Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ礼拝し希望し御身を愛します!御身を信ぜぬ人々礼拝せず希望せず愛さぬ人々のために赦しを求めます(天使の祈)

私たちが愛するのは、天主の与える喜びではなく、喜びを与える天主御自身です。天主に反する地上の欲への愛着に打ち勝つには?

2020年09月23日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、2020年9月20日は聖霊降臨後第十六主日です。

「テレワーク」方式ではありますが、皆様にYouTubeで「聖霊降臨後第十六主日の説教」の動画をご紹介いたします。

今日の主日を聖として良くお過ごしください。

この動画が気に入ったら、お友達にもご紹介くださいね。

天主様の祝福が豊にありますように!

トマス小野田圭志神父

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世にあふれる多くの迷信に気を付けてください。天国の婚宴に与るためには唯一の天主以外を信じないでください!

2020年09月21日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2020年9月20日、聖霊降臨後第16主日に東京で録画した小野田神父のメッセージをご紹介いたします。

チャンネル登録をなさいますと、新しくアップされた動画の通知が届くので便利です。チャンネル登録は、ここ「SSPX JAPAN 聖ピオ十世会日本」をご覧ください。

 

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【再掲】 使徒福音史家聖マテオのミサ 「天主からの召出しを喜び、天主に捧げられた者のために殉教した」

2020年09月21日 | お説教・霊的講話
2018年9月21日(金)使徒福音史家聖マテオのミサ
小野田神父説教


聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

今日は2018年9月21日、福音史家聖マテオのミサをしております。…

“Non enim veni vocare justos, sed peccatores.”

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


シスター、愛する兄弟の皆さん、今日は聖マテオの祝日において、

⑴聖マテオの生涯を少し垣間見て、

⑵聖マテオの生涯から、私たちが何を学ぶ事ができるかを黙想致しましょう。

⑶そして最後に、遷善の決心を立てる事に致しましょう。


⑴聖マテオはユダヤ人でした。本名は「マテオ」、しかしあだ名は、皆からは「レビ」と呼ばれていました。

ユダヤ人にもかかわらず、ローマの手先となって、異教の国々のローマ皇帝の為に、税金をユダヤ人から取り立てていた、つまりある意味では、ユダヤ人にとっては少し汚点のある職業をしていました。その税吏所に、ローマの下で働いていたその所に、イエズス様がやって来る。

イエズス様はその前からも色々な奇跡をして、御自分がメシアである、という事を示していました。マテオもその話を聞いていたに違いありません。その自分の所にやって来て、イエズス様はこう仰るのです、「私に従え。」“Sequere me.”

するとマテオはその場をすぐ立って、呼ばれたら立って、自分の仕事をそのまま置いて、そこにずっと座っていれば、お金も儲かっていたでしょうし、豊かな簡単な生活もできたに違いありません。ローマの特権階級の公務員でした、エリートコースでした、大学も出ていました、お金の計算もよくできました。しかしこれを捨てて、イエズス様に従いました。

マテオは、イエズス様とそしてその弟子と一緒に食卓に着いた時に、ファリザイ人たちからイエズス様が非難されるのを聞きます。彼らはイエズス様を、「彼は、何だ。罪人と一緒に食事をしている。彼の友達は皆、野蛮な奴だ。」

イエズス様は、「私は義人ではなく、罪人を呼ぶ為に来た。罪人を義人にする為に、召し出す為に、呼び出す為に来た」とお話しになります。

マテオはその事を非常に感銘深く覚えていて、最初の福音をヘブライ語で書きます。イエズス様は、イエズス様が憐れみ深い御方である事。罪人の、罪の最も低いどん底にいたような自分をも、使徒として呼んで下さった、栄光ある使徒として呼んで下さった。そのまさに、卑しいと思われる仕事をしたその所にやって来て、呼んで下さった、「私に従え。」

その憐れみと、その御恵みに感動していました。そして「ぜひ、ユダヤ人たちにイエズス様を知ってもらいたい。真のメシアという事を知ってもらいたい」と、最初のイエズス様の福音を書きました。

マテオは、そのユダヤ人たちに宣教するだけでは物足りず、満足せず、エチオピアにも行きました。伝えられたところによると、エチオピアに行って奇跡をも行ないました。エチオピアの王の娘が死んだ時に、死んでしまったその若いお姫様を、マテオはよみがえらせます。そしてエチオピアの王の友達になり、そしてエチオピアで宣教をします。

ところが、そのよみがえらせたお姫様のお父さんの王が亡くなった時に、ヒルタクス(Hirtacus)が、王の位に着きます。そしてその女王として、あるキリスト教の信者を、しかも王族の高貴な娘と結婚したい、とします。ところがこの娘も高貴な、イフィジェニア(Iphigenia)という名前でしたが、彼女はカトリックであったのみならず、聖マテオの指導に従って、童貞としてイエズス様に身を捧げていました。そこでイフィジニアは王となったヒルタックスに、「私はイエズス様に身を捧げているので、あなたと結婚はできない」と答えました。そしてその「マテオ様も、私の事を支持して下さっている」と言うと、ヒルタクスはこの女性をお姫様にもらいたくて、非常にその自分の熱情に燃えていたので、邪魔者であったマテオを殺害してしまいました。そして聖マテオは、信仰への憎しみに燃えた王によって、殉教を遂げます。

最初聖マテオの体は、エチオピアからサレルモという所に運ばれて、壮大に埋葬されました。


⑵聖マテオの人生は、私たちに何を教えてくれるのでしょうか?

「イエズス様は、私たちを憐れんで下さって、私たちがどのような罪人であったとしても、どのような惨めな者であったとしても、私たちを呼んで下さる」という事です。

しかしイエズス様がこのように私たちを呼んで下さった時には、聖マテオのように、すぐにその罪の、あるいはイエズス様と反対するようなものを全て捨てて、イエズス様に従わなければなりません。

また「イエズス様のその憐れみの深さ」というものを私たちは是非、マテオのように、近い者たちにできれば伝えたいと思います。

⑶聖マテオは、肉体において王のお姫様をよみがえらせた奇跡を行ないました。霊的なよみがえりはもっと簡単にできるはずです。聖マテオの御取り次ぎによって、ぜひ私たちの知り合いが、あるいは罪に死んでいる多くの霊魂たちがよみがえりますように、信仰に立ち返りますように、霊的に生き返りますように、お祈り致しましょう。

最後に、聖マテオは、天主様に捧げられた霊魂の為に命を捨てました。ある、天主に童貞を捧げようとしたお姫様の為に、命を捧げました。おそらく聖マテオは、多くの修道女の、あるいは修道者の、天主に捧げられた霊魂を守る、特別な取り次ぎをして下さるに違いありません。マテオも本当に、もうユダヤ人から見れば、どうでも良いというような身分だったかもしれませんが、使徒として呼ばれました。ですから、「天主から呼ばれる」という事がどれほど素晴らしい事か、という事をよく理解していました。

