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【教会の危機】教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのでしょうか?・・・ 続き

2024年02月02日 | 質問に答えて

アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

(これは「【質問】教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのでしょうか?・・・ 」への答えの続きです。)

 セペール枢機卿(Cardinal Seper)は「教会の危機は司教たちの危機である」と言いました(in Georg May, Gefahren, die der Kirche drohen, St Andrae-Woerden, Mediatrix, 1990, p.27)。

 現代の教会の危機には、その能動因として司教様たち(そして究極の責任を問われるものとして教皇様)、その切っ掛けと原理を与えたもの(形相因)として第二バチカン公会議があります。

【教皇様】

 教会の危機は、教会の最高の権威まで浸透しています。第二バチカン公会議後の教皇様たちご自身が、少なくともヨハネ・パウロ二世の統治下に至るまで、この危機を維持させていました。それは、

(1)近代主義の神学者を擁護することによって

(2)カトリック信仰と相容れない意見や行動を教皇様ご自身がなすことによって

(3)カトリック信仰を本当に擁護しようとする人々の仕事に障害をおくことによって。


【ヨハネ二十三世の責任とは?】
 ヨハネ二十三世(在位1958年ー1963年)は、「アジョルナメント(現代化)」のスローガンのもとに、現代のリベラル精神を教会内部に持ち込み、見境もなく大変革をおこさせた第二バチカン公会議を招集した教皇でした。


 公会議を招集したそのこと自体よりも、どのような目的とどのような精神で第二バチカン公会議を招集したかが問題とされます。公会議開催の「開会演説」(1962年10月11日)でこう宣言しています。

「誤謬は生まれては太陽の前の雲のように消えていくもの」だから、誤謬に対して何も断罪をしなくても、自然に消えていく、昔は教会は誤謬に対していつも反対し断固たる態度を取ってきたが、「現代は、キリスト教の花嫁である教会は、厳しさの武器を取るよりは、むしろ慈しみの薬を用いて癒そうとしてる。断罪するよりは、自分の教えの豊かさにより強調をおくことによって、よりよく現代の要求に応えると教会は考えている。もちろん、警戒すべき、そして避けるべき偽りの危険な教えや意見がないわけではない。しかしこれら全ては、誠実という原則にあまりにも明らかに対立し、あまりにも悪い実りを倦んでいるので、今日、人々は自分自身でそれを排斥し始めているように思われる。」(公会議解説叢書6『歴史に輝く教会』(南山大学監修334ページ参照)

 そこで、ヨハネ二十三世は「人類社会の現状を見ては破壊と災難しか見ることができず、過ぎ去った世紀と比べて現代はただただ悪い方に向かってしまったと言い続けて・・・あたかも世の終わりが近づいたかのように、常に災いしか予告しない不運の預言者には私は絶対に賛成できない」(『歴史に輝く教会』330-331ページ)とし、何もせずとも悪は自然に消えてなくなるので、楽観的平和主義を貫くことを第二バチカン公会議で宣言したのです。


 このナイーヴな見方は、現実とはほど遠いものでした。何故なら、イスラーム、プロテスタント主義、仏教などは数世紀にもわたって存在する誤謬でしたが、それ自体で「太陽の前の雲のように消えて」いったわけではありませんでした。その反対です。カトリック教会がその誤謬を排斥するのを拒否したがために、それらはますますその勢いの広がりを見せています。


 カトリック教会内についても、ヨハネ二十三世の楽観的な見解に反して、真理は光り輝くどころか、むしろ無数の誤謬がますます広がる一方でした


 更に、ヨハネ二十三世は第二バチカン公会議の議事規定に反して、以前ローマがその異端説のために排斥した神学者たちを少なくとも3名、公会議顧問として任命しました。


【パウロ六世の責任にはどのようなものがあるか?】

 教皇パウロ六世(在位1963年ー1978年)は、ヨハネ二十三世の死後第二バチカン公会議を継続させ、リベラル派を明らかに支持しました。パウロ六世は、新たに4名の公会議の運営委員(moderatores)を設定し、「中道派のアガジャニアンと、進歩派のレルカノ、デフナー、スーネンスなどの枢機卿」(『歴史に輝く教会』294ページ)を任命しました。レルカノ、デフナー、スーネンス枢機卿たちはリベラルで大変有名な人々でした。


 1965年12月7日、公会議閉会の演説においてパウロ六世はこう宣言しています。


「"人間となった天主"の宗教は、『自らを天主とする人間』の宗教(なぜならこれも宗教のひとつですから)と出会いました。何が起こったのでしょうか。衝突でしょうか。紛争でしょうか。排斥でしょうか。これらが起こり得ました。しかし、これらはありませんでした。良きサマリア人の昔の話が公会議の霊性のモデルでした。すなわち、限りない好感が公会議全体を侵略しました。人間の必要を発見し(そしてこの地上の子がますます自分を偉大とするに従って、この必要はますます大きくなるのです)それが私たちの会議の注意をまったく奪い取りました。現代の人間中心主義者 humanistes である皆さんも、少なくともこの功績を公会議に認めてください。あなた方は最高の諸現実の超越性を放棄していますが、私たちの新しい人間中心主義を認めることを知りなさい。私たちも、誰にもまして人間を礼拝する le culte de l'homme ものなのです。」(『歴史に輝く教会』 p444)


Religio, id est cultus Dei, qui homo fieri voluit, atque religio - talis enim est aestimanda - id est cultus hominis, qui fieri vult Deus, inter se congressae sunt. Quid tamen accidit? Certamen, proelium, anathema? Id sane haberi potuerat, sed plane non accidit. Vetus illa de bono Samaritano narratio excmplum fuit atque norma, ad quam Concilii nostri spiritualis ratio directa est. Etenim, immensus quidam erga homines amor Concilium penitus pervasit. Perspectae et iterum consideratae hominum necessitates, quae eo molestiores fiunt, quo magis huius terrae filius crescit, totum nostrae huius Synodi studium detinuerunt. Hanc saltem laudem Concilio tribuite, vos, nostra hac aetate cultores humanitatis, qui veritates rerum naturam transcendentes renuitis, iidemque novum nostrum humanitatis studium agnoscite: nam nos etiam, immo nos prae ceteris, hominis sumus cultores.

第2バチカン公会議とはおよび
◎公会議に参加した教父たちは、公会議が革新であったと主張する
「マニラの eそよ風」157号
を参照のこと)

 パウロ六世のこの態度については、聖ピオ十世がその最初の回勅『エ・スプレミ・アポストラトゥス』で言った次の言葉と比べることができます。

「全ての手段を使って、全ての努力の代価を払っても、私たちが生きている現代に特有のこの化け物のような厭わしい邪悪、つまりそれによって人間が天主に取って代わるという邪悪を完全に根こそぎにしなければならない。


 聖ピオ十世は同回勅で「反キリストに固有の特徴」として「呼ぶべき名前もないほどの無思慮をもつ人間が創造主の地位を横領し、天主の名前を持つ全ての上にそそり上がろうとする。それは、それ自体では「天主」という概念を完璧に消し去ることができないが、天主の御稜威のくびきを振り払い、自分自身のために目に見える世界を神殿であるとして奉献し、自分の同類たちから礼拝を受けようとする程である」と言っています。


 これを見ても分かるように、パウロ六世は「私たちが生きている現代に特有のこの化け物のような厭わしい邪悪、つまりそれによって人間が天主に取って代わるという邪悪」に対して責任を放棄して戦おうとせず、かえってそれに限りない好感を持ち、パウロ六世自身も誰にもまして人間を礼拝するものであると言っているのです。聖ピオ十世とは全くの対極に立つ態度です。

 パウロ六世の人間中心主義は、人類が月面に到着した時、人間賛美の歌を歌っていることからも分かります。

「人間に名誉あれ、
 人間の思考、科学、技術、労働、努力に名誉あれ。
 ・・・
 人間に名誉あれ、
 地上の王、そして今では天の君主に。」
(Paul VI, 7 fevrier 1971, DC 1580 du 21 fevrier 1971, p. 156.)


 1964年の11月に、リベラル派を支持していたパウロ6世は、教皇の最高の権威を使おうとしないということを意味するために、象徴的に教皇三重冠を放棄しました。次にパウロ6世は検邪聖省を改革しました。1966年6月15日、禁書目録は廃止され、検邪聖省は「教理聖省」とその名と役割を変えられました。検邪聖省はもはや何も排斥せず、ただ単に建設的な探求に専心するだけになり、検邪聖省は検邪聖省でなくなったのです。これによってリベラル派は自由に活動できるようになりました。

 それと同時にパウロ六世の統治下に、本当にカトリック信仰を保ちたいと望み、プロテスタント主義・近代主義・背教を拒む司祭たちが迫害を受け始めました。

【ヨハネ・パウロ二世は状況の立て直しをしたのではないか?】

 いいえ。幾つかの点でヨハネ・パウロ二世は、パウロ六世より厳格であったように見えますが、それにしても革新の道を頑固として進み続けました。そして以前であれば背教のしるし、少なくとも異端の疑いのしるしであった行為を様々に成し遂げました。
(1917年の教会法2314-2316条参照)

 1982年5月29日、ヨハネ・パウロ二世は、英国聖公会の「大司教」(Msgr Runcie)とカンタベリーのカテドラルで共に使徒信経を唱え、彼と共に祝福を与えました。聖公会の司祭叙階は無効であるので本当は平信徒でしかないにもかかわらず、この時、英国聖公会の最高聖職者は大司祭としての祭服を着ていました。ヨハネ・パウロ二世は、レオ13世の不可謬の教えを無視していたのです。

 1985年8月、ヨハネ・パウロ二世はトーゴの「神聖な森」の中でアニミストの儀式に参加しました。

 1986年2月2日、ヨハネ・パウロ二世はインドのボンベイで、ヒンズー教のシヴァ神の第3の目を意味するティラック(Tylak)を自分の額に受けました。

 1986年2月5日、マドラスではシヴァ神とヴィシュヌ神の礼拝者のしるしである神聖な灰ヴィブティ(Vibhuti)を受けています。

 このような行動は数を増やし、悲しい頂点に至りました。それは1986年10月27日アシジでの諸宗教の集会でした。ヨハネ・パウロ二世は、世界の全ての宗教を呼んで、自分たちの儀式に従って平和のために祈れと招いたのです。彼らが異教の宗教儀式のために自由に使うことができるように、カトリック教会の建物は使われました。サン・ピエトロ教会では、御聖体が安置してある御聖櫃の上に仏陀の像がおかれて礼拝されていました。このようなことは「平和」ではなく、偶像崇拝であり、迷信です。このようなことを積極的にさせることは、唯一の天主の御稜威に対する大きな罪でした。たとえ良い意向のためにであっても、それ自体で悪しき行為をすることを積極的に勧めること、またはそれ自体で悪しき行為をすることはゆるされていません。

 ヨハネ・パウロ二世は、1986年以降毎年アシジのような諸宗教の集会を開くように奨励し続けました。他人に勧めるばかりか、自分でも積極的にその範をたれ、偽りの諸宗教を支援する様々なジェスチャーをし続けました。たとえば1999年5月14日、皆の前で公然とコーランに接吻をしました。この写真はイスラム諸国に溢れるばかりに広がり、イスラム教徒たちがその誤れる宗教に留まることを激励するだけにしかなりませんでした。

【第二バチカン公会議】
 すでにカトリック教会の中に隠れ潜んでいたリベラル派と近代主義者達は、第二バチカン公会議をコントロールすることに成功し、教会内部で長くから準備されていた危機を点火する機会を与えました。

 聖ピオ十世は既に丁度100年前、回勅『パッシェンディ』の中で近代主義は教会の外にいる敵ではなく、たとえその信奉者が自分たちの本当の意向を隠していたとしても、内部に深く浸透してしまっている敵であると言っていました。

 聖ピオ十世は近代主義に対して力強く戦いました。聖ピオ十世の後継者たちも、ピオ十二世に至るまで多かれ少なかれ戦いました。ピオ十二世の回勅『フマニ・ジェネリス』は「新しい神学」と呼ばれていたものを排斥しました。教皇たちの努力は、見せかけ上は受け入れられたのですが、現実は多くの人々は馬鹿にしていただけでした。人々は教皇たちから排斥された禁止された説に興味を持ち続け、神学校や大学では神学生たちに新しい学説に染まるようにし続けていたのでした。

 教会内部に潜んで活動を続けていたリベラル派や近代主義者達は、第二バチカン公会議をコントロールすることに成功しました。リベラル派のスーネンス枢機卿は、第二バチカン公会議のことをフランス革命にたとえて「第二バチカン公会議は教会内部のフランス革命だった」と言っています。やはりリベラル派のイーヴ・コンガール神父は、公会議の神学者でしたが、第二バチカン公会議をロシアのボルシェヴィキ革命にたとえて「教会は、穏やかに十月革命を果たした」と言っています。







【教会の危機】教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのでしょうか?・・・

2024年02月02日 | 質問に答えて

アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、以下は2007年3月の記事からの再掲です。






【質問】
現在、カトリック教会は危機に襲われているのでしょうか?」の記事で、カトリック信者の信仰が危機にあるのは結果で、その原因は、聖職者達の信仰の喪失の危機であることが触れられていますが、教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのでしょうか? 教皇様なのでしょうか? それとも第二バチカン公会議なのでしょうか?


