Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
2019年 8月の聖伝のミサの予定
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】


8月 聖母の被昇天を祝いましょう。
意向:聖母の汚れなき御心の凱旋のため
実践すべき徳:心の柔和と謙遜
守護の聖人:聖母の汚れ無き御心

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します

◎2019年 8月の予定
【大阪】聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂(アクセスEG新御堂4階 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 
〒532-0002 (JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分)

  8月2日(初金)教会博士証聖者司教聖アルフォンソ・デ・リグオリ(3級祝日)白
          午後5時半 ロザリオ及び告解
          午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月3日(初土) 聖母の土曜日(4級)白
          午前10時 ロザリオ及び告解
          午前10時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月11日(主)聖霊降臨後第9主日(2級)緑
          午後5時半 ロザリオ及び告解
          午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月12日(月) 童貞聖クララ(3級祝日)白
          午前10時 ロザリオ及び告解
          午前10時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月18日(主)聖霊降臨後第10主日(2級)緑
          午後5時半 ロザリオ及び告解
          午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月19日(月) 証聖者聖ヨハネ・ユード(3級祝日)白
          午前6時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

【東京】東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図)「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

  8月4日(主)聖霊降臨後第8主日(2級)緑
          午前10時  ロザリオ及び告解
          午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月5日(月)  雪の聖母の大聖堂の奉献(3級祝日)白
          午前7時 ミサ聖祭

  8月18日(主)  聖霊降臨後第10主日(2級)緑
          午前10時  ロザリオ及び告解
          午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております。

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【質問】聖ピオ十世会とは何ですか?

2017年05月02日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、皆様のご質問にお答えいたします。



【質問】聖ピオ十世会とは何ですか?

【答え】
聖ピオ十世会とは、ルフェーブル大司教によって、1970年11月1日スイス、フリブールのシャリエール司教から正式な認可を得て、カトリック教会法典に則って創立されたカトリック教会の1つの修道会です。

聖ピオ十世会の創立の目的は、近代主義の教えや道徳や礼拝に染まらない、正統なカトリック信仰による司祭の養成です。

2017年3月現在:
神学校6校、
管区(管区には少なくとも三つの小修道院がある)14、
自律修道院(管区になる前の段階)4、

小修道院165(そのうちフランス管区には38、アジア管区には6)、
ミサ・センター(聖堂・教会)772、
大学2校、
養老院7、

司教3名、司祭612名、神学生215名、神学準備生40名、
修道士116名、聖ピオ十世会の修道女195名、奉献修道女79名、
カルメル会修道院4、
ケニアの宣教修道女17名、
37諸国に修道院を持ち、そこからさらに35の諸国へミッション活動(総計72の国々で活動)。
聖ピオ十世会の学校で学ぶ生徒の数は3000名。


聖ピオ十世会の活動の国々は、
アジアではフィリピン、日本、韓国、シンガポール、インドネシア、マレーシア、香港、ベトナム、スリランカ、インドなどで活動し、

西欧では、フランス、イギリス、アイルランド、ドイツ、オーストリア、スイス、イタリア、スペイン、ポルトガル、ベルギー、オランダなど、

東欧ではポーランド、リチュアニア、ロシアなど、

北欧ではスカンジナビア、ノルウェイ、デンマーク、スウェーデンなど、

アメリカでは、アメリカ合衆国、カナダ、メキシコ、アルジェンティナ、チリ、コロンビアなど、

アフリカではガボン、ジンバブエ、南アフリカなど、

オセアニアではオーストラリア、ニュージーランドなど
で活躍しています。

日本では、聖ピオ十世会はフィリピンから毎月2回、司祭を派遣し、東京と大阪で聖伝のミサを捧げています。

日本人司祭の数:1名
日本での常設聖堂:1(大阪)


【質問】聖ピオ十世会はローマに従っているカトリック修道会ですか?

【答え】
はい。聖ピオ十世会は永遠のローマに従い、歴代の公会議や教皇様たちの教えをそのまま守っているカトリック修道会の一つです。



【質問】聖ピオ十世会は何故SSPXと言われるのですか?

【答え】聖ピオ十世会のことを、英語では the (Priestly) Society Saint Pius Xと訳されているので、SSPXと言われています。

ラテン語でFraternitas Sacerdotalis Sancti Pii X (聖ピオ十世司祭兄弟会) と言うので、ヨーロッパでは普通、FSSPXと略称されます。



【質問】教会の高位聖職者たちは聖ピオ十世会をどう取り扱っていますか?

【答え】
近代主義の考えに染まってしまった高位聖職者たちは、カトリックの聖伝に対立し、聖ピオ十世会の使徒職を妨害しています。
しかし保守的な高位聖職者たちは、聖ピオ十世会の活動を天主の祝福であると発言しています。



【質問】何故、高位聖職者たちは聖ピオ十世会に反対するのですか?

【答え】
高位聖職者たちは聖ピオ十世会に反対するのは、高位聖職者たちが沈黙のうちに葬り去ろうとしていることを聖ピオ十世会が発言するからです。

何故かというと、第2バチカン公会議以後、カトリック教会に前代未聞の背教(=信仰を捨てること)が起きてしまったこと、聖伝のミサを初めとして聖伝の儀式による秘蹟の執行が捨て去られたこと、現代なされているエキュメニズム(=宗教統一運動)がカトリックの信仰に反していることなど。聖ピオ十世会が第2バチカン公会議の欠点を指摘していることも、改革を推し進めようとする人々にとでは嬉しいことではないからです。



【質問】聖ピオ十世とは誰ですか?

【答え】
聖ピオ十世(在位1903年-1914年)とは、ピオ十二世教皇によって1954年に列聖されたカトリック教会の教皇の1人で、特に教会内部を冒していた近代主義を排斥し、グレゴリオ聖歌や御聖体拝領などによってカトリック教会を大きく復興させた教皇です。

聖ピオ十世教皇は、近代主義に反対する回勅『パッシェンディ』(1907年)の中でこう書いていました。「教会のために力強く闘うカトリック信者たちに対して、近代主義者たちは悪意と厳しさをもって迫害するが、私たちはそのことを驚いてはならない。カトリック信者らにたいして彼ら近代主義者らがなす侮辱には制限がないからである。」
コメント (2)

なぜ4つの福音書はそっくりなんですか?

2017年02月04日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

共観福音書についてご質問をいただきましたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【御質問】
なぜ4つの福音書はそっくりなんですか?4人の人物が、まったく別個に3年半のイエズス様の公生活を綴れば、まったく別個のストーリーになるはずではないですか?3年間の間に100も千もの奇跡があったでしょうし、百も千ものたとえ話をイエズス様はなさったでしょうに。その中のどれに注目して、どれを載せるかは、4者4様になるはずではないですか?どの福音書も、まったく同じたとえ話ばかり載っています。初めに一つの福音書があり、残り3つはそれを真似て書かれたのですか?

もしルフェーブル大司教に聖別された4人の司教が、それぞれルフェーブル大司教の伝記を書いたとすれば、全然、別の書かれ方をすると思いますよ。互いに矛盾はないにしても、趣はかなり違ってくると思います。ある人は、この話を載せるが、別の人はそれは省略し、別の話、別の講話を載せる、こんな感じで、かなり違ったストーリーになってくるでしょう。にも拘らず、4つの福音書は互いにそっくりです。僅かに違いがありますが。ルカがマリア様について少し書いていたり、ヨハネが最初が少し違っている、など。でも基本的に、同じです。どうしてですか?

当初、福音書は口伝だったのでしょうかね?聖伝の一部として、聖福音を暗記しなければいけないことになっていて、語り継がれてきた福音を、ある時期に4人の福音記者たちがそれぞれ筆写した。よってほとんど似ているが、細部違うのでしょうか?


【お返事】

ご質問をありがとうございます。

四福音書をよくご覧になると、最初の三つがよく似ていて、最後の聖ヨハネの福音だけは別の構成になっています。

そこで、最初の三福音のことを「共観福音」と言います。「共観」というのはギリシャ語のシュノプシス σύν (同時に) and ὄψις (見る)(同時に一目で見る)という言葉の訳語です。

何故かというと、ほとんど同じような順序で同じような内容が書かれているので三つの列に平行にテキストを並べて一目で見るようにすることが出来るからです。

三つの共観福音には、違いと一致があり、一致は時には言葉使いさえも同じであることがあるかと思えば、違いには見かけ上の矛盾のように思えるものさえあります。
もしも、同じだけだったとしたら、相互に従属関係がある、或いは、一つの共通の源泉から由来する、と簡単に解決できます。
もしも違いだけでしたら、完全に独立していると言うことが出来ます。

これは近年に出てきた疑問で、古代には聖アウグスティヌスだけが De consensu Evangelistarum でこれに言及しただけでした。

次のことをまず指摘します。
聖ヨハネは特にイエズスのユデアでの宣教を語っています。
三共観福音は、イエズスのガリレアでの宣教を語り、公生活の最後にイエズスがユデアのエルサレムで宣教することを示しています。

三共観福音は、同じ事実、同じ奇跡、同じ訓話を載せています。しかし、ご指摘のように、イエズスは実際はその他の奇跡も行っています。例えばヨハネの福音にあるように、カナでの奇跡、生まれつき盲目であった男を癒やす、ラザロの復活などです。また三共観福音に載せられていない訓話がありました。例えば御聖体の約束や、最後の晩餐の後での話などです。聖ヨハネは福音の最後に、イエズスが行った別の多くの奇跡もある sunt autem et alia multa qua fecit Jesus と書いています。マテオ11章によると、イエズスはご自分の多くの奇跡をおみせになった町のうちにコロザインを挙げていますが、コロザインで行った奇跡について四福音は全て沈黙を守っています。
共観福音によると、イエズスの行いと訓話は次の四部構成の枠組みの中に収まっています。主の洗礼・ガリレアでの宣教・エルサレムへの到来・御受難と御復活です。

共観福音には、大きな違いもあります。
聖マテオの系図は、一見すると聖ルカの系図と矛盾するかのように書かれています。
聖マテオと聖ルカによるイエズスの幼年時代については、聖母が童貞を守っていること、ヘロデ王の下にベトレヘムで生まれたことだけが同じです。
聖マテオだけが、聖ペトロの首位権を語っています。
聖ルカだけが、ザケオの話や良きサマリア人の話や放蕩息子の話を載せています。
聖マルコは、彼だけが、聖マテオも聖ルカも語らない二つの奇跡に言及します。耳が聞こえず話せない人の癒やしや、ベトサイダの盲人の治癒です。

聖マテオによる福音の 1068節のうち、337節(三分の一)が固有のものです。
聖マルコによる福音の 677節のうち、68節(十分の一)が固有のものです。
聖ルカによる福音の 1158節のうち、541節(二分の一)が固有のものです。

共観福音は、時間的な順序や、論理的な理由ということによらずに、出来事が同じような進み方によって語ります。嵐を沈める奇跡、ゲラサでの悪魔付きの癒やし、出血症の女の治癒、司の死んだ娘の蘇り、などです。

このような一致は必ずしも守られない場合があります。聖マテオの山上の垂訓は一つにまとめられていますが、聖ルカでは分散されています。
しかも、同じであるはずだと思うような細部で異なっています。例えば、主の祈りもマテオとルカとでは違いがあります。御聖体の聖別の言葉にも違いがあります。十字架の罪標(すてふだ)に書かれたことばにもマテオとマルコとで少しの違いがあります。

そうかと思えば、聖マテオ9章・マルコ2章・ルカ5章に載せられた中風の治癒は、ほぼ同じ言葉遣いです。イエズスはアラマイ語で話したはずですが、ギリシャ語でも同じ言葉遣いです。共観福音が旧約聖書を引用するとき、ヘブライ語のテキストからの直訳でもなく、七十人訳ギリシャ語からのそのままの引用でもないのですが、同じ時々同じ言葉遣いです。

聖マテオによる福音のうち、八分の一に言葉遣いの一致が見られます。
聖マルコによる福音のうち、六分の一に言葉遣いの一致が見られます。
聖ルカによる福音のうち、十分の一に言葉遣いの一致が見られます。

聖伝によると、
1)三共観福音は、それぞれ、聖マテオ、聖マルコ、聖ルカが書いたもの。聖マテオは使徒であり、聖マルコと聖ルカとは使徒の弟子達だった。
2)最初に聖マテオが福音を書き、次に聖マルコ、それから聖ルカが書いた。
3)聖マテオは最初福音をアラマイ語で書き、極めて早い時期にギリシャ語に翻訳された。最初のアラマイ語の福音は、単なる主の訓話のまとめだけではない。
4)ギリシャ語に訳された最初の福音は、アラマイ語の原文と同じ内容である。