聖マテオがぜひ、私たちの為に取り次ぎをして、多くの日本の霊魂たちを召し出しの為に取り次いで下さいますように、日本から多くの、あるいは世界から多くの霊魂たちが、イエズス様に捧げられるように、そしてその声をよく聞くように、マテオのように、すぐに「はい」と答える事ができますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。





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愛する兄弟の皆さま、もしも私たちが主の御旨を果たそうと、御国を追求するならば、他の事は一切主が与えて下さいます。そして聖霊の実りを私たちが受ける事でしょう。

2020年09月17日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2020年9月6日、聖霊降臨後第14主日に東京で録画した小野田神父のメッセージをご紹介いたします。


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は聖霊降臨後第14主日で、福音の中ではイエズス様が、「まず、天主の国とその義を求めよ。その他のものは溢れるばかり加えられる」と言っていました。

ですから、「他の事は心配するな。まず主の御旨を果たす事、主を愛する事、主の御望みを果たす事に一生懸命になれば、その他の事は主が考えて下さる。信頼せよ」と言っています。

ですから、「私たちは、主に信頼する方が、人間に信頼するよりももっと良い事だ」という事です。

ですから、私たちも、この主の聖心に従って、「主の御望みが何か」という事のみを考えて、追求するように致しましょう。「カトリックの信仰を守る上で一番大切なものは一体何か、何が必要なのか、そして私は何をしなければならないのか」という事を考えましょう。

「教会に最も忠実である、本当の意味で従順である事。本当の意味で教皇様を、教皇制度に従う事、その教皇様の教えに従う事。本当の意味で聖伝を守っていく事、聖伝に従う事、忠実である事。本当の意味で私たちの最も大切な務めでる天主を讃美して、愛して、そして霊魂を救う、救霊を追求する、という私たちに与えられこの務めを果たす事」これを追求していきましょう。

つい最近、ヴィガノ大司教は、元アメリカの教皇大使で、昔は国務省の中でナンバー2で、非常にこう立派な仕事をされていた方が、9月1日付けで、カトリック・ファミリー・ニュースというところで、新しい手紙を発表されました。それを見ると、本当に主の御旨を果たす為に、主の御国を追求する為に、一生懸命やっているという姿を感じる事ができます。

このヴィガノ大司教の言っている事の中には、こんな事があります、「もしも私たちが主を愛する為に、そして御聖体を恭しく聖体拝領できなかったり、あるいは冒瀆的に拝領させられなければならなかったり、あるいは御説教が異端的であったりとか、救霊の話よりも何か別の話を、霊魂を救うというよりも地球を救うとか、他の話をしている、あるいはその他、真の真理イエズス・キリスト以外に救いがないというよりは、『あぁ、どこの宗教でも同じだ』等というような事を聞かされる時には、そういう所は出て、聖伝のミサ、つまりカトリックの本当のミサを捧げている司祭の所に行って、そしてカトリックの昔ながらの教えを、御説教を聞く方が1000倍も勝って良い事である」と励ましています。そして「他の事はあまり心配するな」と言っています。

大司教様は司祭たちに対しても、「もうカトリックの昔ながらのミサをするように。そしてカトリックの昔ながらの御説教をするように。そしてもしもそれの為に教区から追放された、あるいは嫌がらせをされた、いじめにあった、というなら、それは心配するな。主に信頼せよ」と励ましています。

「私たちが今必要なのは、『剛毅』という徳であって、これはギリシャ語では“ἀνδρεία”と言って、『男らしい』という意味で、非常に男らしい態度で行かなければならない。『あぁ、もしかしたら何かお仕置きを受けるんじゃないか、意地悪をされるんじゃないか』という事を心配しなくていい」と言っています。

どうぞ愛する兄弟の皆さん、もしも私たちが主の御旨を果たすならば、主の御旨を果たそうと、御国を追求する、それだけを考えているならば、他の事は一切主が与えて下さいます。そして聖霊の実りを私たちが受ける事でしょう。

聖霊の実りは、聖パウロが12個挙げています。

「愛徳」“caritas”、そして「喜び」 “gaudium”、また「平和」“pax”。

これは、天主が私たちを愛して下さったが故に、私たちの心に生じる喜びと、そして平和です。

そして悪に対しても、私たちは「忍耐」 “patientia” とか、あるいは「堅忍」 “longanimitas”、悪に対抗する力も与えられます、聖霊の実りとして。

そして隣人に対しては、心の中で「親切」 “bonitas”が起こり、それから態度に対しても「優しい態度」“begninitas”ができます。

またもしも、隣人から何か悪い事を受けたとしても、「柔和」“mansuetudo”に、また隣人を裏切る事なく、そのたとえ悪があっても、その善意を「信じる」“fides”、という事ができます。

また聖霊の実りとして、天主の御旨を果たそうと、天主の御国のみを追求するなら、私たちの態度、外見にも「慎み」“modestia”が現れますし、そして食べ物についても「節制」 “continentia”、そしてあるいはまた他の所でも「貞潔」“castitas”が与えられる。

これは、「肉の働き」と聖パウロが今日書簡の中で列挙した、色々な悪と対抗に反対するものです。

そして私たちが天主の御旨を果たせば果たすほど、それの実りを受けて――これは12個はまだ全てではないのですけれども――、そのもっと多くの実りを私たちが受けて、主からの多くの祝福を受けて、本当に私たちは喜びに満たされるはずです。

ですから私たちも、主の聖心に倣って、御言葉に従って、主の御国をまず第一に追求する事にしましょう。何も恐れずに、聖伝のカトリックのミサに与って下さい。何も恐れずに、主の聖伝の昔ながらのカトリックの御説教を聞くようになさって下さい、読むようになさって下さい。

そして霊魂を救うようにして下さい。永遠の命に入る為に、霊魂をまず救うように、全力を尽くして下さい。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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十字架の元に佇むマリア様、十字架に付けられたイエズス様を黙想致しましょう。

2020年09月17日 | お説教・霊的講話
苦しみの玄義 第5玄義黙想
2020年9月5日(初土)御聖体降福式にて
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父

『苦しみの玄義 第5玄義:この一連を捧げて、主が十字架に釘付けにせられ、死し給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、救霊の恵みを乞い願わん。』

御聖体の内に真に在しまし給うイエズス様の聖心の御前で、初土の信心を行ないましょう。マリア様に対して犯される、汚れなき御心に対して犯される罪を償う為に、ロザリオの15の玄義の1つを黙想致しましょう。

