは3月20日から28日までです。

 ノベナの内容は、いつものロザリオの「聖ヨゼフに向かう祈り」の後に
(1)「聖ヨゼフの連祷」を付け加え、

(2) 聖ヨゼフへのメモラーレ(聖ヨゼフの御保護を求むる祈)
 童貞マリアの極めて貞潔なる浄配よ、御(おん)助けを求め、あえて御取次を願える者、一人として棄てられしこと、いにしえより今にいたるまで、世に聞えざるを思い給え。われ御身の力にまったき信頼を置きて走(は)せ来(きた)り御身の御保護を請い求め奉る。ああ贖い主の守護者よ、わが卑しき祈りを軽んじ給わず、寛大にこれを聴き給え、これを聴き容れ給え。アーメン。

(3)聖ヨゼフに対する奉献の祈り
 聖ヨゼフよ、我は御身の名誉に我が身を奉献し、御身に捧げ奉る。そは御身が常に我が父、我が保護者、かつ救いの道における我が道案内たらんがためなり。
 我がために、心の清さと内的生活を愛する心を与え給え。御身の模範に従い、天主のより大いなる栄光のために、イエズスの至聖なる聖心と聖母の汚れなき御心との一致のうちに、我が全ての行動をなさしめ給え。
 おお、至福なる聖ヨゼフよ、我がために祈り給え。我をして御身の聖なる死の平和と喜びに与るものとならしめ給え。アメン。


 以上を付け加えます。ここからいつもの通り、「召命を求める呼祷」を唱えましょう。
主よ、我らに司祭を与え給え
主よ、我らに聖なる司祭を与え給え
主よ、我らに多くの聖なる司祭を与え給え
主よ、我らに多くの聖なる修道者の召命を与え給え
聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え
聖ピオ十世、我らのために祈り給え
聖フランシスコ・ザベリオ、我らのために祈り給え
日本の尊き殉教者、我らのために祈り給え

 私たちは歴史的な瞬間を生きておりますが、多くのお祈りをよろしくお願いいたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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265代目の教皇様であるベネディクト十六世にとって最後の日:ノベナへのお誘い

2013年02月28日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 私たちは、カトリック教会の歴史的な瞬間を、今、生活しています。今年の四旬節は、まさに、歴史的な四旬節です。

 今日、2013年2月28日は、265代目の教皇であるベネディクト十六世にとって最後の日です。ベネディクト十六世は約8年の間教皇職の重荷をになってこられました。教皇様のためにお祈りいたしましょう。今日の夜八時をもって、ベネディクト十六世は「隠退教皇」と呼ばれることになるそうです。それをもってベネディクト十六世は修道士の祈りの生活に入り、後継者の仕事に干渉しないとのことです。

 聖ピオ十世会では、次期教皇を選ぶコンクラーベが始まる直前の九日間の間、ノベナをすることが慣例となっています。私たちはいつからコンクラーベが開始するかをまだ知らされていませんが、聖ピオ十世会総長の要請により、聖ピオ十世会では明日、3月1日から9日までのあいだ、次期教皇様選出のコンクラーベで善き教皇様が選ばれるためのノベナをいたします。

 多くの兄弟姉妹の皆様がこのノベナに参加して下さるようにお願いし、ご招待いたします。

このノベナは三部から構成されており、すなわち、
第一部 Veni Creator
第二部 教皇選出のための随意ミサの集祷文
第三部 汚れなき聖母マリアの聖心への射祷
です。

 詳しくは、「マニラの eそよ風」273号をご覧下さい。

 但し、今回は第3部に更なる呼祷が付け加えられることになりました。次の通りです。

V/ Cor Mariæ dolorosum et immaculatum.
R/ Ora pro nobis.
V/ Sancte Pie V
R/ Ora pro nobis
V/ Sancte Pie X
R/ Ora pro nobis

聖マリアの悲しみに満ちた汚れなき聖心よ、
▲我らのために祈り給え。
聖ピオ五世、
▲我らのために祈り給え。
聖ピオ十世、
▲我らのために祈り給え。

参照 フランス語
http://www.laportelatine.org/maison/communiques/neuvaine_election_pape_130227/neuvaine_election_pape_130227.php

http://www.laportelatine.org/maison/communiques/neuvaine_election_pape_130227/neuvaine_election_pape.pdf(PDFファイル)