【答え】
 セペール枢機卿(Cardinal Seper)は「教会の危機は司教たちの危機である」と言いました(in Georg May, Gefahren, die der Kirche drohen, St Andrae-Woerden, Mediatrix, 1990, p.27)。


 現代の教会の危機には、その能動因として司教様たち(そして究極の責任を問われるものとして教皇様)、その切っ掛けと原理を与えたもの(形相因)として第二バチカン公会議があります。


【司教たちの危機】
 カトリック教会にいる4000名の司教様たちの中には、確かに正統カトリックたろうとしてカトリック信仰のために働こうとしておられる方々が何人かおられます。しかし、大部分の司教様たちにおいては、カトリック信仰を擁護する代わりに、信仰の真理を公に否定する司祭や神学者たちに自由にさせています。中にはそのような司祭たちを激励したり、支援したりし、或いは司教様自身で、カトリック信仰とカトリック道徳とは相容れない立場を取っています。


● たとえばフランスでは、以前のパリの大司教であったリュスティジェ枢機卿(Cardinal Lustiger)は、ユダヤ教徒たちはキリスト教に改宗する必要はないと公に教えています。


● ストラスブールの大司教であるドレ大司教(元パリ・カトリック神学院の神学部長)は、イエズス・キリストを拒否したユダヤ教徒たちを不信仰者(infideles)とか盲目者(aveugles)であると考えることはできない、回心する必要があるのは彼らではなく、むしろ「新しいイスラエル人」という名前を横取りしたカトリックのほうだ、と主張しています。(Mgr Joseph DORE, message addresse a la loge juive "Rene Hirschler" (de l'ordre des B'nai B'rith) et publie dans le bulletin diocesain l'Eglise en Alsace, juillet-aout 2003, p. 1-3.)


 しかし聖パウロは「かれらは不信によって切られ、あなたは信仰によって立っている。」と言い、ユダヤ人の「にぶい心、見えない目、聞こえない耳」、「かれらの目はくらんで見えなくなれ」(ローマ11章)、「今日も、モイゼの書を読むとき、かれらの心におおいが垂れている」(コリント後書3章)と言い、この状態では「天主によろこばれず、人類の敵となり」、「ここにおいて、かれらの上に天主の怒りは、極みに及んだ」(テサロニケ前書2章)とまで言います。

 聖ペトロは、聖霊降臨の日に「イスラエルのすべての人は、あなたたちが十字架にかけたそのイエズスを、天主が主とし、キリストとされたことを、しかと知らねばなりません。・・・くいあらためなさい、おのおの、罪のゆるしを受けるために、イエズス・キリストのみ名によって洗礼を受けなさい。」と宣言しました。


● 2001年には、フランスの司教教義委員会(la commission doctrinale des Eveques de France) は、「天主の啓示に深く忠実」であるとして、バイヤール版の聖書(la Bible des editions Bayard)勧めました。しかし、この版の聖書は聖福音に書かれている事実の歴史性を否定しているものです。曰く「初代のキリスト者たちは、歴史のイエズスよりも信仰のキリストにもっと関心を抱いていた」と。


● 2003年、リモージュの司教であるデュフール司教(Mgr Dufour)は、ミサの時に説教台からこう説教しました。「私たちは天主が存在するのかよく知らない。私たちはそのことを科学的確実性で知るのではなく、信仰において知るだけだ。」


 しかし聖パウロは、天主の存在は信仰なくしても理性だけで確実に知りうると教えています。第一バチカン公会議もこう宣言しています。
「3026(1806)(1) 創造者であり,われわれの主である唯一の真の天主を人間理性の自然的な光によって被造物の中から確実に認識することができないと言う者は排斥される(*3000参照)。」

● 1996年、ベルリンでの講話会の際に、ドイツの司教協議会委員長であるカール・レーマン司教(現在は枢機卿)は、ルターのことを「共通博士」(der gemeinsame Lehrer)と呼びました。しかしこれは通常聖トマス・アクィナスに対してなされる呼び方です。


● 2006年に出版された「フランス司教黒書」(Le livre noir des eveques de France, par Remi Fontaine)というがあります。

 その中で、著者のルミ・フォンテーヌは「フランスの迫り来ている嘆かわしい背教とその現行の無能性」を示しています。この「黒書」からの幾つか例を拾ってみると、

 フランスの司教たちは「フリーメーソンが語るように」、フランスの国家が無宗教であり政教分離しているために戦っています。しかし哲学者ルネ・ジラール(Rene Girard)は、1905年に成立したフランスの政教分離の法律について、「その他これと同類のいかなる法律よりも、キリスト教にとって悪しきものである」と表現しています。


● この「黒書」はフランスで1975年に堕胎の法律が成立したのは、フランスの司教たちが沈黙を守り反対の声を上げなかったからであることを示しています。堕胎賛成をしていたイスラエル・ニザンは「事実上、カトリック教会はこのことについて賛成していたことを多くの人々は知らない」また「カトリック教会は根本的にこの法律に反対しなかった」告白しています。当時、この法律に反対していたカトリックのルジョン教授(Professeur Lejeune)は、パリの補佐司教から「天主の御前で私はあなたに言う。あなたは悪しき信者だ。」と罵られました。サンスの大司教は、堕胎をする人々の回心を願って抗議のためにロザリオの祈りを唱えているカトリック信者たちに向かって「手段の腐敗させている」と非難しました。


● バルバラン枢機卿(Cardinal Barbarin)は、堕胎法律を推進していたフェミニスト議員、シモーヌ・ヴェーユ(これは有名なフランスの女性哲学者とは別人)とリヨンで親しく会っていました。


● サンチエ司教はカトリックの道徳のせいで「男性と女性とが彼らの個人的・社会的生活において教会の強制によって苦しんだ」ことを謝っています。


● ポワチエでは、ルエ司教がコンドームを賞賛して「唯一の病気を防ぐ手段」として必要であると言い、堕胎の法律に反対している国民戦線(Front National)の党員の子供には洗礼を授けることを拒否しました。ルエ司教曰く「国民戦線のイデオロギーはナチと関係があると私は断言する。」


● 1998年、フランス司教協議会委員長であるダヴィド司教は国民戦線の党について「キリスト教の価値と多くの点で」反すると言います。2002年にはジプソン司教は司教の権威を使って「私は、ル・ペンとその党(=国民戦線)に反対することに投票します」と宣言しています。


● レユニオンでは、オブリ司教は、フランスの国民的一致のために、キリスト教的祝日を廃止することを説教しました。


● アミアンでは、ノワイェ司教はル・モンド紙に、司祭独身制について「教会の規律を緩和すべきだ」という望みを掲載させています。


● サン・ドゥニではド・ベランジェ司教は、パリ郊外の暴動事件について「民主主義に対する脅威」であるけれども、「民衆に関して経験がある効果的な組織である」共産党が幸いにもある、と安心しています。だから共産党という「むしろ良い」存在は、「危険な現象」である国民戦線の存在を打ち消すと言います。


● カトリック教会は教会法(1398条)で、堕胎をする母親、医者、手伝う看護婦、堕胎を励ます・勧める・同意する・協力する全ての人々、たとえば父親・友人などを自動破門にしています。司教たちは、堕胎をゆるす立法に賛成する議員やそれに賛成の投票をする者たちは皆、破門であることを宣言しなければなりませんでした。しかし司教たちは沈黙を守ることによって堕胎の罪に協力したのでした。(つまりほとんどのフランス司教たちは、自動破門に相当する罪を犯していたのでした!)


● オンタリオ(カナダ)の司教とボストン(アメリカのマサチューセッツ州)の司教は、自分の教区の司祭たちの半数は全実体変化を信じていないと認めています。しかしそれに対して何もしていません。
Archbishop Marcel Lefebvre: A Living Saintを参照のこと)


● オコーナー枢機卿は、多くのアメリカの司教たちが「教皇様を憎んでいる」と言っている。ガニョン枢機卿は「ほとんどのアメリカの司教たちは宣言されていない離教状態にいる(Most American bishops are in material schism.)」と認めました。
Archbishop Marcel Lefebvre: A Living Saintを参照のこと)


 歳月が経つにつれて、状況は良くなるどころか、ますます悪化の一方で止まるところを知りません。


【質問】チゼック神父様の回想は実話なのでしょうか。

2024年01月22日 | 質問に答えて

アヴェ・マリア・インマクラータ!