特に9月の初土曜日ですから、9月にはイエズス様の十字架の称讃、聖母の七つの御悲しみの祝日をふまえて、苦しみの玄義の第5、「主が十字架に付けられ給う、そして私たちの為に死し給う」玄義を黙想致しましょう。

つい最近アメリカでは、左翼の暴徒によって、色々な歴史的な像が壊されたのみならず、それは時として、教会でマリア様やイエズス様の御像さえも破壊され、壊されたり、乱暴な扱いを色々な所で受けました。教会は火を付けられて放火されたり、フランスでも同様です。

フランスでは、イスラム教のマホメットを少しでも悪く言うだけで大きな騒ぎがありますが、しかしその反面、教会では天主の御母の御像や、私たちの為に人となられたイエズス様の御像が壊されたり、侮辱を受けたりしています。それに対して何もなされていません。

この十字架の元に佇むマリア様、十字架に付けられたイエズス様を黙想致しましょう。

十字架の上に付けられるイエズスの聖心、人類に大きく開かれようとするイエズス様の聖心、そこから御血と御水を流して、私たちを浄めようとする聖心。

御恵みを、無限の功徳を、イエズス様と共に、イエズス様を御捧げしながら、十字架の元で立ち留まりながら、イエズス様の聖心と共に、無限の功徳を勝ち得て、共償者となられた聖母マリア。

二人の御心は、天主聖父の御旨を果たそうという愛から、人類を救いたい、天国に導きたい、罪の赦しを得たい、永遠の地獄の火から守りたい、幸せを、本当の幸せを与えたい、その為に、どのような苦しみも厭わない、愛の炎で燃えておられました。

イエズス様の聖心とマリア様の御心は、私たちの心も「真似するように」と招いておられます。その招きに応じる事ができるように、たくさんの御恵みを与え続けておられます。多くの霊魂を救う事ができるように、悲しみから救う事ができるように、苦しみから救い出す事ができるように、私たちを使おうと、私たちに呼びかけておられます。

イエズス様とマリア様と共に、この世の贖いと救いの為に、共に力を尽くし、遂には共に永遠の勝利を分かち合う事を望まれておられます。私たちは御聖体の前で招かれました。

イエズス様とマリア様の無限の功徳によって、罪人の回心を乞い願いましょう。

罪を犯そうとしていた人が、天主の御旨よりも、天主の掟よりも、自分の望みを果たしたいと思っていた人々が、それを放棄して、天主の為に十字架を捧げる事ができますように、天主の御旨に従う為に、十字架のいけにえを捧げる事ができる勇気を持つ事ができますように。

イエズス様の十字架の元には、本当の幸せと、安らぎと、良心の喜びがあります。

それを離れたところでは、たとえ自分の思い通りにやっていても、自分の欲望を果てしなく満たそうとしていたとしても、虚しさと、孤独と、不幸と、悲しみがいつも付きまといます。

御聖体の内に真に在し給うイエズス様の聖心、御身を愛する為に、日々の祈りと十字架を御捧げする事ができるように、助けて下さい。



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聖体降福式にてイエズスの至聖なる聖心が、日本に住む全ての人々を憐れんで、特別の御恵みを下さるように乞い求めましょう。

2020年09月16日 | お説教・霊的講話
2020年9月4日(初金)御聖体降福式にて

聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父

御聖体の内に真に在し給うイエズス様の聖心の御前で、礼拝と、感謝と、讃美、罪の償いをお捧げ致しましょう。

イエズスの至聖なる聖心が、日本に住む全ての人々を憐れんで、特別の御恵みを下さるように乞い求めましょう。

聖ピオ十世会の司祭、多くの司祭が輩出して、常駐しますように。教会、修道院、学校などが与えられますように。

多くの霊魂が、聖伝のカトリック信仰と、洗礼の御恵みを受けて、聖伝のミサに与り、恵みを受けて、聖なる家庭、多くの良い子供たちに恵まれた良い家庭を築き、公教会の発展の為に、霊魂の救いの為に、祈りと犠牲を多く捧げる事ができますように。

先日洗礼を受けたバルトロメオ、それから今度来週洗礼を受けようとする子供の為にも、そして結婚しようとするカップルたちの為にも、ミサにこれから与ろうとする多くの方々の為にも、お祈り致しましょう。

病で苦しむ人々の為にも、日本のカトリック教会と、教皇様、司教様、司祭、聖職者たちの為にお祈り致しましょう。特に聖ピオ十世会の司祭、司教様たちの為にお祈り致しましょう。

日本の将来の首相や、アメリカの大統領の為にもお祈り致しましょう。



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【再掲】2019年4月12日聖母の七つの御悲しみのミサ「聖母よ、御身と共に十字架の元に立たせて下さい。マリア様と共に泣くのを許して下さい。御悲しみを私にも分けて下さい。」

2020年09月15日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

2019年4月12日(金)御受難の第1主日の後の金曜日
聖母の七つの御悲しみのミサ
小野田神父 説教

「聖母よ、御身と共に、十字架の元に立たせて下さい。」
Juxta Crucem tecum stare, et me tibi sociáre in planctu desídero.


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聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は御受難の第1主日の後の金曜日です。典礼によると、「もしも七つの御悲しみの信心を行なうのであれば、この七つの聖母のミサをする事ができる」とあります。

そこで今日は、この七つの御悲しみの信心を一緒に黙想する事によって、この御ミサを捧げようと思っています。一体、この典礼はどのように始まったのか、という事を簡単に見てから、七つの御悲しみを黙想する事に致しましょう。

マリア様の悲しみについては、色々な信心がありました。そして色々な名前を持っていました。

特に「七つの御悲しみ」という事で、教会は特別の典礼をする事になりました。有名なのが、1239年の聖金曜日に、マリア様が7人の男性に現れて、「マリア様の御悲しみを黙想する特別の修道会を創って欲しい。マリアのしもべの修道会を創って欲しい」と願われた事、そして特に9月14日の十字架の称讃の翌日には、七つの聖母の悲しみの祝日ができた事、あるいは聖金曜日の一週間前には、マリア様の悲しみを祝う特別の記念日が作られました。

ピオ十二世教皇様の典礼改革、聖週間の改革の前までは、この金曜日は実は祝日で、マリア様の悲しみのミサをしていましたが、ピオ十二世教皇様が、「信心をする限りにはこれのミサを、しかしそうでなければ、マリア様の記念を行なう」という風に決定しました。

