Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ礼拝し希望し御身を愛します!御身を信ぜぬ人々礼拝せず希望せず愛さぬ人々のために赦しを求めます(天使の祈)

パリのサン・ニコラ・ドュ・シャルドネ教会でルター派牧師がカトリック教会に帰正する

2006年06月28日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア! 使徒聖ペトロとパウロの祝日の前日にて



聖ピオ十世会国際ニュース:フランス



2006年7月30日(主日)にパリのサン・ニコラ・ドュ・シャルドネ教会でルター派牧師が異端説を放棄してカトリック教会に帰正する。



 スエーデンのオスカルシャム(Oskarshamn)教会のルター派牧師ステン・サンドマルク(Sten Sandmark)は、スエーデンとドイツ語のマスメディアに、自分がルター派教会を去り、一、聖、公、使徒継承の教会に帰正することを宣言した。


 およそ10年以来、真理を探求する彼の霊的道のりは、カトリック教会に彼を近づけた。スエーデンの教会当局は、とりわけストックホルムの司教(スエーデンにおける唯一の公式のカトリック司教)は、彼の改宗をあまり歓迎しなかった。司教はむしろ、カトリックとルター派との姉妹教会が普遍のキリストへとともに平行して歩んでいることを語った。


 この牧師によると、司教とともに、現代のミサと現代の神学がカトリックに帰正することをためらわせた。「私は、ルター派主義とまた出会うために、これを棄てることはできなかった」と報道機関とテレビの前で宣言した。


 彼は、真のカトリック教会を探していた。古いミサ聖祭の聖なる典礼様式、聖体礼拝、聖母マリアへの崇敬、聖トマス・アクィナスによる神学、つまり一言で言えば、不幸なルターが、そしてつい最近では第二バチカン公会議後の教会が棄てたものを探していた。


 そしてついに或る巡礼の機会に、ステン牧師は自分の探していたものを自分のオスカルシャム(Oskarshamn)教会に見いだした。それが聖伝のミサ、永遠のミサ聖祭である。彼は涙を流して感動した。


 彼とその助手の公式の帰正式は、2006年7月30日(主日)にパリのサン・ニコラ・ドュ・シャルドネ教会(=聖ピオ十世会の司祭が聖伝のミサを捧げている教会)で10時半の荘厳ミサの際におこなわれる。。


 スエーデンでのルター派教会(今でも国家宗教としての教会)の状況はますます緊張している。2005年10月、同性愛者の典礼上の結婚が認められた。ルター派の司教と女司教との間の公然とした道徳的逸脱がますますスキャンダルとなっている。(スエーデンのルター派司教は12名いるがそのうち2名が女性。その一人の女司教は自分をレスビアンだと主張している。一人の司教は既に3度目の結婚をしている。云々)


 「これら全てが、私をしてこの構造から出ることを要請した。この中では私はいかなる責務を受けることができなかった。」


 ステン・サンドマルクは「完全な」カトリック信仰を見つけるため、特に「自分の霊魂を救うため」にルター派教会を去る。彼はこう強調する。「私たちはルターが間違いを犯したところまで戻ってそこから正しい道を歩み始めたい。」・・・


 この帰正の後、ステン牧師は聖ピオ十世会の神学校で勉強をしたいと望んでいる。それはカトリック司祭となり、永遠のミサ聖祭を捧げることによってスエーデンで宣教をすることが出来るためだ。


 願わくはスエーデンの守護の聖人かつキリスト教ヨーロッパの守護の聖人の一人である聖ブリジッタが、その勇気ある歩みにおいて彼を助け、将来の使徒職を導き給わんことを!


 私たちは、サン・ニコラ教会で帰正式が行われることを喜ぶ。サン・ニコラ教会は象徴だ。カトリック教会の信仰の象徴、回心を呼び覚ます完全な信仰の象徴である。それは信徒をカトリック教会から離している現代のエキュメニズムの反対である。


ザヴィエ・ボヴェ神父

 


http://www.laportelatine.org/accueil/communic/2006/abjuration/abjuration.php
より


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イエズスの至聖なる聖心よ、我等を憐れみ給え!
天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!
聖ブリジッタ、我等のために祈り給え!
聖ピオ十世、我等のために祈り給え!



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朝鮮日報の社説 孤立無援の大韓民国 を読んで

2006年06月23日 | 本・新聞・ウェッブ・サイトを読んで

アヴェ・マリア! イエズスの聖心の祝日にて



朝鮮日報の社説 孤立無援の大韓民国 を読んで



 昨日、朝鮮日報を読んでいて、その社説に感動した。日本語のウェッブ・サイトから終わりの方の抜粋を紹介したい。



【社説】孤立無援の大韓民国 


・・・・ 現政権の偉い方々は国民に数百兆ウォン(約数十兆円)の税金を出させ、自主国防の後押しをすることを要求したが、実際にやったことはといえばこうした空虚なスローガンで大韓民国を孤立無援の状態に追い込んだことだけだ。


 世界の流れにまともに目を向けてはどうか。自分が見たいように見る世界観ではなく、あるがままの世界を受け入れるべきだ。一国の指導者が世界の動きをありのままに受け止めず、自分勝手に解釈すれば、その国と国民は存亡の危機にさらされるしかないのだ。


 われわれの先祖や先達が涙で取り戻し、血を流して守り、汗にまみれながら作ってきた大韓民国が今、非常事態に直面していることに気付くべき時だ。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/06/22/20060622000008.html


============



 私はキーポイントはここだと思う。


 「自分が見たいように見る世界観ではなく、あるがままの世界を受け入れる」。


 指導者が現実の世界を「ありのままに受け止めず、自分勝手に解釈すれば、その国と国民は存亡の危機にさらされるしかない」。


 現実の世界に「まともに目を向け」なければならない。



 まさに、現実主義に立ち戻る、ということだ。あるものをあるがままに認識する Realism(現実主義)に戻るということだ。私たちには、現実をそのまま認識することができるし、そのまま認識しなければならない、ということだ。私たちは、私たちの心(=頭の中で考えていること)の外にある現実を、ありのままに認識することが出来る、ということを受けいれなければならない。


 <私>がなにを思おうと、好きであろうとなかろうと、信じようが信じまいが、何と名前を付けて呼ぼうと、現実は現実として存在している。そして<私>は、その現実を認識できるのだ。

 


 朝鮮日報の社説と共に、私たちも言いたくなる思いがした。




・・・・ 第二バチカン公会議以後の偉い方々はカトリック信徒に新しい典礼を受け入れさせ、エキュメニズムの後押しをすることを要求したが、実際にやったことはといえば、団体主義、エキュメニズム、信教の自由というスローガンでカトリック教会を混乱の状態に追い込んだことだけだ。そして第二バチカン公会議の「春」が来た、第二バチカン公会議は成功だ、と主張している。


 現実にまともに目を向けてはどうか。自分が見たいように見る世界観ではなく、あるがままの現実を受け入れるべきだ。教会の指導者が現実をありのままに受け止めず、自分勝手に解釈すれば、教会と信徒は存亡の危機にさらされるしかないのだ。


 われわれの先祖や先達が涙で取り戻し、血を流して守り、汗にまみれながら作ってきたカトリック教会が今、非常事態に直面していることに気付くべき時だ。


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 【お知らせ】

 このブログは、今年の復活祭の後から「エキュメニズム関連情報」の記事のために、ノエの酔う姿を見ないように後ろから近づく子供達の心で、いわば「隠す」つもりで記事を一つ一つクリックしないと読めないようにしていました。(特に金枢機卿様の写真などがそうでした。)
 しかし、もはやエキュメニズム運動の推進が正当化されている現在、「隠す」理由は存在しないと思われます。また、読者の兄弟姉妹の皆様の便宜をはかり、しばらくしましたら、元の形式で多くの記事を一度に読むことが出来るように戻すつもりです。
 これからも、応援をよろしくお願いします。

 



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 韓国ではカトリック司祭らが600名、臓器提供(ドナー)となる誓約をする

2006年06月23日 | カトリック・ニュースなど

アヴェ・マリア! イエズスの聖心の祝日にて


 韓国ではカトリック司祭らが600名、臓器提供(ドナー)となる誓約をする。


 韓国では今日のイエズスの聖心の祝日に、鄭枢機卿を始めとして全てのソウル大教区の600余名の司祭が、死後臓器提供(ドナー)となることをを誓約する。聖職者600余名が団体で、ドナーとなる誓約をするのは、ほとんど前例がない、とのこと。

http://www.chosun.com/culture/news/200606/200606220029.html




 願わくは、「生命は創造主から受けた基本的な権利であり、(死の判定のためには)生命を失ったことを確実に証明しなければならない。」(ピオ12世 1957年11月24日)という原理がソウルの司祭たちを始め、全てのドナーについて守られますように!