*****


 教皇ベネディクト16世は、2月11日、教皇職から引退する旨を発表しましたが、この発表は、同日バチカンで開かれた3人の福者の列聖をめぐる枢機卿会議の席上で、教皇ご自身がラテン語でした。ベネディクト16世の教皇職引退を発表するラテン語原文の言葉は以下のとおりです。

Fratres carissimi
Non solum propter tres canonizationes ad hoc Consistorium vos convocavi, sed etiam ut vobis decisionem magni momenti pro Ecclesiae vitae [sic] communicem. Conscientia mea iterum atque iterum coram Deo explorata ad cognitionem certam perveni vires meas ingravescente aetate non iam aptas esse ad munus Petrinum aeque administrandum.
Bene conscius sum hoc munus secundum suam essentiam spiritualem non solum agendo et loquendo exsequi debere, sed non minus patiendo et orando. Attamen in mundo nostri temporis rapidis mutationibus subiecto et quaestionibus magni ponderis pro vita fidei perturbato ad navem Sancti Petri gubernandam et ad annuntiandum Evangelium etiam vigor quidam corporis et animae necessarius est, qui ultimis mensibus in me modo tali minuitur, ut incapacitatem meam ad ministerium mihi commissum bene administrandum agnoscere debeam. Quapropter bene conscius ponderis huius actus plena libertate declaro me ministerio Episcopi Romae, Successoris Sancti Petri, mihi per manus Cardinalium die 19 aprilis MMV commissum [sic] renuntiare ita ut a die 28 februarii MMXIII, hora 29, sedes Romae, sedes Sancti Petri vacet et Conclave ad eligendum novum Summum Pontificem ab his quibus competit convocandum esse.
Fratres carissimi, ex toto corde gratias ago vobis pro omni amore et labore, quo mecum pondus ministerii mei portastis et veniam peto pro omnibus defectibus meis. Nunc autem Sanctam Dei Ecclesiam curae Summi eius Pastoris, Domini nostri Iesu Christi confidimus sanctamque eius Matrem Mariam imploramus, ut patribus Cardinalibus in eligendo novo Summo Pontifice materna sua bonitate assistat. Quod ad me attinet etiam in futuro vita orationi dedicata Sanctae Ecclesiae Dei toto ex corde servire velim.

Ex Aedibus Vaticanis, die 10 mensis februarii MMXIII
BENEDICTUS PP XVI



【注】ラテン語については、
(1)pro Ecclesiae vitae は、pro Ecclesiae vita 教会の生命のため、となるべき。実際には(音声では)ベネディクト十六世教皇は、vita と発音している(と聞き取れる)。
(2)renuntio は、元来は「考える」とか「告げる」という意味であるが、ここでは「辞任する」という意味において使われている。目的語として与格或いは対格をとるので、どちらでも良いが対格か与格かどちらかに統一すべき。
ministerio Episcopi Romae, Successoris Sancti Petri, mihi per manus Cardinalium die 19 aprilis MMV commisso或いは、
ministerium Episcopi Romae, Successoris Sancti Petri, mihi per manus Cardinalium die 19 aprilis MMV commissumとなる。
おそらく、間に多くの単語が入ってしまったので、教皇様も読んでいて誤りに気が付かなかったのだろう。
似た単語で、洗礼の約束で「あなたはサタンを捨てますか?」と言うときに使われるのは、Abrenuntias satanae? で、与格を取っている。


(バチカン放送局による日本語訳)