では、マリア様の七つの御悲しみを簡単に垣間見る事に致しましょう。

第一の悲しみは、シメオンによって預言を受けた事でした。マリア様の御悲しみはそれ以外にもたくさんあります。七つ以外にもたくさんあります。全生涯に渡って、悲しみと苦しみの連続でした。しかし特に、マリア様にとっての重要な御悲しみを取り上げたのが、その七つで、第一がシメオンの預言でした。

マリア様はイエズス様の全き生き写しで、イエズス様にキリストに倣う完璧な模倣者でしたので、マリア様こそまず、十字架の苦しみに、一番近く立ち留まらなければならない方でした。

シメオンは預言します、「この生まれたばかりの40日後のこの幼子こそが、多くの人々の、イスラエルの多くの人々の滅びと、そして復活の元となるだろう。そしてこの子は逆らいのしるしとなるだろう。」

既にマリア様は、預言者の元后であり、聖書の事を深く知っていましたが、しかし更にはっきりとシメオンによって、「このイエズス様を機会に、イエズス様を拒否する人がいて、イエズス・キリスト様の、イエズス様のその愛と、優しさと、御親切と、その憐れみを機会にして、それを敢えて拒否する人がいて、その為に多くの人々は、イエズス・キリストを信じずに、あるいはイエズス・キリストの教えを受けないが為に、自分の暗闇と罪を望むが為に、自分の生活を改めようとしないが為に、罪を捨てないが為に、自分の道を行く為に光から逃れる為に、暗闇を頑固にしがみつく為に、イエズス様の照らした光を敢えて拒否するが為に、滅びるだろう」と預言を受けました。

「それと同時に」この多くの人々は、イエズス様が原因で滅びるわけではなくて、イエズス様にもかかわらず、それを頑固にも拒むが為に滅びるのですけれども、「しかしそれと同時に、イエズス・キリストが、この聖子が、御自分の苦しみと、そして犠牲と、そして愛と憐れみによって、復活の原因ともなる」とも聞きました。

そして「イエズス様は既に、逆らう、逆らいのしるしとなる。イエズス・キリストを信じるか、あるいは信じないか。キリストに従うか、あるいはキリストに反対するか、反キリストとなるか。世の中はこれによって二つに分裂する。逆らいのしるしとなる。」

「そしてこの『しるし』というのはつまり『十字架』であって、これを受けるか受けないか、キリストを受けるか受けないか、キリストの十字架を取るか取らないかによって分かれる。多くの人々の心の秘密がこれで明らかになる」と預言をされました。

「救い主が来たにもかかわらず、天主の憐れみがこれほど現れたにもかかわらず、天主が人となったにもかかわらず、預言が、預言された通りに救い主が生まれて来たにもかかわらず、それを受け入れない人々がいる」という事を知った、そして「御子を、この幼子を受け入れない、救い主を受け入れない人々がいる」という事の預言されたマリア様の御悲しみ。そしてイエズス様のその御心痛を思う、マリア様の御悲しみ。

イエズス様は私たちに、謙遜と、従順と、貞潔と、清貧と、主の御旨を愛する道を教えようとされます。しかし人々は、イエズス様の十字架よりも自分の腹を、自分の欲望を、自分の考えを、あるいは富を、快楽を、名誉と栄光を、自分の為にかき集めようと、そしてイエズス様を拒む。マリア様はその事を予め知らされました。


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マリア様の生涯は、イエズス様のその十字架が既に、全生涯に渡ってその影を落としていました。その事をよく現したのは、このシメオンの預言の直後でした。

第二の苦しみ。ヘロデが、ユダヤの最高の行政の王が、イエズス・キリストを狙っている。政府当局が、イエズス・キリストの命を狙って、母親の手から奪おうとしている。そして全ての人類の手から奪おうとしている。この幼い、救い主の天主の命を殺そうと狙っている。罠をかけている、という事を知ります。

マリア様のその御心痛はどれほどだったでしょうか。既に十字架の、救い主の死がもう身近に迫っている。聖ヨゼフの夢を通して、また聖ヨゼフの命令を通して、聖家族はエジプトに逃亡します。

マリア様は全く罪の無い方でした。イエズス様も罪の無い方でした。天主の聖子でした。そしてマリア様はエジプトでおそらく、ニュースを聞かれた事でしょう。多くの幼子たちが犠牲となった、母親から取り去られて亡くなった、罪の無い子供たちが殺された、ヘロデの快楽と、ヘロデの地位と安泰を確保する為に、自分勝手の為に。マリア様の御心痛はどれほどだったでしょうか。

また外国での生活、一体何年、どこでどうしたら良いのか分からない。それにもかかわらず、天主に全く委ねたその生活。もちろん天主にとって、ヘロデを亡き者にするのはとても簡単な事でした。しかし「イエズス様をエジプトに逃亡させる」という事を御望みだったその天主様の御摂理、それに従うマリア様。十字架の影は既に、幼きイエズス様に深く染み込んでいました。

第三の苦しみ。マリア様がエジプトから戻って、聖家族がナザレトに行って、そしてエルサレムの神殿に毎年通った時も、12歳になった時のイエズス様は、既に聖父の業をする為に、マリア様とヨゼフ様から離れました。これも3日間の間、マリア様はイエズス様を見る事ができませんでした。あたかも亡くなっていなくなってしまったかのように。聖父の業をイエズス様はする。神殿に残られました。

これも、十字架の上において、聖父の御旨の通り御自分を捧げて、マリア様の目から3日の間姿を消される事の前兆でなくて何でありましょうか。

「マリア様は、イエズス様が仰った言葉が理解できない」と書かれています。「しかし、その汚れなき御心に、その事をいつも留めて思い巡らしていた」と。「私が聖父の仕事をしなければならない、という事を知らなかったのか。」イエズス様は既に、十字架の苦しみのリハーサルを、マリア様になさっていたのでした。

第四の苦しみは、マリア様がイエズス様と十字架の道行きの時に、カルワリオへの道すがら、お会いになった時です。

マリア様はほぼ確実に、そして典礼でも言われている通り、イエズス様の鞭打たれたのを、あるいは他のニュースであるいは聖ヨハネから聞いて、その近くに居たに違いありません。鞭打たれたその御様子を、遠くからご覧になっていたに違いありません。

そしてイエズス様の審判。ピラトによる断罪についても、その始終を聞き、それのその事を、「どうなる事か」イエズス様の事を思って近くに居たに違いありません。他の人の間の中に居たに違いありません。群衆の中に居たに違いありません。イエズス様が全く無罪である、という事をピラトが何度も言うにもかかわらず、人々はイエズス様を、「十字架に付けよ!」と言うのを聞いた、その憎しみの叫びの声、嘘の告発、ユダヤの宗教上の最高の指導者たちがイエズス様を告発しようとするのを見たり、聞いたりした時、どれほど胸が裂かれる思いだったでしょうか。そして遂に死刑の宣告。誰もイエズス様を守る人はいませんでした。