 臓器移植優先で、本当は助かるはずの命が失われることのないように!


 医学がドナーとレシピエントの両者を救うように発達していきますように!



【詳しくは次のサイトもご参考にご覧下さい】


 臓器移植について
http://fsspxjapan.fc2web.com/other/26640202c.html

 脳死について
http://fsspxjapan.fc2web.com/other/26640202b.html

 


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教皇庁国務省新長官としてタルチジオ・ベルトーネ枢機卿など人事異動

2006年06月23日 | カトリック・ニュースなど

アヴェ・マリア! イエズスの聖心の祝日にて


 バチカンでは人事の異動


 教皇ベネディクト16世は、22日、教皇庁国務長官アンジェロ・ソダノ枢機卿の定年を理由とする引退願いを受諾されると共に、今年9月15日まで現職に留まることを依頼された。そして、来る9月15日には、教皇は教皇庁国務省の新しい長官として、現ジェノバ大司教のタルチジオ・ベルトーネ枢機卿を任命される。

http://www.radiovaticano.org/japanese/japnotizie0606c/japcronaca060622.htm


 教皇ベネディクト16世は、22日、教皇庁バチカン市国委員会議長でバチカン市国行政庁長官のエドムンド・カシミール・ショーカ枢機卿の定年を理由とする引退願いを受理されると共に、今年9月15日まで現職に留まるよう願われた。教皇は、来る9月15日、新しい教皇庁バチカン市国委員会議長およびバチカン市国行政庁長官として、現国務省外務局局長(外務大臣に相当)のジョヴァンニ・ラヨロ大司教を任命される。

http://www.radiovaticano.org/japanese/japnotizie0606c/japcronaca060622b.htm




 新しいバチカンの高官の方々のためにお祈りを捧げよう。
イエズスの至聖なる聖心、我等を憐れみ給え。


 

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100年ほど前に、西インド諸島(les Antilles)であったことを考える

2006年06月22日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

ダ・ヴィンチ・コードと世界の反応

 


 100年ほど前に、西インド諸島(les Antilles)でおよそ次のようなことがあった。


 約100年前の或る聖金曜日に、西インド諸島の或る町で、フリーメーソンの会員が、十字架を持って冒涜し、それを近くの休火山の山頂の火口に棄てたことがあった。その当時、一人の小教区の司祭を除いて、だれもそれに抗議の声を上げなかった。


 その数ヶ週間後の早朝、誰にも夢にも思っていなかったことが起こった。その火山は突然噴火し、大量の土砂を吐き出してその町を一瞬にして埋め尽くしてしまった。その町から生きて逃れることが出来たものは、たまたまその町を離れていた用事があった人などで、数えるほどしかいなかった。西インド諸島の人たちは、この火山の噴火を聖金曜日の冒涜の天罰であったとすぐに理解した。


 ノエの方舟の時代も、ソドマとゴモラの時も同じように、例え少数でも誰かが悪に対して抗議する人がいれば、町全体は救われただろう。たとえ多くの人々が黙っていようとも、残念ながら抗議が理解されなかったとしても。



 おそらく日本の司教様たちは、お忙しくて、ダ・ヴィンチ・コードの凶悪さにお気づきにならなかったのだろう。その他のお仕事がたくさんありすぎたのだろう。だから、誰かそれに気がついた人々が、代わりに、出来る限りをして補うべきではないだろうか。


 天主の御恵みによって、その危険さに気づかされた私たちは、不幸なことが私たちの愛する祖国日本に起こらないように願って償いを捧げたい。だから私たちは、司教様たちのためにも続けてお祈りを捧げたい。



 主よ、憐れみ給え!
 イエズスの至聖なる聖心よ、我等を憐れみ給え!
 聖母の汚れ無き御心よ、我等のために祈り給え!

 



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■どなたからか次のような書き込みをいただいた。


> 罪!悪!冒涜!などとヒステリックになじったり、不買やら上映反対などといった動きがあり、また、信者のそういった言動を教会幹部がセーブするどころか逆に煽り立てるという...。
> そういうのを見聞きするにつけ、非カトリック・非キリストで良かったなと思うのが、日本人の多数意見だと思います。



▲コメント▲


 「日本人の多数意見」・・・、また出たか。



 今の流行がミニスカートで、平気で下着を見せるのが普通なのに、もしもキリスト教信者が「それは慎みがない」といってそうしないとすると、「日本人の多数意見」がおかしく思うから、みんなと同じことをするべきだ。



 みんなが下品な冗談を言って笑っているのに、自分だけカトリックだからといって笑わないのは、「日本人の多数意見」がおかしく思うから、みんなと同じように下品な冗談をするべきだ。



 みんな子供は少ないのに、たくさん子供に恵まれると、「日本人の多数意見」に、だからカトリックは、とおかしく思われるから、みんなと同じことをするべきだ。



 他の日本人がみんなこうしているから、みんなやっているから、みんな読んでいるから、そうしないと、「日本人の多数意見」におかしく思われる、「だからカトリックは、ああなんだ」と変に思われるから、みんなと同じことをするべきだ。・・・ そう言いながら、日本のカトリックは、カトリックであることを止めてしまうのではないか。塩が塩の味を失うのではないか。光を升に隠してしまうのではないか。


 「日本人の多数意見」・・・、もうたくさんだ。
 私たちは、「みんなの多数意見」ではなく、良いことは何か、真理は何か、を考えてすべきではないだろうか。

 


 更に、良く考えてみよう。

 例えば自分の母親について、悪意を持って、讒言し名誉を毀損し、不倫や不誠実と欺瞞を並べ立てる小説を書き映画を作ったとする。それについて母親の真理を知っている子供が抗議も何もしなかったとしたら、「日本人の多数意見」は、おかしな子供だ、と思うのだろうか? それとも抗議して当然だ、と思うのだろうか?
 子供であるにもかかわらず、その讒言について、出来たにもかかわらず何も抗議しなかったら、子供は無関心・親不孝だと馬鹿にされるだろう。「寛容だ」と褒める人はいないだろう。口では褒めるかもしれないけれど。



 日本の領土であるにもかかわらず、例えば、或る外国が天然資源を発掘したり、外国政府が選挙の投票箱を設置したり、外国が領有権を主張したり、主権を侵害したりしたとしよう。そのようなことに対して、政府責任者が抗議したら、「日本人の多数意見」は、おかしな政府責任者だ、と思うのだろうか?
 日本政府の責任者が何も抗議しなかったら、日本国政府は無能・無関心だと自国民からも外国からも馬鹿にされるだろう。「寛容だ」と褒める人はどこを探してもいないだろう。利益を受ける外国の新聞の社説では賞賛されるかもしれないけれど。



 もしも例えば、誰かが今度は、ホロコーストは無かったという映画を作ったとしよう。そうしたらおそらく、多くのユダヤ人たちが抗議をして、不買やら上映反対などといった動きがあるだろう。「日本人の多数意見」は、ユダヤ人に同情するのではないだろうか?



 結局、「日本人の多数意見」とやらいうものも、マスメディアに操作されて作られているんではないだろうか?

 



> なんていうかねえ、せっかく聖書に愛とか寛容の精神が書いてあるんだから、教会も信者も実践して欲しいものですね。


 「愛」というのは、まず天主への愛、真理への愛だ。全てはそこに基づく。真理への愛があれば、ウソに対して憎むのが当然だ。


 「寛容」というのは「罪人」に対するものであって、「罪」と「誤謬」に対するものではない。


 聖書には、天主への冒涜については極めて恐ろしい天罰の話がよく載っている。




> 映画と事実は異なるということを論理立てて地道に反論すればいいのに、わざわざ悪・罪・冒涜といった言葉を使うと、不寛容で攻撃的な印象が広まってかえって逆効果ですよ。



 まず「映画と事実は異なるということを論理立てた反論」については、私たちなりに反論を準備してネット上に掲載している。

http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/b19dc2128e644a3446f0dc164642d1ff


 しかし、人間がどう思おうとも、悪・罪・冒涜は存在する。だから悪・罪・冒涜を悪・罪・冒涜と呼んでいるのだ。


 悪・罪・冒涜は、まず第一にそして主要に、天主の御稜威を傷つけ犯す。次に副次的に、社会と人間と自分自身を傷つける。


 悪・罪・冒涜は、それに対する償いを要求する。誰かが償いを支払わなければならない。何故なら、天主は、憐れみであると同時に、正義であるからだ。


 誤謬を誤謬として指摘する必要はある。しかし、悪・罪・冒涜については償う必要がある。

 



 そうしている間に、日本では悪魔崇拝やオカルトがエスカレートしているようだ。主よ、憐れみ給え!