【質問】チゼック神父様の回想は実話なのでしょうか。収容所では話をすることもできないのに、多くの人々に黙想のポイントを話しているし、ホスチアもぶどう酒も聖具も入手できるはずはないのに、どうしてミサをささげることができたのでしょう。チゼック神父様の回想もフィクションではありませんか。

【答え】チゼック神父様の回想は実話です。イエズス会司祭、天主のしもべウォルター・チゼック神父【Servant of God Fr. Walter Ciszek, SJ (1904-1984)】は、1937年に司祭叙階されポーランドに任命されました。1939年に戦争が開始するとロシアに入国し、1941年にスパイ容疑で逮捕されました。

逮捕された後はモスクワのルビアンカ刑務所に7年間収容され、バチカンのスパイとしてシベリアの収容所で15年の強制労働の刑を受けました。

収容所にはカトリック司祭たちもいました。そこで早朝、あるいは夕方に、こっそりと一人に黙想のポイントを伝えます。告解も隠れて聞きます。収容所の囚人でも、クリスマスのころに一年に一回ほどは、手紙や荷物を受け取ることができました。複数の司祭たちが、ミサの道具を受け取って、それをシェアしていました。

1955年に、与えられた労働量よりも遥かに多くをこなしたという理由で、早めに収容所を出ることができました。ノリルスクという町に移り住みます。死んだと思われていた神父様でしたが、ついにアメリカにいる家族に手紙を書くことが許されました。

1963年、ケネディー大統領によるネゴシエーションで、チゼック神父と一人のアメリカ人生徒が、アメリカで逮捕された二人のソビエト工作員と引き換えに、アメリカに帰ることができるようになりました。アメリカに帰国後、ペンシルベニア州にあるフォーダム大学で、1984年に死ぬまで働きました。

アメリカでロシア時代の回想録を書きました。その中で「He Leadeth Me」【主は私を導き給う】という手記はとても感動的です。日本語の訳はまだないようです。ちなみに韓国語には訳されています。


輪廻転生が無いこと

2019年12月19日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

輪廻転生が無いことについて質問をされましたので、お答えします。

私たちが生きているこの世界をよく観察すると、私たちの考えている外の世界が秩序づけられて存在しています。数多くの種の動物や植物があります。

これらは、あまりにも素晴らしく完成されたデザインによって目的にかなうように作られています。鳥が羽ばたいて飛ぶのも、昆虫が飛ぶのも、花が咲いて実を付けるのも、人間の知性を超える知恵深い構造をしています。

私たちは世界が偶然ではなく、創られて存在したと知っています。全宇宙を無から有にあらしめたその方を、私たちは天主と呼んでいます。

この天主は、私たちを含めてすべてを無から創造しました。つまり、この天主は、私たちが永遠の命の至福を得るために、この地上での短い生活をするように人間を創造しました。

元来は、短い地上の生活の後に天上での生活に移されるはずでした。しかし、人間が死ぬようになったのは原罪のせいです。

人間は、この地上での生活の終わりに死を迎えることになりました。死とは肉体と霊魂との分離です。

霊魂は、この肉体を離れた後には、最後の審判の時に肉体ともう一度合体するまで、分離したままです。固有の霊魂には、固有の肉体があり、この体がなければ霊魂はこの地上の命には戻れません。言い換えると、輪廻転生はありません。

天主による世界の創造、創造の目的、人間だけが持っている理性による行動、天主が人間となって贖いの業を成し遂げたこと、などを考えると輪廻転生はあり得ません。

●人間は、ただ一回きり、この世で生活します。今、この人生を、良く、正しく送らなければなりません。失敗はできません。もしも、何度もチャンスがあるのなら、天主の聖寵の貴重さ、人間の自由の大切さが、どうでもよくなります。次があるのですから。

●人間の赤ちゃんをみると、生まれた時は何の記憶もありません。言葉から少しずつ、全て学んでいかなければなりません。「前世」の記憶の話しをする人は、確かめることが出来る証拠もなく話しています。現在に至るまで前世に生きていたと証明することが出来るような証拠をもって主張する人は一人も存在していません。
(In 1952 Virginia Tighe was put under hypnosis; she claimed to be the reincarnation of one Bridey Murphy, a woman who had lived in Cork, Ireland. Her story was turned into a best-selling book, but Virginia Tighe was exposed as a fraud decades ago. To this day, not a single verifiable example exists of a person being regressed to a former life.)

●別の人に生まれ変わるというような輪廻転生があるとすると、天主による永遠の命への救いという究極の目的がありえなくなります。

●別の動物に生まれ変わるというような輪廻転生は、不可能です。何故なら、動物と人間ではあまりにも違いすぎるからです。

●輪廻転生の考えは、肉体を罰や牢獄であるかのように軽蔑しています。

●肉体は、個人の霊魂によって形成されます。人間の霊魂は二つと同じものがないかけがえの無い存在です。肉体が車のシャーシで、霊魂がエンジン、どれでもよく交換可能というわけではありません。

●輪廻転生は、カースト制度の差別と深いつながりがあります。例えばヒンズー教では、身分の低いカーストに生まれた人々は、前世の罪のせいなので、彼らを助けてはならないとされます。いま残酷に惨めに死ねば来世において高いカーストに生まれ変わるだろう、と。天主から愛されている人間が、憐れみを受けずに、人間として取り扱われないことになります。非道なことです。

これを書くのに次のサイトを参考にしました。
Why not Reincarnation?

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


M君らしい質問と願いに答える

2019年09月11日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛するM君、

M君の質問とお願いを拝見しました。相変わらず君らしい質問でしたね。

なぜなら、第一に、内容よりも、どこから引用したのかと引用元に興味を示しているからです。

まず、M君の質問に答えましょう。
『参考までに、Van Noort の意見によると、列聖が不可謬であるということは、神学的に確実(sententia certa)よりも低い確実性の、共通意見(common opinion)に位置づけています。』(2019年9月13日(ママ) クレディディムス 掲載文)

M君は、これの引用元を尋ねましたね。

 Monsignor Van Noort は、その有名な『キリストの教会』Christ's Church という本の中でそう言っています。

Dogmatic Theology, Volume II, Christ's Church, by Monsignor G. Van Noort, S.T.D.は、ここでも読むことが出来ます。

その本の中で、Van Noort は、不可謬性の「副次的な対象」について説明しています。(Christ's Church p110を見てください。)繰り返して言えば、不可謬性の第二の対象(副次的対象)とは、天主によって主要に(formally)啓示されたものではないが、啓示された遺産に緊密に関係している事柄です。

煩わしくなるので、Van Noort の説明の一部を引用します。詳しくは、上記のリンクをインターネット上でご覧ください。

One can easily see why matters connected with revelation are called the secondary object of infallibility. Doctrinal authority and infallibility were given to the Church's rulers that they might safeguard and confidently explain the deposit of Christian revelation. That is why the chief object of infallibility, that, namely, which by its very nature falls within the scope of infallibility, includes only the truths contained in the actual deposit of revelation. Allied matters, on the other hand, which are not in the actual deposit, but contribute to its safeguarding and security, come within the purview of infallibility not by their very nature, but rather by reason of the revealed truth to which they are annexed. As a result, infallibility embraces them only secondarily. It follows that when the Church passes judgment on matters of this sort, it is infallible only insofar as they are connected with revelation.

Van Noort は、次の5つの事柄が、不可謬性の副次的対象であると列挙しています。

1. 神学的結論 theological conclusions;
2. 教義的事実 dogmatic facts;
3. 教会の一般的規律 the general discipline of the Church;
4. 修道会の承認 approval of religious orders;
5. 列聖 canonization of saints.

(繰り返します。もちろん、別のサイトから全文コピペすることが出来ますが、煩わしいので、ここでは一部だけを引用します。もしも疑う場合には、上記のサイトをご覧ください。)

When theologians go on to break up the general statement of this thesis into its component parts, they teach that the following individual matters belong to the secondary object of infallibility:
1. theological conclusions;
2. dogmatic facts;
3. the general discipline of the Church;
4. approval of religious orders;
5. canonization of saints.

Assertion 1: The Church's infallibility extends to theological conclusions. This proposition is theologically certain.

Assertion 2: The Church's infallibility extends to dogmatic facts. This proposition is theologically certain.

Assertion 3: The Church's infallibility extends to the general discipline of the Church. This proposition is theologically certain.

Assertion 4: The Church's infallibility extends to the approval of religious orders. This proposition is theologically certain.

Assertion 5: The Church's infallibility extends to the canonization of saints. This is the common opinion today.

第二に、M君らしいと思ったのは、私が発言していないことを発言したと読もうとする(読んでいる)、からです。これは、M君の三つの質問全てに言えます。そして、別の意味に理解して、それはどこに書かれているのか?と尋ねています。

例えば、最初の質問です。

『副次的対象については、カトリック教会が不可謬的に決定することが出来るか否かを第一バチカン公会議で取り上げる予定でした。』(2019年9月13日(ママ) クレディディムス 掲載文)

これを素直に読めばわかるように、私の主張したことは次です。

「カトリック教会は、副次的対象について、不可謬的に決定することが出来るか否かを宣言することがありませんでした。ですから、これについては、信仰の内容(de fide)ではなく、神学的に確実(sententia certa)であると考えられているだけです。」

つまり、

「"カトリック教会が、副次的対象について、不可謬的に決定することが出来る"ということは、神学的に確実(theologically certain)であるが、信仰の内容(de fide)ではない。」

ということです。上の命題の内容が、M君の理解した次の内容と異なっていることに気が付きましたか? 私の主張は「確実性の程度」の議論です。

しかし、M君はこう理解しました。
「副次的対象については教会からの決定が未だ出ていない、だから列聖、規律、教会法の不可謬性については信じる必要性がない」

M君の理解は、「信じる必要性」があるかないかです。この違いが分かりますか?


第二の質問ですが、やはり、私の言っていない別のことを読もうとしています。猜疑心からかな?

『参考までに、Van Noort の意見によると、列聖が不可謬であるということは、神学的に確実(sententia certa)よりも低い確実性の、共通意見(common opinion)に位置づけています。』(2019年9月13日(ママ) クレディディムス 掲載文)

という文章を読めばわかるように、

Van Noort は、カトリック教会の不可謬性が列聖にまで及ぶ、というのは、共通意見である、と位置付けている。
Assertion 5: The Church's infallibility extends to the canonization of saints. This is the common opinion today.

これが私の主張です。

少なくとも、Van Noort は、自分自身の主張はともあれ、その本では「カトリック教会の不可謬性が列聖にまで及ぶ」という主張は、共通意見であると述べている、です。つまり、すくなくとも、神学者たちの意見の中で確実性が少ないことは同意しています。

この理解が、M君の次の理解と違っていることが分かりますか?

「彼(Van Noort)は『列聖の不可謬性には絶対的確実性がない』というニュアンスでそう言っている」

M君の理解は、Van Noort 自身の立場についてです。


第三の質問も同じです。アドリアノ六世の言った言葉を私は引用しました。

『たとえば教皇アドリアノ六世はこう言います。
"... plures enim fuere Pontifices Romani haeretici. Item et novissime fertur de Joanne XXII, quod publice docuit, declaravit, et ab omnibus teneri mandavit, quod animas purgatae ante finale judicium non habent stolam, quae est clara et facialis visio Dei."

「(…)実に、複数のローマ教皇らは異端者だった。彼らの最後は、教皇ヨハネ二十二世だった。煉獄の霊魂たちは最後の審判の前にはストラを持たない、つまり、明確な天主の顔と顔とを合わせる至福直観を持たないということを、彼は公式に教え、宣言し、すべての人に信じるように(teneri)命じた。」

なんというパラドクスでしょうか!』(2019年9月03日 クレディディムス 掲載文)

まず、よく読んでください。そこに書かれていることは、次のことです。

教皇アドリアノ六世は、次のように発言した。すなわち「複数のローマ教皇らは異端者だった。彼らの最後は、教皇ヨハネ二十二世だった。」と。

アドリアノ六世の言ったラテン語を直訳しただけです。

「煉獄の霊魂たちは最後の審判の前にはストラを持たない、つまり、明確な天主の顔と顔とを合わせる至福直観を持たないということを、彼(=教皇ヨハネ二十二世)は公式に教え、宣言し、すべての人に信じるように(teneri)命じた。」と、アドリアノ六世が説教しています。

この引用元については、2019年8月30日付けの「教皇は個人的に異端に陥り得るか? 教皇は公然と異端を主張し得るか? 教皇インノチェンテ三世、教皇アドリアノ六世、ドミンゴ・デ・ソト、サレジオの聖フランシスコらの主張は?」に詳しく書かれています。よくご覧ください。

ラテン語は、ボシュエ全集 p. 20に引用されています。

Oeuvres complètes de Bossuet:XXVIII.
De Adriano VI cur privatim dicendum : unus rem totam conficit : ejus jam Pontificis recusus Romæ liber retractatione nulla.

教皇ヨハネ二十二世については、もちろん、詳しくお話するつもりです。
ただし、別の機会に改めて、詳しく、書きます。もともとそのつもりでした。

M君には、アドリアノ六世の言った言葉の内容も考えていただきたいと思います。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


敬虔な同意(assensus relisiosus)が求められる「正真の(authenticum)教導権」とは?教皇ヨハネ二十二世、教皇ホノリウスの例。教皇は、誤りを教えることが出来るか否か?