親愛なる兄弟の皆さん
わたしがこの枢機卿会議を招集したのは、3人の列福の件だけではなく、教会にとって非常に重要な決断を皆さんにお知らせするためでもあります。
わたしの良心を繰り返し神の御前で確かめた後、わたしの力は、高齢のため、教皇職をよりよく遂行するためにもう適していないという確信を得ました。
この教皇職が、その霊的本質ゆえに、行動と言葉だけでなく、苦しみ、祈りつつ、完成させられるべきであることはよく知っています。
しかしながら、速い変化と、信仰生活に対する大きな問題によって揺れる今日の世界において、聖ペトロの船(= 教会)を統治し、福音を告げるためには、心身の活力が必要ですが、ここ数ヶ月、自分に託された任務をよりよく遂行するための力がないことが自覚されるほど、その活力が減じてきました。
そのために、この行為の重大さをよく自覚した上で、完全な自由をもって、2005年4月19日に枢機卿たちによってわたしの手に託されたローマの司教職、聖ペトロの後継者の位(=教皇職)を引退することを宣言します。これによって2013年2月28日、20時より、ローマの教皇座は空位となり、関係者らによって新しい教皇を選出するコンクラーベが召集されます。
親愛なる兄弟の皆さん、すべての愛と仕事をもって教皇職の重みをわたしと共に耐えてくださった皆さんに心から感謝すると共に、すべてのわたしの欠点をどうかお許しください。
今、聖なる教会の世話を、最高の牧者、わたしたちの主イエス・キリストに託し、その聖なる母マリアに、枢機卿たちが新しい教皇を選ぶまで見守ってくださるよう祈りましょう。わたしについては、将来においても、祈りに専念した生活をもって、神の聖なる教会に心から奉仕したいと思います。
バチカンにて 2013年2月10日

【お便り】
 ベネディクト十六世の異例の退位のニュースに、カトリック教会のためのロザリオの十字軍の報告を頂きました。感謝します。

●アヴェ・マリア!
トマス小野田神父様
ロザリオの十字軍のご報告をさせていただきます。
2月7日から2月19日22時(日本時間)まで
私と子供2人あわせて21環でした。

先週日曜日に与りましたレネー神父様の霊的講和のなかで「humility 謙遜」の徳を特に強調されていたことが印象的でした。
その話を伺い、思いめぐらせますと、自らが、何の功もないにもかかわらず、天主様の御憐みにより、自らが聖ピオ10世会に縁(えにし)ができた御恵みを御摂理として謙虚に受け入れなければならないと思った次第です。
ただ、ひたすら天主様に感謝するのみです。

聖なる教皇様が我らに与えられんことを!
聖ピオ10世会に栄えあらんことを!
そしてトマス小野田神父様に天主様の祝福が豊かにありますように!

【付録】


 既に三年前の2009年4月29日、ベネディクト十六世は、5ヶ月の教皇職のあと、1294年に教皇の地位を退いて隠遁生活に戻った教皇聖チェレスティノ五世 (1215-1296)の墓を訪問していた。短い祈りのあと、ベネディクト十六世は、ローマ司教の権威のシンボルであるパリウムを聖チェレスティノの墓に掛けてきた。その時から既に退位することを考えていたのだろう。

【稲妻走る大聖堂】
【稲妻走る大聖堂】11日、バチカンのサンピエトロ大聖堂のドーム屋根に落ちた雷。この日、ローマ法王ベネディクト16世は、高齢を理由に28日をもって退位すると表明した。法王の任期は原則として終身制で、途中退任は異例。


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最近の試練から引き出せる有益な教訓(デ・ガラレタ司教様の講話)その4

2013年02月19日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今回、レネー神父様と同伴して日本を訪問することが出来、大変嬉しく思います。レネー神父様の興味深いお話を伺えて、とても有意義な時を過ごすことが出来ました。

 あと残すところ10日の教皇職の責務を残すベネディクト十六世教皇様のために沢山のお祈りをお願いいたします。また、その後継者となる教皇様のためにロザリオのお祈りをお願いいたします。私たちは、聖なる教皇様を頂く価値も功もないのですが、天主の憐れみによって、私たちに聖なる教皇様が与えられますように!

 さて、2月17日の主日の東京でのミサ聖祭の参列者数は次の通りでした。

男: 18人(内、子供0人)
女: 19人(内、子供2人)
計: 37人(内、子供2人)

Laisney神父の霊的講話の参加者数
男: 8人
女: 7人
計: 15人

晩課の参列者数
男: 6人
女: 6人
計: 12人

 2月18日月曜日の朝のミサ聖祭には、7名の方々が参加しました。

 さて、デ・ガラレタ司教様が昨年の10月になさった「最近の試練から引き出せる有益な教訓」と題されるお説教の日本語訳の続きをご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