============



 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。日本の司教様や教会の指導者の方々のためにお祈りをお願いします。

 天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!


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ダ・ヴィンチ・コード:世界の反応:日本

2006年06月22日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!


ダ・ヴィンチ・コード:世界の反応:日本


★日本★



■日本のカトリック司教たちはいかなる公式の宣言もせず



【以下はグリム神父様(Maryknoll Father William Grimm)のコメント「ダ・ヴィンチ・コードは回心への呼びかけ」の要約


 他の国々の司教らや教会の指導者は、ボイコットを呼びかけ上映禁止申請を提出し、時に、その国ではそれが成功して上映が禁止されたけれど、日本の司教たちは本についても映画についてもいかなる公式の宣言をしなかった。


 関心がなかったためなのか、やっても無視されるだけで無駄だと思ったのか、宣伝の一部に使われたくないと思ったのか、あるいはその他の理由なのか、私には分からない。・・・・


 私は司教たちが何もしなくて嬉しい。何故なら、これが本や映画の宣伝になるだけだから。・・・


 人々はイエズス・キリストに魅せられている。その神秘的なことを知りたいと思っている。・・・ それがうまく伝えられていないのは、伝える人がうまく伝えていないからだ。・・・・


 この小説と映画がそのような大衆を動員出来たという事実は、現代のカトリック教会の生き様についての悲しい解説である。


 現代の人々に挑戦し・激励し・魅惑することの出来るような、知的な・芸術的な・心情的な、そして最終的に霊的な完全性(integrity)が私たちにはあるのだろうか? もしそれがあるならそれらはどこにあるのか? 私たちは光をマスの中に隠してしまったのではないか? 人々のイエズスに関する関心を、私たちが答える代わりに、ダン・ブラウンが答えているというのは、この世のせいか? 悪魔のせいか? それとも私たちの過ちなのか?


 ダ・ヴィンチ・コードは、月並みなフィクションである。しかしこれは、同時に、生ぬるい月並みなキリスト教徒らへの回心への呼びかけだ。


グリム神父は、日本カトリック新聞の編集長

 原文は英語で次にある。
http://www.ucanews.com/html/ucan/f_dishpatch.asp?ucalang=English_../news_report/english/2006/06/w2/fri/JA00515Kg.txt


======



▲コメント▲


>  私は司教たちが何もしなくて嬉しい。何故なら、これが本や映画の宣伝になるだけだから。・・・



 私たちは、司教様たちが何もしなかったのを悲しく思う。何故なら、司教様がイエズス・キリストが罵られて、あたかも何でもないかのように思われてしまうからだ。


 世界中のカトリック司教らの反応を見て見ると、おそらく公式に何もしなかったのは日本のカトリックだけだろう。


「抗議が、本や映画の宣伝になるだけ」? 何故、最初から敗北主義に浸っているのだろうか?


 何故、キリスト者が人口の1%にも満たない日本で、「ダ・ヴィンチ・コード」がキリスト教に対するウソの「宣伝」をしているのだから、抗議をすることで、カトリック教会がイエズス・キリストに対して別の見方をしているということを知らせることが出来たではないか。


 何故、この機会に、イエズス・キリストについての正しい知識を日本の兄弟姉妹に伝えるチャンスにしないのだろうか?


 私たちが悲しい理由は、それだけではない。

 日本に今、平和を与えているのは、平和の君である私たちの主イエズス・キリストだ。日本国憲法第9条ではない。私たちの愛する祖国の平和にとって、イエズス・キリストの名誉と真理を守る方が、その他の政治活動に優って有益なことである、と私たちは固く信じている。何故なら、イエズス・キリストは天地を統宰するまことの天主だからだ。

(日本国憲法に私たちは台風を放棄する、と書いてあったとしたら、台風は来なくなるのだろうか?)


 だから、政治的なロビー活動では活発な司教様たちが、私たちの主イエズス・キリストの名誉のために何もされなかったのを見て、私たちは悲しい。



>  この小説と映画がそのような大衆を動員出来たという事実は、現代のカトリック教会の生き様についての悲しい解説である。
>  現代の人々に挑戦し・激励し・魅惑することの出来るような、知的な・芸術的な・心情的な、そして最終的に霊的な完全性(integrity)が私たちにはあるのだろうか?
> もしそれがあるならそれらはどこにあるのか? 私たちは光をマスの中に隠してしまったのではないか?
> 人々のイエズスに関する関心を、私たちが答える代わりに、ダン・ブラウンが答えているというのは、この世のせいか?
> 悪魔のせいか? それとも私たちの過ちなのか?



 何故、かつて2000年間にわたって教会は、ギリシア・ローマの人文学術の高度な人々に挑戦し・激励し・魅惑することの出来るような、知的な・芸術的な・心情的な、そして最終的に霊的な完全性を持っていた。そして、その完全性によって、多くの博士、聖人、童貞女らを生み出してきた。


 それにもかかわらず、いったい何故、現代になって急激にそれが出来なくなってしまったのか? その完全性はどこにあるのか? 


 私たちはよく知っている。その完全性は、カトリック教会の聖伝にある、と。第二バチカン公会議後のカトリック教会は、その聖伝の完全性の光を升の中に隠してしまった。これは、この世のせいか? 悪魔のせいか? それとも私たちの過ちなのか? 

 