十字架を担うイエズス様。そのイエズス様が通るのをマリア様は敢えて、イエズス様の元に近寄ろうとします。マリア様は決して、イエズス様とお会いになって気絶したり、あるいは泣き崩れてそして倒れてしまうような事はありませんでした。イエズス様をはっきりご覧になって、そして目に涙は溜めながら、しかしその苦しみを捧げておられました。

マリア様は一体何をお考えだったのでしょうか。

イエズス様の、その人類に対する愛と、聖父に対する愛。この人々の忘恩と、冒瀆と、そして嘲りの態度。イエズス様の正義にかかわらず、その聖徳にもかかわらず、しかしその受ける態度の醜さ。天主聖父の御旨。マリア様の心にあった御悲しみと、その観想、黙想の深みは、どれほどだったでしょうか。

マリア様はイエズス様の後を、すぐ近くを歩いて行きます。喚き立てもせずに、イエズス様に対して不正に対して抗議する事もなく、このこれを受け入れて、そしてこの「人類の罪の為に、イエズス様がこの十字架を担っている」という事をよく理解されて、御自分もその苦しみを共に歩かれようとされました。黙って付いて行きました。ちょうど、イサアクが薪を持って、ホレブの山に行こうとする時に、アブラハムがイサアクの隣に一緒に行ったかのようです。私たちの模範を示すかのように、イエズス様のすぐ近くを歩かれました。

第五の御悲しみは、イエズス様が十字架に付けられ、そしてお亡くなりになるまで、ずっと、しっかりと背筋を伸ばして、十字架の足元に立ち留まっておられた事です。

マリア様は、イエズス様のその聖なる態度、御言葉を全て聞いて、見ておられました。ユダヤの司祭たちやあるいはローマの人々、また群衆の態度、悪い態度、嘲り、冒瀆、唾など、暴力も、見聞きされました。イエズス様が服を脱がされる時、十字架に付けられる時、十字架が立てられる時、全て見ておられました。マリア様は、イエズス様がまずそのイエズス様の敵に対して、キリストがお祈りされている事も聞いておられました。十字架の苦しみと、旧約の預言が全て成就していくのも見ていました。

マリア様も、御自分の悲しみを添えて、イエズス様の悲しみの事をずっと思っていたに違いありません。そして罪人の回心の為に祈っていたに違いありません。イエズス様がヨハネを通して、私たち罪人をマリア様の子供にした時に、マリア様は、イエズス様に対する愛とその同じ愛を以て、罪人を私たちの事を深く子供として愛し、そして私たちの為に祈ります。マリア様の養子となった私たちの為に祈ります。

聖ヨハネ・ダマスコによると、「善き盗賊は、マリア様の側に、十字架のイエズス様と自分の間にマリア様が居たので、回心の恵みを受けた」と言っています。

自分の子供がこうやって不正に、残酷な死を遂げるのを見る母親の心は、どれほど辛かった事でしょうか。「マリア様がこの受けた苦しみは、肉体の苦しみよりも霊魂による苦しみだったので、はるかに深いものだった」と聖人たちは言います。「もしも、マリア様の御悲しみをもしも分配する事ができたとしたら、それを何等分かにする事ができたとしたら、そしてそれを生きている全世界中の人々に配る事ができたとしたら、その自分の分を受けた人、全世界の人々は、その苦しみのあまり息絶えてしまうだろう。マリア様の悲しみのほんのちょっと、欠片でも受けただけで、私たちはその辛さのあまり、もう息をする事もできないだろう。胸が苦しくてもう生きていられないだろう。そしてマリア様がこうやって、十字架の元にずっとこうやって立って、そして命を落とさずにいる事ができたのは、天主様の大きな大奇跡であった」と言います。

第六の御悲しみ。マリア様はこうやって、イエズス様の御亡骸を御手に抱き、その御顔、御手、傷だらけの亡骸に、接吻と涙を流して綺麗にされます。御降誕の時とははるかに違った、十字架での御体。マリア様はそれを新しい墓に葬ります。

第七の御悲しみ。第六の悲しみが、マリア様がそのイエズス様の御亡骸をその手にされたとすると、最後の御悲しみは、マリア様が新しい墓にイエズス様の御体を葬られた事。そして大きな石を以て岩を以て、その墓を閉じた事です。

典礼によると、私たちはマリア様にこう祈ります、特に有名なスタバト・マーテルの続誦によれば、こうあります。

「マリア様、御身にお願いします。マリア様と共に、十字架の傍に立たせて下さい。マリア様と共に泣くのを許して下さい。
Fac me tecum pie flere, crucifixo condolere, donec ego vixero.
Iuxta Crucem tecum stare, et me tibi sociare in planctu desidero.

御悲しみを私にも分けて下さい。私の心にもその傷を深くつけてください。
Sancta Mater, istud agas, crucifixi fige plagas cordi meo valide.
Tui Nati vulnerati, tam dignati pro me pati, poenas mecum divide.

マリア様、私にも御身とともに嘆くのを許してください。イエズス様の十字架の苦しみを、私の身に運ぶ事ができるようにして下さい。
Virgo virginum praeclara, mihi iam non sis amara, fac me tecum plangere.
Fac, ut portem Christi mortem, passionis fac consortem, et plagas recolere.

マリア様のこう泣くのを見て、一体誰が、同情の涙を流さない人がいるでしょうか。
Quis est homo qui non fleret, matrem Christi si videret in tanto supplicio? Quis non posset contristari Christi Matrem contemplari dolentem cum Filio?

愛の泉であるマリア様!私にもそのマリア様の悲しみを分け与えて下さい。
Eia, Mater, fons amoris me sentire vim doloris fac, ut tecum lugeam.」

今日は、イエズス様の御受難を崇める為に、まずマリア様に、マリア様の御悲しみを分けて下さいますように、お祈り致しましょう。

「聖母よ、御身と共に、十字架の元に立たせて下さい。」
Juxta Crucem tecum stare, et me tibi sociáre in planctu desídero.

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。





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私たち人間にとって最も重要な大切な宝物とは?決して失ってはならない価値とは?