最近の試練から引き出せる有益な教訓 その4


試練の必要性と有益性

 もっと多くの言うべき事柄があったのは確かなのですが、私は皆さんに最も興味深い事を話したと思っています。締めくくりにあたり、試練の必要性と有用性に関して思いついたことがあります。天使がトビアに告げること、それはカトリックの、聖書に含まれた聖伝の教えです。"Et quia accéptus eras Deo, necésse fuit ut tentátio probáret te." 「あなたが天主に嘉せられるため、試練があなたを試すことは必要だった」(トビア十二章十三節)と。多くの良いことは試練から来るからです。

※訳注:このトビア書の箇所は、ウルガタ・ラテン語訳に基づいています。

 聖アウグスチノも言います。起こり得る最悪の事、最悪の災難は、そこから何も学ばない人々、不幸から何も引き出さない人々のことだ、と。ですから、世界で最も惨めな人とは、その不運から教訓も、そこから来る善をも引き出さない人のことです。その人の試練は前よりも酷くなります。気をつけましょう! 試練が有益であるというのは、つまり、私たちはその有益なことと収穫の実りを探し求めねばならないということなのです。

 さて、私たちはしょっちゅう、不運から、苦難から、そして試練から、自分以外の人々への教訓を引き出そうとする傾向があります。「ほら! 私の言った通りだった。あなたは間違いなく酷い目に遭ったでしょう」ですが、試練には多くの教訓があります。こうも言えるでしょう。試練を通して暴露された私たちの弱さと欠陥こそが問題だったのだと。ですから、私たちは各々、自分自身のためにそこから教訓を引き出さなければなりません。己を正し、同じ過ちを繰り返さないためにです。たびたび私たちは良い動機を弁護しようとするときですら、非常に不完全にしかできません。学ぶべき謙遜の教えが存在します。それはふさわしいものです。私たちに慎重になるべきことを思い起こさせるからです。私たちは眠りこけているかも知れません、次世代に戦いの精神を十二分に伝えていないかも知れません。私たちはさらに天主によりすがらなければならないでしょう。もっと忍耐を、剛毅を、希望を戦いにおいて持たなければなりません。それらすべては手を携えていきます。つまり剛毅、勇気、そして忍耐です。剛毅の徳には二つの行為があります。sustinere et aggredi. (堪え忍び、そして、迎え撃つ)です。私たちは苦しみ、耐え忍び、持ちこたえなければなりません。さらに、能動的に取りかかり、迎え撃(entreprendre, attaquer)たなければなりません。──aggrediとは、侵略する agresser ことではありません。それは能動的に迎え撃ち、取りかかることです。

 寛大さもまた剛毅の徳の一部です。そして忍耐。戦いにおいて、試練において、希望は忍耐を生じさせると聖パウロは言っています。今日、希望の徳に注意を払いましょう。私たちは信仰の欠如、愛徳の欠如によってだけでなく、希望の欠如によって失墜する可能性があるからです。すると私たちは悲観的もしくは敗北主義者になり、降伏の形を取ります。私たちがもはや希望しなくなると、全力を傾けず、私たちは征服されてしまいます。

 試練はまた、功徳、償いの手段でもあります。しばしばそれらはワクチンとなります。実際、おそらく私たちは今日、ちょうどインフルエンザに罹っていました。が、そのおかげで明日肺炎にならずに済むのです。そういうことだと私は思います。試練はたいてい別の戦いの準備です。私たちをもっと明快に、もっと断固としたものにならせるため、もっと用心深くさせるため、来たるべきことのために。先のことは誰にもわかりません。

 私はこのことを言いたかったのです。私たちが試練から実りを得ないなら、間違った道に迷い込むからです。私たちを正しい道に留めておくため、天主はこれらの試練を的確に送られるからです。そして、私たちが弱り、時に左に、右に、しばしば下の方へと少しずつ道をそれ、どこでそうなり始めたのかを理解させるため、天主はすべてのことを再調査させるのです。

 この危機において、非常によい光をもたらしてくれる教えの一つは、試練の目的です。過度と不足がどこにあるのかを的確に私たちに教えてくれます。時に過度と不足の双方が存在するからです。つまり、どこに混乱があるのかを理解することです。合理性の混乱のことを私は言っています。なによりも賢明であること。というのは、明らかにこの賢明さの課題は知性に対する課題であるからです。合理性と手段がどこで欠けていたのかを理解することです。時には擁護するべきものを擁護しようとして行き過ぎがあります。