>  ダ・ヴィンチ・コードは、月並みなフィクションである。しかしこれは、同時に、生ぬるい月並みなキリスト教徒らへの回心への呼びかけだ。


 そうだ。これは全てのカトリックと全てのキリスト教への、聖伝への回心の呼びかけだ。私たちのカトリック教会が持つ、現代の人々に挑戦し・激励し・魅惑することの出来るような、知的な・芸術的な・心情的な、そして最終的に霊的な完全性(integrity)への回心の呼びかけだ。聖伝への回心の呼びかけだ。


~~~~~~~

 私たちカトリックの指導者がダ・ヴィンチ・コードについて沈黙している間に、日本では悪魔崇拝がエスカレートしている。主よ、憐れみ給え!

 

■2006年05月24日、日本のロック・グループは冒涜のCDを発売。


5月24日発布 悪夢の3枚組教典『恐怖の復活祭』
昨年の12月26日、東京国際フォーラムでの最終「黒ミサ公演」を中心に、全会場即日SOLD OUTとなった各地での模様も収録。

http://music.livedoor.com/feature/demon/
【↑ここには、過激な画像があるので、敏感な方はご覧にならないことを勧めます。】


■悪魔の恐ろしさを知らずに悪魔と遊ぶ危険をおかす日本人


 <666>の日(?)である2000年6月6日(火)に全世界同時に公開される映画 『オーメン』の公開を記念して、梅田ナムコシティ前(旧アムラックス)に期間限定の《ダミアンの懺悔室》なるものが登場。(懺悔室のオープンは3日から7日まで)
 この懺悔室は、映画のヨハネ聖堂をモチーフにデザインされたもので、「悪魔のプリクラ」が設置されてしている。
 「ダミアン餃子」も販売。悪魔の黒い皮が売り物の6個入りでこちらはソフトドリンクとセットで666円(3日~17日)。

http://osaka.nikkansports.com/news/p-on-tp5-20060603-40763.html

 



============



 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。日本の司教様や教会の指導者の方々のためにお祈りをお願いします。

 天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!




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新しい「諸聖人の連祷」(?)  エキュメニズム関連情報:アメリカ

2006年06月22日 | エキュメニズム関連情報

アヴェ・マリア!


 エキュメニズム関連情報:アメリカ


 テイヤール・ド・シャルダン、ガンジー、マルティン・ルター・キング、ゴッホ、モーツアルトも入った新しい「諸聖人の連祷」(?)



 アメリカのベネディクト会の修道女 Mary Lou Kownacki は、新しい千年期のための新しい「諸聖人の連祷」を作った。このシスターは、第三世界とアメリカとの200のベネディクト会とシトー会とを連帯させる事務総長。

 新しい「連祷」には、イエズス会のテイヤール・ド・シャルダン、インドのマハトマ・ガンジー、マルティン・ルター・キング、画家のファン・ゴッホ、音楽家のモーツアルトの名前もあるそうだ。


http://www.kreuz.net/article.3398.html
(最後の記事です。イコン風のガンジーの絵に注目して下さい。)


 主よ、憐れみ給え!

 


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 ■ 聖伝のミサにようこそ! ■ WELCOME TO THE TRADITIONAL MASS!

2006年06月16日 | 聖伝のミサの予定

兄弟姉妹の皆様を心から、聖伝のミサにご招待いたします。

アヴェ・マリア!

 ■ 聖伝のミサにようこそ! ■ WELCOME TO THE TRADITIONAL MASS!

(聖伝のミサは、第二バチカン公会議以前のミサ、聖ピオ5世のミサ、古いミサ、ラテン語ミサ、ローマ式典礼様式のミサ、トリエントミサ、トレント公会議のミサ、伝統的ミサ、伝統ラテンミサ、・・・などとも呼ばれています。)

二千年間もの尊むべき使用試されかつ真実のミサ聖祭、
祭壇で司祭が捧げる明白に犠牲であるミサ聖祭、
天主を中心に据えられる崇敬の為に構成されているミサ聖祭、
完全にカトリック:一・聖・公・使徒継承のミサ聖祭、
トリエント公会議にて聖人教皇(教皇聖ピオ5世)により法定化されたミサ聖祭、
実り豊かで、数知れぬ聖人、殉教者、聖職召命の群れを生み出したミサ聖祭へ、ようこそ! 私たちは心から歓迎します! 


     <2006年6月>

【大阪】大阪市東淀川区東中島1-18-5 新大阪丸ビル本館(JR新大阪駅の東口より徒歩5分)「聖母の汚れ無き御心巡回聖堂」

16日(金)平日(4級)緑  午後5時半
17日(土)証聖者司教聖グレゴリオ・バルバディコ(3級祝日)白 午前11時


【東京】東京都文京区本駒込1-12-5曙町児童会館1F 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

17日(土)午後6時半 グレゴリオ聖歌に親しむ会(http://sound.jp/gregorio/
     午後8時40分 グレゴリオ聖歌による終課

18日(主)午前10時  ロザリオ及び告解
          御聖体の荘厳祭(日本)白 午前10時半
     ミサ聖祭の直後に、御聖体降福式を予定しております。
     午後2時半 公教要理の霊的講話
     午後4時半 グレゴリオ聖歌による主日の第二晩課

19日(月)童貞ファルコネリの聖ユリアナ(3級祝日)午前7時
20日(火)平日(4級)緑 午前7時

 

 詳しいご案内などは、
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila351.html
 などをご覧下さい。


それでは、皆様のおこしをお待ちしております。


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FSSPX JAPAN BBS もよろしくお願いします。

http://fc2bbs.com/bbs?uid=7603


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【お知らせ】

名古屋栄三越での「マリア・テレジアとマリー・アントワネット展」
(6月13日から26日まで)

 マリー・アントワネットの軍艦型髪飾りや書簡だけでなく、マリア・テレジアが作らせたという黄金のカリスと聖パウロの聖遺物入れなどが展示されるそうです。「母娘の物語を主軸として、ハプスブルグ家絶世期の文化や美術を紹介する」そうです。


詳しくは、
http://www.nhk-sc.or.jp/event/marie/
をどうぞ!!

 

「マリア・テレジアとマリー・アントワネット展」

 そごう心斎橋本店開店記念 マリー・アントワネット生誕205周年
マリア・テレジアとマリー・アントワネット展
~華麗なるハプスブルク家 母と娘の物語~
 対照的にも見える人生を辿ることになったマリア・テレジアと娘マリー・アントワネットのドラマには、幾度思いを馳せても尽きぬ興趣がある。
  それは、感嘆であり、微笑ましさであり、共感であり、また痛ましさであり、およそ人間が抱くあらゆる情動が、この母娘のたどった激動の生涯の軌跡から触発されうるというのは、実に感興をそそられることである。
監修 池田理代子
 
 本展はマリー・アントワネット生誕250周年を記念して、監修に池田理代子氏を迎えて開催します。激動の時代を生きた「女帝マリア・テレジア」と「王妃マリー・アントワネット」の母と娘の物語を主軸に、当時のハプスブルク家の文化と美術、そして魅力あふれる二人の女性の波乱の生涯を、王宮博物館はじめハプスブルク家所蔵の貴重な遺品類によって展覧します。特にマリア・テレジアの遺品のほとんどは今回が初公開です。
 
http://www.ikeda-riyoko-pro.com/info/empress.html


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兄弟姉妹の皆様の応援を感謝します!


天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

 


 

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ダ・ヴィンチ・コードの誤りを指摘してくれる日本語のウェッブ・サイトの紹介。

2006年06月14日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい


ダ・ヴィンチ・コードの誤りを指摘してくれる日本語のウェッブ・サイトの紹介。


□ダ・ヴィンチ・コード一般

■ダ・ヴィンチ・コード一般

「マニラの eそよ風」第346号 2006/05/30 『ダ・ヴィンチ・コード:冒涜の仮説とデタラメな歴史』マリアン・ホーヴァット(Marian T. Horvat, Ph.D.)
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila346.html


■邪悪なダ・ヴィンチ・コードはどうカトリック信仰に対立するのか
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/026fc761d1f48883466f54fd733c08f9

■ダ・ヴィンチ・コードは、どこが冒涜とデタラメの極みか
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/11698063a6df3faa896784456904be01

■ダ・ヴィンチ・コードのカトリック教会に対する讒言と虚偽(カトリック教会は反女性的か?)
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/e18bbec2042bc23465ca813b239dafa0

 


□新約聖書について:新約聖書は史料として信頼に値する

■福音書を歴史的記録書として信頼することが出来るか?(その2)
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/856184fa04d7812752d3868aa109eed4

■福音書を歴史的記録書として信頼することが出来るか? (その1)
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/ffaa4ad46c23534b51341d79f063bad8

■新約聖書は、西暦五〇年から一〇〇年までの間に成立した