2020年09月14日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2020年9月13日、聖霊降臨後第15主日に東京で録画した小野田神父のメッセージをご紹介いたします。

チャンネル登録をなさいますと、新しくアップされた動画の通知が届くので便利です。チャンネル登録は、ここ「SSPX JAPAN 聖ピオ十世会日本」をご覧ください。

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教会の第一の関心は、霊魂の救い!人生は1度限りです!主が自ら進んで行われた奇跡。ナイムの蘇った青年は私たちの霊魂のかたどりで、この奇跡には深い意味があるのです。

2020年09月14日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、2020年9月13日は聖霊降臨後第十五主日です。

「テレワーク」方式ではありますが、皆様にYouTubeで「聖霊降臨後第十五主日の説教」の動画をご紹介いたします。

今日の主日を聖として良くお過ごしください。

この動画が気に入ったら、お友達にもご紹介くださいね。

天主様の祝福が豊にありますように!

トマス小野田圭志神父

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聖母の汚れなき御心に捧げられた日本が、いつもマリア様からの祝福と、憐れみと、特別の保護を受けますように

2020年09月14日 | お説教・霊的講話
2020年7月24日(金)聖母の汚れなき御心の随意ミサ
(大阪でのマーチフォーライフの日)

聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父お知らせ


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

今日、皆さんがミサに与って下さり、マーチフォーライフに参加して下さると集まって下さったので、大変嬉しく思います。私がこう嬉しいのであれば、マリア様はどれほど嬉しい事でしょうか。

その為にまず皆さんに、今日のプログラムを少し説明するのを許して下さい。

私たちは今日は、「天主の御母のお祭り」を大阪で行なおうと思っています。そこではこの日は、ファチマのマリア様の日で、ファチマで起こった事と同じような事をなさそうと思っています。

つまり、ファチマではまず天使が、ポルトガルの守護の天使が現れて、そして子供たちに御聖体を見せて、礼拝させて、聖体拝領をさせて、「罪の償いをしなさい」と呼びかけて、その次に、マリア様がファチマに現れました。

最後には、太陽の奇跡を行なって、雨を止めて、そして平和の約束をしました、「戦争は終わるだろう。」

そしてポルトガルは、多くの祝福を受けました。

今日もそれと同じく、まずこのミサを捧げて、そしてミサの直後に簡単な御聖体降福式を行なって、天使たちが、ファチマで天使がしてくれたように、私たちも御聖体を礼拝して、そして罪の償いをしたいと思っています。

その後に、マリア様は大阪の街に現れて下さるでしょう。もはやマリア様は何度も私たちの御聖堂の周囲に御姿を見せて、私たちの周りを祝福して下さいました。私たちは本当にそれを嬉しく思いました。

今日は大阪の一番大切な御堂筋を、マリア様は私たちを祝福して下さろうと歩まれます。多くの方々がこのマリア様から祝福を受けますように、ちょうどファチマでマリア様がポルトガルを、ファチマで現れたのを通して祝福して下さったように、祝福して下さるようにお祈りします。

そしてまた同時に、マリア様を通して私たちの拙い祈りを、特にロザリオを、できればロサリオを一環を天にお届けしたいと思っています。罪の償いが、多くの無垢の罪のない子供たちが殺されているこの戦争が、この罪が終わりますように、その罪の償いを果たしたいと思っています。

日本の問題は、米軍基地の問題でも、広島・長崎というよりも、今、現実に起こっている戦争の事に目をつぶっては、その他は、私の目からすると、偽善のようなものです。

今、本当に起こっている戦争の事に目をつぶって何も言わないで、政治の話をするのは、本当に命を守ろうという態度ではないように思われます。

教会のもちろん最も大切なのは、「超自然の命を守る事」であって、「超自然の命を救う事」が最も大切な事です。

ですからこの私たちは、罪の償いの為に、マリア様にお祈りを捧げようと思っています。きっと御聖堂の、この今日の最後に、太陽の昇るこの日本の地で、太陽の奇跡を、憐みの奇跡を、マリア様が起こして下さるに違いないと思っています。

おそらく10月13日に仰ったように、「もうすぐ戦争は終わるでしょう」と、私たちに仰って下さる事を祈ります。そしてこの国が、この国に住む、そして世界中の罪のない赤ちゃんたちが守られる事を祈って下さい。そして多くの方々が天国に導かれますように祈って下さい。

今日このプログラムに従って、マリア様にたくさんお祈り致しましょう。

聖母の汚れなき御心に捧げられた日本が、いつもマリア様からの祝福と、憐れみと、特別の保護を受けますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



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聖母の被昇天の玄義は「イエズス様が伝えて下さった最も大切な事は、天の国の事、超自然の事にある」と教えている

2020年09月10日 | お説教・霊的講話

2020年8月15日(土)秋田巡礼 聖母被昇天の大祝日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は聖母の被昇天の大祝日です。主日と同じ程大切な日ですので、少し黙想する事を許して下さい。

ピオ十二世教皇様は、昔からの使徒から伝えられた信仰でしたが、この被昇天の玄義が現代の人によって忘れ去られる、あるいは、「信じられなくても良いのではないか」という疑問が湧いてきたので、それをはっきりとさせる為に、1950年、今から70年前、11月1日、「マリア様は、その人生の終わりに、その肉体と霊魂をもって天に上げられた」と、宣言しました。

では、このマリア様の被昇天は私たちに、現代の私たちに一体何を教えているのでしょうか?

マリア様は、被昇天の玄義は私たちに、「イエズス様が伝えて下さった最も大切な事は、天の国の事にある」という事を教えています。「超自然の事にある」という事を教えています。

「私たちは超自然の命を、超自然の天主の命を頂いている」という事を信じています。「天主の子供に、養子に遺産相続された」という事を信じています。

この「天上の事を信じている」というのが、私たちの御子イエズス・キリストが天から降って、私たちに伝えて下さった事です。

ですからこの超自然の命を生きる為に、太古から、初代教会から、多くの人たちは全てをしてきました。ある者は隠遁生活、ある者は修道生活、ある者は殉教、ある者は宣教師となって、ある者は司祭となって、ある者は命をかけて、このイエズス・キリストの大切な超自然の命を守ろうと、あるいは伝えようと、広めようとしました。

そして家庭生活は、イエズス・キリストへの信仰で満ちていました。家庭での家族の祈り、あるいは家庭での一番大切なものは、イエズス・キリストの十字架などでした。

このカトリックの教えによれば、私たちにとって信じるべき事は、私たちにとって大切なものは、私たちが自由、自分の面白い事、面白おかしい事を話したという事ではありません。むしろ天の事を求めるあまり、地上の事はあまり関係ない、むしろ軽蔑、地上の事よりももっと天上の事を大切にしたい、という事でした。