2019年08月29日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛するM君、お元気ですか?
「O神父様によるセデヴァカンティズム批判論駁 第三回」を拝見させていただきました。

M君(Veritas liberabit vos!さん、と呼ぶのは、あまりによそよそしいので、いつものように霊名で呼びます)も忙しい中を書いてくれているので、私もできる限り時間を見つけて、体力の許す限りお返事をしようと思います。

M君によると、今現在、バチカンで教皇として世界中で認識されている人(つまり教皇フランシスコ)を教皇と認めることが「似非カトリック教会のメンバーと化す」ことであって、
彼を教皇ではないと個人的に判断することが、「真のカトリック教会へと方向転換」することだと主張していますね。

私の理解が正しければ、M君にとって、二つの点が問題になっているようです。

(1)なぜO神父は、「荘厳/特別教導権」にも「普遍通常教導権」に属さない、教導権の第三レベルである「正統[ママ]教導権(Authentic Magisterium)」のことに言及しないのか。例えこの教導権が不可謬性を有していないとしても、キリストの権威を有する性質上、カトリック教皇は、それを教える際「霊魂にとって有害な」発言や命令を公布する事が出来ないはずだ。何故言及を避けたのか?知りながらそれに言及しなかったとすれば、それは聖ピオ十世会の過ちを隠蔽する為だ。

(2)O神父が『教皇がかつて、発言したあるいは命令した言葉が、すべてがすべて不可謬で誤りがない、とは明らかに言えない場合が歴史上存在しているからです』と主張するなら、主張を擁護する歴史上の例をいくつか挙げるべきだった。しかし、例を挙げないのは、そうすることが出来ないからだ。何故なら『キリストの権威を有する教皇には、どんな形式であれ、霊魂にとって有害な教えを公布する事など不可能』だからだ。教皇の教えは、荘厳教導権以外では、全て「正統[ママ]教導権」であり、その教えは不完全であり得ても、決して霊魂を害する教えであり得えない。

【回答】
(1)の点については、Authentic Magisteriumについては、「第2バチカン公会議とは --- 第2バチカン公会議の権威 --- 」という論文の要旨を日本語にした時に、言及しました。ただし authentic(正真正銘・真正の)は、orthodox(正統の)という言葉を区別するために、「正真の(authenticum)教導職」と訳しました。

例えば、福者の列福がこれにあたります。そのとき、これに敬虔な同意(assensus relisiosus)をする必要があります。(Thesis 15. Salaverri, Sacrae Theologiae Summa, Tomus I: Theologia Fundamentalis, Madrid, BAC, 1962, p. 705)

「正真の(authenticum)教導権」には、敬虔な同意(assensus relisiosus)が求められますが、信仰(fides)ではありません。

信仰は対神徳で、信仰の同意(assent of faith)は絶対的です。

敬虔な同意(religious assent)は、従順の徳に属するもので倫理徳です。つまり、やり過ぎと欠如との間の中庸に成立する徳です。つまり、絶対的でもなければ無条件でもありません。

正真の教導者、つまり、教会において本当の権威を持っている者(すなわち教える権利と義務を持つ当局)が、自分が持っている権威の充満を行使せずに(つまり厳格な決定的な判断を下すことを意図せずに)、教える職務を行使する時、敬虔な同意が求められます。ただし、「敬虔な同意」という「従順の徳」だけです。

たとえば、第二バチカン公会議について、どのような「同意」が求められているか、と言う質問に、第二バチカン公会議の事務総長であったフェリチ枢機卿はこう言いました。

「第二バチカン公会議は、司牧公会議であり、教義決定の公会議ではないので、不可謬の公会議ではありません。総会の終わりに私たちはフェリチ大司教にこう質問しました。「神学者たちが公会議の "神学的性格" と呼んでいるものを私たちに与えてくれることができないでしょうか?」
フェリチ大司教はこう答えました。「過去、既に教義的に定義の対象になったものを、草案や章ごとに従って、区別しなければなりません。ところで、新しい性格を持った宣言については、私たちは留保しなければなりません。」
(ルフェーブル大司教「教会がどうなってしまったか分からなくなってしまったカトリック信徒たちへの手紙」第14章)

A non-dogmatic, pastoral council is not a recipe for infallibility. When, at the end of the sessions, we asked Cardinal Felici, “Can you not give us what the theologians call the ‘theological note of the Council?’” He replied, “We have to distinguish according to the schemas and the chapters those which have already been the subject of dogmatic definitions in the past; as for the declarations which have a novel character, we have to make reservations.”
Open letter chapt 14

(2)については、『キリストの権威を有する教皇には、どんな形式であれ、霊魂にとって有害な教えを公布』した例として、ヨハネ二十二世、ホノリウスを挙げます。

ここでは、以上、簡単に回答をするにとどめます。

「正真な教導権」が、教皇が誤りを教えることが出来るか否かについて、何を教えていたか、について
また、
教皇ヨハネ二十二世、教皇ホノリウスの例について、
などについては、時を改めて、詳しくご紹介いたします。

さらに「真正な教導権」についても、将来、紹介する予定です。

最後に、M君は、聖アルフォンソ・デ・リゴリオの言葉を引用していますね。

『もし何時の日か教皇が、個人として、異端に陥るとしたら、彼は直ちに教皇職から転落するだろう。しかしながら、もし悪名高く反抗的な異端者となる事を神が教皇に許す事となれば、彼はこの様な事実によって(自動的に)教皇ではなくなり、使徒座は空位となるだろう。』
“If ever a Pope, as a private person, should fall into heresy, he should at once fall from the Pontificate. If, however, God were to permit a pope to become a notorious and contumacious heretic, he would by such fact cease to be pope, and the apostolic chair would be vacant.”

これを見て、M君らしくないなと思いました。何故なら、

(1)聖アルフォンソのどの本の何ページから引用したのか、出典を出さないで引用しているから。

(2)「キリストの権威を有する教皇には、どんな形式であれ、霊魂にとって有害な教えを公布する事など不可能」と主張しておきながら、いきなり、「キリストの権威を有する教皇が、個人としてという形式で、異端に陥るなら」という可能性について話しているから。

M君は、教皇が、個人として、異端に陥ることが出来ると考えているのだろうか? 
それとも、教皇は、個人としても、異端に陥ることは出来ないと考えているのだろうか? 

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【質問】聖ピオ十世会とは何ですか?

2017年05月02日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、皆様のご質問にお答えいたします。



【質問】聖ピオ十世会とは何ですか?

【答え】
聖ピオ十世会とは、ルフェーブル大司教によって、1970年11月1日スイス、フリブールのシャリエール司教から正式な認可を得て、カトリック教会法典に則って創立されたカトリック教会の1つの修道会です。

聖ピオ十世会の創立の目的は、近代主義の教えや道徳や礼拝に染まらない、正統なカトリック信仰による司祭の養成です。

2017年3月現在:
神学校6校、
管区(管区には少なくとも三つの小修道院がある)14、
自律修道院(管区になる前の段階)4、

小修道院165(そのうちフランス管区には38、アジア管区には6)、
ミサ・センター(聖堂・教会)772、
大学2校、
養老院7、

司教3名、司祭612名、神学生215名、神学準備生40名、
修道士116名、聖ピオ十世会の修道女195名、奉献修道女79名、
カルメル会修道院4、
ケニアの宣教修道女17名、
37諸国に修道院を持ち、そこからさらに35の諸国へミッション活動(総計72の国々で活動)。
聖ピオ十世会の学校で学ぶ生徒の数は3000名。


聖ピオ十世会の活動の国々は、
アジアではフィリピン、日本、韓国、シンガポール、インドネシア、マレーシア、香港、ベトナム、スリランカ、インドなどで活動し、

西欧では、フランス、イギリス、アイルランド、ドイツ、オーストリア、スイス、イタリア、スペイン、ポルトガル、ベルギー、オランダなど、

東欧ではポーランド、リチュアニア、ロシアなど、

北欧ではスカンジナビア、ノルウェイ、デンマーク、スウェーデンなど、

アメリカでは、アメリカ合衆国、カナダ、メキシコ、アルジェンティナ、チリ、コロンビアなど、

アフリカではガボン、ジンバブエ、南アフリカなど、

オセアニアではオーストラリア、ニュージーランドなど
で活躍しています。

日本では、聖ピオ十世会はフィリピンから毎月2回、司祭を派遣し、東京と大阪で聖伝のミサを捧げています。

日本人司祭の数:1名
日本での常設聖堂:1(大阪)


【質問】聖ピオ十世会はローマに従っているカトリック修道会ですか?

【答え】
はい。聖ピオ十世会は永遠のローマに従い、歴代の公会議や教皇様たちの教えをそのまま守っているカトリック修道会の一つです。



【質問】聖ピオ十世会は何故SSPXと言われるのですか?

【答え】聖ピオ十世会のことを、英語では the (Priestly) Society Saint Pius Xと訳されているので、SSPXと言われています。

ラテン語でFraternitas Sacerdotalis Sancti Pii X (聖ピオ十世司祭兄弟会) と言うので、ヨーロッパでは普通、FSSPXと略称されます。



【質問】教会の高位聖職者たちは聖ピオ十世会をどう取り扱っていますか?

【答え】
近代主義の考えに染まってしまった高位聖職者たちは、カトリックの聖伝に対立し、聖ピオ十世会の使徒職を妨害しています。
しかし保守的な高位聖職者たちは、聖ピオ十世会の活動を天主の祝福であると発言しています。



【質問】何故、高位聖職者たちは聖ピオ十世会に反対するのですか?

【答え】
高位聖職者たちは聖ピオ十世会に反対するのは、高位聖職者たちが沈黙のうちに葬り去ろうとしていることを聖ピオ十世会が発言するからです。

何故かというと、第2バチカン公会議以後、カトリック教会に前代未聞の背教(=信仰を捨てること)が起きてしまったこと、聖伝のミサを初めとして聖伝の儀式による秘蹟の執行が捨て去られたこと、現代なされているエキュメニズム(=宗教統一運動)がカトリックの信仰に反していることなど。聖ピオ十世会が第2バチカン公会議の欠点を指摘していることも、改革を推し進めようとする人々にとでは嬉しいことではないからです。



【質問】聖ピオ十世とは誰ですか?

【答え】
聖ピオ十世(在位1903年-1914年)とは、ピオ十二世教皇によって1954年に列聖されたカトリック教会の教皇の1人で、特に教会内部を冒していた近代主義を排斥し、グレゴリオ聖歌や御聖体拝領などによってカトリック教会を大きく復興させた教皇です。

聖ピオ十世教皇は、近代主義に反対する回勅『パッシェンディ』(1907年)の中でこう書いていました。「教会のために力強く闘うカトリック信者たちに対して、近代主義者たちは悪意と厳しさをもって迫害するが、私たちはそのことを驚いてはならない。カトリック信者らにたいして彼ら近代主義者らがなす侮辱には制限がないからである。」

なぜ4つの福音書はそっくりなんですか?

2017年02月04日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

共観福音書についてご質問をいただきましたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【御質問】
なぜ4つの福音書はそっくりなんですか?4人の人物が、まったく別個に3年半のイエズス様の公生活を綴れば、まったく別個のストーリーになるはずではないですか?3年間の間に100も千もの奇跡があったでしょうし、百も千ものたとえ話をイエズス様はなさったでしょうに。その中のどれに注目して、どれを載せるかは、4者4様になるはずではないですか?どの福音書も、まったく同じたとえ話ばかり載っています。初めに一つの福音書があり、残り3つはそれを真似て書かれたのですか?