では、共観福音はどうやって書かれたのでしょうか?
ルニエ、ラグランジュ、ヴォステ、シメンなどの意見に従って答えると、次の通りです。

1)イエズス・キリストは使徒たちに「全世界に行って教えよ」という使命を授けたのであって、書けという命令を授けたのではない。共観福音の内容の主要な源泉は、使徒たちの口からの教えだった。初代教会は、「本の宗教」というよりは「生ける権威の宗教」だった。記録され書かれたものの先に口と言葉による教えの伝達があった。使徒たちは聖霊降臨の後に、この口伝の福音の大まかな内容を固定させた。そうすることによって主の御言葉を伝達することが容易になった。それと同時に共観福音が書かれるとき、その構造が同じようなものになる理由となった。

2)イエズス・キリストの教えを書いて記録を残したいという望みが教会で極めて初期にわき起こってきた。非公式のメモのようなものが生まれていたのかもしれない。聖ルカが福音の最初に暗示しているのはそのような記録のことだったのかもしれない。

3)使徒聖マテオが(彼は税理だったので、漁夫だった他の使徒たちと比べると教養があったのだろう)、使徒の宣教の要点を全てまとめてアラマイ語で書いて公表した。聖マテオは、自分のメモあるいはその他の記録を使ったのか詳しくは分からないが、自分の記憶と体験と口伝の公教要理を基に福音を書いたことは確かである。

4)聖マルコは、聖ペトロの弟子だったので聖ペトロの教えに従って福音を書いた。これは聖伝が伝えることであり、内容もそれに一致する。聖マルコは聖マテオのギリシャ語訳の福音を多分に知らなかっただろう。聖マテオと聖マルコの福音が似ていることは、その基礎にある口伝の教えによって十分に説明が付く。もしも共通の書かれた記録による史料があったとしたらエピソードの選択のみならずもっと多くの一致があっただろう。聖マルコは御受難の部分を叙述するときは、書かれたものを使ったようである。

5)聖ルカは最後に福音を書いたが、書かれた記録や口伝を調べたと自分で言っている。聖マルコと聖マテオの影響が認められる。

6)ついに聖マテオの福音がギリシャ語に翻訳される。この翻訳には、特にアラマイ語からギリシャ語に訳す際に聖マルコの福音が参考にされた。ただしアラマイ語の原文とギリシャ語の原文は実体において同じである。

上のように考えると、口伝の教えが基礎にあるので、共観福音の構造の類似性に説明がつきます。
聖ルカとギリシャ語の聖マテオとは、聖マルコによっていることになります。
聖マルコと聖ルカとで出来事の順序が似ていることは、聖ルカが聖マルコを参照したことで説明が付きます。
三共観福音の違いは、著者の参考資料と思い出の違いにより、著者の気質や書き方の違いによることで説明されます。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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聖伝のミサにおける祭壇のお花の意味とは何か?【クレカリ10周年記念】

2016年01月21日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今日は、当ブログ Credidimus Caritati 開設10周年です。このことを天主様に深く感謝します。

 祭壇のお花について、ご質問をいただきました。お答えいたします。

 レデンプトール会の Joseph Wuest C.SS.R. 神父の書いた Collectio Rerum Liturgicarum によると、祝日に花束を花瓶に生けて祭壇を飾ることが命じられている【Caeremoniale Episcoporum I, caput XII, N. 12 及び 教皇ピオ六世 Auctorem Fidei 】。
 花は花瓶に趣味よく飾られ、ろうそく台の間に置かれなければならない【Caeremoniale Episcoporum I, caput XII, N. 12】。
 ただし、待降節や四旬節・受難節の聖務やミサをするとき(待降節第3主日と四旬節第4主日、聖木曜日は例外)、死者のための聖務やミサのときは、花を飾らない。

 お花の意味は、天主の祭壇を飾るために「切り取られ」て、奉献されるということです。ロウソクが自らを燃やして光と熱を出すように、お花も自分を捧げて天主に捧げられるという意味があります。私たちも、罪から切り離されて、この地上から離脱して、自分をイエズス・キリストのために与え尽くすことができますように!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

追記

Collectio Rerum Liturgicarum には、こうあります。
次の日に祭壇に花を飾ることは禁止されてはいない。幼子殉教者の祝日、祈願祭の日々、祝日の前日(vigilia)、七旬節、六旬節、五旬節の主日。【Ephemerides Liturgicae (Ius et Praxis) LII, p.169】

コメント (2)

【質問】この画像は、どういう意味ですか?

2014年11月03日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ご質問を受けましたのでご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【質問】
済みません。この画像は、どういう意味ですか?
カトリック系のフェイスブックなどでよく見るのですが、意味をご存知ですか?


【お返事】
こんにちは!
これは、アラビア語の N の文字です。


キリスト者をナスラニ(ナザレトのイエズスから来た言葉で「ナザレト派」という意味の蔑称)と呼ぶところから来ています。「イスラム国」でイスラム教徒らに迫害されているキリスト教への連帯の印だそうです。





天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖伝のミサ(いわゆる「トリエント・ミサ」と呼ばれているローマ式典礼様式のミサ)にようこそ!

ローマ・カトリックの聖伝のミサ vs エキュメニカルな新しいミサ(第二バチカン公会議のミサ)




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毎年恒例の聖ピオ十世会公式秋田巡礼にご参加希望の方々は、聖ピオ十世会日本 秋田巡礼 SSPXJAPAN PILGRIMAGE TO AKITAなどを通してお申し込みください。

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【質問】第二バチカン公会議の言う「信教の自由」とは何ですか?

2013年08月02日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

【質問】
第二バチカン公会議の言う「信教の自由」とは何ですか?

【お返事】
1965年12月7日に公布された第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(2)によると、
「このバチカン教会会議は、人間が信教の自由に対して権利を持つことを宣言する。この自由は、すべての人間が、個人あるいは社会的団体、その他すべての人間的権力の強制を免れ、したがって、宗教問題においても、何人も、自分の確信に反して行動するよう強制されることなく、また私的あるいは公的に、単独にあるいは団体の一員として、正しい範囲内で自分の確信にしたがって行動するのを妨げられないところにある。」

【注:これのラテン語原文は次の通りです。
Haec Vaticana Synodus declarat personam humanam ius habere ad libertatem religiosam. Huiusmodi libertas in eo consistit, quod omnes homines debent immunes esse a coercitione ex parte sive singulorum sive coetuum socialium et cuiusvis potestatis humanae, et ita quidem ut in re religiosa neque aliquis cogatur ad agendum contra suam conscientiam neque impediatur, quominus iuxta suam conscientiam agat privatim et publice, vel solus vel aliis consociatus, intra debitos limites.】

【質問】
「自分の確信に反して行動するよう強制されることがない」ということと、「自分の確信にしたがって行動するのを妨げられない」ということとの違いは何ですか?

【お返事】
「強制を免れる」ということには、あることをするように肯定的に強制させられることから逃れる場合、とあることをすることができないように否定的に妨害される場合とがあり得ます。それがすなわち、
「自分の確信に反して行動するよう強制されない」"ne cogatur ad agendum"(たとえば強制によってある信条を信じるように強制されない、あるいは脅迫などによって宗教礼拝行為をするように強制させられない、など)ということ、また、
「自分の確信にしたがって行動するのを妨げられない」"ne impediatur"(たとえば、国の法律などによって、イスラム寺院を建てることが制限されない、など)ということです。

 カトリック教会は、前者の「強制から免れる」ことについては、常に認めてきました。たとえば教会法 Can 1351. Ad amplexandam fidem catholicam nemo invitus cogatur. があります。
 ただし、後者の否定的な強制から免れることについては(たとえ特別な限定された状況において、国家がそのような状況を黙認する・寛容することを認めたことがあったとしても)、それを「自然権」(natural right)としては認めてきたことがありませんでした。「信教の自由」の自然権は、真の天主を礼拝する人々だけに属する、つまり、真の天主に真の礼拝をするカトリック教会に属すると考えてきました。


【質問】
「自然権」とは何ですか?

【お返事】
「自然権」は「自然法」との関係で生じる権利です。
「自然法」とは、人間の本性とその本性に由来する人間の義務とに基礎をおくもので、真の天主への礼拝の義務などがそれに含まれます。
この「自然法」に基づく義務を行使するために、人間には天主に礼拝を捧げる「自然権」が生じます。つまり、人間は、真の天主に対して真の礼拝を捧げる自然権を持ちます。
 自然権の対象は、常に真であり善です。自然と天主とに合致するものです。


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【質問】 聖ヨゼフへの大天使ガブリエルのお告げについて

2013年08月02日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 ご質問をいただきましたので、お答えいたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【質問】
聖マリアの天主に対する信頼 の、聖ヨゼフ様が、イエズス様の天主の聖子にてあられますことを御存知なかった、という事は、考えられないのですが、、、聖ヨゼフ様も、救い主に関する聖書の預言を、熟知なさっておられる、と思いますので、、、

【お返事】
この黙想をよく読むと、次のようにあります。
「聖ヨゼフに救い主の御(おん)やどりを明(あ)かし「汝、其の名をイエズスと名づくべし。そは自(みずか)ら己(おのれ)が民を其の罪より救うべければなり」と告(つ)げしめ給うた此処(ここ)に注意すべきは、聖マリアには大天使ガブリエルを以て、イエズスの神性やその永遠の権威(けんい)までも示されたのに、聖ヨゼフには唯(ただ)その救い主にまします事のみを告(つ)げ、天主の御独子(おんひとりご)なる事は語られなかった点である。」
 ここでは、マリア様とご結婚する前、まだ許嫁であったときに、大天使ガブリエルはマリア様の体内におられる子供が救い主であることをのべ、それ以外の詳しいことは言わなかったと言うことです。
(マリア様の場合には、お告げの時にはっきりと説明がありました。)
 その後、聖ヨゼフ様が、イエズス様の天主の聖子にてあられますことを聖ヨゼフに適したやり方とその時に知るようになったと思いますが、ここでは、大天使ガブリエルのお告げについて考察しています。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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キリストの代理者である教皇のみが、普遍的教会を統治する至高の権力を持つという私たちの信仰 その5

2013年07月24日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 先日、「キリストの代理者である教皇のみが、普遍的教会を統治する至高の権力を持つという私たちの信仰」という文章を掲載しましたが、いくつかご質問をいただきました。それらに対するお答えの続きです。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【質問】
司教は、異端者になることが出来るのでしょうか?


【お返事】
 司教は、異端者になることが出来るか否かについて答える前に、質問の意味を明確にしておきます。「異端者」には、二種類があります。一つは、本当の(formal)異端者で、異端説であると知りつつも故意に意図的に教会の教導権の教えを拒む者です。もう一つは、内容はそうであるが形だけの(material)異端者で、そのつもりがなくあるいは善意で教会の教えがそうであると誤解していたがために異端説に陥っている異端者です。

 カトリック教会の歴史をひもとくと、残念ながら、内容それ自体は異端であるが、善意で教会の教えがそうであると誤解していたがために、形だけの(material)異端説に陥ってしまったのみか、何回かカトリック教会当局から公式の警告を受けても、それを改めようとせず、当の(formal)異端者であると見なされたケースがいくつかあります。

 たとえば、ネストリウスです。ネストリウスはコンスタンチノープルの総大司教でしたが、428年の4月に司教に聖別されましたが、同年のクリスマスの説教で、聖母マリアは天主の聖母ではないと宣言し、天主が肉体を持つなどあり得ない、人間イエズスが神性にふさわしい者となった、と言い、聖チェレスティノ教皇はすぐにこの教えを排斥しました。

 そこで、司教は、本当の意味の(formal)異端者となることができると答えなければなりません。

【質問】
異端者は有効に公教会を統治出来るのでしょうか?

【お返事】
 すでの指摘したとおり、「異端者」には、二種類があります。一つは、本当の(formal)異端者で、異端説であると知りつつも故意に意図的に教会の教導権の教えを拒む者です。もう一つは、形だけの(material)異端者で、善意で誤解していたがために異端説に陥っている異端者です。

 たとえば司教の場合、この司教よりも上位にある教会当局が公式に複数の警告を出し、その後でも異端説に固執する場合、本当の(formal)異端者となります。そして、教会当局からの正式な裁治権の剥奪が発表されなければなりません。それまでは、異端者となった司教は、教会を統治する権限を持っていると考えられています。司教の場合にはっきりと確認できることは、教会は公式の宣言を持って初めて司教の統治の力(裁治権)を剥奪するということです。


【質問】
教皇は、異端者になることが出来るのでしょうか?