ですから、たとえあばら家でも、子供たちがたくさんいる家庭、祈りに満ちた家庭を築く事に、喜びを見出していました。

マリア様の被昇天は、この「天上の信仰」に対するのみならず、「希望」も天に上げていました。

私たちが希望するものは、「永遠の命」です。マリア様のいらっしゃる天国です。「マリア様のすぐ傍に、諸天使と一緒に、天主三位一体を讃美したい。」これです。

私たちの希望は決して、現代の世界の言うように、人類の進歩、あるいは科学技術の発達というものでありませんでした。地上の事ではありませんでした。

マリア様の被昇天が教える事は、「天上への愛」です。

マリア様は、イエズス様を愛するその愛のあまりに、その霊魂は肉体に留めておく事ができませんでした。マリア様が天の事を愛したように、天主を愛したように、そして天主を愛するが為に隣人たちに憐れみと愛で接していたように、カトリック教会は、天国への愛を、天主への愛を、全てに超える愛を教えています。

今のように地上への、地球を大切にするとか、資源を大切にするとか、絶滅危惧種を守るとか、もちろん天主様の被造物ですから大切ですけれども、全てに勝る天主への愛を語らないと、全てに超える天主への信仰と、希望と、愛を語らないという事は、イエズス様がもたらしたその最も大切なものを無視する、あるいは暗黙の内に否定する、という事に繋がってしまいます。

ですから天主の、天上の事を語らない現代では、神学校は空っぽですし、修道院も空っぽですし、カトリックの家庭も、キリストのない家庭となって、十字架のない家庭となって、そして実りのない家庭となってしまって、ただ一緒にご飯を食べる、その場所だけになってしまいます。

では愛する兄弟の皆さん、今日マリア様の被昇天、私たちも、心をいつも天に上げている事ができますように、お祈り致しましょう。そして私たちも遂に、マリア様の被昇天を祝う私たちも遂に、マリア様と共に、永遠の命という最も大切なイエズス様がもたらした事を得る事ができますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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天主は人類に最後の救いの手段を与える事を望んだ。それが『ロザリオ』であり、『聖母の汚れなき御心に対する信心』である。これが最後の手段であってこの次はない。

2020年09月10日 | お説教・霊的講話


2020年8月13日(木)秋田巡礼 御聖体降福式にて
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父

御聖体の内に真にましまし給うイエズス様の聖心の御前で、礼拝と、感謝と、讃美、私たちの罪の償い、全ての御恵みを乞い求めましょう。

御聖体の内に真にましますイエズス様の、天主の御目には、どれほどマリア様を評価しておられるか、天主の御目にとって、マリア様とはどれほど素晴らしい方であるか、どれほど聖なる方で、イエズス・キリストがどれほど愛されておられるか、そのマリア様の秘密を私たちに教えて下さるように、私たちもマリア様のその偉大さを知る事ができますように、お願い致しましょう。

イエズス様だけが御存知の、マリア様のその成聖の聖徳の秘密を、私たちも垣間見る事ができるように、特別の御恵みを与えて下さい。

天主三位一体の、閉ざされた秘密の庭園、全く美しい、誰も人の入る事ができないその庭、その輝きと、素晴らしさと、美しさを、私たちも少し理解する事ができるように、特別の御恵みを与えて下さい。

この被造物が決して知り尽くす事ができない、マリア様の聖徳の輝き、その持つ威光、憐れみの深さ、その天主に対する愛、天主聖霊と全く一致せられたその霊魂の浄さ、はるかに、私たちのはるかに遠くにある燦然とした輝きを、私たちが近付いて理解する事ができますように。

御聖体の内に真に隠れてましますイエズス様の愛の聖心。イエズス様は、この地上で生活している間、マリア様にいつも従順である事によって、天主聖父に最高の栄光を帰す事を良しとされました。全世界に大奇跡を行なうよりも、世界の皇帝となるよりも、全人類からの賞賛を浴びるよりも、30年間の隠れたナザレトでの生活の方が、マリア様に対する愛の方が、価値があると、永遠の知恵は思われました。

もしもイエズス様がそうなさったのであれば、私たちにとっても、最も価値がある事は何か分かります。

ファチマのシスタールチアは言いました、「天主は、人類に最後の、最後の救いの手段を与える事を望んだ。それが『ロザリオ』であり、『聖母の汚れなき御心に対する信心』である。これが最後の手段であって、この次はない」と。

イエズス様は、この最高の最終兵器を、私たちに与えようと思っておられます。


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世界中のカトリック司祭が、御聖体の内に真にイエズス様が在す事を深く確信して、御聖体を聖なるものとして、大切に礼拝し、そしてこれを信徒らにも深く礼拝させますように

2020年09月10日 | お説教・霊的講話

2020年8月8日(土)御聖体降福式にて
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父

御聖体の内に真に在し給うイエズスの聖心の前で、しばらく、礼拝と感謝を御捧げ致しましょう。

世界中のカトリック司祭が、御聖体とマリア様を大切にし、信じようとし、教会のこの2つの宝を、多くの信徒たちに恵みを分け与える事ができますように。

カトリック司祭が、世界中のカトリック司祭が、御聖体の内に真にイエズス様が在す事を深く確信して、御聖体を聖なるものとして、大切に礼拝し、そしてこれを信徒らにも深く礼拝させますように。決して粗末に御聖体を取り扱う事がないように。

願わくは、世界中のカトリック信者たちが、御聖体を大切にする司祭、良き牧者の声を聞きますように。御聖体の事を気にもかけない雇い人の声ではなく、イエズス様の声を聞きますように、良き牧者の声を聞きますように。

十字架の上でイエズス様がマリア様を使徒ヨハネにお委ねになったように、使徒ヨハネもマリア様をご自分の母として敬ったように、司祭たちもマリア様を敬い、マリア様に対する信心を伝えますように。

教会で2000年間敬ってきた、天主の御母聖マリア。マリア様に対する信心を、司祭たちが讃えますように。母なる大地でも、パチャママでも、自然環境でもなく、私たちに救いをもたらして下さるマリア様。

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カトリック教会のために御聖体に在すイエズスの聖心の特別の御憐れみを乞い願いましょう。

2020年09月10日 | お説教・霊的講話

2020年8月7日(初金)御聖体降福式にて
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父

御聖体の内に真に在し給うイエズス様の聖心の受ける侮辱、冒瀆を償う為に、礼拝と、讃美と、感謝を御捧げ致しましょう。

ニュース報道によると、もうすぐ私たちはバチカンの大改革の事を聞く事になっているとのことです。教皇様は、取り返しがつかない、後には戻れないほどの改革をすると、発表されるとのことです。もう教皇様はサインをした、とのことです。使徒憲章という一番強い法令で、改革をするとの事です。

カトリック教会の為に、この初金曜日の、この御聖体降福式を御捧げ致しましょう。

改革に於いて、カトリック信仰は、その正統な信仰を守るという事はどうでもよくなってしまう恐れがあります。

教理聖省が無くなってしまって、聖職者と平信徒の区別も非常に曖昧になる改革が準備され、それが発表されようとしているとのことです。「福音宣教」がもっとも大切になり、さらに、これからは女性も含めて、平信徒も、バチカンの長官になる事ができる、等。