もしルフェーブル大司教に聖別された4人の司教が、それぞれルフェーブル大司教の伝記を書いたとすれば、全然、別の書かれ方をすると思いますよ。互いに矛盾はないにしても、趣はかなり違ってくると思います。ある人は、この話を載せるが、別の人はそれは省略し、別の話、別の講話を載せる、こんな感じで、かなり違ったストーリーになってくるでしょう。にも拘らず、4つの福音書は互いにそっくりです。僅かに違いがありますが。ルカがマリア様について少し書いていたり、ヨハネが最初が少し違っている、など。でも基本的に、同じです。どうしてですか?

当初、福音書は口伝だったのでしょうかね?聖伝の一部として、聖福音を暗記しなければいけないことになっていて、語り継がれてきた福音を、ある時期に4人の福音記者たちがそれぞれ筆写した。よってほとんど似ているが、細部違うのでしょうか?


【お返事】

ご質問をありがとうございます。

四福音書をよくご覧になると、最初の三つがよく似ていて、最後の聖ヨハネの福音だけは別の構成になっています。

そこで、最初の三福音のことを「共観福音」と言います。「共観」というのはギリシャ語のシュノプシス σύν (同時に) and ὄψις (見る)(同時に一目で見る)という言葉の訳語です。

何故かというと、ほとんど同じような順序で同じような内容が書かれているので三つの列に平行にテキストを並べて一目で見るようにすることが出来るからです。

三つの共観福音には、違いと一致があり、一致は時には言葉使いさえも同じであることがあるかと思えば、違いには見かけ上の矛盾のように思えるものさえあります。
もしも、同じだけだったとしたら、相互に従属関係がある、或いは、一つの共通の源泉から由来する、と簡単に解決できます。
もしも違いだけでしたら、完全に独立していると言うことが出来ます。

これは近年に出てきた疑問で、古代には聖アウグスティヌスだけが De consensu Evangelistarum でこれに言及しただけでした。

次のことをまず指摘します。
聖ヨハネは特にイエズスのユデアでの宣教を語っています。
三共観福音は、イエズスのガリレアでの宣教を語り、公生活の最後にイエズスがユデアのエルサレムで宣教することを示しています。

三共観福音は、同じ事実、同じ奇跡、同じ訓話を載せています。しかし、ご指摘のように、イエズスは実際はその他の奇跡も行っています。例えばヨハネの福音にあるように、カナでの奇跡、生まれつき盲目であった男を癒やす、ラザロの復活などです。また三共観福音に載せられていない訓話がありました。例えば御聖体の約束や、最後の晩餐の後での話などです。聖ヨハネは福音の最後に、イエズスが行った別の多くの奇跡もある sunt autem et alia multa qua fecit Jesus と書いています。マテオ11章によると、イエズスはご自分の多くの奇跡をおみせになった町のうちにコロザインを挙げていますが、コロザインで行った奇跡について四福音は全て沈黙を守っています。
共観福音によると、イエズスの行いと訓話は次の四部構成の枠組みの中に収まっています。主の洗礼・ガリレアでの宣教・エルサレムへの到来・御受難と御復活です。

共観福音には、大きな違いもあります。
聖マテオの系図は、一見すると聖ルカの系図と矛盾するかのように書かれています。
聖マテオと聖ルカによるイエズスの幼年時代については、聖母が童貞を守っていること、ヘロデ王の下にベトレヘムで生まれたことだけが同じです。
聖マテオだけが、聖ペトロの首位権を語っています。
聖ルカだけが、ザケオの話や良きサマリア人の話や放蕩息子の話を載せています。
聖マルコは、彼だけが、聖マテオも聖ルカも語らない二つの奇跡に言及します。耳が聞こえず話せない人の癒やしや、ベトサイダの盲人の治癒です。

聖マテオによる福音の 1068節のうち、337節(三分の一)が固有のものです。
聖マルコによる福音の 677節のうち、68節(十分の一)が固有のものです。
聖ルカによる福音の 1158節のうち、541節(二分の一)が固有のものです。

共観福音は、時間的な順序や、論理的な理由ということによらずに、出来事が同じような進み方によって語ります。嵐を沈める奇跡、ゲラサでの悪魔付きの癒やし、出血症の女の治癒、司の死んだ娘の蘇り、などです。

このような一致は必ずしも守られない場合があります。聖マテオの山上の垂訓は一つにまとめられていますが、聖ルカでは分散されています。
しかも、同じであるはずだと思うような細部で異なっています。例えば、主の祈りもマテオとルカとでは違いがあります。御聖体の聖別の言葉にも違いがあります。十字架の罪標(すてふだ)に書かれたことばにもマテオとマルコとで少しの違いがあります。

そうかと思えば、聖マテオ9章・マルコ2章・ルカ5章に載せられた中風の治癒は、ほぼ同じ言葉遣いです。イエズスはアラマイ語で話したはずですが、ギリシャ語でも同じ言葉遣いです。共観福音が旧約聖書を引用するとき、ヘブライ語のテキストからの直訳でもなく、七十人訳ギリシャ語からのそのままの引用でもないのですが、同じ時々同じ言葉遣いです。

聖マテオによる福音のうち、八分の一に言葉遣いの一致が見られます。
聖マルコによる福音のうち、六分の一に言葉遣いの一致が見られます。
聖ルカによる福音のうち、十分の一に言葉遣いの一致が見られます。

聖伝によると、
1)三共観福音は、それぞれ、聖マテオ、聖マルコ、聖ルカが書いたもの。聖マテオは使徒であり、聖マルコと聖ルカとは使徒の弟子達だった。
2)最初に聖マテオが福音を書き、次に聖マルコ、それから聖ルカが書いた。
3)聖マテオは最初福音をアラマイ語で書き、極めて早い時期にギリシャ語に翻訳された。最初のアラマイ語の福音は、単なる主の訓話のまとめだけではない。
4)ギリシャ語に訳された最初の福音は、アラマイ語の原文と同じ内容である。


では、共観福音はどうやって書かれたのでしょうか?
ルニエ、ラグランジュ、ヴォステ、シメンなどの意見に従って答えると、次の通りです。

1)イエズス・キリストは使徒たちに「全世界に行って教えよ」という使命を授けたのであって、書けという命令を授けたのではない。共観福音の内容の主要な源泉は、使徒たちの口からの教えだった。初代教会は、「本の宗教」というよりは「生ける権威の宗教」だった。記録され書かれたものの先に口と言葉による教えの伝達があった。使徒たちは聖霊降臨の後に、この口伝の福音の大まかな内容を固定させた。そうすることによって主の御言葉を伝達することが容易になった。それと同時に共観福音が書かれるとき、その構造が同じようなものになる理由となった。

2)イエズス・キリストの教えを書いて記録を残したいという望みが教会で極めて初期にわき起こってきた。非公式のメモのようなものが生まれていたのかもしれない。聖ルカが福音の最初に暗示しているのはそのような記録のことだったのかもしれない。

3)使徒聖マテオが(彼は税理だったので、漁夫だった他の使徒たちと比べると教養があったのだろう)、使徒の宣教の要点を全てまとめてアラマイ語で書いて公表した。聖マテオは、自分のメモあるいはその他の記録を使ったのか詳しくは分からないが、自分の記憶と体験と口伝の公教要理を基に福音を書いたことは確かである。

4)聖マルコは、聖ペトロの弟子だったので聖ペトロの教えに従って福音を書いた。これは聖伝が伝えることであり、内容もそれに一致する。聖マルコは聖マテオのギリシャ語訳の福音を多分に知らなかっただろう。聖マテオと聖マルコの福音が似ていることは、その基礎にある口伝の教えによって十分に説明が付く。もしも共通の書かれた記録による史料があったとしたらエピソードの選択のみならずもっと多くの一致があっただろう。聖マルコは御受難の部分を叙述するときは、書かれたものを使ったようである。

5)聖ルカは最後に福音を書いたが、書かれた記録や口伝を調べたと自分で言っている。聖マルコと聖マテオの影響が認められる。

6)ついに聖マテオの福音がギリシャ語に翻訳される。この翻訳には、特にアラマイ語からギリシャ語に訳す際に聖マルコの福音が参考にされた。ただしアラマイ語の原文とギリシャ語の原文は実体において同じである。

上のように考えると、口伝の教えが基礎にあるので、共観福音の構造の類似性に説明がつきます。
聖ルカとギリシャ語の聖マテオとは、聖マルコによっていることになります。
聖マルコと聖ルカとで出来事の順序が似ていることは、聖ルカが聖マルコを参照したことで説明が付きます。
三共観福音の違いは、著者の参考資料と思い出の違いにより、著者の気質や書き方の違いによることで説明されます。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖伝のミサにおける祭壇のお花の意味とは何か?【クレカリ10周年記念】

2016年01月21日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今日は、当ブログ Credidimus Caritati 開設10周年です。このことを天主様に深く感謝します。

 祭壇のお花について、ご質問をいただきました。お答えいたします。

 レデンプトール会の Joseph Wuest C.SS.R. 神父の書いた Collectio Rerum Liturgicarum によると、祝日に花束を花瓶に生けて祭壇を飾ることが命じられている【Caeremoniale Episcoporum I, caput XII, N. 12 及び 教皇ピオ六世 Auctorem Fidei 】。
 花は花瓶に趣味よく飾られ、ろうそく台の間に置かれなければならない【Caeremoniale Episcoporum I, caput XII, N. 12】。
 ただし、待降節や四旬節・受難節の聖務やミサをするとき(待降節第3主日と四旬節第4主日、聖木曜日は例外)、死者のための聖務やミサのときは、花を飾らない。

 お花の意味は、天主の祭壇を飾るために「切り取られ」て、奉献されるということです。ロウソクが自らを燃やして光と熱を出すように、お花も自分を捧げて天主に捧げられるという意味があります。私たちも、罪から切り離されて、この地上から離脱して、自分をイエズス・キリストのために与え尽くすことができますように!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

追記

Collectio Rerum Liturgicarum には、こうあります。
次の日に祭壇に花を飾ることは禁止されてはいない。幼子殉教者の祝日、祈願祭の日々、祝日の前日(vigilia)、七旬節、六旬節、五旬節の主日。【Ephemerides Liturgicae (Ius et Praxis) LII, p.169】


【質問】この画像は、どういう意味ですか?

2014年11月03日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ご質問を受けましたのでご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【質問】
済みません。この画像は、どういう意味ですか?
カトリック系のフェイスブックなどでよく見るのですが、意味をご存知ですか?


【お返事】
こんにちは!
これは、アラビア語の N の文字です。


キリスト者をナスラニ(ナザレトのイエズスから来た言葉で「ナザレト派」という意味の蔑称)と呼ぶところから来ています。「イスラム国」でイスラム教徒らに迫害されているキリスト教への連帯の印だそうです。





天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖伝のミサ(いわゆる「トリエント・ミサ」と呼ばれているローマ式典礼様式のミサ)にようこそ!

ローマ・カトリックの聖伝のミサ vs エキュメニカルな新しいミサ(第二バチカン公会議のミサ)




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사랑하올 형제 자매 여러분,
한국성비오10세회(SSPX)
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【質問】第二バチカン公会議の言う「信教の自由」とは何ですか?

2013年08月02日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

【質問】
第二バチカン公会議の言う「信教の自由」とは何ですか?