【お返事】
 これは難しい問題です。何故なら、私たちの主イエズス・キリストが聖ペトロに「シモン、シモン、サタンはあなたたちを、麦のようにふるいにかけることができたが、私は、あなたのために、信仰がなくならないようにと祈った」(ルカ22章)と言われたからです。イエズス・キリストの祈りは必ず聞き入れられるはずだからです。

 しかし歴史を見ると、二種類の「異端者」のうち、善意の、あるいは脅されたなどのために不本意で、異端説に荷担することが少数の例において認められます。何故なら、教皇リベリウスは個人的にアリウス説の異端におち、教皇ホノリウスはキリスト単一意志説(モノテリズム)の誤謬におちたと思われているからです。

 ここで、繰り返し注意を喚起すれば、教皇が教皇として異端者となったのではないということです。つまり、教皇が教皇としての教導権を行使しして、全教会にある異端説を信じることを強要したのではないということです。

 教皇リベリウス(351~366年)は、コンスタンティノ大帝によって流罪にされました(355年)が、自由の身となるために、皇帝の要請した半アリウス派の信条に強要されて署名したからです。ただし、教皇は全教会の教導者として署名したのではありません。教皇にはこれを全教会に押しつける意向はありませんでした。

 教皇ホノリウス(625年~638年)は、二通の手紙の中で、「キリストにはひとつの意志あるのみ」と宣言し、これ以上論争を継続することを禁止したことがあります。しかしコンスタンチノープル公会議(680年~681年)は、教皇ホノリウスに異端宣言をしました。ただし、ホノリウスは手紙の中でこの問題の決定をする意図はないと述べ、信仰教義の決定をしたのではありませんでした。また、コンスタンチノーブル公会議の決議は、「教会の頭としての教皇」の教えが誤謬だといったのではありませんでした。教皇レオ二世がこの決議を裁可したのは、教皇ホノリウスが《異端説胎動のきざしがあったのに、これを抹殺するつとめ》をおろそかにしたからであるといっています。(これについては、シーアン司教『護教』(Apologetics and Catholic Doctrine by the Most Rev. M. Sheehan, 1942をご覧ください。)


【質問】
教皇は、公に(publicly)本当の(formal)異端者になることが出来るのでしょうか?

【お返事】
教皇が、公に(publicly)本当の(formal)異端者になる(従って信仰を失う)可能性については、純粋な仮説として考察した神学者たちがいます。特に、聖ロベルト・ベラルミンの仮説が有名ですが、しかし、聖ロベルト・ベラルミン自身「異端的教皇」という可能性については具体的に実現可能であるとは考えていたとは思われません。聖ベラルミンは、具体的に或る教皇が公に異端説に陥ることが出来、教会がどのように又、何時それに気がつくことができるかなどについては全く考察せずに、単に抽象的な神学上の意見としてその可能性を取り上げたに過ぎなかったからです。同じ聖ロベルト・ベラルミンはこの意見を取り上げると同時に、教皇は本当の異端に陥ることが決してできないという意見のほうがより蓋然性があるとしています。

 私たちの主イエズス・キリストの「私は、あなたのために、信仰がなくならないようにと祈った」(ルカ22章)と言われた約束は、教皇の教皇としての公の信仰がなくなることがないという最も根本的な原理です。教皇が、もしも間違うことがあったとしたら、それは個人としての資格でのみのことです。

 それが教皇であれ、誰であれ、本当に(formally)明らかに(notoriously)全教会の前で異端者となるためには、彼は異端であると正当な当局から宣言され、その警告にもかかわらず異端説に固執しなければなりません。しかし、教皇に対してそれをすることは実際上不可能です。何故なら、教皇が教会法に縛られないこと、また、教皇に誰によっても裁かれないこと(Prima Sedes a nemnine iudicetur.)、これらは教会法の根本的原理であるからです。

 従って、教皇は個人としては異端に陥ることがあり得ても、事実上、教皇としての教皇が本当の(formal)異端者となることは不可能であると思われます。


【質問】
異端者の教皇は有効に公教会を統治出来るのでしょうか?

【お返事】
 フランスの聖伝のドミニコ会発行のSel de la terre誌に掲載された研究によると、スアレス(Suarez)は神学者の共通意見によると異端者の教皇であっても教皇職を続けて行使することができると言っています。ビルアルト(Billuart)は、より共通の意見は異端者の教皇でも教皇職を続けて行使することができると主張しています。ビルアルトによると、教会によってはっきりと異端者であると宣言されるまで、明らかな異端者であったとしても教皇職を遂行する権限をキリストによって与えられている、と言います。(Billuart, De Fide, Diss. V, A. III, No 3, ofj. 2)また、ガリグ・ラグランジュ(Garrigou-Lagrange)は、ビルアルトの論に従い、異端者であり、教会の一員でなくなったとしても、教会のかしらであり得ると言います。(De Verbo Incarnato p. 232)これも、個人としての教皇と役職としての教皇とを区別することを基礎としています。

 筆者の個人的な意見としては、ビルアルトやガリグ・ラグランジュは正しいと思います。ユダヤ教は天主によって来たるべきメシアを告げ知らせるために立てられましたが、ユダヤ教の大司祭カイファは、私たちの主イエズス・キリストを信じようとせずかえって主を十字架に渡しました。それにも関わらずカイファは大司祭の地位を失わなかったからです。

「その中の一人で、その年大司祭だったカヤファが、「あなたたちには、何一つわかっていない。一人の人が人民のために死ぬことによって、全国民が亡びないほうが、あなたたちにとってためになることだとは考えないのか」といった。かれは、自分からこういったのではない。この年の大司祭だった彼は、イエズスがこの国民のために、また、ただこの国民のためだけではなく、散っている天主の子らを一つに集めるために死ぬはずだったことを預言したのである。イエズスを殺そうと決めたのは、この日からであった。」(ヨハネ11章)

 イエズス・キリストに対する信仰を持っていなかったにもかかわらず、私たちの主は、カヤファの大司祭としての権威を疑問に付したことがありませんでした。天主の許可によって、邪悪の神秘(mysterium inituitatis)は、正式な天主の大司祭、ユダヤ教の最高権威者としてのカヤファはイエズス・キリストを死刑と定め、イエズス・キリストに従う全ての人々を迫害したのです。聖パウロは、カヤファの後継者である大司祭アナニアに対して言った言葉をとがめられた時、パウロは彼が大司祭だとは知らなかったと言い、脱出の書 (22: 28) を引用して自分の過失を認めています。私がここで言いたいことは、天主は信仰の無い大司祭が、ご自分の民の宗教を有効に統治することを許していた、という事実です。


【質問】
教皇と教会が聖伝の教えに反する事を公布、あるいは宣言する事が可能だと神父様はお考えなのですか?

【お返事】
 まず、はっきり区別しておきますが、教皇が個人的に異端に陥る可能性があることと、教皇が教皇として異端を全教会に信じることを強制することとは別のことです。

 教皇は、個人的な立場で、聖伝の教えに反する事を発表することはできますが(過去にそのような例が少数ありました)、しかし、教皇として、最高の教導権を行使して、全カトリック教会に聖伝の教えに反する事を信じることを強制することは、天主の御摂理によって、できません。


【質問】
ヨハネ二十三世や、パウロ六世、ヨハネ・パウロ二世などは、聖伝の教えに反する事を公布、あるいは宣言したのではないでしょうか?

【お返事】
 ヨハネ二十三世や、パウロ六世、ヨハネ・パウロ二世が行った行為を良く分析してみると、彼らは一度も不可謬権を行使して新しい教えや、聖伝の教えに反する教えを、全教会に信じるように法的に強制する表現を使ったことは一度もありませんでした(もしも、ヨハネ・パウロ二世の回勅 Ordinatio Sacerdotalis で女性が司祭になることができないということが不可謬権の行使でないとするなら)。

 第二バチカン公会議の革新を実践するという悪い模範や乱用はありましたが、それをしなければ救われない、カトリックではない、カトリック信仰ではない、という明らかな定義として発布したこともなければ強制したこともありませんでした。

 第二バチカン公会議の問題は、正に、教会の権威を行使することを避けたことにあります。
第二バチカン公会議の事務総長であるフェリチ枢機卿は、1964年11月16日第123回総会においてこう言っています。
「公会議の文章は公知の一般的な規則によって解釈されなければならない。」すなわち、
「公会議の慣習と本公会議の司牧的目的を鑑みて、この聖なる会議自身が明らかに信仰と道徳に関する事柄を教会によって保持されるべきもの(tenenda)として定義するとみずから明らかに宣言するときにのみ、そう定義する。」
 そして、第二バチカン公会議は、「排斥文」をつけることを避け、信仰と道徳に関する事柄を教会によって保持されるべきものとして定義するとみずから明らかに宣言することをせずに、強制することを避けたのでした。
(これについては、【質問】第二バチカン公会議はどこが特別なのかをご覧ください。)

 同様のことは、新しいミサについても言えます。パウロ六世が1969年に発布した使徒憲章『ミサーレ・ロマーヌム』の最初に印刷されたラテン語原文には、新しいミサを許可することしか言及されていません。

(つづく)


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コメント

キリストの代理者である教皇のみが、普遍的教会を統治する至高の権力を持つという私たちの信仰 その4

2013年07月17日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 先日、「キリストの代理者である教皇のみが、普遍的教会を統治する至高の権力を持つという私たちの信仰」という文章を掲載しましたが、いくつかご質問をいただきました。それらにお答えしたいと思います。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【質問】
『第一バチカン公会議によれば、信仰に関わることであっても、教皇が全世界のカトリックにそれを信じることを明確に強制しなければ、つまり信じなければカトリックではない、破門される、と信仰をドグマとしてはっきりと教えなければ、教皇がその教権・教導権を行使して私たちにそれを信仰箇条として信じ従うことを命じなければなりません。これは特別教導権の行使です。』とありますが、第一バチカン公会議によれば何なのかを分かりやすく説明して下さい。これでは『第一バチカン公会議によれば、. . . を命じなければならない』と読めてしまい、意味が良く分かりません。

【お返事】
大変失礼しました。これは「第一バチカン公会議によれば、"信仰に関わることであっても、教皇が全世界のカトリックにそれを信じることを明確に強制しなければ、つまり信じなければカトリックではない、破門される、と信仰をドグマとしてはっきりと教えなければ、教皇がその教権・教導権を行使して私たちにそれを信仰箇条として信じ従うことを命じなければ、私たちの信仰箇条とはなりません。" これは特別教導権の行使です。」と「私たちの信仰箇条とは」を挿入してお読みください。


【質問】
第一バチカン公会議のどの宣言/教令によると、その主張通りになるのか、その典拠をはっきり提示して下さい。それはどこでしょうか?

【お返事】
教皇の特別教導権の行使については、第1バチカン公会議 第4総会(1870年7月18日)キリストの教会に関する第1教義憲章「Pastor aeternus」第4章 教皇の不可謬教導職について DS 3070 以下をご覧ください。これについては、「マニラの eそよ風」236号にも引用したことがあります。ご覧くだされば幸いです。


【質問】
教皇のペルソナとその役職とを区別したカトリック神学は、どこで読む事が出来ますか?

【お返事】
私の理解が正しければ、たとえばカイェタヌスがそれを主張しています。
Persona papæ potest renuere subesse officio papæ. ... Et si hoc in animo pertinaciter gereret, esset schismaticus per separatio- nem sui ab unitate capitis. Ligatur siquidem, persona sua, legibus officii sui quoad Deum. (in 2a 2ae, q39, al, n6)

カイェタヌスをジュルネ枢機卿が "L'Eglise du verbe incarné: Sa structure interne et son unité catholique" の中で引用しています。

これについては、以前「離教にあらず、破門にあらず」で言及したことがあります。ご覧くだされば幸いです。


【質問】
教皇はいつ不可謬なのですか?

【お返事】
教皇は、教皇座から(ex cathedra)発言するときに不可謬です。つまり、諸民族の最高の教師として、教皇がある真理を全ての信者らが必ず信じなければならないドグマとして宣言するときです。この場合、教皇が誤ることがないように、聖霊の補佐が教皇に約束されています。神学者たちは共通意見として、この他の幾つかの場合にも教皇に不可謬の特権を帰属しています。例えば、列聖の時(少なくとも1983年以前の列聖について)、或いは、教会の普遍的律法において、或いは、教皇が自分の全ての前任者たちの教えを繰り返すとき、などです。
(この質問と答とは五年前に「【質問】教会において誰が権威を持って教える権能を持つのか?教会の教導権は不可謬か?」というタイトルで書かれたものです。ご覧くだされば幸いです。)


【質問】
何故1983年以後の列聖については、不可謬とは限らないのですか?

【お返事】
何故なら、ヨハネ・パウロ二世以降の教皇たちが、歴代の教皇たちと同じ意味において「列聖」するという意図があるのか大きな疑問があるからです。何故なら、ヨハネ・パウロ二世以降の教皇たちが、今も昔もそして未来も変わらない真理という概念を持っているのか疑問があるからです。たとえば「教皇の定義は、教会の同意によってではなく、それ自体で、改正できない」という点です。
さらに、列聖をするときに不可謬権を行使すると考えられているのは、カトリック教会のドグマではなく神学者たちの共通意見だからです。


【質問】
 教皇はどうやってこの強制の意志を表明するのですか?

【お返事】
 教皇は、全教会において、ある一つの教義を義務として強制しようとする意志を、これを拒否する人間はカトリック信仰をもはや持ってはいない、従って、拒否する人は教会の外にある(排斥される)と明確に宣言して、明らかに表明しなければなりません。


【質問】
教皇がどの位の教導権を行使しているかを客観的に判断する権限は聖ピオ十世会にあるのでしょうか?それともカトリック信徒一人一人にあるのでしょうか?