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/0be2cf4c20be24804805be3d1c2bb60a

■仏教経典の成立と比較して

「マニラの eそよ風」第345号 2006/05/26 カトリック教と仏教
「私は、なぜカトリック教を信ずるか」 ピオ吉井滴水 著
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila345.html

■現代主義の誤謬に対して

「マニラの eそよ風」第127号 2003/04/30 第一部 福音書の史実性について
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila127.html

 



□イエズス・キリストについて

■歴史は、イエズスがした多くの印、奇蹟、言葉、教え、教会の制定などが歴史上の事実であると認める
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/976ecc2c5f8690e1440adcd6b8431571

■イエズス・キリストは天主か? (その1)
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/00ddcebecf13faafd2073e14ca30ea18

■イエズス・キリストは天主か? (その2)
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/f33eccd179fa6d789dec5d84bad35886

■イエズス・キリストは天主か? (その3)
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/1e271f6523019865380c382c25c72ffb

■キリストは復活したか?(反対論に答える)
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/aad681fcb7295120df81527102cba3bd

 


□キリストの妻帯説について

■古来には、キリスト妻帯説は存在しなかった。これは20世紀になって登場した。
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/ba73ddc8f772f4311bbf0cac5e98dff0

■ダ・ヴィンチ・コード: イエズス・キリストはマグダラのマリアと結婚していたか?
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/7151340430c7af0d5c8df37cddecaaa2


■イエズス・キリストの聖福音を生き、キリストの生き写しといわれたアシジ聖フランシスコの教えるイエズス・キリスト
「マニラの eそよ風」第348号 2006/06/01 八巻頴男著『アッシジの聖フランシスコ』第一章 聖福音の行者 聖フランシスコ
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila348.html


■聖杯を追求する「聖杯の騎士」とは何を意味するのか。
「マニラの eそよ風」第349号 2006/06/03 八巻頴男著『アッシジの聖フランシスコ』第二章 キリストの騎士 聖フランシスコ
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila348.html

 

□日本での私たちの対応

「マニラの eそよ風」第344号 2006/05/25 聖ピオ十世会が日本で行ったダ・ヴィンチ・コードの冒涜に対する償いの行動 
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila344.html

 


兄弟姉妹の皆様、もしも皆様の中で、ダ・ヴィンチ・コードに反論する日本語のウェッブ・サイトをご存じの方がおられましたら、是非私たちに教えて下さい。よろしくお願いします。


天主様の祝福が豊かにありますように!

 

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 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。日本の司教様や教会の指導者の方々のためにお祈りをお願いします。

 天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!

 

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コメント (4)

ダ・ヴィンチ・コード:世界のカトリック教会の反応

2006年06月14日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!


ダ・ヴィンチ・コード:世界の反応


★フランス★

2006年6月1日 「ル・ジュルナル・ド・ミロ」紙

聖伝のカトリック信徒は「ダ・ヴィンチ・コード」に反対する


「ペピニエール通り、映画館の前の主日」
 約30名の聖伝のカトリック信者らが、映画「ダ・ヴィンチ・コード」に反対して祈りのデモをした。

 祈りと跪きで、聖ピオ十世会のこれらの聖伝カトリック信者らは「ダ・ヴィンチ・コードによる、多くの憎悪と虚偽と様々な誤りを前に不満」を表明することを意図した。・・・

「キリスト教徒は、祈りとともにポスターやビラを配ることによってキリスト教を守らなければならない。それは、現代の宗教的無知の時代において、このグノーシスのおとぎ話は多くの人を騙すかもしれず、その危険について注意を喚起するためだ。」と、聖フランシス・ド・サール修道院長のベルノワ神父は考える。・・・

http://www.laportelatine.org/communication/presse/2006/davincipresse2/presse2.php

 

★中国★

ダ・ヴィンチ上映中止 中国当局
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060609-00000139-kyodo-ent
より

 【北京9日共同】9日付の中国英字紙チャイナ・デーリーは、公開中の人気米映画「ダ・ヴィンチ・コード」の上映が8日で打ち切られたと伝えた。・・・当局の政治的判断による中止の可能性が高い。・・・5月19日の封切り以降、全国で1億400万元(14億6000万円)の興行収入を上げ、外国映画としては歴代2位の「パール・ハーバー」を抜くのは時間の問題とみられていた。
(共同通信) - 6月9日12時57分更新



中国のカトリックは、ダ・ヴィンチ・コード上映中止を歓迎する。

【HONG KONG (UCAN) 】


 中国のカトリック教会は、3週間の上映の後、中国大陸ではダ・ヴィンチ・コードが上映中止されることを歓迎する。

 この上映中止は、夏の映画ピークシーズンに中国産の映画を優先させるためらしい。また中国内の教会のことを考えて、この映画が社会的不安定をもたらさないための措置とも言われている。

 Shijiazhuang(Hebei province)にある信仰出版は、そのウェッブ・サイトに上映中止を歓迎すると述べた。

 カトリック情報筋によると「地方のカトリック信者らの怒りと不満は、エスカレートした。中国内のカトリック信者らは、映画館に反対行動をとる準備をしていた。これが地方行政府の注目を惹いた。」

 5月18日に中国のカトリック教会司教評議会【Bishops' Conference of Catholic Church in China (BCCCC) 】は、中国の全てのカトリック信者にこの映画をボイコットするよう全国的に訴えていた。・・・

http://www.ucanews.com/html/ucan/f_dishpatch.asp?ucalang=English_../news_report/english/2006/06/w2/fri/CH00519Rg.txt

 

★ローマ★

 5月18日、アマト司教(教理聖省秘書)は再び、ラジオ・バチカンでダ・ヴィンチ・コードを告発した。ダ・ヴィンチ・コードの背後に「カトリック教会に対する真の名誉毀損」が潜んでいる。「現代では、ドイツの風刺アニメであったように、教皇様の悪口を言っても罰を受けないでいられる。しかしキリスト教の歴史を捏造して罰を受けないわけにはいかない。」と述べた。

 フランコ・パトルノはこう語った。「映画館は青少年で一杯だった。彼らはマスメディアの爆撃を受け、好奇心に駆られ、あたかも自己の存在の目的が達成されるかのように映画館に行った。」

★イタリア★

 チェッカーノの2名の司祭が、公衆の前でダ・ヴィンチ・コードの本を焼いた。


★ベルギー★

 司教らは、ダ・ヴィンチ・コードの映画を恐れるべきではなく、「宗教的教養の欠如を恐れるべきだ」と言った。
 司教評議会は、正確なキリスト教の情報を提供するために一つのウェッブ・サイトを創った。


★フランス★

 フランスの司教評議会はそのウェッブ・サイトで、またパリ司教区の青年もその特別のウェッブ・サイトで「ダ・ヴィンチ・コードで明らかにされた真理」を提示している。
 ストラスブルクの司教は、ダ・ヴィンチ・コードを非難する宣言を発した。


★カナダ★

 司教評議会とケベックの司教会議は、それぞれのウェッブ・サイトで「ダ・ヴィンチ・コードについて、どう考えるか」という問いに答えている。


★白ロシア★

 「宗教に関する国家委員会」は映画を禁止した。この決定は首都の3つの主要な映画館の前で上映の日の5月19日に、カトリック信者らがデモを行った直後でなされた。


★インド★

 上映の前に「これはフィクションである」という但し書きを付ける要求がなされ、これが義務づけられた。そのために上映が遅れた。


★タイ★

 最後の10分の部分が「冒涜的」であると判断されそこはカットされた。


★モスクワ★

 この映画は冒涜であると判断された。

http://www.dici.org/actualite_read.php?id=1275

 


★インド・ニューデリー★

 インド・カトリック司教評議会を含めてキリスト教教会は、検閲機関に映画の一部をカットすることを要求した。しかし「ノーカット、編集無し、ただし最初と最後にフィクションであるとの但し書きを挿入すること」とされた。

URL:http://www.ucanews.com/search/show.php?q=Da+Vinci+Code&page=archives/english/2006/05/w3/fri/IA00360Rg.txt

 

★インド・バンガロー★