【お返事】
1965年12月7日に公布された第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(2)によると、
「このバチカン教会会議は、人間が信教の自由に対して権利を持つことを宣言する。この自由は、すべての人間が、個人あるいは社会的団体、その他すべての人間的権力の強制を免れ、したがって、宗教問題においても、何人も、自分の確信に反して行動するよう強制されることなく、また私的あるいは公的に、単独にあるいは団体の一員として、正しい範囲内で自分の確信にしたがって行動するのを妨げられないところにある。」

【注:これのラテン語原文は次の通りです。
Haec Vaticana Synodus declarat personam humanam ius habere ad libertatem religiosam. Huiusmodi libertas in eo consistit, quod omnes homines debent immunes esse a coercitione ex parte sive singulorum sive coetuum socialium et cuiusvis potestatis humanae, et ita quidem ut in re religiosa neque aliquis cogatur ad agendum contra suam conscientiam neque impediatur, quominus iuxta suam conscientiam agat privatim et publice, vel solus vel aliis consociatus, intra debitos limites.】

【質問】
「自分の確信に反して行動するよう強制されることがない」ということと、「自分の確信にしたがって行動するのを妨げられない」ということとの違いは何ですか?

【お返事】
「強制を免れる」ということには、あることをするように肯定的に強制させられることから逃れる場合、とあることをすることができないように否定的に妨害される場合とがあり得ます。それがすなわち、
「自分の確信に反して行動するよう強制されない」"ne cogatur ad agendum"(たとえば強制によってある信条を信じるように強制されない、あるいは脅迫などによって宗教礼拝行為をするように強制させられない、など)ということ、また、
「自分の確信にしたがって行動するのを妨げられない」"ne impediatur"(たとえば、国の法律などによって、イスラム寺院を建てることが制限されない、など)ということです。

 カトリック教会は、前者の「強制から免れる」ことについては、常に認めてきました。たとえば教会法 Can 1351. Ad amplexandam fidem catholicam nemo invitus cogatur. があります。
 ただし、後者の否定的な強制から免れることについては(たとえ特別な限定された状況において、国家がそのような状況を黙認する・寛容することを認めたことがあったとしても)、それを「自然権」(natural right)としては認めてきたことがありませんでした。「信教の自由」の自然権は、真の天主を礼拝する人々だけに属する、つまり、真の天主に真の礼拝をするカトリック教会に属すると考えてきました。


【質問】
「自然権」とは何ですか?

【お返事】
「自然権」は「自然法」との関係で生じる権利です。
「自然法」とは、人間の本性とその本性に由来する人間の義務とに基礎をおくもので、真の天主への礼拝の義務などがそれに含まれます。
この「自然法」に基づく義務を行使するために、人間には天主に礼拝を捧げる「自然権」が生じます。つまり、人間は、真の天主に対して真の礼拝を捧げる自然権を持ちます。
 自然権の対象は、常に真であり善です。自然と天主とに合致するものです。


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【質問】 聖ヨゼフへの大天使ガブリエルのお告げについて

2013年08月02日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 ご質問をいただきましたので、お答えいたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【質問】
聖マリアの天主に対する信頼 の、聖ヨゼフ様が、イエズス様の天主の聖子にてあられますことを御存知なかった、という事は、考えられないのですが、、、聖ヨゼフ様も、救い主に関する聖書の預言を、熟知なさっておられる、と思いますので、、、

【お返事】
この黙想をよく読むと、次のようにあります。
「聖ヨゼフに救い主の御(おん)やどりを明(あ)かし「汝、其の名をイエズスと名づくべし。そは自(みずか)ら己(おのれ)が民を其の罪より救うべければなり」と告(つ)げしめ給うた此処(ここ)に注意すべきは、聖マリアには大天使ガブリエルを以て、イエズスの神性やその永遠の権威(けんい)までも示されたのに、聖ヨゼフには唯(ただ)その救い主にまします事のみを告(つ)げ、天主の御独子(おんひとりご)なる事は語られなかった点である。」
 ここでは、マリア様とご結婚する前、まだ許嫁であったときに、大天使ガブリエルはマリア様の体内におられる子供が救い主であることをのべ、それ以外の詳しいことは言わなかったと言うことです。
(マリア様の場合には、お告げの時にはっきりと説明がありました。)
 その後、聖ヨゼフ様が、イエズス様の天主の聖子にてあられますことを聖ヨゼフに適したやり方とその時に知るようになったと思いますが、ここでは、大天使ガブリエルのお告げについて考察しています。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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キリストの代理者である教皇のみが、普遍的教会を統治する至高の権力を持つという私たちの信仰 その5

2013年07月24日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 先日、「キリストの代理者である教皇のみが、普遍的教会を統治する至高の権力を持つという私たちの信仰」という文章を掲載しましたが、いくつかご質問をいただきました。それらに対するお答えの続きです。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【質問】
司教は、異端者になることが出来るのでしょうか?


【お返事】
 司教は、異端者になることが出来るか否かについて答える前に、質問の意味を明確にしておきます。「異端者」には、二種類があります。一つは、本当の(formal)異端者で、異端説であると知りつつも故意に意図的に教会の教導権の教えを拒む者です。もう一つは、内容はそうであるが形だけの(material)異端者で、そのつもりがなくあるいは善意で教会の教えがそうであると誤解していたがために異端説に陥っている異端者です。

 カトリック教会の歴史をひもとくと、残念ながら、内容それ自体は異端であるが、善意で教会の教えがそうであると誤解していたがために、形だけの(material)異端説に陥ってしまったのみか、何回かカトリック教会当局から公式の警告を受けても、それを改めようとせず、当の(formal)異端者であると見なされたケースがいくつかあります。

 たとえば、ネストリウスです。ネストリウスはコンスタンチノープルの総大司教でしたが、428年の4月に司教に聖別されましたが、同年のクリスマスの説教で、聖母マリアは天主の聖母ではないと宣言し、天主が肉体を持つなどあり得ない、人間イエズスが神性にふさわしい者となった、と言い、聖チェレスティノ教皇はすぐにこの教えを排斥しました。

 そこで、司教は、本当の意味の(formal)異端者となることができると答えなければなりません。

【質問】
異端者は有効に公教会を統治出来るのでしょうか?

【お返事】
 すでの指摘したとおり、「異端者」には、二種類があります。一つは、本当の(formal)異端者で、異端説であると知りつつも故意に意図的に教会の教導権の教えを拒む者です。もう一つは、形だけの(material)異端者で、善意で誤解していたがために異端説に陥っている異端者です。

 たとえば司教の場合、この司教よりも上位にある教会当局が公式に複数の警告を出し、その後でも異端説に固執する場合、本当の(formal)異端者となります。そして、教会当局からの正式な裁治権の剥奪が発表されなければなりません。それまでは、異端者となった司教は、教会を統治する権限を持っていると考えられています。司教の場合にはっきりと確認できることは、教会は公式の宣言を持って初めて司教の統治の力(裁治権)を剥奪するということです。


【質問】
教皇は、異端者になることが出来るのでしょうか?


【お返事】
 これは難しい問題です。何故なら、私たちの主イエズス・キリストが聖ペトロに「シモン、シモン、サタンはあなたたちを、麦のようにふるいにかけることができたが、私は、あなたのために、信仰がなくならないようにと祈った」(ルカ22章)と言われたからです。イエズス・キリストの祈りは必ず聞き入れられるはずだからです。

 しかし歴史を見ると、二種類の「異端者」のうち、善意の、あるいは脅されたなどのために不本意で、異端説に荷担することが少数の例において認められます。何故なら、教皇リベリウスは個人的にアリウス説の異端におち、教皇ホノリウスはキリスト単一意志説(モノテリズム)の誤謬におちたと思われているからです。

 ここで、繰り返し注意を喚起すれば、教皇が教皇として異端者となったのではないということです。つまり、教皇が教皇としての教導権を行使しして、全教会にある異端説を信じることを強要したのではないということです。

 教皇リベリウス(351~366年)は、コンスタンティノ大帝によって流罪にされました(355年)が、自由の身となるために、皇帝の要請した半アリウス派の信条に強要されて署名したからです。ただし、教皇は全教会の教導者として署名したのではありません。教皇にはこれを全教会に押しつける意向はありませんでした。

 教皇ホノリウス(625年~638年)は、二通の手紙の中で、「キリストにはひとつの意志あるのみ」と宣言し、これ以上論争を継続することを禁止したことがあります。しかしコンスタンチノープル公会議(680年~681年)は、教皇ホノリウスに異端宣言をしました。ただし、ホノリウスは手紙の中でこの問題の決定をする意図はないと述べ、信仰教義の決定をしたのではありませんでした。また、コンスタンチノーブル公会議の決議は、「教会の頭としての教皇」の教えが誤謬だといったのではありませんでした。教皇レオ二世がこの決議を裁可したのは、教皇ホノリウスが《異端説胎動のきざしがあったのに、これを抹殺するつとめ》をおろそかにしたからであるといっています。(これについては、シーアン司教『護教』(Apologetics and Catholic Doctrine by the Most Rev. M. Sheehan, 1942をご覧ください。)


【質問】
教皇は、公に(publicly)本当の(formal)異端者になることが出来るのでしょうか?

【お返事】
教皇が、公に(publicly)本当の(formal)異端者になる(従って信仰を失う)可能性については、純粋な仮説として考察した神学者たちがいます。特に、聖ロベルト・ベラルミンの仮説が有名ですが、しかし、聖ロベルト・ベラルミン自身「異端的教皇」という可能性については具体的に実現可能であるとは考えていたとは思われません。聖ベラルミンは、具体的に或る教皇が公に異端説に陥ることが出来、教会がどのように又、何時それに気がつくことができるかなどについては全く考察せずに、単に抽象的な神学上の意見としてその可能性を取り上げたに過ぎなかったからです。同じ聖ロベルト・ベラルミンはこの意見を取り上げると同時に、教皇は本当の異端に陥ることが決してできないという意見のほうがより蓋然性があるとしています。

 私たちの主イエズス・キリストの「私は、あなたのために、信仰がなくならないようにと祈った」(ルカ22章)と言われた約束は、教皇の教皇としての公の信仰がなくなることがないという最も根本的な原理です。教皇が、もしも間違うことがあったとしたら、それは個人としての資格でのみのことです。

 それが教皇であれ、誰であれ、本当に(formally)明らかに(notoriously)全教会の前で異端者となるためには、彼は異端であると正当な当局から宣言され、その警告にもかかわらず異端説に固執しなければなりません。しかし、教皇に対してそれをすることは実際上不可能です。何故なら、教皇が教会法に縛られないこと、また、教皇に誰によっても裁かれないこと(Prima Sedes a nemnine iudicetur.)、これらは教会法の根本的原理であるからです。

 従って、教皇は個人としては異端に陥ることがあり得ても、事実上、教皇としての教皇が本当の(formal)異端者となることは不可能であると思われます。


【質問】
異端者の教皇は有効に公教会を統治出来るのでしょうか?