 私たちの過度の激情を冷まし、危機を解決しようとして、我慢がきかず急ぎ過ぎたことを省みましょう。このことは、多くの方向へと行ってしまうかもしれません。ですから私たちはこれらのすべての側面で非常に注意深くあらねばなりません。この点において認識が低いならば正さなければなりません。これが教訓です。だからこそ天主はこの試練をお許しになりました。私たちがそうするなら、体全体はもっと強くなり、さらにもっと大きな戦いのために準備されて試練から抜け出るでしょう。

愛徳と真理とを対立させてはならない

 ですが、私たちに差し出される偽のジレンマ、状況のゆえに私たちを時に誘惑する偽の両刀論に、常に注意深くありましょう。そうです、それは私たちの状況の特有のものです。彼らは、私たちは真理に反するか、或いは愛徳に反対するか、又は、信仰に反するか或いはあわれみに反対するか、又は、慎重さに反するか或いは剛毅に反対するか、どちらかを選んで進まねばならないのだと言います。おお! いいえ、まったく違います! 私たちはそのすべてを保たなければなりません。なによりもまず、正しい道に留まらなければなりません。ですが、私たちは、どんなことでも自分たちの気質、性格によく合ったもの、自分たちにとって簡単なものを好みがちです。そしてたいていその他のすべての側面を無視するのです。

 私たちには規律、バランス感覚、基準が必要だと言う時、それは私たちがどこにおいても可もなく不可もないものにならなければならない、ということではありません。それは徳のことではないとよく知っています。道徳的美徳は、過度と不足のちょうど先端にあります。神学的徳にすら過度と不足があり得ます。人生、職務、行動、状況への適用においてです。徳自体に過度と不足があるのではなく、そのふさわしい対象の中にあるのです。ふさわしい対象は天主です。というのは、天主をお愛ししすぎるということはできないからです。ですが私たちは不完全ながらも、天主を非常に愛していると考えている間ずっと、天主を心からお愛しすることができます。私たちはこのことを、特に私たちの間で、なんと頻繁に理解することでしょうか!

 ですから、私たちには絶えず二重の危険があります。試練において、私たちは自分たちのため、自分たち以外の全ての人々のため、教訓を引き出さねばなりません。しかし私たちは人々について、彼らの将来に起こることについて、あまりに多くの計画をしてはなりません。天主の恩寵があるからです。私たちはすべて買い戻され、贖われ得るのです。

 またいくつもの失墜も存在します。私たちは危機が終わらない限り、そのことに結論を出すべきではありません。ある者は、試練において、少しばかり準備ができていないかも知れなくとも、最後には非常によい反応を見せるかもしれません。またある者は、最初にとても良い反応を返しても、悪くなってしまうかも知れません。

 信仰を、信仰告白だけを守っていればよいのではありません。まことの愛徳、愛情、慎重さ、剛毅、聖会への愛も必要です。私たちはカトリック信者です。私たちは完全なカトリック信者として留まろうとします。そのために、信仰を保つだけでは充分ではありません。

 結論を出します。私たちには三つの星、三つの光があると私は考えます。私たちの前を行く三つの光、その三つの光は、教義において、慎重さにおいて、カトリック精神において私たちを誤り導く危険を犯すことなしに導いてくださいます。この三名の人々、ピ枢機卿、聖ピオ十世教皇、そしてルフェーブル大司教様です。彼ら一人一人は完全に、その時代に順応しました。完全に教会の要求に順応しました、個々の異なった方法、異なった資質でもってだけでなく、非常に多くの似通った資質でもってです。その似通った資質は、特に今日、信仰のための戦いの中で必要とされています、このやり方において、私たちはピ枢機卿から聖ピオ十世教皇への、そしてルフェーブル大司教様への路線に沿うことができます。私たちがその路線に沿い続けるなら、従わねばならないそのために敷かれた道があるのです。その通りです。それが教義的水準であれ、信仰の水準であれ、聖性に満ちた人生の水準であれ、──聖性については、私たちがもっと考察し続けることが出来る別の話があります!──祈りの水準であれ、信仰告白の水準であれ、剛毅、慎重さの水準であれ、です。。

 この三名は模範となる方々です。私たちは従うべき模範として彼らを受け入れなければなりません。その道はいわば敷かれているのです。

 特に今日、ファチマの太陽の奇跡の記念日である十月十三日土曜日に、至聖なる童貞マリア様に乞い願いましょう。まことの信仰のうちに、信仰のためのまことの戦いのうちだけでなく、教会のまことの精神のうちに、忍耐の恩寵を私たちに与えてくださるようにと。恩寵に対して、天主に対して、毎日、私たちの日々と時代を聖なるものとするための要求に対して、私たちがもっと忠実になれるようにと。

カトリック信仰の、この偉大な英雄たちの後継者及び息子に、私たちをしてふさわしからしめる恩寵を聖母が与え給わんことを!