 バンガローの大司教ベルナルド・モラスは、全教区で公式に読まれた司牧書簡で、カトリック信者はこの映画をボイコットすべきであると訴えた。

URL:http://www.ucanews.com/search/show.php?q=Da+Vinci+Code&page=archives/english/2006/05/w4/fri/IB00415Rg.txt


★スリランカ★

 スリランカ大統領、マヒンダ・ラジャパクサはダ・ヴィンチ・コードの上映禁止命令を発した。これはスリランカのカトリック司教らの要請に応えてのことであった。
 スリランカ・カトリック司教評議会は、大統領に何故緊急に上映禁止命令を求めるかの理由を説明する書簡を送った。
「これは、事実とフィクションとの区別が付かず混乱を引き起こす。これは操作的であり、厭わしく、欺瞞的であり、正しくなく、イエズス・キリストとカトリック教会の姿を不敬に歪めるものだ。・・・」

 この書簡で司教らはこの映画は「全く邪悪な考えから」作られているとし、道徳的腐敗の深みを現している、と述べた。

 コロンボ大司教区の報道委員長、スリヤナンダ・フェルナンド神父は、スリランカでこの映画が上映された場合「教会が、容易にウソと欺瞞の攻撃対象となっていただろう」と言う。「私たちは何故、私たちの信仰が公に辱められ、信用を失墜させられているのを、何もせずにそのままにさせておかなければならないのか? イスラム教徒や仏教徒が自分たちの信仰を守るためにするように、カトリックも自分の信仰を擁護する権利がある。」


http://www.ucanews.com/search/show.php?q=Da+Vinci+Code&page=archives/english/2006/05/w4/fri/SR00409Rg.txt


★スリランカ・パキスタン★

 カトリック信者らの抗議行動で、スリランカとパキスタン、およびインドの幾つかの州の政府は、上映を禁止した。

http://www.ucanews.com/search/show.php?q=Da+Vinci+Code&page=archives/english/2006/06/w2/wed/AS00498KA.txt

 

★シンガポール★

 カトリック信者は、講話会、小冊子、DVD、メールで、ダ・ヴィンチ・コードにたいして闘う。

 弁護士でカトリック真理使徒会の会員であるケルヴィン・チアは「ダ・ヴィンチ・デセプション」という題で講演会を開いた。

 マルタ騎士会のシンガポール支部では「ダ・ヴィンチ・コード:事実とフィクションとの区別」の小冊子とDVDを5万部つくり、シンガポールの30の教会で配布した。マルタ騎士会は、有益な情報をメールでも流した。

http://www.ucanews.com/search/show.php?q=Da+Vinci+Code&page=archives/english/2006/05/w3/wed/SG00322Rg.txt


★シンガポール★

 小教区レベルでの講演会が開かれた。映画のウソと史実と、信仰の真理についての明らかにする講話会である。

【シンガポール】
http://www.ucanews.com/search/show.php?q=Da+Vinci+Code&page=archives/english/2006/05/w5/wed/SG00435Rg.txt

★フィリピン★

 フィリピン司教団は『ダ・ヴィンチ・コード』に関する司牧声明を発表。(5月12日付)

A PASTORAL STATEMENT ON "THE DA VINCI CODE"

http://www.cbcponline.net/html/davincicode.html

 


★ソニー・ピクチャーズ(Sony Pictures)★
 次はダン・ブラウンの「天使と悪魔」を映画化する計画。

 


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 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。日本の司教様や教会の指導者の方々のためにお祈りをお願いします。

 天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!

 

え?! 次はダン・ブラウンの「天使と悪魔」を映画化するの? 
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聖ピオ十世会国際ニュース ★フランス★ 聖霊降臨の巡礼の写真によるリポート

2006年06月13日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア!

聖ピオ十世会国際ニュース

★フランス★

聖霊降臨の巡礼の写真によるリポート(つづき)



 





クニテル神父様によるミサ聖祭中のお説教
(フランス語)
http://www.laportelatine.org/communication/sermons/0606003knittelfr.mp3

(ドイツ語)
http://www.laportelatine.org/communication/sermons/060603knittelall.mp3

(スペイン語)
http://www.laportelatine.org/communication/sermons/060603knittelesp.mp3



主日




聖ピオ十世会総長、フェレー司教様のお説教
http://www.laportelatine.org/communication/sermons/060604fellaypentecote.mp3




月曜


 フランスからは17の地域から100以上のチャプター(グループ)が参加。
フランス以外からは、19諸国(スイス、ベルギー、ドイツ、イギリス、アイルランド、ノルウェー、エストニア、スペイン、フィリピン、日本、マダガスカル、アメリカ合衆国、アルゼンチン、メキシコ、グァテマラ、コロンビア、など)のチャプターも参加。















デュベルジェ神父様のお説教
http://www.laportelatine.org/communication/sermons/060605duverger.mp3



フランス管区長によるフランス管区の聖母マリアへの奉献
http://www.laportelatine.org/communication/sermons/060605consecrationnd.mp3



フランス管区長による「夏期大学講座」への参加の勧め
http://www.laportelatine.org/communication/sermons/060605cacquerayudt.mp3

 

 

(´・ω・) シャルトル・パリの巡礼ってすごくかっこいいなぁ! 
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ルフェーブル大司教様の伝記もがんばれ! と思った方もクリックして下さいね。

 

 

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エキュメニズム関連情報 【韓国カトリックと儒教】

2006年06月08日 | エキュメニズム関連情報

アヴェ・マリア!

エキュメニズム関連情報

【韓国カトリックと儒教】


 儒教では「祭祀」と呼ばれる先祖の霊に対する礼拝がある。韓国の多くのカトリック信徒は、これを拒んで殉教していった。


その祭祀というのは虚しく無益なことです。真理に従うためには、虚しいこと無益なことを捨てなければならないということは明白な事です。眠った親に食べ物を調えて差し上げて眠りに入ったままそれを召し上がりなさいと言ったら、それは愚かな事ではないですか。だから親が亡くなった後に食べ物を召し上がるなどと思っているなら、それはもっと愚かではないですか? 霊魂はそれが行くところに行き、肉体は力無いしかばねに過ぎなくなるのです。 霊魂は霊体(神霊体)のため物質的な食べ物を食べて生きているのではありません。また天主の戒律は素晴らしいものであり, それを守れば功徳になります。国王のために自分の生命を捧げる人を逆賊だとは言わないでしょう。まして天地と天主なる人と万物を主宰し給い、王の中の王であり、全人類の普遍な父親であり、雨と露を思いのままに降らせ給い、一番微弱な草木から大木までも皆育つようになさるお方です。その恩を被らないものは存在しないのであり、天主を裏切るよりはかえって自分命をかけるという人を、いったい何故逆賊だと罵るのですか?」


(韓国の百三位聖殉教者の一人、イ・ホヨン・ペトロ(1838年11月25日殉教)が、儒教式の祭祀を捧げないので逆賊だと刑吏から言われて答えた言葉)



 ところが今では???? 
 儒教の礼拝もOK? 枢機卿が儒教礼拝の手本を見せる??


 東亜日報(2000年5月23日)より



金枢機卿儒学者墓地で "禮" を捧げる

心山賞 受賞後 24日 告由祭


「祭祀は孝実践のため」と規定

 天主教と儒教との意味深い出会いが行われる。金壽煥枢機卿は、23日、第13回 心山賞 受賞において、24日現代儒林の偉大なる先人として尊敬を受けている心山 金昌淑(1879 - 1962)先生の墓地に行って「禮」を捧げる。


 心山賞 受賞を知らせる告由祭で進行する今回の行事で、金枢機卿は祭主である金時業 心山思想研究旧会長に続いて墓地で焼香し酒を捧げた後、「禮」を捧げることになった。・・・


 金枢機卿の秘書である金ユスティナ修道女は、これに対して「天主教の典礼方式と食い違うことがない」と言った。


 金枢機卿はこれに先立つ22日ソンキュン館に宛てた受賞演説文を通して「私は天主教の聖職者ではあるが、韓国人であるので、私の体の中もどこかに儒教の血が流れていると言っても過言ではない」と言った。


 枢機卿は「18世紀末葉、李スンフン、鄭ヤクヨンなど新進儒学者などが、儒教思想と天主教を調和させようとした補儒論は、世界天主教史に類例がない進取的な姿勢」であると高く評価しながら、天主教会の祭祀禁令(1939年になると撤回)に対して「朝鮮国民全ての階層の瞳を突き刺すこと」であるとフランスのダレ(Dallet)神父の表現を引用し、遺憾なことであると表現した。


 金枢機卿は「先祖祭祀は迷信ではなく、父母の死後に孝を実践し続けるためのもの」と規定しながら、「儒教が父母に対する孝を通して天に対する大孝で上げられる上向式であるなら、キリスト教は父なる神様にたいして大孝を材料に、父母に孝をしようとする下向式であるという差異があるだけ」と言った。金枢機卿はまた「儒教の仁の思想、仏教の大慈大悲の思想、キリスト教の愛の精神で、生命の文化を回復させよう」と力説した。


 心山賞は、ソンキュン館大設立者で、抗日独立闘争と反独裁統一運動の先駆けとなった、金チャンスク先生の偉大な志を讃えるために、86年に制定された賞だ。