【お返事】
 フランスの聖伝のドミニコ会発行のSel de la terre誌に掲載された研究によると、スアレス(Suarez)は神学者の共通意見によると異端者の教皇であっても教皇職を続けて行使することができると言っています。ビルアルト(Billuart)は、より共通の意見は異端者の教皇でも教皇職を続けて行使することができると主張しています。ビルアルトによると、教会によってはっきりと異端者であると宣言されるまで、明らかな異端者であったとしても教皇職を遂行する権限をキリストによって与えられている、と言います。(Billuart, De Fide, Diss. V, A. III, No 3, ofj. 2)また、ガリグ・ラグランジュ(Garrigou-Lagrange)は、ビルアルトの論に従い、異端者であり、教会の一員でなくなったとしても、教会のかしらであり得ると言います。(De Verbo Incarnato p. 232)これも、個人としての教皇と役職としての教皇とを区別することを基礎としています。

 筆者の個人的な意見としては、ビルアルトやガリグ・ラグランジュは正しいと思います。ユダヤ教は天主によって来たるべきメシアを告げ知らせるために立てられましたが、ユダヤ教の大司祭カイファは、私たちの主イエズス・キリストを信じようとせずかえって主を十字架に渡しました。それにも関わらずカイファは大司祭の地位を失わなかったからです。

「その中の一人で、その年大司祭だったカヤファが、「あなたたちには、何一つわかっていない。一人の人が人民のために死ぬことによって、全国民が亡びないほうが、あなたたちにとってためになることだとは考えないのか」といった。かれは、自分からこういったのではない。この年の大司祭だった彼は、イエズスがこの国民のために、また、ただこの国民のためだけではなく、散っている天主の子らを一つに集めるために死ぬはずだったことを預言したのである。イエズスを殺そうと決めたのは、この日からであった。」(ヨハネ11章)

 イエズス・キリストに対する信仰を持っていなかったにもかかわらず、私たちの主は、カヤファの大司祭としての権威を疑問に付したことがありませんでした。天主の許可によって、邪悪の神秘(mysterium inituitatis)は、正式な天主の大司祭、ユダヤ教の最高権威者としてのカヤファはイエズス・キリストを死刑と定め、イエズス・キリストに従う全ての人々を迫害したのです。聖パウロは、カヤファの後継者である大司祭アナニアに対して言った言葉をとがめられた時、パウロは彼が大司祭だとは知らなかったと言い、脱出の書 (22: 28) を引用して自分の過失を認めています。私がここで言いたいことは、天主は信仰の無い大司祭が、ご自分の民の宗教を有効に統治することを許していた、という事実です。


【質問】
教皇と教会が聖伝の教えに反する事を公布、あるいは宣言する事が可能だと神父様はお考えなのですか?

【お返事】
 まず、はっきり区別しておきますが、教皇が個人的に異端に陥る可能性があることと、教皇が教皇として異端を全教会に信じることを強制することとは別のことです。

 教皇は、個人的な立場で、聖伝の教えに反する事を発表することはできますが(過去にそのような例が少数ありました)、しかし、教皇として、最高の教導権を行使して、全カトリック教会に聖伝の教えに反する事を信じることを強制することは、天主の御摂理によって、できません。


【質問】
ヨハネ二十三世や、パウロ六世、ヨハネ・パウロ二世などは、聖伝の教えに反する事を公布、あるいは宣言したのではないでしょうか?

【お返事】
 ヨハネ二十三世や、パウロ六世、ヨハネ・パウロ二世が行った行為を良く分析してみると、彼らは一度も不可謬権を行使して新しい教えや、聖伝の教えに反する教えを、全教会に信じるように法的に強制する表現を使ったことは一度もありませんでした(もしも、ヨハネ・パウロ二世の回勅 Ordinatio Sacerdotalis で女性が司祭になることができないということが不可謬権の行使でないとするなら)。

 第二バチカン公会議の革新を実践するという悪い模範や乱用はありましたが、それをしなければ救われない、カトリックではない、カトリック信仰ではない、という明らかな定義として発布したこともなければ強制したこともありませんでした。

 第二バチカン公会議の問題は、正に、教会の権威を行使することを避けたことにあります。
第二バチカン公会議の事務総長であるフェリチ枢機卿は、1964年11月16日第123回総会においてこう言っています。
「公会議の文章は公知の一般的な規則によって解釈されなければならない。」すなわち、
「公会議の慣習と本公会議の司牧的目的を鑑みて、この聖なる会議自身が明らかに信仰と道徳に関する事柄を教会によって保持されるべきもの(tenenda)として定義するとみずから明らかに宣言するときにのみ、そう定義する。」
 そして、第二バチカン公会議は、「排斥文」をつけることを避け、信仰と道徳に関する事柄を教会によって保持されるべきものとして定義するとみずから明らかに宣言することをせずに、強制することを避けたのでした。
(これについては、【質問】第二バチカン公会議はどこが特別なのかをご覧ください。)

 同様のことは、新しいミサについても言えます。パウロ六世が1969年に発布した使徒憲章『ミサーレ・ロマーヌム』の最初に印刷されたラテン語原文には、新しいミサを許可することしか言及されていません。

(つづく)


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キリストの代理者である教皇のみが、普遍的教会を統治する至高の権力を持つという私たちの信仰 その4

2013年07月17日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 先日、「キリストの代理者である教皇のみが、普遍的教会を統治する至高の権力を持つという私たちの信仰」という文章を掲載しましたが、いくつかご質問をいただきました。それらにお答えしたいと思います。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【質問】
『第一バチカン公会議によれば、信仰に関わることであっても、教皇が全世界のカトリックにそれを信じることを明確に強制しなければ、つまり信じなければカトリックではない、破門される、と信仰をドグマとしてはっきりと教えなければ、教皇がその教権・教導権を行使して私たちにそれを信仰箇条として信じ従うことを命じなければなりません。これは特別教導権の行使です。』とありますが、第一バチカン公会議によれば何なのかを分かりやすく説明して下さい。これでは『第一バチカン公会議によれば、. . . を命じなければならない』と読めてしまい、意味が良く分かりません。

【お返事】
大変失礼しました。これは「第一バチカン公会議によれば、"信仰に関わることであっても、教皇が全世界のカトリックにそれを信じることを明確に強制しなければ、つまり信じなければカトリックではない、破門される、と信仰をドグマとしてはっきりと教えなければ、教皇がその教権・教導権を行使して私たちにそれを信仰箇条として信じ従うことを命じなければ、私たちの信仰箇条とはなりません。" これは特別教導権の行使です。」と「私たちの信仰箇条とは」を挿入してお読みください。


【質問】
第一バチカン公会議のどの宣言/教令によると、その主張通りになるのか、その典拠をはっきり提示して下さい。それはどこでしょうか?

【お返事】
教皇の特別教導権の行使については、第1バチカン公会議 第4総会(1870年7月18日)キリストの教会に関する第1教義憲章「Pastor aeternus」第4章 教皇の不可謬教導職について DS 3070 以下をご覧ください。これについては、「マニラの eそよ風」236号にも引用したことがあります。ご覧くだされば幸いです。


【質問】
教皇のペルソナとその役職とを区別したカトリック神学は、どこで読む事が出来ますか?

【お返事】
私の理解が正しければ、たとえばカイェタヌスがそれを主張しています。
Persona papæ potest renuere subesse officio papæ. ... Et si hoc in animo pertinaciter gereret, esset schismaticus per separatio- nem sui ab unitate capitis. Ligatur siquidem, persona sua, legibus officii sui quoad Deum. (in 2a 2ae, q39, al, n6)

カイェタヌスをジュルネ枢機卿が "L'Eglise du verbe incarné: Sa structure interne et son unité catholique" の中で引用しています。

これについては、以前「離教にあらず、破門にあらず」で言及したことがあります。ご覧くだされば幸いです。


【質問】
教皇はいつ不可謬なのですか?

【お返事】
教皇は、教皇座から(ex cathedra)発言するときに不可謬です。つまり、諸民族の最高の教師として、教皇がある真理を全ての信者らが必ず信じなければならないドグマとして宣言するときです。この場合、教皇が誤ることがないように、聖霊の補佐が教皇に約束されています。神学者たちは共通意見として、この他の幾つかの場合にも教皇に不可謬の特権を帰属しています。例えば、列聖の時(少なくとも1983年以前の列聖について)、或いは、教会の普遍的律法において、或いは、教皇が自分の全ての前任者たちの教えを繰り返すとき、などです。
(この質問と答とは五年前に「【質問】教会において誰が権威を持って教える権能を持つのか?教会の教導権は不可謬か?」というタイトルで書かれたものです。ご覧くだされば幸いです。)


【質問】
何故1983年以後の列聖については、不可謬とは限らないのですか?

【お返事】
何故なら、ヨハネ・パウロ二世以降の教皇たちが、歴代の教皇たちと同じ意味において「列聖」するという意図があるのか大きな疑問があるからです。何故なら、ヨハネ・パウロ二世以降の教皇たちが、今も昔もそして未来も変わらない真理という概念を持っているのか疑問があるからです。たとえば「教皇の定義は、教会の同意によってではなく、それ自体で、改正できない」という点です。
さらに、列聖をするときに不可謬権を行使すると考えられているのは、カトリック教会のドグマではなく神学者たちの共通意見だからです。


【質問】
 教皇はどうやってこの強制の意志を表明するのですか?

【お返事】
 教皇は、全教会において、ある一つの教義を義務として強制しようとする意志を、これを拒否する人間はカトリック信仰をもはや持ってはいない、従って、拒否する人は教会の外にある(排斥される)と明確に宣言して、明らかに表明しなければなりません。


【質問】
教皇がどの位の教導権を行使しているかを客観的に判断する権限は聖ピオ十世会にあるのでしょうか?それともカトリック信徒一人一人にあるのでしょうか?

【お返事】
教導権をどれほど行使しているかを客観的に判断するのは、一般的な規則によれば、教皇や公会議の公文書に書かれている表現それ自体にあり、これによって「不可謬権を行使して信じることを強制している」ということが誰が見てもわかるように、客観的に判断されます。
ただし、教皇や公会議の文章が明確に強制してるように思えても、そうでないと判断する場合には、私の考えでは、その最終の判断の権限はカトリック教会の最高の教導権にあります。


【質問】
教導権をどれほど行使しているかを客観的に判断するのは、一般的な規則によれば、教皇や公会議の公文書に書かれている表現にあるとはどういう意味ですか?

【お返事】
明らかに信仰と道徳に関する事柄を教会によって保持されるべきものとして定義するとみずから明らかに宣言するときにのみ、そう定義することになる、ということです。
取り扱われている題材と表現方法から、教導権をどれほど行使しているか、神学的解釈の法則に従って知ることができる、ということです。たとえば、公会議についていえば、公会議の公文書の全ての内容が不可謬性を帯びているのではなく、そのうちの canon と呼ばれる排斥文のみが不可謬です。たとえば「もしも誰かが××と言ったら、彼は排斥される」という表現の文章です。これのみが不可謬です。
教皇の回勅などについて言えば、回勅・勅令で、特別教導権を行使してドグマの決定をしたとき、その決定の回勅に書かれていること全てが不可謬ではなく、そのうちの一部「私たちの主イエズス・キリストの権威と使徒聖ペトロとパウロの権威、また私の固有の権威により、私は、○○がドグマであると宣言し定義し決定する。従って、もしも誰かが、敢えて私の定義したことを否定するなら、彼は排斥される」などが、不可謬です。


【質問】
教皇や公会議の文章が明確に強制してるように思えても、そうでないと判断する場合には、その最終の判断の権限はカトリック教会の最高の教導権にあるとはどういうことですか?

【お返事】
教皇や公会議の文章が明確に不可謬権を行使していると考えられた文章があっても、それが不可謬ではないと発表がなされることがある、ということです。
たとえば、ヨハネ・パウロ二世の回勅 Ordinatio Sacerdotalis で女性が司祭になることができないという発言がありました。回勅が出た直後は、その表現からこれは不可謬であると考えられていました。何故なら次のような表現があったからです。
"Wherefore, in order that all doubt may be removed regarding a matter of great importance, a matter which pertains to the Church's divine constitution itself, in virtue of my ministry of confirming the brethren (cf. Lk 22:32) I declare that the Church has no authority whatsoever to confer priestly ordination on women and that this judgment is to be definitively held by all the Church's faithful."
これが不可謬であると主張したものには、たとえばORDINATIO SACERDOTALIS: AN EXERCISE OF INFALLIBILITYがあります。
 しかし、後日、教義聖省長官のラッツィンガー枢機卿によってこれ(Ordinatio Sacerdotalisのこの部分)は不可謬権の行使ではないと発表があったからです。


【質問】
教導権の行使の程度の違いについて言及する権威ある文書を教えて頂けますか?