【お返事】
教導権をどれほど行使しているかを客観的に判断するのは、一般的な規則によれば、教皇や公会議の公文書に書かれている表現それ自体にあり、これによって「不可謬権を行使して信じることを強制している」ということが誰が見てもわかるように、客観的に判断されます。
ただし、教皇や公会議の文章が明確に強制してるように思えても、そうでないと判断する場合には、私の考えでは、その最終の判断の権限はカトリック教会の最高の教導権にあります。


【質問】
教導権をどれほど行使しているかを客観的に判断するのは、一般的な規則によれば、教皇や公会議の公文書に書かれている表現にあるとはどういう意味ですか?

【お返事】
明らかに信仰と道徳に関する事柄を教会によって保持されるべきものとして定義するとみずから明らかに宣言するときにのみ、そう定義することになる、ということです。
取り扱われている題材と表現方法から、教導権をどれほど行使しているか、神学的解釈の法則に従って知ることができる、ということです。たとえば、公会議についていえば、公会議の公文書の全ての内容が不可謬性を帯びているのではなく、そのうちの canon と呼ばれる排斥文のみが不可謬です。たとえば「もしも誰かが××と言ったら、彼は排斥される」という表現の文章です。これのみが不可謬です。
教皇の回勅などについて言えば、回勅・勅令で、特別教導権を行使してドグマの決定をしたとき、その決定の回勅に書かれていること全てが不可謬ではなく、そのうちの一部「私たちの主イエズス・キリストの権威と使徒聖ペトロとパウロの権威、また私の固有の権威により、私は、○○がドグマであると宣言し定義し決定する。従って、もしも誰かが、敢えて私の定義したことを否定するなら、彼は排斥される」などが、不可謬です。


【質問】
教皇や公会議の文章が明確に強制してるように思えても、そうでないと判断する場合には、その最終の判断の権限はカトリック教会の最高の教導権にあるとはどういうことですか?

【お返事】
教皇や公会議の文章が明確に不可謬権を行使していると考えられた文章があっても、それが不可謬ではないと発表がなされることがある、ということです。
たとえば、ヨハネ・パウロ二世の回勅 Ordinatio Sacerdotalis で女性が司祭になることができないという発言がありました。回勅が出た直後は、その表現からこれは不可謬であると考えられていました。何故なら次のような表現があったからです。
"Wherefore, in order that all doubt may be removed regarding a matter of great importance, a matter which pertains to the Church's divine constitution itself, in virtue of my ministry of confirming the brethren (cf. Lk 22:32) I declare that the Church has no authority whatsoever to confer priestly ordination on women and that this judgment is to be definitively held by all the Church's faithful."
これが不可謬であると主張したものには、たとえばORDINATIO SACERDOTALIS: AN EXERCISE OF INFALLIBILITYがあります。
 しかし、後日、教義聖省長官のラッツィンガー枢機卿によってこれ(Ordinatio Sacerdotalisのこの部分)は不可謬権の行使ではないと発表があったからです。


【質問】
教導権の行使の程度の違いについて言及する権威ある文書を教えて頂けますか?

【お返事】
 『教導権の行使・投入の程度/度合い』という表現・言い方は、日本語の読者に理解しやすいように自分の言葉で説明したもので、必ずしも過去の神学者たちの使ったラテン語からの翻訳ではありません。しかし、言い方はそうではないかもしれませんが、内容は古典的な教えです。
 教導権の行使の程度の結果は、「教義の神学的資格」(Theological Notes / Qualifications)として現れます。

 たとえば、聖ピオ五世のクォー・プリームムのように、聖伝のミサを「自由に合法的に使用する事が可能であり、適法であるように、使徒継承の権威を以って、しかも永久のこの〔文面〕を以って、承認し、認可する。」「故に、絶対に誰一人として、余のこの許可、規定、命令、勅令、決定、認可、許可、宣言、意志、政令及び禁止のページに背反し、或いはそれに大胆にも背く事のないように。もしも、誰かがそれを企てようと敢えてするとしたら、全能の天主〔の憤慨〕及び使徒聖ペトロとパウロの憤激をかうと言う事を覚えよ。」などという表現を見るとき、パウロ六世のつかった新しいミサ発布の時の表現との違いに、従って教導権の行使の程度の違いがあることがわかります。
(聖ピオ五世のクォー・プリームムの教導権の行使の程度については「クォー・プリームムの法的適応範囲は一体どこまでなのか」において考察したことがあります。ご覧くだされば幸いです。)



【質問】
 1950年11月1日、ピオ十二世教皇は、どのようにして、天主の御母聖マリアの被昇天のドグマの定義決定の時、強制の意図を表明したのですか。

【答え】
 ピオ十二世は、使徒憲章『ムニフィチェンティッシムス・デウス』(MUNIFICENTISSIMUS DEUS)において次のように宣言して、このドグマを強制しました。

「私たちの主イエズス・キリストの権威と使徒聖ペトロとパウロの権威、また私の固有の権威により、私は、天主の汚れなき御母終生童貞聖マリアがその地上での生涯を終えたのし、肉体と霊魂とにおいて天上の栄光に上げられたということが、天主から啓示されたドグマであると宣言し定義決定する。従って、もしも誰かが、敢えて私の定義したことを故意に疑うとしたら、願わくは天主がそれを赦し給わぬことを!彼は天主よりのカトリック信仰を完全に棄てた者であるということを知るように。」


【質問】
[Indefectiblity]の意味は『不滅』だけでしょうか?

【お返事】
Indefectibilityの意味は、聖ピオ十世の公教要理にある通りです。キリストの教会が破壊され得ないということは、もちろん信仰や道徳が純粋に保たれるということもありますが、信仰という目に見えないものを超えて、ペトロの上に立てられた目に見える社会的制度として、使徒継承の位階制度が世の終わりまで保たれるということも含みます。

CATHOLIC ENCYCLOPEDIA の the Church の項には Indefectibility of the Church について言及があります。ご覧くだされば幸いです。少し引用します。

By this term [of indefectibility] is signified, not merely that the Church will persist to the end of time, but further, that it will preserve unimpaired its essential characteristics. The Church can never undergo any constitutional change which will make it, as a social organism, something different from what it was originally. It can never become corrupt in faith or in morals; nor can it ever lose the Apostolic hierarchy, or the sacraments through which Christ communicates grace to men. The gift of indefectibility is expressly promised to the Church by Christ, in the words in which He declares that the gates of hell shall not prevail against it. [...]


(続く)


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【質問】公会議とルフェーブル大司教の態度について

2012年10月20日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 御質問を頂きましたので、お答えしたいと思います。

【質問】
 公会議の決定事項が一応有効なら、新しいミサが一応有効なら、ルフェーブル師の行動は過剰防衛で、やはり違法になり、教会法に定められた制裁措置は適法となります。

 ピオ十世会側は悪意の有無や、緊急事態と反論していますが、それらはもっと基準というか定義が違うと思うのです。

 また仮に公会議に問題があったとして、するとピオ十世会は正しくなるのでしょうか。例えば、非常に真面目で、公会議を全否定し、聖伝を重視する人達は他にも沢山います。教皇空位派、ピオ5世会、でも彼らは正しくはないわけでしょう?

 公会議に深刻な問題があったとしても、だからピオ十世会が正しいことと同義ではないと思うんです。

 ルフェーブル大司教がなぜ一度目は違法に叙階し聖務停止になり、二度目は違法に聖別して破門されたのかが、私にはどうしても理解ができません。これらは、カトリック的な行動に、キリスト者的な行動にはとても見えません。

 クリスチャンは努力は可能な限りしないといけませんが、非常事態においても法を逸脱してはいけないのではないでしょうか。アブラハムは嫌でありながら自分の息子イサクを薪にくべ、イエズス様も嫌ではありながら御父を信じて、十字架にかかる選択を採りました。ルフェーブル大司教とちょうどま逆です。ピオ神父様もデルコル神父様も、皆同じようになさっています。

 どうしても・・・ルフェーブル大司教の行動は聖伝に反します。イエズス様は仰いました。自分は石ころからでも、選ばれた民を作れるのだ、と。自分の死後は聖伝が・・・それは人間的過ぎる、信仰を逸脱した心配ではないでしょうか。

 これは、部分的であれ教皇様の教導権を受け入れていない、ということであり、離教の構成要件になっている可能性があります。一部の枢機卿が、離教徒ではない、とインタビューの中でコメントしたとかの話も聞きましたが、枢機卿の意見は枢機卿の意見、それは教会法でも教皇様の教令でもありません。違った意見の聖職者もいますし、結局どちらが正しいか分けるのは神様の目であり、その下にある聖伝や教会法でしょう。

 例えば、堕胎の罪を犯した女性がいたとします。でもそれを知った指導司祭が仮にリベラルで破門を宣言しなかったとします。その女性は破門は教会から宣言されてはいませんが、でも神の目から見て自動破門状態にはあるわけです。とすれば、ピオ十世会は、そして私は・・・とするとわからないわけです。


【回答】
 ご質問をありがとうございます。

 ルフェーブル大司教と聖ピオ十世会と私たちとが苦しんでいるのは、現在のカトリック教会の危機の結果です。私たちは、この危機の影響のゆえに苦しみの中にもまれているだけなのです。

 ルフェーブル大司教様の行動は、過剰防衛ではありませんでした。非常に現実的で、カトリック的でした。

 何故なら、ルフェーブル大司教の最も基本的な態度(そしてそれを受け継いだ聖ピオ十世会の態度)は、「天主のお恵みにより、私たちはカトリックとして留まりたい、カトリック信仰を保ち続けたい」だったからです。

 現代のつらい教会の危機における、ルフェーブル大司教と聖ピオ十世会の基本的な行動・思想原理は、聖トマス・アクイナスの教えた原理であり、それをルフェーブル大司教が取りつづけました。

 すなわち、信仰を間近に危機にする場合を除き、教会の権威に逆らうことは許されない(One may not oppose the authority of the Church except in the case of imminent danger to the Faith) ということです。

 信仰を危険に陥れるような間近に迫る場合とは、もしかしたら将来このような危険があるだろうなどという仮定のことではなく、目の前にカトリック信仰を否定するようなことを突きつけられるという場合のことです。

 ルフェーブル大司教が反論したのは、ジャーナリストがおかしく編集した教皇の発言の一部や公会議の一部の引用ではなく、第二バチカン公会議に参加しつつ、その全てを読んで研究したうえでの、正統な手段での反論と論駁でした。

 その時、いつもカトリック信仰とカトリックの権威とに対する敬愛がありました。何故なら、

(1)第二バチカン公会議の中央準備委員として数年に亘り公会議を準備し、第二バチカン公会議の教父として参加し、リベラル派による公会議の乗っ取り(ハイジャック)をその目で見て、これらに対し、合法的な全ての手段を使ってその訂正を試みたから。

(2)新しいミサがの先駆けである「規範ミサ」を評価する会議において、合法的な全ての手段を使って新しいミサが押し付けられるのを阻止したから。

(3)聖伝のミサが、聖ピオ五世の大勅令によってカトリック司祭の義務であり、永久の有効特権をもっていること、そして、新しいミサの発布はパウロ六世の使徒憲章によってたんなる「許可」でしかないことをよく知りつつ、聖伝のミサを捧げ続けただけだから。

(4)単なる想像ではなく、オッタヴィアーニ枢機卿など倹邪聖省の長官が新しいミサのことをカトリックの信仰から遙かに離れているとパウロ六世に指摘していた事実からも分かるように、新しいミサを作ったブニーニが断言しているように、カトリック性を取り払ったエキュメニカルな儀式がゆえに、それを拒否しただけだから。

(5)ローマからの使者やパウロ六世が、新しいミサを捧げれば、ローマとエコンとの関係は全て問題なくなる、新しいミサをさえ捧げれば、司祭の叙階もしても良いし、何をしても良い、としてきたとき、「新しいミサ」を捧げるのを拒否しただけだから。

(6)第1回のアシジの集会(1986年)が現実に開かれた(その種の集会は過去の教皇たちによって排斥されてきました)のを見て、カトリックの司教を聖別する印を、ようやく認めたからです。


 確かに、一時、特にパウロ六世の時代、何故教皇様がカトリック教会をこのように危機に陥れることが出来るのか?とルフェーブル大司教は悩んだ時があります。しかし「おまえは教皇ではない」とも「私たちこそがカトリック教会だ」とも「私が言うとおりに教会を運営せよ」とも、言いませんでした。

 何故なら、ルフェーブル大司教も聖ピオ十世会もカトリック教会の一部であって、教皇でもなければ、教会当局でもないことを認めていたからです。

 何故なら「おまえは教皇ではない」と判断したり発言したりすることは、私たちカトリック信徒・司祭・司教の義務でもなければ、そのような判断する権威も持たないからです。

 「ただ単なる一カトリック司教」(1988年6月30日のルフェーブル大司教の発言)として、カトリック教会の中に聖伝が戻ってくるように働きかけていたのです。ですから、第二バチカン公会議後のいろいろな革新的な「実験」や「試み」が自由に行われているのを見て、私たちに「聖伝の実験」をするのを許してほしい、とか、ローマからの要請に従って、第二バチカン公会議の幾つかの点についての「疑問点」を文書の形(『ドゥビア』)で提出したりしました。