 上の写真は東亜日報2000年5月25日号より
(儒教の礼拝をしている金壽煥枢機卿)



+++++++++

(’’)? 儒教の礼拝が許されるのに、何故、聖伝のミサは禁止されているのかな? ミサ聖祭こそ「天主教の典礼方式と食い違うことがない」はずなのに?

 


 枢機卿様、御言葉ですが先祖祭祀は迷信です。何故なら、天主御父の心に適う犠牲であり祭祀は、ただ一つしかないからです。それは、儒教式祭祀ではなく、私たちの主イエズス・キリストが十字架で捧げた犠牲であり祭祀です。何故なら、ミサ聖祭は、天主の光栄と、生ける人と死せる人々の霊魂の利益ために捧げられ、煉獄にいる霊魂たちを天国へと解放することが出来るからです。死せる父母の霊魂にとって、墓前に捧げられた大量の食事は全く役に立たず、何の益もないからです。


 枢機卿様、儒教の仁の思想も、仏教の大慈大悲の思想も、キリスト教の愛の精神も全く次元も内容も異なるものです。枢機卿様の言い方は、ただ混乱を与えるだけの言葉遊びです。


 孔子は「天」についていささかも明解な答えを与えていません。そのため、李朝時代に強要された「孝」の実践とは次のようなものでした。例えば


「平安道監司の李元翼が報告します。
 泰川居住の科挙未合格者の金麟祥は、誠孝(孝行の精誠)が天にぬきんでています。母親が生前病気の時に、キジが食べたいと思うと、キジが自然に部屋に入ってきました。母の死後、喪に服して、骨が砕けるほど哀しみ、墓を守って三年、昼夜号泣しました。
 保人の李夢龍は、その父の病を治そうと、香をたき、どうか自分を身代わりにしてくれよ、と祈りました。父の糞を嘗め吉凶をしらべました。
 両名の孝行もやはり故人に恥じません。・・・」(「宣祖実録」巻四七)
(「朝鮮民族を読み解く」101-102ページより孫引き)



 こうして李朝は、「宗族」という血縁集団しか自らを守るもののない世界を人為的に作っていったのです。だから今でも韓国では、宗族利己主義、地域分裂主義に陥っているではないですか。韓国は世界でも希な単一民族の国でありながら、儒教のせいで、その内実はバラバラの宗族の集合体でしかすぎなくなっているのです。だから韓国では汚職が蔓延しているではないですか。


 だから朴正煕は「我々は李朝史を、四色党争、事大主義、両班の安逸な無事主義的生活態度によって後代の子孫に悪影響を及ぼした民族的罪悪史であったと考える。時に今日のわれわれの生活が辛く困難に満ちているのは、さながら李朝史の悪遺産そのものである。」(「朝鮮民族を読み解く」より孫引き)と言ったのではないですか。



 儒教の束縛から解放されることによって韓国の人々は、死者のために大御馳走を準備するという、甚大な金と労力の労使から解放されるではないですか。食べ物は生きている人のためではないですか。死者の霊魂の永遠の安息のためには、ミサ聖祭があるではないですか? 何故それを教えないのですか? 




(ー_ー )主よ、憐れみ給え! 聖母マリア様、憐れみ給え!



(´・ω・) エキュメニズムは、カトリック教会の自殺行為だ!
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【韓国の儒教のことを知らないと、何のことかよくわからないかもしれないので、説明を付け加えたい。】


【一言メモ】 祭祀とは?


 韓国語では「祭祀」というと Sacrificium という意味である。これは韓国語の伝統的な天主教用語が中国語の影響を受けていることから由来している。(中国語では sacrificium の訳語として「祭祀」或いは「祭献」という。)


 尹 亭重 神父著の『詳解 天主教 要理』(上)京郷雑誌社1960年発行(168ページ)によれば、次のようにある。

===以下引用開始==


 キリストにおかれては十字架上で血を流して亡くなることは、司祭として天主に祭祀を捧げたことだ。では、祭祀とは何なのか?

 祭祀は、合法的祭官が、唯一天主に感覚物を奉献し消滅することにより、その至尊無對であられる権能を承服する心情を表現する公式敬神行為である。

「合法的祭官」=祭祀は、元来、公式的敬神行為であり、故に公衆の代表が捧げるもので、これを祭官あるいは司祭と言い、この祭官は誰であれ私的に出しゃばってその職に就くことは出来ないのである。聖パウロのヘブライ人への手紙5:1。

「感覚物」=祭祀は公式行為であるために、他人が見ることの出来ない内的心情だけではダメであり、この心情を表現する感覚出来るような物件がなければならない。旧約時代にこの感覚物は穀物や、羊、牛のような動物であった。これを「犠牲」と言った(創世記4:3-4など)。この中で、メルキセデクはパンとブドウ酒を祭献した事実は、有名だ(創世記14:18)。

「奉献し消滅すること」=感覚物の奉献と消滅に祭祀の本質がある。ところで、奉献だけでは祭祀が成立せず、必ず消滅がなければならない。液体ならばこぼし流され、火に焼かれるようなものであれば燃やされ、動物であれば屠殺されなければならない。これにより天主におかれてのみ持っておられる生死に関する大権を承服することにもなり、罪深い私たちは当然ならば死ななければならない命ではあるが、そうすることは出来ず、代わりに犠牲を殺してしまうのだ。

 このような犠牲物の一部分を、祭祀に参与していた人たちが、その場で受けて食べた。天主に祭献され聖化された祭物を食べることにより、或る程度、天主と相通することになり、天主の神聖さに参与することにより天主と親しくなるという意味だ。これは祭祀の本質ではないが、祭祀を完全にさせる(構成部分ではなく)完成部分だ。

「唯一天主に」=このような祭祀は、1、天主を欽崇(=礼拝)するために、2、罪の赦しを祈り、3、受けた恩恵を感謝し、4、必要な恩恵をこいねがうために、天主にのみ捧げていたのだ。・・・

 キリストは祭官であると同時にまた祭物であり、十字架上でこの祭物を天主に祭祀されたのだ。祭物(=Oblatio)、犠牲(=Hostia)、祭殺(=Immolatus)などは、祭祀の専門用語だ。


===以下引用終わり==


 同 神父著の『詳解 天主教 要理』(下)京郷雑誌社1960年発行(272ページ)によれば、次のようにある。


===以下引用開始==


「祭祀」= 祭祀は、合法的祭官が、唯一天主に感覚物を奉献し消滅することにより、その至尊無對であられる権能を承服する心情を表現する公式敬神行為である。・・・

 祭祀は、天主恭敬の最高儀式ゆえに、人類と共に久遠なる歴史を持っていたし、人類と共に普遍的である。即ち、どの民族であっても祭祀を持っていた。祭祀は、元来、天主のみに捧げるものではあるが、未開の非キリスト教的社会においては、道を誤り、亡霊だとか種々の神々に祭祀を捧げた。北京には天壇がある。天子が民衆のために天に祭祀を捧げていたところである。韓国でも、干ばつが起こったりすると、ブタや犬を捕まえて山に登り祭祀を捧げる風習がまだ残っている。以前にはオーストラリアのある原始民族は、実際に人間を殺して鬼神に祭祀を捧げていた。韓国の『沈清伝』が実話では勿論ないけれど、船員たちが沈清という人を海に投げて殺そうとすることも、沈清という人を犠牲にして鬼神に祭祀を捧げるのだ。

 旧約を見ると、アベルは子羊を捕まえて天主に祭祀を捧げたし、ノエは野獣と鳥を祭祀に捧げ、メルキセデクはパンとブドウ酒で祭祀を捧げた。

===以下引用終わり==

 


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「愛する者を与えよ、されば彼は私が言っていることが分かる」

2006年06月07日 | 聖アウグスティヌス

アヴェ・マリア!

Da amantem et sentit quod dico
「愛する者を与えよ、されば彼は私が言っていることが分かる」


 毎年のことであるが、今日、聖霊降臨の水曜日の朝課の読書で、ヨハネによる聖福音の第6章「私を遣わした聖父が引き寄せなければ、誰も私のもとに来ることはできない」に関する聖アウグスチヌスの説教(tract. 26 in Ioannem, post initium)を唱えた。


Da amantem et sentit quod dico : da desiderantem, da esurientem, da in ista solitudine peregrinantem, atque sitientem, et fontem aeternae patriae suspirantem : da talem, et scit quid dicam. Etc.


【日本語訳:愛する者を与えよ、されば彼は私が言っていることが分かる。望む者を、飢えている者を与えよ。その孤独においてさまよっている者を、渇く者を、そして永遠の祖国の泉を知ったっている者を。そのような者を与えよ、されば、彼は私が言うようなことを知っている。】


「愛する者を与えよ、されば彼は私が言っていることが分かる」というのは、「私が言っていることは、愛する者でなければ分からない、愛する者であれば、それが何であるかを直ぐに感じ取る」と言う意味だ。



 そして朝の黙想で、ガブリエル神父様の『神との親しさ(7) キリスト・イエズス』を使って、34章「償い」を見ると、イエズス・キリストの私たちへのお嘆きの御言葉が載せられていた。


「人々をかくも愛したこの聖心を見よ! この無限の愛に対する答えとして、私は何の感謝も受けないばかりか、かえって、忘恩、冷淡、侮辱をもって報いられ、しかも特に私を愛する義務のある人々からさえ、たびたびそうされる!」


 イエズス・キリストの無限の愛を前にして、世界の人々はそれを嘲り、馬鹿にし、そして主を罵る小説を書き、大金をかけて映画を作り、おもしろおかしく商売をし、人々はそれをおもしろおかしく見て喜んでいる!


 ダ・ヴィンチ・コードでの冒涜、全世界に広まる共産主義、天主の制定を無視するジェンダー・フリーやフェミニズムの運動、図書やインターネットでの、映像、映画、動画で青少年の霊魂を腐敗させるポルノの氾濫、これらの悪を前にして、カトリックの私たちは、いったい何をしていたのか?


 ガブリエル神父様は言葉を続ける。

「聖心のこのようなお嘆きを聞くと、主を愛する心はじっとしてはいられない。償いたい、主をお慰めしたいのである。」


 私たちは、(1)私たちの罪が天主に加えた侮辱を償うため、また(2)イエズスの聖心を慰めるために、主を愛する心はじっとしてはいられない。償いたい、主をお慰めしたいと思うのだ。


 ピオ11世教皇様は、回勅『ミゼレンティッシムス・レデンプトール』の中で「このような償いの行為が、天国の王位についているキリストを、どうして慰めることが出来るのか?」と自問し、聖アウグスティヌスを引用してこう答えている。


「愛する者を与えよ、されば彼は私が言っていることが分かる」と。



 愛するものは、苦しい嘆きの言葉をイエズスに言わせないために償いの業に励もうとますます駆り立てられる思いがするのだ。