【今回の講話の特徴を生かしておくため、話し言葉のままにしてあります。】

注:
[1] フランス国王聖ルイの讃美、一八四八年八月二十七日主日のBlois大聖堂及び一八四八年八月二十七日主日のヴェルサイユ大聖堂におけるピ枢機卿による説教

[2] LangresのParisis司教、教会における神的権威に関する司牧的指導、一八四六年


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コメント (2)

教皇様のため・カトリック教会のためのロザリオの十字軍へのお招き

2013年02月12日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 一年前の 2012年02月12日 に書かれた記事には次のようなものがあります。

第二バチカン公会議の徹底的検討を求める教皇ベネディクト十六世への嘆願書

アヴェ・マリア!愛する兄弟姉妹の皆様、 昨日は、ルルドでの無原罪の御宿りの御出現の祝日であり、建国記念日でした。いかがお過ごしでいらっしゃいますか? また昨年の大震災から1...

 そして、今年、私たちは、教皇様の辞任の宣言を知らされました。
教皇様が、辞任されたいという希望を漏らしていたという噂は以前読んだことがありましたが、本当に現実のものとなるとは思ってもいませんでした。

 明日は、灰の水曜日です。四旬節は、私たちが祈りと犠牲を捧げる良い機会です。私たちは、教皇様のために、この四旬節をお捧げしましょう。そして、来るコンクラーベのためにお祈りしましょう。天主の御旨に従って、カトリック教会を聖伝へとたち戻すような教皇様が選ばれることを祈りましょう。

 愛する兄弟姉妹の皆様に、ロザリオの十字軍を呼びかけたいと思います。この四旬節の間、沢山のロザリオを唱えて下さい。祈りと犠牲を捧げてください。ベネディクト十六世の後継者の教皇様のために沢山のロザリオを唱えて下さい。

「教皇、司教、司祭のためにたくさん祈ってください。あなたは、洗礼を受けてから今日まで、教皇、司教、司祭のために祈りを忘れないで、よく唱えてくれましたね。これからもたくさん、たくさん唱えてください。」(秋田の聖母)

「世の多くの人々は、主を悲しませております。わたしは主を慰める者を望んでおります。天のおん父のお怒りをやわらげるために、罪びとや忘恩者に代わって苦しみ、貧しさをもってこれを償う霊魂を、おん子とともに望んでおります。」(秋田の聖母)

「毎日ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈ってください。悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。特に悪魔は、おん父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることがわたしの悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪のゆるしはなくなるでしょう。・・・ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。迫っている災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしに寄りすがる者は、助けられるでしょう。」(秋田の聖母)

 私たちの主イエズス・キリストと親密な祈りを捧げ、カトリック教会のために、霊魂の救いのために、よき四旬節を過ごす恵みを乞い求めましょう!

 愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

コメント (6)

ベネディクト十六世辞任に関する聖ピオ十世会本部の報道発表

2013年02月12日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会本部の報道発表をご紹介します。
 天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

Press Release of the General House of the Society of Saint Pius X
11-02-2013


 聖ピオ十世会は、2013年2月28日の夜に有効となる教皇ベネディクト十六世の辞任についての突然の発表を知らされた。 2009年から2011年の間に開催された神学的な協議の機会に、教義上の違いが存在することがまだ明らかであるにもかかわらず、聖ピオ十世会は、教皇が聖伝のミサが廃止されていなかったという事実を想起させ、また、1988年に聖ピオ十世会の司教聖別に続いて、司教らに課されていた教会法上の制裁措置を撤回する勇気を持っていたことを忘れない。聖ピオ十世会は、これらの決定が巻き起こした反対、教皇が全世界の司教に自分自身を正当化しなければならないほどの反対を引き起こしたことを知らないわけではない。
 聖ピオ十世会は、教皇がそのような困難な状況で当会に向かって示した力強さと恒常的な態度について感謝の念を表し、今後祈りに専念したいと望まれる教皇のその後のために、当会の祈りを約束する。