 ルフェーブル大司教と聖ピオ十世会とは、カトリック教会が、教会当局が、教会の真理を認めるように働きかけ続けてきましたし、働きかけ続けています。例えば、聖伝のミサが決して廃止されたことがなかったことは、私たちはよく知っていました。しかし、以前はそれに反対のことが信じられていました。教皇様が、聖伝のミサが決して廃止されたことがなかったという事実を確認したことは、聖伝にとっては前進です。

 ルフェーブル大司教様は、教皇聖座空位主義は拒絶しました。御自分の判断で、全く自由に、強制されずに、この考えを拒絶しました。しかも、教皇聖座空位主義を信じているような司祭や神学生たちを聖ピオ十世会から退会・退学させました。何故なら、そのような態度の原理にあるものは、カトリック的ではないからです。

 まさに現在のカトリック教会の危機の結果、ルフェーブル大司教と聖ピオ十世会は苦しんでいるのです。

 ルフェーブル大司教は、努力は可能な限りしました。1988年にカトリックの司教を聖別したのも、その可能な限りの努力の表れです。しかも、アシジの集会をしたローマと、一人の司教を聖別して良いという同意を得ることもしました。

 以上、お答えになっていることを祈ります。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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ファティマの聖母が要求した「聖母の汚れなき御心へのロシアの奉献」について回答します

2012年07月31日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今回は、ファティマの聖母が要求した「聖母の汚れなき御心へのロシアの奉献」について、答えることをお許しください。

【質問】
 ロシアの奉献については賛否両論あります。ただし一部の方はこの「ロシアの奉献」が1952年7月7日の『最も親愛なるロシア国民に宛てた 使徒的書簡(Apostolic Letter Carissimis Russiae Populis on the Immaculate Heart and the People of Russia)』により、ピオ十二世のこの言葉「そして今、私たちはロシア全国民をこの同じ汚れなき御心に献呈しかつ奉献致します(so now We dedicate and consecrate all the peoples of Russia to that same Immaculate Heart)」を以って果たされたと主張しています:

教皇ピオ十二世の本名は、ウジェニオ・マリア・ジュゼッペ(ヨゼフ)・ジョヴァンニ・パチェリ(Eugenio Marìa Giuseppe Giovanni Pacelli)。「ヨゼフ」という名の教皇がロシアを奉献するという私的啓示の内容が取り沙汰された事がかつてありましたね。「世界中の司教と共にロシアを聖母の汚れなき御心に奉献する」という条件についてはいろいろ説がありますが、本来の聖母のメッセージには「世界中の司教と共に」という句はなかったと彼らは主張しています。もしこの奉献が為されていたのだとすれば、先日小野田神父様が説明されていた、ピオ十二世による汚れなき御心への世界の奉献後の世界情勢に好転のみならず、ソ連崩壊や、現在のロシアに於けるプーチン登場などは、ある意味聖母に約束された「一時的な平和の時期」と考える事も出来ます。つまり「ロシアの回心」は実現していたという事です。


【回答】
 ファティマの聖母マリアの教皇様への要求は、明らかです。それは次の通りです。

 つまり、(1)教皇様が、(2)ロシアを、その名前を特別に言及して、(3)世界中の全司教たちと一致して、(4)聖母の汚れなき御心に奉献(聖別)する、ということです。

 何故なら、聖母マリアご自身が、シスタールシアに1929年に次のように伝えたからです。

"The moment has come when God asks the Holy Father to make, in union with all the bishops of the world, the consecration of Russia to My Immaculate Heart, promising to save it by this means."


 1917年7月13日、ファティマで、聖母マリアは、「私は、汚れ無き御心へのロシアの奉献(聖別)をお願いに来ます」と、預言(約束)しました。

 その12年後、1929年6月13日、スペインのトゥイというところで、シスタールシアに現れて、「天主が、この方法によってロシアを救うことを約束しながら、教皇様に、世界中の全ての司教たちと一致して、ロシアを私の汚れなき御心に奉献(聖別)することを要求する時が来ました」と伝えました。

É chegado o momento em que Deus pede para o Santo Padre fazer, em união com todos os bispos do mundo, a consagração da Rússia a meu Imaculado Coração, prometendo salvá-la por este meio. São tantas as almas que a Justiça de Deus condena pelos pecados contra mim cometidos, que venho pedir reparação: sacrifica-te por esta intenção e ora.

(聖母はポルトガル語でお話になったはずですので、ここではポルトガル語を載せます。)


 1931年、私たちの主イエズス・キリストは、スペインのリアンホ(Rianjo)というところでシスタールシアに現れて「フランスの王に倣って私の命令を執行するのを遅らせると、フランスの王と同じような不幸に陥るだろう」と警告しました。(聖マルガレタ・マリア・アラコックを通して、フランスの王がフランス王国をイエズス・キリストの御心に奉献することを要求したがその実施はなされなかった。要求の後、ちょうど100年後、フランスには革命が起こり、王座は廃止させられてしまったことを指している。フランス王は、革命軍に拘束され、獄中でフランスをイエズスの御心に奉献した。しかしその時には既に王位は奪われていた。)

 さらにイエズス・キリストはシスタールシアに次のようにも言います。「フランスの王のように、彼らはそれを後悔し、奉献をするだろう。しかし、それは遅れるだろう。ロシアは既に世界中に誤謬をまき散らし、戦争と教会に対する迫害を挑発してしまっているだろう。教皇は大変多く苦しまなければならないだろう。」


 1940年12月2日、シスタールシアは、当時の教皇であったピオ十二世に手紙を書き、次のように伝えています。英語訳を掲載します。

"I take this opportunity, Most Holy Father, to ask you to bless and extend this devotion to the whole world. In 1929, through another apparition, our Lady asked for the consecration of Russia to Her Immaculate Heart, promising its conversion through this means and the hindering of the propagation of its errors.

Sometime afterwards I told my confessor of the request of our Lady. He tried to fulfill it by making it known to Pius XI.

In several intimate communications our Lord has not stopped insisting on this request, promising lately, to shorten the days of tribulation which He has determined to punish the nations for their crimes, through war, famine and several persecutions of the Holy Church and Your Holiness, if you will consecrate the world to the Immaculate Heart of Mary, with a special mention for Russia, and order that all the Bishops of the world do the same in union with Your Holiness.”

 ここでも、シスタールシアは、教皇様に、ロシアという名前を特別に言及し、世界中の全ての司教たちに教皇と一致して同じことをするように命じて、ロシアを聖母の汚れなき御心に奉献(聖別)することをお願いしています。

 もしも、私たちの主イエズス・キリストがフランス王に対して100年の猶予を与え給うたとしたら、1929年から100年後、つまり2029年までは、あと17年しかありません。聖母の汚れなき御心よ、我らを憐れみ給え!

+ + +


 ところで「ヨゼフ」という名の教皇がロシアを奉献するという私的啓示については、知りません。

 しかし、聖ピオ十世が、自分と同じ名前を持つ後継者の教皇が崩壊した大都市ローマを屍の上を逃げる、という私的啓示を受けたことは、話題にしたことがあります。

「私が見たものはおそろしいことだ! これは私に起こるのだろうか、それとも私の後継者のことだろうか。確かなことは、教皇はローマを離れるだろうということ、バチカンを去りながらその教皇は自分の司祭たちの死体の上を踏んで歩かなければならないだろうということだ。」

「私は、私と同じ名前を持った私の後継者の一人が自分の兄弟たちの体の上を踏み越えて逃げる様子を見た。彼はある隠れ場所に逃げるだろう。しかししばらく後に残酷な死を遂げるだろう。天主に対する敬意が人々の心から消え去った。これこそは、この世の終わりの始まり以外の何ものでもない。」

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 今回はここまでにします。読んで下さってありがとうございます。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【参考資料】
Fatima Consecration - Chronology
The Consecration of Russia:The Request of Our Lord and Analysis of this Request
Essentials: The Facts: The Consecration of Russia
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聖ピオ十世会2012年の総会の決議についての御質問に答えることをお許しください

2012年07月25日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今回は御質問に答えることをお許しください。質問に答える前に、まずこのことを言わせて下さい。ジョン・ヴェナリ氏が言うように、今回、バチカンは聖ピオ十世会のカトリックとしての最も痛いところを突いてきたのです。聖ピオ十世会の力を使って、投げ倒そうとしたかのようです。聖ピオ十世会はカトリックの修道院ですから、もちろんローマを大切にしています。聖ピオ十世会は、ローマの聖伝への復活を信じています。聖ピオ十世会は、民主主義の影響を受けた(第二バチカン公会議による)団体主義に汚染された教皇制度ではなく、本来の君主制としての教皇制度の復活を期待しその復活を信じています。
 私たちは、永遠のローマを愛情を込めて信じています。歴代の教皇様と殉教者とを生み出した真理の教師であるローマです。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【質問】
 次回の合意交渉への可能性を伺わせる部分があります。・・・ローマが再度、合意条件を改善して来るなら、ローマの回心を待たず、それに応じるのでしょうか?

【回答】
 この宣言を読めば、確かに、次回のローマとの同意交渉の可能性を残しています。それは、カトリックとして当たり前の話です。

 ただし、クチュール神父様との会話によると、今年の総会で2006年の総会の宣言は再確認された、総長のフェレー司教様は今回ローマから大変に痛い経験を受けた、ローマが第二バチカン公会議を放棄したかのように思い込まされていたが、そうではないことがはっきりとした、ベネディクト十六世の第二バチカン公会議への思い込みと、その年齢とを考えると、現教皇のもとでの同意は全くあり得ない、聖ピオ十世会がローマと同等の立場にあるわけではないので、ローマに回心せよ、と条件を突きつけるわけにはいかない、ローマにも理解できるような表現を選ばざるを得なかった。

【1】聖ピオ十世会の最も大切なカトリック教会への奉仕は、信仰を守ることである。私たちは、天主の御助けを持って、永遠のローマに従う。

「カトリック信仰を、現代においてまさに圧迫されているカトリック信仰を、これに対する止むことのない攻撃の苛烈さに対抗するという決心とともに、天主のおん助けをもって、純粋かつ完全な形で告白し続けることである。」

【2】聖ピオ十世会は聖伝に留まり、第二バチカン公会議を拒否し続ける。

「聖ピオ十世会は、誤謬に汚染されたままに留まる第二ヴァチカン公会議のあらゆる新規なことに関し、また公会議より発布された改革に関し、教会の不変の教導職の教えと宣言を支持し続ける。我々は、連綿と受け継がれたこの教導権のうちに確実な指針を見いだす。」

●「ローマ・カトリック教会、我らの主イエズス・キリストが創設した唯一の教会、その外には救霊も救霊に導くいかなる手段も見いだせない教会における我々の信仰」
(「キリスト教以外の諸宗教に関する教会の態度についての宣言」Nostra Aetate の「聖霊は他の宗教も救いの手段として使う」の否定)

●「教会が我らの主ご自身がそれを望んだ君主制的組織であること、このことにより地上におけるキリストの代理者たる教皇のみが、普遍的教会を統治する至高権力を持つという信仰」
(「教会憲章」と新教会法典の団体主義と二頭教会の否定)

●「自然的及び超自然的秩序双方の創造主、全人類と社会全体が服従すべきお方、我らの主イエズス・キリストの宇宙的王権における我々の信仰」
(「信教の自由に関する宣言」の信教の自由と諸国の背教の否定)

【3】聖ピオ十世会は、離教呼ばわり、異端呼ばわり、村八分、その他の精神的物理的迫害を受けることを厭わない。

「我々は世界中のさまざまな国々で、現在、カトリック信仰のために苦しみを受け、殉教までにさえ及ぶ迫害を受けているキリスト教徒たちに結ばれることを望む。祭壇の主の犠牲に一致して流された彼らの血は、教会の頭とその成員たちのまことの刷新のための保証である。古くからの格言によれば「殉教者の血はキリスト信者の種」だからだ。」

【4】聖ピオ十世会は、公開的でオープンで真面目な神学の討論をローマとするだろうが、それは教会当局が聖伝へと戻るためである。(聖ピオ十世会が第二バチカン公会議の飲み込むためではない。)
(ただし、これが出来るために、聖ピオ十世会は自由を持っていなければならない。「従順」の名前によって、第二バチカン公会議の批判を禁じられることは出来ない。)

「聖ピオ十世会は、教会当局が聖伝への回帰することを許すような開かれた真面目な討論が可能となる来る日を待ちながら、教会の常なる聖伝のうちに、聖ピオ十世会の指針をも見いだす。聖伝は、時の終わりまで信仰の保存と霊魂の救いのために要求される教えを伝達し、これからも伝達するからだ。」