「私は、あざけりに心を打ち砕かれ、・・・いたわってくれる者を探したが、一人もなく、慰めてくれる者も見つけることが出来なかった。」(詩篇69)


 この聖アウグスティヌスの有名な言葉「愛する者を与えよ、されば彼は私が言っていることが分かる」Da amantem et sentit quod dico は、別の所にも引用されている。それが「アウシュビッツの聖者コルベ神父」聖母文庫56ページだ。【ただし残念なことには、訳が必ずしも正確ではなかったと言うこと】



【因みに同じ「アウシュビッツの聖者コルベ神父」の258ページには「受け容れられるものごとは、受け取るやり方によって受け容れられる」という意味のラテン語があるが、スペルのミスがある。本当は、次の通り。Quidquid recipitur, secundum modum recipientis recipitur. 印刷の中では、pがdになったり、qになったりしている。残念】



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古来には、キリスト妻帯説は存在しなかった。これは20世紀になって登場した。

2006年06月06日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

キリスト妻帯説は、本当に古来からあった考え方か?


 古来には、キリスト妻帯説は存在しなかった。これは20世紀になってようやく登場したものでしかない。


 グノーシスの所謂自称「福音」と言われる、古代異端のトンデモ本の中にも、キリスト妻帯説は存在していない。


 初期のグノーシス文書においては、マグダラのマリアはほとんど登場せず、彼女に言及があるわずかな文書も、彼女をむしろ「男(完全な人間)」として描いている。結婚の話は、全くない。


 「マリアの福音」

 ナグ・ハマディの文書は、自称「福音」という題を持つテキストがあるが、本当の福音ではない。そこにはイエズスに関する一つのエピソードしかない。

「マリアの福音」は、1896年以来、エジプトのカイロの博物館にある。

 そこに載せられているエピソードはこうだ。イエズスが説教した後に、弟子達は説教に出るのを恐れた。そこでマグダラのマリアは「自分の兄弟ら」を励ました。「泣くな。悲しむな。何故なら、主の聖寵はあなたたちを保護するだろうから。むしろ主の偉大さを賛美しよう。何故なら主は私たちを準備し、私たちを男(人間)にして下さったから。」(マグダラのマリアの女性らしさは疑わしい。)


 ペトロはマグダラのマリアに、彼女が主から受けた啓示を教えてくれるように頼む。「主は、彼女をその他の女性よりも愛していた。」(結婚の話は無い。)


 マグダラのマリアは、主から受けた啓示を語る。その内容は、全くくだらないものだ。メッセージは、宇宙空間を遊泳する霊魂が4つの敵の力と論争し、ついに霊魂は「アエオンが沈黙する季節に」休むことが出来るように解放される、というもの。
(訳していてアホらしくなる・・・。)


 そこでアンドレアとペトロが何故、マグダラのマリアのメッセージを信じないのか?と問われる。ペトロはただ嫉妬するだけ。「何故主は、私たちにではなく、たかが一人の女に個人的にこの話しをしたのか? 主は私たちよりも彼女をひいきしたのか?」


 マグダラのマリアはペトロに言う。「私の兄弟、ペトロよ、これを私が自分の心で考えついたと思うのか? 或いは私が主の言葉についてウソを言っていると思うのか?」 すると弟子の一人レヴィが彼女を擁護する。「ペトロよ、おまえはいつも汚い性格を持っている。主は彼女のことをよく知っているに違いない。だから主は彼女を私たちよりも愛するのだ。」


 グノーシス文書では、マグダラのマリアは女性であると言うよりも完全な男(人間)として描かれ、嫌々ながら女性である。イエズスの妻であるとは全く言及がない。(正典の聖福音が、マグダラのマリアの女性らしさを強調するのとは全くの正反対。)



 「トマスの福音」

 グノーシス文書の一つ、トマスのといわれる自称「福音」は、イエズスの生涯を語るものではない。イエズス・キリストの言葉(と主張するもの)を集めたものだ。その中には、シモン・ペトロが弟子達に言う。「マリハム(=マグダラのマリア)が私たちを離れるままにさせよう。何故なら、女は命に値しないからだ。」イエズスは言う。「見よ、私は彼女を男とするために導くだろう。それは彼女もまた、あなたたち他の男らのように似て生きる霊となることが出来るためだ。何故なら、男となる女は誰でも、天の国にはいることが出来るからだ。」


 ここには正典の聖福音にあるような、女性に対する敬意など全くない。


「フィリッポの福音」

 フィリッポの「福音」も本物の福音ではない。その中には次のようなテキストがある。カギ括弧は推定して補ったところっである。「マグダラのマリアは、その連れ(= koinwos)に呼[ばれた]。救[い主は]、マ[グダ]ラの[マ]リアをその他の[すべての]弟子らよりも[愛し]ていた。そしてしばしばその[口]に接吻をした。その他[の弟子ら]は、彼女に言った。あなたは何故私たちよりも彼女を愛するのですか?と。」


 しかし、もしもマグダラのマリアとイエズス・キリストが結婚していたら「あなたは何故私たちよりも彼女を愛するのですか?」と聞くマヌケな弟子達がどこにいるだろうか?? 


 ダン・ブラウンによると「アラマイ語の専門家は皆」"連れ(= koinwos)" という言葉の意味は「妻」という意味であると知っている、と主張する。しかし、フィリッポの福音はアラマイ語で書かれているのではない。実はこれはコプト語で書かれている。コプト語とは、ギリシア文字で書かれたエジプト語のことだ。(「コプト」という言葉の語源は「エジプト」にある。) コプト語を知らない限り、アラマイ語の専門家は、フィリッポの福音の一字一句も理解できないだろう。


 しかも、その同じ文献のすこし先を読むと、男が「妻」(= gyne) と並んで座っているという文章が書いてある。男が"連れ(= koinwos)" と一緒に座っていたのではない。つまりコプト語では、「妻」と「連れ」とは別の言葉であり、マグダラのマリアは、イエズス・キリストの「妻」ではなく単なる「連れ」である、と書いてあるのだ。



 「ヤコボの第二黙示録」


 では何故グノーシス文書によると、イエズスはマグダラのマリアの口に接吻をしたことになっているのか? これはグノーシス文書によると、恵みと啓示の伝達の印であったからだ。


 「ヤコボの第二黙示録」といわれるナグ・ハマディのグノーシス文書によると、イエズスが義人と呼ばれるヤコボに秘密の知識を授ける。ヤコボは言う。「そして主が私に口づけをして私にこう言って教えてくれた。”私の愛するものよ、見よ、私はおまえに天が知らないことを啓示しよう”と。」

 この文章は「マリアの福音」の中の秘密の伝達と全く同じである。グノーシスによれば、口による接吻は「霊的な教えを親密に受けること」の象徴であるといえる。(Karen King The Gospel of Mary of Magdala p.146).



 ナグ・ハマディのグノーシス文書は秘密だった?


 ナグ・ハマディのグノーシス文書は、秘密でも、新しい発見でもない。既に、聖イレネオ(紀元後200年)に論駁していた。



 上のグノーシス専門家によるグノーシス文書の分析については、次を参考にした。


DEFI CULTUREL - Le "feminin sacre" - Commentaires historiographiques sur le DA VINCI CODE - Argumentaires
http://www.deficulturel.net/modules/news/article.php?storyid=40

 

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シャルトルからモンマルトル(パリ)への歩け歩け 聖霊降臨巡礼

2006年06月06日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア!

聖ピオ十世会国際ニュース

★フランス★



シャルトルからモンマルトル(パリ)への歩け歩け 聖霊降臨巡礼
(聖霊降臨の大祝日の前後、6月3日より5日まで3日間の徒歩での巡礼)


2006年の巡礼のテーマは「私たちは皆、宣教者」



 6月3日(土曜日)、シャルトルのカテドラルを出発。照りつける太陽の下、4500名が歩き出す。そのうち1400名は子供、2200の大人、800名のボランティア。


 朝8時15分、シャルトルのカテドラルの前庭でのミサ聖祭。元メキシコ管区の管区長フランソワ・クニテル神父様が、フランス語、ドイツ語、スペイン語で説教。


「巡礼者は皆、鏡のように、私たちの主イエズス・キリストの生活と教えを映し出すことによって宣教者とならなければならない。だから私たちは、きれいな鏡のように、汚れがあってはならない。従って、巡礼の前によい告解で良心を清めよう。そして私たちの主イエズス・キリストの御言葉と模範を大きく受けなければならない。」


 十字架はシャルトルの道を開く。





 


 日本からはるばる参加した日本人巡礼団。

http://www.dici.org/fraternite_read.php?id=000081

 


 6月4日、巡礼者らは森林の中での聖霊降臨の祝日を祝う。


 聖ピオ十世会総長のフェレー司教様が荘厳司教ミサ聖祭を執行、説教をする。

 




「何故、私たちは宣教者でなければならないのか?
何故なら、天主がそれを望んでおられるから。私たちの主イエズス・キリストは、霊魂の救いのためにご自分の命を与え給うた。そしてイエズス・キリストは、私たちがその贖いの業に協力することを望んでおられる。
 では、私たちは何故必ずしも皆が福音の教えを熱心に聞く宣教者であるとは限らないのか? この世を恐れているから。世間体のため。この世が反対し、敵対するのが怖いから。
 私たちは、聖霊の賜が必要である。聖霊降臨の時の弟子達のように、慰め主なる聖霊は、現代世界における宣教者となる超自然の力と大胆さを私たちに下さるだろう。」













http://www.dici.org/fraternite_read.php?id=000082




 聖霊降臨の月曜日、7500名が行列でパリに入城した。


 フランス管区補佐の、ロイック・ドゥヴェルジェ神父様がモンマルトルでの聖伝のミサで説教をする。

 宣教者は、祈り、苦しみ、証をしなければならないこと、家族は子供達にしっかりとした良い教育を与えなければならないこと、青年達は、天主と霊魂の救いのために働くことの偉大さを訴えた。














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