 その創設者マルセル・ルフェーブル大司教に従い、聖ピオ十世会は、母にして真理の師 [Mater et Magistra] である永遠のローマに対する愛着とペトロの座に対する愛着とを再表明する。

 聖ピオ十世会は、教会を揺さぶり動かす重大な危機を解決するために、その能力に応じて貢献をしたいという願望を繰り返して表明する。聖ピオ十世会は、聖霊の息吹きの下で次のコンクラーベの枢機卿たちが、天主の御旨に従って、キリストにおいて全てを復興させる(エフェゾ1:10)ために働く教皇を選出することができるようにと祈る。

メンツィンゲン、2013年2月11日、

ルルドの聖母の祝日において

The Society of Saint Pius X has learned of the sudden announcement about the resignation of Pope Benedict XVI, which will be effective on the evening of February 28, 2013. Despite the doctrinal differences that were still evident on the occasion of the theological talks held between 2009 and 2011, the Society of Saint Pius X does not forget that the Holy Father had the courage to recall the fact that the Traditional Mass had never been abrogated, and to do away with the canonical sanctions that had been imposed on its bishops following their consecration in 1988. It is not unaware of the opposition that these decisions have stirred up, obliging the pope to justify himself to the bishops of the whole world. The Society expresses its gratitude to him for the strength and the constancy that he has shown toward it in such difficult circumstances, and assures him of its prayers for the time that he wishes to devote from now on to recollection.

Following its founder, Archbishop Marcel Lefebvre, the Society of Saint Pius X reaffirms its attachment to eternal Rome, Mother and Instructress [Mater et Magistra] of Truth, and to the See of Peter. It reiterates its desire to make its contribution, according to its abilities, to resolving the grave crisis that is shaking the Church. It prays that, under the inspiration of the Holy Spirit, the cardinals of the next conclave may elect the pope who, according to the will of God, will work for the restoration of all things in Christ (Eph 1:10).

Menzingen, February 11, 2013,

on the Feast of Our Lady of Lourdes


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【参考資料】エンリコ・マリア・ラダエッリ教授(Professor Radaelli)の言葉

2013年02月11日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ルルドに於ける無原罪の童貞女聖母マリアの御出現の祝日、おめでとうございます。
 今日は、参考資料をご紹介します。

 天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

エンリコ・マリア・ラダエッリ教授(Professor Enrico Maria Radaelli)の言葉

「ローマに従わなければならないのはエコンではない。そうではなく、ローマこそが天に従わなければならない。教会が、自分に固有なドグマ的言葉遣いに立ち戻った後に初めて、エコンとローマとの間にある困難な点が全て解決するだろう。」

"It is not Ecône that must submit to Rome, but Rome to Heaven: every difficulty between Ecône and Rome will be resolved only after the return of the Church to the dogmatic language that is proper to it.”


ディヴォ・バルソッティ神父(Fr. Divo Barsotti)の言葉


「教会の全歴史の中で、先の公会議と比べられるものは何もない。第二バチカン公会議では、カトリック司教らは、聖性への努力無しに、自分自身の傲慢以外の何にも従わずに全てのことを刷新することが出来ると信じた。これは、福音の法とどれほど明らかに対立していることであるか!福音の法は、キリストの人性が、その死において、如何に私たちを救う愛の全能の道具であったかということを私たちが信じることを要求している。」

"Nothing seems to me more grave, contrary to the holiness of God, than the presumption of clerics who believe, with a pride that is purely diabolical, that they can manipulate the truth, who presume to renew the Church and to save the world without renewing themselves. In all the history of the Church nothing is comparable to the latest Council, at which the Catholic episcopate believed that it could renew all things by obeying nothing other than its own pride, without the effort of holiness, in such open opposition to the law of the gospel that it requires us to believe how the humanity of Christ was the instrument of the omnipotence of the love that saves, in his death.”