【5】聖ピオ十世会はルフェーブル大司教とともに、教会の復興のために、自分たちの力によると言うよりも、むしろ聖母の汚れなき御心の介入に期待する。
(今の聖伝の信仰を失ったローマを元に戻すことが出来るのは、聖母の汚れなき御心だ。私たちはローマが聖伝の信仰に戻ることを期待して祈り働く。近代主義は終わりを告げなければならない。ただし、そのためには天主の介入が必要だ。天主がお望みになれば、死者もよみがえる、水はブドウ酒となる。)

「私たちは今日、外部からの敵よりも、さらに徹底的に教会を滅ぼそうとする教会の内部の敵どもを追い払ってくださるため、聖母に介入してくださるよう懇願する。聖母が離教と異端から私たちを遠ざけ、保護してくださるため、信仰の完全性のうちに、教会への愛のうちに、ペトロの後継者への忠誠のうちに、聖ピオ十世会の全会員たち、兄弟会とともに働くすべての司祭、信者たちを聖母が守り給わんことを。」


【6】もしも、聖ピオ十世会が教会法の上での正常化があるとするならば、総長の一人の判断ではなく、特別総会の投票によって決議される。

「我々は、将来あり得る教会法的正常化のための必要条件を決定し承認した。つまり、その場合、審議投票をする特別総会をその前に招集する、と決断した。」


【7】聖ピオ十世会は、その日が来るまで、自分自身の霊魂の聖化に務める。
(天主は、将来、教皇の座に聖伝のカトリック信仰の持ち主を着かせるだろう。天主にはそれができる。人間の眼には不可能に見えても。天主のお望みの方法で、お望みの時に、お望みの手段を使って。カトリック信仰の復興と、教皇制度の復興は、必ずやってくる。エノクとエリアが私たちを助けるためにやってくるのかもしれない。聖母の汚れなき御心の御取り次ぎで。聖母マリア様だけが私たちを助けることが出来る。復興された教皇制度により、司教団体主義やエキュメニズム、自由主義や人間中心主義は排斥され、時の終わりの聖人達が準備されるに違いないだろう。私たちは天主のご計画に信頼を置く。私たちに必要なのは、聖人だ。私たちに必要なのは、高い聖徳である。)

「霊魂の聖化は常に我々の内から始まるものであるということを、我々は必ず記憶すべきである。これこそ、愛徳のわざによって活気づけられもたらされる信仰の実りである。」



【質問】
 今回、司祭会同僚たちへの相談と合意なしに教義前文にはサインしないと約束されていた総長様が、何時の間にかそれにサインされていたというこの事実は、多くの司祭会会員及び賛同者たちにとって理解に苦しむポイントだと思います。

【回答】
 「司祭会同僚たちへの相談と合意なしに教義前文にはサインしない」という約束はありませんでした。
 「教義的前提」あるいは「教義前文」に関しては、何らの約束がありませんでした。
 ただし、総長は、もしもローマとの同意のサインをするような場合には、総会を招集する、という約束はしていました。

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【質問】「あまりに多くの失望を味わったので罠かもしれないという疑い」とはどういうことなのでしょうか?

2012年07月05日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今回は御質問に答えることをお許しください。御質問については、少し私が編集しました。

【質問】聖ピオ十世会の総長であるフェレー司教様は、最近のインタビューの中で次のように仰いました。
フェレー司教: 実際そのような考えに影響される人はいるかも知れません。しかし、今に始まったことではありません。その数は多くはないと思いますが、彼らは害悪、特に間違った噂を広めることで害をもたらし得ます。しかし、私たちの中での主な懸念は、何が起こるかわからない、罠をしかけてくるかも知れないという恐れとともに、ローマ権威者たちへの信頼を疑う気持ちがあるということです。個人的には、そういうことはないと確信しています。が、兄弟会としてはローマに不信感を抱いています。あまりに多くの失望を味わったからです。罠かも知れないと疑ってかかる人々の理由はこれです。私たちの敵が、この申し出を罠として利用するつもりかも知れないというのは正しいのですが、教皇様は、本当にこの教会法上の承認を望んでおり、罠として私たちにそのことを申し出たのではありません。
【フランス語】

 小野田神父様、神父様のブログ中には、いつも気になる記述があります。
「聖座を信頼できないから」「・・・という経緯により、バチカンは信用できないので」「ローマ当局に対する不信感」「あまりに多くの失望を味わったので罠かもしれないという疑い」など。

 聖伝とは言いますが、ペトロの座への信頼も、カトリック教会がながらく必死に保存してきた大切な聖伝のひとつです。ピオ十世会は、何番手かの聖伝は守りますが、より大切な聖伝を守ろうとしません。

 ベネディクト十六世は、正当な教皇様なのでしょう?もしもそうなら、イエズス・キリストはベネディクト十六世の口を通して今でも語り続けているのではないでしょうか?もしも教皇様が聖ピオ十世会に関して正当な、良い望みを示すなら、どうしてそれを拒むことが出来るでしょうか?

【お返事】
 ご質問をありがとうございます。

 最初に、現代の教会の問題は、第二バチカン公会議にある、ということを言わなければなりません。聖ピオ十世会は、現在の教会の危機の原因が、第二バチカン公会議の公式文書そのものにある、第二バチカン公会議によってカトリック信仰の純粋性が濁ってしまったことにあると考えます。従って、カトリック教会が健康を取り戻すために、第二バチカン公会議の毒を早く吐き出すことが出来るようにすることが必要です。

 聖ピオ十世会が「聖座を信頼できないから」「・・・という経緯により、バチカンは信用できないので」「ローマ当局に対する不信感」「あまりに多くの失望を味わったので罠かもしれないという疑い」などは「聖ピオ十世会をして第二バチカン公会議の毒を飲み込ませようとしているのではないか、という不信、疑い、またそうさせようとする罠」のことを意味しています。

 聖ピオ十世会は、カトリック信仰の純粋性を守るために、カトリックとして留まろうとするがために、今あるような立場に置かされてしまいました。

 聖伝のミサは、法によって禁止されていないにもかかわらず、法に反して実際上禁止されてきました。

 カトリック教会法典に反して、聖ピオ十世会は「廃止」されました。

 カトリック教会法典に反して、聖ピオ十世会の4名の司教たちは「破門」されました。

 今まで教会当局は、カトリック教会法典の文字とその目的に反して、カトリック聖伝を迫害してきました。だから聖ピオ十世会はそのような第二バチカン公会議のローマを信頼することが出来なくなってしまったのです。「ローマに不信感を抱いています。あまりに多くの失望を味わったからです。」(フェレー司教)

 マカベオ兄弟達は、安息日の掟を「破って」までも、エルサレムの神殿を守るために闘いました。
 私たちの主イエズス・キリストは、安息日の掟を「破って」も、病の人々を癒しました。
 ルフェーブル大司教様は、緊急の状態のために、聖伝の信仰と歴代の教皇様の教えに従順であるために、見かけ上「不従順」を犯してカトリック信仰を守りました。救霊のために司教を聖別しました。

 19世紀のカトリック教会は、ピオ九世のシラブスに賛成か反対かで分断されました。シラブスは、フランス革命の精神を排斥しており、当時の多くのカトリックは歴代の教皇様の教えに従い、シラブスを支持しました。一部のみがシラブスに反対し、革命精神を取りました。

 第二バチカン公会議では、ラッツィンガー枢機卿(当時)の言うように、カトリックの教えにフランス革命の精神を合体させようとしました。第二バチカン公会議は「反シラブス」(ラッツィンガー枢機卿)だったのです。歴代の教皇様の教えに従おうとする人々は、ルフェーブル大司教と共に、シラブスを支持し、反シラブス(=第二バチカン公会議)を拒否しました。

 現代、カトリック教会は大きな危機を体験しています。それは信仰の喪失、背教の危機です。聖伝のカトリック信仰は、全てを天主であり王たるキリストにおいて復興させようとしますが、第二バチカン公会議は、人間の尊厳と良心の自由とにおいて全てを築こうとしています。

 聖ピオ十世会は、典礼だけのことにこだわっているのではありません。聖伝のミサの背後にあるカトリック信仰にこだわっているのです。新しいミサの背後にある新しいエキュメニカルな人間中心の「神学」を拒否しているのです。

 私たち聖ピオ十世会は、天主の御助けによって、歴代の教皇様の教え続けてきたカトリックの信仰を守りたいと願っています。全教会法と従順とは、この使徒継承のカトリック信仰を守るために存在しています。

 さて、御質問の答えですが、何故「不信感」があるのかは、2つの理由があります。

 第1は、ベネディクト十六世の思想と神学のためです。

 第2は、過去に聖伝の共同体に起きたことのためです。

***


 現在、聖ピオ十世会の「正常化」“regularization,”の話が持ち上がっています。(「正常化」とはどういうことかと言うと、聖ピオ十世会はカトリックの一部ですが、聖伝のミサや聖伝の信仰が不当に排斥され、迫害され、禁止されてきたので、聖ピオ十世会が今まで行ってきたのは、言わば緊急状態の「応急手当」だったのですが、それらの「応急手当」は確かに必要なものであったし、これからも必要なので、これからもそれらの活動をし続けることが出来るように「応急手当」を「正式な病院として組織化」する、という話です。)そして、この「正常化」の条件として、聖ピオ十世会は第二バチカン公会議も新しいミサも受け入れる必要が無い、と非公式に伝えられています。

 もちろん、ティシエ・ド・マルレ司教様と共に言わなければならないのは、イレギュラーな状況にいるのは、聖ピオ十世会ではなく、他宗教とのエキュメニズムや人間の尊厳の原理という第二バチカン公会議の原理によって動いているローマ当局の方です。歴代の教皇様が排斥してきたことを、実践している「公会議の教会」の方です。(「公会議の教会」とは、パウロ六世の命を受けて、パウロ六世の名前でルフェーブル大司教に手紙を書いてきたベネリ司教が言った言葉(1976年6月25日)で「公会議の教会への正真正銘な忠実さ」(genuine fidelity to the Conciliar Church)を訴えて使った言葉です。)

 確かに、教会当局が聖ピオ十世会が確かにカトリックであると公式に発言することは正義であり、それを求めるのは聖ピオ十世会にとっての当然の権利です。しかし、そのような発言がなかったとしても、聖ピオ十世会はカトリック教会の一部であり、聖ピオ十世会は一度もカトリック教会を離れたこともありません。それどころが、カトリック教会の最も大切な中心地に位置しています。

 ルフェーブル大司教は、聖ピオ十世会が「公会議の教会」をカトリックにする為に、「公会議の教会」のシステムの中に入らなければならないと考えるのは、それは全くの幻覚だと言います。何故なら、長上たちを作り上げるのは配下の者ではなく、長上たちが配下の者を作り上げるからです。


 さて、話をベネディクト十六世に戻すと、教皇様が聖ピオ十世会の活動にお墨付きを与えたい、聖ピオ十世会が現在の教会の危機からカトリック教会を救うために教皇様を助けることを教皇様が望んでいる、だから、聖ピオ十世会が第二バチカン公会議を受け入れる必要はない、と非公式的に伝えられています。この聖ピオ十世会の活動の「公認」は、聖ピオ十世会をして第二バチカン公会議を飲み込ませる罠ではない、と言うわけです。

 ベネディクト十六世は、私たちの正当な教皇様ですが、しかし、それと同時に第二バチカン公会議を信じている人間です。

 例えば、ラッツィンガー枢機卿の1986年の著書『カトリック神学の原理』(Principles of Catholic Theology)の中で、次のように書いています。(Maria Mater tua est!さんの訳を参考にしました。)

「【現代世界憲章】全体は、言うなれば(信教の自由と世界の諸宗教に関する文書と合わせて)ピオ九世によるシラブスの改訂版、つまり一種の反シラブスなのです . . . ですからこの文書は反シラブスとして役立ち、それ自体として、フランス革命の1789年に開かれた新しい時代と公教会との正式な和解の試みを代表しているのだとここでは言うことで満足しましょう。」(381ページ)

 ラッツィンガー枢機卿は同書で「ピオ九世と聖ピオ十世の下で、公教会によって取られた立場の偏った見解」と語り、シラブスは「教会と国家間の時代遅れな関係」を代表していると主張します。

 有名な『信仰について』というメッソーリとの対話の本(1984年)の中で、はっきりとこう言っています。
「第二バチカン公会議が教会と世界との関わりの見直しを望んだのにはそれなりの理由があった。事実、たとえ教会外に生じたとしても、それが正しくふるいにかけられれば、教会のビジョンの中に受け入れられる諸価値も存在する。このいく年かにこの任務は実施された。それにしても、教会と世界という二つの現実が葛藤無しに出会い、さらにはためらうことなく一体化すると考えるものは、教会も世界も知ってはいないことになろう。」(日本語訳49ページ)
 この「教会外に生まれた」二世紀にわたるリベラルな文化を、この世に関する教会のビジョンの中に合体させようとすること、その不可能な和解が第二バチカン公会議によってなされた、というのです。しかし「光と闇との間にどのような和解があり得るのでしょうか?」「キリストとベリアルとにどのような同意があり得るでしょうか?」(コリント後書6:15)

 『カトリック神学の原理』の中で、ラッツィンガー枢機卿は「シラブスへの如何なる帰還もあり得ない」(191ページ)とはっきり言っています。では、ベネディクト十六世にとって、第二バチカン公会議は過去と断絶しているのでしょうか? ベネディクト十六世は、第二バチカン公会議はシラブスと矛盾している反シラブスであるが、これは「不連続と断絶による解釈」ではなく、「改革による解釈」をしなければならない、と言います(2005年12月22日の訓話)。つまり、その時代その時代の思潮に従って信仰の真理は進化する、という解釈です。


 ところで、他の全てのカトリックが第二バチカン公会議を信じなければならないのに、ただ聖ピオ十世会だけが第二バチカン公会議を受け入れる義務から免れることが出来るのでしょうか?