御聖体に在すイエズスの聖心の特別の御憐れみを乞い願いましょう。

カトリック教会のこの不安定さは、この全世界の不安定を引き起こすきっかけとなる可能性があります。

これをきっかけに、例えばコロナウィルスをきっかけに、全世界をリセットしようと、今までの世界とは全く別の世界を作ろうと、この動きが大きく、ますます大きくなる危険があります。

イエズス様にひたすら憐れみを乞い願いましょう。

イエズス様の御恵みによって、御憐れみによって、特別な御助けによって、イエズス様の涙、イエズス様の訴えに、イエズス様の聖心の呼びかけに、応える事ができますように。

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「人々の為にこれほど愛する聖心を見よ。人々をこれほど愛した聖心は、この私はその御礼に、人類の大部分から、忘恩と冷淡と無関心と冒瀆とだけを受けている。」

2020年09月09日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2020年8月30日、聖霊降臨後第13主日に東京で録画した小野田神父のメッセージをご紹介いたします。


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は聖霊降臨後第13主日で、福音では「10人のライ病患者が癒された。そしてきれいになった」という話を、史実を読みました。

そこで私の思った事は2つあります。もちろん、私たちは霊的に癒されて、そしてイエズス様から赦されて、罪の汚れから浄められた、霊的なライ病を持っていた者ですけれど、それが浄められた者です。

ですから、このサマリア人に倣って感謝したいと思いますが、まず第1点は、このサマリア人のした態度が、とても素晴らしいと思うのです。

まず、こう治った事が気付くと、それに感動して、大きな声で、「ああ、治った!わあ、嬉しい!ありがとうございます!」と言って、その道すがら天主様に感謝して讃美しつつ、イエズス様の前の所までやって来ます。

そして何をしたかというと、イエズス様の所に、ラテン語では“cecidit in fáciem ante pedes eius”「顔を地面にくっ付けて、平伏して、そしてイエズス様の足元の御前でそうやった」とあります。

まさにこれこそが、私たちが主イエズス・キリストに対して取るべき態度です。私たちもミサの時に、このような態度を取らなければなりません。私たちが受けた御恵みがあまりにも大きいので、あまりにも巨大な愛を受けているので、そのような愛、恩人の前で、感謝をどうしてもしなければなりません。

その感謝の為には、ただ声を大きな声を出して、「ありがとう!」と言うのみならず、態度でそれを示さなければなりません。そしてその態度は、全世界共通の態度です。日本でも、そしてイスラエルでも、そしてアフリカでも、フィリピンでも、中国でも、それは頭を地面に付けて、そして跪いて、「イエズス様、ありがとうございます」と申し上げる事です。

ですから、古代からカトリック教会ではいつも、御聖体、ミサの時にイエズス様に感謝する為に、私たちは跪いて、イエズス様を礼拝してきました。御聖体拝領する時にも必ず、跪いて、口で拝領してきました。感謝と礼拝の態度だからです。当然の事です。

今日のサマリア人は、私たちにそれを教えています。

第2に思った事は、感謝する人々はあまりにも少ない。

お願いをする時には、イエズス様をもちろん信じて、イエズス様の力を信じて、10人の人たちがお願いしました、「先生、イエズス様、私たちを憐んで下さい」と言ってきました。しかし10人の内で感謝したのは、たった1人。

『キリストに倣いて』においてもあります、「最後の晩餐に行ったのは12人だけれども、しかし十字架の下に行ったのは、ほんの1人しかいなかった。イエズス様と一緒に楽しい事をするなら、お願いをするならば、御恵みをもらう事ならば、皆でやるけれども、でも最後まで行くのは、ほんの少ししかいない」と。

昔から、そして今でもそうだったようです。

そしてイエズス様は、今から400年前にも、聖女マルガリタ・マリア・アラコックに言いました、「この人類の為に、人々の為にこれほど愛する聖心を見よ。この聖心は、人々を愛する為に何も惜しまなかった。すべてを全く空にして与え尽くした。そして自分を燃え尽くして人類を愛した。そしてどれほど人類を、人々を愛しているかという事を見せたかった。そしてそのこれほど愛した聖心は、この私はその御礼に、人類の大部分から、その恩を受けた大部分から、忘恩と、冷淡と、無関心と、冒瀆とだけを受けている。」

つまり誰も、ほとんどの人から感謝もされずに、「ありがとう」とも言われずに、しかも悪い態度で、あたかも敵であるかのように、「あっちへ行け!シッシッ!」と言われて、大恩人がそのように取り扱われているという事を嘆いて、悲しんでいます。

イエズス様が仰るには、聖心が仰るには、「敵からそう受けているのではなくて、私に奉献された霊魂たちから特にそうされているので悲しい。カトリック信者のみならず、聖職者、司祭たちから、修道者たちから、そのような冷たい態度を取られているので悲しい」と、「だから少なくともお前は、私の心の聖心を慰めて欲しい。感謝して欲しい。礼拝して欲しい。償いを捧げて欲しい」と、お願いに来ました。

そしてイエズス様は今でも、それを仰っているに違いありません。

愛する兄弟の皆さん、是非イエズス様をお慰めする為に、イエズス様をお愛しする為に、イエズス様に感謝を申し上げる為に、私たちの当然あるべき態度を示す為に、聖伝のミサに与って下さい。

東京と大阪でミサが毎週捧げられています。どうぞこのミサに与って、跪いて、イエズス様を礼拝して下さい。イエズス様を、跪いて、口で聖体拝領して下さい。そして感謝と愛を見せるようにして下さい。

それのみならず、イエズス様にそうして当然の人たちから受けている冷淡や、冒瀆や、無関心、忘恩、恩知らず等を償う為に、そしてまた私も過去、どれほど冷淡だった事でしょうか。私の過去はどれほど無関心で、どれほどやり方が悪かった事でしょうか。イエズス様の事を感謝しようともせずに、「ありがとう」とも言わずに、また冷たくイエズス様に機械的にお祈りをしたり、「あぁ、義務だから」と言って冷たい態度を取ってきた事がどれほどあるでしょうか。

それを償う為にも是非、愛を込めてラテン語の聖伝のミサにいらして下さい。イエズス様はどれほどそれを見て、慰められる事でしょうか。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

チャンネル登録をなさいますと、新しくアップされた動画の通知が届くので便利です。チャンネル登録は、ここ「SSPX JAPAN 聖ピオ十世会日本」をご覧ください。





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--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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