【お返事】
 『教導権の行使・投入の程度/度合い』という表現・言い方は、日本語の読者に理解しやすいように自分の言葉で説明したもので、必ずしも過去の神学者たちの使ったラテン語からの翻訳ではありません。しかし、言い方はそうではないかもしれませんが、内容は古典的な教えです。
 教導権の行使の程度の結果は、「教義の神学的資格」(Theological Notes / Qualifications)として現れます。

 たとえば、聖ピオ五世のクォー・プリームムのように、聖伝のミサを「自由に合法的に使用する事が可能であり、適法であるように、使徒継承の権威を以って、しかも永久のこの〔文面〕を以って、承認し、認可する。」「故に、絶対に誰一人として、余のこの許可、規定、命令、勅令、決定、認可、許可、宣言、意志、政令及び禁止のページに背反し、或いはそれに大胆にも背く事のないように。もしも、誰かがそれを企てようと敢えてするとしたら、全能の天主〔の憤慨〕及び使徒聖ペトロとパウロの憤激をかうと言う事を覚えよ。」などという表現を見るとき、パウロ六世のつかった新しいミサ発布の時の表現との違いに、従って教導権の行使の程度の違いがあることがわかります。
(聖ピオ五世のクォー・プリームムの教導権の行使の程度については「クォー・プリームムの法的適応範囲は一体どこまでなのか」において考察したことがあります。ご覧くだされば幸いです。)



【質問】
 1950年11月1日、ピオ十二世教皇は、どのようにして、天主の御母聖マリアの被昇天のドグマの定義決定の時、強制の意図を表明したのですか。

【答え】
 ピオ十二世は、使徒憲章『ムニフィチェンティッシムス・デウス』(MUNIFICENTISSIMUS DEUS)において次のように宣言して、このドグマを強制しました。

「私たちの主イエズス・キリストの権威と使徒聖ペトロとパウロの権威、また私の固有の権威により、私は、天主の汚れなき御母終生童貞聖マリアがその地上での生涯を終えたのし、肉体と霊魂とにおいて天上の栄光に上げられたということが、天主から啓示されたドグマであると宣言し定義決定する。従って、もしも誰かが、敢えて私の定義したことを故意に疑うとしたら、願わくは天主がそれを赦し給わぬことを!彼は天主よりのカトリック信仰を完全に棄てた者であるということを知るように。」


【質問】
[Indefectiblity]の意味は『不滅』だけでしょうか?

【お返事】
Indefectibilityの意味は、聖ピオ十世の公教要理にある通りです。キリストの教会が破壊され得ないということは、もちろん信仰や道徳が純粋に保たれるということもありますが、信仰という目に見えないものを超えて、ペトロの上に立てられた目に見える社会的制度として、使徒継承の位階制度が世の終わりまで保たれるということも含みます。

CATHOLIC ENCYCLOPEDIA の the Church の項には Indefectibility of the Church について言及があります。ご覧くだされば幸いです。少し引用します。

By this term [of indefectibility] is signified, not merely that the Church will persist to the end of time, but further, that it will preserve unimpaired its essential characteristics. The Church can never undergo any constitutional change which will make it, as a social organism, something different from what it was originally. It can never become corrupt in faith or in morals; nor can it ever lose the Apostolic hierarchy, or the sacraments through which Christ communicates grace to men. The gift of indefectibility is expressly promised to the Church by Christ, in the words in which He declares that the gates of hell shall not prevail against it. [...]


(続く)


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【質問】公会議とルフェーブル大司教の態度について

2012年10月20日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 御質問を頂きましたので、お答えしたいと思います。

【質問】
 公会議の決定事項が一応有効なら、新しいミサが一応有効なら、ルフェーブル師の行動は過剰防衛で、やはり違法になり、教会法に定められた制裁措置は適法となります。

 ピオ十世会側は悪意の有無や、緊急事態と反論していますが、それらはもっと基準というか定義が違うと思うのです。

 また仮に公会議に問題があったとして、するとピオ十世会は正しくなるのでしょうか。例えば、非常に真面目で、公会議を全否定し、聖伝を重視する人達は他にも沢山います。教皇空位派、ピオ5世会、でも彼らは正しくはないわけでしょう?

 公会議に深刻な問題があったとしても、だからピオ十世会が正しいことと同義ではないと思うんです。

 ルフェーブル大司教がなぜ一度目は違法に叙階し聖務停止になり、二度目は違法に聖別して破門されたのかが、私にはどうしても理解ができません。これらは、カトリック的な行動に、キリスト者的な行動にはとても見えません。

 クリスチャンは努力は可能な限りしないといけませんが、非常事態においても法を逸脱してはいけないのではないでしょうか。アブラハムは嫌でありながら自分の息子イサクを薪にくべ、イエズス様も嫌ではありながら御父を信じて、十字架にかかる選択を採りました。ルフェーブル大司教とちょうどま逆です。ピオ神父様もデルコル神父様も、皆同じようになさっています。

 どうしても・・・ルフェーブル大司教の行動は聖伝に反します。イエズス様は仰いました。自分は石ころからでも、選ばれた民を作れるのだ、と。自分の死後は聖伝が・・・それは人間的過ぎる、信仰を逸脱した心配ではないでしょうか。

 これは、部分的であれ教皇様の教導権を受け入れていない、ということであり、離教の構成要件になっている可能性があります。一部の枢機卿が、離教徒ではない、とインタビューの中でコメントしたとかの話も聞きましたが、枢機卿の意見は枢機卿の意見、それは教会法でも教皇様の教令でもありません。違った意見の聖職者もいますし、結局どちらが正しいか分けるのは神様の目であり、その下にある聖伝や教会法でしょう。

 例えば、堕胎の罪を犯した女性がいたとします。でもそれを知った指導司祭が仮にリベラルで破門を宣言しなかったとします。その女性は破門は教会から宣言されてはいませんが、でも神の目から見て自動破門状態にはあるわけです。とすれば、ピオ十世会は、そして私は・・・とするとわからないわけです。


【回答】
 ご質問をありがとうございます。

 ルフェーブル大司教と聖ピオ十世会と私たちとが苦しんでいるのは、現在のカトリック教会の危機の結果です。私たちは、この危機の影響のゆえに苦しみの中にもまれているだけなのです。

 ルフェーブル大司教様の行動は、過剰防衛ではありませんでした。非常に現実的で、カトリック的でした。

 何故なら、ルフェーブル大司教の最も基本的な態度(そしてそれを受け継いだ聖ピオ十世会の態度)は、「天主のお恵みにより、私たちはカトリックとして留まりたい、カトリック信仰を保ち続けたい」だったからです。

 現代のつらい教会の危機における、ルフェーブル大司教と聖ピオ十世会の基本的な行動・思想原理は、聖トマス・アクイナスの教えた原理であり、それをルフェーブル大司教が取りつづけました。

 すなわち、信仰を間近に危機にする場合を除き、教会の権威に逆らうことは許されない(One may not oppose the authority of the Church except in the case of imminent danger to the Faith) ということです。

 信仰を危険に陥れるような間近に迫る場合とは、もしかしたら将来このような危険があるだろうなどという仮定のことではなく、目の前にカトリック信仰を否定するようなことを突きつけられるという場合のことです。

 ルフェーブル大司教が反論したのは、ジャーナリストがおかしく編集した教皇の発言の一部や公会議の一部の引用ではなく、第二バチカン公会議に参加しつつ、その全てを読んで研究したうえでの、正統な手段での反論と論駁でした。

 その時、いつもカトリック信仰とカトリックの権威とに対する敬愛がありました。何故なら、

(1)第二バチカン公会議の中央準備委員として数年に亘り公会議を準備し、第二バチカン公会議の教父として参加し、リベラル派による公会議の乗っ取り(ハイジャック)をその目で見て、これらに対し、合法的な全ての手段を使ってその訂正を試みたから。

(2)新しいミサがの先駆けである「規範ミサ」を評価する会議において、合法的な全ての手段を使って新しいミサが押し付けられるのを阻止したから。

(3)聖伝のミサが、聖ピオ五世の大勅令によってカトリック司祭の義務であり、永久の有効特権をもっていること、そして、新しいミサの発布はパウロ六世の使徒憲章によってたんなる「許可」でしかないことをよく知りつつ、聖伝のミサを捧げ続けただけだから。

(4)単なる想像ではなく、オッタヴィアーニ枢機卿など倹邪聖省の長官が新しいミサのことをカトリックの信仰から遙かに離れているとパウロ六世に指摘していた事実からも分かるように、新しいミサを作ったブニーニが断言しているように、カトリック性を取り払ったエキュメニカルな儀式がゆえに、それを拒否しただけだから。

(5)ローマからの使者やパウロ六世が、新しいミサを捧げれば、ローマとエコンとの関係は全て問題なくなる、新しいミサをさえ捧げれば、司祭の叙階もしても良いし、何をしても良い、としてきたとき、「新しいミサ」を捧げるのを拒否しただけだから。

(6)第1回のアシジの集会(1986年)が現実に開かれた(その種の集会は過去の教皇たちによって排斥されてきました)のを見て、カトリックの司教を聖別する印を、ようやく認めたからです。


 確かに、一時、特にパウロ六世の時代、何故教皇様がカトリック教会をこのように危機に陥れることが出来るのか?とルフェーブル大司教は悩んだ時があります。しかし「おまえは教皇ではない」とも「私たちこそがカトリック教会だ」とも「私が言うとおりに教会を運営せよ」とも、言いませんでした。

 何故なら、ルフェーブル大司教も聖ピオ十世会もカトリック教会の一部であって、教皇でもなければ、教会当局でもないことを認めていたからです。

 何故なら「おまえは教皇ではない」と判断したり発言したりすることは、私たちカトリック信徒・司祭・司教の義務でもなければ、そのような判断する権威も持たないからです。

 「ただ単なる一カトリック司教」(1988年6月30日のルフェーブル大司教の発言)として、カトリック教会の中に聖伝が戻ってくるように働きかけていたのです。ですから、第二バチカン公会議後のいろいろな革新的な「実験」や「試み」が自由に行われているのを見て、私たちに「聖伝の実験」をするのを許してほしい、とか、ローマからの要請に従って、第二バチカン公会議の幾つかの点についての「疑問点」を文書の形(『ドゥビア』)で提出したりしました。

 ルフェーブル大司教と聖ピオ十世会とは、カトリック教会が、教会当局が、教会の真理を認めるように働きかけ続けてきましたし、働きかけ続けています。例えば、聖伝のミサが決して廃止されたことがなかったことは、私たちはよく知っていました。しかし、以前はそれに反対のことが信じられていました。教皇様が、聖伝のミサが決して廃止されたことがなかったという事実を確認したことは、聖伝にとっては前進です。

 ルフェーブル大司教様は、教皇聖座空位主義は拒絶しました。御自分の判断で、全く自由に、強制されずに、この考えを拒絶しました。しかも、教皇聖座空位主義を信じているような司祭や神学生たちを聖ピオ十世会から退会・退学させました。何故なら、そのような態度の原理にあるものは、カトリック的ではないからです。

 まさに現在のカトリック教会の危機の結果、ルフェーブル大司教と聖ピオ十世会は苦しんでいるのです。

 ルフェーブル大司教は、努力は可能な限りしました。1988年にカトリックの司教を聖別したのも、その可能な限りの努力の表れです。しかも、アシジの集会をしたローマと、一人の司教を聖別して良いという同意を得ることもしました。

 以上、お答えになっていることを祈ります。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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