 ベネディクト十六世は2009年に全世界の司教たちに、エクレジア・デイ委員会の下に入ってきた「聖伝」の修道会らについて、次のように書きました。

「私自身、1988年以降、以前はローマから離れていた複数の共同体が戻ってきたおかげで、これらの共同体の内的雰囲気が変化したこと、偉大で広大な共通の教会へと戻ってきたことが、一方的な立場を越えさせ、頑なな態度は和らげ、続いて全体にとって肯定的な勢力としてそこから姿を現したということを見てきました。」

 ティシエ・ド・マルレ司教様の証言によれば、2005年8月ローマでベネディクト十六世がフェレー司教様と面会したとき、教皇様は聖ピオ十世会総長に、聖ピオ十世会を第二バチカン公会議へと引導するという意向を伝えています。

 最近出版された『ベネディクト十六世聖下、教皇様の秘密文書』("Sua Santità. Le carte segrete di Benedetto XVI" by Gianluigi Nuzzi, Edito da Chiarelettere, 2012)pp 207-208 には、次の文章
「聖ピオ十世会の将来の承認のために、教皇聖下は必要不可欠な条件として何も求めない」
"Per un futuro riconoscimento della Fraternità San Pio X il Santo Padre non intende prescindere da una condizione indispensabile"
を、ベネディクト十六世自身が次のように訂正したという秘密メモが流出してしまっています。
「聖ピオ十世会の将来の承認のために、必要不可欠な条件は、第二バチカン公会議とヨハネ二十三世、パウロ六世、ヨハネ・パウロ一世、ヨハネ・パウロ二世、そしてベネディクト十六世自身の教導権を完全に認めることである」
"Per un futuro riconoscimento della Fraternità San Pio X è condizione indispensabile il pieno riconoscimento del Concilio Vaticano II e del Magistero dei Papi Giovanni XXIII, Paolo VI, Giovanni Paolo I, Giovanni Paolo II e dello stesso Benedetto XVI."

 『カトリック神学の原理』には次のようにあります。「もしも私たちが教会を救わなければならないのなら、第二バチカン公会議は私たちが引き返さなければならない間違った道だったのだろうか? そうだと言う人々の声はますます大きくなり、彼らに従う人々はますます多数になっています。最近数年のもっとも顕著な現象の中で、聖伝主義者のグループの数が増加していることを挙げなければなりません。彼らの中では、敬虔さと神秘の感覚とを求める望みが満たされているのです。私たちはこれらの運動を矮小化しないように注意しなければなりません。疑いもなく、彼らは、セクト的な熱心を代表しており、これはカトリック性の反対(アンチテーゼ)です。私たちは彼らに対して、堅く抵抗してしすぎることはありません。」(page 389)

 実際、エクレジア・デイ委員会の傘下に入ったとたん、今まで第二バチカン公会議に反対していたような人々は、次々とこれを受け入れざるを得ない立場に置かれてしまいました。

 ジョン・ヴェナリ氏は、1994年、或る司祭がエクレジア・デイ委員会の事務所で、新しく「正常化した」(エクレジア・デイの傘下に入った)セイヴィンチオ・フェレール会(Society of Saint Vincent Ferrer)が「今や第二バチカン公会議の信教の自由を擁護する記事を書いている」と自慢しているのを見ています。


 ル・バルーのベネディクト会の修道士も、「正常化」の後に、第二バチカン公会議の信教の自由や新しい公教要理を擁護さえし始めました。ル・バルーの修道院長ドン・ジェラールや聖ペトロ会は、彼ら曰く、何も妥協することなく旧典礼とふるい公教要理を守ることが出来るように特権を得た、と言っていました。しかし、ルフェーブル大司教はこう言います。「彼らが何も手放すことがなかったというのは、正しくありません。彼らは【近代主義の】ローマに反対する可能性を手放してしまったのです。彼らは、もはや何も言うことが出来なくなりました。彼らに対して特典が与えられたのですから、彼らはただ口を閉ざさなければなりません。公会議の教会の誤りを告発することは、彼らには今や不可能です。少しずつ彼らは、正にラッツィンガー枢機卿によって要求された信仰宣言によって、【公会議の誤りを】支持するようになります。ドン・ジェラールは、自分の修道院の修道士が書いた信教の自由についての小冊子を発行し、それを信教の自由を正当化しようとする最中だと思います。」

【Monseigneur Lefebvre : Quand ils disent qu'ils n'ont rien lâché, c'est faux. Ils ont lâché la possibilité de contrer Rome. Ils ne peuvent plus rien dire. Ils doivent se taire étant données les faveurs qui leur ont été accordées. II leur est maintenant impossible de dénoncer les erreurs de l'Eglise conciliaire. Tout doucement ils adhèrent, ne serait-ce que par la profession de foi qui est demandée par le cardinal Ratzinger. Je crois que Dom Gérard est en passe de faire paraître un petit livre rédigé par l'un de ses moines, sur la liberté religieuse et qui va essayer de la justifier.】

 ブラジルのカンポスでも「正常化」の後に、第二バチカン公会議を受け入れることになりました。カンポスのリファン司教は、新しいミサを捧げることに反対しなくなり、第二バチカン公会議を批判することを司祭たちに禁止するようになりました。

 「良き牧者会」(Institute of Good Shepherd)でも、同じことが起こりました。

 エクレジア・デイ委員会の秘書、モンシニョール・グイド・ポッゾ(Guido Pozzo)は、良き牧者会(IBP)の長であるフィリップ・ラゲリ(Philippe Laguérie)神父に、2012年3月23日付けで、この修道会の教会法による訪問(canonical visitation)の結果として公式の勧告を伝えました。この訪問は、良き牧者会の認可の時にローマによって定められた5年の試験期間の終わりになされたものでした。
 良き牧者会は、2006年9月に、ローマと同意に達した元聖ピオ十世会の会員たちによって創立され、創立のメンバーには、フィリップ・ラゲリ(Philippe Laguérie)神父、ポール・オラニエ(Paul Aulagnier)神父、また、ギヨーム・ド・タヌアルヌ(Guillaume de Tanouarn)神父などがいます。

 創立の際には、良き牧者会は、第二バチカン公会議以前の典礼書を「排他的に使用」するという特権を得ていました。「排他的な使用」とは、同修道会は聖伝のミサだけを執行し、新しいミサを排除する、という意味です。しかしその5年後、ローマのエクレジア・デイ委員会から、原理原則として新しい典礼を排除することを公式に禁止され、聖伝のミサを、「排他的」に捧げるのではなく、単純に「会に固有の典礼様式」とするべきである、と命じられました。

 フランスのクルタラン(Courtalain)にある神学校での司祭養成については、委員会は「良き牧者会は、その学習過程に、第二バチカン公会議と最近・現在の教皇たちの教導権を導入すること」を求めました。それも「単なる第二バチカン公会議を批判するばかりではなく、しかもそれがたとえ「真面目で建設的な」やり方でなされようとも、教師の努力は、継続に於ける刷新の解釈法を強調しつつ、同時にカトリック教会の公教要理nよって説明されたカトリック教理の完全さを維持することを求めつつ、教会の【第二バチカン公会議を含める】全遺産の伝達に焦点を置かなければならない」とエクレジア・デイ委員会は主張します。

 更に、エクレジア・デイ委員会は、良き牧者会が司教区の司教らと協力することを提案し「司教が、全司教区の善のために同会の特定のカリスマを歓迎しそれを評価すること、また同時に、同会の司祭らが、司教区の教会の生活において交わりの精神を持って実際に同調することが大切である」と言います。

 以下は、参考資料で、モンシニョール・ポッゾからの良き牧者会への公式の勧告の英語訳です。

Letter from the Secretary of the Ecclesia Dei Commission
To the Institute of the Good Shepherd in France

March 23, 2012

Conclusions of the Canonical Visit
To the Institute of the Good Shepherd

Generally speaking, it is necessary to develop the founding charisma of the Institute by thinking more on the future than on the past. To prepare for the next General Chapter, it will be useful to meditate on Christ as Pastor.

Anyone who wants to develop the characteristics of a society of apostolic life must avoid any form of individualism. For this, it would be good to enter into contact with other societies of apostolic life capable of helping in this meditation on communitarian life.

The question of the practice of the extraordinary form [of the Mass], such as it is formulated in the Bylaws, must be delineated in the spirit of Summorum Pontificum. It would be suitable to simply define this form as the “rite proper” to the Institute without speaking of “exclusivity.”

The founders of Institute of Good Shepherd Fr. Philippe Laguerie, left, and Fr. Paul Aulagnier with Card. Hoyos Regarding the Seminary of Courtalan, the evaluation is positive, but it would be suitable to include the teaching of the present day Popes and of Vatican II. The pastoral formation should be made under the light of Pastores dabo vobis and the doctrinal formation should include a careful study of the Catechism of the Catholic Church.

To resolve the question of the establishment of the seminary [in other places], unless it is just an extension of the Courtalan seminary itself, the French Conference of Bishops can be asked to suggest the names of the dioceses where it can be installed.

Rather than maintaining a critique of Vatican Council II, even a “serious and constructive” one, the efforts of your teachers must point out the transmission of the integrity of the patrimony of the Church, insisting on the hermeneutics of renewal in its continuity and using as support the integrity of Catholic doctrine expounded by the Catechism of the Catholic Church.

To improve the functioning of the Council and to prepare for the General Chapter, it would be suitable to ask the advice of a canonist. The names of Rev. Fathers Pocquet de Haut-Jussé and Le Bot, OP are suggested. A monthly meeting of the Council seems opportune.

It is desirable to carefully discern the vocations coming from Brazil, as well as to reflect upon the reception of the Institute priests in the different dioceses. It is important that the Bishop accepts and valorizes the special charisma of the Institute for the good of the whole diocese and, at the same time, that the priests of the Institute, with a spirit of communion, insert themselves in the ensemble of the ecclesial life of the Diocese.

The creation of an economic Council will help St. Eloi parish to better conform juridically with the other parishes of the Archdiocese of Bordeaux.

The Angelus school in the Diocese of Bourges must pay more attention to the General Superior. We recommend that it seek to acquire diocesan recognition.

Monsignor Guido Pozzo


 ルフェーブル大司教:「ローマでラッツィンガー枢機卿様とした話し合いの間、私たちが合意に向かって進もうとしている時に、彼は私に教えてくれました。もしパリの聖ニコラ・デュ・シャルドネ教会に於ける旧典礼使用に許可が与えられたら、新しいミサもなければならないでしょう、と。それは明らかです。彼らの心の状態<新しいミサを押し付けようとすること>をくっきり見せてくれました。彼らが、新しいミサを諦める可能性などありません。その反対です。それは分かりきっています。ですから、譲歩に見えなくもないものも、実際には、私たちを出来るだけ大人数の信徒たちから引き離す為の策略なのです。これが展望であって、その中で彼らは常にもっともっと聖伝に譲歩して与えようとするでしょう、それどころかきわめて遠いとことまで譲歩さえするでしょう。それが策略以外の何ものでもなく、公会議派の司教や近代主義のローマの掌中に身を委ねる事は危険であると、私たちは断固信徒たちに納得させる必要があります。それは私たちの信徒を脅かしている最大の危険なのです。二十年間も、私たちが公会議の誤謬を避けようと努めて来たとすれば、それは、まさか、これらの誤謬を表明する人々の掌中に私たちの身を委ねる為ではありませんでした。」


 はい、ベネディクト十六世は、正当な教皇様です。

 イエズス・キリストはベネディクト十六世の口を通して今でも語り続けることができます。

 しかし、もしも教皇様が、聖ピオ十世会に対して、すこしづつ第二バチカン公会議についての批判を止めるように政治的に動きかけているのなら、私たちはカトリックの信仰をまず明らかにするように働きかけるべきではないでしょうか?それが2006年の聖ピオ十世会の総会での宣言でした。

 愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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【質問】オリエンスというとは、どういう意味なのでしょうか?