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最近の試練から引き出せる有益な教訓(デ・ガラレタ司教様の講話)その3

2013年02月09日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ご無沙汰して申し訳ありません。今週は、マニラでは司祭の研修会がありました。11名の司祭たちが集いました。皆様のしもべは、第二バチカン公会議の『信教の自由に関する宣言』について発表しました。その内容はこのブログでご紹介したものです。

 さて、デ・ガラレタ司教様が昨年の10月になさった「最近の試練から引き出せる有益な教訓」と題されるお説教の日本語訳の続きをご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


*****


私たちが教会内でできる善を考慮しての諸条件

 次に、前述したように、私たちが味わったこと、つまり試練、議論、そして時に経験した矛盾のおかげで、私たちはよりよい理解を得、よりよい現実の定義を得ました。聖ピオ十世会の立場は現在、六ヶ月前よりももっと明確にはっきりしています。それはずっとよいものです。というのは、なによりもまず回心を通して、つまり教皇様と一部の枢機卿たちの、まことの教義への立ち戻ることでの信仰への立ち戻りをもたらそうとする、み摂理の可能性を除外しないからです。私たちはこのことを排除しません。

 他のやり方と同じほど難しい、現実的なやり方です。私たちはただこう言い続けていました。すなわち、もしも、ローマの側、或いは、次の教皇様の側からの神学上、原則上、信仰上、教義上の聖伝への立ち戻りが、まず最初になかったとしても、この次の教皇様がただ聖伝を許そうと望むだけであるなら、私たちが教会内で行える善、そしてこの善が無視できないものであることを考慮しての教会法的正常化を、私たちをして受け入れることが許す諸条件とはどんなものだろうか?と、です。──私たちはこの可能性を否定してはなりません。

 私はこのことも改善であると確信しています。私たちは、信仰において、信仰のための完全な戦いにおいて、私たちを完全に守ることができるだろう諸条件をはっきりと定義しました。しかし未来を推測することは預言者や占い師のやることです。私たちは天主から送られるものを知りません。皆さんに一つの例、一つの仮説を提示しましょう。将来、現在と同じような状況にありながらも、心の中では、今日の場合と同じような近代主義者、ではない教皇様を想像してみて下さい。神学上でも、考えにおいても、心の中も近代主義者ではなく、真実に聖伝へと戻ろうとしている教皇様を想像してみて下さい。

 ですが、彼にはまことの信仰において抵抗し堅忍しようとする信念が欠けているのです。教会にはびこっているあらゆる近代主義に立ち向かうには、まことの英雄的信念を必要とします。この信念を持たない教皇様、あるいは信念はあるものの、惰弱で、臆病で、自分をとりまく人々に左右される教皇様を想像してみて下さい。皆さんに今示している例は教会の歴史に存在します。こういった教皇たち、司教たちが存在したのです。教義に関しては極めて良いのですが、不品行な教皇たちが存在しましたし、その反対に非常に惰弱な教皇たちがいました。さらに間違いを犯した教皇たちがいました。彼らはある歴史的な決定で間違いを犯し、甚大な結果を引き起こしてしまった、と今私たちは言うことのできます。

 ですから、信念、強さ、あるいは教会内の現状を自分で解決する手段を欠いている一人の教皇が将来あらわれた場合、この教皇は私たちを、教会内の危機における槍の穂先として非常にうまく利用できるかもしれません。この溜まった膿に対抗する教皇様の槍の穂先となれるよう、私たちにとって必要な条件を、私たちに非常にうまく与えることが出来るかもしれません。その上、もしも私たちがその時のことを考えるなら、つまり、もしも教皇様がある日私たちにこの諸条件を与えるのなら、その教皇様こそが第二ヴァチカン公会議の組織と "公会議の教会" へ、最初の一撃を与える方です。何故なら、この教皇が、公会議は誤謬を含んでおり、私たちはそれを拒否できるのだと、聖伝への立ち戻りは必然であると、まさにその行為でもって認めることになるからです。

教皇様が、私たちが要求している諸条件、つまり人間的観点から見れば全く不可能であると思われることを、考慮に入れるとすぐに、公会議の教会には戦争が起きるはずです。いわゆる "公会議の教会" は爆破されるはずです。それは確実です。だからこそ教会法上の問題は、私たちの目にはごく些細なことにしか映らないのです。教皇様が最初の二つのポイントを私たちに許可しようと決意するなら、それはつまり、教会法上のレベルの解決を含むすべてのことを、私たちに与えるつもりだということです。私たちはもちろんそのことを要求します。


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