2010年06月04日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

【質問】
オリエンスという名前をよく耳にされると思いますが、どういう意味なのでしょうか?
東方の悪魔という意味とか・・・・
あと、これとは関係ありませんが、レデンプトール会の紋章についてですが、なぜ、三角と目のフリーメイソンのシンボルが入っているのでしょうか?
このマークは、あるカトリックの福祉施設や、ポントルモの油彩画の最後の晩餐にも描かれていたのを見たことがあるのですが、どういうことなのでしょうか?
よろしければ、教えて下さい。

【お返事】
 オリエンスとは、ラテン語で Oriens (不定形 oriri)で、【太陽などが】昇る、上がる、という意味です。太陽の昇る元、日の本、ということから、一般的に「起源」が origo (英語でorigin)です。


レデンプトール会

 三角形の中に目がかかれているのは、必ずしも、フリーメーソンのシンボルとは限りません。何故なら、カトリック教会でも、三位一体の天主を表すために三角形を使いますし、目は天主の愛にあふれる御摂理(Providentia)とその統括を意味しているからです。摂理という言葉はラテン語で Providentia と言って、見る(Video)という言葉を語源にしています。

 レデンプトール会の目は、フリーメーソンとは全く関係がありません。詳しくは、次をご覧下さい。

The Coat of Arms of the Congregation of the Most Holy Redeemer
History and significance
http://www.cssr.com/english/whoarewe/cssrseal-EN.shtml


In our legislative texts (the Rules of 1749, the Constitutions of 1764 and the Constitutions and Statutes of 1982) there is nothing about the Coat of Arms of the Congregation. They speak only of the seal. However this seal has always been used as the Coat of Arms of the Congregation.

Statute 06, which reproduces substantially Constitution 717 of 1764, defines the seal thus:

“The seal of the Congregation consists of a cross with a lance and sponge mounted on three hills; on either side of the cross are the abbreviated names of Jesus and Mary; above the cross is an eye sending forth rays; over all a crown. Around the seal is the motto: “With him is Plentiful Redemption” (cf. Ps. 129,7)”.

Origin

From the beginning of the foundation the necessity of having a seal was recognized. It was required to guarantee the legality of documents presented to religious or civil authorities for the approbation of the Institute and its Rules and for new foundations. For this purpose St. Alphonsus and his first companions chose some religious symbols that in some way indicated the idea or purpose of the new Institute, adding some decorative elements that more or less followed the rules of heraldry.

The elaboration of the seal took some years, though we do not know precisely the different steps taken before arriving at the final version. In the Casa Anastasio, Scala, there is a drawing sketched on a wall attributed to Brother Vitus Curzio, that is considered the first seal of the Institute. On this wall, over the cooking stove, the cross can be seen above a hill, also the lance, the sponge and a ladder with the date 1738. The seal of the Congregation had to be defined before the pontifical approbation of the Rules (1749), as we see in the Acts of the chapter of 1747.

The Secretary had written: “the seal: the cross over three hills, and above the cross a radiant eye. St. Alphonsus erased the words “and above the cross a radiant eye and added: “the cross with the lance and the sponge, and at the side the names of Jesus and Mary. Above the cross a radiant eye and over all, the crown”. Then immediately follows the design of the seal.

In this seal, however, which seems to have been designed by St. Alphonsus we have the motto Copiosa apud eum redemptio and the coat of arms is supported by two small branches (of palm?) This last detail does not appear in any seal or coat of arms and finds no place in the legislation of the Congregation. From the second half of the nineteenth century the branch of laurel or olive and sometimes of palm appears frequently in the coat of arms of the Congregation, though on this matter the Constitutions are silent.

Two years after the Assembly of 1747 the seal of the Congregation appears on the cover of the second edition of the Visits to the Most Blessed Sacrament, published in Naples in 1749 and from then on was considered the seal of the Congregation.

The Coat of Arms and its symbolism

There has never been an official explanation of the elements that constitute the seal or coat of arms of the Institute. The symbolic elements of which it is composed represent the work of Redemption carried out by Jesus Christ and which the Institute was to proclaim under the protection of Mary. This explains the cross on the hill with the lance and sponge, the names of Jesus and Mary and the motto Copiosa apud eum redemptio.

In heraldry an eye within an equilateral triangle is the symbol of the Trinity. Since the triangle is missing here, the eye can be interpreted as the gracious mercy of God to humanity, divine providence.

The crown, or the branches of palm, olive or laurel can be considered as complimentary heraldic elements or adornment. The crown over the coat of arms can be interpreted as the crown of glory that is the reward for persevering in one’s vocation. The same interpretation of triumph and reward can be given to the palm, olive and laurel. The three summits of the mountain have no special symbolical value. It is the usual way to represent a mountain according to the norms of heraldry.

We don’t know what motivated St. Alphonsus and his companions to choose the elements that compose the seal/coat of arms of the Congregation. The Acts of the Chapter of 1747 give no explanation. The chosen symbols really explain themselves as indicating the purpose and spirituality of a missionary Institute with the name of the Holy Savior. Some biographers, however, consider that in some way the elaboration of the seal was influenced by extraordinary events that took place in Scala during the exposition of the Most Blessed Sacrament on the occasion of a triduum preceding the foundation of the Institute, November 9, 1732. Witnesses testify to have seen in the Host a cross in black or dark color above a mountain together with the instruments of the Passion. Others speak of a star or stars and of something white like a cloud. St. Alphonsus says that he saw “a dark colored cross and what seemed a small cloud like a star that was whiter than the sacramental species at the side of the dark colored cross”.

Mgr. Falcoia informed St. Alphonsus the day following the first apparition on September 11, 1732, that having overcome their initial shock, the Sisters felt that “by this His Divine Majesty wished to authorize and confirm the Institute”.

Taking all this into consideration there is nothing strange about the coincidence of the principal elements of the seal or coat of arms and the basic contents of the Eucharistic apparitions – the mountain, the cross and the instruments of the Passion.

Copiosa apud eum redemption

Mgr. Falcoia had proposed as a motto for the seal in 1736 Jer. 1,11: Virgam vigilantem ego video, but St. Alphonsus preferred Ps.129,7: Copiosa apud eum redemptio. He used these words of the psalm repeatedly in his writings, always with the declared intention of encouraging the confidence of the sinner in the infinite mercy of God. Through Jesus Christ in the work of redemption He had shown his immense love for all mankind in pardoning our sins and making us his children. Redemption is the proof that God loves us and has mercy on us because he has pardoned us and filled us with good things.

In his book, Translation of the psalms and canticles of the Divine Office, St. Alphonsus indicates in the introduction that the fundamental theme of this psalm is an expression of the confidence of the sinner in the divine mercy through Jesus Christ. “In this psalm we consider the Jews before their liberation from Babylon. It serves, however, for every sinner who, oppressed by the weight of his sins, implores the help of God”.

And on verse 7 St. Alphonsus comments thus: “Here the prophet indicates the basis of all our hopes, which is the blood of Christ with which he redeemed the human race. He says this, because the mercy of God is infinite and able to redeem us from all our evil deeds with abundant helps”.

Redemption is plentiful not only because it frees us from sin and all its effects, but also because it gives us a new life in Christ. St. Alphonsus expresses this when he compares verse 7 of psalm 129 with other texts that speak of the “abundance” of grace and the new life especially in John. 10,10: I have come that they may have life and have it in abundance”, and in Romans 5,15: for God’s act of grace is out of all proportion to the wrongdoing and again in Romans 5,20: Where sin increased, God’s grace increased much more. etc.

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【質問】祝別の意味とはなんですか?祝別されるとものはどうなるのですか?

2010年05月31日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、いかがお過ごしでいらっしゃいますか?

 御質問を頂きましたので、ご紹介いたします。

【御質問】
 お恥ずかしい話ですが、私は今まで祝別の意味を考えた事がございません。
祝別とは、只の物が祝別後はもはや只の物でなく、信仰の役に立つ物になる、とNovus Ordo のカテケージスで教わったのですが、これは正しかったのでしょうか。

【お返事】
 カトリック教会には、秘蹟と準秘蹟があります。
 「祝別」というのは、準秘蹟に相当します。

 ご存じのように、秘蹟は、私たちの主イエズス・キリストが直接に制定したもの、準秘蹟は「カトリック教会」が制定したものです。

 準秘蹟を制定したのは「カトリック教会」であると、カギ括弧付きの「カトリック教会」と書いたのは、準秘蹟の中には、イエズス・キリストからその制定が由来しているものもあるからです。例えば跣足式です。しかし、たとえイエズス・キリストが積極的な意志と行為で制定したのではなく、「カトリック教会」(=イエズス・キリストの神秘体)の意志と行為で制定されたとしても、準秘蹟の偉大さは軽視できません。

 秘蹟も準秘蹟も、天主の命を与えるために制定されました。秘蹟も準秘蹟も、イエズス・キリストの御受難と復活の贖いの業の功徳が元になっています。ただし、秘蹟と準秘蹟とでは、その性質も効果も強さも子となっています。

 弱き人間には、常に超自然の助けが手元に必要です。その助けとして準秘蹟があります。

 人間は、天国に行くために被造物によって邪魔される弱さを持っていますから、準秘蹟は天への道行きの助けとして、それを照らし、保護し、体と霊魂の保全を促進します。

 カトリック教会法典1144条によると、準秘蹟は「教会の取り次ぎを通して効果を得るために、特に霊的な性質の効果を得るために教会が使用することを望む物および行為」です。

sacramentals are objects and actions which the Church is wont to use, somewhat as she uses the sacraments, in order to obtain through her intercession effects, especially effects of a spiritual nature (can. 1144).

 準秘蹟の効力は、カトリック教会の祈りと取り次ぎの力によります。準秘蹟を使う人々の信心によるだけではないのです。

 秘蹟は、事効的に "ex opere operato," 働きます。つまり、自動的に・秘蹟を執行したことによって効力を持ちます。

 準秘蹟は、それを使う人々の信心の程度によって "ex opere operantis," 働きます。たしかにこれは真理ですが、しかし、準秘蹟の効果性はそれだけではないのです。準秘蹟は、行為する教会の業によって "ex opere operantis Ecclesiae" 働くと言えます。まず、キリストの神秘体としての教会、キリストの花嫁としての教会の祈りの力によるのです。

そこで準秘蹟は3つのグループに分類できます。
(1)天主の礼拝に関する空間や人(司祭や司教を除く)や物にかんするもの【祭壇の聖別、修道女の聖別、祭服の祝別など】、
(2)ミサ聖祭や秘蹟の執行のために使われる物にかんするもの【祭壇の献香、聖福音の朗読、洗礼式での様々な儀式など】、
(3)教会における礼拝から延長上にある、キリスト教の家庭生活、仕事などにかんするもの【家の祝別、動物や畑の祝別、道具の祝別、水、塩、薬草の祝別、王や女王の祝別、ペストの時の害虫や有害な動物の祝別、火事や嵐や地震や洪水などから人間を守るための祝福など】。

 もちろん、準秘蹟をつかう信徒の心の状態も効果があるかないかの決め手になります。

 そこで、もしも、何かが準秘蹟として祝別されたのならば、祝別後はもはや只の物でなく、信仰の役に立つ物になるのです。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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なぜ天主は第二バチカン公会議後の不幸な結果を許したのか?

2010年03月05日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、四旬節はいかがお過ごしでしょうか?

さて、先ほど、御質問をいただきました。

【質問】
第二バチカン公会議の前は聖伝のミサしかなかったわけですよね。それなのに、なぜ第二バチカンの教父たちはあんなあいまいな決議をして、へんてこりんなミサを作り上げて、信者たちはそれを受け入れてしまったのでしょうか?

第二点は、ファチマのご出現で、「ポルトガルでは信仰のドグマが常に守られるでしょう」と聖母が約束されましたが、ポルトガルのカトリックはピオ10世会と違って第二バチカン公会議を受け入れており、「常に」という聖母の約束は嘘になってしまっていると思われます。これについてはどう思われるでしょうか。

【お答え】
なぜ第二バチカン公会議では、いわゆる、失敗が生じたのか?

これは、天主の聖寵と人間の自由と問題です。

これは、なぜ聖寵の状態にいたアダムとエワとは罪を犯したのか?あるいは、なぜ旧約のユダヤ教の大司祭らはまことのメシアを認めなかったのか?または、なぜイスカリオトのユダは、私たちの主イエズス・キリストを裏切ったのか?などにつながります。

人間の弱さと人間に与えられた自由の大きさ、また、天主の聖寵と人間の自由をあくまでも尊重する天主の知恵。私たちの限られた知性には、はかり知ることができません。

ただし、天主が悪の生じることを許すなら、この悪をはるかに越える善のためです。第二バチカン公会議のために生じたカトリック教会の危機は、それをはるかに越える善が予見されていたのでしょう。それが何か?については、今後の進展を見守って行きましょう。

第二の点についても、天主の神秘の秘密のようです。
ファチマは、まだまだ終わったわけではありません。これからの世界の出来事は、私たちにその深い意味を教えてくれるでしょう。

ファチマの聖母マリアは、消滅してしまう国々、民族についても語っています。
今後の進展を見守って行きましょう。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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